社会 

 

「格差」の正体とは -- 巷の格差論は嘘くさい

2014-12-27


  「格差」の正体とは 巷の格差論は嘘くさい
 川西の紀伊国屋で経済学書を探すと、格差をテーマにする本がいくつか。が、日本の格差論は政治に利用されている。左派の扇動文句の一つなので、真に受けにくい。それで、「格差」について今までじっくり考えなかった。アメリカの動向をもとに考え直した。

 アメリカでは格差が大きい。ニューヨークの証券取引所に「格差解消」を求めて、デモが起きたこともある。アメリカでは、0.1%のスーパーリッチ(55000人)や上位1%(136万人)がアメリカの富の何割かを所有する。それがアメリカの国内問題である。何が許せないのだろうか。私にはよくみえてない。それで、調べた。

 日経の記事によると、2010年度では、アメリカの上位1%以上とは所得が36万9000ドル(3700万円)以上の人。トップ10%以上の所得は11万6000ドル(1200万円)以上。下位50%は、所得が3万4000ドル(340万円)以下の人だ。

 問題視される米国のトップ0.1%は、年収1.7億円以上だ(2011年)。これは低い。なおトップ400人の収入は77億円以上(2010年)。これは多い。

 やっと、わかったこと。年収は米国では、たかだか1.7億円以上がスーパーリッチであること。社会運動家は、彼らが富を永遠に独占して、その他は中間層や貧乏のままにとどまる、と心配する。直感的に、社会運動家の主張はどこかおかしい。何がおかしいのか。検証してみたい。

 格差が何をもたらすのか?
 格差の本質をよく考えてみたい。金持ちについて、貧乏人は過剰な思い込みや偏見がある。彼らは、豪華な家に住み、いい服を着て、食べ物もよく、いい車にも乗る。うらやましい。自分とは圧倒的な差がある、と。本当の金持ちとは何だろうか。

 事実、金持ちがいくら大勢いようと、中間層が多い日本では、経済になんら偏りは生じない。実際は、金持ちと中流は生活にあまり差がつかないことを説明したい。

 車
 日本の良い車はプリウス。それ以上の高級車は、装飾がたくさんついた、高級材使用のベンツや、スポーツーカーだ。それらは大人のおもちゃ。高くても、せいぜい2000万円。そんなに特別ではない。そんな値段が高い車に乗っても、まったく生活の質に差はない。お金をいくら積んでも、プリウス以上によい車はあまり買えない。日本では、車で生活を差別化できない。

 家
 家はぴんきりだ。ここは差がつく。家は何億とかけることができる。広い敷地と広い庭をもつ家に住める。金持ちは広い家で都市部に住める。別荘や都市部にマンションも持てる。パーティー用の大部屋があれば、楽しいかもしれない。が、それらは物置や来客用にしか使わない。大きな家に住むと、さびしくなるし、管理が大変で、暖房費用もかさむ。
 しかし、人間が住むのに使う空間は、4人家族で80平米あれば十分。中流の家がベストで、それ以上広い家に住むのは無駄である。それ以上広いものを所有したら、維持費が大変な上に、さびしい。生活の質は広すぎる家では下がる。

 金を出して、地価の高い駅前に住むの便利だ。が、生活環境としてみると、あまり駅に近いのは猥雑である。適度な距離に住宅があればよい。中流でも、そのくらい離れていたら家が買える。なお東京は除く。

 食べ物
 金持ちは毎日、外食して、高値の食材を用いられる。金持ちは、よい食べ物が食べられる。中流はほどほどのものが食える。贅沢はできないが、貧粗ではない。食材は一定額を使うとかなり十分なものがそろう。それ以上の高級品は、あまり差がない。が、生活の質は、美食家でなければ、母親や妻の料理がおいしければ、十分だ。生活は、ここであまり差がつかない。毎日、コックの料理を食べるのと、母(妻)の料理を食べるのと、どちらが幸せか、という問題である。

 病院
 金持ちは個室に入院して、金に糸目をつけずに先端治療を受けられる。日本では中流は少し無理すると、それなりに高度な治療を受けられる。そもそも医療技術自体に、最高レベルと中間レベルにあまり差がない。だから、金持ちだけがよい治療を受けて、長生きすることにはならない。医療はあまり差別化しない分野である。

 服
 私が大学時代に、毎月服に5-10万円かける、という医学部の女性がいて、たいへんと思ったものだ。私は半年に2万円も使わなかった。贅沢の権化、イメルダ婦人は、一度着た服は二度着ない、という強者。服はお金かけて、ブランドものをそろえてもたかが知れている。衣服は必ず、着ている服の値段ではなく、ファッションセンスが評価される。金持ちが、ブランド品や高い服を着ているからといって、ファッション性で優れているとは限らない。中流でも、センスがある着こなしはできる。また衣服は安い。せいぜい一着50万円だ。服で金持ちはあまり差別化できない。

 教育
 これは本人の才能による。金持ちだからといって、東京大学にゆけるわけではない。せいぜい私立にゆく程度。ただ、学生生活で、下宿やクラブなどでは差がつく。金持ちは金を使って、楽しい遊びができる。が、学問では、才能の有無しか問われないから、差がつかない。

 テレビゲーム
 金持ちは、どんなゲームでも買ってもらえる。中流はこづかいの範囲で買う。差はそのくらい。できるゲーム自体は売っているものが限られているから、金持ちだから特別なゲームが手に入るということはない。

 まとめ
 金持ちは、多少よい暮らしができる。が、中流と差がつかないところもある。生活で、中流と金持ちは、あまり差がつかない。日本人は。

 というわけで、金持ちがさらに金持ちになる、と中流階層がひがむ必要はない。金持ちはお金をいくらもっていても、服、車、食べ物、医療など、商品のほうに上限がある。彼らはそれ以上のよい暮らしはできない。中流でも、かなりよい生活ができる。実質、生活は金持ちと中流では、あまり差がつかない。

 彼らの暮らしは、多少派手でも、散財が多くても、海外旅行が多くても、せいぜいそのくらいだ。彼らは意識が高いわけではない。また教育は同じ学校にゆくから、実質、中身は中流とあまり変わらない。

 私が本当の資産家を知らないから、こういうのんきなことを言えるって?

 本日は、スーパーリッチは論じてない。アメリカの上位1%の下限、年収3700万円の人物を金持ちと想定した。そして、私の経験から、金持ちの生活と中流の生活を比較してみた。

 私は言いたい。金持ちの暮らしはたいしたことないのだ、と。マリーアントワネットやイメルダ夫人のように、国を傾け、国民の暮らしを圧迫するほどの贅沢は、日本の資本家達はしていない。そして、このままでは、格差が広がって、大多数の国民はますます貧乏になる、という主張は嘘っぽい、と知ってほしい。

 

 資料 格差大国・アメリカの後を追う日本 (日経サイトより)

 

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