日記 2019年6月16日〜 *月**日

2019年7月3日

 

瞑想

 今回は上の段階を述べる。数日前に、40-60段階と記したが、調べるともっとあることに気づいた。現在は、段階60までおよそつきとめた。まだ暫定で、確定ではない。はっきりわかっているのは、18段階までだ。それを記すとしよう。

 

 瞑想では、外部の感覚を断ち、解離度合いを段階と呼ぶことがある。ブッダは当時の瞑想者の誰よりも高く8-9段階まであがった。なお、この解離の段階をあげられると、いいことはある。苦痛を感じなくなることだ。幽体離脱ができるようなる。透視も完璧に見えるようになり、霊聴もはっきり聞こえるのだ。

 

私は解離は得意でない。解離の才能をあげても、精神自体は高くならない。私は、精神のテーマのほうの段階を探求したので、そちらの説明をする。覚醒する、菩薩の精神、如来の精神などはこちらの段階をあげて達成する。

 

何もしない人の段階とは、

 まず瞑想では、脳の命令経路(司令系統)を奥に上ることができる。はじめを段階1とする。瞑想をしてない人は、平時は段階1に、意識をおいている。

 この段階は、知恵遅れの人の精神と同じだ。体全体が、暖かく包まれる。内蔵の感覚に敏感である。瞑想して、段階をあげると、他の感覚が研ぎ澄まされることになる。体調が悪化した時にここに意識の場所をここに戻すとよい。体が暖かくなり、心地よくなる。

 

瞑想して段階をあげるとは

 瞑想で段階をあげるとは、地下鉄のトンネルを掘るようなことだ。心の中で次の駅につながるトンネルをほってゆくのだ。一度、トンネルを掘ると、いつでも自由にゆけるようになる。が、それをしないと、行けないのだ。そして、熟練すると、脳の機能を使えるようになる。

 

 瞑想して、脳の経路で、未知の領域にゆけるようになる。段階をあげるとは、より高次の脳部位のところにゆけることだ。

 

 たいていの人は、始発駅に電車が止まっている。瞑想すると、トンネルを掘り、次の駅にたどりつく。たいていの人は、そこに電車を止める。すると、心の中では、その駅の景色がふだん見えるようになる。

 

 瞑想しないでも、行けないこともないが、瞑想で、脳の中を開拓しながら進むと、自分の意志でその経路全体を感じられるようになるのだ。

 

具体的な段階の上げ方

 仏教では心落ち着けて、感じていると、自然にあがる、という。心の中を探検すると早く上がれるともいう。が、私は最近は、急いであがることしか興味がないので、要領よくやっている。

 

 私は心の中を自由に探検できる。現在の段階にゆく。そこの空間がある。前を見る、下を見る、上を見る、後ろを見る。どこでも見れる。ここまで能力を高めておくと、簡単にあがれる。

 

 現在の到達した段階にゆく。そこから頭頂あたりをみあげる。そこに光る白い点がある。そのあたりをみると、ぱっと少し進む。今、この技術は日進月歩で改良中なのだ。早い人は3日くらいで1段階進む。私はゆっくりしていて、30日かかる。

 

 心の中で、天井の頭頂の前あたりを、心の中で叩く、というのがもっとも簡単だ。それで段階が進む。後退するには、頭頂の後ろを見るか叩く。もっと要領のよいやり方があるそうなので、それはいずれ披瀝しよう。

 

初心者は?

 まずは目をつぶって、暗闇を感じることだ。そこが自分のいる脳空間である。まずやることは、肉体の目を開けないで、心の目だけを開ける。あまり難しくない。目をつぶって、周囲を見ようとすること。そう思って肉体の目は開けないで、目を開ける。心の中で、目を開けた自分を想像するでもよい。

 

 それで心の中に何が見えるかをずっと調べること。これに慣れて、心の中を自由に探索できるようにする。心の中の自分だけ、上をむいて、右を向いて、下をむいて、手を動かしたりする。慣れたら、できた気分になれる。それでよい。

 

 本人は何もしてないと思っている。が、これは幽体離脱しないで、幽体みたいなものを肉体から分離して、動かしているのだ。おそらく。これが瞑想の基本だ。

 

1段階は前半と後半で、各6つにわかれる

 一つの段階は、前半と後半にわかれる。前半と後半は小さな段階が5か6つある。例えば、段階7は社会に関心をもつ。前半は、社会の認識(自由論、最大多数の幸福)などの理論を自覚する。後半は、実践で、社会構造の変化(集権的な組織→分権的な組織→官僚(専門)組織→小さな集団→個人)を会得する。わかりにくいだろう。

 

 とにかく、一つの段階では、前半と後半にそれぞれ5-6つのテーマ(関心)が生じる。前半は「内側」、後半は「外側」という分け方が多い。

 

では、18段階のテーマを示す

 

1, 体内の感覚 (空腹 喉の乾き 呼吸の苦しさ )

2, 体外の感覚 五感(目、耳、鼻、舌、触?)

3, 認知(悟性) (食べ物、飲み物、酸素…)

4, 運動(力) (力を学ぶ、運動規則、)

5, 理性(論理) (空の精神、理性的自己)

6, 社会 (通信やコミュニケーション能力、社会的地位など)

7, 空間 (建築、人間工学、生態系、環境、環境の人間への影響)

8, 2次元 (面、絵、写真)

9, 1次元 (文章、音楽、声)

10, 0次元 (直感や瞬間的なもの)

11, 気体 (空気。空気の仕組み)

12, 鉱物 (石、岩、大地、地面、宝石など無機質なもの)

13, 植物 (植物の栽培)

14, 動物 (動物の飼育)

15, 目 (この段階で第三の目を開く。カメラ)

16, 耳 (耳、音を聴く装置、録音)

17, 鼻 (臭い)

18, 舌 (味)

 

 これは正確である。私が自信をもって公表できるものだ。11段階目の気体だけが、今までわからなかった。が、7/3の透視でやっとわかったのだ。

 

 ざっと18段階である。これより先は、今はっきりととわかっていない。これら段階をあげても、何ら精神が高くならない? そうではない。瞑想では、電車に乗って、駅から駅へと移動するだけだ。駅の町のことを細かく覚えて、マスターする人もいるが、多くの人はしない。駅の風景、つまり心の目に映る景色に感じ入る、驚くのが精一杯だ。銀河鉄道999のように惑星の表面的な問題にふれることが精一杯だ。その段階の精神や技能など深く学ぶのには、時間がかかる。

 

 これは発達心理のテーマと同じだ。段階の数を3倍して1足すと、だいたいその年令の課題となる。理性は5なので、3倍して1足すと16歳となる。16-18歳のテーマが理性である。瞑想をすると、発達心理のテーマを詳しく自覚できる。

 

さて、体験だ。「機械によって、段階nの前半、の小段階(1-5のどれか)を体験させてください。」と思うと、その段階を簡易に体験できるようにした。見えない機械が頭にとりつけられて、それが操作する。1度でなかなかわかるものではないので、一日あけて、何度も体験したら、いずれ感じ取れるだろう。

 

レッスン

1, 「空」を体験しよう

 仏教の「空」は段階5 理性である。その最初の頃だ。「段階5の理性を感じたい。よろしくお願いします。」と心の中で思うこと。それが空の感覚である。目をつぶると心の中で、全体的に明るいはずである。

 

2, 食べられるものを識別しよう

 まずは初心者がわかりやすい感じられるものを。食べ物に関心がゆくのは、段階3の悟性、前半の段階1である。「段階3の悟性、食べ物をみつける、を体験したいです。お願いします。」と思おう。言い方は、厳密に決まってない。通じるならそれでも作動する。そうしてから、台所にゆく。自分が食べ物をみつけることに集中しているかを感じ取ろう。

 

3, 「第三の目」を体験しよう

 憧れの第三の目である。本当にこの段階にゆくと、おでこの目が開くわけではない。眉間の後ろに自分がいて、その前に、目の形のスクリーンが見えるようになる。そこに何か好きなものを映せるならば、透視ができる。

 「第三の目を体験したいです。お願いします。」と思うこと。心の中で、おでこを見るのだ。心は目と目の間の奥まったところにある。そこから斜め前上を見るのだ。すると、何か映るはずだ。何か映るようにもしておいた。

 

4, 「高度な運動能力」を体験しよう

 段階4のテーマは運動である。この段階のどこかに、高度な運動を司る脳の領域を探求するものがあるはずだ。「高度な運動能力を体験したいです。よろしくお願いします。」と思うこと。すると、簡単に、運動能力が高くなるような感じになれる。13-15歳で運動能力があがる。それと同じ状態になれる。

 

 他にもいろいろ、自分で体験しよう。これらで、私の示した段階が、誤りではないとわかるはずだ。なになに。空を体験しても、悟った気になれない。当たり前だ。瞑想しても、精神が上がるとはいえなのだ。それまで使ってこなかった脳を使えるようになるのみだ。

 

 瞑想している人が何か一つのことを気づいたからといっても、彼の信条全体がガラッとかわるわけではないだろう。精神の基本的な部分がまったく変わることはない。それで、瞑想しても、精神はそう上がらないのが真実なのである。

 

 いずれこれも詳しく説明しよう。

 

2019年7月3日

 

飛蚊症は左目が落ち着いた。右目が残る。右目で左右の端を見たり、下のほうを見ると飛蚊症になる。深刻だ。1-2週間前に軽い運動をして、両目で発症。いったい私は目をどれだけ痛めつけられていたか。伏尾の赤が犯人という。

 

瞑想をしなくてはいけない。

 

2019年7月1日

 

さてと、瞑想でも書くか。

 

チャクラの段階

 瞑想を何もしない人々の意識の段階を0とする。瞑想で、そこより上がると、内的な世界が広がる。感覚が研ぎ澄まされ、理性や覚醒(第三の目を開くこと)などを体験できる。そこより下がると、チャクラを体験できる。チャクラは脊椎に沿って並ぶ。これを操れると、エネルギーが湧いてくる。

 私がチャクラのことを解説しなくても、わかるって? ほぉ。それは優秀だ。確認のために読んでいてほしい。

 

 チャクラは7つある。 坐骨(基底)のチャクラ、陰部のチャクラ、へそのあたりのチャクラ、胸のチャクラ、喉のチャクラ、眉間のチャクラ、頭頂のチャクラだ。まず瞑想で意識を下げると、頭頂→眉間→喉→胸→臍→陰部→坐骨という順におりる。知っての通りである。わりと簡単に降りられる。上は一つ段階あがるのに、私は一ヶ月かかったが、この一連のコースをおりるのに、10-20分以内で出来た。

 

 坐骨のチャクラに到達した。それより下げると、何があるか? 問題が簡単すぎて、涙が出てくるだろう? 以外と知られてないが、頭頂のチャクラにゆきつく。君は当然、わかっていたに違いない。そこから下がると再び、眉間→喉→胸→臍→陰部→坐骨と下がる。2巡目である。さらにおりる。19巡目まで今日は私、確認した。

 

 最初のチャクラの段階を「1」としよう。2周めをチャクラの段階「2」とする。最初の段階は何を感じるか? そんなの言わずとしれたことで、クンダリーニのエネルギーだ。エネルギーである。しかし、エネルギーが何かはまだ解き明かしてない。糖分とか、具体的につきとめてない。今はエネルギーでとどめる。

 

 最初のチャクラの3段階は何か? 

1,エネルギー 2,水分 3,酸素だ。それを意識すると、臍ならその周辺で、これらが補給されるような感じとなる。

 

4-19段は何か? 4-11段階の合計8段階は、皮膚の感覚。12-19段階の計8段階は皮膚下の感覚である。あまり知らないと思う。

皮膚 4, 痛覚 5,熱さ・暑さ 6, 冷たさ・寒さ 7, 押圧感 8, 濡れ・湿気 9, 乾き・乾燥 10, ネバつき・ねとり 11, 触る である。その下は

皮膚下の12, 痛覚 13, 熱さ 14, 冷たさ 15, 体内圧 16, ぬれ感・出血 17, 固まり・乾き・水分不足感 18, ねっとり感・濃い血液感 19, 触り、寄生虫のようなもぞもぞ感である。

 

やっと解明できたのだ。脊椎の下は間脳とか書いていたが、こちらが正しいようだ。

 

実際に探求してわかるのは、1-3で限界だろう。そこで私のような透視野郎が、透視しつつつきとめることで、解明できる。本当かどうか、体験できるプログラムを下に用意しよう。

 

一つの段階をじっくり感じよう。チャクラの段階は、皮膚の神経を感じ取るものだった。これが新たにわかったはずである。

 

 これはチャクラについて、あまりに斬新な理論だ。なお、クンダリーニの上昇などはまだ研究してないので、いずれ解明したら、発表しよう。今回は、瞑想で意識を下げると、何を感じられる。それを明らかにした。

 

体験カリュキュラム

疑う人も多いだろう。そんな君達のために、本当であることを証明する。やってみなくちゃわからないのだ。私のことを当たり前のことと受け止めた瞑想の上級者もやってみよう。なお、瞑想では到達しないと特定の段階にゆけない。これは複雑な手続きを必要とする。それは、時間がかるので、やめる。

  今回は、到達した段階はいじくらないで、簡易に特定の段階を体験できるようにした。

 

 こう思うこと。「機械によって、段階N(数)のM(頭頂やチャクラ名)チャクラを感じさせてください。お願いします。」と。すると、その段階を体験できるだろう。仕組みは複雑だが、簡単にいうと、脳を管理する見えない装置がつけられて、操作され、特定の段階に意識がゆける。

 

練習だ。

一、まずはチャクラの段階1、エネルギーの段階、喉のチャクラを感じさせてほしい、と願うこと。肩から背中にかけて、エネルギーが感じられるはずだ。エネルギーの段階を他のチャクラでも感じてみよう。

 

ニ、チャクラの段階2、水分の段階だ。これも感じたいと願うこと。眉間のチャクラで感じてみよう。みずみずしい感じになれる。

 

三、チャクラの段階6、皮膚の冷たさ。それを腕で感じたいと願おう。それが感じられるようになるはずだ。

 

四、寒いところにいる人は、チャクラの段階5、皮膚の熱さの神経だ。腕の暖かさを感じたいと願おう。すると、腕が暖かくなるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年6月30日

 

はりきって、雨の中、読書会に行ってきたぞ。ほぼ家人以外とはしゃべらない毎日なので、(みえない存在は別)、久々にふつうの人としゃべった。

 

 彼らは本に書かれてないウィルバーのことをいっぱい知ってるので、驚き。しかし、ケン・ウィルバーの書物や考えは詳しいようだけど、彼が用いる外の書物、その理論は、全般的にあまり詳しくないようで。

 

 私は朝6時50分に起きて、茨木市まで2時間も走りっぱなしで、自転車だよ。読書会の間、ずっと疲れて、ぼーっとしていた。私が活発でないのは、そのためなのであった。

 

しかし、するべき質問は3つしたし、まぁよし。帰り道チェックしたが、短い質問は、自分の意見を述べてないので、よくない、と反省した。

 

他人の話を最後まできく、ということが大切ととわかった。すぐに合いの手を入れる癖をなくさないと。もう一つ、人の問題点を指摘したがる癖も、茨木市の人々の雰囲気では、みっともないことなので、(私はそもそも枚方の人間で他人にケチはつけない。池田でそんな話法を覚えてしまい、早く払拭したいのだ。)、治そうと思った。

 

 私の関心と、若い者たちとの関心が違うことは、何か大きな意味があると思ってしまうのだった。私は経営学に興味が強いのだが、若い彼らはないのだ。やはりね、社会思想なんてものは、若い世代には魅力がなくなっているようだ。若い世代にとっては環境だし、空間だ。人間工学なのだ。

 

 人としゃべらないので、口が回らないか、声が小さい事を心配したが、それは問題なかったようだ。

 

 彼らはウィルバーの何に熱中しているのか興味があった。私は、彼が自分と同じような関心をもつことになのだ。瞑想、偉大な精神、発達理論、社会の発達。他は違うようだ。

 

 驚いたのはみんな話がうまいのだ。私だけ、会話が下手っぽくて、参ったのだ。練習しないといけない。

 

瞑想に興味をもつ人がいなくて、残念。そちらに関心がある人は、こないのかな。しかし、以外だったな。以外すぎた。いつも思うのだ。大丈夫なのかな?

 

2019年6月28日

 

『インテグラル理論』ケン・ウィルバー、加藤洋平監訳、門林奨訳

 

第7章 自分自身を変容させる の感想

 私は、「変容させる」について、心理学のいかがわしい変容カリュキュラムを連想する。精神家の治療(カウンセリング)と称して、実験的な精神プログラムを教え込むのだ。それをまじめに信じると、たいてい変な人間(精神)となる。私はそういう人をみつけては治す--ふつうの人のように機敏で日々の出来事に対応できる人間の精神に戻すのに、てんてこまいだ。彼が語るのは、怪しいカウンセリングというイメージと異なるのかどうか?

 

彼によると、「ちまたにあふれる精神性/霊性に関する書物のほとんどは、精神的/霊的な生活とはどんなものであるかを、現実の生活とはきりかなされた形で、長々と説明している」と。彼の信条として、生活に使えるアイデアでないといけないらしい。生活に密着したものがいいらしい。

 

ただし特段のものは提案できていない。日々、健康によい体操をして、心理療法やカウンセリングを受けて(自分でするのだろうか)、何かして、瞑想、祈りをする。

 

彼によると、自分の心身の健康だけなのは、視野が狭いらしい。社会的な貢献も必要という。彼にとっては、仏教の菩薩行というイメージなのだろうか。社会奉仕。自然的な運動もするのがよいようだ。

 

彼にとっては、変容とは、自己と社会、自然を鍛えることらしい。また自己成長というのがその意味らしい。

 

彼クラスになると、アメリカの心理プログラムの問題点は熟知しているだろう。だから、日本で変容というと、問題ある心理プログラムの押し付けになるが。それとは違うと思う。

 

彼のまとめは抽象的でよくわからないので、割愛する。

 

というわけで、万物の理論とは、人間の意識全般を扱うものだとわかった。なるほど。それなら、「世界はなぜ「ある」のか?」という本で書かれたことのほうが、より正確なのである。

 

物理世界に存在するもの、意識の上だけに存在するもの。この2つとする。

 

ウィルバーはそこに、発達という観点を入れたこと。それが彼の功績である。ただね、彼のは具体的でないし、スパイラルダイナミクスの理論をもっとわかりやすく言わない。色で説明するので、その色を覚えてない人にとっては、何がなんだかわからない。

 

彼は特殊な用語は、一般的な言葉使いで語るべきである。そうでないと、意味わからない。

 

 

 

 

 

2019年6月28日

 

目が痛い。飛蚊症はまだつづく。治らないというか、毎日新たに刺されて、回復しない。刺されないなら、痛みが止まる。が、毎朝、少しずつ違う痛みが目にある。よくもまぁ、ひどいことができるものだ。犯人は伏尾のアカだという。目をひどく刺すのはずっと彼らである。横も向けない。

 

  うーん。だから、体調管理が大変なのだ

 

さて、書きたいことが一つあるのだ。瞑想の理論だ。そろそろ書き始めるか。

 

新しい瞑想

 瞑想とは、目をつぶって、心の動きを観察することだ。が、ここで取り上げる瞑想は、自分の心の状態を見ることがメインではない。瞑想による精神の段階をあげること、心の中を駆け巡り、様々な心の現象を体験することをさす。要は、初歩の瞑想も説明するが、密教で行われているような高度な瞑想について、説明する。

 

 自己紹介

 私は瞑想歴は20年ほどだ。我流で師についてない。が、透視能力者だ。第三の目を開いたのが30-40代だったと思う。チャクラも感じられる。ここでは、瞑想の科学的な解明をめざす。瞑想の段階をつきとめる。仏教に瞑想の段階がある。ラマ教が最も詳しい。それらを参考にしつつ、私の体験から、より合理的なものを明らかにする。

 現在、瞑想は上が40-60段階とわかっている。下は、よくわからないが、脊椎、間脳か小脳の段階があり、もっと下もあり、かなり多いのだ。それらをに今後、説明していこう。

 

 「空」の精神について画期的な理論を示そう。従来何もないとされてきたが、実は、その段階は「理性」なのだ。空の段階の哲学というものもある。空の段階以降もいくつかあり、それを明らかにする。

 私は、瞑想の効用を大事にする。感情をコントロールする方法、解離症(痛みなどを感じない状態にする)になるこつ、第三の目の開き方、霊聴はどう聞くか? 一度見たものを完全に記憶する方法、冷水に入っても体を暖かくする方法(これはやせる方法でもある)なども紹介したい。密教にはそういう技法はあるが、弟子にしか教えない。そういうのをみつけてきて、説明する。

 

 瞑想して、精神の段階をあげることも、具体的に教える予定だ。本当のことをいえば、青少年の間に精神の成長が止まってから、瞑想しても、あがるのはわずかだ。精神の段階はいかに測定できるかも、示そう。

 

 これから、私は瞑想にかんする新しい理論を、多々明らかにするつもりだ。密教に伝わるものもより合理的な(科学的な)見地で、解説する予定だ。

 

 ところで、瞑想を知ったかぶりの諸君に質問だ。答えられたら、君は優秀である。

 

質問 一般の人の心の段階を0としよう。チャクラは、それより上の段階か、下の段階か?

 

答え、下である。意識を下降させないと、チャクラを感じ取れないため。

 

質問 細かい段階を省こう。最初の段階は、「体内(内蔵)」だ。次が「感覚(五感)」である。この順序でいけば、段階3は何か?

 

答え、「悟性」。感覚したものは何かを理解する段階だ。景色を見て、犬がいる。それは文字だ。音を聞いて、意味を理解する。そういう「認知」の段階である。知識ともいう。

 

質問 もうギブアップか? 段階4は何か?

答え、「運動」である。運動に関心がうつる。それまでは、時間が止まった状態で、認知していた。が、段階4では、時間の流れを感じる。そこで、何が起きるか。それの起きたものは何か? を知る。過去から現在、未来を感じ取る。この段階では、人生を走馬灯のように眺めることも体験できる人はいる。

 

段階5は何か? 過去、現在、未来を見たら、次は何を感じる?

答え、「空」である。これは易しかっただろう。何もないわけではない。経験や感情、知識などと切り離された世界が広がる。理性の段階である。なぜ理性か? 仏教に説明はないが。

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それからも続けて、6月末の瞑想の段階は「血管」である。そんな段階があることすら、知らないだろう? 爪→毛→骨→血管に至った。

瞑想は最も上の段階は40-60だ。血管はおそらく35段階目だ。まだ探求は半ばである。第三の目は段階16である。段階17は耳である。「空」は、

 

詳しいことは、この先に説明する。 

 

 瞑想では、脳の中の意識の経路を上や下にたどる。第三の目に到達すると、その神経を自在に使えるようになる。すると、遠視などはできるようだ。他にも脂肪の段階もあり、その脳の部位を自在にコントロールすると、冷水でも脂肪を燃焼させて体を暖かく保てるそうだ。記憶の段階もある(研究中)ようで、そこをマスターすると一度見たものは全て思い出せるようになれるそうだ。

 

ふつう、瞑想中に目を閉じる。そして、見える光を感じる。これだと心の動きをチェックするのが難しいのだ。私は、視野にその段階の世界を投影して、何に興味をもっているかを調べる。自分の体の感覚を研ぎ澄まして、どんな変化が起きたを感じ取る。

 

 初歩の瞑想

 目をつぶって、感情の動きをとらえ、自分の心の状態を知る。怒りがどこから来ているか、探る。どうやったら怒りが収まり、心が落ち着くか。そうやって心静める。これにはこつがある。目をつぶって、怒った原因をいろいろ考える。言葉に対する反応、相手の動き。いったい何に怒っているのだろう? 怒りとは何だろう? どうして怒りは続くのだろう。どうしたら怒りは止まるだろう。怒りの他に、不安、悲しみ、孤独感、そういうマイナス感情は、うまく瞑想するとたちどころに消える。それを述べる。

  

2019年6月27日

 

曲を書いて、自分の実力を正確にみなくていけない。どこまで書けるかを。

 

『インテグラル理論』ケン・ウィルバー、加藤洋平監訳、門林奨訳

第6章 多種多様な世界観を結び合わせる の感想

 

私は彼の分類 発達段階の分類を覚えないので、話がわかりにくくてしょうがない。

 

彼の言うように、ある社会において、賢い人もいれば、劣る人もいる。それは能力の分布だ。で、その国民の各個人の能力に応じて、社会設計をしよう、というのもわかるのだ。といっても、先進国ではそれはどの国も似たようなものなので、そこを細かく分析しなくてもよいのだ。どうせその社会は、トップや上位の人たちの意見が社会の意志となる。それを簡単に考えるのもある。

 

 社会の底辺にいる人達に国家の行く先を、すべて納得させなくてよいのだ。発展途上国は、ロシア、アフリカはそういうのを引き上げるのが大切となるのだが。

 

 世界文明か

 そこでグローバル化と民族文化(民族の伝統や慣習、社会制度も含む)の対立を彼は述べていた。この答えは彼にないのだ。

 

 簡単にいうと、車は、世界文明なのだ。国・地域差がない道具だからだ。このように、世界で共通する同じような道具が登場すると、インターネットもそうだが、世界文明の要素となる。

 

 何に代替するかといえば、車は馬車などの移動手段だ。世界文明が登場するには、個々は、各国の民族文化、慣習よりも、圧倒的に素晴らしい代替手段が登場することが必要なのだ。民法、法律、政治制度などなど。

 

 ただし、ボーダーレスは違うかな。今日はあまり考えられないので、また出直そう。

 

 霊的な諸段階について

 

原始宗教から、近代の宗教までの話だ。キリスト教圏は、一神教が登場して、発展が止まったと思いがちだ。が、その後も、キリスト教の地域ごとに特殊な霊的な習慣が残るのだ。れそらがしだいに合理化してなくなるものもあるし、残るものもある。

 

 霊言などは、アメリカ方面のキリスト教では、福音派だったかな。復活したかのように、異言(ひょうい中にしゃべる外国の言葉)が日常的になってきてる。

 

地球の意識? ニューエイジにそういうものが登場してたのは知ってる。惑星に、知性体のような意識があるのか? ないと思うけど。ここから、宇宙意識というものが、導かれた。惑星の意識があるなら、太陽や銀河系、宇宙にも意識があるという話だ。

 

宇宙意識がなんだか素晴らしいものだ、と思わせるものだ。彼は気になったようだ。

 

私もかって、それがあるのかなと思っていた。が、最近は、どうでもよくなった。私の目指すものではないからだ。

 

 

2019年6月27日

 

 金が残り一ヶ月分しかないのに。なけなしのお金を3000円も使って本を買ったら(←これを書くなと言ったやつは、追い出してやった。)、余裕があると思われた。ないんだよ。薄情な者たちのせいで。こちらはただで、無限の奉仕をしているのに、彼らはこの1年近く、何も私に回さないんだよ。なんとかしてくれ。

 

 最近、寝屋川のノリを習得中。

 

2019年6月26日

 

たまには自分のことも書こう。記憶が低下して、時間があっさりすぎるような感じだ。半年ほど。熱情が続かない。冷めているのだ。特に、感情が続かない。アカの薬によって、そのような感じが強くなっているようだ。

 

 あと、女性の顔が覚えられない。これは、辛い孤独な人生が終わって、愛する女性と出会い、共に幸せになる男に共通するものか? と考えている。彼は、女性と会う前の人生に、何の輝きも見いだせないのだ。私は、現在の孤独で退屈で、つらい日々を、忘れはじめているのだ。似てるだろう?

 

朝起きて、頭が冷えているという感じなのだ。之は老人の忘却である。この状態が続き、慣れることに警戒する。年取った霊たちは、これと似たような感覚で物事に対処する。しかし、これは記憶低下の症状なので、それをふつうと思ってはいけない。戒めだ。

 

アカの薬のせいだけではないだろう。かなり年齢が理由でもある。それだけとは思えないのだ。

 

瞑想について本気でなやんでいる人々、彼ら多数と出会うことで、私は瞑想の理論を書こうという意欲が強まる。そして、意志が続き、より立派なものを書く。それにつながる体験を用意しておいたほうがよいだろう。

 

 選挙前だ。各党の公約を読まなくてはいけない。自民党だけは、必ず読むのだ。それなしに、何も言えない。予知メールを出してからのことだ。

 

 何か忙しいと思ったら、振り回されているぞ。さらに、目の病が、追い打ちをかける。余裕がないのがつらい。あんなに昼は暇なのに。おかしいな。

 

天使の子のお兄さんか。

 海の男だな。彼は。西宮あたりに住むときいた。

 

 

2019年6月26日

 

『インテグラル理論』ケン・ウィルバー、加藤洋平監訳、門林奨訳

第5章 インテグラル理論をどう活用する の感想

 

政治への応用

 私はウィルバーが政治にうぶにみえる。左派リベラルを批判しているので、思想家としては合格である。ただし共和党の保守派の評価が低いのは、勘違いだろう。彼らの道徳が健全ではあるが、古いことを問題視しているようだ。

 新しい道徳など、ないのだが。あるとしたら、理論が単に、心理学的なだけ。それまでの古典的な道徳の心理学ではなく。新しい道徳も古い道徳も、両者の違いはさほどないのだが。

 

彼が期待されたのは、万物の理論--すべての意識を包括するものを提案したからだ。番人受けする。彼らを統率しえると思われたのだろう。が、彼は政治家達が満足する理論を提示できたとはいいがたいようだ。

 

なお『秩序重視型』というのは、社会主義のこと。制度派と呼ぶのかな。

 

なぜ失敗しているか? 段階があいまいすぎたからだ。

彼の提案が成功したのは、国連だろう。国家には発達段階があると。国は発達段階に応じた適切な支援プログラムが必要なのだ。画一的なやり方ではなく。

 

もうひとつの失敗は、彼の口癖であるが、

 

『私たちが進まなければならない行き先とは、要するに内面領域であり、魂の成長であり、知恵の成長、意識の成長なのだ。』254頁

 

 ということだが、その最も肝心な魂・精神の成長があいまいなことにある。もうひとつ、社会の成長に政治家は関心があるが、彼は多くを語らないのである。制度を設計することは彼の得意ではなさそうだ。

 

一般的に技術と倫理は、同じように発達する。核兵器が生じて、その適切な使い方を人類はしだいに覚えた。新しい技術の使い方、正しい使い方こそが新しい倫理である。このあたりも、彼は考察が足りてない。倫理は、技術が生まれると、新しく生じるということ。

 

彼の発達論が、最も成功したのは、企業の成長理論だろう。

 

今日は疲れているのでこのくらい。

 

一つ大事なこと。特殊な用語で物事を考えないこと。他に、学界で通用している専門用語がある。それで考えると、多種多様な論点にふれることができる。視野が広がるのだ。

 

2019年6月26日

 

朝から目が痛む。刺されたようだ。アキレス腱もやや痛む。飛蚊症はまだ起きる。ひどいものだ。治りが悪いのは、目が刺されて、腫れているからだ。前ばかり見ている。首をまわして、横を見る。目だけ右を向けることはしない。行動が、しにくくなっている。

 

2019年6月25日

『インテグラル理論』ケン・ウィルバー、加藤洋平監訳、門林奨訳

 

第4章 宗教をどう考えるか の感想

 

私の専門は宗教である。彼はどこまで考えているのだろう。俺より宗教に詳しいとは思えない。

 

『私が重視しているのは、スピリットに関する直接体験であり、スピリットについての単なる考えではない』156頁。

 

 ほお。霊感の持ち主かな? 

 

『直接的な瞑想的体験としてのスピリチュアリティ』157項。

 

 瞑想で霊体験はできないことはないけれども、どうかな? 瞑想でできる幽体離脱(アストラル体)は霊体験でないからね。論証はブログに。瞑想で霊感を開発しないと、無理だからね。

 

 あと、『瞑想の科学』はスリランカの仏教者(アルボラナ・スマラナーサ)のセリフで、それは霊ではなく、仏教は心の科学(心理学)という意味なのだけど。

 

宗教と科学の関係をいろいろ論じていた。分類は面白い。で、私の立場は、霊は物質科学でとらえられる。倫理や道徳は、心理学か社会学の一ジャンルにしよう、というもの。霊は、電波で計測できるんだよ。すべてのものは波動(周波数)だからね。

 

ウィルバーは、霊に対する直接体験を重視するそうだ。で、体験というのは、科学で測定できるという。深い瞑想は特定の脳波があるという。だから、科学の領域で霊をとらえられると話をもってゆくのかと思ったら、違い、宗教と科学は全く無関係ではないと、彼は弱い主張をする。強い主張とは、宗教は科学で解明できるという言い方。

 

今なら、脳科学で、あらゆる感覚は、人が見たものは脳の視神経をどこかをとらえると、映像化できるはずだから、霊能者を見たものを映像にすればよい。それを検証しよう、という話になるのだけど、当時は、そこまでの発想がなかった。

 霊聴も、本人が聞いたのなら、脳がそれをどこかで聞いて、情報処理している。それをどうにか検出して、霊の声を取り出そう、という話になるのだ。今なら。

 そうやって、霊能者が見たものが本物の霊か、幻聴か幻視かを判別して、科学的に検証しようということになる。が、当時は思いつかなかった。

 

 当時は、ウィルバーの言うことも先進的だった。2019年の今なら、時代錯誤感が漂うが。

 

科学の説明はどうでもいい。

 

深い宗教とは? 個人の真実ではなく、社会的な事実を明らかにしている、という。で、彼は、

深い霊性とは『人間の高次の発達段階を対象とする広い科学』191頁という。広い科学とは、社会学や心理学のことだ。狭い科学がハードサイエンスで物理学、化学などをさす。

 

 深い霊性とは、要は、高い精神について述べている、ということ。で、『瞑想の科学とも呼ばれている』193項らしい。彼は瞑想好きで、高く発達した精神をことさら好む。

 

ただね。現代日本では、そういうのは宗教とは言わない。偉人の精神は。確かに、仏教者は求めている。が、日本で宗教というのは、霊や神など未知を扱うもの。天国や地獄とか。特に、無神論者はそこを問題にする。霊を科学的に明らかにしたら、信じてやるよ、という連中なのだ。彼らのこの宗教への期待に応えなくては、いつまでも彼らは宗教を認めることはない。

 

宗教で高い精神がいくら明らかにされようが、関係ない。ウィルバーは宗教の精神論を、心理学で明らかにすれば、科学者が宗教を理解する思っているようだが、そうはならない。

 

宗教の1面、とくに精神面、高い精神とは何かが心理学で解明されるに過ぎない。

だから、深い霊性(高い精神のことで、霊はあまり関係がない)を、本物の科学(心理学のことらしい)で、お互い自らを開くと(両者を比較して、心理学は宗教の高い精神を研究する)、合意に到達する(つまり同じ分野なので、心理学は高い精神とはなにかを明らかにできる)、という。204頁。

 

当たり前だよ。高い精神は、心理学が扱うことだから。現在の心理学は、まだ未熟なので、宗教の精神モデルをまだ範疇に入れてないだけ。

 

しかし、それだけでは、霊や神を科学がいつまでも発見できない。科学者や自由主義な人々は、宗教を認めないのだ。

 

というわけで、高い精神を心理学が解明しても、霊や神は解明されないままなのだ。

 

結論の204頁

『永遠の幸福に包まれながら、自らの本来の顔を発見し、ただ呆然と立ち尽くすのである。それはあなたの神聖なる魂であり、スピリットであり、…』

 

 というわけで、彼の提案では、霊は発見されないので、あの世も見つからず、『永遠の幸福』に与れない。『神聖な魂であり、スピリット』は、単に瞑想によって磨き高くなった自我(本人の精神)でしかない。ここの話では魂やスピリットは、霊や神のことではなく、単に瞑想によって高くなった意識なのだ。霊や神を自らの心の中に発見することはできないだろう。

 

彼の提案(瞑想の精神を心理学で明らかにせよ、)では、キリスト教を無神論者が認めることにはならない。だが、仏教の高い精神は心理学で解明することなので、それがなされるだろう。すると、仏教は科学の範疇になる。仏教は心理学の領域となり、無神論者も認めることになるだろう。仏教=瞑想による心の科学だから。

 

ウィルバーの提案はよって、西洋の宗教(霊や神を扱う)にとって、何の解決になっていない。が、仏教にとっては、違う結果となる。彼の提案は、瞑想の学問=仏教を心理学的に解明しよう、ということで、ウィルバーの言う通りにすれば、仏教の解明が進むことになるだろう。

 

 

 

 

彼は瞑想の研究者。瞑想を西洋の科学で解明しようとする。それは彼の本意だ。この章では、彼はそれを語っていた。結局、彼は自分の得意な分野に話をもっていきたがるのだ。

 

とはいえ、この章では、アメリカで無神論者がどういう振る舞いをしているか、無神論者はどういう哲学的背景をもってるか、自由の理念が宗教にどういう影響を与え、無神論者の信念となったかを、かいまみることができた。正確に語られていたら、もっとよかったのだが。

 

6/26 追記、もしくはウィルバーの考える規律とは、高度な精神、もしくは社会倫理を意味するはずだ。彼はキリスト教の規律を信じるほうなので。そうだとすると、彼は宗教の精神論や社会論を、分析しようと提案している。それを科学的に解明できたら、宗教のノウハウ(精神論、社会論)は人々に普及するだろう。それによって、今までのような宗教の優越は、なくなるだろう。

 

科学は貪欲に発展するが、宗教は止まっているからだ。

 

しかし、人々は宗教のそこに、目を向けても、やはり、霊や神が科学的に発見されないかぎり、宗教の価値は下がったままだろう。科学的に明らかにされないものは、文明で、科学の通用する世界では存在しないように扱われる。

 

 

 

2019年6月25日

 

飛蚊症の治すために日々、安静を心がける。右を見たり左を見たりすると、症状が出る。かなり深刻だ。それで、できるだけ横は見ないようにして過ごす。原因はもちろん、内視鏡で眼が刺されて、眼球が腫れていること。そのため、少し眼を動かすと、症状が出る。

 

2019年6月24日

 

『インテグラル理論』ケン・ウィルバー、加藤洋平監訳、門林奨訳

 

第3章 インテグラル理論とは何か の感想

 

統合的な第二層の段階

 これは何かというと、世界全体の平和を考えられる人で、なおかつ安直な反戦平和などソ連の工作員の影響を受けないで、正しく世界の秩序を守られるような人々のことをさすのだろう。

 正義を守るための戦いを知るような者たちを。アメリカでは共和党とか、タカ派をさす。彼がどこまで政治に詳しいかはこの本を読むだけではわからないが。

 そのような人物は、人口の1-2%と。あとは、民主党の自由主義かそれ未満の精神ということらしい。

 民主党の多くがなぜ、第二層に所属しないか。ウィルバーを悩ました安直な平等主義者、ポリティカルコレクトネスという思想警察、それを叫ぶ連中、グリーンの段階という人権や平等などを標語のように語る者たちは、民主党員やCNNだからだ。

 

現代のポリティカル・コレクトネスの問題は、「苺畑〜」に詳しい。

 

111頁 「発達、階層、超越、普遍はアカデミックな世界においては、もはや使うことが許されなかった。」

 確かに「超越」、「普遍」は心理学にあまりみかけない言葉だ。「超越的な真理」は確かに、よくない。が、「発達」は「発達心理」に残り、「階層」は社会の階層を分析するためには不可欠だ。日本では今なお許容される。アメリカの学界で拒絶される、というのは何かの勘違いでは? 実際にそうだとは思えない。もしそうならば深刻である。ここは私が実情を知らないのでなんともいえない。

 

万物の理論 

112頁「万物の理論」は、私はこれまで何かまったくわからなかった。が、この説明でやっとわかった。「各分野から様々な一般的合意事項を取り出し、それらを織り合わせたようなもの」。

 

単に、万物とは、人々が意識しているもの全体のようだ。彼はトランスパーソナル理論から出発している。意識を取り扱うのが得意だ。万物だから、すべてのものの性質を明らかにする類、科学をまとめたものと思っていた。が、単に、現在、人々が意識するもの全体、という意味だった。

 

なぜ万物の理論ならば、ポリティカルコネクトレスの批判をかわせるか?

 意識に浮かぶものは、すべて等しい価値で存在する、と反論できるからだ。特権的、優越的な地位にあるものはない、と。

 

彼は「階層」をどうしようかと悩んだが、あまりたいしたことではない。アメリカの反差別主義者が、ヒステリックに問題視するのは、「社会階層」のみだ。一般化する必要もない。アメリカの中で、国別の移民の数を発表することは、悪いことではない。

 

ホロンとは

 これも他の説明がわかりにくくてしょうがなかった。彼は、ホロンという言葉の発案者とは違って、単に、分子の世界、原子の世界と階層があって、分子は原子を含む、という意味で用いている。

 

彼のイメージする階層は、分子の世界、原子の世界、細胞の世界、臓器などの世界、生物の世界、というようなものだ。彼は理系なので、そういう分類が多い。そこでは、下の階層は上に含まれるとなる。

 おそらくこのイメージの基本は、星(惑星や恒星)、太陽系、星雲、銀河系、銀河団、… 宇宙。こういうミクロからマクロにいたる視点なのだ。より大きな分類では、小さな分類のものを含むという話。他のホロンの意味は用いていないようだ。

 

で、「入れ子状の階層構造」とか、変な呼び方が日本ではなされているが、こういうのは、確か、科学にもっと適切な言い方があったはずだ。私は今、思い出せないが。それを使って、会話すべきだ。

 

肝心なことは、この枠組を精神の発達段階にあてはめようとするのは、間違いなのだ。ここは重要である。マズローの段階説では、生理的欲求と知的欲求、社会的欲求は、質的に異なる。上の段階が下の段階の要素をもってはいない。他のピアジュの多くもそうなのだ。だから、ホロンという観点は、精神の発達論では使えない。

 

ただ彼は、

「発達の各段階は実際にはホロン階層をなしている」127頁とする。こう考えてしまうと、マズローやピアジュの発達論が例外になってしまうはずだが。

 

今回、彼の理論の基礎的な用語の意味がわかった。他の人が、正確に説明できないのは、問題であると思った。

 

彼は第二層の統合意識とは

 どうやら、単に、共和党がもっているような政治思想のことだ。世界を平和にするために必要に応じて、悪と戦い、秩序を維持しつつ、自由を基調にする。

 

 アメリカのベビーブーマー、日本では全共闘世代がなぜそこまで社会のことを理解するに至らないか? それがウィルバーの悩みだ。

 それは彼らが社会、国家を運営する能力が低い。そこに尽きる。しっかり、国家経営について教育すればすむ。これまで、日本では賢い人が保守的な思想にゆきつき、自然と気づくというのが今までだった。アメリカでは、その比率はもっと多い。これは自由主義、保守的な教育によって達成される。

 歪んだ平和主義を教えられたので、彼らは理解しないだけだ。そして、正しい教育は常に、資金力がある左翼などに妨害される。

 もう一点、正しい社会論、その教育ノウハウが不足しているのだ。誰にもわかりやすく社会のことを正しく教えること。一般的な社会理論が不足する。そこを開発するしかない。

 

 とベビーブーマー世代の病を治す方法は、今はそれだ。

 

 

 

2019年6月24日

 

体力をつけるため、今日は万博公園のエキスポシティまで、自転車で行ってきた。そこまで2時間かかった。今回は二度目で、しかもゆっくり行った。体力がついたようで、バテテない。

 

ただ、飛蚊症の影響で、あまり首を回せないので、人などをチェックすることはあまりできなかった。

 飛蚊症はまだ回復してない。結構、長い。毎日、安静にしているのに。激しい運動はできない。両目だ。下をむいたらいけない、というのは、確実だ。下を向いて、横を見るとうっすらと飛蚊症が出る。だいぶ減ったけど。まだ出るあたり慎重に行動しないといけない。

一点だけずっと見ていると、安全。なかなか不自由だ。

 

2019年6月23日

 

『インテグラル理論』ケン・ウィルバー、加藤洋平監訳、門林奨訳

 

第2章の感想

 アメリカのベビーブーマー世代が自己中心的、自己愛的と彼は分析した。その意味を明らかにしている。

 

自己中心的、自己愛的の

 発達心理では幼児の性格という。「発達とは自己中心性の減少である」69頁という発達の定義はおかしい。発達の側面の一つだ。発達の定義は、成長すること。能力があがることなど。

 反体制、反権力(79頁)が米ベビーブーマーの特徴の一つ。それも彼は分析する。反ベトナム運動は、平和、愛、相互尊重、高度な道徳・倫理感に基づくと主張していたが、活動者は自己中心的だった、という。

 左翼運動だからね。共産ソ連が資金提供していたような。アメリカでもそれは同じ。崇高な理想は、偽りではないが。

 

 理想を行動にうつすことにおいて、偽りがあった。共産主義は、平和や愛、相互尊重や道徳、倫理をすべてぶち壊す思想かつ体制である。よって、それには力で戦うしかなく、軍事的に対抗すべきだった。が、ベトナム運動は共産主義者の工作で、反戦活動が支配的になった。非暴力運動は、共産主義には無力だと、こういう大事な視点が欠けていた。

 

 お腹がすいている時に、屁理屈をつけて、食べないほうがよい、というようなことだ。死ぬ。そして、反戦運動の結果、ベトナムの自由は死んだ。その後、ベトナムはソ連に支配され、大規模な粛清が行われ、文化伝統、その担い手も処刑された。

 

ウィルバーはそういう政治面を語らずに、精神面で分析しようと試みる。やはり、わかりにくい。

 

次に、彼は、ベビブーマーの「多元主義、平等主義、多文化主義」などアメリカ左派リベラルについて述べているようだ。ここはアメリカ特有で、「私達がこの惑星を救済するだだろう」とまで増長する。

 

一部の平等主義は極端で、発達段階説まで否定しようとする、という。アメリカで彼はその手の反論にあったのだろう。通常は、能力差は厳然と存在する。成長度合いは、人毎に違う、と説明する。学者なら、それで十分とする。ウィルバーは市井の学者なので、うまく反論できてない。

 

グリーンの段階、というのは、ケン・ウィルバーの理論の中での語り口で、外部の人には伝わないので、もっとわかりやすく彼は一般的なもので、言うべきだった。

 

グリーンの段階として、彼が指摘している「反戦、戦争拒絶」はあれである。1970年代のヒッピーの思想だ。アメリカの民主党などの左派リベラルは軟弱だが、戦争で平和を保つという考え方がある。それよりも劣る平和を作るために、軍事力もち、世界の秩序を守る必要があるという当然のことをわからないほど愚かな者たちである。

 

日本の社会党系列と同等な幻想平和主義が、アメリカにもソ連の工作で出現した。そのあたりを、政治的な教育で、まっとうにしようというのではない。ウィルバーは、精神の問題として、考察する。

 

それで、平和主義とか、多元主義というのは、現在の民主党系の発想だ。差別はいけないという者たちだ。彼は、こういうのに辟易したようだ。彼はそれもまた問題視している。

 

彼は、アメリカ左派リベラルが、共和党のようなリベラルになれないのは、なぜか? と問うているかのようだ。

 

日本でも同じ問題はある。日本の左派リベラルは人権、差別禁止などを掲げるが、いつも方法論がひどい。目先の解決が大事で、そのために言論の自由を侵害する。

 

全体的にいえることは、彼は、アメリカのベビーブーマー世代を、詳しく描写してない。それで、何を論じているのかがわかりにくい。

 

 彼は、政治の意識の低さを、精神論の問題として、考察を試みた。しかし、わかりにくい。日本的にいえば、自由主義や人権など高潔な理想を追い求めようとするが、全てにおいて何か、規則を作り、禁止したがる者たち。規律委員会になりたがる者たちのことを論じている。

 

以上。

 

2019年6月23日

 

飛蚊症の症状が治らなくて

 右のほうを向いたら、飛蚊症になる。それで、まっすぐ前を見るだけ。首をまわして、やっと右が見えるという。朝から、目が張っていて、しかも、の縦に薄い白い濁りみたいなのが時々みえる。かなり睡眠中に目を刺された。右目にも飛蚊症が少し出ていた。昨日はなかったのに。目の内側が、刺されて腫れている。両方だ。かなり。両目の内側がやや痛むので、圧迫されているか、腫れているのがわかる。

 

頭もモヤモヤする。モヤモヤというのは、痛くはなくて、なんだかモヤモヤしている。皮膚が厚い人を触ったあとのような感じ。具体的には、頭の中が刺されて、その脳の外側の膜が刺されて、傷ついたことだと思う。

 

 

 

2019年6月22日

 

『インテグラル理論』ケンゥィルバー、加藤洋平監訳、門林奨訳

 

 この本は、『万物の理論』の新訳だそうだ。昔、6-10年前に旧訳を読んだよ。その時は、途中で挫折した。読んでも、特に学べるものがないと思ったので。私は普通、哲学書は最後まで読み切るが、買ったわけでなく、図書館で読んでいたので。

 今回は買ったので、最後まで読むぞ。私は無駄にしないのだ。

 

何が目的か? それは**君に会いに行こうと思った。**会が近々あるそうだ。買って読まないと話ができないだろ。それで無理したのだ。ほんと、これで金欠に陥るのは必定。

 

 密かな目的は、私は発達心理学をまとめる気にどうしてもならないのだ。で、ケン・ウィルバーの本を手元においたら、やる気が出てくると期待しているのだ。まだ、なんにも変化はないが。本だけでは、無理かもしれない。それで、会合に出たら、やる気が湧いてくるかもしれない。発達心理の先生なんかに出会って、運良く気が合えば。いないかな。

 

まずは、前文か挨拶、あとがきを読む。なるほど。同じようなものが2つか。似てますね。私の事情は、どうでもいいんだけどね。

 

 ケン・ウィルバーは、どちらかといえば、専門外の人なのだ。専門家とは学会に所属する人だ。彼は、だから、やや学術的にあいまいだ。それで、学会で理論を提案するのではなく、大衆に自分の説を信じさせようとする。

 

 私もそういう趣味の人なのだ。ちょうどよいのである。専門家は、細かいことにうるさいからね。視野が広い人でないと、その知識を覚えないと、会話できないというのもある。

 

 毎日、一章ずつ読むのだぞ。大変だ。しかも、体力をつけながら。休めないな。読書会にゆくまでに、一通り読まないと話にならないからな。

 

第一章の感想

 アメリカのベビーブーム世代について彼は、自己中心世代という。アメリカにそんな論があるようだ。解説がないので、不明。私は日本のベビーブーム世代はわかる。が、アメリカのはわからない。予備知識がないので、知らないまま。

 

自己愛と自己中心性が強いという。ウィルバーは彼らに読んでほしいようである。彼らを読者を想定した本のようだ。

 

 発達心理論を彼はたくさん調べ、『段階』があるという共通点を見出した。もったいぶった言い方だが、要はそれのみらしい。彼は発達心理論を擁護する。多くの研究の成果だと。

 

 彼はクリア・グレイブスの『スパイナル・ダイナミクス』を気に入った。螺旋状に人は成長するという古い発達心理モデルだ。一時流行ったやつだ。私は、特に優れたものでなかったと記憶している。それであまり詳しくは覚えてない。

 

 万物の理論は、すべてのことが記された理論という。彼は、画一的な理論はあまり好きではない。多様性がすべて学術的に整理されているのがよいようだ。生物の系図のように。

 

 螺旋理論の問題点?

 何だったかな。忘れた。欠点はあった。螺旋にする意味ないというものだったと思う。私はエリク・エリクソンのように、階段のように記すか。単に、時系列の年表みたいにするのでよいと思った。螺旋にすると、2次元平面(紙)に図をかけないだろ。複雑な絵になる。面倒だ。

 当時、DNAが流行って、自然は螺旋構造だという雰囲気だったのだ。が、螺旋にすることにはあまり意味はない。脳の中に螺旋はないからね。

 一つ利点はあって、螺旋モデルだと、前の段階の1-5に起きたことが、次の段階の1-5でどう起きるのか、比較しやすくなる。でも、これも段階を縦に並べるとすむ話。あまりたいした利点でもないか。

 

スパイラル・ダイナミクス

 彼は精神や社会を8段階にした。これは、国家や部族、人を分類するのに使うようだ。細かいことを書きたいが、時間がない。で、それぞれの価値観・信条は、他を理解しないという。お互いは、他の価値観を理解しないという。

 

 ウィルバーがなぜこの考えを気に入ったか。おそらくアメリカ南部の人を想像して、お互いのグループが違う思想の人をけっして理解しないこと。その現実をうまく説明していると思ったのだろう。南部は、進化論を否定したりするのもいるから。

 

 これを『多元的相対主義』というらしい。そうだっけ。またあとで、確認しよう。『学問の世界においては、こうした多元的相対主義こそが、支配的な立場になっている。』(65項)という。クリア・グレイブスの見解らしい。

 

 アメリカは科学を理解しない人々がまだ多いのかな。日本では、科学は共通の基盤で、価値観の違いでは、他人を説得できない。が、科学的な根拠や説明があると、多くは説得できる。

 

 イデオロギーや思想の違いで他人・他グループ・他国を説得できない。としても、科学界・学術界は、そんな非科学的なもの、主観に近いもの、価値観で、仮説の真偽が決まるわけではないだろう。科学は物理主義的な正しさがあればよいのだから。

 

 でも、アメリカのベビーブーマー世代はそうなのだろう。きっと。この多元主義(多くのグループが、他のグループの価値観を理解しないで、敵視したりすること)がベビーブーマー世代の問題と、ウイルバーは締めくくる。万物の理論になり得ないのだと。

 

 で、何が問題なわけ? 元凶であるスパイラル・ダイナミクスの理論そのもの? それともベビーブーマー世代?

 

2019年6月22日

 やっと本を買ったよ。あまりに高くて、これからは極貧の憂き目にあう。国保の分割も、月3000円は無理だから、月2000円に下げよう。それで一年払えばなんとか。国保の滞納を利息とるのはいけないな。払えなくて払えない極貧相手に。私は払うつもりがある。国保を支えるのは、私としては気分がいいからだ。金がなくて、払ってないたげ。それだのに、国はひどいね。誰の案だ。払えるやつが払わないのは、別の方法で圧力をかけるべきだ。大半は、払えなくて払えないやつのはずだ。

 

 あとで読もうっと。なぜか読む気がしない。読みたくて読む本とは少し違うかからだ。教科書みたいなもので、買わなくてはいけなくなって、買ったのだから。読む動機がまだないのだ。読む意欲が出ないのだ。

 

しかし、読むか。あーあ。いろいろあるわ。

 

 予知が当たったから、助けてくれるのは、愛ではないのだ。仕事への期待だ。予知が外れても、支えてくれるのが愛なのだ。ここは関係ないが書いておく。

 

2019年6月21日

 池田の駅前図書館が出来ていた。新しくて、臭気が残るが、まあよい。

 

地震予知はあと一歩まで来ている。6月はありえないミスが生じている。完璧に何者かによって止められている。それは霊だ。人にここまで妨害するのはできないのだ。確率的に。これが動き出さないことにはどうにもならない。その邪魔者を阻止できるほどの組織力があるにもかかわらず、誰もしない。これは、やっと離脱か。

 

法を書こう。

 

社会論について

 自由主義、正しい社会論。その目標によって、支援すべき政治は決まる。売国かどうかではなく、反共かどうか。容共は容赦なく切り捨てる。それによって、電波犯罪との闘いが長く生じた。

 

 これは大雑把にかいた。世界の諸問題について。

 

地球環境について 

 これは書くまでもなく、公害(大気汚染、放射能、海、河川などがないこと)をなくすこと。中国や韓国から飛んでくる大気汚染はPM25?は、出さないように。放射能は局地的で押さえこめる。が、CO2は世界的に温暖化の理由だ。石油や石炭、天然ガスの燃料を使うのを減らす。電気を増やすことを、目標とする。

 エネルギー問題が解決すると、次は、プラチチックなどの製品の汚染をなくす。ゴミを廃棄する技術を開発することが大事だ。ゴミには、放射能も含まれる。

 

医療について

 タイムマシンで未来の医術をとってきて、一挙に解決する案がある。

 

経済について

 機械化が進む。これは、私の哲学に譲る。欲求をもつのは、人だけである。

 個人個人が、十分な生活に必要なものが得られるようにする制度は、ベーシックインカムがある。組織は、個人単位とするものだ。

 特許は、保護しない。その利用の制限が発展を阻害する。が、技術の開発者には十分に、その才能を評価して、権限(資産利用の)を与えなくてはならない。

 

こんなことよりも、悪の宇宙人問題

 

悪の宇宙人の駆逐

 重要事案である。悪の宇宙人が、地球人と交信して、様々な邪悪なメッセージを伝える。道徳の破壊して、無駄な技術を提案する。人々の感情を悪化させて、共産主義を管理する。霊能者の多くに影響を与え、人々を堕落させる。

 

 古来、悪魔、ニセの神になりすまし、人々を陥れ、翻弄して、偽りを教えてきた。悪霊になるのは悪の宇宙人。また邪悪な思想のバックについて、麻薬のような成分を香がし、感情を煽り、人々誘導した。

 

 問題その1 精神病の原因である、人々の感情を悪化させ、不安を強いる

 怒り、妬み、不安などは悪の宇宙人が、引き起こす。そういうマイナス感情を誘発する装置を地球にばらまいている。不安の多くは、それによって生じる。不安症、PTSDなどの多くは、彼らが関わる。共産主義者に特有の冷静なようで、短気になるのは、彼らがそれを誘発している。多重人格で、人を支配する時もある。

 

 問題その2 霊や神、悪霊を演じる

 霊能者や直感のよい者たちと交信して、誘導する。霊能者には、神や霊となって現れ、様々な邪悪な思想を吹き込む。霊や神となって現れ、人を誘導する。彼らのやることは、

1, 神と敵対すること、正しい人物に敵対するように仕向ける。

2, 使えない技術を言う。彼らの技術で役に立つものはほとんどない。

3, 規律を低下させる。彼らに典型的なのは、道徳や倫理を低下させるような「精神論」を語ることだ。私には簡単に区別できる。

4, 悪霊となって脅し、怖がらせ、人を破滅させることもある。エクソシストが対決する悪霊を演じるのも、彼らだ。

 

 問題その3 イカサマの宗教を生み出す

 上のような目標を彼らはもっている。地球の社会を混乱させること。それが彼らの目的である。規律を低下させ、不安を助長させ、正しいことができないようにする。聖なる神以外を信仰する宗教団体は、たいていこの手のものだ。仏教は、ブッダが神や霊を語ってないと言っているので、除く。仏教は、基本、ブッダになることを目指す団体だ。

 こういう聖でない宗教団体が、地域に強い影響力をもつと、その地域の発展は阻害される。最初は、悪宇宙人と交信する霊能者が登場する。そして、大規模に霊言を発表する。そして、人が集まり、宗教団体となる。それは社会の発展の妨げとなるので、できるだけ早く解体するのが望ましい。

 

 

 

 これら悪の宇宙人の地球への不当な干渉に対しての闘い

 悪の宇宙人とは、犯罪組織だ。母星からはみ出た者たちだ。母星と連絡をとって、協力させて、彼らの地球内での悪行は、無効化する。

 どういう一団が、地球内で活動してきたか。積極的に情報を公開しよう。

 

 悪の宗教団体、教祖、霊能者

 教祖が、悪の宇宙人と交信して、言葉を受け取り、宗教団体を作った場合。それは、必要に応じて明らかにする。ほとんど存続しなくなったものについて、追い打ちをかけるように、それらを明らかにするのは、今のところ考えていない。それは、別の研究者やカルトに戸惑う国家がすればよい。

  私は、アカと闘い疲れた。自分のことをしたい。ので、すでに活性を失った宗教団体を退治することは、特にする気はない。私に挑んでくる団体については、しょうがないが、それに応戦する。また神に挑むものも同じ。すでに非活性となった団体は、私がどうこうするのではなく、社会がそれに対応する。

 

 悪の宇宙人と交信する一匹狼や小さなグループをすべてを名指しで非難するわけではない。我々に対して向かってきた者たち、神の権威を分捕ろうとする者たち、神を非難しようとする者がいたら、対応する。私は最善を尽くすが、好戦的ではない。

 

 大阪か奈良の山奥にいて、静かにもめごともないようにしたいのだ。こちらがやられなければ、動かないのである。

 

 悪の宇宙人コンタクティーには

 彼らが望むならば、そのワル宇宙人の情報をできるだけ詳細に教えよう。悪の宇宙人に愛想をつかすまで。つづくだろう。

 

 悪の宇宙人との交信で、心を狂わされた者に対する

 エクソシストが悪霊に支配された人を助ける。こういうのは、悪の宇宙人との交信中毒という症状だ。こちらにもノウハウがあるので、ある程度は対処できる。個別に、助ける。なにしろ、悪の宇宙人の犠牲者は、守るのが人類の努めだ。

 

悪の宇宙人を宇宙社会と協力して、追い出す。人類の気概である。

 

 

 

2019年6月19日

 

法を書こう。

 

精神論は道徳、精神の段階となる。

 

精神の段階とは

 仏教が菩薩、如来としたもの。天国の高い階層にゆくには、どういう精神にならなくてはいけないのか。

 人々の信条には内感覚主義、感覚主義、悟性主義、運動論派、理性内面法則、理性社会派相対主義、理性の空間感性派などがあることをつきとめた。

 この違いは発達心理の課題の理解度で決まる。3-4歳までに心の成長が止まると、内的感覚派となる。心の成長が止まるとは、自分が何を考えているかわからなくなることだ。自分の課題を見失うことだ。

 6-7歳で止まると感覚・快楽主義、8-9歳で悟性(認知)主義、12-13歳で運動規則派、15-16歳で理性-法則、18-19歳で理性-外制約社会、21-22歳で理性-空間感性となる。この信条は、一生もつ。死後にも段階をあげない限り変わらない。

 

 この信条をもつ人は、精神の成長が止まった年齢が高いほど、高度である。複雑な精神論を理解する。だから、高度な段階まで精神が進まないのは、仕方ない。賢くない人は低い段階で止まる。

 

各信条は、3-4世紀の思想、6-7世紀の思想、8-9世紀の思想、12-13世紀の思想に対応する。理性(内的・法則)は、デカルトの思想に似る。理性(外的・社会)は社会思想に似る。理性(空間・)は21世紀頃の精神に似る。

 

この信条で、精神の次元が決まる。なぜそういえるか。私は調べたのだ。天国の次元とそこに住む物の精神を。現在の結論はこうだ。

内感覚、感覚・快楽主義、悟性主義が5次元、運動規則主義が6次元、理性内的が7次元、理性外的が8次元、理性空間派が9次元、理性2次元派以上が10次元である。

 

瞑想と精神の向上

 瞑想で、どの段階の脳を感じ取れる。また個別に段階を感じ取り、鍛えることはできる。が、本人の精神の段階を上げることは、未知の力で遮られる(現在の考え)。よって、瞑想では、精神の段階はあがらない。

 

 瞑想では、どの段階でも感じ取れる。また脳を自在に動かす技能は身につけられる。透視、記憶の完全、幽体離脱などを身につけることはできる。

 

 瞑想で、どの段階も調べられる。発達心理はその年令にならないと、何がテーマかを感じ取ることはできない。が、瞑想では大雑把にそれを感じられる。

 

 瞑想でわかる段階について

 発達心理の段階は、人間の初期の段階を1とする。多くの人がそこにいる。上に30-60段階ある。私は爪、骨の段階にまで今あがったところだ。

 下にも多くの段階がある。下は、脊髄(チャクラはそこを)が7-9×4-6つ。その下に小脳か間脳などの段階がそれぞれ複数あり、多々ある。これらをすべて解明しなくてはならない。

 

瞑想の精神論(仏教)との差 以下はうまく書けてない

 

 仏教の階梯は、空の論が。これを私は理性の段階とする。空論は中身がない。が、理性とすると、デカルトからカント、ヘーゲルの思想をこの段階にあてはめることができる。

 なぜ理性か? デカルトは全てを捨て去った自己を規定した。感情、記憶、経験的なもの。それらを超えたものとして、数学的な自己を見出した。

 空は、感情や欲求などを超えたもので、何もないとされる。それは瞑想の眼で見て、そう感じ取れるものだ。デカルトの我あるが故に我ありと、同じ状態である。

 

 仏教でなぜ、デカルトの境地、その思想(理性)に届かなかったか?

  瞑想ではさらに深く、その段階を調査しなかったためだ。自己の中に何もない。仏教ではそこで探求が終わった。しかし、その精神状態が何かもっと探求すべきだった。

 共感するという技法がある。自分の心にある状態にする。それで、外の世界を見る。何かに共感する。その精神状態で特有のものがみえてくる。人ごとに世界観が違う。その精神にすると、強調して見えるものがある。

 

 外界を見る。その精神状態が共感するものがあるはずだ。それを調べると、空の精神をもっと解明できた。が、こういう箱庭療法に近いものは、仏教になかった。あったかもしれないが、主流にならなかった。

 

 おそらく、動物や人の中にある意志を感じ取ることができただろう。賢い自己を。理性的を。

 

 しかし、それが理性だと区別できるのは、理性を知る者に限られる。7次元以上の精神をもつ者に。近代の仏教に、それがいなかったのが残念である。ブッダの時代に、理性という概念がなかったのだ。

 

 よって、仏教では、空以上の段階は、瞑想という視点でしか解明されてない。発達心理でそれを解明することもできる。瞑想で高い精神にあがるというのは、より高い年齢の発達心理のテーマを見ることと同一だからだ。

 

 仏教との差 その2

 瞑想で探求した各段階の精神。それは、大雑把なものだった。瞑想では、人の脳のテーマを順に、解明できる。それは、発達心理と人類の思想としても明らかにできる。前5世紀の仏教は、当時にしては優れてよく解明していた。が、2500年も経過すると、より合理的に解明できるはずだ。

 科学的に。それら新しい理論は、より正しく、より正確だ。仏教の階梯論は、あいまいなものとなり、質が低いものとされる。しだいに新しいものに、代替されてゆく。仏教は衰退してゆく。

 

 仏教との差 その3

 瞑想では信条は変わらないで、段階を上げる。が、それは真にその段階に到達したとはいえない。その段階のテーマを自覚して、その段階の思想をもってないからだ。瞑想で、精神の段階は現在の技術ではあがらない。そういうことも明らかにした。

 

 仏教との差 その4

 もういい。

 

 他の段階論との差

 精神の段階は、本人がもつ信条で決まる。快楽志向、知識志向、理論志向、法則志向などなど。だが、瞑想で次元があがるとか、修行で上がるとか、修行の末に悟ったらあがるとか、神に寄与したら上がるとか、徳を磨いたらあがるとか、神に認められたら上がるとか、言う。それは間違いだ。

 これは、本人の信条の問題だ。信条そのものを変えなくてはいけない。それには、感受性から変えなくてはならない。動かない高次の神経を動かせるようにならなくてはいけない。他の方法では、段階が上がらない。

 また他の段階論では、各段階の精神が不明確だ。ほとんど明らかになっていない。それを信じろというのもどうかしている。そして、段階の間の関係性も。悟ったらあがる、修行したらあがる。それはほとんどわかっていないに等しい言い方だ。

 こちらの理論では、人を大きくタイプ別に分類している。これは世の中にいる人の精神をただ分類しただけなのだ。そして、どの精神がどの段階かを分ける。どの年齢の精神と似ているかも、明確だ。そして、まだ完成していないが、どの時代の精神と同じかも明らかにしている。やがて、その時代の思想も明らかにして、一致するか検証することになるだろう。

 

2019年6月19日

 

なかなか飛蚊症が治らない。視野を狭めて、しずかに生活しなくてはいけない。左目は今日も痛む。昨日より弱いが。目の奥なので、睡眠中に刺された症状だ。

 

ストーカーがTDaのモールで私の近くに座る。伏尾のアカらしい。なぜか伏尾のアカは、私の眼の前に姿を現して、5分以上も長く私の近くにいる。

 

いつものストーカーは、アカではなく、市民の共犯者らしい。髪の毛が長い婆さん、貧乏そうなサイクリング老人、浮浪者のふりをする沖縄県民風の丸い髪の毛の男などなどいる。最近、若いものはいなくなった。姿を見せない。

 

2019年6月18日

 

法を書こう

 

道徳について

 日本の道徳教育の徳目を参考にする。

 

 

2019年6月18日

 

 左目奥がかなり痛む。これは重症である。激しい運動はできない。回復するまで2-3週間は安静にしなくてはいけない。伏尾のアカが襲ってきた。音声送信は『彼らはばか』という。伏尾のアカは、他のアカにかなり憎まれた模様。

 

飛蚊症になったのも、伏尾のアカのせい。どうして、そんなのが残っていたのだろう。こちらの病状は深刻だ。運動もできない上に、目もキョロキョロできなくなった。まっすぐ見るだけ。目を動かさないで。

 

アロエを買ってきて、食べる。回復しなくては。

 

2019年6月17日

 

法を書こう。

法は大きく、一神教、精神、社会論の三つに分ける。

一神教は、神(人類の初期開発の担当者、その仕事)。

精神は、道徳、倫理、心理学など、質や基準など。

社会論は、現代の地球の課題と解決の方向。

 

精神とは

 総合的な精神論は、道徳である。倫理や哲学も精神の規定だ。哲学は基礎的な概念を扱う。倫理は、医者の倫理、公務員の倫理など応用的なものだ。道徳は、精神の体型である。

 

 その質

 現代の理論は、科学的でなくてはならない。それは実証可能なものだ。心理学のようなものでよい。理論のモデル、理論は厳密なほうがよい。道徳の理論は、全てにおいて検証、証拠を急ぐものではない。

 

 道徳の体系

 世界の道徳を含む。聖典のもの、日本のもの、仏教的なもの。そこから、精神の基本的なものをとりだす。すると、正しい、生きる、欲求、信じる、素直、喜びなどの項目となる。日本の道徳教育が、よくまとめられているので、それをとりいれる。

 

 道徳の特徴

 愛は、好きと育てるという2つの概念が混ざる。未分化の概念だ。好きの最上級の愛を第一の意味とする。その他の育てる、与えるは、別の徳目で扱う。信義は、信じると義の2つの意味だ。これも分けて扱う。正義は、社会正義となる。

 私が基本と思うのは、生きる、成長か、欲求、正しさ、信じるというものとなる。これら徳目は、個別の能力とする。一つが優れ、他がほどほど、劣ることはある。

 

 発達心理

 精神の段階は、発達心理の理解度によって定まる。精神の段階とは、仏教の阿修羅、菩薩、如来、大日如来などの精神の段階だ。霊界の次元もこれで定まる。

 精神は、9-10歳以下の段階で止まると、5次元。12-13歳の段階で止まると6次元、15-16歳の段階では7次元、18-19歳で8次元、21-22歳で9次元、25-26歳以上で10次元にあがる。

 5次元は内感覚、外感覚、知性(認知、概念形成)をテーマとする。6次元は運動や運動規則、7次元は理性、8次元は社会、9次元は空間、10次元は2次元などである。

 発達心理は、年齢ごとのテーマだ。それも日々変わる。できるだけ自覚するようにする。現在、49歳まではおよそ解明した。その後もつきとめる。

 

 仏教の位置づけ

  この発達心理の理論は、仏教の代替とする。仏教は瞑想の学問。瞑想は、脳の命令の経路を探求することであるが、それで明らかになるのは発達心理だ。瞑想は、他にもいくつかの人の可能性を見出すことができる。脳科学でさらに明らかになる。

 

 現代の精神

 各国の民族の精神は、ある程度、研究される。国家規模(人口、国土)と精神に関係はある。島国と精神にも。

 

社会的精神

 人権は制度であって、精神ではない。外的な規律は、精神論というよりも、社会的規制の精神への影響だ。

 

2019年6月17日

 

 ひどく目がやられて、しばらく運動もできない。安静にしなくては。

 

 法を書こう

国内政治は大雑把に記した。さてと、次は何か?

 

 社会論だ。大雑把に記そう。

 18-20世紀までのテーマが社会制度改革だ。ヘーゲルより後は、個人の完成(神の叡智の獲得)を目指さない。自分をとりまく環境が、自分に与える影響、特に社会を扱った。社会的な制約を極力なくす自由。同時に、社会の発展のために最適な制度は何かを追求した。

 

 前半は社会理論の時代だ。後半は1930年から実践で、社会制度作りだった。そして、21世紀になり、とうとう社会制度は完成する。それは理論上ではあるが。

 

 自由を守る国家だ。最も発展する国家は何か、ということで、個人の自由を高め、創造性をあげることが、国家の最大の発展につながる。国家が統制して、個人の自由を制限するほどに、国は成長しなくなることが、実証された。そういう制度が今もなお模索される。

 

 民主主義、三権分立、人権、自由、平等な扱いそういう制度が確立した。軍事力の保持も判明した。現在わかったことは、共産主義は破壊の思想で、犯罪者の理論であること。自由主義が正しいこと。社会主義は、生産には適さないこと。優れた国家が豊かさを享受すること。資本主義は正しかったことだ。独裁は劣ることだ。

 

 などなどだ。社会論は、もう終わる。

 

 次のテーマは、空間である。人は空間の影響を受ける。どんな影響を受けるのか。人間の活動が最大になる空間とは何か? それを模索してゆくことになる。

 まず、公害が明らかになった。様々な公害がある。原爆ではっきりしたが、放射能汚染。これは毒物に入る。次に大気汚染。排ガスが多く空気が淀むことは不健康だ。化学汚染で河川、海の汚染だ。ヘドロがひどかった時期がある。そして、電気の異常は、最近よく語られ、太陽風による電磁場の異常、有害電磁波である。電波の汚染はこれから問われるだろう。

 

 また地球の大気を壊すものとして、過度な二酸化炭素による温暖化も大事だ。これは大気汚染の広域なものだ。オゾンホールの消失が問題となるなんとかガスもある。

 

 このように人類の生存環境が問われつつある。新しい問題が生じる時は、必ずそれによって、生存の危機が高まる。そして、生きるために何をすべきかが模索される。それが新しい時代のはじまりを告げる。

 

 これらが次なる人類のテーマだ。人は空間をどうするか?

 

 これに対する答えとしては、毒物、生存を脅かす公害を急いで、取り除くことだ。海洋・河川、大気、土壌の汚染、電磁波、放射能、CO2(高温と冷温)などなど。

 

 ユートピアが来たら、人類は精神を高めなくてはならない?

 その発想は、間違いである。人類は精神を高めて、ユートピアを作る。まずはデカルトからカント、ヘーゲルが理性の理論を確立した。それから、社会思想の時代となった。

 ヘーゲルの時代は皆が、神の叡智をもつ人間になるべく、人格の完成を目指したのだ。知識人はこぞって。それを忘れてはいけない。

 

 現在の社会で、現代人の精神性が低いのは、これまでの人類の歴史と人々が作り上げた学問を十分に学ばないで、必要な教養、精神性を得てないからだ。共産主義がはびこったために、意図的に精神性が落とされた面もある。

 

 もっとも肝心なのは、理性の時代に、合理的な考え方を学び、科学(実証主義)が確立した。が、そちらは社会の共通理解になった。が、残念ながら、人類は理性を理解しなかったのだ。科学は発達した。が、理性は、心理学で細々とゆっくりと研究が行われたが、その面では飛躍的に進歩しなかったのだ。

 

 理性を人々が理解しないのは、理性は15-16歳までの発達課題を理解した人しか、習得できないという面もある。いや、前段階のものなので、見劣りしたというのもある。一つ前の段階のものは、次の段階では評価が著しく下がる、という傾向はある。前の段階を超えて克服して、次の段階にきているから。それで、社会をテーマとする時は、個人の完成(理性)は評価されにくいのだ。

 

 段階が2つ進むと、そういうものは見直される。精神性や理性的な態度はこれから見直されるだろう。それは、社会改革の時代にあまりに、精神が粗野だったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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