社会 

 

 

道徳の能力は、数学、国語同様に評価できる


2015-3-3

 道徳は、評価できる
 昨日、ニュース23で道徳教育の授業を特集していた。左翼解説者には、道徳を評価することに抵抗があるようだ。しかし、正しい行為、正しい倫理、正しい考えを知らないと、正しく生きることはできない。間違った生き方とは、犯罪、詐欺、低劣な精神、共産主義だ。どれも正しくないものをしている。算数も正しく答えを出せることが大切だ。国語も、正しい文字と文章が書けなくてははじまらない。その上で個性だ。
 小学生など、倫理や道徳の初歩の教えでは、正しいことと間違ったことは、はっきりと区別される。泥棒はいけない。正しいことをせよ。告げ口もよい。そのあたりは、しっかりと教えるべきだ。そして、そんな知識だけでも、覚えた者に、得点を与えることは大切だ。
 算数も、計算ができなくてはいけない。しかし、知識を覚えるだけのテストでも、それはそれで社会や国語に多いが、それを理解したことと同じと解釈される。評価とは、テストでよい。道徳はまだ。中学高校になったら、いずれは、論文にして、倫理観の度合いをはかることになるだろうが。
 道徳の知識を覚えるだけでも、意義がある。何も知らないで大人になった者は、道徳にふるまうことすらわからない。知っていたら、思い出すだけでそれを実践できる。
 国語、理科、社会。そんな知識を試すテストが行われている。道徳も当面は同じでよい。社会、理科はよくて、道徳だけがテストできない、という根拠がない。最初は、知識を覚えさせることからはじめる。道徳の技能の習得度合いを測定することは、まだ急がなくてよい。というわけで、道徳はテストでも社会や理科程度に習熟度を測定できる。

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