日記 2018年10月29日〜 *月*日

2018年1月17日

 

探検バクモンの生きる力を養う授業を見た。東大に一番多く入る都立高の特集。演劇、英語の討論、数学は生徒が教えるみたいなことをしていた。

 

で、タイトルは『生きる力を養う授業』。タイトルは中身は違う。この高校がしていることは、社会で応用のきく技能を身につけるというものだろう。演劇や英語の実際の利用に近いものは、特に。数学を生徒が教えるのは企業で役立ちそうだ。

 

生きる力というのは、基本的に違う。何ら前提なく、それによって生存ができる、ということだ。それをする才能なのだ。だから、生きる力の最初にくるのは、ロビンソン・クルーソーの無人島で生き抜く力である。

 

食料と水を自然の中からみつけ、食べて、生きながらえる力。狩りや食える植物をみつけ、それを鍋などなくても、調理して、食べることだ。

 

仕事を失って、貯金もなくなる。家もない。家族もいなくなる。そこには森と河と海がある。そこで、どう生きるか? しのぐか。まずはここから。

 人は食べ物と水があれば生きていける。だが、食い物がなかなかみつからないのだ。それを探して、食べて生きる。

 

鹿は、狭い林があると十分、一匹は生きていける。

 

自然からみつけて生きるのだ。食べ物、飲み物、服。寝床を用意シなくてはいけない。それと安全も確保する。

 

この生活では病になっても、薬で治せないのだ。原始人と同じだからだ。

 

次のテーマ。どう生きるか?

 社会の中でどう生きるか? 仕事を失って、金がなくなる。家も追い出される。路頭に迷う。乞食や浮浪者と同じだ。どこかの茂みで、ただで拾ってきたダンボールなどで家をこしらえ、拾ってきた布団に寝る。服もみな拾ってくる。こうやって生きながらえる。そして、再起をかける。

 

今度は福祉社会の生き方 どう生きるか?

 前回は国家は助けてくれない。自力ではいあがるしかなかった。今回は、福祉制度がある。

仕事を失った。貯金もない。家も追い出された。路頭に迷った。必ず出発点は、路上の乞食なのだ。

どう生きる? 金を得るために、まずは生活保護にありつこう。弁護士か、社会福祉をしている者のところにゆき、保護してもらおう。部屋を貸してくれないかもしれないが、食い物くらいはもらえるだろう。それで、生きながらえる。

 

 生活保護を申請してもらおう。それで、部屋と毎月の生活費を得られる。これまでと違い、文明的に最低のくらしをしながら、生きていける。

 

 これで、わかっただろう。無一文となったら、

 文明のない無人島では、魚や狩り、実をとって生きてゆく。

 社会では、自力で生きるには、乞食をしたり、山で食い物をみつけて、生きてゆく。

 福祉社会では、生活保護を受けて、生きてゆく。

 

 これらはどの社会でも、底辺の生活なのだ。そこから人は始まる。それ以上には落ちない。よって、人が生きるためのノウハウが、環境ごとにやや異なる。

 

無文明社会、自然の中で必要なのは、食い物と水を探す力。寝床を作る力、服を作ることだ。

社会の中で生きるには、何か高度なことをしなくても、金を得ることだ。それを売って、食べ物は得られる。もしくは魚や木の実などの食べ物をとる力だ。

 

福祉社会では、福祉の事務所に保護を依頼する能力である。会話が出来て、窮状を訴えるか、福祉の事務所にゆくと助けてもらえることを知っていたらよい。

 

 これで、やり方がわかったので、無一文で外に放り出されても、なんとかやっていけるだろう。

 

次に 親戚や友人がいるケースなどを考える。

 

2018年1月16日

 

27年後の我々。26年後の我々から黒っぽくなる。勤務場所がかわったのだ。

 

2018年1月15日

 

さてと、新年度。最初の大きな地震予知は、富士山地震。1/17かどうか。今朝から、気分が明るい。これは、地震が近いためのように思える。

 

どうしよう。少しずつ私の生活は、人から学ぶことが多くなっている。私に足りない学習もみつけた。

 

電波犯罪のサイトを見た。が、どうしてみな犯罪組織がアカとわかっているのに、そう書かない?

電波犯罪の防御が、私より進んでいるところがあった。、電波の犯罪というのがほぼ確定事項なのだ。電波の被害をいかに下げるか。そこに終始する。結局、私が最初に書いたように、電波犯罪なのだ。

 

 でね、最近、被害者になった大人の大半は、子供に時代に、電波犯罪をやっていたのだ。友達の家のどこにでもある。だから、詳しく知っている。それを隠して、被害者として名乗る。しかもだ。肝心の情報は出さない。アカ、無線機、周波数のことなど。

 

それでは、いつまでたっても、暴露するにいたらない。だが、犯罪者側の内側の情報が漏れ出てくる。以前は、それが少なかったが、そういうのが増えてきた。

 

 電波犯罪の社会の中でしか自分を表現できない人になっては、いかん、と気づく。

 まずは思考盗聴で、人に自分の声が盗まれ、人に伝わると考えるのは、やめることにしよう。それでは伝わらないと考える。

 裏の通信技術で、人に私の言葉が伝わるというのも、なかったことにしよう。それは私のような、わたしでないものなのだ。

 

NHKが30億円の赤字だと。職員の平均年収が1700万だった。国営企業に等しいのに、その公務員とはかけ離れた高い給与を、まずは公務員並みに下げることが、先決ではないか? 無駄遣いが多すぎるからで、本当は黒字だ。

 

そうそう。電波犯罪は2010年の段階から、さらに9年進んだ。もうそれは、過去とは比べならないほどの進化をとげた。別世界だ。2010年所見がどれほど参考になるだろうか。

 

今日は、店にゆくと、国民ではなく、女性の敵のような視線を浴びた。何をアカは書いたのだ? 私が寝床で将来、友達になる人を数え上げただけではないか。いや、すれ違う人を思い浮かべただけではないか。それが、どうして?

 

 私は枚方に凱旋、ふるさとに錦の旗をあげるのだ。そこで幸せな日々を送る。それはないか。そこで、いろいろ人間関係を広げる。それしか、今年は考えてないのだ。

 

まずいなあ。電波犯罪の被害者の中で、私は先行してなければいけないのに。いつのまにか、被害者のトップ集団ではなく、第三集団にまで出遅れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年1月15日

 

26年後の我々。私は気楽な職業についているようだ。周囲が暗いのは何だろうか。

 

 

2018年1月8日

 偉大さを表現するには? そんな曲を作ろうと思ったのだ。 

 

シルバーネックレス生活だ。電波よけとして、それを装着すると頭がさえてきた。もっと頭が働くようにしなくてはいけない。何かないのか? 道具は。

 

ピアノに、3Dに、作曲に、アイススケートのフィギュアジャンプの練習。これらの習い事で、思索が思い通り進まなくなった。これはまずい。早く、慣れて、研究できる体制にしなくては。

 

何か薬を睡眠中に飲まされて、記憶が低下している。それで、女性の顔も覚えられない。これはまずい。

 

デブ化していた。体重が68kg。で、やせる方法を模索した。まずは昼に牛乳を飲まないことにした。夜も。それから運動を増やすことを思いついた。歩くのだ。

 

私は今、宇宙の中心の面々に負けないように生きようと、張り切っているのだ。が、何かと能力の低さが目立つ。一つずつ学習しなくてはいけない。

 

 

2018年1月6日

 

最も仕えるのが難しいのが神。

 神の意図は難解で高度。姿も表さない。それだのに、彼の意志を汲み、それを実現させる。正しくだ。しかも裏切りは何一つ許されない。それは並大抵のことではない。それと比べたら、会社に仕えるのは楽ちん。計画も、やり方も手取り足取り教えてくれる。それをそのまますればよい。またたいていの仕事は難しくもない。神に仕えることができれば、その辺の会社に入り、捧げるのはたやすい。

 

2018年1月5日

 

人生は、冒険をすることにした。理由は、単調さから抜け出すため。ではなく、記憶の低下を防ぐため。冒険は興奮するので、記憶に残る。

 

韓国は、日本の自衛隊?の飛行機に、追尾レーダーを照射したことをごまかす。これは、どうも政権の転落を引き起こすことが結果的に起きるのではないか、と睨んでる。

 

 

 

2018年1月4日

 

高見山に登ったのは、面白かった。現地で夕食を食べるのが楽しいことに気づく。

 

新しい物事に億劫になる。これは、何かそういう力をもつ者がいて、私を臆病にさせるらしい。それを封印する。

 

2018年1月3日

 

奈良の雪山、高見山にゆく。三人で。帰りに温泉に入る。無事に完了。さて、帰りに橿原の中華店に入った。すると、まいった。私の同類、使いの子が客に来ていた。斜め向かいにいる。見えやすい位置にいた。誰だ。知らないぞ。男で、中華の諸葛の関係者だ。諸葛の弟ときいた。どこぞの二人組の男歌手に似ていた。あちらの歌手は宗教を除いて、問わないことにした。

 

ちゃんと来るものだ。私が照れていたと彼は思ったと音声送信がいう。まぁ、それはやあまりではない。やっと話せそうな男がいた。今まで、大阪の僻地、池田にろくな男はみかけなかった。

 

橿原といえば、黒い顔の女だ。彼女は、地元の人間らしかったのだ。しかし、なぜ黒いのかはまだ肝心なところはわからなかった。池田の山間部も黒いが、あれの理由がわかってない。

 

橿原の人間は顔が黒いということはわかった。さらに高見山あたりでは、危ない家族や黒い家々をみかけた。地震がそう遠くないようだ。奈良の西部で、大地震の揺れで大きな被害を受けることがわかったのは、成果だ。

 

 正月にいろいろな話をきいてわかったこと。どうして、話がつまらなく聞こえる?

 私はなぜ、他人の話がつまらないのかを研究している。生活的だからか? 地域の話題だからか。彼らの分析がだからか? あまりに素人っぽい考えで、聞くに値しないからか? 今それを話時なのか?

 

 それとも自分の話を彼らは聞かないからか? 私はそれに興味がない。

 

 いろいろ理由はある。話が面白くないからだ。面白くても、興味ないからだ。

 

 とはいえ、私が聞いていたなら、何か面白いことがある。

 

多くの身近な人の話を私が聞かないのは、あまりに素人っぽい誤りがあるからだ。そんな話を長い時間がかけてきくのは無駄だ。自分で調べて、しっかりした権威者のものを読み、正しく知ろう、と思う。酒屋で、何か人が社会問題など語って悦に入るのは、うんちくを語るのは、たいていこれだ。聞くだけ無駄。誤りだらけ。

 

様々な雑事に関する知識は、無限にあるので、それを聞いて知るのは楽しい。が、特に、我流の哲学をさも重大なことのように語るのは、聞くに堪えない。安っぽすぎる。ただし、発達心理論の精神段階、その情報収集には必要なので、そういう意味では聞いている。

 

私に同意を求めないならば、それはそれでよい。私にその考え方が正しいかどうかを問うなら、めった切りにされるのが落ちだ。誤りを全部、指摘してもよいのだが。精神次元(本人の哲学が低すぎて)理解しても実感できないだろうが。

 

 ただし、世の中の動きを知りたくて、聞くのはある。子供・学生の興味、今流行っているもの、新しい動き。それは、テレビやネット、本、本屋でも知るが、人づてに聞くことがある。受講して先生から聞く金もないので。それぞれの世界観がみえてくるので、まぁ聞くのだ。

 

ただし、私のレベルが低すぎて、長く集中して、聞いていられないものはいくつかある。それは何かの参考のために聞いている。

 

社会論を語るのも、あまりに安っぽいと、私はそういう議論経験があまりないので、丁寧に説得するより、ひどいなあと言う。きっちり説明できる時はする。すると、相手は二度とその問題で同意を求めたり、私に絡まなくなる。レベルの差がありすぎて、私にかなわないと遠慮するのだ。

 

私はたいていの問題は、専門家の初期的な見解には達している。ここが大事なのだが、だからして、素人っぽい誤りはあまりしないのだ。どのテーマにも平均的にするどいことを言うので、素人で誤りの多い輩は、自分を否定されたと勘違いして、怒り出すのもいる。すごすご引き下がるのはまだしも賢明な者だ。

 

 ただし、私があまり知らない分野のことでは、少々それを勉強した相手は私と張り合おうとする。そう、その分野内のことなら、私と対峙できるのだ。私が学んでいない数少ない分野でのみ、彼らが優越しているにも関わらず、大きな顔をしようとするのは当然だ。その分野に限られる。

 

私がしっかり学んで、彼らを超えると、彼らはおとなしくなる。今はそれが少ないが、やがて増えてゆく。私が今は、おとなしいのは計画なのだ。インチキなインチキな計画なのだ。

 

物事がよくわかった専門家の中でのみ、私はいきいきとできる。昔からそうだ。あとは、友達がいると助かる。

 

音楽

 

困ったぞ。何も作れない。最初は、ひどい歌詞の曲を作ってやろうと思う。やっぱり作曲ソフトが悪いのだ。それはわかっている。守護霊達は嘘ばかり言う。

 

2018年12月29日

 

足が細く、筋肉の繊維、カーテンのひだのような風貌の人とは、いつか友達になる。永遠の時の中で、わりと早くに。楽しみにしておこう。ひどく扱わないでおこう。まだ知らぬ友人なのだから。私は知ってる。見た目でわりとわかるようなった。彼女たちは知らないとしても。

 

もうすぐ紅白の大戦がはじまって、5年で日本だけで500万人なくなる。だが、我々が半分を助ける。国内の大戦が始まる。それを抜けた時、私は伝説になっている。歌を奏でてる。どうして、人々は冷静でいられるのだろう。

 

もうすぐ大地震が日本を襲う。有史以来の惨事で、100万人がなくなる。日本で。我々がその9割を助ける。どうして、東日本の人々はおちついていられるのだろう。

 

みんな逃げようぜ。財産もって逃げようぜ。今なら、間に合うよ。おとなしく安全な町で暮らそうぜ。

 

2018年12月29日

 

どうもボストンの同級生の霊が多い。おかしいと思ったら、4人もおかしな理由で悲劇に。私に何も知らせないでいると、不幸になるのは、どこも同じ。しかし、アカはえらいことをしよる。ユーレー達の実力を知らないのか? あっち(米国)は直接くるんだよ。私のように優しくないんだよ。

 

あーあ。女性も処世術に長けた者だった。独身じゃなかった。知ってたのに今年だけ忘れてた。まぁいいか。これはよかったのでは? 今まで池田で出会ってきたのは処世術のいろはから教えなくてはならない、ボンクラばかりだった。やっと、タフなのが今年度の担当?だった。私についてこれそうなのが。男性は、車誘導君だった。彼も、ヤンキー系。

 

私は、本来ヤンキーを従わせる位置にいる顔だから、ちょうどいい。まずは、おとなしめの人のよいヤンキーに慣れる。ほんと、羊をかぶって長く過ごしすぎた。だんだんと、私の本性が知られるようになった。慌てても遅い。

 

私、天王寺の人間と気が合うらしい。これ聞いて、ビビらないのは、大阪に疎い。ただし、最近の研究では、大阪の人は京都に比べ、道徳力は落ちるらしい。天王寺が最強ではないらしい。大阪市大にいたけど、住吉でも男はかなり人は怖かったぞ。倫理力はどうかは知らないが。住吉はあまり気が合わないとはわかったのだ。阿倍野区はどうだろう。私のイメージではいまいちだけど。

 

枚方で立て直したら、見方が変わるかもしれない。

 

私の今の人間評価法

 宇宙の中心がすこぶる強い。それで、人間を評価するようになった。中心の力の片鱗をみせないのはまずは論外。中心でそこそこ評価されなかったのは、弱い者。中心で何かと出来るやつが、立派なやつのはずだ。そういうのも探してみよう。

 

この方法がよいのは、地域の影響を受けないこと。どんな辺境にいても、低い文化を学ぶことで、落ち目になるのを防ぎ、あちら(中心)の文化を学んでいたら、幸せな気分だ。どこにでも、中心の影をもつ有能なのはいるのだ。

 

冒険は楽しい。古江の猪名川の河原を歩いた。初めてではないと思うが、初めての気分。楽しかった。記憶もよく残っている。これだ。同じことの繰り返しをやめよう。

 

冒険は、記憶が悪くなった者が、新しい体験を求めてすること。

 

 

2018年12月29日

 

14年後の我々?

 

2018年12月28日

 

深夜0時。年末の予定を立てなくては。30日に窓掃除。29日に玄関も洗い。風呂場はするなら28日か。明日やろう。31日は、そばの用意。

 

年初の予定は、1/1は実家と初詣。1/2はできればおでかけ。1/3-4が山?

 

予定は立った。

 

作曲したいのにまだできない。どうすればいいの?

 

自分の課題を一覧にしておこう。

 

何か妨害されて進展しないこと

作曲すること。

哲学すること。

精神論をまとめること。道徳、

スポーツ、運動をすること。サッカー、アイススケート他

人つきあい。友人と会う、語る、

女性とのラブラブ

金銭のえること

好きな土地に住むこと、枚方

文学作品を書くこと、被害日誌

数学や物理、工学、

 

やっと進展したこと

アイススケートジャンプの学習

腕の筋肉つけ 懸垂

キーボードの練習

写真の技

鼻歌の練習

 

もうあまりしないこと

囲碁。

 

伸ばすべき能力

透視--地震予知、霊との会話、自分の事故予知で必要。

会話力--必須、

数学力

ソフトウェア--作らなくては。

文章力--本を書けるほどにならないと

作曲力--はやる曲、力強い曲をかけないと、

運動--高くないと、登山で困る

視力--みえにくい。

英語--低すぎて、デビューする時に困る。

 

これらについて、予想を立てておこう。

 

2018年12月27日

 

地震の観測データ分析のため、観測データの画像を、分類整理するソフトを探す。

必要な機能は、ある日付の画像を並べて表示すること。適当なサイズに変えてみれること。

日付の画像は、簡単に、ファイル名にある。特定の番号の画像を検索して、みつけだす。それを表示する機能が必要だ。

タグで分類するのは、面倒なので、しない。

 

次に、地震リストが表示されるものがよい。それを検索すると、文字列の中から、地域の地震がわかるもの。これはソフトであること。これは地震リストを作成する。それを検索するだけのものでよい。

 

私がすることは、特定地域の地震を検索すると、特定地域の地震リストが出てくる。

その前日の観測データが、表示されるもの。

 

というわけで、わりと簡単なのだ。

 

エクスプローラーと『地震リスト』があればよいわけだ。その2つが統合されたソフトウェアは、なかなかみつからない。しかし、さっき検索してわかったが、エクスプローラーの検索は使い物にならないから、別ものを用意せねば。

 

わりと地味にやるしかないな。当面は。エブリシングは、日本語にしないで使うしかないようだ。当面は。

 

次は、

 

マルクス・ガブリエルがNHKで哲学を語る。あまりにも支離滅裂で、ひどい。ドイツ期待の若手という。が、私は本を読んで、たいしたことがないと思った。彼は話すと想像以上にだめだった。NHKも困っただろう。大金払って呼んだが、ひどすぎる、と。最後に、私は記憶か歴史を信用しない、というのが締めくくりだった。哲学史を語っておきながら、最後の最後で今私が語ったことは信じてませんよ、と言い切ったのだ。あーあ。使えない。

 

しかも、資本主義の崩壊という話で、いつもNHKが参考までに映像として映し出すのは、共産国がつぶれる場面。資本主義はつぶれてないのだ。話とあってない。

 

彼がどうして自信満々に語れるのか。それだけが謎として残る。なんでこんなやつを呼んだのか、とNHK内でもさぞもめただろう。

 

ただ、私もわかったのだ。新自由主義について、哲学的に語れる人物はまだいないようだ。彼はまったくできてなかった。彼によると、ポスト構造主義の次は、新自由主義なのだそうだ。へぇ、と思った。ドイツの哲学はそうなんだ。

 

私も哲学を一通り、語れるだけ学んだら、あんなのは軽く論破できてしまうのだけど。それは3年かかる。ともかく本代がなくて、買えないのだ。勉強できないのだ。

 

2018年12月27日

 

12年後の我々 中心宇宙が予測する未来

 

2018年12月26日

 

そろそろ年末大掃除の準備。お年玉の用意だ。他は、特にない。お年玉? 百円ショップで子供のほしがるものを選ぶのだ。

 

地震予知を徹底検証しなくては。どうも地電流の読み方からやり直さなくては。いつも、注目されることだけを目的にして、的中を目指してなかった。それをやり直す。

 

まずは、地震エリア別の予兆の一覧を作る。

北海道、小笠原諸島、東北、関東、東海、近畿、島根鳥取、九州、日向灘、奄美大島付近、沖縄、台湾。

 

これを仕上げるのに、1日一つとして、だいたい10-20日かかる。しかしやりとげなければ、前に進めない。やり抜こう。

 

やり方はもうノウハウはある。地磁気と地電流で、調べる。地磁気は、アラスカと、ロシアと柿岡、女満別、鹿児島のチェックである。地電流は国内のみ。

 

エリアの地震を、1-5個抽出して、調べる。

 

これを一覧表にするのがよい。まずはデータ収集と、分析してゆく。一日に1エリアとする。

 

国内が終わると、海外も。どうやればいいのかな。エキセルが使えれば、問題なかったのだが。

 

1月いっぱいかけよう。エリア別の予兆は、しだいに充実させる。これは、何かよい方法があるはずなのだ。何かよい方法が。データの体系化を簡単にする方法が。

 

画像を整理、分類ソフトがあればよい。それだ。

 

2018年12月27日

 

11年後の我々 中宇宙の人々が予測した未来 26日の分

 

2018年12月26日

お稽古ごとにイゾかしくなってきた。ピアノに時間を使いすぎだ。それから3Dをする。若い者たちの相手。朝は、昔の友達の事情を調べる。なんだか忙しい。

 

作曲は時間がもてない。いや、新しい方式を学びつつある。それが使えるほどになるまで、ちょっとかかるかな。

 

レベルたっけえ。

本人の作曲だとしたら。私はたいていの新人よりも、曲をつくる能力はあるとされていたのに。そんなことないか。地方の話だったな。全国区にはまだコンスタントに勝ってないな。はははは。負けられん。

 

2018年12月24日

 

クリスマスだ。プレゼントなし。いつ届くかな。私が喜ぶようなものが。何もこない。

 

今日は、昼は多田にゆき、午後に帰り、アイススケートを見る。最近、ジャンプを覚えつつある。それから夕飯を食べて、買ってきた白いケーキを食べる。キーボードの練習をする。9時からは、透視で1時間、クリスマス会をのぞく。知人が幾人か出ているのだ。

 

そうやって、一日がすぎる。で、私は何の仕事をしたか? アイススケートを妨害する霊能者の活動を排除した。それくらいだ。いやいや、午前中に、地震予知ブログを書いた。その2つかな。

 

記憶が低下しすぎると、痛みを感じなくなる。戦場で、兵士に迷いなどなくすために、処方する薬などあるが。似たようなものらしい。アカは、忘れさせるのは逆効果だとまだ気づかない。

 

簡単にいうと、長い苦労を耐えさせるのは苦痛なのだ。が、忘れると、それも簡単にできるようになる。毎日があっという間に通りすぎる。精神的に追い詰める時には、してはいけないことだ。記憶はよくしよう。また。視力なども高めておくとよい。すると、見たものが強烈に感じられる。それをなかなか忘れられない。

 

記憶の悪い老人たちは、本人達は何も思いつめることはない。記憶が低下するほどに、彼らは明るくなる。そんなことも知らないで、人を精神的に追い詰めようとするのが、アカなのだ。

 

犯行や被害を忘れさせる、ということを狙って。しかし、それは無理なのだ。なにしろ、アカは自らその記録を裏ネットにかいているのだから。

 

2018年12月24日

 

透視で、霊たちの地上向け特番、クリスマス会を見る。

 

まずはエブラハムからモーゼ、イスラエル王国などのおさらい。イエスの子が誕生して、青年になり、法を説く。弟子が、ユダヤ神殿の市で暴れ、捕まる。その宗教団の長としてイエスが捕まり、磔にされる。そして、ローマやトルコに弟子たちが広める。

 

時が変わって、ローマ時代の教皇が現れ、迫害される。ローマの皇帝が国教にする様子も。時がすぎて、ローマが分裂して、教皇達の話がつづく。英国か隣の島国の話も。

 

教皇がイエズス会なので、ザビエルかもう1人の宣教師が、インドや九州に来たことが、あった。

今回の特筆されたのは、高山右近。彼の墓や池田北部、石橋の商店街、高槻の教会が映し出された。それからスペインによる南米の布教があった。コルベ神父らしい迫害も。また中国からソ連の戦後の迫害もあった。

 

そして、厳選されたメンバーが天国にゆき、イエスに挨拶。相変わらず、あの地は燃えた跡が生々しい感じ。

 

で、舞台には、10次元のイエスの家まで通路のドアが開く。今年は、ブッシュやおそらく、サッチャーか?その他と日本のおばさん(私の使い)と、高野山に由来がある医者男が、挨拶する。教皇は2人だ。最近は、片方をあまり見ない。そしてお皿か何かを受け取る。

 

そして戻ってくる。鳥が語り、電波を浴びせられて、白い車で逃げ惑う様子がうつされる。そして、彼女が寸劇する。そして、彼女が神の声を人がまもく届けることを告げた。神の役割をもつ者が、次々と紹介された。イエスの子は二番目に。三番目はカエサルの子である。

 

そして、天国の門を持つ者がお開きの挨拶をした。今年の参加者へのプレゼントは何だったのだろう。

 

今回は、これまでになく、よく見えたと思う。終わってからは、音楽会だ。お礼を何か考えなくては。

 

 

2018年12月23日

 

気になる人で、気に触る感じがしても、何か気が合うなら、いつか出会う人なのだ。悪く考えないようにしよう。意外と親しくなるかもしれない。親しくならないかもしれないが、身近には現れるのだ。表情から、相手の考えがわかるのは、本当はあまりいないのだ。大切にしておこう。

 

よそ見ばかりする輩に囲まれていたら、今の私だが、本当に退屈になる。

 

好きになるのは、いいやつだ。それは確実だ。

 

歌詞が思いつかない。『バックドア』とか、いたずら気のあるものを考えた。私が曲を作れないのは、単に、音楽力が低いからだ。一回聞いた曲は、暗記できるくらいでないといけない。それなら、忘れないし、残る。

 

囲碁なら対局は序盤から最後まで忘れない。そのくらいの記憶力が、力量がなくてはいけないのだ。音楽にも。

 

あーあ。最近、枚方っぽい感じの人にひかれるなあ。

 

2018年12月21日

 

年末、大阪にゆけそうにない。残念だがしょうがない。12月の予知は当たらなかった。

 

音楽友の範囲を広げたところ、東京のトップ予備軍達、2-3流にいた。友達になるかはわからないが、そういうクラスにはいる。そういう世界も同時にみえてきた。地方から東京に出てきたのが、たくさんいる。この中に原石がいくつか。多くは、スターにのしあがることはできずに長くくらす。

 

私の囲碁みたいなものだ。私はアマで大阪一位が一回で2位が2回。あれはアマだが、実力的には、そう変わらないのだ。音楽、バンドや歌は、囲碁ほど学習しなくても、それなりにプロやステージプロになれるのだ。が、ピアノやバイオリンなど楽器は、囲碁並みのすさまじいほどの鍛錬が必要なのだが。

 

 というわけで、バンドは私にとって隙間産業みたいなもの。築きあげた人でないと入れないような世界ではなく、若干、鍛えれば参入できそうな世界。曲は。歌は、そう簡単ではないのだけど。バンドのギターやキーボードは、そう要求されないのだ。

 

ダンスの歌グループは、そうでないよ。あれは競争が激しい。実力が多少あれば、プロになれるのは成り上がりのバンドだけ。ただし、アイドルは歌はあまりうまくなくてもよいみたいだ。

 

日本の曲は、レベル低いからほんと、イージーに活躍できそう。

 

でも、東京のバンドとかは、地方と比べると、レベル高いよ。曲はさえないけど。

 

今日は、どんなテーマにしようか迷った。日本の曲を貶める元凶は、学生服だ。みんな学生服を基調リズムにとりいれている。そのイメージを壊すものを作ろうと思った。が、いいものはできなかった。歌詞、先行だと私は苦手だ。それに、今思いつくのは、日本の曲に少し、毛が生えた程度のもので、さえないのだ。

 

他のテーマとしては、日本の語調、5.77を壊すようなのもある。日本の生活とマッチした曲にしたいのだけど、いったいどの瞬間が、私の作りたいリズムやメロディと一致するのだろう。

 

一曲、40-50万円で売れるということに気づいた。ほぉ。そうだ。私がそんな実力になるまで2年と少し。がんばってみようかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年12月21日

 

未来の我々は、中心宇宙の予測に基づくもの。今は6年後。

 

2018年12月15日

 

写真は動物ばかり。

未来の遊び友達を2-3人、新たにみつけた。音楽友。男がいいよな。大阪の女性は日本人で、私についてこれないはずだから。久々の男友だよ。タフガイだといいな。前に音楽聞いた時には、気づかなかったよ。そんなに長くつきあわない未来だったと思うけど。長いもかしれん。

 

で、彼らの音楽の力量が高くて。今の私のドタドタと弾くピアノでは、共演できないわけ。あらら、練習、練習だ。現在の予定では、人前で恥ずかしげなく演奏できるには、あと1年9ヶ月かかる。長いわ。

 

まぁいいか。まだ曲もないし。まずは、電波犯罪を片付けて、次にデートに恋もして、遅すぎる青春して。本も出さないといけないし。音楽は先延ばし。

 

というか。俺。天才だよな。そうだ。まだギター男をみつけてなかった。そろそろ知っておくか。

 

男の友達というのはいいよな。今まで女性だったからな。普段の勢いを落として、相手に合わせるような気分だった。それで元気なかった。急にやる気が出てきたぞ。でもな、アメリカ帰りだけは、違うみたいだ。あの歌姫、NY帰りは、世界とるぞ、みたいな勢いで生きているし。下手すると見透かされる。そんなに音楽の才能ないってことを。

 

そうそう。私は、結構、口だけ君かもしれないぞ。批評眼がやたらと鋭いタイプ。テレビや芸能界では、そんな人物ばかりだけど。そういう連中と私は似ているのだ。何がよくて悪いのか、鋭く、細かく見抜ける。で、本当にできるやつは、言ったことはすべてやりとげられるのだ。悪いものは出さない。プロはそうだ。それをうまく演出するのだ。私は、それが十分できないのが実力不足なのだ。

 

 で、大事なことを一つ書いておこう。批評家は、才能なのだ。よしあしがわかる。もし、絵や塑像、音楽をしたら、いずれ悪いことはしなくなり、よいことだけができる。批評家は今は技量がなくても、やれば芸術家になれる器だ。なにしろ、よしあしがわかるのだから。プロもそれがわかったら、よりよくなれるのだ。

 

 どうでもよいことだった。言い訳じみたことを書いてはいけない。

 

男友の彼。現在で、あの鍵盤弾きに、あの曲。あとで出会う女性のほうは楽に追いつけそうだったので、楽ちんと思っていたのに。案外、レベル高いことに気づいた。今のレベルではとうてい相手してもらえないぞ。数年後なら、大丈夫と思う。が、あっちも曲は洗練されてゆく。楽器のほうの技量も安定してくる。どのくらいになっているのかな。

 

本当、いつもそんな感じだ。囲碁も大学で同期で同じくらいだったのは、私が最初に彼らを見た時は、彼らは私より4-5段は上だった。私は独学で伸びて、急速に追いついたのだ。

 

彼は、尼崎の少女ほどの才能ではない、単に受ける曲をかけないと思うので、大阪に残っていて、出会えるのだとは思うけど。やる気は出てきた。

 

というか、他に面白そうな男友はいないのか? やる気を出すには、面白い男友を探すにかぎることに気づいた。

 

2018年12月15日

 

 中心宇宙が見出す未来 1年後  1000億年後の未来を見終わったので。

 

2018年12月10日

 アカ達はお互いを騙し合い、私に犯行を他人にさせようとする。私の想像以上に、同志を貶める。そんなことを初めて知った。私の周辺に来るのはアカも一般も、騙されてきたことを知れ。

 

台湾の音楽が進化していた。きっと進化している。昔は、日本音楽の二番煎じだった。が、今は何か新しい。日本のほうが、垢抜けてない。

 

夫婦とか恋人とか、私にはわからないな。幸福って何だ? 何なんだ。

不幸は知ってるぞ。病身にさせられることだ。ストーカーがつきまとうことだ。毎日、嫌がらせを受けることだ。小さな不幸が、連日のように押し寄せる。それでも、私はめげない。

 

自分の子供? 私が育てた子が自分の子供だ。他人を父という者は、私の子ではない。この意味では、私には3タイプの子がいずれ生じる。一つは、私の遺伝子を宿す子。もうひとつは、私の遺伝子をもたないのに妻が生んで家庭に潜り込んだ悲しき子。もうひとつは、私が守護霊となって育てた子だ。こちらは遺伝子は関係ない。私の資質が十分に反映されている。

 

他人を父と呼ぶのは他人の子だ。私の子ではない。ここは厳密に扱う。私の家族と呼ぶ者は。

 

他に母による定義もある。妻との子、妻でない者の子がいる。どちらも私が一から育てると私の子だ。さて、私を父と認識するには、何歳から何歳までを自分の養育下におかないか。いわゆる刷り込みである。子供は父を誰かと認識する年齢が決まっている。5-6歳頃には、国家の長を認識するからそれ以前である。

 

 生まれてすぐに母親や父親を記憶するようには人はできてない。何歳かが大事だ。それまでを私が育てた子が、私の子なのである。この意味では、DNAは関係ない。

 

というわけで、私は子育てに関わってないから、私の子はまだいない。

 

2018年12月9日

 

中毒が治る。そろそろ大阪に行かなくてはならず、病み上がりでは冬場はしんどい。健康でないと。

 

見えない友人たちを作って2-3日め。若者や社会人ののりを学習する。いやあ、いきなり緊張する。スケート界で、結構、私は信頼されていると知る。恐れられてもいた。が、それも過去。人気者になっていた、感謝れさていた。なるほど、腰折れスケーティングか。さすが業界のことはよく知っている。スケート界のことは少し開けた。

 

私の失態かと思ったのだけど、やはり通知が万全でなかったようだ。そこはしっかりとおさえることにした。

 

2018年12月6日

 

昨日は、私が関わるランクがわかり、現在の実力が判明したところ。まだ中の上級クラスだ。上(全国で活躍する知識人)とはいかないようだ。

 

このところ、充実している。ピアノの練習、読書、音楽ビデオを見る。夕方からは、きっちりこなせる。

 

最近新たにわかったことは、先生をつけたほうが早く上達することだ。なんにでも先生をつけることにした。もちろん、見えない者たちしか今は呼べないが。

 

2018年12月6日

 

650億年後の我々

 

2018年12月5日

 

台湾の女性はいいな。そうだ。台湾の英雄になろう。来年、4月から、地震予知に励もう。

 

もしかしたら、私は台湾音楽に届いてないのかもしれない。日本のPOPsと一風変わるメロディ。私は日々、口笛で出てくるメロデイも、日本の歌を少し改良した程度。すると、台湾ほどの変異もないのかもしれない。

 

2018年12月5日

 

保守を名乗るくせに、私の思考を盗聴したものを読み、私にわかるように文句をつける愚か者をみつけた。アカ犯罪者の扇動、離間工作にたやすくひっかかる。そういうやつは、日本を正す者の中に、いなくてよい。

 

反省させているところだ。最近、私が相手にするのは、中大型の組織だ。例えば大店I。アカに踊らされて、私に嫌がらせをしてきた。それを修正するように、半年ほど圧力をかけている。

 

 それ以前は、小型の商店、もしくは大きな会社の支店で、赤側に立ち、私に嫌がらせをする者たちを成敗してきた。今は、中型を対象にする。しだいに規模や人間は大きくなっている。

 

 アカの手下になり、またはアカの策略にひっかかり、私を貶めるすべてを、叩く。アカとともに。最近は、一撃で叩ける者、組織はなくなり、中長期戦となっている。

 

 赤側についたことは、しかし、歴史に残り、自らを修正しなければ、その組織はつぶされる運命にある。個人も、改心して、私への理不尽な態度を正さなくては、悪とみなされ、消えてゆく。

 

 私は相手に否がある時だけ、追求する。私に誤りがあれば、私は私を正す。

 

今回は、盗聴を読んだ時点で、負けで、悪なのだ。私の私的な反応などは見なかったことにしなくてはいけなかった。もし、反応するにしても、的確にしなくてはいけなかった。

 

しかも、私に無用な中傷、アカが用いる嫌がらせと同等のことをしたのは、悪党そのものだ。アカの同列なのだ。アカが今、それを言わないのは、私を恐れているからだ。少し前までは、アカが言っていた。アカと同じセリフをよくはけたものだ。

 

それは、いわゆる、ストーカーの「ほのめかし」。つまり、彼は悪意あるストーカーだ。そこまで落ちたことを知らなくてはいけない。世間は、彼をそう見たのだ。ストーカーの一員になりよって、はしたない、と。簡単に言えば、アカストーカーの下っ端になり果てたのだ。

 

 電波犯罪の被害者がストーカーのほのめかしにどれほど苦痛を感じているか、ネットを調べたらわかるはずだ。知らないはずがない。知っていて、やったのなら、なおさら悪人である。

 

 私は実は、気にしない。このアカの手口にひっかかるかどうかで、できる人か愚か者を区別できる。そして、アカネットを読むかどうも判別できる。試金石のようなものだ。アカの罠にひっかかった者は、情けないと思いつつ、非難する。

 

 「ほのめかし」要員となったことは、すなわち、アカ仲間とみなせる。赤側の人物とみなす。あかに騙されて、それをするかは問題ではない。アカの使える要員なのだから。だから、見識ある人物がそれをした時は、必ず反省を促す。一般人がそれをした時は、アカ組織との関係を断つべく処置を講じる。

 

 これはしておかなくてはならない。しないと、いつまでもその人物はアカ仲間として、犯罪の一端を担うからだ。ほのめかし程度なら、罪ではない、と思うの大間違いだ。仄めかしで大勢が死んだ。犠牲者が多数いる。その数は1万人を超える。3-4万人はいる。

 

アカが背後で暗躍したことによって起きる自殺は、すぐに心中や自殺しない場合は、このように周りから攻める。ほとんどこの手法で、精神を追い詰める。仄めかしは、犯罪を知らない被害者に対して。直接言うのは、犯罪を知る者に。大勢の仄めかしで、精神的に圧力を加える。

 

犯罪を知る者には、大勢が噂し、話すことで、逃れ、休める場をなくし、社会的に追い詰める。みなが非難するほうが、責任や苦悩が大きくなる。アカは、そういう意図で、仄めかしをさせる。気軽に非難する言葉を話すように仲間に促す。そうやって、大勢を殺してきた。

 

 「仄めかし」をした者、アカの指示通り、人に言葉を投げつけた者は、アカとその群れ、殺人者達の一員になっていることを、自覚しろ。

 

反省がなさすぎる。犯罪の片棒をかついだことを、自覚させるためにも、私はきつい処置を講じるのである。反省しない者、改心しない者は、やがて私の前には姿を現さなくなるのが、通例だ。どうなったかは、知らない。

 

ただ、私としては、それによって、弱みを握ることができる。犯罪者の一員だとわかったのだから。そのことによって、私の影響力を増せる。私にとっては、いい機会なのだ。

 

保守失格。落ちた評判を戻すのは、簡単だ。私にアカネットを教えればよい。すると、自らの過ちに気づき、勇気と正義感に満ちた行為をした者と讃えられる。世の中、行動しだいだ。

 

私に冗談が通じると思ったのか? ストーカーのぱしりになった自分自身の愚かさを、痛烈に批判してくれ、という思いだけは伝わってきた。それで十分だろう?

 

2018年12月5日

 

650億年後の我々

 

2018年12月3日

 

思想を書きたいのだけど、それほど急がないのだ。

 

みんな私のことはたいしたことがないと思っている

 

私を近くで見てる者は、才能があると感じるようだ。身近な者は。が、やってみれば、さほど成績が伸びないのである。囲碁は学生ナンバーワンにもなれなかった。学力試験では東大にゆけなかった。

 

発達心理は、歴史上の作品を書いた。社会思想でもだ。まだ細部はつめてないが。今のところそれだけだ。結局、これからもそれだけだ。値打ちがあるのは。

 

宇宙の中心をみつけた? それは楽しいだろう。

 

霊界と宇宙人をみつけた? それはおまけみたいなものだ。

 

裏世界では、私はトップ・オブ・ザ・ワールドだ。この時代の。

 

そんなの裏じゃないか。違う、違う。

 

自分がたいしたことがないと扱われることに対して、それは本当の自分の位置ではない、と思う人とはどういう人か?

 

世間ではこういう人の特徴は、劣等感が強いと、人と比較するな、と指導するみたいだ。その心理学者のアドバイスは大間違いだ。

 

本当に、その人は大物なのだ。だから、低く扱われることに不満を感じるのだ。今は、実力があまりなく、小さい人物だ。が、本人はもっと大きくなることを何かで知っている。だから、小人だと思われることに抵抗する。才能があるのに、無能だと扱われたように思うのだ。それで、たいしたことがないと思われたときに、反感を抱く。

 

この感情は、本人の将来を暗示するものだ。だから、その気持ちは大切にしよう。まだ将来、大物になるという確実なものを示せないから、それで焦って、過激な心情になる。もしくは、相手に対して、その予見力のなさ、人を見抜けない低能なこと、それを扱うことがうまくない時は、過度にそういう言葉に反応してしまうとしても、それは大事ではない。

 

 才能があるのに、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年12月3日

 

今日は、体調不良ではないかと思ったが、頭痛もなかった。頭に何か注入されて、毒かと思った。が、きくらげを食べたあとに頭痛は一切なし。もともと毒以外のものだったのかもしれない。もしくは軽微か。

 

でも安静にした。天気がよくなく、伏尾台を散歩するだけの日にした。午後から散歩すると、気分を変えて、吉田橋にゆき、そこから五月山のほうに向かって、新しい道路をはじめて、歩いた。それからは伏尾にぬけることにした。北に進む道を歩くと、昔、遠足で行った伏尾に抜ける田畑の道にでた。2つの小さな池が記憶にあった。そこで、道がなくなった。回りは畑と林だ。

 

そこからは道を見失った。仕方なく、その辺りの獣道を北にむかってあてなく、進んだ。林の中につづく、獣道みたいなものに入っては行き止まりで戻った。2-3度、そいうことをした。そのとき、鹿の群れが私の後ろを通り過ぎた。3-5匹いた。そういえば、夢でうすくらい林の中を、姿がはっきりしない鹿が走り抜ける夢をみた。

 

 しばらく迷ったが、そこは遠足で来た道で、通り抜けられるのを知っていた。粘り強く探した。元の道にもどった。最後に進んでいない方角。あぜ道をまっすぐすすんだ。すると、やっと道がみつかった。さらに進むと、道ははっきりとしてきた。しばらく坂をおりると、伏尾の横道に出た。そうだ。そこにつながるのだった。遠足もそうだった。

 

そこからは伏尾の団地を回り、久安寺に寄り、高い缶ジュースを久々に買い休んだ。それから久安寺は葉が落ちて、紅葉も末だった。写真をとった。それから帰った。

 

昔の気分を取り戻した。それが言いたかったこと。この学校が休みのときのようなけだるい感じ。曇りだし、今日は一日そんな気分だ。

 

 これで気づいた。私は毎日、商店に寄る。そこで気分を変えている。それを繰り返している。だから、日々の変わりが早い。意識がよく変わる。毎日、家のような場所、狭い地域にいると、あまり考えが変わらないのだ。

 

 私は、これまで何度か、大きく考えを変えている。信条の体系を。それが可能なのは、毎日、店舗にお買い物に出かけるからだとわかる。多くの場所に立ち寄るからだと。

 

2018年12月3日

 

600億年後の我々

 

2018年12月1日

 

やっと12月。私の活躍まで4ヶ月。幸せの始まりまで、5ヶ月。まだ風のよう。

 

私の新しい友だちをみつけた。私の曲を歌ってくれるのは、U***A**ではなく、こういう大阪の人々。みなすでにわかっていたのに、私だけが知らなかった。私を見に来た1人だと判明。出身が枚方の私と近く、気心は合うだろう。友達度はトップバッターほどでないだろう。お姉さんという感じ。

 

私は曲を書き上げねば。今はまだ日本で広まる曲すら書けない。仕上がるまで時間がかかりそうだ。

 

イエスの子が勤務する奈良市の中学は、わかったようなわからないような。透視で推測した彼の住所から北東である。罪人(世界の罪をすべて1人で(償う)背負う者)の子は、どこに? 八尾や東大阪で何度かみかけたはずなのだ。ネットで検索しても、同じ顔がみつからない。はっきりとわからなかった。候補は1人いる。彼だろう。最近の彼のあだ名は"罪人"なのだ。

 

おかしい。歌姫は奇跡的にみつけられたのに。写真がネットでみつからない。剣道をしてないのかな?

 

2018年11月28日

 

久々に寄付がきた。うれしい。ありがとうございます。名前がわからない。

 

年末に一つくらい当てようと意気込む。日をつきとめなくてはいけないが、透視する場所が今はない。どうしよう。12月は1-3日に成果が一つ出る。一番のはインドで、当てても評判が上がらない。

 

外でできないなら、家でしよう。

 

 

2018年11月28日

 

430億年後の我々

 

2018年11月27日

 

箕面のキューズモールでパイプイスを買う。ピアノ練習用に必要となった。これが、今は楽しい。ひっしになってやっている。楽しいのである。

 

このところ、感動しなくなった。鈍感になったわけではない。新たな喜びが静かに深く強くなっている。枚方の感覚が近づいている。池田に戻るときは嫌な気分が一年前から押し寄せた。こちらはいい気分。

 

だんだんと生活の密度が増している。何もしない(家事にあけくれるのみ)主婦のような生活もおしまいだ。

 

幸福でない。大人になって、自分の家族をもてないのでは、妻もなく、自分の子供もいない。これは不幸なのだ。自分が好きな場所にも住めない。自分が行きたいところにも行けない。自分のしたいことができない。不幸だ。

 

ただし、こんなつまらない日常でも、セックスとわずかな遊びで満足する人は多い。

せめて曲でもかけたら、楽しいだろうな。

 

社会論でも書くか。

 

2018年11月27日

 

400億年後の我々

 

2018年11月26日

 

あーあ。11月の地震予知も全敗。がっくり。なんてこった。これでは年間勝率ゼロになる。ニアミス賞はくらいしかとれないぞ。まずい。まずすぎる。ここは一つ当てなくては。12月がラストチャンス。

 

ギャグなしに、会話しろと言われたぞ。凝りすぎた物言い、笑いは修飾要素。それを省いてみるか。正確無比の言論にすればよい。それはそれで評価される。

 

六甲山に登り、神戸の西は私と相性が悪くないとわかった。私が苦手とする地区は、今のところ神戸の東側と梅田から豊中、池田までの地域と判明。堺はいまいちなのか、いずれ判明する。よくこんな陰気な地域にいつまでも閉じ込められたものだ。自分で選んだわけではない。

 

そうか。私を見て、喜ぶ人(女)がいる街では、私はそこで楽しめるわけだ。暗い顔をするのは、避けておこう。

 

開放される気分は、どうやったら得られるか?

 当面の課題かも。

 

出会ってもいないのに、結婚式の話か?

 結婚繰り返し×子はいやだねえ。そんなことより、子作りの話でもしてくれよ。私はそっちのほうが楽しいわ。あれはカネ目当てだ。カネに目がくらんでいる。カネ必要が強迫観念となっていて、その怨念のような思い(妻となればカネに困らない、バラ色の人生)が、そのまま男に襲いかかるのだ。その呪いの言葉が『結婚』。早く、貧乏神のような執念を取り外してくれよ。

 

2018年11月26日

 

360億年後の我々

 

2018年11月22日

 

最近は、いろいろと出てくる。私が大勢と話せるようにと、いろんな人が現れてくる。コミュニケーション能力の回復と、多様な人に慣れさせるためだろう。

 

2018年11月21日

 

山梨の予兆かと思ったが、違った。地磁気を見たら、すぐわかった。また波形が違う。時間が早まると予兆となる地電流の波が早まると思ったが、それが誤りの元だった。同じ時刻に出る。

 

ピアノ練習は楽しいのだ。これはかなり楽しくなるとは思いもしなかった。長年、何も学習しなかった。独学で停滞していた。きっちり学ぶことは、飛躍できてよい。

 

どうして、山梨は当たるのか。そうだ。仕事を忘れていたぞ。ピアノばかりやっていたらいけないな。

 

自分の成長が、早まったか。長年、孤独にさせて、のんびりさせてきた。これからは人の中でもまれるようにするらしい。半年後から。それでなんとかなるなら、よいのだが。

 

2018年11月20日

 

山梨地震。とうとう、予兆が出た。茨城県のち電流に今夜。

 この予知は、当たると多くの人が言う。テレパシー先のあの子。霊たちも。というわけで、当たるのだろう。

 

 関東南部が危ういと言ってきた人たちは、横浜、鎌倉あたりを警戒しているのだろうか。そことは違った。

 

 当たると少々の寄付が入る予定だ。そんなに多くはない。たいていのサラリーマンの月給以下だ。それが今年の収入のすべてとなる。

 

 長かった。やっと、浮上しそうだ。さんざん当たらないと罵られてきたからな。私が当てると知っている連中に。アカ達だ。

 

 来年3月に、東日本大震災+首都直下地震がある。それを誰が予知するのか? 私しかいないのだ。どうしてそんなに否定したがるのだ。

 

天使の子のおばさんとテレパシーで話す。このおばさんは、川西の多田でよく見かけた。が、やっと本町あたりでアパレルをしているとわかった。本町はさびれている。が、彼女はまだついているのだ。心斎橋もなんばも地震で焼け落ちるのだから。私の仕事がふえた。心斎橋をどうやって地震の大火から防ぐか。

 

彼女の謎がいくつか解けた。わりと商人だった。

 

元白かった女性たちとも。

 

最近、話題になっているのは、イエスの子が大阪に現れるという話だ。世界中の教師で、剣道部の指導に多忙で、なかなかこなかった。やっとだ。クリスマス前にやってくる。

 

 もちろん、イエスの挨拶をさせて、それから… 特にないな。彼はまだ30才になってないはず。私の体験では、白い世界に慣れさせる時期だ。社会的な仕事をするのは、30才をすぎてから。教師が社会的な仕事? 違うわい。世論に影響を与えることだ。

 

彼は思想家で、空間期の哲学を樹立することが仕事のようだ。私は社会思想の統合で、まとめること。彼は簡単でいいよな。時代の初期のは、易しいのだ。デカルトみたいな新しい思想の夜明けなので、新しい感性を意識を、描くだけ十分なのだ。が、時代の思想を完結させるのはヘーゲルと同じで、それまでの思想の頂点に立つもの、時代で最も難しい理論をまとめるので、たいへんなのだ。

 

しかし、しかし、大阪の人間は、だめだ。関西の人間は使えねえ。例外は、イエスの子らしい。彼は思想をもち、やる気はある。

 

関西の人間は、集まりも消極的で、何も動こうとはしない。金がある東京の者たちとは大違いだ。あちらはパーティー三昧もあるし、気が向いたら外国にもゆくし。いつもノリノリだ。が、関西の人間は、いったい何をして暮らしているのだ? ちーともわからない。活気がないし、何かやろうという話もしない。

 

 こんな社会に閉じ込めて、私を大きく育てるにはどうするか? という算段をしているのだが。俺だけ頑張ろうっと。

 

2018年11月20日

 

260億年後の我々

 今は、宇宙の中心にゆく者を増やすことから、私の成長をあげるためのことなどを学ぶ。3Dの作成、設計などの才能を高めるのが大事。

 

 

2018年11月17日

 

私の才能の伸びは、優秀な者くらいだ。それでも、やり続けることで、怠惰でないことによって、早く成長できるらしい。それが何万年、何千万年と続くことで、一人前の人物になれるだろう。

 

自由には、『強制されない自由』と『才能を獲得することで、行動範囲が広がる自由』があるとドイツ人がいう。あちらは明確に区別されるのか。そこは日本より一歩進む。

 

最近、社会用語の定義がごちゃまぜになる『撹乱』が行われている。

例えば、左翼が保守を名乗ること。また中国が自由主義貿易を守る、とか嘘八百。日本の社会主義者が、『リベラル(自由主義)』を自称する。これは、計画的に、やっているようだ。つまり、正しい思想を、左翼が乗っ取り、意味を変えて、中身のないものにすること。ではなく、単に、現在、良いとされる社会的な立場、その名を左翼が借りて、人々を欺き、左翼なのに、いいイメージをかぶることだ。

 

 しかし、それによって、社会思想の用語が、撹乱されている。その中で、目につくのが、左翼、社会主義者、共産主義者が、自由主義の一員になろうとすることだ。

 自由主義でない者が、その中に入り込もうとしている。共産中国の貿易--実態は自由とはかけ離れている。社会党の成れの果てなのに、リベラルと自称--アメリカの民主党のつもりか?。 左派の保守--護憲で、幻想平和主義で何が保守?

 

 なぜこういうことが起きたかというは、自民党の面々が、分離して、新進党をはじめ、今の民主党に集まるのが、一部にいる。彼らは、心情的にはいまだに保守なのだ。彼らは、民主党が左派に傾いて、左派と呼ばれるようになった。それが、いやで、俺は保守なのだ、と言う。

 

 元自民だけがそう自称すれば、まだ通用した。が、その動きに、旧社会党の面々や、社民の合流組が、のっかって、保守や自由主義などまったく信じていないにも関わらず、私達も保守、自由主義だと、便乗したこと。それで、リベラルが汚いものになった。

 

もともとアメリカの民主党のリベラルは、中国の人権問題に知らんぷりで、リベラルを名乗るのもおかしく、自由主義とは別物で、役立たずの意味が加わった。

 

日本はどうだろうか。それを踏襲してはだめだ。

 

2018年11月17日

 

ようやくピアノの練習が楽しくなってきた。他人と比較できるレベルに。いやいや、他人の演奏を見て、目指すようになったので。今まで、誰も目指してなかった。

 

日本人のピアノの弾き方は、なってないね。ぺったんこで、指が伸びきっているのが多い。体が下手に揺れる。

 

うまい人は、指は丸めるようだ。掌は高くするもの。体は動かさない。

 

いろいろ練習しているところ。あと1.2年で人前で弾ける腕に。3-4年でまぁ素人っぽい演奏会で披瀝しても、恥かかないくらいに。5年で、下手なピアノ教師くらいには、なれるという予想が立つ。

 

 

2018年11月16日

 

私ほど、喜びや幸福がない人生を長く歩んだ者は、いないだろう。大物で。そうでもないか。そうである。

 

 

2018年11月15日

 

また透視を間違える。アイススケートではないか。見えたのは。弁護士ではなく。

 おしい。一日違いだった。

 

 中山寺にゆく。ここは雑然として、新しい仏教建築が建ち、エスカレータがあり、大きな建物もある。かなり儲かっている。

 

 白かった主婦たちとテレパシーで話す。2人。自分のことを話す人と、他人のことを話す女性。まったく違うのが同時に現れた。私は、自分の興味を話すほうが、面白い。

 

 他人のことを話すのは、自分がないので。テレパシーではそういう他人の話をするのとばかり、これまで話してきた。自分のネタがないのは、よろしくない。しかし、自分に起きる物事などは、小さく、たいしたことがない。ので、多く語る時は、社会や他人の話をするのは仕方ない。

 

 人類がこの地球で、かなり発達するには、人類が若くして、二倍の成長をしなくてはいけないという。それはいい。完全な記憶は必須だという。強化人間に改造する(生化学物質の導入、遺伝子に)のは、安全性の確認などで、すぐにはできないとしても。

 

 写真はさまになってきた。構図は、だいたい適切だろう。

 

 赤い糸は液体が多く含まれていると思う。キスのつながりに近い。

 

2018年11月15日

 

発達心理のテーマ

 見えない四角い物体が、夕方になると、発生して、大きくなる。これを昨日も今日も繰り返した。

 今日は、ジュージューという音を発するように。本体の音を聞くと、キーンとなっている。が、ぼんやり聞くと、ジュージューした感じ。

 集団主義の構造なのだ。その音だ。

 おそらく段階は6ある。6日つづく。

 

2018年11月14日

 

発達心理のテーマ

 目前に、みえない四角い物体が出現。まずは両側に伸びて、横にむくむくと広がる。横棒のよう。次にたてにむくむくとあがる。面のよう。それから奥にむくむくと広がる。一つが1-2分ほどでおわるそうやって四角い箱ができる。

それぞれに音響のような音が聞こえる。横に広がる時は高音からしだいに低音に。対に広がるときはぶんぶんといいながら。奥に広がる時は、物体が響く感じ。

 次に、その四角い箱は、両側が伸びて、横に無限に広がる。すると無限の長さの平たい横棒のように。長い定規のよう。次に、奥にそのまま広がる。広大なシートのようになった。それが上にもむくむくと高くなった。大きな立方体のようになった。それで、止まる。そのあと、その巨大な立方体は私のほうに、私の後ろにむくむくひろがって、私を中に入れる。

 

 これが一つの段階だ。これが前と後ろと右と左と4つ行われた。それで、11/12の夕方は終わった。

 

11/13は、夕方から。今度はきんきんと音を発しながら、同じことが起きた。分権的な構造でそうなった。前回は一つの大きなものだった。が、今度は複数の小さな立方体のような感じがある。

 

今日は三日目。発達心理のテーマを交信に、優先する。

 

2018年11月13日

 

多田にゆく道で、黒いおす鹿を見た。水を飲んでいた。私がカメラを構えると、ゆっくりゆっくりとしだいに森に消えていった。暗くてうまく撮れなかった。トナカイみたいな顔つきとなった。残念だ。

 

2018年11月11日

 

川西祭りを見てきた。偶然、通りかかったので。プロレスやってた。

こういうまったく思い入れがない祭りは、いつも入ると苦痛なのだ。原因を考えた。祭りは出し物を見るものなのだが、それが貧弱だ。売店ばかり並び、商売心が露骨。祭りは、買い物するところと思ってはいけない。タダで楽しむところなのだ。そこが祭りの核。演出がなにもないと、商売だけのためにあるような催しとなる。

 

市の宣伝が目白押しでも、出し物をやらなくてはいけなかった。それだけで楽しめるようなものにしなくてはいけない。単なる楽市みたいなのを「祭り」というのは、問題外。売店=祭りは勘違いも甚だしい。売店は祭りの添え物で、なくてもよい。それが基本。

 

そういう意味で、市主催の祭りというのは、どんどん中身が薄くなってゆく。原点に立ち戻らせなくてはいけない。私が遊ぶところが何もなかったではないか。

 

2018年11月10日

 

スマトラ地震を予知した。アカたちは、ジャワ島かその東あたりの地震というが、違うだろう。ついでに、山梨と千葉のとり違いを直した。スマトラの予兆が出たぞ、と初めてメールした。しかし、確率は不明。The rate unknown.とかいた。この意味は、誰も知らないで、確率はゼロということらしい。

 

スマトラを当てたら、なんとかなる。予兆が出たと、初めてメールした。当たらなくなった私の透視。一度くらいなんとかならないのだろうか。

 

誰かがテレパシーで言っていた。二人からそろそろ寄付しろと言われたと。うれしいことを言ってくれるのが、海と鬼。私が何を的中させたら、それをきっかけにくれるか。それが謎だ。スマトラか、山梨か、千葉か。

 

左のほっぺが大きい人と、右の頬が大きい人と、どちらを好きになるだろう。ここは大事なのだ。

 

私が当てられるのは、山梨地震ただ一つかもしれない。ただ、私はインドネシアの地震は昔からよく当ててるから、インドネシアかも。場所がどこかという問題がある。ただ、2万人なくなると出たので、それはスマトラ北しかありえないのだ。とはいえ、2万人なくなる、というのはどこで透視したっけ? そこでした透視は、当たってなかったのでは? いや、それはないと思うけど。

 

私のことがわかりそうな人に、いろいろきいてみたいことができた。私としては同系に対して(同系の中でもやや違うのだが)は、珍しいことだ。頼れる姉御かどうか。

 

これまで私は宇宙の中心に行って、楽しむことと、自分の技能をあげることを考えてきた。もしくは自分のグループの。それが地球の発展になると。で、ここ最近は、地球の人類全体に関わることを考えはじめている。

 

ある人によると、宇宙の中心にゆく人数が、直接、地球の発展度合いに直結するという。現在より、3倍ほどいると、あの大分君の星くらいのレベルになる。現在より、1.5倍になると、近隣の巨大星クラスになるという。ほんまかいな。

 

それだけではいかんともしがたい気はするのだが。またゆける惑星を増やそう運動もはじめている。ヤハエの星だけでは少ないから、猫の者たち、近畿の星(5.2億年のあの星)も、仲間に引き入れて、彼らの母星のコネクションを使え、という。それで増えるのかな。

 

大阪で半グレが捕まった。この前は、セメントの過激労組が捕まった。最近、社会的に問題ある組織が、警察に捕まるようだ。組織の健全化が、ミクロレベルで起きつつある。これが拡大すると、テロ政党、エビル国家(北や中国、キューバ、ベトナム)などがこれから、つぶれるのではないか。世界が健全化へと向かいつつある。

 

新しい組織倫理の基準が人々の間に、生じつつあるようだ。それを満たさないものは、つぶされてゆく。これは時代の流れなのか。なぜ社会思想で、個人主義の段階で、問題ある組織が解散させられる、ということが起きるのか。それはまた解明しなくてはならない。

 

2018年11月10日

 

150億年後の我々

 

2018年11月8日

 

停滞している歌手に、作曲を教えると、どうなるか?

 伸びてくる。それで完成度(マンネリ度)は下がる。新しい要素が入るので。一時的に、インディーズみたいなややちぐはぐ感が出るけども、それが若さというか、伸びる予知というか。そんなものがみえてくる。

 

そういえば、思い出したこと。私は、ある時期に、体系を捨て去ったことが何度かあった。その度に、1からやり直しだった。

 

現在の『格』という習慣というか、成長の証みたいなもの。それはいつからそのやり方が当たり前となったのか。それをよく考える。

 というのは、私は、今は天才っぽくふるまっているけど、何歳からそれを自覚したといえば、9-10才くらいだ。それまでは、そんなに秀でてはいなかった。家庭で専門的に習っている人には、劣っていた。我が家はあらゆる面で優秀な才能を育てるわけではなかったので。

 

 自分の才覚。今は、それが当たり前と思っている。が、それはほんの少し前に身に着けたもの。ごく最近、獲得した地位や栄誉、才能だったりする。それを忘れてはいけないのだ。すぐに、自分はこういう能力があって、その上で成り立っているみたいに思いがち。が、その才能は、ごくごく最近、身につけたものなのだ。そして、それは最高のものからもほど遠い。

 現在の人類の到達できるものなどは、たいしたものではない。

 

2018年11月6日

 

午後10時半、アラスカの地磁気をみると、スマトラの地震は明日と確定。

 

今週は習い-- 自分の発案より、他人のそれが多い。

 

道徳論 人間関係の規律は応用で、基本は自己の規律である。

 

友人

 私は、誰を信用してよいのか、信頼の概念そのものが、現在、忘れているので、その認識を正せというのが、猫の精神家のご意見。

 

 まずは、友人は?

 

真に 信じられる人とは、

 私は兄弟をあまり信じない。大事なことで嘘をつく。親戚も同じ。嫁となる人も同じ。その私を大切にしていない点で、彼らはまるで他人である。

 

 守護霊は、計画をただひたすら行う。私に事故になりそうでも、彼らは防ごうともせずに、計画なら行う。こういう点で、彼らは信用できない者たちだ。真に、友人ではない。当然、師匠でもない。

 

 友人を助けない者は、友ではない。

 

 エジプトの守護の子で、私を助けるべき位置にいて、しない者は友ではない。私を助けるべき位置にいない者は、芸能人や未来の友人などいるが、彼らは助けなくても、冷たいとはみなさない。彼らは今、友人ではないのだ。

 

 今の私の友人は、宇宙人なのだ。彼らは、助けられる範囲で、私を助けようとする。当然、私の生活に介入できる範囲は限られているが、その範囲でしようとする意志はある。私の過去の友人で、それをしないのは、卑怯者、臆病者であり、友ではない。

 

 友とは言い難いが、幽霊たちで、気のよい者たち、私から隠されたものを私に教えようとする者は、友である。年齢差などで友人でないならば、同士である。正義を忘れていない者たちだ。神の子(正義を行うことが、その者の役割なので)の仲間である。

 

 電波犯罪の真実を私に言うかどうかが、私の友となる踏み絵なのである。

 

 私の周囲にいて、それを免除されているのは、スパイのみ。彼らは国益に沿って行動する。その制約を超えて、できないことについて、私は裏切りとはとらえない。

 

 では、友でない者たちは私の過去の友人の中では、電波犯罪を私に教えず、私に針刺しなどしたことがある者で、1、裏切り者 2、正義なき者 3、臆病者 4、その態度を続けている限り、神の子の仲間ではない 5,冷たい。

 

 遠い友人とみなせるのは、過去に私の友人ではなく、電波犯罪を私に教える義理がなく、教えなくてよい者で、私に針刺しなどをしてなく、私に何らかアドバイスをくれる者だ。

 

 真の友とみなせるのは、私に電波犯罪を教え、その被害や対策を伝え、私と気が合い、時には私に従い、時には私が彼に従い、対等な関係にある。金銭的な助け合いはふつうに行い、話すと楽しい者たち(会話が面倒な者ではない、会話が難物で気を使うのではない)だ。

 

 当面そんなところとする。友人は、宇宙人、ゴーストくらいか。

宇宙人はなぜ友となれるか? 彼らは友という概念を研究して、確立している。その上で、私を友とみている。信用できるみたいだ。彼らの判断をも。

 

 ゴーストはわりと正直で、隠す必要がないから、信用できる。天国は、計画にしか関心がなく、私が困っていても、何もしない。するのは神くらいだろう。だから、天国は信用しない。

 

宇宙人は、介入できる範囲があるので、未来と事故くらいは知っていないと、彼らが冷たいと思うはずだ。彼らは事故など自力で助ける問題はアドバイスしない。それができるようになると、対等につきあえるような感じがある。

 

 さて、真実を教えない者は、友人の中では格下だが、そういう者たちとのつきあいとは?

 電波犯罪を私に隠して、平気な者は、2種類いる。まずは悪い者たち。敵とみなす悪人と、それほどでもないやつと、まだ良心が残っている者。

 敵はアカとその仲間で、犯罪を行う者。それほどでもないやつは、盗聴やストーカーはするのだが、あからさまな犯罪はしないやつ。私に盗聴やたまに電波を浴びせるくらいで、悪さはしない。まだ良心が残っているのは、ときどき挨拶できる。極悪な者は、夜間に忍び込んで、針刺しなど行う。その仲間。

 

 私にアカを恐れて、電波犯罪のことを教えようともしない臆病者だ。友人は、もう親友ではないのだが、知人から関係の弱い友となる。が、心よき者たちは、私に何かくれる。よいことをする。アカの仲間ではないのは絶対条件だ。将来の私の友人の大半はこの、情けない者たちである。将来、友達になっても、あまりあてにしないつもりだ。正義などここにいる者たちには期待しない。反省と償いをしない限り、神の仲間とか正義とかいう名誉など、彼らに与えはしない。私の意志でそうなるのではなく、与えられないのだ。

 

彼らは、まだ自らの罪を自覚していない。電波犯罪をしなかった者、私の近所のストーカーの基地にこなかった者だけが、正義として名が残るのである。

 

 というわけで、私は悪人を悪人としか取り扱わない。悪人の中で、きのよい者を選んで、つきあうことにしようかなあ。善人の中で、そうした者たちとつきあうほうが、ずっと気楽だが。

 

 

 

2018年11月6日

 

110億年後の我々と交信

 

2018年11月1日

 

震災予知して、デビューするまで4.5ヶ月。私が幸せを手に入れるまで5ヶ月。ずいぶんと時間ができた。

 

それまでに、道徳でも書いておこう。

 

その意義は、アカ向けには。

 戦前の道徳を再起させないためだ。戦前の道徳よりも、新しい道徳が優れていたら、誰も戦前のものを見向きもしない。いいだろう?

 

 世界の宗教でイカサマよりも、よい道徳がそこにあると、優位性により、それらに魅力を人々は感じなくなるからだ。よい道徳を開発することで、旧来の安ぼったいものは、駆逐される。新しいコンピューターに人々が飛びつき、古いPCは捨てられるように。

 

 なお、新しい科学的な道徳を書けるのは、心理学に秀でた者で、当面は、私くらいしかいない。私くらいしか、世界各地の道徳を超えるような普遍的なものを、書けるのはいないだろう。私しかいないのだ。それにより、人類は旧いものを捨て、新しくより合理的なものを手にする。

 

 古く悪しき者たちが書いた道徳を、意味のないものに変えるには、新しい道徳が登場するしかない。良い生き方について、述べたものは、同じ分野のものでしか、上書きされないからだ。物理の知識は、必ずより正しい物理学の理論によってしか、更新されないのだ。道徳も同じ。

 

 道徳は哲学、倫理と同じ、生き方や思想、宗教の一部だ。この分野は人がよく生きることを求める限り、なくなりはしない。政治的に、無理に否定しても、消えはしない。経済学的見地からも、否定はできないのだ。異分野は、他分野のことは、介入できないのだ。唯一、道徳は、新しくすることで、過去の道徳の悪さを修正できる。それしかない。

 

 私の調査では、日本人で優れた道徳をかいた者はいない。それを全体的にやり遂げられるのは、どうも日本人では、私くらいしか今はいない。

 

道徳の学者向けには、

 道徳をよくできるのは、私くらいしかいないのだ。確かに、道徳教育の学者たちは、詳しい。が、理論的にうまく関連を明らかにしていない。私は、西洋のそれも勉強して、取り込んだので、西洋の道徳とも互換性があるものをかける。より一般的な理論、普遍的なものを書けるのだ。より広い見地のものがある。

 

また私の専門は宗教だ。宗教内の道徳すらも、明らかにできる。それがどういう理論体系なのかも。

 

 私が、道徳を書く意義は、以上。

 

 

まずは仏教の道徳について

 ブッダは苦をなくすことを主眼においた。その上で、よい生き方ができることとした。確かに、苦をなくすことで、快適な生活は送れる。しかし、この観点では、快を極めることまでは、できない。よりよい生きたというのは、ある意味、快適さの極地である。だから、苦をなくすというアプローチからでは、あまりうまくいかない。最上の生き方には、到達しにくい。

 

 例えば、身体的な苦痛をなくすことでは、痛みがなくなる生活にすること。それは、大方の病気をすぐに治せる今となっては、ふつうの人でもできることだ。苦痛を取り除くことは、今の生き方の重要なことではない。最低限のことである。

 

 仏教は様々な欲望を並べた。五欲は、食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲という。ともかく、欲求の過度なものを悪いこととした。それを戒めることを中心にした。

 

だが、現代ではそのようなことは、多くの点で当たり前に人はできるようになった。酒池肉林にはまる人はあまりいない。よほどハメを外したくらいだ。稀なのだ。食欲にはまり、豚のように太る日本人は、いない。節制ができるようになった。名誉欲と、何かにつけて名誉を得ようとする人は、一昔はいたが、今は自らの分限を知る人が増えて、実力もないのに、勲章や賞をとりに走ったり、名誉だけをもらおうとはしなくなった。財産もいつまでも、むさぼりとろうとするのは、日本人ではあまりいない。そもそも日本人は、そんなに個人が稼がないのだ。

 

 仏教は、精神のうちマイナスのものをなくす。これが強いのだ。精神をさらに高めようというものではない。

 

 例えれば、アイススケートで失敗しない、こけない、下手に滑らない。そういう減点主義的なところがある。が、それは、3回転や4回転の飛び方を教えるものではないのだ。向上の仕方そのものを教えるのではない。失敗しなくても、よりうまくはならないのだ。

 

だから、煩悩をなくすという教えは、精神の向上の方法を教えてるわけではない。煩悩を戒めるという面では、、精神のさらなる向上があまり進まないのである。

 

もちろん、仏教は向上の方法は教える。瞑想して悟ると、より高い精神になれる、と教える。空の教えなどある。が、私はそれが貧弱だと言いたい。それは瞑想の達人になる方法であって、精神そのものを向上させるものではない。

 

 例外的に、仏教の瞑想で、記憶力がよくなったり、いろいろと特殊な技能を身に着けて、賢くなれる人はいる。が、それは特殊な能力であり、瞑想そのもので得られる向上とは、一味ちがう。それを覚えるのは、何年もかかる。それだけ時間使うならば、別のことで賢くなれる。

 

 仏教で、煩悩をなくす、欲望をなくすだけでは、現代人のややよい精神になれるのみ。それ以上になるには、やはり精神の勉強のほうがよい。

 

達観というのは、人々の平均よりも精神や思想でかなり高い見地をもつことだ。それは、知識の習得によって可能だ。瞑想ではない。思索によるものではある。

 

 

というわけで、私がこれから書くものは、欲望や悪しき感情をなくすための方策ではない。よりよく生きる知恵を記すのである。

 

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まずは快適について

苦痛がないと、当然、快適だ。快適さをどうしたら、高められるか。

 

 まずは、苦痛を取り除く。痛いのは最悪で、我慢できない。痛み止めの薬を飲むのもある。痛み、苦痛の原因をみつけ、取り除くしかない。傷の痛みならば、治療する。病気による腹痛なども、治療する。すると痛みが止まる。

 

 痛みをなくすには、医学的な知識が必要だ。自分自身でできるのは、簡単な治療だけだ。膝を曲げたら痛い時は、ひざを伸ばしておく。すべての痛みを止めるには、自ら医学的な知識をもち、治療できる能力を身に着けなくてはいけない。

 

 ブッダは、痛みを感じなくしようとした。それは瞑想の達人はできるかもしれないが、それも一時的な処置だ。完治させなくてはいけないので、やはり医者に頼るしかない。薬を飲む。手術するなどして、治す。

 

 心の痛み? それは今ここのテーマではない。ここでは身体的な苦痛のなくし方をかいている。

 

苦痛は、痛覚センサーがあって、という話だ。物理的に治療するしかないのだ。しかし、究極の医学的な知識をもたないと、完全に痛みなど消せないのだ。現代医学では、すべての病を治せない。それではすべての痛みを消せない。

 

痛む前には、治療することが、大事だ。病気になる初期段階で、症状が出る前に、治療する。そういうことをする。

 

悪い環境にいると、病気になる。大気汚染に、放射能。汚染物質。公害もある。そんなものを人体に近づけないことも大事である。

 

痛みを消せるようになったら、次に何をするか?

 体を不健康にはしなくなり、健康を保てるようになってきた。次には、人体をよりよくしなくてはならない。

 

視力があがらないなら、なにか上げる薬剤を飲んで、視力を高める。疲れが出やすいならば、適切な栄養剤を飲んで、疲れが出にくくする。すぐにシワが出たり、老化するならば、老化しないようにDNAを書き換えるか、老化しないような薬品を飲む。

 

 そういうさらに健康になることが必要だ。

 

また快適な環境も、作らなくてはならない。室内の温度、湿度は、最適にする。紫外線がきついならば、下げる。1人ぐらしで、孤独感が高まり、精神的によくないならば、同居人をつけるか、同居人がいる時のような感じになる工夫をする。

 

身体の苦痛や快適さは、心をどう整えようとしてもあまり効果がない。人がいる場所、気温、病気の問題だ。物理的な環境を整えるしかないのだ。人体の物理的な面を、健全にするしかない。

 

 人は快適な場所を求めて移動して、苦痛を避けて、行動する。そのように、人がいる空間を変えたり、人体の姿勢を変えたり、薬を得て、患部を治療したりするしかない。人体を含めて、物理的なもので苦痛をなくし、さらに快適な環境にするしかない。

 

 その方法論は、心の問題ではない。空間の問題だ。それを身につけることが、新しい生き方として、求められる。

 

2018年11月1日

 

100億年後の我々

 

2018年11月1日

 

あと4ヶ月と半月か。長い闘いだ。ぼちぼちゆくか。

 

何かいいことないかな? リュックを買う。300円で。結局、それか。内部カバーが必要だ。

 

三浦さんが若手、保守の中では一歩抜け出た。とはいえ、各論が弱い。

 

コーヒーを飲みまくる生活から、紅茶にすると、視力が回復した。そんな単純ことだったのだろうか。

 

私は自分の精神論を書いているが、いまいち完成度が低い。が、精神世界の精神論を読むと、私は案外、いけてる、秀でていると思ってしまうのだ。比較するのは、いいことだ。

 

精神論としては、成長が、社会と個人の2つの観点がある。もうひとつは他を信頼すること。これで計3つなのだ。他惑星では、こういうのが基本だという。

 

あと4.5ヶ月は、何をしよう。考えよう。

 

2018年11月1日

 

精神論

愛と正義と信義

 

この3つが精神の基礎にならない理由。

 愛は、好きになるの強い気持ちと、人の成長を行うことの2つの精神からなる。ドラマや日常生活では、「愛」は好きの意味で、論文では、「成長」という意味でよく使われる。2つの精神が、混じるような用語は、精神を論じる上で、よくない。概念が分化してない古い精神論ならともかく、進んだ精神論では、あいまいな用語は、いけない。別々に論じなくてはいけない。

 愛は、好きか、成長か。このうち、キリスト教では「(成長に適切なものを)与える」と好きではなく、成長の意味で使われる。というわけで、キリスト教では、「成長」こそが大事なのだ。キリスト教で、人に好きになる事が重要とは説かれていない。

 神は人を愛する。この文は、神が人を好きと理解する人はあまりいない。神の愛が基本なのだ。神は人を育てる、と理解するのが一般的だ。成長のほうを、キリスト教では大事にしていることがわかる。

 私は、キリスト教の愛をぶった切り、2つに分けてしまった。「好き」と「成長」に。古い概念は、現代に使い続ける理由はない。愛は、好きの強いものに特化して、「成長の面」は取り除くべきである。

 

正義は、これは難しいので、あとにしよう。信義から。

 

信義は、「信じる」と「義」の2つの意味からなる。特に、「義」であること。それが中心で、人に対して義を尽くすこと、そういう意味だ。まず、「義人」であること。これは精神の基礎的なものではない。義兄弟、義人など人に対して倫理を尽くす意味が強い。相手を信用して、義理堅いという意味だろう。さて、人間関係で大切なのは、相手を信じることだ。「信じる」は残すべきだ。

 2つの意味をもつ言葉は、当然「応用」である。「信義」は精神の応用的なものだ。基礎にすることはできない。「義」はキリストらしいの精神でもある。が、人間関係におけるある高度なあり方をさす。「義」は単独で、分野やジャンルとして位置づけられるものではない。「義」は単独で、精神の主要論の一つではない。現代の社会論で、「信用」、「人を信じること」は会っても、「義」の人間関係はない。

 

「義」の人は模範的なあり方ではある。が、それはあるジャンルの精神の高みである。そのジャンルとは、人間の信頼関係のそれだ。

以上から、「信義」は、「人を信じる」、「義」の2つからなる精神だ。そんな原理的でない概念(精神用語は、精神の基礎にはならない。あいまいな概念であり、新しい精神論では、基礎にすることはできない。

 

正義とは、社会的な正しさのことだ。2つある。古来からの法。過去に、社会問題が生じて、正しい解決法とされたものだ。新しい正義もある。それは現在か未来の社会問題の解決法だ。年々かわる食品基準やネットのルール、禁止薬物(ドーピングの)などがそれにあたる。

 個人の精神内の正義とは、自分自身の問題の答えとなるものだ。それは自分の規律と呼ばれる。朝は8時までに起きる、嘘はつかないなど。正義とは言わない。

 精神の実践としては、正義は、外部的なもので、社会的なものとなる。精神論としては、応用的なものである。しかし、社会正義の実践は、大切なので、現在の私は否定はしにくい。

 

 このようにみてくると、愛、信義、正義も外の人に対するもの。これら3つは、対人関係(社会)におけるもので、内面的な自己の規律とはやや異なる。

 

 さて、愛と正義と信義は、3つの精神を掲げているようにみえるが、実は愛が「好き」と「成長」、信義が「信じる」と「義」、正義は1つと、合計5つの精神をあげている。複数の概念が含まれる精神用語を雰囲気や格好良さだけでとりいれると、こういう失態となる。3つなのか、5つなのかよくわからないのは、精神論としては、よくない。新しい時代の3大精神論としては、ふさわしくない。

 

2018年11月1日

 

震災10月説がぶっとんだ。くそ。3月か。あと半年、苦労せにゃならん。今なら大火災にもならなかったのに。冬の地震は、たいへんだぞ。

 

しかし、私は余裕ができた。見逃すまいと、10月は24日間くらい、ずっと集中して疲れた。休もう。何をしようかな。交信でも活発にするか。

 

下はあとで編集しよう。

 

精神論 私の作る道徳はどんなもの?

 私は枚方で育つ。そこは道徳教育が盛んなところ。町に道徳的な看板が掲げられていた。私の道徳観は、京都のものだ。その周辺都市の産物なのだ。

 

 私の信条は、真言宗のそれに近い。祖父が檀家で、冠婚葬祭で僧侶の話をよく聞いたからではない。枚方ではそんな気風なのだ。

 

 ただし、8才でアメリカボンストンに1年住み、アメリカのキリスト教の精神論を学んだので、博愛などはわかる。差別しない態度も。アカは社会的な犯罪者だとも。

 

 日本では、池田に引っ越し、倫理的な気質でない土地に変わったが、私の道徳志向は止まりはしなかった。高校で西洋哲学を古代から読み、およそ理解した。18才からは宗教の精神論も学ぶ。社会論、人権などは精神論にかわるものではないとは10才には理解している。

 

 それからも探求を続けて、私がよしとする精神とは、何か。およそ書き留めることで、理解しつつある。

 

 ベースは、真言宗、京都の伝統の精神のはしくれ、キリスト教はアメリカ的、西洋哲学、宗教の先端などだ。それらを理解している。儒教は明治維新で、捨てられたので、それよりも、先進的である。

 

 私は、戦後の学校の道徳教育が最も体系的と見出した。心理学を交えたもので、合理的な見解もある。私が目指す道徳は、現代的かつ体系的なものに、するつもりだ。

 

 21世紀の合理主義、その質で、あらゆる精神を論じたもので、体系化したものとなるだろう。仏教の精神を特に、取り入れる。キリスト教的な面、心理学だけに通じても、仏教の理論を取り入れられられない。

 

 私は、総合的に体系的なものを書きたい。が、時間がかかるので、それを完成させられるかは、はっきりしない。8-9割は、十分な説明ができるだろう。が、個別の問題は、詳細にまとめられないかも。

 

 私の道徳体系は、教育的であるものだ。すなわち、学習しやすいものだ。そういうものを目指している。初期の地球における道徳の基礎として、確立させたい。

 

 何が優れているか?

 仏教では、苦をなくすことに主眼がおかれ、様々な欲望にとらわれた精神を明記する。それを戒めるように説く。が、正しく心を保つ方法については、弱いのだ。

 欲望のままに振る舞わないように、諭す。が、何をすると、正しいのか。その知見や理論は、仏教は弱いのだ。私はその面で、理論を書くつもりだ。

 儒教は、老人を尊敬する、仁などを説く。古い概念なので、より純粋にしなくてはならない。特に、仁は、今では「愛」におきかえられている。尊敬も、どういう心理からきているか。そのあたり詳細な研究はない。だから、精神の原理が、あいまいなため、支持されなくなっている。儒教は、現代の精神論からみると、古典で概念そものが、理解しにくい。私は、心理学的に説明して、一つずつの精神についても純粋に、明らかにするので、細かく適切に分類できる。

 

 キリスト教は、個別の精神は、事例にもとづいて理解される。が、理論にはなってない。不思議なことに、キリスト教の精神を、誰も個別に、純粋な精神は何かと研究しない。そして、体系して論じない。聖書の事例ばかりだ。心理学的に、精神を基礎論から、応用的なものと、研究して明らかにしなくてはならない。それをしてないから、心理学により、個々の精神が明らかになり、キリスト教のような精神論は、通用しにくくなっている。

 個々の精神について、私は個別に科学的に吟味してゆくので、わかりやすいだろう。

 

 さらに、これら古典と私のそれとの違いは何か?

 私は、精神を一つの純粋なモデルにして、描く。心理学のように。それで、先端の理論のような明晰さがあるだろう。現代科学のような理論の質があり、わかりやすいだろう。

 

 仏教の階梯、精神の段階がある。彼らは、どのようにして悟りにいたるか。瞑想や修行して、何かをきっかけに悟る、というふうにしている。が、それは大きな誤りだと私は理解した。精神は、人ごとに違いがある。彼らの信条(哲学)は、大きく4つほどに分類できる。感覚的なものを好む人、知的な理解を好む人、物事の道理に明るい人、理性的な人。これらの人の違いは、志向であり、哲学そのものである。

 

 感覚的→知的→やや理論的な人→理性的な人。このように精神は発達する。感覚的なものを好む人は、瞑想しても、鍛えても、ずっと感覚的なものを好むのだ。知的になりはしない。知的な人は、物事を知ろうとはするが、物事の関係性には疎い。そこまで知ることが当然ではないのだ。瞑想をいくらして、悟っても、本人の哲学は変わらない。物事に明るい人でも、理性的な人には劣るのだ。部分的に、賢くなるくらいだ。

 

 これまで考えられてきたように、仏教的な悟りでは精神があがる、ということは誤りなのだ。いくらそういう悟りをしても、本人の哲学・志向は変わらない。部分的に賢くなるだけだ。精神が全体的に、基礎的なものが大きくかわるわけではない。

 

 これは調べたら明白だ。僧侶が悟っても、全ては法則だという理性タイプの見解を獲得するわけではない。仏教の修養で科学的=自己という合理的な自己像をもてないのだ。

 

 つまり、瞑想や精神の修行では、精神そのものはかわらないのだ。信条の基礎となるものは上がらないのだ。これは調べたらわかるだろう。仏教的な悟りでは、精神は向上しないのだ。生きている間は。あの世では別だ。

 

 大人たちは、自我はどういう精神かすら自覚していない人がいる。

 

 で、どうすれば、本人の信条、哲学はあがるか?

 発達心理の課題を解決する。6-9才は、感覚的なものを探求する。9才からは知的なものを知ろうとする。これら内面のテーマをずっと追い、答えを見出してきたものだけが、自らの思想をひきあげる。それができないと、精神は止まったようにみえる。感覚的なものを好む人達は、9才になっても、いまだに快楽的なものが好きなのだ。5-6才で精神が止まったかのようだ。彼らは、学問など難しいことには関心をもたない。目前の享楽的なものが好きなのだ。そのまま彼らは大人になる。

 

 9才で知的になっても、それで止まる人は、12才の関心についてこれない。様々な規則や、外部の法則などに、関心をもつのが、12才ころのの子供だ。が、知的で単純な事柄しか、そういう者たちは理解しないし、複雑で、外側の物事について、深く、明るく考えようともしない。

 

 だんだんと年齢が高くなるほどに、子どもたちは、脱落して、その青少年のテーマを自覚しなくなる。それをこなす人だけが、精神を上げ続けるのにだ。しかし、若い頃に、自分の発達心理のテーマを見失い、そ向上することができなくなると、精神はその段階で止まる。もう二度と、信条は変わらなくなる。

 

 だから、当面は、精神の次元をあげようとする努力は無駄なので、それはやめたほうがよい。それが、現在の私の結論である。

 

 私の作る道徳の全体像は、私がわかってないので、説明しづらい。地球的なものの初歩的な体系になる予定だ。

 

2018年10月30日

 

まじかよ。予兆が出ないぞ。震災10月説が破綻だぁ。おいおい。やり直しかよ。

 

10月を外したら、旅に出よう。休憩のために。気分転換に。どこがいいかな。いいとこをみつけた。

 

予定を書き直しだ。リュックでも買おう。それがいい。

 

もし、10月でないなら、山梨地震が復活だ。そのあとに、バビロンだ。しばらく先だ。透視では3月。あーあ、また失敗か。私の人生は、まだまだ不幸のどん底から抜け出せない。

 

困ったなあ。このままでは、最悪のことに。冬の地震になるぞ。

 

2018年10月29日

 

精神論 対人感情 傲慢

 相手をみくびる感情の態度。感情は何かというと、侮蔑、軽蔑、見下げる。

 傲慢な気分は、自尊心の中で、態度の悪いものだ。その判断は、自分のほうが優れている、ということからくる。相手は自分の地位、安全を脅かさないと考える。それで相手に対する恐怖心が一切消えて、攻撃的な態度オンリーになるのだ。

 いってみれば、戦艦に似ている。動きが鈍いのだが、攻撃の装備は充実している。

 思い上がって礼を欠くこと、思い上がって横柄なこと。他人を侮って、思い上がった態度をとること。

 

 よく傲慢なのは、ひどいことだとされる。何が問題か?

 相手を見下した態度は、悪いことではない、という思い込みにある。見下すのは何が悪いか? 相手は小さいものとして、自分に対して何も脅威ではない、と考えること。

 目前にいる人との力関係だけで、態度を決め、悪い態度をとっていること。いばるのと似る。傲慢は、威張るという態度のおとなしい部類だ。

 

 威張るは、自分の強さや勢力を相手にわからせようとするもの。

 偉ぶるは、偉そうにふるまうこと。地位が高いと振る舞うこと。

 

 これは、二人の関係を決め、自分が上だとする態度だ。

 何が悪いかというと、3人、5人、100人と大勢になってくると、すべてに対して、自分が上だと振る舞えない。誰に対しても使える便利で一般性があるコミュニケーション法ではない。しかし、これは決定的な問題ではない。

 

 相手が教えてほしいとおもっている時に、傲慢な態度では、親切丁寧に、適切に相手に教えることができないのだ。コミュニケーションでは、相手に適切なことをすることが求められる。そういう態度が上等とされる。傲慢では、相手を愛することもないし、相手がほしいものを適切に与えることもできない。上の者として、相手をうまく導くこともできない。

 

 地位が上の人、えらい人として、やるべきこと。それを部下に適切にやりにくい態度だ。

 

 私が傲慢な態度をしないのは、子供や赤ん坊の気持ちに気づいてない鈍い人と思われるないようにするためだ。子供は傲慢な様を見ていない。赤ん坊もだ。上の者(大人)は養い、教え、守ってくれると信じる。傲慢に、ふんぞり返っていては、それができない。

 

傲慢な人は相手をよく見てなくて、何を欲するか観察して、それに対応してないのだ。部下をよく見てない上司となる。それでは、リーダーシップが発揮できない。上の者は、教えなくてはいけないのだ。それしか仕事がない、といってもよいほどだ。傲慢だと、その肝心なことができないかもしれない。

 

社会的なリーダーシップを発揮するのもある。それは部下が、どこまでついてこれるか、いつも把握しいないといけない。傲慢な人は、力強いとついてくるという考えだ。が、部下が元気な時は、それもできるだろう。が、不満が出たり、落伍しそうになったりすると、ついてこなくなる。そういう者たちをちゃんとケアしないと、リーダーも続かない。

 

2018年10月29日

 あーあ。飛行機が落ちた。悲しい。ついにきた。

 

何度めかのゲゲゲの鬼太郎の最終回、のらむひょんの逆襲。その通りに進む。飛行機の墜落を阻止しようと頑張る鬼太郎。のらりひょんが、高らかに語る。東京に妖怪が出没する。日本の危機が回避される。

 

 アニメではうまくゆくのだが、実際は、このあとのらむひょんが現れ、東京は破滅的に。

 

ついにきた。その時がきた。観測データに前兆さえ現れるはずだ。

 

透視では、地震は、緑と黄色の日。それは、多田神社の参拝道の途中、猪名川をわたる歩道橋の手前ではなく、川西市火打あたりだった。明日、そこにゆく運命である。透視では、震災は明日なのだ。

 

ついにきた。

 

さてと、私は、万全を尽くしただろうか?

 救える者たちには、そうしておいた。白い者たちは? それはみえない部下たちが、采配してくれた。600-700人しかいないのだから、なんとかなるはずだ。救う人はわずかしかいないのだ。それでへまをしたら、評価が下がる。

 

 親戚は?

 まぁね。みえない祖父やばあちゃんたちが、やってくれるだろう。バァちゃんたちは強力だから、なんとかなる。

 

 友人は?

 そんなにいない。1人はしっかりしたサポートをつけた。彼は気合入っていた。他は、同級生が幾人か、関東にいるくらいだ。

 

 将来の友人は?

 芸能界にいるらしいから、特別に保護するようにと、頭の中で考えた。

 

 日本という国家のためになる人材は?

 それは、保守の亡霊たちの役目。私も私に必要な者たちは、保護したつもり。

 

 しかし、火災が延焼が、ひどく。どこまで持ちこたえられるか。原発の放射能の爆発は、風に流されて、海に落ちてくれるか。心配はある。

 

 私がなかり怒るほどの被害が出るそうだ。それは受け入れよう。我慢しよう。

 

 何も落ち度がないようにしたい。落ち度はそのまま、知人の死につながるのだ。

 

 明日から、日本は凋落する。国難が始まる。悲嘆にくれる。東京から人が脱出する。東京は荒廃する。

 

我が一族をどこまで守れるか。私の力量が試される。

 

日本の曲のような台湾のPOPSを聞きながら、感傷に浸る。

 

2018年10月29日

 

 キーボードは霊たちに教えてもらうようにする。

70億年後の我々と交信

 

 

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