論考 4月

 

地方創生の要は一極集中の転換  2015-4-14


地方創生は、一極集中が終わらないと、何もはじまらない。東京都の区の贅沢さはあきれるほど。大理石の大きな火葬場に、都営高層住宅。巨大な都庁。かけたマネーのスケールがどれも大きい。

 東京はあまりに潤沢な資金がある。江戸、明治以来の国策で、東京に金や人が集まる制度をした続けた。企業、法人の本社を東京に誘導してきた。それを変更しないことには、地方にお金も人も回らない。一極集中の転換なしに、地方再生はおぼつかない。

 江戸、明治、戦後も東京の政治家は東京が反映する制度を維持してきた。それをまだ誰も止めない。それでは、地方がいくらがんばっても、東京に企業と人と金は集まり続け、地方はさびれる一方。それでは、どうにもならない。分散しなくては。

 しかし、いくら政治家が頑固でも、東京大地震によって、東京離れがはじまる。地方はそれを待っていられない。が、その時はその時で、今度は日本中のお金が東京の復興のためにとられてしまう。地方にゆくお金はますます細る。東京の再興は分散を前提に進めなくてはいけない。

 地方が貧しいのは、昭和以降の東京中心主義のせいであって、今はそれを転換する時期にきた。地方創生はよいことだ。が、一極集中の是正を真っ先に言わない政府はどうかしている。野党も言わない。メディアも学者も沈黙。 

 

東京メディアは地方がさびれると言う一方で、東京利権を手放すことに反対する。実にけしからん。 政治が主導して、それら膨大なマネーを集める古い東京都構想を崩さないことには、日本は地方がよみがえることはないだろう。

 この問題は解決がやさしい。一極集中の是正は、既存の論を体系化してまとめるだけでよいものができる。誰も言わないことが、おかしい。

 政治家は企業誘致が地方自治体の収入に直結することをよくわかっている。市の財政の安定のために、大企業を手放さないのは大勢いる。そういう故郷を大切にしないのが減っている気がする。東京に本社を移転することを、許可しない法律を作り、地方財源を増やすことが大切である。

 もうすぐ大地震もある。それによる東京の衰退に大勢が気づくと、東京離れが生じるだろう。それが地方創生のはじまりとなる。

 

 

 

アンチ戦争論者は戦争を正しく教えられない 2015-4-15

 料理嫌いが料理を教えられない。野球嫌いが野球のなんたるか、野球のテクニックは教えられない。考えればすぐにわかることだ。アンチ戦争論者は戦争を知らない。戦争を学習することを拒絶して、学んでない。よって、戦争の真実を教えることはできない。戦争の意義、方法、その破壊について、冷静に客観的に彼らは教えることができない。だから、彼ら戦争反対はという者達に「戦争」を教えさせてはいけない。戦争について、一面的に、部分的にしか理解偏った子供が育つ。

 なぜか? 囲碁嫌いは、囲碁もしたことがない。じじくさいから、地味だから、簡単に覚えられないから、夫がそればかりして、妻をかまってくれないから嫌い、とかそんなところだ。囲碁とは何か。囲碁はどう打てばよいか、何も知らない。囲碁に悪い印象をもっており、そう決め付けている。そんな棋力もない人物が、人に囲碁を教えられない。

 戦争も同じ。最近、幅を利かせている左派の反戦論者は、戦争の表面的なものを見て、破壊がひどい、人が死ぬのが嫌、かわいそう。ただその程度のことで、戦争に反対する。


 彼らは、戦争で国土と国民を守らなくてはならないことを知らない。ナチスが侵攻した時は、戦わなくてはいけない。ソ連に侵攻された時に満州の捨留民がどんなに悲惨な目にあったか。北朝鮮が攻めてきた時に、戦って斥けなければ、東京、大阪の都市は火の海となり、破壊される。戦わなくては、占領されたあと、日本は収容所が作られ、大勢が銃殺される。そのために日本は戦って自らを守らないといけない。彼ら戦争反対者は、そういうことを何も語らない。

 

彼らは、戦争の本質、悪なるグループを食い止めることの重要性を理解してない。ただ戦闘・軍事行動のみを嫌っている。

 多くの反戦論者は戦中、子供で敗戦体験しか知らない。空襲で焼け野原になった都会や、軍人が死んだことなど、その敗戦のひどい有様のみを鮮明に覚えている。彼らが知るのは、負け戦の悲惨さのみ。戦争の目的も、戦闘に至る筋道も、戦争しなくてはいけなかった事情も、知らない。ただただ戦争は悲惨だ。彼らにいえることはそれのみ。

 

 そんな幼稚なレベルで、戦争を語れはしない。彼らは戦争を知らない。彼らは、戦争を正しく教えることはできない。彼ら左翼の反戦論、"決めつけ"など覚えても世界では通じない。

 

 豆知識
 日本国憲法は平和憲法でなく、あれは軍事侵攻される憲法だ
 アメリカが制裁で日本から軍事力を奪った。それがあの憲法だ。軍事力は、どの独立国家ももつことが許される。それを否定する国の方針をアメリカが日本に強制した。そんな制裁は解除するのが望ましい。
 あらゆる外国の制裁は国家の主権を制限するものだ。国家の健全さをゆがめる。国は制裁は解除する方向に動く。それは自然の理である。

 

 

 

世界のメディアに積極的に主張しはじめた保守  2015-4-17

 最近の保守系の雑誌では、アメリカ内における中国や韓国グループの左翼運動に反対する活動、南京大虐殺など日本への誤解を解くために、運動をしている者たちの苦悩が記される。左翼は、何十年前から世界に出て、日本を貶めてきた。保守もようやくその大切さを知ったようだ。この日本を正しく訴える活動は始まったばかりなので、まだまだ失敗もあり、うまくいってないようだ。が、どんどん要領を覚えて、うまくなるだろう。それを期待したい。

 保守は国内で言論上の優位を確立した。高級な雑誌は、文芸春秋も中央公論も、リベラルにすらならず、見識の高みにある。保守勢力は、自民政権を作り、国内で政治的な地位を得てもいる。今まではそれで安住していた。が、左翼による世界的な包囲網を形成され、海外で左翼による日本批判が強まった。この新しい脅威に対抗する上で、日本の保守の論調を世界に広げることは大切である。

 世界的なロビー活動の弱さ。それは戦前の失敗の1つなのだ。日本の立場や主張を世界に上手に伝えられなくて、情報戦で負け、日本は国際的な孤立に追い込まれた。二度とそういうことがないようにしたい。保守は見識も理論も左翼よりは優れている。だから、世界に長く訴えると、しだいに世界的な影響力を強めるだろう。それを信じて挫けないことだ。

 この日本保守の世界的な宣伝活動は、日本の立場を世界に説明することになる。それは日本と世界との関係強化につながる。日本が世界との安定を確保するためには、不可欠である。これら保守の立場を世界に共有させることは、日本が孤立しないことにつながり、アジアにおける共産中国の策略に対抗する言論上の希望となるだろう。日本によるアジアの安定にもつながる。それを忘れてはいけない。

 

 

社会保障論議が消えたわけ  2015-4-18

 ゆりかごから墓場まで。社会保障を生まれた時から死ぬまで充実させて、医療や経済的な問題で苦しむことなく、暮らせる社会にする。これは一種の理想だった。それ自体は悪いことではない。いい生活ができるのだから。

 が、それは最も政策能力がない左派達が主張したから、実現不可能な理想にみえた。私は、国家が現在の状態で進歩し続けたら、経済的な問題は50年以内に克服して、そういう高度福祉国家が世界の標準になると思う。

 問題は社会党や社民党が福祉国家をよく唱えていたことだ。彼らは、財源なしに主張した。だから、嫌われた。空想に聞こえた。それがいけなかった。しかし、社会保障が1つずつ充実して、ベーシック・インカムの導入も視野に入った今、現実味を帯びてきた。もはや高度福祉社会は夢ではない。手の届く未来である。

 

 しかし、このビジョンを誰も語らなくなったのは、寂しい。日本人は311のショックで目先の問題ばかりを語るようになった。次の段階の社会を予想できなくなったのだろうか?


 それを早急に実現するという安易なものは社民が唱えていた。すると、税が重くなり、消費税をあげるよりも大きな不況が襲う。社民もようやくそのことに近年気づいて、封印した。

 争点が経済となったからだ。社会福祉をよくすると税が高くなる。昔のように、財源がない新制度は、政治家は言わなくなった。そんな嘘マニュフェストは民主党時代にうんざりしたため、国民に通用しなくなった。それで、選挙の時に、彼らは福祉を口に出さなくなった。そのため、語られない。

 

 なら、保守政治家はどうなのか?

 本来、この国民生活の向上は、保守が提案すべきものだ。左翼ごときは経済の裏づけなく、そんな負担を社会に強いるようなことしかいえなかった。しかし、それは人類がいつか到達する社会だ。ゆっくりと、確実に一歩ずつ、そういう制度を整えていかなくてはならない。それをするのが、経済に聡く、また社会の発展を確実にもたらす保守政党の役割である。保守政治家が、福祉社会を現実的な形で語るべきである。

 

2015年の社会保障

 現在は、日本の国力に見合った社会保障を提供する。常に、財源がチェックされる。最大源ぎりぎりのところで、やっている。足りなかったら、消費税と国債で補う。それを繰り返す。その時ごとに国民は反発する。いったい何に反対しているのか?

 日本が消費税をあげるのは、政府の失政のせいでも、自民の計略のためでもない。増えすぎた全共闘世代の爺婆を養うためだ。それはほとんど老人を介護する費用だ。

 一部、政党は全てを福祉につぎこめみたいな極端なことを言うが、それはそれで他がさびれてゆく。たとえば、地方の町のように。福祉は成長産業ではなく、負担である。日本中がそんな介護の負担を重く抱えている国に未来はない。しかし、老人によい暮らしをできるように、若い世代は生活水準を下げ耐え、頑張っている。そこが大事だ。

 彼らがいなくなれば、負担は軽くてすむ。半減以下になる。しかし、老人を消すわけにもいかない。ならどうすればよいか?

 悪いのは何か? 老人が不健康なことだ。ご老人の体が悪いのだ。それで介護費用も医療費も高くつく。ご老人が健康なら安くすむ。日本は国をあげて、老人を健康にするために政策を尽くすべきである。老人健康運動や政策をますます充実させていかなくてはいけない。

 税をあげないでやれ、と言いたい。まだやれることはあるのではないか?

 

 

新潮45 5月号の感想、『金利ゼロ=利潤率ゼロ』、これサラリーマンに通じない 2015-4-20


 当然、立ち読み。この雑誌は、反政府的なキャンペーンを張る。そんなアンチな全共闘をひきつける作戦らしい。

 

民主党系の雑誌なら、最大の敵を間違えている。自民票は揺らがない。民主党は共産党と票の奪い合う。今、反自民票をもっとも食うのは共産党だ。つまり、民主党のライバルは共産党なのだ。そこに焦点を絞らなくては。反自民は勢いが大きくならない。維新は大阪の中でどうにかやってゆくから、外の論評は意味をなさない。どちらを叩いても、民主票につながらない。選挙間近で目下狙うのは、アンチ自民票の取り合いである。全国で民主票を奪う共産。それを叩く内容を最優先にしてゆかなくては・・・

 
 私はネット上にこうやって論を書いて、世に問う。練習がてら。

『大阪都構想は大嘘』という。私は成り行きをみているが、成功しないのではないか、と思う。

『空き家の活用で日本中が蘇る』
 藻谷氏は、小さなブームをすぐに大きな夢にかえてくれる夢幻おじさんだ。確かに、今空き家の活用は流行だ。そういう時世の発想らしい。 しかし、私は空き家はどんどん処分すべきと思っている。昭和・平成と人口が増えて、都会でむやみに家を作り、郊外にも造成地を増やした。人口が減ったのだから、それら乱開発を整理して、造成地は自然に戻すべき。

団地も多くは解体・撤去する。空き家は今はぼろ家。取り壊される。昭和の日本の家は急造したものが多く、寿命は40年で長くもたない。そんなものを後生大切に残しても仕方ない。活用できるのは、古民家や廃校などごく一部。百年近くもつものだ。

 昭和、都市はどんどん乱雑に拡大した。それら猥雑なものは、どんどんつぶしていって、都市や町をきれいに作り直すのが大事だ。空き家は残すより、つぶして、都市の改革する。経済効果はどちらが大きいかは、自明だ。

 空き家を改修して飾りつけるよりは、町ごと作り直す。そちらのほうがよい。どうしても残したい建物は、移転させればよい。藻谷氏はまだそこまで考えが及ばないようである。

 『近代の秋』への発想の転換 水野和夫
 資本主義の定義があって、彼はそういう市場経済をさすのが私の資本主義の定義だ、みたいに開き直る。資本主義は、一般的な定義がある。その範疇で語ればよい。資本主義の副次的な面ばかりを強調するのは、あまりに一面的。そんななものを取り上げて話すと狭量にみえる。市場経済に限定するなら、資本主義はつけなくてよい。

 資本主義の定義としては、三浦瑠璃氏が制度面から、『その基盤となっている原則を挙げるならば、私有財産の不可侵ということと、契約自由の原則くらいです。(山猫日記)』、という。
 私の定義では、『個人と集団の自由活動を認めた国家』。そんな国家の組織形態の中で、いろいろな体制がある。資本主義の本質なところは上の二つで、市場経済は派生した部分である。こういうところをわきまえた上で、学者ならものを言わなくてはいけない。

 政府の借金について彼は前より一歩進んで考えていた。だが、まだそれでは日本の多額の国債という問題を解決できていない。まだまだ足りないようだ。

 彼は、今までの社会ルールとして、『より早く、より遠く、より合理的に』というのがあったと批判して、それはやめるべき、という。かわりに、『より遅く、より近く、より不合理』に、と提案するかと思いきや、少し変えて、『より? より近く、より寛容に』となっていた。どうやら、今までの社会スタイルの真逆を行くことには、躊躇したようだ。
 より早く、より遠く、より合理的、というのは正しくは資本主義ではなく、合理主義の発想。私は合理主義を否定する気にはならない。

 彼は、後半、あまり見るべき論がなくて、くず鉄のように見えた。経済学者が語る分野を広げすぎた印象はある。

 彼は、ゼロ成長で『国家経済』は死んでいる、という。安倍首相が現れる前、民主党などのデフレ期間では、マイナス成長だ。彼の目に、それは日本がどこまで沈没したと映るのだろうか。デフレ推進派、量的緩和の否定派は深海にひっそりたたずむ巨大な廃艦、あの武蔵の乗組員のようなデフレの亡霊、と彼にみえるのだろうか。

 そういう意味で、彼にとって安倍首相は、日本を不況の深海から浮上させ、日本を活かし蘇らせた立役者ではないだろうか。彼の資本主義論では。

 彼の書を見て気づいた。『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社、水野和夫)の帯に「金利ゼロ=利潤率ゼロ=資本主義の死」とある。おかしくないか?

 彼の言う「利潤なし」とはGDPの成長がゼロのこと。国家にとっては、予算規模が去年と同じということ。企業にとっては前年と今年の売上が同じ、ということ。そうなると、資本主義(国家も企業)も死ぬという。これは間違いなのだ。

 

 大赤字でないなら、会社は持続できる。会社が生き延びたら、資本主義も安泰ではないか。なぜ、売上が去年と同じというだけで、企業の死となるのか? 国家においては昨年度と同じ予算でやっていて、国家が死亡することになるのか? と、この帯の意味を考えれば考えるほど、間違っているように思えてくる。

 利率がゼロで最も打撃を受けるのは銀行だが、彼らは手数料などでしのいでいる。銀行ですら倒れない。

 おそらく、この帯を作った人はいろいろ勘違いしたのだろう。彼は『GDPの実質成長率がない』と主張する。成長率がない=利益をあげてない。もしくは、利回りがない→得していない→利潤はない、と錯覚したのではあるまいか。

 どちらにしても、単純なミスだ。GDPとは毎年の国家の生産額だ。その中に利益は含まれる。2013年のGDPは530兆円。利潤が1割とすると、50兆円となる。GDPの成長率がゼロでも、利潤はあるのだ。

 GDPはあがらなくても、利益は各企業があげる。給料もそこから出て、日本のサラリーマンは受け取る。利益ゼロでは、それがないから、日本は倒産列島になってしまう。

 金利ゼロでも、GDPが成長しなくても、そこに利潤は入っている。資本主義(会社)は生きている。こう書くのがよかったのではないか? 『金利ゼロ=(会社の)利潤率は5-10%=資本主義改良中』と。

 預金者の利潤率は経済学では、貯金暮らしの人しか問題にならないので、国政を論じるときは大事ではない。それがゼロなら年金暮らしの老人は心配になってくるとしても。しかし、老人ですら、貯金を食いつぶすまでは、安泰なのだ。利子で食っていける人はよほどの金持ちだ。そんな富裕層の心配をしなくてもよい。

 「利潤率ゼロ」を入れたから、書店で、サラリーマンはそこを読んで、『俺の会社は利益をあげているぞ。だから、給料も入るんだ。この本は、いい加減なことを書いているな。』と、買わない決断をする。それが現実だ。『資本主義の終焉』という言葉に頭がくらくらして、買ってしまった全共闘などの層は、会社が利潤をあげることにどんなに苦労しているか、などわからないので、目にも入らなかったのではないか、と思う。この帯によって、多くのサラリーマンの購買を逃したとはいえるだろう。

 来年には、この帯は書き換えられているか、消えているだろう。編集者は売り上げあげて、利潤がほしいから。

 

 

経済学の未来--経済学が終わる時 2015-4-21

何かの小説で読んだ。経済学者が言う。未来は機械によって、大量生産される。すると、製品の価格は下がる。無限に生産すると、その価格はゼロに近づく。あらゆる製品がそうなると、経済は縮小して、やがてはゼロになる。そこで、経済は終わる、と。

 社会は無限の生産力を得て、貨幣経済が終わる、という未来を描いた小説。その時、社会が破滅するわけではない。経済学が終焉する。ずいぶん極端なモデルだが、何か暗示しているようで、感心した。

 現実は異なる。今でも、大量生産される。製品価格は下がる。しかし、そんなに価格は下がらない。一定の水準で止まる。製品は、無限に生産できないからだ。原価は最低価格以上に下がらないからだ。その二点に限界があるためだ。

 確かに、量産化すると価格は下がる。が、あるところまで下がると、止まる。原価より安く売れないからだ。原価とは材料費。それは鉱物資源の値段にゆきつく。

 新しい商品は、よく売れた後に、衰退する。そして、やがては標準化される。誰でも作れるようになる。すると、そんなに高くない値段で買えるようになる。最低価格に落ち着く。りんご、ねぎ、カードの計算機、なべ、はぶらし、靴下。百円ショップにそんなものはたくさんある。公共料金は、そういう値段でもある。

 実際は、原価と一定の利益を上乗せした価格に収斂する。電気料金みたいなものだ。

 というわけで、全ての製品は、最低価格に落ち着く。経済も、公共料金のような価格に落ち着く。それが経済全体を占める。未来の経済学はこちらのほうが正しく描けている。

 これをここでは、公共的経済と呼んでおこう。これは、別名、原価がほぼそのまま価格となる原価経済である。利益はあるとしても少ない。公共経済の一種である。

 では、この公共的経済は、どこにあるか? 
 標準化した商品は何か? 水道、ガス、電気。りんごもそうだ。はぶらしもそうだ。後進国でも、作れる産品はたいていそうだ。これらは、もっとも安い製品だ。が、これ以上は下がらない。そういう商品の経済である。廉価品の経済、百円ショップの経済みたいなものだ。こういうものではないのは、成長産業や、車、飛行機などまだ衰退していない産業製品だ。

 世界中で何割の商品が標準化しているかは知らない。世界の経済の何割かは、こういうもので占められる。当然、こういうものは成長産業ではないから、そこで大きな利益は得られない。自動車はまだ高級品でも売れるが、やがて標準化すると思われている。

 あの大量生産によって価格がゼロに収斂する経済モデルは最初に示した。その間違いを正す新しいモデルが、これである。公共的な経済モデルと呼んでおこう。

 この分野ではどういうことが起きるか?
 成長産業ではない分野の話だ。新規の製品でもない。古くからある製品の売買である。かばんや靴、服。そんなものだ。基本は、安い製品だ。はさみのように。だが、かばんは高級品がある。高い値段で売るために、高級品を作る。この分野には、高級品と低級品がある。

 ここで働く労働者は一定数必要だ。確かに、成長産業ではないだろう。しかし、多くの市場がある。こういうものを大切に残すことは、国家の文化を維持する上でも大事だ。なぜなら、古くからある商品、衣服、食器、机などは一部、伝統産品でもあるからだ。失業対策にもなる。

 

 先駆的で才能がある人間は少数だ。そういうものたちは成長産業についたり、学者になる。が、大多数はこういう既存の産業分野で働いて、小さな工夫を積み重ねて、貢献する。こういう産業は、その受け皿として重要である。アメリカがかつて先端産業に特化して、これら旧来の産業を減らそうとして、失業率をあげた。日本はそんなことはしないで伝統産業を重視するから、失業率を下げられる。

 そういう意味で、地域のブランド化、地方の工芸品(工芸品は、お椀、お皿などこの分野だ)を日本が積極的に推進しているのは、経済学的にも適っている。地方で新規産業を興さなくても、今までにあるもので、十分な規模の経済を維持できるからだ。

 地方創生によるこれら地方の特産の奨励は何の経済効果もない、といった経済学者はいる。が、それは間違いだ。雇用にもなるし、職場の確保にもなるし、地方経済を高めることができる。だから、地方で大きな動きとなっている。

 新しい技術による産業は、地方でさほど期待されていない。そんな世界を変えるような先駆的な人材は地方になかなか集まらないからだ。地域には地域に見合った経済復興がある。それでよい。

 さて、話を戻す。世界中の全ての商品が、それ以上に下がらない値段に落ち着く。すると、経済のデフレ化はそこで、ストップする。あとは、増えるだけ、経済は成長するだけ。インフレ政策をしなくても、日本の物価下落が落ち着く。先進国と後進国の物価差が解消すれば。

 この経済モデルが、成立する条件は一、資源は有限であること。採掘費用など一定がかかること。材料費がただではないこと。二、加工などエネルギー費用がかかること。三、価格はいずれ標準化して、最低価格に落ち着くことの三点があげられる。

 ここまでは、勘のよい経済学者がふつうに思いつく範囲である。公共経済学を別の観点から眺めたにすぎない。それをまとめた。

 

 未来の経済学

 しかし、技術が進歩するとこの原価に収斂する経済モデルも怪しくなる。一、資源が安く手に入り、二、エネルギー費用がほとんどただになるからだ。すると、上のモデルの条件は崩れてしまう。そこが、未来の経済学の核心である。

一、資源が安くなる
 原子変換が発見されると、そんな技術もできる。すると、金銀、レアメタルが人工的に安価な材料から作り出せる。放射能物質の無害化はこの技術の応用だ。どんな高分子化合物も、生産できるようになる。そんな時代はくるだろう。こうなると、原材料の最低価格はさらに下がる。

二、エネルギーがほとんどただになる
 フリーエネルギーは難しく考えなくてよい。ワープ装置一つあればよい。重たい石を落としては、時空転送装置で、高い場所にあげて、また落とす。それを繰り返すだけで、原子力も生み出せない無限のエネルギー(位置エネルギー)が手に入る。ワープは、時空の穴を作り、維持するだけなので、あまり電気エネルギーはかからない。もっと工夫された装置もできるだろう。ワープ装置の開発は時間の問題と思う。
 すると、電気代がほとんどただになる。燃やす燃料がいらなくなるからだ。すると、加工費が極端に安くなる。

 原材料費は下がる。エネルギー代も下がる。この二つで、価格の下落に歯止めがきかなくなる。しかし、小さくなっても、一定の加工費、一定の原材料費はかかる。しかし、極めて安いことは確かである。こうなってしまうと、セイコーの時計が100円。新幹線も1000万円となる。金のネックレスは100円だ。

 

 生産費用が高いものは高級品に

 この未来では、りんごは相変わらず1個100円だ。外で1年かけて作るのだから。羊毛のセーターも1着2000円だろう。1年に1匹の羊から2着分しかとれないから。ほうれんそうは1束10円ほどとなる。これは植物工場で安く作れ、電気代と肥料代が安いからだ。

 金属製品や、電子製品は機械さえあれば大量生産可能だから、極めて安くなる。プラント工場で栽培できる野菜も安くなる。しかし、1年かけて外で育てる果物は値段が下がらない。成長産業の製品もやや高くなるが、りんごよりも安いかもしれない。かつて3文の価値もなかった松茸が今や高級品になったように、現在の我々からみれば、奇妙な経済世界となってしまうだろう。

 そして、最も大事なことは、科学はどんどん発展して、人々の暮らしは豊かになることだ。が、経済学は逆だ。価格が安くなるため、小さな小さなミクロの数字を扱う貧粗な学問になってしまう。この時、大勢が気づく。経済で物事を考えてもあまり意味がない、と。ジ・エンド・オブ・エコノミクスの時代である。

 

 

公務員の給料が高いが、10年後には・・・ 2015-4-23

 公務員が高級とりは明治・大正以来の珍現象である。最も非効率で遅れた産業=役所。非効率の代名詞だった公務員、役所。それが今や就職志望者殺到。これは、公務員の努力の成果ではない。彼らは給料すら合理的に決められない。だから、給料の低下という流れに運良く取り残された。それで、いつまでも高い給与のままなのだ。

 高給という理由だけで、公務員が羨望の的であること。私は納得できない。私のゆく大阪市立大学では、志がなく、何の取り柄もないきまじめなのが、特に法学部が大阪市に就職した。やっている作業といえば、役人なので、事務だ。

 民間企業のように頑張っているわけではない。たんたんと決められたことだけをする。それが今や、戦後はじめて、単に安定しているという理由だけで、憧れの職業に。

 昨日は池田市役所の新人をたくさん見たが、胸を張って、誇らしげであった。たかが役人となっただけで。国の権威をかさに着る役人がだよ。役所を動かすのは、政治家。その下っ端役人が。東京の官庁に勤務する官僚なら、国を任されているから、それでもいい。でも、田舎町のお役人がステイタスのシンボルというのは、納得できない。

 まだまだ改革して民間企業並みに合理化しなくてはならない箇所がたくさんある役所。それすらできてないのに、高給取りは変ではないか?

 公務員の給料は、平均賃金より高めに設定されていた。だが、一昔前はそんなに高いという印象はなかった。民間は2003年の月40万円から給料が下がった。現在は、平均月35万円。デフレの影響をもろに受けている。『国税局 民間給与実態統計調査 より』
 デフレにしていなければ、民間の平均月給が45万円ほどになっている。公務員はそんなに高いわけではないから、デフレという失政がなければ、さほど魅力がある職ではなかっただろう。高給といっても、役所は優秀な人たちが集まる職場ではない。そんなに誇らしげに国の仕事をやるのは、それはよいことだがね。しかし、高給になったのは経済における失政の結果である。

 

 デフレ時代は終わった。インフレ政策が続き、民間企業はどんどん給与があがる。公務員はあれやあれやといううちに給料が変わらないで、安サラリーマンの仲間入りだ。アベノミクスが順調なら、十年後にそうなるだろう。公務員になった青年諸君。その時に「しまった、職場を間違えた。」 と気づいても、もう遅い。


 

 

デフレになった理由 2015-4-24

 デフレ、デフレと言われるが、なぜそうなったか? 原因がよく伝わってこない。私が考えるのは、4つある。
1つ目は、貨幣供給量が少なくて、デフレになったというもの。2つ目は、安価な輸入品で価格が下がった、というもの。3つ目は、大量生産による価格低下がデフレをもたらした、というもの。4つは、新しい製品が登場すると、古いのは安くなること。それらで、デフレとなる。

1, 円の供給量が少ないからデフレ。
 だから、量的緩和して、円を市中に流して、インフレにする。これは成功した。だから、これは正しい認識。日本経済は拡大していたのに、それに見合う量の貨幣を供給しなかったために、円不足からデフレに陥っていた。

2, 安い輸入品のせいで、品物の価格が下がった
 中国製品、ミャンマー製品など、海外の牛肉など多分にそれはある。関税をかけてなんとか、市場価格を維持する。それでも、中国製品の影響で、全般的に安くなった。経済学者は、これを綿密に計算してないから、デフレのうち、これが原因とみられるのは、どの程度の割合か、誰もわかってない。経済学者の怠慢だと思う。

3, 機械化、大量生産で価格安
 新しい製品ができると、最初は開発費用などが、製品に全て加算されて割高となる。オーダーメイドの製品のように。しかし、大量生産すると、初期投資費用が万や億に分割されるから、安くなる。初期投資費用が十分回収できて、製品価格に上乗せしなくなると、標準化された製品と同じお値段になるはず。

4, 新製品の登場で古い製品は価格安
 PCはそうだ。新しいよりPCが現れると、古いPCは安くなる。これによって、PCは古いものがどんどんと安くなってゆく。これによって、デフレが進む面もわずかにある。

 これら4つの作用があって、日本の商品価格は安くなる。

しかし、1,新製品、2,付加価値のついた製品(高級品)、3,量的緩和などでインフレにして、製品の価格は上げられる。デフレとインフレの面のどちらが強いか。それで、全体的に決まる。今は、インフレだ。

 価格が安くなる理由がこんなにある。あとは、市場の拡大と縮小、人口増加・減少、後進国の市場の拡大(輸出のこと)など、それらをあわせると、GDPが出てくる。経済全体の成長を出せる。

 これらが微成長、ゼロ成長、マイナス成長の原因だ。が、誰も原因はわかっているのに、誰も経済学者は有効な解決案を出さない。そこが嘆かわしい。

 

 

経済縮小(GDPが下がる)の理由 2015-4-25

 昨日は、デフレになる理由を探った。製品価格が下がる原因は、貨幣不足(量的緩和をしないこと)、安価な輸入品、大量生産、新しい製品が出てくることだった。今度は、国家の経済が小さくなる個々の理由を探る。

 経済がマイナス成長になるのは、増加よりもマイナスが強いときだ。マイナスは1,デフレ 2,人口減少 3, 市場の縮小 4,安価な製品による市場の縮小 5,新興国の近現代化で資本がそこに流れるため? だろう。

1,デフレ
 デフレでは、GDP全体が下がる。解決は、インフレ政策しかない。量的緩和だ。それではアベノミクスの黒田が正解だった。白川みたいに小さな量的緩和では効果がなかった。量的緩和を部分的に仕方なく認めるという立場は、白川と同じである。そういう論者は多いが、そんな者達に経済を正しく論じる力はない。

2,人口減少
 これは経済縮小の要素のひとつ。藻谷浩介の主張だ。人口が減ると、当然、経済も小さくなる。それが現在の日本で無視できないほどという。しかし、成長率はゼロ付近だから、人口が減ってもGDPが減少に転じてないため、これは大きな要因ではない。
 人口減少して、労働力が減っても、機械化で生産力は増えるから、GDPは低下していないのが日本だ。問題は、人口が減ることで、各家庭の消費の総計が減ることだ。すると市場が小さくなる。しかし、企業間の売買が増えているため、それが強く、日本経済は人口相応にマイナスではない。最近は、インフラ整備や社会の公共的なもので基礎的なもの(携帯電話なら、アンテナなどのインフラ)に大きな額がかかるから、家庭の消費が落ち込んでも、経済はなかなか下がらないのかもしれない。これらを検証するのは経済学者の役割で。

3,市場の縮小
 個別ではなく、全体的な話。たとえば、機械化が進むと、労働市場が小さくなる。人口が減ると消費の市場も小さくなる。新しい製品により大きな市場が生まれる。古い製品が使われなくなると、市場が小さくなる。そういうもの。

4, 安価な製品による市場の縮小
 海外の安い製品が入ってくると、それまで高値で売買されたものが安くなる。すると全体の市場まで小さくなるという話。東京や池田・川西の物価は高いから。もし、他の地域の安いスーパーが進出してくれたら、安くなるのに。これは、結構大事な要素だ。後進国が先進国並の物価になる時代はいずれくる。その時に、海外の安い製品のために、市場が小さくなることはなくなる。経済では、その時に成長するかが、大事となる。私は現在の先進国経済の低下は、新興国の製品の輸入により生じているとみている。

5,新興国が追いついてきたため
 厳密に考えていない。中国の高層ビル建築などのため、資本がどんどんそちらに流れてゆく。そこに巨大市場がある。中国の巨大市場のおかげで、生産が持ち直し、日本経済が潤う、という面はある。これはマイナスではない。しかし、新興国の技術が追いつくことで、それまで先進国が行っていた電気産業などは、かなり侵食された。大阪のシャープなど。こちらはもろにGDPに影響していると思う。

6, 景気不景気
 これは何か正確には私はわかってない。景気がよいとは、よく売れることをさす。なぜ売れるのか? これは今度考えよう。

 以上が経済がマイナスになる理由だ。いろいろ要因はあるが、マクロ的には、小さな小さな成長というのが現在の日本だ。

 

 

「2025年の世界予測」中原圭介の感想、資本主義で貧困層は増加しない、量的緩和は株高にする 2015-4-27

「2025年の世界予測」中原圭介・ダイヤモンド社 の感想
 ざっと立ち読みした。中原圭介は個別の経済論は基本的でしっかりしているが、アベノミクスに反対で、資本主義の終焉を考えるから、マクロ経済は苦手のよう。彼の結論は、いつも???だ。なぜか、最後の最後で結論がひっくり返る。

 面白い視点はある。GDPでものを考えないようにしようという。人口減少なので、家計が大きくなることを目指す、という。よくある発想だ。
 物価はエネルギー価格で決まる、という。これはどうかな、と思うが検証しだい。ならば、原子力をやめて、風力、バイオマス、太陽電池にすると、エネルギー価格があがるから、物価が上がることになるはずだ。実際はどうかな? 彼はガス・石油価格が下がることを好意的な目でみている。しかし、それは民主党が消極的で、自民が積極的に行ったことではなかったかな。

 資本主義の誤解を解く
 格差が拡大して、中間層が減ることから、資本主義の失敗という論を彼も採用している。それは、間違いだろう。そもそも資本主義の社会では、失業率が大問題。中間層を育て上げることが課題だ。民主主義的なので、貧困を減らすことにこそ関心がゆく。それはつまり、貧困層の中流化こそが、資本主義の最大のテーマとなる。政治権力をもつ大多数の庶民に、金持ちがかなわない。だから、資本の独占は起き難い。それが資本主義社会である。

 基本的に金持ち(貯金を使えないほどの大金をもつこと)や企業の利潤の意義を彼は理解していない。それは、社会資本に回る、ということを。彼らはお金を使いきれない。

 すると企業や株、国債を買ったりする。それはもう、金持ちのマネーが社会資本に化けてしまったのだ。国債は国の財政だ。企業は、大企業ほど社会的な活動をする。株は、その企業を支援するお金だ。お金持ちは、そのお金の大半は銀行に預ける。それは銀行の使うお金で、融資の資金となる。マンションを建設するならば、それは他人の住宅を作っているわけで。金持ちのお金は、本人が使い切れない分は、社会のために使われる。

 社会資本に回る。ということは、富の格差が極限になるというイメージはかなり間違っているということだ。支配者と被支配者という世界になり、非民主的になることとは違うのだ。超お金持ちのお金は社会資本になってしまう。そのへんのビルや工場に化けている。よって、金持ちの拡大は国家・社会の資産の増大となる。こちらが、より現実的な理解だろう。金持ちがその大金を個人として溜め込み、個人のためだけに使うと考えるのは、経済学者がそうイメージするなら、実態とかけ離れている。庶民はそう思いがちだが、本当はそうではない。

 彼ら金持ちがその社会資本の所有者ということで、その利用料として得る金とは、ある意味、税金と類似したものとみなせる。国家に払う税とは別の。それが経済の発展のために、どこまで許容されるかは、数字がある。国の税金は4割を超えると社会が停滞する。3-4割以下だ。それら資本家に払う金も、国の税とあわせて、3-4割以下にしなくてはいけないだろう。それさえ、守っていれば、超金持ちがいくら増えても、経済に支障はない。

 また中間層がなくなり、貧困層が資本主義下で増加する、というのは頂けない。間違いだ。そういう仮定はできない。それは自由市場の基盤にかかわるからだ。
 自由経済においては、貧乏人があまりに増えることは許容されない。なぜなら、それは貧乏人ではものが買えないから、購買者がいなくなる。それは市場の消滅を意味するからだ。それは自由市場の衰退である。資本主義の論理では、資本主義が生き延びるよう力学が働くため、そういうことはしない。

 いくら貧困層が増えても、それは市場に悪影響をきたさない程度に抑えられる。それが自由市場を維持するために必要なことだからだ。物が売れない社会では困るのだ。誰も買うためのお金がないままでは、その資本主義社会は、困るのだ。よって、生産者に後押しされて、政策者がその貧困層の増大を解決するために動く。どういう処置がなされるか? 短期的には、バラマキである。長い目でみれば、職業・就職支援である。給料の引き上げ(補助金で)もある。

 よって、自由市場そのものの存続のために、貧困層の増加はある段階で止まる。市場を支える中間層は一定の量を確保するようにはからう。それが資本主義の要請で、その社会もそのように行う。中間層は維持される。これが新しい、貧困と資本主義の理論である。

 資本主義下で、中間層が減り、貧困層がとめどもどなく増加するというのは必然ではない。それは資本主義がわかってない者のセリフである。

 経済学者は、これらをわかりやすく提示してほしいものだ。

 経済学者には三タイプいる
 1つは、デフレ支持派である。アベノミクスの反対論は、すぐにインフレ政策は破綻するから、デフレにせよ、という。この手のは、政界からは姿を消したが、社会評論家として生き残っている。私はこの手の日本を不景気にした者たちの言葉を聞く価値はないと思う。
 2つは、消極的量的緩和派だ。白川派と呼ぶ。彼はデフレの張本人だ。また時々、量的緩和を行ったが、アメリカがさらに量的緩和をすると、すぐに円高に引き戻されるという失敗を繰り返した。経済評論家で、量的緩和の効果を認めつつ、アベノミクスに反対するのは、たいていこのタイプだ。日本経済をだめにした日銀の元白川総裁と同じむじな。
 3つは、積極的な量的緩和派だ。黒田派とする。アメリカ・ヨーロッパ並の量的緩和を行い、インフレを目指し、円安にする。これこそが行き詰まっていた日本経済を取り戻す唯一の解決策だった。これを支持するのはアベノミクスにもほぼ賛成する。
 最近は、二つ目の白川派のような経済学者がふてぶてしく、アベノミクスを批判する。君達は、デフレすら解決できなかったではないか。さらに今でもデフレがよい、と言う。もう消えてくれ。

 量的緩和で物価高はなく、株高に
 量的緩和をして、大量に市中に流した円は、どこに行ったか? インフレにならなかった。物価や物のの値段は、相場があり、家計があり、様々な制約があり、あがらない。それらは、かなり株式に回ったようだ。これは統計的にもよく言われる。

 ここは大事である。ヨーロッパの株式は、95年頃からどんどん上がり、4万円とか、そういう高値にいたった。その理由として、西欧の企業の収益率が高いから、という分析がある。日本は労働者にも配分が多く、収益が低いから、上がらなかった、という。しかし、私は、それだけで説明できない、と考える。西欧は、量的緩和した。それが株式市場に流れ、それが積み重なって、株高をもたらした。そう考える。

 大量のマネーを流しても、生活用の商品の値段は上がらない。そちらに回らずに株式に回る。そんな分析は多い。西洋ではそうだったなら、日本でもそれは同じだ。量的緩和でもっともあがるのは株だ。

 日本の経済学者も薄々、それに気づいている。盛んに、株が上がったという。資本家が儲けたと。量的緩和は、株高をもたらす。物価には反映しにくいようだ。
 アベノミクスは株高にして、日本の企業を元気にする政策なのである。それが給料になって、跳ね返る。そういう仕組みだろう。

 

 

 

『G0.5の世界』(三橋貴明)の感想 2015-4-29

 『G0.5の世界』(三橋貴明 日本文芸社)の感想
 これも立ち読み。私はお金がない。しっかり評価してくれ、とおっしゃる方はご支援を。

 彼は今、日本で一番、経済を的確に説明する評論家。Gは世界の管理者という意味。それが、アメリカがまだ居残っている。しかし、一人前のことはできない、という。それで、1人前でなく、またいないわけではないから、G0.5。その世界を彼なりに説明している。

 

 彼は消費税増税によるアベノミクスの失速、実質賃金の低下を嘆いていた。彼は、経済論をわかりやすく分野ごと解説できる。それが彼の特技だ。彼に偏りがない。一歩先のことは言うけれど、二歩先は言わない。また、巷で論じられてない話題は、重要でもとりあげないようだ。

 面白い視点が1つあった。現在のデフレの原因は、1,貨幣量が少ない 2,総需要が小さいこと。そのどちらか、と考える人がいること。貨幣量が少ないと考える人は、量的緩和をする。総需要が少ないと考える人は、公共事業を行う、という。わかりやすい。政府は両方行う。土建は業者の限界を超えるほどに公共事業がある。量的緩和もバズーカー砲で撃ちまくる。政府は両者をよくやっているわけだ。

 私と1才しか違わないのに、彼は活躍しているものだ。彼はあまり新規の提案はしないようだ。

 実質賃金低下はよくわかるグラフがあった。1990年代にピークになって、あとは下がっているというもの。確かに、賃金は下がった。が、この指標だけで生活が悪化したとは言いにくい。あの頃は、燃費の悪い車に乗り、動作の遅いコンピューターを使い、海外にゆくに高い航空機代を払っていた。電話も固定されていた。賃金は高くても、今よりよい暮らしはしてない。こういう工業の進歩は著しい。給料は減っても、生活水準は下がってはいない。


 だが、農産物や食品の値段はあまり変わらない。実質賃金だけを比べると、実態は見えづらい。デフレや物価以外の数字がある。それを補正しないと、みえてこないためだ。この実質賃金を比較するのは、経済学者がよくやるが、生活自体を本当の差を示すのは、なかなかない。そういうアイデアはないらしい。実質賃金は、生活実態を長期的にうまく比較できない。

 また消費税増税について、それは税制体系を欧米式に変更することが主眼。また法人税を下げるのは、それではどこかの大手通信会社のように年1500万円しか法人税を払わないことがあり、事業規模相応の税がとれない。それで、消費税にして、企業から確実にとるようにしたからだ。消費増税と法人減税はセットにしてあり、企業の税負担割合はあまり変わらないように調整されている。

 消費税は消費者からお金をとるシステムではない。あれは、企業が税分の値上げをする口実。扇動みたいなものだ。消費税を払うのは企業である。実際に消費者ではない。

 だが、日本では消費税の話になるとすぐ、庶民を狙い打ち、という。この勘違いは企業と野党が喜ぶ。値上げを正当化できるし、反消費税で庶民の支持をとりつけられるから。だが、経済学者は企業を狙いうちの増税、とその元来の趣旨を言うべきである。

 よって、消費税を外税として表記するのは、消費者に無用の混乱が起きるので、政府としては好ましくない、と言うべきだろう。

 消費税増税は、企業への直接的な増税だ。すると、不況になった理由は異なる。価格をあげたことは同じだ。が、企業が税負担が重くなって、値上げして、それで消費が落ち込んだ、ことになる。本の解説は、私と私の見解は違う。

 あと、1つ気になるのは賃金の上昇について、彼はあまり見通しがないようだ。東京では今は時給千円でないと、バイトが集まらないそうだ。店などは人手不足が深刻で。そういうサービス業は時給があがるだろう。しかし、PCやソフトウェアなどは機械化が進むから、工業分野は時給が下がるかもしれない。こういう対比も面白いのだけど。いったい、量的な緩和した国では、賃金はどのように上昇するか? 欧米にたくさんの事例があるにも関わらず、日本にはそんな情報が入ってこないのである。

 彼も実質賃金の低下とデフレリスクを心配しているわりには、その辺りの知見を他の本でも、示していないのが残念だった。

 

 

 

インフレ政策の利点 2015-4-30

 最近、デフレ時代はよかった、と寝ぼけたことを言う経済学者がいる。理由は、物価が安く、海外の安い製品があり、生活は楽だったから、という。あんなに不況で苦しんだデフレ時代をたった2年で忘れるとは。そんなのに経済を語らせてはいけない。

 民主党の時代、失業率は下がらなかった。電器産業は韓国・中国勢に抜かれ、倒産寸前に追い込まれた。ニュースといえば、生活保護ばかり。上野公園の失業者や貧困のニュースが駆け巡っていた。失われた10年と呼ばれたのには、それなりのわけがある。無策で何もできない政治。中国漁船になめられ、尖閣で衝突。中国で対日暴動すら起きる始末。日本の閉塞感がどんどん高まっていった。日本国内の内需ではどうしようもなかった。

 中国など新興国の市場がやっと成熟してきて、やっと売り先をみつけて、日本経済はなんとか持ち直す、とほっとしたものだった。それも中国から追い出されてしまい、活路をべつに見出すしかなかった。あのとき、中国の横暴や韓国の度重なる日本非難。自信を失った人々を支えたのは、ナショナリズムだった。

 そんな時に、日本は野田首相の思惑で選挙をして、政権が変わった。日本の落ち目の流れも止まった。

 今はまだ活気がある。松下はやっと利益を出した。仕事にあぶれた労働者が西成にたむろする光景もおさまった。土建業は大賑わい。東京は人手不足が深刻だ。かわって地方がさびれている現実が見えてきたとしても、かつての苦境は脱した。

 

 日本は今、新たなステージで模索している。夢は語られないが、現実、ふところが暖かい。日本の経済が、治安が崩れてゆく不安は消えた。アベノミクスという大改革のおかげだ。量的緩和、株高、土建業への大盤振る舞い。社会は明るくなった。

 新しい製品は、よいものなので、付加価値をつけて、値段を高くしたい。しかし、それがデフレでは、値段を上げられない。付加価値をつけられない事態に陥る。古い製品は、技術が劣るから、安くなる。デフレ下では、そんな科学技術の発展に見合った自然な値段をつけられない。これは、日進月歩の工業製品は困る。

 インフレは、それを克服する。古いものは必ず安くなる。工業製品では、これが大事。新しいPCは値段を少しずつ高くできる。新しい洗濯機もだ。古い製品は今から考えると安物。相応の低い値段になる。新しい製品ほど高度な製品だ。それを高い値段にできる。自然な価格体系になる。

 古く、性能が悪いPCがいまだに発売当初の高い値段で売られているのをよくみかける。原価割れはできないから価格は下げられない。しかし、インフレだと、期間がたつにつれて、その値段が安くなる。性能相応の値段になる。売りやすくなる。

 そのように、インフレ下では、新しい製品が高く、古い製品が安くなる。古いものほど性能が劣るから、自然な価格になる。要は、価格と商品価値との関係、価格体系が混乱しなくなる、という利点がある。

 適度なインフレは、成長を実感しやすい、という利点もある。社会は発展・進歩成長しているのに、経済指標がマイナス成長となったら、価値観が転倒したような気分だ。

 また、借金はインフレ下では、利率は低くみえる。返しやすくなる。だが、デフレでは、借金はふくらむばかり。民主党時代には、倒産や自己破産の話があちらこちらで、話題になっていたことを今思い出す。返済できず、よくこげつく。先行きが心配になる。日本国家にとって、デフレでは国債1000兆円がずしりと重くのしかかる印象となる。インフレならそれもまだ軽そうにみえる。

 インフレのほうがよい。それは成長の数字だからである。インフレ政策を続けるべきである。量的緩和をしても、インフレにならない理由を先に説明したほうがよいらしい。

 

 

三浦瑠麗氏の『日本に絶望している人のための政治入門』感想 2015-4-4

 『日本に絶望している人のための政治入門』(三浦瑠璃)を立ち読みする。
 左翼を応援している一文があるから、保守の厳しさが足りない、と前は思った。が、読み直すと、彼女独特の視点がしっかりしている。山猫日記というブログは、資本主義からの逃走が、よくできている。資本主義を改良するしかない、という西洋では主流の結論。日本人で、そういえるのはよほど才能ないと。
 珍しく自分で考える思想家タイプだ。まだ文体が硬く、官僚文学(哲学)か、東大哲学を事細かに説明しているような印象だ。が、ところどころに彼女らしさの芽生えがある。模索期である。

 私は東大の人の書くものは何が根底にあり、何が言いたいのかよくわからなかった。が、彼女は真意がわかりやすい。東大的な価値観ではなく、文が翻訳的であり、西洋の哲学を根底に置くようだ。しかも、西洋かぶれではなく、よく西洋の理論もよく理解している。これまでにないスケールが大きなタイプかもしれない。

 ただ、専門以外はやや弱い印象がある。日本の農業は一流と書いていた。日本の農業は、ハウス栽培ではオランダより20年遅れ、韓国にパフリカ栽培では差がつけられ、農協のおかげで農薬は使いすぎる。農業は世界の二流ということは知らないのかな。農業の専門書にはどこでも書いてあるのに。最近のメディアの嘘、全共闘のついた虚構など、全て排しきれてないようだ。というわけで、まだまだ鍛えられてないが、有望な若手をみつけた。


 

 

より正しい戦後70年の政府談話 2015-4-6

戦後70年の談話について
私はどうでもよかった。何がよいか。よく知らないからだ。が、何が悪いかはわかる。

1, 大戦の反省はしてよい
戦後の談話なので、大戦の感慨は必要。軽く述べる。英米の経済封鎖から、戦うに至ったが、負けてしまった、と。国家に未曾有の敗戦を経験させてしまったこと。大勢の軍人を死なせたこと。それら帝国の失敗は認めなくてはいけない。

2, 謝罪は不要
あれは、サンフランシスコ講和条約で決着した。敗戦国の身分は講和条約で終わりだ。その後、日本は賠償を払った。よって、借りは返済したのだから、国は対等だ。さらなる賠償を払う義務はない。賠償のやり残しなどない。戦勝国がそれを要求する権利もない。なお戦勝国でないものはなおさらである。

人質事件を二度と起こさせないため、テロリストから身代金の要求を断固拒絶したように、隣国のたかりを拒絶するための布石をここで改めて敷かなくてはいけない。

 3, 社会党の党首村山の談話を継承してはならない。
自民党は、宿敵社会党ごときの左翼(中共やコミンテルンの策略)の成果を引き継いではならない。政権が変われば、外交方針も変わる。左翼メディアが談話を左翼的なものに強いようと世論を煽っても、誰も村山の迷言など繰り返し聞きたくない。自民の新時代の認識を聞きたい。それを発表すべきである。

 4, 戦後の変化を述べる
日本は共産主義国の野望をアメリカ、韓国、台湾、フィリピンと共に極東で退け、冷戦に勝った。第二次大戦は敗戦国だった。が、戦後、日本は自由主義と共産陣営との闘いを西側諸国の一員としてそうやって勝ち抜いた。日本は実は、冷戦の戦勝国である。それを高らかに宣言する。いつまでも敗戦国と扱うな、日本は西側陣営で重要な役目を担ってきた西側の同盟国だ、と世界に改めて印象づける。

 日本が西側の重要な一員であったことは誰も否定できない。

 5, 現在の国際情勢は盛り込む
 なぜなら、戦争の反省だからだ。世界の安定、現状認識は欠かせない。北朝鮮と中国の人権無視をあげて、自由の脅威、世界の不安定要素だ、という。それについて、日本はアメリカとそれら諸国と共に戦っていることを、明らかにする。

 まとめ
 第一次大戦は、英米と同盟国だった。第二次大戦は、英米の敵となった。冷戦では、再び英米と同盟国として、共産主義と戦った。それが、今なお続いている。日本は、極東の西側の砦である。その人類の平和を保つ役目を今後とも積極的に果たしてゆく、と。このように長期視点で、日本の戦前から戦後の変遷を語る。そして、現在の日本の課題を改めて認識させる。

 70年も経過したのだから、第二次大戦に強くこだわることはない。日本は戦後、冷戦において西側陣営の一員で勝ったのだから。共産国は4つ残っているとしても。そこが日本のもっとも平和的な戦後の貢献として強調するのがよいだろう。

 

 

 

英米が日本の神道をつぶしにかかった第二次大戦 2015-4-7

 それは英米の経済封鎖、国家孤立化政策からはじまった。こういう正しい認識をもたなくてはいけない。これは最近の英米の戦争の手口と同じだ。それに気づかないと太平洋戦争の真意が見えない。

 アメリカは、イラクはフセインによる恐怖政治をずっと問題視していた。イラクがクウェート侵略を好機として、イラクと戦った。クウェートの保護という名目で。次に化学兵器の使用、という名目で。そうやってフセイン政権をつぶした。
 アフガンには謎のイスラム過激集団タリバーンがいた。それがアフガンを恐怖統治していた。そして、何かの機会をとらえて、アフガンにも軍事侵攻して、タリバンを叩いた。共通点はみえてきただろうか。
 アメリカはイランに対しては、核兵器の開発の名目で、経済封鎖を行う。イランは、イスラムの宗教国家で、誰かさんが独裁的な統治をする国だ。
 北朝鮮は経済封鎖を受ける。北朝鮮は、金一族を崇拝するチュチェ思想に支配された全体主義国家だ。だが、核兵器をもつから攻め込まない。

 これら英米の国家解体には、3点共通する 
一、対象は、恐怖統治が行われ、自由と民主主義がない国だ。国家宗教があるか、独裁者がいる。
二、経済封鎖から始まる。理由はなんでもよい。そして、その国が戦争をしかけたり、甚だしい人権無視が起きたら、軍事侵攻する。
三、戦後の新しい戦略では、核兵器をもっている国に軍事侵攻しない。経済的な疲弊を極限に進め、自滅を引起す。

 これらから現在のイランと、1930-40年の日本とは非常に似る。
 日本は神道がだんだんと強くなり、国家宗教になった。英米には、日本の国家宗教が強大になった時に、日本を脅威とみなしたようだ。リットン調査団のあの不公正な代物。日本の国連脱退。米国の経済封鎖に、ハルノート。そうやって日本を追い込んだ。これを書いた論文は『歴史通』の3月号などにあった。さらには、英米による中国孫文の支援かな。このようにして、日本に抵抗する勢力を多く英米は育成した。


 はめられ、だんだん孤立させられ、経済封鎖でとどめを刺された。それで、日本は無謀な戦争をするに至った。日本軍部の無謀な挑戦は、そんな英米の包囲網によって強いられたものだ。

 

 結論
 この流れからみえてくるもの。どうやら1930年頃は、英米の目的は国家神道をつぶすことだったようだ。実際、そうなった。英米は、国をつぶすのではなく、そこにいる独裁者(過激な国家宗教、共産主義者、独裁者)を叩く。その傾向が強くある。

 

 

 

政党が過保護した産業は衰退する 2015-4-8

 自民党がその支持団体である農家を過度に保護したせいで、日本の農家は惨憺たる有様となった。米作は特にひどい。高い関税をかけて米を輸入しないようにした。さらに、補助金をつけている。手厚い二重の保護をかけ、農家の収入を安定させた。つぶれるべき農家が細々とやり続けた。日本の米作は、なんら先進性がない30年前のような産業となった。ここから得られる教訓は、過保護は産業を衰退させる、ということだ。


 民主党は、労働者や旧来の弱者を保護した。経営者や企業に冷たかった。企業は過度な円高の中、鍛えられた。が、日教組はますますその道に進み、政治活動で本業をさぼっても、懲罰を受けなかった。教育はそこで腐った。これも一種の保護政策による。


 アメリカの共和党は、国内企業を保護しがちだ。それでなのか、経済の建て直しは得意ではない。保護すると、その産業は悪化するようである。アメリカ民主党は、労働者の利益代弁者で、企業には冷たい。しかし、民主党下では、経済は回復する。民主党が保護したのはウォールマートで、どうやらアメリカの金融界は、それでがたがきている。なにしろリーマンショックなど不況の元凶は常に、金融から始まるのだから。米国でも、保護した産業・労働者が悪化する。


 共産国家ソ連では、労働者を過度に保護した。すると、彼らは意欲を失い、何もしなくなった。コルホーズなどは生産性がみるみる低下した。保護によって、競争が低下。変革しなくなる。それで、旧来とかわらないことをやり続け、取り残される。お決まりのパターンである。


 共産党は、労働者を保護して、駄目にする政党である。実際、世界の共産国の共産党は腐敗まみれだ。権力に安住して、あまりに高圧的で、政治活動ばかりして、本業の労働をしない。労働者も要求ばかりして、本業はそっちのけ。共産党は、労働者の生産性を低下させる政党である。それで自由主義国に負けた。共産党の労働者保護は、それが真に労働者のためになることではない。


 政党が保護する産業は、何もしなくてもよくなるから、競争がなくなり、発展が止まる。そして、数十年後には必ず国家のお荷物となる。共産国では彼らが保護した労働者全体がそうなったから、悲劇だった。
 政党が保護する産業・分野は、必ず悪化する。そういう法則がある。政党がその産業を競争にさらし、ただつぶれないように守っていれば、そこが期待の成長産業となる。

 

 

 

『嘘だらけの日露近現代史(倉山満)』の感想、共和党待望論  2015-4-9

 この本はなかなかよい。著者が針ネズミのように尖がっているのはさておき。スターリンが粛清をやりすぎて、暗殺を恐れていた臆病者だとか、ソ連軍はノモンハンの戦闘で大打撃を食らったとか、日本軍が満州で軍事演習をしたことにスターリンは怯えていたとか、ソ連の化けの皮をはがした。
 著者はコミンテルンの手先のような学者たちが大学に巣くうことを憂う。彼ら左翼学者が広める偽りのレーニン、スターリンの完璧なイメージを彼は見事に打ち壊してくれた。

 倉山氏は、共産勢力の偽りの言説を否定する。私の同業みたいな人物だ。ただ1つミスがあるとすると、共産者の戦術を『天才』と褒めたことだ。共産が得意なのは扇動とゲリラ戦術で、そういうのは、いやな印象を与えつつ皮肉まじりに評価するのが、言論のプロのやること。『粛清の天才』とか、『政府転覆の天才』とか。裏のやり方には、必ず反動があり、暴露されたら政治家生命を失うことが多々あるから。そんなものにあまり憧れをいだかせる表現はしないほうがよい。

 彼は、財務官僚が消費税を8%にあげることを提案して、安倍政権がそれを阻止できなかったことに、落胆していた。景気も落ち込んだ、と。もう少し自民政権を信用してはどうか。日本国は、西洋の税体系に早く移行しなくてはいけないようなのだ。そうしないと、また取り残される。選挙も大勝したし、自民も計算はできていたようなのだ。

 

 この5月には実質賃金も上がった。自民批判はそろそろおしまいにしてはどうだろうか。

 共和党待望論
 最近のイスラエルがオバマ民主党のイラン融和政策に反発するのは、民主党落としの一環である。イスラエルとアメリカの対立。それは違う。ネタニヤフは軸を共和党に向けている。その真意は何か?

 民主党になってから、アメリカは世界のリーダーたる地位を失った。何も解決できない先進国の一員に落ちつつある。民主党になってから、韓国の根拠のない主張を認め、日本軽視も甚だしい。アメリカは保守の要件を満たさなくなった。
 かつてアメリカが世界1の国家だった。それは共和党の世界戦略が優れていたからだ。彼らの実行力が圧倒していたからだ。簡単にわかることだ。アメリカが世界一の国なのは、共和党が世界1の政党だからだ。その世界戦略は、民主党すら寄せ付けない。
  民主党に変わったとたんに、共和党が築いた世界の導き手の地位から転落したのだから、アメリカの何が、どの政党が世界一だったのか。考えるまでもない。

 アメリカのこの政治的な凋落が起きている時、中国が力をつけ、キューバはテロ支援国の認定が取り消され、イランの原発開発が容認された。ISは中東でのさばり、ウクライナは収拾困難に。

 アメリカの目が曇ったら、とたんに世界は劣化してゆく。世界に悲しみが増える。世界の秩序を立て直す力が必要だ。アメリカ共和党が唯一の希望である。イスラエルも中東の混乱の元凶を見極めたようで、民主党外しにかかる。共和党の復権が待たれる。

 

 

保守政党(コンサバティブ・リベラル政党)の今後 2015-4-10

 保守政党(リベラル政党)の今後
 民主党が力をつけ、日本の政界は自民と民主を軸に動くようになった。保保対立と言われる所以だ。与党が自民党なら、最大野党は民主党。逆もあった。日本政界は2000年に入ってからは、自由主義の政党(コンサバティブとリベラル)が主軸となった。その今後を予想したい。

1, 保守化が全体に及ぶ
 現在は、自民党が圧倒的多数で、野党は民主と維新がある。左派左翼は、隅に追いやられ、社民、共産がわずかに残る。
 今後、政党はさらに保守・リベラル化が進む。社民・共産政党が力を落とす。社民はすでに末期だ。共産もここ2回、不可解な躍進があったが、暗い大きな影を隠しもつから、近いうちにそれが暴露され、消える。民主党内の旧社会党系の左派(日教組関係など)は、あまりに共産的なイデオロギーが強くしだいに支持が低下してゆくと思える。リベラル・保守系議員はこれら政界の浄化が終われば、ゆっくりと増加してゆくだろう。

2, 右派左派のバランスが回復する
 政党の右と左は、正規分布のように議員が存在するのが健全である。が、日本は左に傾く。よって、右の補充・育成が不可欠である。現在、自民が右派と中央にいる。民主党はやや左寄りである。維新はやや右よりである。鷹派は自民にいるが、そう強くはない。左派リベラルは民主党などに多い。現在、右翼や右派政党が日本に欠ける。左翼の過激なものが残っているから、バランスをとるためには、右派が必要である。

 特に、北朝鮮や中共に対峙する日本は、右派色が強くないと、彼らの謀略や世論工作によって、たやすく政治の混乱、不安定にいたる。それを防ぐためにも、世論を左へ傾くのを立て直す力が必要。日本は右派を強化しなくてはならない。

 自民がもっとも多種多様な保守が集まり、中庸だ。よって、自民党以外で右派の単独政党があるべきだ。右翼色の強い政党は、特にこの日本では国民の民族意識の自覚が弱いために、是非とも必要である。
 この点で、次世代の党が失墜したのは痛い。彼らは老人の言葉でなく、若者に届く言葉を作り直し、強く訴え、共感を勝ち得なくてはいけない。ヨーロッパにおける右派政党の台頭のように。そんな機運を推奨しなくてはならない。

3, 二大政党制は?
 アメリカ・イギリスでうまくいっているから日本でも、ということで導入された。が、果たして、本当か? 民主党から自民党に変わった時に何が起きただろうか? 自民は1-2年は民主党の政策の取替えに走った。民主の票目当て、農家へ過度なばらまき、太陽光発電への過剰な保護、その他。国の活力を削ぐ政策がいくつかあったからだ。諫早門も開門か閉門かで今や混乱する。
 二大政党制の発祥の地、イギリスでも政権交代時に政策が修正される。そこに政治的なエネルギーが多く費やされる。そのため、必要な改革がなされず、社会は停滞している、という。真の変革などサッチャーしかできなかった。

 そんな評価を最近、書店に並ぶイギリス本で見かけた。イギリスより日本がよい、という本で、経済学の話が並ぶ。経済通には、イギリス事情がわかってよい本だと思う。『日本に住む英国人がイギリスに戻らない理由』ではなく、 『イギリスから見れば、日本は桃源郷に一番近い国』だったと思う。

 日本も、二大政党制の弊害を目の当たりにした。経済にもろにダメージを与える民主党の禍根をただすことに2年もかかっている。もし、与党の政権担当期間が短いと、政策変更に頻繁に追われる。与党は長期に君臨しなければ、この二大政党制は使えない。

 アメリカは大統領制で四年は確実に安定するから、それでうまくゆく。また州は独立性が高く、中央政府の政策変更過多の影響を受けにくいから、州は持続的に発展できる。それで、国家としてなんとか二大政党制が機能する。

 イギリスもそれでうまくいったのは、戦前、戦後しばらくで、国家の改革が遅くてもなんとかやっていけた時代だろう。昨今のように、構造改革にスピードが求められる時期にはふさわしくない。二大政党制はイギリス病の元凶の1つである。

 都道府県に独立性がなく、小さな日本では、二大政党制は弊害が多い制度だろう。日本は昔から、江戸幕府、室町幕府と1つだった。二つ強い勢力が生じると、乱が起きて、1つにまとまる。日本は、二大政党制は不要ではないか。単独政党で党首交代式、という大統領制度に近いもののほうが、戦後はうまくいった。それが今後も続くだろう。

4, 今後のリベラル政党の扱う分野は?
 自民が左派リベラルの政策を取り込み、賃上げ、女性の活用、子供と女性の貧困にも取り組むのは野党期間の反省からくる。左派は自民の土俵を食い破った。民主はばら撒きで農家、中身がないくせに人気の出たマニュフェストでサラリーマン層など自民の支持基盤を奪った。

 このまま支持者をとられたままでは、与党に返り咲きができない。もし一時的に、与党になれても、長く続かない。自民も民主党の侵食に対抗して、彼らの支持層を我が物としなくてはならない。民主党の独壇場ともいえる領域に入り込まなくては、と。そういう支持層争奪戦の論理は強く働いた、と思える。

 自民は本来、日本の発展、産業の繁盛という目標を掲げ、企業を強く引っ張るだけでなく、そこで働く労働者たち、主婦、女性、弱者にも恩恵をもたらした。その面のアピール不足だった。労働団体系列が労働者の保護者ようなふりをしてきた。それにすっかり騙されていた。それは元来、我々自民がなしとげた、と悟ったのではなかろうか。金銭面・福利厚生の向上は労働団体だろう。が、その制度を作成して、国会で成立させたのは、戦後は保守政党である自民である。労働団体支持の政党といっても、国政においてそれを上手になしとげるのは、ノウハウがなくてはできなくて、それをした政党は自民党という自負がある。また、その企業そのものを発展させ、社会を豊かにしたのは自民である。

 本来、日本の労働者を幸福にしたのは労働運動ではない。もっともそれが活発な共産諸国ほど不幸である。彼ら労働者を豊かにして、企業や産業を発展させた自民党の政策にある。今までは、労働者をじかに面倒は見てこなかった。それが、先の敗北をもたらした。しかし、それを今こそ積極的にアピールして、働きかけ、支持されよう、と。

 今後、自民は支持率を高める政策ならば、貪欲に取り込んでゆくだろう。彼らは圧力団体の権益だけでなく、支持層(マイナーでも)のつく政策に敏感になったのである。自民はそれをかなりの範囲で自家薬籠中の物にする政党に変貌した。小泉元首相の反原発のケースのように。それは一強政党、本来のスタイルに近い。総合的かつ、全体的に欠陥がなく、バランスのよい政治をするのが、大政党の努めだからだ。労働問題や福祉が過度に政策から抜けていては、その役割を担えない。

 まとめ
 自由主義政党の時代に入った。かつての自民党の政策を、複数の与党がもちあうようになった。民主党は労働者・弱者対策に強かったが、自民はそこに手を伸ばし、扱う範囲を広げた。弱点があればそこから崩れる。バランスが全体にとれてなければならないのが一強だから、それもまた当然か。

 今後は、左派・共産的なものはしだいに姿を消す。そして、右の弱さが克服され、日本の保守政党はさらに、安定してゆくだろう。自由主義的な政策が、さらに高まるだろう。それが、日本発展の心強い原動力となる。

 

 

憲法は国民と政府を縛る(政府だけを縛るというのは嘘) 2015-4-11


憲法は誰を縛るか? 政府か国民か?
 『Voice』5月号に立憲主義の説明もあった。憲法学者みたいな人が、立憲主義とは政治を縛るために憲法があるという考え方、という。しかし、憲法から法律ができる。その法律は国民を縛る。よって、大勢は、憲法は国民を縛るもの、と思っている。そういう常識的な視点と違うから、得意気になってそう発言したい気持ちは、私はわからない。

 なお、憲法で国民は縛られない、というのは初歩的な間違い。憲法と法律を破ったら捕まる。

 本当のところ、憲法では政府と国民を含めて、国全体がその枠組みにおかれ、規定される。政府か国民か、という区別にたいして意味がない。国民も政府も憲法に縛られるからだ。

 憲法に、政府を規定する条文が多ければ、政府を縛る比重が高い。国民のあり方をさすものが多ければ、国民を縛るものといえる。そういう相対的なもの。どちらかに断定する物言いは浅はか。

 そもそも、憲法は国家制度の設計図、大枠。歴史上の国家制度の集大成がそこにある。もっともよい国家制度を集めて作られるものだ。何を縛るかどうかは重要ではない。憲法にまとめられた制度がよいかどうか。憲法の良し悪しはそこに尽きる。

 

 

 

日本が世界1になるために 2015-4-13

 

日本が世界一になるために
 本屋にあふれる日本が一番、という日本ナンバーワン論。どうとらえたらよいか?

 

 簡単には、自虐史観を教えられた。自国のよいところを意識できない若者・大人が増えた。日本人として、日本に生まれたことにプライドを持てない人々があふれた。それで、日本人として誇りを取り戻そう、と反動が起きた。日本が世界一と誇る書物の登場は、その活動の一環である。反日教育の反動として理解できる。日本人に自信を与えるものである。ナショナリズムの形成に一役買う。

 

 もう1つ、今までは国内の順位だけで良かった。が、グローバル化した今、世界でその才能や能力、業績はどのくらいなのか? それを示すものが必要になった。その先行的な面である。日本のある面の世界での順位をそのまま見せられても、あまり興味が持てない。が、日本の技術が世界でも素晴らしい、となるとうれしくなる。それで、そういうものが多く紹介される。

 

 では、日本は何で世界一になれるだろうか? 


 経済規模、人口で世界1になれないとしても、本当の世界1は政治と文化でとればよい。どこまで、それを実現できるか?
 誇れるものは、日本の工業技術、規律や人の良さ、住み心地である。韓国や中国と比較して、日本のほうが優れている、と自認するものが多い。イギリス人も日本に暮らしたがる、というのもある。

 最近は、日本の農業が世界1、と実態とかけ離れたものも出てきた。この世界1は、かつての女子アイススケートと体操の活躍にも負う。しかし、統計に基づかないものもかなりある。印象のみで語られるのは、問題である。

 生活実感では、日本は暮らしやすさが世界1かもしれない。アメリカと日本とどちらがよいか。工業技術も安定して上位だ。ロケット、航空技術は遅れているとしても。


 本当に世界1になるためには、何をしなくてはいけないか。考えた。

 世界1尊敬される国になりたいなら、政治のリーダーシップでそうならなくてはいけない。まずは、国際紛争の解決だが、日本は戦争できない国だから、それを変えなくてはいけない。率先して、その任は果たすために。残念ながら、世界のリーダーになるには、世界平和のためにもっと積極的な役割を担わなくてはいけない。だから、サブ(当事者ではなく、脇役)では駄目だ。軍事的な貢献も行い、世界戦略を提案する側になることも重要だ。すると、アメリカの横に並ぶこともできるだろう。

 お金のばらまきで有効な使い方をしているか、といえば、それは評価されている。世界銀行は返還がうるさいし、金融規律など整えなくてはいけない。が、ジャパンマネーは返さなくてもよいものもかなりある。しかし、この政治力は案外低い。

 極東における中国包囲網の形成では、日本はうまくやっている。ロシア対策は、日本独自の外交もあるが、おおむね米国と足並みを揃えている。中東では影響力は皆無に等しく、そこではなんら存在感はない。

 これらは日本の課題だ。それを引き上げることが、日本に強く求められる。

 書店ではアメリカで作られた北朝鮮・中国崩壊シナリオがあふれる。それを前提にした議論が盛んだ。が、日本の研究者は何もシミュレートしない。雑誌では、そういう議論すらタブーのようだ。日本は目先の中国マネーをいかに取り込むかという視点ばかり。学者までそんなキャンペーンにのっかるようでは、一流とはいえない。

 

 最新の世界の動向を知り、問題を解決するため、計画的を立案することから、はじめなくてはいけない。

 南米の赤い影をどう払拭するか。アフリカのイスラム過激派をいかに殲滅するか。アメリカでは、細かいプランが山ほどあるはずだ。ロシアがイラン革命やアフガン、パキスタンでの反米活動にどう関与したか。こういう基礎研究すらしないで、世界の政治に影響を与えられない。

 アメリカの政治家は必ず口にする。ロシアが戦後から世界を混乱に陥れ、今でも脅威だと。日本ではその認識が十分に共有されていない。そういう書物すらない。


 中共が日本を堕落した資本主義国するために、日本のポルノ産業に多くの金銭支援をした。それは、本で読んだ。だから、中国でそれは寛容だ。そういう裏も知ってないと、見えないこともあるだろう。

 国際的な情勢が、日本ではあまりに知られてない。世界を見る視点をさらに充実させていかなくては、世界のリーダーになることは到底無理だ。

 現在、日本は経済的な地位の低下が起きている。政治的地位は安倍政見の俯瞰外交のおかげであがった。

 思想や宗教的な面でも、存在感を発揮していかなくてはいけない。日本の作家・思想家などは、日本で自画自賛しても、世界では亜流か、二・三流だ。この思想の分野は日本は特に貧弱である。そこで、日本は特筆した人物を出さなくてはいけない。

 日本は世界1といっても、それは街の活気、文化的な活力だけだ。芸能界のテレビの明るさや斬新性や、東京のパワーだけなのだ。足りないものは数々ある。世界一になるためには、まだまだ頑張らなくてはいけない。

 

 

報ステ『米軍基地と沖縄経済』特集の疑問 2015-3-26

 

昨夜の報道ステーションで、米軍基地跡地と沖縄経済の特集があった。米軍基地の跡地をリゾート地にすると、大きな商圏が見込まれる、という景気がやけにいい怪しい話がてんこもり。雇用も見込まれる。700万人の中台からの観光客収入もある。イオンも沖縄最大施設を跡地にオープンさせた。沖縄の資本家もそういうものに乗り気だという。

 沖縄の米軍基地に土地を貸す者も、リゾートのほうが儲かるという。この話は信じるべきではない。米軍基地跡地は、海岸沿いはともかく内陸はリゾート地にもならないのが大半で、土地を米軍に貸し出したほうが儲かるのは確かだろう。商売もしたことがない者に、土地貸与で儲けさせる話は、武士に商売させるようなものだ。そういうのを日本国内で吹聴して、何を狙っているのかが、気になった。沖縄の土地を沖縄の土建屋に売れという話なのだろうか?

 結論は、沖縄の経済発展のために基地を減らせ、という。結局そこか。朝日は中共と北に民主化しろ、それなしに沖縄の役目は終わらない、と言えないのか?

 で、米軍基地を沖縄に集中させるのはよくないから、他県に、という。しかし、米軍基地があるのは、日本政府の方針ではなく、アメリカの決定だ。沖縄は、中国からも北朝鮮からも近い。しかも、フィリピンやベトナム方面にもゆくのに適している。その地理の良さから、アメリカが米軍基地を沖縄に作った。それは第二次大戦で占領した時から続く。

 移転話は数々ある。が、全て想定される戦場(沖縄)や訓練施設から遠いという理由でこれまで却下されてきた。他の日本の地域に置く理由はない。どこも地理的に不便だからだ。彼らの適地ではない。というわけで、移転の話は無理だ。そんなわかりきったことをいつまでも、言うことがずれている。いつになったら勉強するのやら。

 基地を縮小すると、中国の軍拡著しい昨今、尖閣にも中国軍がたくさん来る事態に、対応できない。そんな話は危機感がなさすぎる。よって、負担を軽減するには、軍事技術の高度化による基地のコンパクト化を期待するしかない。というわけで、沖縄のために、よりよい兵器をアメリカは開発せよ、それを沖縄に配備して、小さな設備ですます。それをせよ、と報道ステーションは言いたいようだ。

 また、沖縄3000億円は過大であるが、都道府県で六番目の支援額だという。だから基地がなくなっても、それは続くとコメントで言いたげであった。が、それはうそだ。沖縄の過剰な支援は基地の振興費だ。それは明らかに政府の方針だ。基地がなくなれば、そんなものは届かなくなる。基地がなくなったら、公共工事はとたんに減る。沖縄のゼネコンはおおいに困窮する。しかし、そんなことにならない。基地がなくなったら、予算がおりてこない。沖縄県民はとたんに過剰なゼネコンと下請けがピンチに陥り、廃業することになる。

 

沖縄県民に、基地移転後もバラ色な未来があるようなものを装い、沖縄県民を騙してまで、基地の県外に移転させよう、という特集と私には感じられた。どうかなと思う。

 

 基地移転後の沖縄には観光しかなく、それ以外には何もない。今は基地で潤う島なのだ。ゼネコン過多という現実は沖縄県民は知っている。基地がなくなれば、沖縄の経済の熱気も消える。そして、静かに観光業が始まる。それは正しく未来を伝えなくてはいけないはずだ。

 

 基地移転後も、土建バブルがあわをふいているというような幻想を持たせるのは、やめてほしいものだ。朝日放送がすると、北朝鮮が楽園とか、ソ連が人権の保障された国とか、キューバが過去の楽園のように、民衆を騙しているように思えて仕方がない。今回は、沖縄県民を騙そうとしているのだろうか。

 沖縄を経済的にみた新しい論点だった。一部事実もあるだろうが、全体的には偏った視点で作られているという印象だった。郊外にショッピングセンターが来ても、沖縄経済は何もよくならない。それまでの小規模店舗がさびれるだけだ。大店が来て、駅前商店がさびれるように。儲かるのは、大型ショッピングセンターとそこに入るブランド店のみだ。報道ステーションは、沖縄をそんな大資本に食われる島にしたいのだろうか? ホテル・リゾートも同じだ。海外のホテルチェーンは利益をそんなうげても、沖縄のホテル業者はさほど儲からない。そのおこぼれに預かれるのは、わずかな従業員とほんの少数だ。それで、よいのだろうか?

 もっともこの特集に違和感を感じたのは、もっとも沖縄経済やあの地域を経済不振に陥れる危険があるのは、中共だ。そこにまったく触れていないことだ。あの沖縄・台湾の地域が経済的な打撃を受けるのは、中国軍が台湾方面にミサイルを発射した時だ。途端に、観光客はひいてゆくだろう。

 

 中国は台湾と何度衝突しただろうか。その度に、台湾の経済は戦後、大打撃を受けてきた。中国から演習か、何かで台湾の領土、金門島?に、砲撃を加えたことも忘れられない。尖閣にも中国の艦船は来ている。沖縄に来ないのは、米軍基地のおかげではないか。さすがに、軍事的に独善的な中国も直接、米軍の基地の島に仕掛けてこない。そういうリスクをまったく語らないのは、片手落ちである。

 沖縄の経済が安定しているのは、米軍基地がどっしりと構えているからだ。米軍基地が弱体化したら、すぐにでも南沙諸島のように中国は軍事基地をどんどん沖縄周辺に作り出す。そして、沖縄は紛争地域の仲間入りだ。すると沖縄リゾートは観光客は激減。米軍基地が去ったとたんに、沖縄経済は険しくなる。沖縄の人はそのくらいはわかっている。

 米軍基地の跡地に大型リゾートを誘致する。沖縄の人は、そんな目先の稼ぎがほしいのだろうか。左翼はそんな夢をもったらしい。が、世界の人は、特に西欧諸国はあそこに米軍基地を置いて、中国が太平洋に進出しないよう見張らせておきたい。それが極東、いや世界の安定に貢献する。世界の経済発展の下地となる。それが現実である。

 米軍基地をなくせ、というのなら、北朝鮮と中国の共産政権を打倒して、東アジアを平和にする。それをまず北と中国に訴えよう。それこそが、正道だ。それら悪の元凶が残っていては、警察はいつまでもいなくならない。中国が共産政権である限り、沖縄に平和はこない。

 

home

inserted by FC2 system