日記 2019年1月16日〜 *月**日

2018年2月24日

 

ケン・ウィルバーの理論の問題点

 そもそも『統合』は目指しているが、彼のしたいのはある種の統合であって、理論の統合を全般的にしたいわけではない。

 

 メタアプローチ? 細部はいい加減でいい? そこだ。たいてい理論を統合する時は、細部が噛み合わないなどあるから、失敗とされる。細部が捨象されてゆくと、大雑把なものとなり、統合する意欲はあるが、できていないという状況に陥る。統合する時は、新たに統一原理があってなされる。それがみつかっていないのに、無理やり2つを1つに合わせているという状況に陥っていないか。統一原理の欠如では、統合できないのだ。統合に関する研究が不十分では?

 

 象限の分類。これは経営学などで用いられて、大雑把に分類する時に使う。経営や分類には、ある意味、便利だが、科学的にはあいまいなものとされる。つまり、その表自体は科学ではない。

 

 もっとも肝心な問題は、彼は欲求の段階論のように、発達論を段階的に並べたい、というのが最初にあったはずだ。

 

 どうやって、それを並べるのか? そこが彼の解けなかった謎なのだ。つまり、統合させるのか? そこからきている。それ以外の統合は、彼のもとでは、重要視されないはずなのだ。

 

 またウィルバーの見解には、まったく役立たないものがある。瞑想と霊とが結びつく話とか、その他にも、アニミズムなどの解説などいろいろ。そういうあまたのガラクタのような見解。それを調べ、列挙して、学問的なものから、取り除かなくてはならない。

 

 誤った仮説は消してゆくこと。それで、彼の理論はより明確になる。そういう玉石混合のまま学問的に発展させることはできない。彼の思想体系として、そのまま保持することは、できる。が、学問としての発展させる時には、そういう法則にあらざるもの、見解の誤りは、消えてゆくものであり、そうしなくてはならない。

 

 すると、残るものがある。それが弟子が受け継いでゆくものである。思想家はたくさんのアイデアを出す。が、その中で理論として通用するものは、ほんの一部なのだ。科学者の場合は、論文として世に認められたものが彼の理論として残るのみだ。数学者も多数のアイデアを出す。それを理論にしようと挑戦するが、自ら立証できないものは、アイデア倒れで捨てられる。ウィルバーの数学者や科学者ではないから、自らの検証が十分にできてない。実証実験がなされてない。そこが問題だ。彼は自ら、アイデアで正しいものだけを選別することが必要である。

 

 ざっと軽く思いつくものだけで、こんなにある。私には、彼の特筆すべき功績は、統合にあるのではないと思っている。彼は、成長理論を並べて、統合しようと試みた点での先駆者なのだ。彼の価値はそこにある。他にあるようにみえないのだ。

 

 成長論を統一的に論じる枠組みを探すことが大事だと思える。その答えは、発達心理にあり、段階的な成長ということだと思うのである。

 

 もう一つ、発達心理は、実はある意味、どの段階も似たような、心理的な手続き(特定のプログラムを踏む)。それを明らかにすることだ。しかし、これに気づいたのは、現時点の私なので、彼にはできないだろう。

 

 

 これは耳の段階も、空間の段階も、同じ心理プロセスがあったこと。その共通点から、思いついたことなのだ。精神のプログラムは、異なる段階でも、基礎的な心理プロセス(形式)は共通するはずなのだ。段階ごとに、取り扱う内容が異なるとしても。

 

技能の成長は、個別に行われる。共通する成長の過程は、しらべあげることができる。それをつきとめることは難しくないはずだ。彼には重要なはずだ。

 

 

 

 2018年2月24日

 

400年後の我々 さてといい年をしたブラジル人サッカー選手を私が育てていたのかどうか。

 

発達心理 9次元+n日

 これまでの続きで、空間を感じられる。これはよくわからないが、通信の回路として空間場、道路の壁などは、なくすという心の動きがにあるはず。それなりに感じられる。まだまだ続くのかどうかは不明。

 

2018年2月23日

 390年後の我々 インドネシアのはどうかな? 次のが始まっているような気もする。

 

発達心理 9次元+n日

 続きである。視野が変わるもので、感覚、悟性、理性まできて、今日は社会性だ。現在は、視野の左右は、通信は空間的に、各自がもつ。前後は、同じように各自が通信をしている状態にみえる。個体から放射状に何か通信線が伸びているようにみえる。自分からもすこし。

 

道路の側壁のようなものは、見えなくなった。そういう『個別の通信器具』が等身大に大きくみえることはなくなった。そういうものが撤去されている。

 

2018年2月22日

その時は、日々近づいてゆく。私が、貧乏に閉じ込められたその檻から脱するのが。

 

最近、習い事が多くて。自分の時間がもてはしない。散歩を長くとりすぎると、考えられない。散歩中に考えたらよいだけと。

 

新自由主義について新たな見解

 新自由主義は、冷戦後に本格的に。小集団制の時期のことだ。官僚体制が崩壊して、組織内の専門家が、たくさん抜けた。巨大組織が、分社化して小さくなったのが、1992年からの動き。その時に、多くの余剰人員が放出された。

 

 これが基本。新自由主義が、労働者の職場を奪ったという見方が、日本ではあるが、それは共産主義関係者の言い分である。硬直して、もはやつぶれかけ間際の官僚機構(国家や企業にもみられた)を解体したのが、新自由主義のもっともたいせつな意義である。

 

 最近の反論として、労働者の生活が苦しくなったから、あるムーブメントが悪い、というのが目立つ。それは、社会の発展を正しくみてないのだ。かなり全共闘よりの発想で、そんなのに同調するのは、社会システムの肝心なことがみえてない。

 

 例えば、「アベノミクスで企業が高い利益を溜めた。」ことが、悪いかのような言い草がある。結果、労働者に回るはずの給与が回ってない、という主張なのだ。が、企業が利益をあげるとは、好景気のことだ。それがよいに決まってるだろ。企業が高い利益をあげたことが、悪いことのように言うのが、最近の経済に疎い左翼にいて、困る。そこまでわからなくなったのか?

 

 企業の利益をあげることはよい。それを労働者に還元するかしないかは、国が決められることではない。その企業がブラックかホワイトかどうかで決まる。高い利益を賃金に回さないことをアベノミクスの責任するのは、まったく的外れもよいところだ。

 

 正しく言うと、アベノミクスでは賃金をあげろと企業に要請しているので、アベノミクスは、逆のことをしている。つまり、アベノミクスのせいで企業が利益を賃金に回さないというのは、はっきりと誤りだ。

 

悪いのは、利益を社員に回さない一部のブラックな企業なのである。文句を言うならば、そこに言おう。国に言うのはおかど違いも甚だしい。

 

 社会全体として、賃金の水準が減ったのかどうか? これは減ってないというのが正しい。というのは、非正規など給料が低い労働者が昨今、急に増えた。そのせいで、全体で平均給与が上がりにくくなった。平均給与が上がらなくなったのは、そういう理屈だ。

 

 企業が機械に仕事をさせて、利益は出るが、労働者に給与として払わないから、というのではないようだ。その面は、まだ大きくないのかもしれない。はっきりと統計で確認しないといえないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年2月22日

 

私は内発的動機づけの欠如が、各方面にみられる あきらめが多い。チェックしてみよう。これら学習の要領が悪いか。

 

発達心理134項から

 

遺伝的なもの

保存の概念(量を推測できる)は7歳。3歳は見た目 136項

7-11歳は具体的操作期 ピアジュ 136項

自己中心性が弱まる  137項

インヘルダーの実験 (様々な観点を身につける) 138項

友達の年齢とともに変化 150項

子供が群れる 8-11歳で親友、11-12歳で群れギャングエイジ 152項

 

経験的なもの

6歳から学校生活 134項

小1プロブレム 135項

IQ

親のやる気 140項

達成動機 141項

学習意欲--外発的動機づけ、内発的動機づけ、自己制御学習、自己強化 142項

記憶 144項

劣等感 自尊感情 146項

シェイピング 146項

友達と、代理強化151項

 

 

2018年2月22日

 

2/21は、9次元+?日で、5段階のあれ、前の段階のシステムを取り除く認識を得るもので、通信の「力学」面を除去する。それは、運動で、道の柵とかは邪魔で取り除くような感じとなる。通信の道具(コードや道路)の空間で、無用なものを取り除く。この段階では、力で邪魔なものを取り除く。それは、「反抗」にみえるかもしれない。

 

今日は9次元+?日で、理性的な認識だ。通信の道具(コードや道路)の枠組みなどの構造--設計図を取り除く。理性的な認識で、通信の面で、不要なものを取り除く。電波による通信が是とされる。電気コードを用いた通信や、地上の道路が悪いとされる。その面での理性的な認識を解体する。

 

2018年2月19日

 

作曲をしているが。コードの練習。いっこうに曲ができない。発達心理のほうもできない。地震予知も、停滞。大阪にも行けない。なにも進まない毎日だ。

 

そうそう。瞑想だけが進歩した。進歩したわりに、新しい能力は身につかない。

 

音楽の演奏のイメージを考えてる。

 私はハウスの中で演奏しているのをあまり見たことがない上に、狭い暗い場所でいい演奏をきいた覚えがないので、想像できないのだ。

 照明を消して、暗いのはそもそも私は耐えられない。明るい野外なんかが、いいのだ。市民会館もよいのだ。

 

 それと、ノリ。観客とのるのが、思いつかないのだ。曲が。なぜか? 私はノリがよい曲というのを知らない。私でも、曲に合わせて、踊ることはできる。メガネかけると苦手だ。

 

 で、ノリがいい曲なんてものを知らない。まったく知らない。ディスコ行ってないから。それで、作る曲は、まぁ決まったのだ。感動するものだ。聞いてすごいな、思うやつ。

 

 圧倒的なメロディを、聴衆は聞いておけ、というやつ。同調して、それに合わせて運動できる余裕(ノリがいいこと)なんて、あるわけない。名曲はそうでないかな?

 

 私はピアノ系だから。ピアノの名曲は、そんな一緒に踊るなんてことはできないわけ。すばらしいと聞き惚れることくらいしか。私はそういう曲は、観客の反応もわかる。

 

 観客が踊れる曲? なんじゃそれ。観客と一緒に歌う曲? 歌手が歌うんでないの? わからないことを要求された。もち、私の腕でどんな曲でも、難なく作れなくてはいけないのだけど…

 

 ダンスをつける? ダンスは音楽の演奏にとって、何の意味があるの? またまたわからないことを。しかし、アイドルが振り付けをするのは、わかる。あれは、何か踊っている。

 

アイススケートの曲もわかる。アイススーケートの演舞のイメージにあう曲なのだ。

 

しかし、そういう運動にあう曲は、ジャンルが狭くないかい? 激しくても体がその速さについてこれないし、体の動きに合わないメロディも外さなくてはいけないし。最近の流行歌は、制限が多いなあ。しかし、それも私にかかれば問題なし。

 

 私はわかったのだ。どんなしょぼいものを音にしても、必ず名曲にはなると。すごいイメージだけが名曲になるわけではない、と。生命誕生とか、神とか、黙示録とか。そこいらで、人がこけた、というなんだかなあ、と思うテーマでも名曲にはなるのだ。それなりに。

 

2018年2月19日

 

330年後の我々

 私はインドネシアのバリあたりにいたようだ。彼は音楽家なのだ。私より幸せな人生を送るだろう。

 

2018年2月19日

 

今日もおかしなこと。9次元+40日。昨日と似た感じ。第二なので、悟性においてそうなった。まずは横に広がり、無限に広がる。すると、前回は壁などが気になった。今回は、特になかった。縦にも無限に広がる。今回は、『文字』、『看板』がじゃまにみえた。空間の中において、通信における標識、文字は不要だと。

 

昨日は、通信のための枠、外壁、フェンスが不要に思えた。今日は、標識、まちなかの文字が不要だった。拒絶するものが、出てきた。

 

わかった。耳の段階でも、横や縦に認識する場が無限に広がる体験。それの『空間バージョン』。これは5段階あるはず。明日は、運動で、明後日は、理性で、その次は社会、そして空間になるのかな。

 

ブッダについて判明する。彼は、私と同じように、『9次元+n日』の段階にあがった人物だ。瞑想していて、本人の段階。そこからいろいろ前後の脳内を見渡したのだろう。それで、上がったのだ。

 

 なぜ『9次元+n日』といえるのか?

 ヘーゲルである。ヘーゲルは8次元だ。が、彼の雰囲気は、ふつうの9次元の子とは異なり、わりとごつごつしていた。様々なものを認識していた。ふつうの9次元の子は理論的に素直に感じ取る。が、彼のはそうではない。あのごつごつ感は、今私が感じているもの、つまり『9次元+39日以上』のごつごつなのだ。通信設備の認識が、空間に拡張されたような感じ。彼の雰囲気は、彼の守護霊によって生み出された。ヘーゲルはブッダの子とされる。ブッダがそこまで上がっていたことだ。ブッダが生きている時に、それを達成したから、それが雰囲気として強く残ったと思う。

 

 私が『9次元+n日』の先駆者と思っていたが、ブッダが先にそうなっていた。これで、一つわかったこと。この9次元+n日の部分。ふつうの九次元より進んだ部分は、死後も残されるということだ。

 

 

2018年2月18日

 首都直下の震災が間近に迫っているのに、知っていて私以外に誰もそれを口にするものなし。それもよし。

 

2018年2月18日

 

今日はすごいぞ。なんだか9次元霊のような黄色いパワフルな感じが、私を覆う。9次元+39日。9次元霊の黄色い感じをもつ。それと、横に分裂した外の私のような存在。それが、横に増えてゆき、目前に、テープが右橋から左端まで、張られるように広がる。これは、耳の段階でも体験したやつだ。

 

横に広がり、どんどん広がる。すると、道路の壁、柵など通信路、通路を隔てるものが邪魔にみえた。3時ころに。さらに盾にも広がった。これは看板など通信用の器物が、邪魔にみえた。家の壁はそうは思わない。どんどん縦に広がった。

 

通信の器物という社会の段階における道具、その壁が、邪魔なのだ。空間の段階では、放射状に影響が及ぶ。が、通信では、道路に柵をつけるように、コードにゴム幕をつけるようなものとなる。あらゆる通信用のわざとらしい人工物が、邪魔にみえてくる。これはこれまで強く感じなかった新しい感覚だ。

 

そして、4-5時には、高く上にあがる前には、平面において、空間的な感覚をもつことになった。舌、皮膚(暑さ、寒さ、痛み)、目、耳などの順に。こうやって、平面空間における感覚を得ることができた。

 

感覚→悟性→運動→理性→社会性→

 

とこれから毎日同じことが続くはずだ。今は、空間の感覚、その中にいるような感じ。うまく表現できてない。

 

2018年2月16日

 

ケンウィルバーの研究者と交流をはじめた。それで、ケンが何を書いていたか、調べ始めた。どうもね。瞑想とか、まぜこぜだ。いろんなものを混ぜている。もっと厳密に、類、種差を分類しなくては。統合、すなわち、類として、集合にいれることだ。が、その分類法ができてないことに気づく。

 

いくつかある。専門分野は、産業別というように、専門分野として分ける方法。もう一つは、事業として、分類する方法。これは材料は、製品別にまとめられる。他には、形状みたいなものでわける方法で、生物の系統図。物理学のように各種の理論を分類する方法。

 

 会社では、財務、法律、技術、営業、事務・通信、流通などでわける。本当は、統合というのは、これらの別の職を一つにあわせることなのだ。1992年から流行したのは。専門組織は、小集団組織へと変わった。技能は、多能工化して、マルチとなった。そして、それら技能を一つに併せ持つ人間が登場したのが、個人主義の始まり。個人事業者は、それらをすべて一人でしなくてはならない。各種の専門技能は、個人に統合された。

 

こういうのが、時代が要求した「統合」の社会思想上の位置づけだ。こういうのを考えるのは、私くらい。

 

 もう一つの流れがある。フロイトにはじまる心理学だ。なぜ心理学なのか? 心理学は理性(心)の判断について、扱う。理性とは、ヘーゲルが最終の研究者だった。そこから途絶えていたが、心理学で、再び、学問として認められる。理性というものを科学的に実証可能な学問としたのが、心理学だ。

 

 心理学者にはマズローとか、アドラー、ユングとかいるけども、そういう流れの一つに、ケンウィルバーがいる。彼はトランスパーソナル心理学で、やっと論文が認められたのだ。それ以外は、今やアメリカでは学問的な顔をしているが、学問と本当に認められているかは、私には疑わしい。

 

なぜなら、学問は対象がなくてはならない。彼の研究対象は、瞑想と、発達心理だ。それと宗教である。

 

が、彼の統合理論というのは、社会学におけるある種の「観点」を提供しただけ。経営学では、その大雑把な分析法は、いちおう理論や手法として受け入れられる。マトリックスの分析法とか。しかし、社会学そのものが、あいまいで法則からは遠いものもあるので、そこは、厳密な科学と言われてみたら、そうではない、といえる。科学からすると、仮説程度の代物だ。

 

というわけで、私からみると、どうして、彼の理論が学問として受け入れられているのか、そこがわからないのである。

 

 彼は、発達心理学の研究者の一人としてみてみると、ちゃんとそこに収まるのだ。科学的なものになる。霊や瞑想など、発達心理のはずれみたいなところの分野も多いとしても。なにしろ、発達心理については、どの研究者も厳密な分類、段階の説明などできないからだ。

 

私は彼は、こちらで認められるべきなのだ。統合は、違うのだ。

 

発達心理の問題としては

部分的な研究をしているものは、それ科学的な質を確保できている。が、生涯発達とか、青年期や、成人以降の段階については、とてもじゃないが学問の体裁はない。大雑把なその年代の体験を、課題として認定しているのが大半。それをあいまいに分析したものが、いまだにまかり通っている。あんなのは、私からすると間違いだらけだ。

 

しかし、それでも、現在は、許容されている。そういう質のものを、ウィルバーはかいている。が、ウィルバーの意義は発達心理こそにあると思うのだ。

 

 私がいろいろな区分法(課題の条件)を教えて上げれば、それらその年代に体験することを、そのままその年代のテーマとするのが、正しいかどうかは、ひと目で本人もわかるのだけど。それはまた今度にしよう。

 

それ以外のもの、統合理論か学問として評価されることが、私にはよくわからない。彼は本を世界に向けて発表している。私は、それが学問でないからとみている。読み物、仮説としては、新しい見地で人々に問うと思ってきた。大衆に受け入れられるのは、まぁよい。思想家はみなそんなものだ。

 

だから、彼は思想家として、哲学、思想、社会学、経営学みたいなところで、評価されるならば、話がわかる。

 

 他にも、官僚経験者が、日本でも、大学の政治学で教鞭をとれる。彼も、そういう思想作家としての実績があるから、大学で教えられるのだ。そうか。彼の思想が、学問として受け入れられたのは、思想としてなのだろう。きっと。

 

思想というのは、ハイデガーのように、デタラメっぽいのでも、何か新しければよい。時代に合わせて、存在の意味を再定義する。そういうのは、学問的には不明瞭なものだ。科学ではないのだ。が、思想としてなら、許容される。ゲンダイ思想は、みんなそんなよくわからないものだ。

 

ケンのも思想としてみるならば、それなりに評価されるのだろう。社会学のいち分野として。

 

が、厳密なものが要求される学問の世界では、どんどん彼の主張は非難され、誤りは否定されてゆく。すると、残るものは少ない。とうてい長く理論として残らないのではないかと、私には思えるのだ。

 

とはいえ、ハイデガーが長く残ったのだぞ。ケンのほうがよほど明確だ。だから、一定期間は続くのもおかしくないぞ。

 

単なる「メタアプローチ」の一つらしいし。それも私には、有用、実用的とはあまり思えないのだが。そうなのだ。私は、ケンの意義は、そこにないと思うのだが。統合を大きく今は出しているが、彼のおおくの仮説の一つだ。彼の値打ちは、発達心理にこそあるのだ。きっと。

 

だから、私はあまりそちらには関心がないのだ。彼が、発達心理に興味があり、理論を作った。そここそが、彼の最も重要な面と私は思う。発達心理理論の萌芽、その前に活躍した思想家として。

 

というわけで、言葉足らずの説明。山登りで疲れたから。

 

 

2018年2月16日

 

なぜか。霊仙山に登ってくる。山は雲がかかり、明るいが、雪が積もる。それで9合目まではいけたが、風が強くなり、道がわからなくなったので、すばやく引き返した。雪道をまよった時に、耐えられる装備でないから、君子危うきに近寄らず。さっと引き返してきた。あともうう少しで頂上だったけど、まぁ楽しかったからよし。帰ってからも、楽なので、よし。

 

発達心理は9次元+37日のはず。外の物体が、木などは私のように擬人的にみえる。それが3体ほど同時に感じられる。

 

2018年2月15日

 

今日は、交通事故の日。また祟る連中が追突してくる。

 

発達段階は9次元+36日か。昨日は、外の自分のようなものが2つ登場した。今日は3つめがみえる。

 

2018年2月13日

 

発達段階が瞑想で、進むとわかる。それで、脳神経は瞑想で開拓できることの自信がつく。それで、透視や霊聴などの経路を開拓している。が、さほど見えないし、聞こえない。

 

聞こえる部分はなんとかしなくては。もう少しで聞こえるはずなのに。

 

2018年2月13日

 今日の段階 外に私と同じようなのが一人ではなく、それが外にふくらみつつある。その一人は、無数と通信する。それは化学物質のそれもある。場なのだ。外の自分のような物体がある。それがふくらむ感じとは、力学的な広がりがあるということか。

 

 34日めに止まっているのではないかもしれないと、考える。少しずつ進むのか? それとも、最初だけ強烈な自覚があり、くっきりとみえるだけなのかも。毎日、少しずつ進むなら(止まりやすい地点以外は、何もしなくても進むという理論)、特別な瞑想をしなくてよいかも。

 

瞑想とは脳の経路を意識的に進むこと。

 

270年後の私はバリではなく、インドネシアのどこかで、緑色の嫁といる。

 

2018年2月12日

 

ある次元でも、その次元内で、段階をあげる話

 だいたい1次元で、三年分のテーマがある。天国の霊は、9次元の半ばとか、9次元の後半とか、9次元の前半と分かれている。明確に、段階ごとに、細かいテーマが異なり、志向性も変わる。

 

 聞いた話では、宇宙人は、その次元内でも、段階をあげるそうだ。私の試みは地球では専門的にそれを行ったのは初かもしれない。が、他の星では、よくやるそうだ。

 

 上の次元に上がるのは、通常は無理らしい。が、上の次元に近いところまで、できるだけ下まではあげておくらしい。これらはいずれ調査したい。

 

 次元の段階をあげると何が得か?

 あまり変わらないと思うのだ。私の場合は、上のほうがよいという信仰に近いものがあるので、できるなら行う。

 

 現時点感じたことは?

 哲学、信条が変わるはずなのだ。本人の哲学はどのようにして、形成されるのか。それは見え方や気分からくるのか、感じ方からくるのか。それを明らかにすることができる。また、段階内では、どのように心情がかわるのか。段階内の信条の変化を記録しておく。発達心理の研究に役立つはずだ。

 

 というわけで、時間をかけて行う。また、人があげたものは、天国で予定次元の最初の段階からやり直すのか、それも気にかかることだ。

 

 

 

2018年2月12日

 

最近の瞑想

 9次元の段階でより上のほうに上るもの。

 

 瞑想して、上と右と左と下で行う。次の段階までの経路を瞑想で、なぞる(通る)。上のラインとは。意識のラインがある。その領域よりも上、外側のあたりだ。意識のラインは、筒状になっている。中心に、瞑想で通るラインがある。発達心理も、発達時に、真ん中あたりを意識して、通るとする。

 

 その意識の通り道は、筒状になっている。中心に、基本とするラインがある。そこより、上というのは上の外側とする。中心と上の真ん中のライン。中心よりやや外側のラインとする。それらを意識する。

 

まず上の外側のラインを意識でとおる。外側と基準ラインの真ん中のあたりを通る。さらに基準となるラインの少し上も通る。この3つがあるとする。

それを、上、下、右、左と行う。うまくいかないときは、斜め右上、斜め左上などもとおる。

 

これを一度に、上、下、右、右、さらに必要なら、右上、左上、右下、左下のも行う。これを一度すると、およそ15-17日分、段階が進む。

 

 数日前に行ったものでは、15日ぶん進んだ。昨日かおとといしたものでは、19日進んだようだ。それで、現在は、34日分進んでいる。一応、1段階は、3年なので、365×3=1095日。これを進まないと、次の段階に上がれない。

 

 正しくは、青年期に止まった人は、天国の許可がないと、次の段階には上がらない。

 

 さて、34日めの景色である。

 私のような人物が、外にいて、単独で動いているようにみえる。木や物、人が擬人的にみえる。これは単独である。このあと、段階が進むと、複数にみえる。

 私は、何か複雑な機構をもつ。それは何かはわからない。が、人が動くとき、空間的に最適にしようとする傾向が感じられた。単独なのだ。

 なお、この「複雑な機構をもつ」ように外の木や人がみえるのは、どの次元も共通である。ただ、段階ごとに、何を目指して行動するかが、異なる。

 おそらく、9次元で、自己を確立したあと、社会の段階である。感覚の段階ではない。行動的なので、理性の段階とも思えない。

 

 なお、私はここ数週間で、5-10次元の段階について、どのようにテーマが変わって、その段階で止まるかを、検証した。3-24歳のそれぞれの発達心理を調べた。あのみえない科学力の操作によって、私は過去のテーマを追体験したのだ。その時の気分は、景色の見え方で、判別する。これは、「気持ち」が視野に投影される。それを感じ取る、という私の才能を使っている。

 

わかったこと。

 

 上の段階に入ってすぐ止まるのではない。最初は、感覚的なものがくる。そして、しばらくして、理性的なものがきて、そうこうするうちに、自己が確立する。その時に、次元の成長が止まる。自己が確立するというのは、それら新しい段階のテーマを内に宿す、という経緯を経た直後である。

 

 このあと、しばらくすると、新しい自己が外側に現れるのだ。すると、私のように、外で新しい自己が単独で活動しているようにみえる。

 

わかりにくいだろうが、とりあえず、記録する。用語については、また直す。これは、三年かけて、ゆっくりとやるつもりである。

 

2018年2月12日

 

発達心理 88項目から。

遺伝的なもの

遊びの種類と変化 88項

発達障害 92項 種類

知的障害 94項 器質性知的障害95項

言葉の障害 96項 

広汎性発達障害 自閉症、100項 アスペルガー症候群101項

ADHD 102項

LD 学習障害 104項

虚弱体質 107項

大人の発達障害 108項

男女差 120項 2-3歳児で自覚する、

3歳で親を同一視する? 121項

情緒、感情の獲得 122項

感情を言葉で表現する 123項

 

自己認知 他者を区別できる。1歳3月 112項

2歳前後の第一反抗期 自我が芽生える 自尊感情 114項

嘘の発達 126項

集団あそびの変化 129項

 

経験的なもの

遊びが発達を促す。88項 ごっこ遊び

知的障害 94項 非器質性知的障害95項

言葉の障害 96項

脳性麻痺 98項

肥満 106項

一人っ子にとっての兄弟の誕生 退行 116項

兄弟 兄弟の性格 118項

感情を言葉で表現する 123項

叱る、褒める 124項

けんか、130項 脱自己中心化

 

2018年2月10日

 

母の命日。墓まいり。といっても、教会の骨置き場をみてくる。

なんだか、険しい感じがあるぞ。どうもね。いろいろたいへんだ。

 

2018年2月9日

 

ケン・ウィルバーの研究者と意見交換できるのかな?

 

何も困らないが、ケンウィルバーについて正確な認識を示さなくてはいけなくなったぞ。彼は何を唱えていたかな。本は、たいてい読んだけど。どうしよう。あまり覚えてない。とぼけた書き方はなし。正直、有用な理論はかけてない印象だったのだ。最新の見解はどうなったのかは、また本屋で調べてみるか。

 

でもなぁ。調べると調べるほどに、ケンウィルバーは、瞑想と発達心理の研究者でしかないのだよ。宗教と科学の統合を書いているらしいが、あれは見当はずれだろう。統合心理学も、日本語の資料がないのでよくわからない。

 

 結局、現在、わかるのは瞑想でいかに偉人になるか、ということを目指すのが、ウィルバー。彼はあれこれ自らの考えを発表している。しかもだ。ややピンぼけなものをだ。真に精神を高めるものではないことを、いろいろとね。

 

 彼の何を深く学ぶのか? いや、私はそんなのを目指してないよ。彼の理論は深くないから。彼は私と同じ、発達心理の研究者だから、同業者として、仲良く意見交換しましょう、ということなのだよ。

 

それに、私は高い精神者でもあり、そういうものを解明したい現代の科学者たちに、正確なことを伝えられるのだ。これは、彼らが認めなくてはならないので、なにか私が高い精神であることを、科学的に証明しなくてはならないのだが。彼らが認めたら、それも教えられるのだ。こちらは、当面はしないつもりだ。

 

 発達心理なのだ。簡単だろ。発達心理とは、年代ごとの関心がメインだ。技能発達に伴う心理の変化を明らかにするものではないのだが、まぁそれもないこともない。

 

 そもそも、霊性って? 何か、そこから論じなくてはならないのかな? ブッダはよくわかっていた。彼は霊は論じないと言った。瞑想では霊は語れない。語れる人もいるけども、それはよほど透視技能や交信が長けた人。ブッダはしなかった。ふつうはできない。瞑想で、超越しないのだ。霊性(霊的なもの)にはたどりつかないのだ。

 

 霊性とは何か知らないのか? 交信の世界だ。その9割は悪の宇宙人。彼らが作り出す嘘。もしくは多次元の話。もしくは夢、幻覚のこと。もしくは、わずかな人だけが到達できる直感の源を探ること。そこか守護霊(指導霊)を推測できる。

 

 だが、守護霊の特徴は、自分の様々な体験や自分の心(趣味・嗜好、民族文化の好感度)などからたどりつく。瞑想によるものではないのだ。しかし、そういう性格の由来や、自分に与えられた使命の由来などを知ることが、霊性なのだ。

 

が、これを知ると、納得がゆくだろう。自分の行動の特徴や使命を、分類できて。だが、それによって、癒やされるとしても、それは、どちらかといえば、自分の由来、ルーツを知ることによる安堵や納得である。それが霊や天国から来ているということを知ることだが、それを霊性を知ると言うのは、私は適切とは思わない。

 

しかし、これは霊性なのか? 霊性と呼ぶべきことか? これは実は瞑想は不要だ。

 

2018年2月6日

 

 理性の段階から、社会性の段階にうつる時の様相

 理性があまねくすみずみまで世界に感じられる。それがすべてを覆う。すると、それは自分の中に取り込まれる。自分が理性的な生き物だと。理性的な生き物を自覚するようになる。他にも、それを感じられるようになる。自分は理性を内部にもつ生き物なのだ。

 

 これが前段階と違うのは、自分は法則にしたがっているというのが前段階だ。社会の段階では、自分が理性を宿していると自覚することだ。人は判断できる動物というふうに理解する。これは、人間を一つの個として理解するのと同じ。

 

 さて、社会の末期にはどうなるか?

 大きな個人と小さな個人が生じる。それは、ネットワークや知恵の差だ。大きな巨体個人が、大勢の小さな個人とネットワークをもつ。さらにそれが進むと、宇宙全体を覆う巨人が登場する。それが、個人とつながるのだ。すなわち、神みたいな存在--最も多くの者たちに通信して、影響を与え、動かすことができる--が、登場する。

 

 ネットワークの巨人なのだ。それが出現する。

 

 宇宙を包むほどにネットワークがつながると、ネットワークを内にもつ人間が登場する。すると、新たなテーマを自覚する。今度は空間を意識するようになる。この人間は、他人とどう通信するか。空間的に。というのがテーマとなる。空間からの影響はどうなるか、ということが関心となる。

 

 空間から、二次元にかわるのは?

 これは空間認知をマスターすると、今度は狭くなるのだ。二次元に関心をもつ個人が登場する。このあたりの変化は、正確にはまだかけない。

 

2018年2月5日

 さてと、 昆陽池にゆく。ここのところ、音楽を教えられる。コードを。ドミソをドソミと下にゆく順で作曲したり、和音を順にあげながらしたり。いろいろやっているうちに、みえてくるものがある。

 

 作曲の他には、アイススケートフィギア。陸上トレーニング法を。毎日、やることは決めてある。散歩中にすることも決めてある。

 

自分でやり方を一つずつ考えないで、動機も自ら作るのでなく、学ぶことができるのは、実に楽で早く向上できそうだ。

 

精神の段階

 

今日は一つずつ疑似体験した。各段階の手前から、段階まで。

 

段階が一つあがると、多くの精神の成長が止まるまで少々の期間がある。それがわかった。その段階の精神を、『自己に投影すること』。それができて、止まる。例えば、法則的な自己、自己についての規定をつくる。自己は感覚するもの。そのあとに、分裂してゆき、二人の自己みたいな複製ができる。それを意識できないと、成長が止まるとわかる。

 

今回、段階5の悟性の段階の主観の意味がわかった。

 

彼らは、感覚を整理することが課題だ。それで、悟性、ものを規定する。ものを区別する。やがて、自分を区別することができる。この自分を区別する方式は、人ごとに違うと自覚する。その自分を区別する方式。それを他を定義する時に、使うことを、主観という。

 自分は、動くもので、手足体で、周囲と分離して、命がある。このように定義しているとする。それを、犬の定義にも使う、猫の定義にも応用する。その時に、犬猫についてみえてくるもの。それが主観なのだ。

 

この悟性の段階の最終は、すべてが一つになることだ。みえている景色の物体などが、すべてが一つになること。彼らは、すべての認識という概念を使う。

 

 で、運動論の段階は、宇宙という空間で考える。運動、力を認識する者たちは、時間という概念をもつ。これは動く。悟性の段階では、時間はないのだ。基本は静止しているものを対象にする。

 

機械論的な世界観をもつ。運動の段階における最終の形は、宇宙である。そこで多くのものが動くのだ。それを感じ取る。すると、木々動く、概念なども動く、自分も動く。それで、流転の哲学のように、何も確実なものはない。動き続けるためだ。という発想にゆきつく。

 

 そして、宇宙においてすべてのものが動く。ということから、宇宙における運動の法則に目覚めると、理性の段階に入る。すべては法則なのだ。すべては法則、まずは感覚的に、次はご性的に、次は運動も法則なのだ。そして、やがて自分も法則であると気づく。ここまで気づくと、7次元は止まる。

 

 この先にゆく人は8次元以上の哲学に入る。

 

悟性とは、概念を知ることだ。それは、周囲と"もの"を区別することから、はじまる。そして、そのものの特徴をいくつか、見出して、定義するのだ。これは知識となる。これは、感覚の整理である。

 

前の段階で、得たものを、次の段階では、整理するのだ。

 

2018年2月3日

 

新しいアシスタントがついた。校正やタイトルのチェックを行う。見えないのだけど。寝屋川出身の大阪市大卒らしい。

 

私の目指す音楽について、いろいろ考えてはない。が、ノイズが多く聞き取りにくいのは駄目。それは最低限のルールだ。ドラムとか、エレキギターでノイズ発散してて、それは音楽がきれいに聞こえないのだ。そういうのは遠ざけておく。

 

あとは、アメリカで今はやっている気が狂いそうになるもの、意識が薄れてゆくようなのは、やめ。活力を感じるものがいい。明るく、暖かいものがいい。感動的なのは最低限の条件だ。ラップはつまらないのでやめ。女性が歌うのもいい。メロディが残るのは、当然。もちろん、新しいもので、流行と似たものはちと、オリジナル性が低い。

 

エジプトっぽいのは作っておく。年間の優秀曲になりそうなものは、一つか二つはほしい。圧倒的な技量で、時代を飾るような曲だ。年間一つくらい毎年流れているのだが、ここ数年ない。せめて中堅クラスのもの(一ヶ月くらいアメリカのランキング上位に入るもの)はかかないと。

 

今、世界に流行っているのはアメリカの流れによるものと、シア(仏)的なものと、スペインのタイプがある。

 

そうそう。書いておく。アメリカでランク100-50位に入るには、曲の力量が求められる。作曲力が高くないと、そもそも入れない。まぐれはない。まずは、私の目指すのは、技量を高めること。まずはそれだ。

 

私はコードで曲をかけるようになった。いつのまにか。実力をあげていた。以前は、2音で精一杯だったのに。しかし、コードに合わせて曲を書いたとして、それが何になる? コードでかくと、暗くならない。それは保てた。ただ、何のニュアンスの曲を書いているのか、そういう意図をまだ盛り込めてない。

 

先が遠いぞ。実力が高くなると、狙ったランクの曲を似せてかけるようになる。はっはっは。オリジナルを創るのは、それからなのだ。楽して、ランキングをとる。

 

2018年2月2日

 

昼間、多田の猪名川で話していた。それでわかったこと。話相手は謎の歌手の??さん。みえないのでわからない。

 

私が音楽でしたいことは何かときかれたのだ。感動させること。名曲をどーんと聞かせること。そのくらいしか考えてない。

 

彼女は、球技場のようなステージで歌うことが夢だそう。そういえば、私は市民会館で歌うということしかイメージになかった。音楽をやる暗いステージ。あれは、好きではないのだ。暗いのが特に。暗いのは、芸術センスのなさの証なのだ。明るいところで、演奏するのがいい。

 

とはいえ、バンドを組んで、エレキギターでうるさいノイズを大きな音で人にきかせるのは、彼らに迷惑だろう。ドラムもやかましいのは、聞いていて困るだろう。キーボードはそれはそれで楽しいけれど。

 

 というわけで、バイオリンをつかい、洗練された重厚な音で奏で、ピアノか電子音を私は弾いて、歌がうまいのが歌う。そんなきれいなものとなる。

 

 いったいなにか? それは何か? 何に感動する。ほとんど曲にきまっているだろう。歌がうまいのが、日本のどこにいる? 演奏で感動するのは? それは、私の演奏では無理なのだ。あと5年でそれなりに弾けたとしても、ポップスのプロとして上々くらいだ。そんな選りすぐりの腕は、私にない。

 

 というわけで、曲が勝負なのである。せめてあの最強の歌姫くらいのものと、アレンジで。歌は、できればうまいのがいいのだけど…

 

 それはいったい何? 知らないぞ。私の今は、感じいいと思うスタイルが、どんなバンドなのかは? アコースティック? いやいや。あの上手なバンドが、バイオリンを使って、深みを出してくるだろう。当面は、そんなものがよさそう。

 

私としては、私のピアノと歌うたいがいればいいのだけど。バイオリンかビオラ、チェロもつけようかな。だんだんとわかってきたぞ。でも、バンドなので、ドラムも。

 

しかし、私は詳しいことはなんにも知らないのである。

 

アイススケートのフィギアの陸上練習を開始して、もう何十日と経過している。それでやっと級というものを知った。当面は3級くらいを目指すのだ。7級とって全日本選手権を目指すのは、若いうちならできたかもしれないが、この年になると、練習時間がない。やせないと無理みたいだし。

 

今できるのは、ジャンプのシングルを地上ですることくらいだよ。先は遠い。

 

 

2018年1月27日

 

発達心理を分けよう3

 

遺伝的なものと、環境的なものをわける

 

遺伝的なもの

愛着の広がり59項--個別の能力として、環境的なものとは思うが、広がりのパターンに遺伝的なものがある?

乳児期が0-3才、3-満6才までを幼児期という区別 74項

脳の発達の速さは分野で違う 75項

第一反抗期 77項 自分のコントロールできるようになる。独立心や自我が芽生える。これは何の段階?

一語文78項--始まる時期が決まっているはず 言葉を覚えるのは潜伏期の1歳半から2才のあと爆発的に覚える。指差しは初語の前。言葉の獲得はほとんど同じ過程を歩むことから遺伝的。

幼児期の言葉の発達80項--図表がある。これは遺伝だ。

2-3歳に子供は何でも知りたがる--質問をよくする82項

同じ質問を繰り返す83項--ある段階に起きうるのでは?

子供がひとり言を話す84項--4歳までは思考を声に出す。5-6歳には頭の中だけで考えられるようになる。内言と外言

自己中心性--自分と他者との区別がつかないのが幼児期の特徴

アニミズム--子供は自然も動物も自分と同じと考える。

文字に興味をもつ--訓練で発達するのだと思うが。

読み聞かせは3-4歳か。86項

3歳は言葉を分解できない。4歳半からしりとりや逆さことばなどの遊びが理解できる。8項

遊びの変化88項 乳児期は感覚を楽しむ。幼児期はごっこ遊びができる。ままごと。3歳はお話がつくれる。5歳は宇宙探検などできる。

 

環境的なもの

授乳によるコミュニケーション 56項

母子の触れ合いから愛着の形成 58項

愛着の広がり 59項

幼児が歩くこと 76項

遊びが発達を促す 88項

 

2018年1月27日

 

発達心理を分けよう2

 

遺伝的なもの

胎内の発達--脳の構造を決めるものだが、心理的なものは不明 33項

原始反射--当面、扱わない34項

生理的微笑と社会的微笑は、表現の獲得ではあるが、36項

皮ふ感覚(触覚)--発達課題そのものか、その一部。42項

近感覚と遠感覚--近くは触覚や嗅覚、遠くは視覚と聴覚。42項

首がすわる、寝返り、一人で座る、ハイハイ、つかまり立ちなどの学習は遺伝的なものとする。51項

手と指の変化--53項

泣き方の発達--55項 泣き方の変化は段階ごとにかわる

愛着--61項 愛着の発達は、段階を見分けるのによい。前愛着、愛着形成、明確な愛着、目標修正的な協調関係。愛着のタイプは回避群と安定群と不安定群があるが、段階ごとに異なる。が、後天的なものもあるとする。

2才までの思考の変化--67項 2才までの発達心理のおおまかな6段階。

発声の発達--71項 喃語→ジャルゴン。

 

環境的なもの

母親と父親の声への反応 40項 

気質--これの構造や全体は遺伝子に基づく。その内容は経験的か、一部、遺伝子による 44項

養育態度--周囲の赤子への接し方46項

胎教--48項

授乳--56項 経験的な学習。乳児の学習の機会となる。

愛着--58項 経験的な学習。ここには段階ごとに差異がみられるはず

模倣、マネ-- 学習するための要素。

 

発達心理について、年齢ごとの発達には、個人差は大方ない。個人差があるのは技能に関するものだ。遺伝的な発育には個人差はあまりない。あるとすると、遺伝子の種類による。

 発達する期間に、それを獲得しないと、再度獲得するまではその部分での発達はない。

 信条の場合は、獲得できないと、いずれ止まる。すべての認識を細かいレベルで、獲得しなくてよいので、すぐに止まるわけではない。

 

乳幼児の粗大運動と微細運動は、遺伝的なものとする。

 

 私の発達心理は、心理のテーマが問題だ。身体の発達は現時点は扱っていない。必要だが、心理と身体の成長はあとで、関連づける。

 

過干渉について

 その分野で独立(自主的にできる能力を獲得すること)するときには、過干渉には強く抵抗しはじめるのが反抗期。自主的に獲得すると、過干渉に対しては、嫌がるが、過度なものではなくなる。だが、干渉すべきではない。

 

過保護について

 基本、独立すべき分野には、干渉してはならない。それ以外の過保護は、本人の成長が低くなるが、

 

 

 

 

 

2018年1月25日

 

発達心理を分けよう。

 私は発達心理を研究している。特に、内発的なもの。ある年齢になると、誰もがもつ欲求や行動をである。

 発達心理が扱うものは、様々にある。身体の変化に伴うもの。大人、男女に特有のものなど社会の役割からくるもの。それらを一緒くたに論じているものが多い。私は提案する。内発的な要員によるものと、外からくるものは分けるべきだ。

 

内的なものとは、

赤ん坊は何歳、何ヶ月でこんな行動をする、何歳で何かを始める。何ヶ月で興味をもつ。などが厳密に研究されている。これは脳神経の形成からくるものと考えられる。私は、こちらにの内面か、遺伝子に定められたため、ある時期に生じる心理もつ。

 

外的なものとは、

 成人が会社や仕事をする時の心理、結婚、両親の世話、肉体の老化に対する、配偶者の死などは、社会的なものである。これはある特定の年齢で生じる心理ではない。例えば結婚は20-40才でする人だけのもの。

 また大人になること。その研究は多い。が、大人になるのは10-15才、近年に18才、20才となったり一定ではない。成人に求められる能力が増えるにつれ、覚えることが増えて、晩年になる。大人は、社会との関わりで決まることだ。ある時期に生じる心理ではない。これは外の環境に適応する時の心理である。どんな環境でも、プログラムとして定められた内的な心理ではない。

 

 性の心理について詳しく述べる。これは肉体が性的に成長することで、男女を自覚する。またその欲求は、その年代における主要なものでないと思える。理由はまだ見いだせないが。

 

 外的なものは社会の役割が多い。それは、時代や文化の違いで、それを体験する年齢が異なる。それを特定の年代の体験と分けることには無理がある。

 

遺伝的なものと、環境的なものを、区別したほうがよいだろう。そして、遺伝的なものだけを明らかにする。すると、新しい視界が開けるはずだ。

 

遺伝的なものが発育する時に、どんな環境が必要か。それを定めるべきである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年1月22日

 

やった。成長理論を語れる、友達をみつけた。ちょっと、汚いけど。それで前回、連絡をやめたのだ。今回は、人物を確認したので、多少のことは気にしない。

 

どうしようかな。メール書きたいな。最近、音楽ばかりしていて、頭が筋肉(簡単なことばかり考えている人のこと)になりつつあるので、たまには、私の挑戦をしようかなと思う。

 

原案を書いてみよう。

 

2018年1月22日

 

私は、人前に出たら、能力不足を痛感すると思った。体力はさほどないし、会話力はそんなに高くないし、文章力はある。英語もぺらぺらでないし。一つずつ身につけるとしよう。

 

私は人に何を教えたいか?

 

 何度も尋ねられる。私が教えることは何か?

 まずは道徳。道徳教育はしっかりマスターしないと、もろもろ精神的に弱い人間となる。コミュニケーションが低いとか、忍耐力が弱いとか、感情的になりやすいとか。安っぽい哲学を信じて、それがさも正しいと思い込むとか。自分の課題も知らないとか。

 

 日本の道徳はかなりよい。が、それ以上によいものを作り上げて、教える。宗教者の精神的な歪みをそれで正せるようになるほどに。

 

 発達心理は教える。これをしないと、年齢ごとの自分のテーマも知らない。何に関心をもっているのか。また本人の信条は、どのように分類されるのか。これを知らないと、自分の信条もわかってない人物となる。これは、自らの価値観を絶対視しないようにするためにも重要なのだ。また死後にゆく天国の階層を知る上でも。

 

 社会論も教える。

 私は地球管理論だ。宇宙の中での位置、銀河系のはずれ、太陽系の三番惑星。隕石や太陽嵐などの宇宙からの脅威とその対処。それから大きな月にまつわる問題。潮汐力や山があること、火山に地震が多いこと。

 それからやっと地球の自然だ。寒い極地に暖かい赤道。気候は分類しなくては。そして、鉱物資源。大きな月があるため、火山が多く、凝縮しやすく金属や石が豊富なこと。対流が活発になることからなどから。

 それから生物。山が多く、隔離された地域があり、生物の種類が増えたこと。ここから有機物も豊富なこと。地球はその意味で有機物に恵まれている。生物の問題としては、薬などに使えることもある。が、種の数や、絶滅しないこと。

 

 次に、人類の問題に入る。人類のまずは段階。発達心理上の段階がある。そして、文明や科学技術。そりに応じた世界の諸問題についても。

 

 地球は山が国とを隔てるため、世界の統一が遅れている星だ。それで民族の融和も遅れ、文化の多様性はある。またそれゆえに、文化力が高くなる。そこも大事だ。文化を残しながら、世界の国を統一してゆく。

 

 分野ごとに管理するものは異なる。

 最初は国家制度。文化。エネルギー問題(電気エネルギーや石油、石炭、原子力)、食料問題。交通・移動・流通に関するもの。人口問題(増えすぎた人口)、宇宙進出も。

 

 様々に取り扱うのだ。国家論は大事だ。共産国が国内では人権弾圧と疲弊した社会をもたらし、世界に混乱と戦争を引き起こすこと。イスラムの過激派が、中東を混乱に陥れること。そういうのをしだいに、変えていかなくてはならない。

 

 思想も扱う。共産主義のような犯罪者の社会論は、世界を破壊する。他にも、自由主義や新自由主義なども。

 

 国際の貿易も必要だろう。国家の産品も。しだいに細かい問題に入る。思想は、西洋哲学などは一通り教える。そうでないと、西洋でも日本、中国でも人と対応できないだろう。

 

宗教も教える。いくつか主要なものは。地域にでかけた時に、相手をよりよく理解できるように。

 

コミュニケーション能力も高めておく。社交性が低いと、暗いか、おとなしい人物と思われる。また劣等感をもちやすい。

 

言語力を高める。会話や文章力を高くしておかないと、自分のことも適切に話せなくなる。文章力がないのは、致命的だ。そこだけは必要不可欠なのだ。

 

運動、スポーツは少々教える。あまりに下手では、友達とサッカーもできない。気軽にテニスとかできるようにしないと。

 

芸術は一通り。絵画、塑像、音楽は。それらができないと、人生がつまらない。

 

これらを学ぶと、倫理的かつ道徳的で精神的には優れた者になる。また社会、世界の問題にも通じている人物になる。芸術もほどほどに理解があり、できる才能を身につける。スポーツは少々できるほどでなくてはならない。社交性は高く、会話もうまく話せるほどではなくて。

 

 組織力もなくてはならない。会社勤めや組織内で活動するのは、うまくならなくてはいけない。

 

 教える項目は、まぁ決まっているのだ。で、内容はそんなに決めてない。そこだ。

 

 

2018年1月22日

 

31年後の我々

 私は成仏するのが30年後の2149年。それから一年。老人から若い身なりに変わっているような感じだった。

 

2018年1月18日

 

地震予知が外れそうな、当たりそうな。本当に、苦労するわ。霊能力で苦心するのが、私の運命らしい。それはほどほどにしか聞こえない症候群なのだ。チャネリングができないレベルに保たれる。

 

2018年1月18日

 

さてと、考える。官僚制組織の課題は、専門分野ごとの組織化だ。

 

最初は、同じグループごとに集まった。多くの組織が勃興した。

 

では、集権制は? 考え方は、当時流行った、社会のブーム。組織がばらばらでは弱い。一つになって大きくなると強くなる。これは「大きさ」か。組織化の基準は、人の性質なのだ。何だろう。大きさ?

 

 分権制は? この頃は、自治ブームだ。民族自決。自主性か? しかし、自主性では組織化する根拠がはっきりしない。商品ごと? 組織は分権化するほどに、構成員は自由を手にした。自由?

 

官僚制度は、専門だ。専門ごとに組織化する。専門家こそが解決するという信仰が生じた。各人ごとの適性(才能)ごとに人が役立つ。

 

 小集団制は? この頃は地域ごとにまとまろうとした。だから、空間なのだ。ここでは専門家は他などのことも考えられないで、視野が狭い。マルチな才能が求められた。この時、組織化は、小さな組織をたくさんつくり、許可などしない足軽活動だった。素早さである。

 

 で、現在は個人主義的な制度。一人一人が自立していること。ジェネラリストであることだ。総合性なのだ。一人ひとりが経営者なのだ。

 

しかし、これら段階ごとの組織化の基準は、今一つはっきりしないのだ。専門分野だけが、明確だ。自由、自主性が基準になりうるのか?

 

まとめると、その段階で、よい組織像とされたもの。または最高に素晴らしい個人は誰か?

 

発達心理の段階を用いることで分類できるかもしれない。

順に、感覚、悟性、運動、理性(理論、論理学)、理性(社会)、理性(空間)とつづく

 

官僚は4に位置する。で、専門。理性の扱う分野だ。

1の原初は、感覚?

2の集権は 悟性?

3の分権は 運動?

4の官僚は 理性

5の集団は 社会

6の個人は 空間

 

こうすると、専門は、理性の分類といえる。理性は学問ごとにあるので。理性は、専門分野ごとに発達する。囲碁、スケート、文学。それぞれが独立して発達する。だから、専門分化なのだ。

 

ならば運動の分類は何か? パーツごとにあるのか? パーツは独立的に動く。束縛があってはならないのだ。その独立性か? 運動する時は、筋肉ごとに発達する。ピアノ演奏の指の筋肉、自転車用の筋肉。打者の筋肉。それぞれ違うが、筋肉の部位がある。

 

悟性の分類は何か? 概念の認識は物体、ものごとにある。区別である。多くのものが区別される。また統合もされる。統合された概念のほうがよいのか? 扇風機の認識、時計の認識。運動の認識などなど。個別になされる。世界の認識などしだいに統合される。

 

感覚の分類は何か? 五感など。個別のデータだ。感覚はジャンルごとに一つのものとして扱う。感覚はいかにして研ぎ澄まされてゆくか? 鍛えるのだ。何度も聞くと、しだいに慣れで正確に聞き分けられるようになる。

 

社会の分類は? 様々な社会を分類する時に、何を基準に行う? 大きさ、人の数、地域などなど。地図で分類するのが多い。

 

では、空間を分類する時は? 空間の分類はもっとも簡単で、距離か何か。もしくは、人間が住めるかどうか。地球上では、気温でもあるし、物理量となる。壁がそれらを分かつ。

そうか。だから、壁が地球上に出現したのか。

 

なぞなぞのようだ。

 

2018年1月18日

 

28年後の我々。まだ黒い影。まだなくなってないようだ。いや、どうかな。なくなったかもしれない。私の寿命はあと27年と少し。何歳? 75歳と少し。

 

 

2018年1月16日

 

生きるという思想。私が書くのは、こういうものだったのか。欲求とはあまり関係ないじゃないか。実体験に基づくサバイバルだ。

 

人間が強いのは、まずはどこでも生きてゆけることだ。前回のは、社会性ゼロの生き方だ。一人で生きてゆくという方法だ。福祉社会では、やや社会性が求められる。が、そんなに必要とはしない。

 

もっとつきつめて考えてみよう。いずれ。

 

2018年1月16日

 

探検バクモンの生きる力を養う授業を見た。東大に一番多く入る都立高の特集。演劇、英語の討論、数学は生徒が教えるみたいなことをしていた。

 

で、タイトルは『生きる力を養う授業』。タイトルは中身は違う。この高校がしていることは、社会で応用のきく技能を身につけるというものだろう。演劇や英語の実際の利用に近いものは、特に。数学を生徒が教えるのは企業で役立ちそうだ。

 

生きる力というのは、基本的に違う。何ら前提なく、それによって生存ができる、ということだ。それをする才能なのだ。だから、生きる力の最初にくるのは、ロビンソン・クルーソーの無人島で生き抜く力である。

 

食料と水を自然の中からみつけ、食べて、生きながらえる力。狩りや食える植物をみつけ、それを鍋などなくても、調理して、食べることだ。

 

仕事を失って、貯金もなくなる。家もない。家族もいなくなる。そこには森と河と海がある。そこで、どう生きるか? しのぐか。まずはここから。

 人は食べ物と水があれば生きていける。だが、食い物がなかなかみつからないのだ。それを探して、食べて生きる。

 

鹿は、狭い林があると十分、一匹は生きていける。

 

自然からみつけて生きるのだ。食べ物、飲み物、服。寝床を用意シなくてはいけない。それと安全も確保する。

 

この生活では病になっても、薬で治せないのだ。原始人と同じだからだ。

 

次のテーマ。どう生きるか?

 社会の中でどう生きるか? 仕事を失って、金がなくなる。家も追い出される。路頭に迷う。乞食や浮浪者と同じだ。どこかの茂みで、ただで拾ってきたダンボールなどで家をこしらえ、拾ってきた布団に寝る。服もみな拾ってくる。こうやって生きながらえる。そして、再起をかける。

 

今度は福祉社会の生き方 どう生きるか?

 前回は国家は助けてくれない。自力ではいあがるしかなかった。今回は、福祉制度がある。

仕事を失った。貯金もない。家も追い出された。路頭に迷った。必ず出発点は、路上の乞食なのだ。

どう生きる? 金を得るために、まずは生活保護にありつこう。弁護士か、社会福祉をしている者のところにゆき、保護してもらおう。部屋を貸してくれないかもしれないが、食い物くらいはもらえるだろう。それで、生きながらえる。

 

 生活保護を申請してもらおう。それで、部屋と毎月の生活費を得られる。これまでと違い、文明的に最低のくらしをしながら、生きていける。

 

 これで、わかっただろう。無一文となったら、

 文明のない無人島では、魚や狩り、実をとって生きてゆく。

 社会では、自力で生きるには、乞食をしたり、山で食い物をみつけて、生きてゆく。

 福祉社会では、生活保護を受けて、生きてゆく。

 

 これらはどの社会でも、底辺の生活なのだ。そこから人は始まる。それ以上には落ちない。よって、人が生きるためのノウハウが、環境ごとにやや異なる。

 

無文明社会、自然の中で必要なのは、食い物と水を探す力。寝床を作る力、服を作ることだ。

社会の中で生きるには、何か高度なことをしなくても、金を得ることだ。それを売って、食べ物は得られる。もしくは魚や木の実などの食べ物をとる力だ。

 

福祉社会では、福祉の事務所に保護を依頼する能力である。会話が出来て、窮状を訴えるか、福祉の事務所にゆくと助けてもらえることを知っていたらよい。

 

 これで、やり方がわかったので、無一文で外に放り出されても、なんとかやっていけるだろう。

 

しかし、人は本来、無一文、裸一貫から始めなくてはいけないのだ。野生動物のように。そこからどう生きるかをまずは考える。その技能があると安心だ。どんな境遇でも生きていけるのだから。

 

高度な文明がないと生きていけないのは、やや生き方としては不完全なのだ。

 

ただし、この生き方の論では、地球上に植物と動物がいて、食い物にあふれている、というところが原点なのだ。何もない宇宙空間で、生き抜くというものではない。

 

 

次に 親戚や友人がいるケースなどを考える。

 

2018年1月16日

 

27年後の我々。26年後の我々から黒っぽくなる。勤務場所がかわったのだ。

 

 

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