教育論 道徳教育
2015-2-3 校正 3/18
人間は、目標とする人格をもたないよりはもっているほうがよい。心の師、そんな人物になろうと、切磋琢磨するからだ。戦前の学校教育では、理想的な人格としては、天皇や軍神(乃木など)が讃えられた。その方法では、日本人の精神性が偏る。そういうことがないように、もっと世界の偉人や、日本の偉人など、自由に本人に決めさせることが大切だ。その理想者、尊敬する人をもつと、人格を磨くようになるだろう。
私のケース。私は天皇や軍神、さらに戦国武将の豊臣秀吉に憧れたこともない。それよりも、聖徳太子のほうが好きだし、西行、空海のように活躍するのもよし、と思っていた。私は理想の人はもってない。
だから、誰彼を心の師にしろ、と強制するのはよくない。そこは自由なのだ。強制しても本人はそれを尊敬しない。その人物のようになろうとはしない。よってこれは自発的に選ばせなくては意味がない。本人に選ぶと、本人は自ら進んで、そういう人格を目指す。
しかし、いくら生徒に選ばせるといっても、いくつか条件はある。そんな人に憧れては困る、という人物はいる。
まず殺人鬼を憧れさせてはいけない。将来、犯罪者になるリスクが高い。また歴史上の凶悪な独裁者や過激派共産ゲリラ(部下を次々粛清したレーニンとか文化大革命の毛沢東、ゲリラ軍人リーダーのチェ・ゲバラ)などを尊敬したら、そんな生徒は将来、海外に出て過激派ゲリラに加わる危険性がある。この手のは、大学に入ったら、過激派闘争に加わりたい、という願望をもつ。私の知り合いにいた。彼は面白かったけど、志向が一般学生とは違っていた。もしくはそんなものを支援したがる。そういう反社会的な人格にしてはいけない。
アイドルは、姿形に憧れるのはよい。将来の職業としてもよい。しかし、それを人格の理想とするには問題があることは教えておこう。彼らは精神性によって、人気を得ているのではなく、歌唱力、みかけの美しさ、格好よさ、または演技力で評価されているのだから。人間性だけを比べたら、過去の偉人と比べることもおこがましい人物が多い。
アイドルは現代の偶像だが、アイドルが最高と思うようになってはいけない。アイドルの精神性はたかが知れている。それより精神的によい人物になろうとしなくなる。つまり、アイドルだけに憧れる人は、高度な人間性を求めなくなる。
スポーツ選手も同様である。職業として憧れるもの、なりたい選手としてはよい。しかし、精神的な理想からは、遠い人たちである。そういうことは教えておこう。バットを振り回すこと、守備がうまくなっても、徳をもっているかは、別だ、と。野球はすぐに監督まで巻き込んでの乱闘騒ぎになる。あれのどこが徳ある人の振る舞いか、と。
無難なのは、キリストや仏陀などの偉人だ。生徒がキリスト教徒や仏教徒だったら真っ先に選ぶだろう。宗教家を否定してはいけない。本人の自由だ。他に名の知れた精神的な模範はいる。中国が好きな子は、孔子や諸葛孔明をあげる。立派な祖父を尊敬している子もいるだろう。父や母もいてかまわない。
そして、何を尊敬しているか、どうしてその人物を選んだか。そして本人はどんな人物になりたいのかを、語らせる。そのために、どんなことをして、心を磨いてゆくか。そういうことを考えさせるとよい。何も精神の理想をもたない人よりは、心が大きく成長するだろう。