教育論 道徳教育

 

 道徳教育論

 

道徳教育の方法18 大人(たいじん) 

 

 

2015-2-20  校正 3/19

 

大人(たいじん)になる

 

 将来、どんな職業をしたいか?その仕事の夢ばかり話すと、小さな人間にしかなれない。ほとんどの人はしがないサラリーマンになれないからだ。そこで、どんな職業になっても、心は大きな人間になろう。大人(たいじん)になろう、と教える。


 最近の子供達は夢が小さい。恋愛する、小さな家庭を築き幸せに暮らす、会社の社長になる。野球選手になる。ふつうの人になる、という。ここに大きな問題がある。
 ふつうの人を目指す人が多い。サラリーマンになるとか、安定した暮らしをするために公務員になるとか。


 が、道徳教育で大事なのは、精神的に偉大な人、これが大げさならば、人格者、徳ある人になれるかどうかである。つまり、小心者で、卑怯で、いやらしい、影で悪さをする大人になるか。それとも、愛情豊かで、心が広くて、寛容で、博愛を実践する、そんな徳優れた大人になるか、である。


 子供には、つねにどんな精神の人になりたいか? と質問し続けよう。それによって、精神の目標を自覚させられる。

 

 サラリーマン、公務員は、職業としては、小物である。だからといって、心まで小さく縮こまり、小心者になってよいのだろうか? そうならないように指導しなくては。
 野球選手となって、ただ野球が上手な選手という夢で満足してよいのだろうか? 収入が多いから、それを困った人たちに寄付に回すとか、優しく子供たちを指導するとか、そういう精神的なものが欠けないように、指導すべきである。


 金持ちになる、というのもある。そんな目標では、お金を稼ぐことしか意識しない。お金を稼いで、その時に、どう振舞うか。精神修養に励むとか、会社で立派な社長になるとか、社員や地域に愛される社長になるとか、そういう精神的な面を、意識させなくてはならない。そうしないと、悪徳・ブラック社長になりかねない。


 最近、子供はいくらがんばっても、社長になれるのはごく一部、大多数はしがないサラリーマンにしかなれない。それは現実だ。しかし、そんなふつうの大人になっても、志だけは高くなければいけない、人格は卑劣であってはいけない、と教えてなくはいけない。大人(たいじん)になろう、と。


 サラリーマンは、小者と自覚している。だから、小者のようにふるまいがちだ。けちけちして、小さなことで、怒りだし、不安を抱えている。それが当たり前、普通と思いがちだ。しかし、そんな情けない大人(おとな)にはならないように指導しよう。どんなに貧しくても、職業がふつうでも、下層でも、心だけは人格者。立派で、大人(たいじん)であれ、と。


 特に、日本の大半はサラリーマンになる。もし、サラリーマン=小心者だとしてら、そんな心小さき日本人が、日本中にあふれかえったら、それは息苦しい。サラリーマンでもいい。みながのびのびとおおらかで、小さなことは気にしない、小さなことでいちいち怒らない、大きく広い心をもっていたら、日本も過ごしやすいだろう。


 大人(たいじん)になろう、と教えたい。これは中国の徳目だから、日本でも理解しやすい。


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