日記 2018年4月14日〜 5月11日

 

2018年5月11日

 

何々、私は私の思想を広めようとしている?

 アカがそんなことを言っていた。

 

現代思想家は、その思想によって、社会を発展させる。だから、彼の思想によって、社会を運営してゆくのは、当然である。彼が彼の思想を社会に広めるのは、それは彼がその思想は、当時の社会に必要だと考えているからにほかならない。その社会の問題を数多く解決する内容があるのだ。

 

だいたい人は、彼の思想にあった役割につく。首相をつくにふさわしい哲学の持ち主は、本人に努力と周囲の推薦によって、おのずと選ばれる。

 

私は、組織が活用するなら、私のもつ思想に見合った地位につき、その思想にそって、使命を果たすだろう。

 

2018年5月11日

 

欲求の過剰なもの、欲望とは

 

 過剰な欲求、不適切な欲求のことだ。辞書では、強く願うこととある。刑事罰を伴う欲求、願望ともされる。刑事罰とは、違法なことなのだ。社会の規律上、許されないことをさす。

 

 どんな欲望があるか?

 

 身近な例から話すと、女優やアナウンサー、歌手とお友達になり、寝たい。一般人の男性がこれを願うのは多い。不相応な願い。が、東京の医者や映画監督、男優、アイドル、東京の成金達やセレブにとってはごくごく当たり前のことである。東京のセレブの世界では、ふつうの男のすることだ。そういう世界ではこの程度のありきたりなことは、欲望ですらない。

 これは美しい女性と親しく、なりたいという願望である。ふつうの男でも、若い時に運が良ければ美人と仲良くなる時期もあるだろう。そのくらいで満足すべきだろう。

 ただし、そういうセレブとも健全におつきあいがあるような人達にとつては欲望ではない。そういうことをスマートに思い描ける人にも、欲望とは映らない。

 

 次に、外人の美女といちゃいちゃしたい。男なら誰しも思うことだ。外国暮らしが長いと当たり前のことだ。が、日本人のうちわだけで暮らすとこういうのも憧れとなる。これらは金にものを言わせて、女性を引き寄せるのは倫理上やや問題があるから、欲望的な感じはある。が、現在の社会では許容される。医者の息子、社長の子息が集まるクラブに、アイドルは招かれるからだ。まだ健康的なものだろう。

 

 SEXでも、日本中の美女としたいというのは欲望だ。酒池肉林を求めるのは男に多いが、性生活でやや不健全だ。これは欲望だ。SEXは、男女一対一で愛情が満たされるとする。快楽だけを強く求めるのは、どうかと思う。

 

 お金を何億、何十億と手に入れて、贅沢をする。これは必ずしも欲望とはいえない。社長や発明家は、このくらいの成功はありきたりだ。何万、何百分の1かでそうなれる。お金をたくんさえることのみなら、悪いことではないから、欲望にならない。必要な時もある。

 

 首相になる。正しく素直な子供はまず首相か大統領になりたいと思う。それがむいていないと知ると、別の職業をしたがる。高い地位にあがることを欲するのは、欲望ではない。

 欲望になるのは、動機か、その地位を手に入れた時に、不健全なことをしようと願う時だ。首相となって、革命する。これは本当に、ひどいもので、共産主義の悪夢を資本主義国でやるようなことだ。国を傾ける。こんなことを目指すのは欲望そのものだ。

 大統領となって、国一番の美人秘書を雇う。またしょうもない欲望である。これは、大統領となってやりたいことを間違えている。大統領になりたいというのは、本気ではないだろう。

 

 首相になって、福祉に金をばらまく。これ欲望である。金をばらまくと、老人や貧乏人は救われると信じるのは愚かもいいところだ。自分の利益にならないことをするのは、欲望とは日本ではいわないが、不健全な願望の一つだ。

 

 みなが憧れる彼(特定の)を恋人にして、結婚して、幸せな家庭をきずく。女性の欲望はこんな平凡なのが多い。欲望となるのは、自分にふさわしい男ではなく、皆がかっこいいと思う男を自分がうまく手に入れると、という世間体、見栄などがあるからだ。プロ野球選手、サッカー選手、社長の息子と結婚する。本人の相性も関係なく、そうやって憧れの対象を自分のものにすることこそ、女の勝利だと思いこむのはいる。彼女たちは、いい男を競争して、勝ち取り、成功した女になることしか眼中にない。欲望のうずまく世界ではないが、小さな欲望だ。我を忘れている。

 

 20才で結婚して、子供を生み、家庭を築き、幸せに暮らす。

 これは女性のふつうの人生設計だ。ここにも欲望が入る。実際は、晩婚化が進む。大学卒業と同時に結婚などは、若く、おバカカップルの元である。24才以降など遅いほうがよいだろう。若くして結婚すると、だいたい家庭が子供っぽくなる傾向が強い。この早婚願望は、もはや欲望の一つだ。

 

 この早婚のせいで、適切な出会いを待たなくて、結婚してしまい、相手との相性が悪くて、離婚する人が多い。

 

 このようにみてくると、欲望とは何か?

 自分が利益を手に入れるもの。その中で、世間の価値観で、よいとされることを無理にすることだ。大金持ち、権力を得る、早く結婚する、美人を妻にする。三高を夫にする。美人秘書をもつ。セレブの仲間入りする。それが正しいやり方で、できる人にとっては、欲望ではない。が、

 

 犯罪的なものもある。共産革命、犯罪してもなんでもいいから金をもうける。

 

 他にだいそれたことをするのも、欲望のうちに入る。ただし、地位を得ること自体は欲望ではなく、その地位を手に入れて、本分ではなく、自分がしたかったようなしょうもないことをするのは欲望に数えられる。

 神になって、自分に悪さした人をひどい目にあわせる。首相になって、大企業から賄賂をとってたんまり貯める。政治家になって、自分の評判をあげ、地元の男たちを驚かせ、その地位でひざまづかせる。金持ちになって、復讐する。

 

 欲望とは、正しくそれをすることを願うのではなく、何か倫理的に問題があることを願うことだ。

 

 欲望に多いのは、金、女、SEX、愛情、権力だ。それらで不健全な方法で、自分を満足させることが多い。よって、それらを得て、健全にやれる人たちにとっては、欲望にならない。

 

欲望は底なしか?

 日本では仏教の影響があるから、欲望は無限にあると思われている。仏教では、苦痛があるのは、欲があるからとする。苦を消すために、欲をなくす。仏教ではそれがよいことだとする。解脱の時には、全ての欲をなくす? これは、理論としては間違っている。

 苦痛をなくすのは、生きるためだ。空腹の苦しみ、飢えの苦しみなどなど。苦痛と欲はセットなのはあっている。空腹は食欲と同じだ。渇きは飲みたい気持ちと言い換えられる。苦痛をその時ごとになくすことで、満足を得られ、生きられる。

 つまり、死に近づくことで生じる苦しみ(苦しみは、死に近づいている、空腹も大きくなりすぎると死ぬという意味、苦痛は死のバロメーターでもある。)は、それら食欲、飲む欲、快適な室温でいたいという欲、体が健康でいたいという欲などは、まとめると、生きたいという欲求なのだ。

 

 苦痛を消すことで、生きられる。ブッダは最初、そう考えたのだろう。永遠に、よく生きるには、苦痛を消すことだ。それはあってはいる。様々な苦痛を消した状態を保てるなら、ずっと身体は健康なままだ。お腹がすかないということ。

 

 このあと、苦痛=欲求だとブッダは気づいたのだろう。だいたい、それもあってはいる。これまで説明した。

 

 三段論法で、『苦痛を消すことで、安寧の生の境地に至る』と、『苦痛=欲求』をあわせると、『欲を消すと、安寧の生を得られる』とした。このあたりから怪しくなる。

 

 苦を消し続けるには、絶えずその欲求を満たさなくてはならない。空腹を消すには、つまり、食欲が起きないようにするには、栄養チューブでも体に差し込んで、口からの栄養補給をしないようにしておけばよい。

 

 欲を満たし続けなくてはいけない。そのたえまない行為によってこそ、苦は消せる。

 

ブッダは、欲を消すには、欲しなく気持ちを保ち、我慢することだと言ってしまったのだ。それ自体は、過剰な物欲がある人を、カウンセリングする時には正しい。服を買いまくる女性。お金への過度な執着。ギャンブル依存症。それら中毒症状をなくすには、気持ちを制御することが肝心だ。中毒症の人を治すには、これは正しい。

 

だが、一般的には、食欲を消すなどはできないし、すると死ぬのでしないのが大切だ。生命の維持に関わる一般的な欲では、それを心で押さえつけるのはよくない。健康を害してしまう。

 

 誰かさんが両者を混同したに違いない。

 

 そして、『あらゆる欲を消すと、無上の生にいたる』、といいはじめたのだ。仏教はこのあたりの欲求を区分することができなかったために、かなり偏ったものとなった。

 

 欲求は生きるために必要なのだ。それが現代で明らかにされた。そして、治すべきは、欲望のみ、歪んだ欲のみとされた。欲を正しく満たすことで、苦をなくし、無上の生を得られるのである。

 

 

 これは私の今思いついた仏教論だ。この欲に対して否定的な論法が、仏教国の日本では根強い。それで、欲求、欲望など欲とつくものはなんでも、悪いものとされる。しかし、それは間違いなのである。

 

 そこから仏教的な見地から、欲は底なしなど、欲をもつことを戒める数々の訓辞があるのだ。

 

 

だが、限界はある。長生きしたくても、100才超えるのも難しい。女性にもてたくても、お金と才覚がないと難しい。愛情に飢えても、人間関係を保てない人は、家庭もつづかない。

 欲望にきりがない、というが、たいしたことはないのだ。せいぜい浪費癖。毎晩、ダンスパーティーでお金を使い果たすとか、数億、数十億なくすくらいだ。

 共産主義者の欲望がもっともたちが悪かった。権力の独占のために、粛清をして、反対する者は殺すか収容所に送る。権力闘争にあけくれる。社会をよくなることは結果的にこれっぽっちもしない。

 欲望は、およそ社会の価値観に従う。共産主義者も、共産主義の目標=革命こそが限界だ。金持ちになる、美人と仲良くなる。これも社会でそれは成功者のやることだとされる。そんなに、欲望とされるものはないのだ。

 欲望は、底がある。不健全な欲求が欲望なのだ。人類が知る不健全なものは、数限りある。そして、それが悪いことだと知ると、それを願わなくなる。欲望を満たそうとして、失敗するたびに、その欲望を一つ消す。しだいになくなってゆき、欲望がなくなる。正しい欲求が残る。

 

日本では欲求に対する正しい言論は、不足している。それを補うのは必要不可欠である。

 

 

2018年5月11日

 

1700万年後の我々

 

2018年5月9日

 

今日のお題は、欲求だ。

 

苦痛は、欲求のバロメーターである。苦痛は生きるためのサインなのだ。

 

欲求には、食うこと、飲むこと、排出(大小)、眠る、呼吸する、まばたきする、体を動かせる、塩をとる。暑さ、寒さをやわらげることがある。

 

苦痛に基づくのは、食うこと、飲むこと、排出、呼吸することなどがある。食わないと、お腹がぺこぺこで苦しくなる。飲まないと、喉がカラカラで苦しくなる。脱水は苦痛ではないが、症状としてある。排出は、漏れそうになるので、これも苦痛かもしれない。瞬きするのは勝手にするが、しないで目を開くと、目が痛くなる。

 

それぞれの欲求は、欲求のサインの多くは、苦痛だ。が、部位がそれぞれ違う。寒さは肌、暑さは全身か、局部などである。人間はそんな感覚センサーをもっている。それが欲求の元である。

 

欲求を無視するとどうなるか?

 まず苦しむ。昨日説明した通りだ。さらに、無視すると、体調がどんどん悪くなる。最期に死ぬ。生きているかぎり、欲求から逃れられない。というわけで、仏教で、全ての欲をなくすなどは、死ぬことを目指すようなものだ。欲が苦痛の元ではなく、苦痛が、欲を告げるのだ。しかし、どちらが先でも似たようなものだ。欲があるから苦痛があるでもよい。欲求=生きたいから、苦痛を感じるセンサーが体についている。

 欲求と苦痛があることで、人は生きていることを感じられる。か? も。

 

高度な欲求とは?

 SEXは、大人の欲求でまた苦痛となる部位(陰部)が異なる。陰部が十分に形成されると、そこからサインが出て、その欲求が芽生える。これは、種の存続にかかわる。

 

欲求は過剰になるか?

 生理的な欲求は、過剰にはならない。満足すると、欲求は消えるようになっている。食べたら、満足。飲んだら、もう飲みたくなくなる。寒い時に服を重ね着して、暖かくなったら、寒さは消える。暑い時に、日陰で涼むと暑さを感じなくなる。

 

もし食べても食べても、空腹感が止まらないなら、それは異常なのだ。空腹感は食べたらおしまいになる。これは人体のセンサーだ。必要量を満たすと、センサーは止まる。体の中でブザーは鳴らなくなるのだ。体の中の、空腹の、渇きなどの『痛み』は消えるのだ。

 欲求は、過剰になると、いうことを言って、何か道徳を話している人がいるが、欲求は基本的には、過剰にならないと考えよう。

 

 過剰になる欲求とは何か?

 お金などは貯めても、満足しないで、たくさん蓄えようとする。強欲になる。SEXもはまると、女遊びにのめりこむ、とかいう。しかし、本当のところは、SEXは1日に5度も10回も男はできない。適当に満足するので、過剰にならないとする。これは、複雑な話になるので、今度にしよう。

 

 宝石集めとか、コレクターは過剰になりやすい。過剰な欲求と中毒症とは別なのだ。過剰な欲求は、特殊なものなので、また今度、分析する。

 

社会的欲求とは?

 権力欲などさすようだ。が、本当のところは、社会で自分が役立つと、満足する。世間並み、平均的に社会に役立つする仕事をすると、満足する人が多い。社会的に認められることは、大切だ。社会的な地位は、これはコレクターなどに近いかもしれない。ここはまた分析しよう。

 

人間は1人でいると、孤独感が強くなる。これは苦痛なのだ。どういう機構かははっきりとわかってないが、人といるほうが、満足度が高いのだ。ホルモンが関係するのかもしれない。

 

愛情の欲しがるのは?

 愛されずに長らく生きていた人が、愛を渇望する。よくある話だ。愛されたことがとても心地よかったのだろう。それをまた体感したくなる。いつもそういう状態にいたくなる。家族に守られるなどは、こころ強い。家庭があり、子供が楽しくして、妻がいるのは幸福な感じがある。幸せだ。恋人がいると、楽しく充実する。

 愛情の欲求は、私は男女の経験が乏しいので、正確極まることはいえない。それを除いて考える。愛情は、友情や家族の暖かみ、母親、父親のそれである。それはあったほうが満足度が高い。

 

 これは守られる安心と、理解される、ということなどだ。コミュニケーション上の満足ではないか。

 

これらもまた欲求である。

 

欲求を満たすことで、人は生きつづけられる。欲求こそは、生きる原動力なのだ。種も残せる。

 

ただし無駄な欲求もあることはある。眠りだ。眠いというのは、古い動物の反応で、あまりよいものではない。進化した動物、天国の霊は眠らない。眠りの機構は、改良して、なくさなくてはならない。他にもあるかもしれないが、それはまたあとで考える。

 

2018年5月9日

 

1600万年後の我々

 

2018年5月8日

 他人の哲学を分析していた。今度は、自分の精神論を書き出す番とやってみたものの、一つずつを丁寧に説明できることはできるのだが、うまくいかない。題材がきっちりないと。枠組みが。厳密にしなくてはならない。

 

2018年5月8日

 

まずは精神論

 

苦しみとは何か

 

 基本的なものからゆく。生まれたばかりの赤ん坊は泣く。あれは痛いか、呼吸したいのだがうまくできない苦しみがあるのだと考える。赤ん坊は、空腹になると泣く。尿意、便意でもいずれ泣く。痛くすると泣く。寒くても暑くても泣く。苦しいのだろう。

 

 苦しみとは、痛みが続くことだ。感覚的なものがまずある。

 

 痛みがないのは、快適なものだ。そうなるようにする。

 

 痛みには何があるか? 皮膚の痛み。空腹、不快感、尿意、便意、お腹痛、厚さ、寒さ、筋肉痛、かゆさ、疲労感などがある。

 

これらの痛みをなくすと、心地よく、快適になる。運動後の心地よさは、小さな小さな痛みがあるのだと思うが、それは細かい話し。

 

不快、痛み、苦しみをなくして、快適となる。だが、快感など高いものは、SEXのそれや、食感、味、飲み心地などは、別にある。今回は、苦しみ、苦痛を考える。

 

苦痛、痛みとは、だんだん大きくなる。それは死に近づいているのだ。体が壊れてゆく感じなのだ。恐ろしいことなのだ。痛みが強くならないようにするのが、生きる基本的な行為だ。

 

今回のお勉強

 人間は様々な痛みをなくすことで、生きられる。体が壊れるか、状態が悪くなると、痛くなるという便利な機能が人間にはある。できるだけ痛みを感じないほうが、よい生き方である。より健康を保っているといえる。

 

 

2018年5月8日

 

交信は1500万年後の我々

 

2018年5月7日

 

私は精神の能力で、地球ではトップでないとわかったので、俄然やる気が出てきた。精神論を書いていると、わかってきたぞ。道徳家たちの言葉の意味が。彼らは、精神論をいつも説いていたのだ。

 

一日中、雨で家に閉じこもっていると気が滅入る。

 

私に嫌がらせをした者を正しくとっちめるのには、なかなか頭を使う。多い時は、1人ずつ対応できない。私が忙しい時も、テキトウに相手することになる。どうでもよいのは放っておく。アカがさせた時、再犯がでないように、厳密に処方する。アカの場合は報復によって受けるダメージの大きさで、再犯率が変わる。このあたりはわかりやすい。

 

 被害者ぶって生きるのは卑屈だ。私は力をもったら、良き統治者、良き兄貴、良きリーダーのようにふるまう。復讐にあけくれるのではなく、誤った者を従えることを考える。おもに、力で解決するのだ。それは力なのだ。理や法、道徳、組織力、正義そんなものを含めての力なのだ。力で上に立つ。正しい力でもって、悪を斥ける。

 

しかし、メディアの左の面々は、もってあと5年だ。最期のあがきをよくみておこう。アカの嘘も見破れないのは、いけない。だから、低レベルな扇動を煽っても、それが見抜かれていることに気づかない。正しい人をいたぶって喜んでいる卑劣なやつは、必ずみつけて、そこに所業を記録する。けっして消えはしない。

 

知っているか。天国、かなり進んだ社会ではすべての過ちは、それを過ちと理解したら、おしまいなのだぞ。謝罪の言葉はなくてもよいのだ。それをいつも心しておかなくてはならない。この社会で受け取れるはずの償いはゼロでも、仕方ないこともある。謝罪の言葉もなくても、受け入れなくてはならない。

 

 犯罪者がそれが過ちと理解したら、決着なのだから。私の現在の考えではそうなのだ。人間が蟻をふんづけても、蟻に謝るか? 償うか? 細菌をつぶして、細菌に何かするか? しないだろ。究極、そんなことだ。君が鉱石をとるために山を崩したして、山に謝るか? 生きるためにくじらを食べて、クジラに謝るか?

 

 謝罪を求めるのは、必要がないのだ。それは、犯人が過ちを認めたことを確認したいだけなのだ。謝ると人間的だとみなせる、というのは私の考えにない。悪いことをしたら謝る、というのは厳密におかしいからだ。共産主義者などはいく万人、億人に迷惑をかけている。だからといって、彼ら共産どもが日本人全員に謝罪行脚をするのが正しい、とは思わないからだ。迷惑をかけた人に謝るのは、純粋に正しいとはいいきれないとわかっただろう? 迷惑をかけた相手が多すぎるのだ。できない。また本当の理由は、ここに書けてはいない。

 

 償いをするのは、この社会のルールとしてまだ必要だ。ただし、やがて変わるかもしれない。個人が賠償をする、といのうが現在の規律だ。しかし、あまりにも大きな損害を与えた時、本人が賠償するものをもっていない時などある。

 すると、個人が賠償する体制では、すべての被害を回復できないことになる。また失敗した人に、過剰な債務を背負わせることになる。再出発がやりにくくなる。

 そんな理由から、個人賠償はなくなると思うのだ。被害、損害を社会が払うという方向になるだろう。すると、個人が賠償はしなくなる。これが進んだ社会のあり方として予想できるものだ。

 で、犯人側、損害を与えた側は、悪いことをしたという記録だけが本人の経歴として残ることになる。犯人側は二度と繰り返さないために、再犯防止の教育をうける。そして、犯罪はいけないことだと理解することになる。犯人が、やることはただそれだけになるのだ。つまり、犯罪者は、それを過ちと理解したら、決着なのだ。

 

 謝罪はするかしないかは、犯人の自由なのだ。頑固ならしないだろう。まもなくくる社会ですら、そうなると予想する。天国みたいにもっと進んだ社会ではなおさらだ。

 

 

 この世では償わなくてはならない。それはこの世の使命に準じる。何か功績をあげなくてはならない人を、無理やり罰して、その役目ができないようにはしない。だから、過てる側をさほど、追求しても、あまり意味がないのかもしれない。

 

歴史的には、何をしたかが純粋に評価される。だから、電波犯罪側にいた者は、けっして正義の冠をかぶれない。その地位にあるのは、幸運にも、精神の有名人では私くらいなのだ。

 

さて、私は26年、大学卒業後から、体調を崩され、仕事もできずに、実家くらし、ひきこもり生活を強いられた。これは、共産の者たちの悪事のせいだ。これを、彼らを罰して、償わせて、取り戻すことはできるか? この被害に対して、彼らに何を要求すべきか?

 

 よく考える。同じ目にあわせる。それはいい考えだ。26年犯行をしたのだから、それ以上の期間、刑務所に入ってもらう。社会の水面下に落とす。しかし、利用価値がある党員だったら。刑務所の中においておかずに、メデイアで犯罪者の自白などしてもらって、何か有用なことができるかもしれない。

 

 また捕まえ損なったらどうするか? 法で罰するのがふつうだが、それができない。それなら裏の世界で合法的に罰する、というのもある。いろいろ考えるのである。

 

 いちいち、処罰するのが面倒なら、警察に任せきりというのもある。時々、裁判に出て、被害者として訴える。これが楽なら、それもよい。彼ら犯罪者につきあうのが面倒なので、自分の仕事をしたいので、そんなに長くはかかわらないようにしたいのが本当のところだ。

 

 テキトウに、お金で解決。あとは刑事と民事の裁判で警察と弁護士任せ。それが一番よさそうだ。復讐ごっこなどに何年も費やす。そんなに私は暇ではない。

 

 

2018年5月7日

 

精神の高さと能力について

 

 私のように精神の次元が高い人は、哲学が高いとする。それより低い者たちの哲学には関心をもつことができない。それを超えてきたのだから。

 

 で、私のようなタイプは、他人の精神の力量をよく間違える。精神の次元をそのまま精神の力と判定しがちだ。だから、世界中に同等の者はほぼいなくなる。

 

 同等以上で比較することになる。つまり、8次元の者はそれ以上で、9次元の者は9と10次元で。だが、それは精神の実力とはまた別なのだ。

 

 これに気づかないと多くの壁にぶつかる。 自分の次元は高いのに、他人は必ず劣るのに、私は他人が何か精神的なもので強く感じる、というケースが様々にあるのだ。が、それが何かを理解できない。

 

囲碁や、科学、社会(組織運営力)、会話力はよく知られている。この他に、思想力はある。哲学や思想を学んだ者はそれが高い。精神力もある。忍耐に長けている、運動に長けている、すばやく察知するなどある。

 

 同等の精神次元なら、相手が個別の才能で優れている、とそれをよく自覚することができる。哲学は同じだろう(本当は、次元の哲学の理解度は同じ次元でも人により差はある)が、彼はなかなかに強いと。

 

 だが、精神次元に差があっても、同じことなのだ。精神の実力差、精神理解の差は精神次元とは別にあるのだ。というわけで、そういう一般的に精神力というものを考えてみよう。感情、理性、社会性、コミュニケーション能力など総合的にそれは、勘案される。そして、彼の精神力は深み、高さと感じられる。だいたいは理性力によって、それは決まる。物事を合理的に理解しているか。それがどこまで広域にわたっているか。精神における問題の解決力が高いか。

 

 自分より精神が何か総合力で高い。哲学は低くても。そう感じられる人が、精神力として総合的に上の人々だ。彼らは案外、細部にわたり、正しい判断をもっている。一見、低くてもあなどれないのだ。精神次元が高い人は理性的で有利なのだから、この総合力においても勝ることが求められる。

 

 その時代において、精神的にトップであらねばならないのだ。歴史的に名の知れぬ者に劣るわけにはいかない。

 

 

 

2018年5月7日

 

真実と嘘と誤差について

 

 嘘をついてはいけない、というのではなく、真実を言うべきか、いつも真実を認識すべきか? という話。

 

 どこまで人は真実を認識するか?

人が感覚を通して、外の世界を知る。物を見る。耳できく。そして、自分の周りのことを知る。周囲の世界を知る。この時、ほとんど嘘はない。虚偽もない。錯覚でないものは、たいてい真実なのだ。見間違い、聞き間違い。そういうものは1//100の以下であるだろう。そんなに多くはない。

 

 この感覚については、誰もが同じことを感じる。人によって差異はない。ある映画を見たら、誰でも同じものを見る。1人だけ真っ黒な画面だったということはない。感覚の段階では、人は真実を知る。それで判断する。

 

 この段階では、感覚器官の差があると、認識できないものはある。目が悪い人は、遠くの人がよくわからない。目のよい人だけ、遠くを歩く人の顔がよくみえる。感覚のレベルでは嘘はない。錯覚みたいな誤差はあっても。

 

 次に、悟性、認知のレベルではどうか? 

 人を見て、A子さんだけ犬を見たとは思わない。物は、扇風機も赤ジャケットも、コップがある。それを見た中で1人だけ違うものを見たと思う(感覚したものは、何かを知ること=認知)ことはない。これも、学習のおかげで、車は車、猫は猫と人はみな思う。名前は違っても、人くらい知能が高いと、大きな動物や木、空と石ころなどは区別できる。

 

 認知の段階でも、まだ人は真実を知る。ただし、人によって、識別できるものの差はある。

 

ただし、この段階では、とらえられないものはある。ジャグルの中にひっそりと獣が隠れている。狩人やアフリカや南米の人は、ぱっと見つけ出せる。彼らは猿に気づく。が、都市に暮らす者は、見落とすことはよくある。認知できない。

 

 画家は、一つの絵の中にたくさんの物事を見分ける。が、子供は絵を見ても、描かれたコップや花、景色しか気づくことはできない。

 

 認識とは、写真、映像、音から何かを見分けることだ。この時、嘘は交じるか? 基本的には嘘はない。が、区別しにくいものはある。ライオンのような格好をした犬がいたら、ライオンかと見間違う。これは誤差である。

 

 ここまで、人間は外からの情報の9割以上を正しく認識する。人間は、基本的には、間違ったものを認識しない動物なのだ。視覚の錯覚はしないように努めている。間違って聞こえないように、いつもしている。心の中では、本人は真実ばかりを見ているのだ。

 

 これは悟性、認知の段階までの話なのだ。ただし、認知の段階で、間違いが入り込むことはある。わずかにある。

 

認知することで、本人は今周囲で起きていることの状況はわかるのだ。ただしこの段階では、いくつかの錯覚や認知ミスが混じりこんでいる。百%正しいわけではない。が、9割以上は正しい把握をしている。外部からの入力は、できるだけ誤差がないように、人は自らを保っている。

 

なぜそうするか?

 車の運転をする時、目前に人がいるのに、それに気づかないと交通事故を引き起こす。歩く時、目前の動くものが人と気づかないと、よけないかもしれない。周囲の状況は正しく認識する。これはよりよく生きていく上で不可欠だからだ。誤差のないように、間違いないように、よくよく人は注意している。

 

こういう常識的なことは、哲学や心理学ではあまり語られない。嘘について、語る者たちは実にこのあたりがいい加減なのだ。人は真実を常に、把握している。すべて嘘に支配されるなどありえないのに、嘘はごくごくわずかなものなのに、嘘を一度信じると、すべてが歪んでみえるという説明をはじめる。

 

さて、これから本人は、それら周囲の状況を様々に、本人にとって意味づけすることになる。

 

 誕生日にプレゼントに時計をもらう。事実はそれだけだ。が、意味づけで、本人は間違った解釈をすることはある。相手は、時計があったら男は喜ぶものと思ってあげたとする。が、この男は、自分が時間にルーズなので、嫌味なプレゼントと思い込むのだ。正しいのは、相手は男を大切にする気持ちがあること。が、男は相手は嫌がらせをしたいと間違って思い込むのだ。

 

 では、なぜ間違えるか?

 これは、単純で、物事を見抜くことが下手くそだからだ。表情から相手の感情を読み取る。相手の会話から相手の真意を見抜く。探偵のシャーロック・ホームズは得意だ。が、一般人に完璧にすべて正しいものを気づき、悟れというのは土台、無理な相談だ。無知により、間違う。

 

 共産主義者などは、特に社会の仕組みについて正しく考える力がなく、アカに言われたら、大企業が搾取して、労働者が苦しむと思い込む。本当、アホである。企業は人々が便利になるような製品を提供する。それで人々を豊かにするのだ。トヨタのおかげで車で安心して故障が少なく乗れる。大企業とは、社会発展をもたらすシンボルなのだ。悪の象徴ではない。大企業がたくさんあるアメリカや日本などでは、社員も含めて、人々が豊かな暮らしを手に入れた。大企業がない国では、いまだに遅れた暮らしをしている。

 

 人によって、得意分野はある。心理を見抜ける人、社会のメカニズムを正しくとらえられる人、プロ碁打ちは、盤面から様々なことがわかる。だいたい人は得意な分野の知識や技能を高めて、専門家となる。専門家となって、より誤らないようになる。

 

 この間違いは、時代が進むにつれて、人はしなくなる。中世では天動説が信じられてきた。が、今では地動説で考える。共産主義に騙される人は19-20世紀に数割いたが、21世紀以降は激減して、ゼロに近づくだろう。

 

 間違うのは、どんな時も、本人が物事のメカニズムや真実を推し量る力が弱いからである。これが誤差のもととなる。すべてにおいて、物事の正しいメカニズムを知るのは、なかなか簡単にはできないのだ。かなりの学を身につけ、経験して、知識を身につけるなど、力量が必要である。

 

 嘘は、これら間違いやすいところで、発生する。

 嘘は人をだますためにするのが、嘘とされる。認識ミス、錯覚など意図的でない虚偽(真実でないこと)は嘘とはみなされない。真実を言いたくない時に、自己弁護でつく嘘もある。これは、人を騙すかは関係がなく、真実を言うことで起きる、問題を生じさせなくすること。多くは、それを隠して、ごまかすのが目的だ。

 

 嘘は人とのコミュニケーションで発生するものだ。たまに、自分に嘘をつく人もいる。詐欺師は、他人をだまして、何か得ようとする。真実を話して合法的に得るのは、詐欺師ではないのだ。

 

  自分がある真実を知ると、何か不都合なことがある。その時は、自らに嘘を信じ込ませる。行方不明の子供が死んだとわかっても、本人はそれを認めたくないために、まだどこかで生きていると無理やりに思い込む人は少なからずいる。

 

 嘘は、ごくごく全体の認識の一部でしかなされない。またそれで、行動などを変えることができる場合もある。アベノミクスで日本の景気が回復した。空前の就職ブームに、大企業は業績も好調なのだ。国の借金も減っている。が、野党はそれを国民がはっきり認識すると与党の支持者が増えるから、嘘をついて、アベノミクスで日本人は不幸になったと印象づけようとする。すると、選挙で票が回ってくると信じる。なお、本当に、野党の言うようにアベノミクスで日本経済が沈んだと思うなら、それは重症でかなり頭が悪い。

 

 野党は、そうやって経済オンチ(経済に詳しくない人)を騙す。嘘は、このように、人々が正しい物事をはっきり知らない分野の話に、盛り込まれる。人々がそれが間違いとわからないからだ。

 

 この嘘が最も多いのは、『共産主義』であるが、他にも『宇宙人の交信もの』もひどい。詐欺師は、人間が間違う分野をよく知っている。科学の説が定まってない問題は、そう多くはないのだ。が、詐欺師は、そういう人々が何がが正しいかを迷うようなものをみつけきて、嘘をついて、騙す。

 

 百の真実で、嘘がたった一つ交じるだけで、結論が変わるものもある。南海トラフ地震は起きるよ。それは過去の被害から、四国に大きな津波がくる。南海トラフは周期的に起きるのだ。で、それは明日起きる、とか。日時だけ嘘というのもある。まだまだ先と思っていた人も、それであわてふためくかもしれない。

 

 人は認識を間違う分野・領域が、そんなに広くはない。学問が進むほどに、正しい知識は増える。真実の範囲は広がる。時代が進むほどに、嘘がつける範囲はせまくなる。

 

 大きな嘘は、人類の膨大な知識。その中で、定説が定まっていない、わずかな問題にのみつけるのだ。しかも、部分的にである。

 

 嘘だらけの話は、虚構となる。検証できないし、誰も確かめられない。SFに近い。嘘らかそんなものを作り出す人もいる。共産主義などは、大虚構である。虚構は、すぐに誤りを見抜けるものもあれば、時代が経過しないとわからないものもある。

 

 主だった虚構について。

 仏教の死後の世界はかなり現実とは違う。銀河系の種族の物語という宇宙人との交信本も嘘ばかりだ。神話、創世神話も宇宙や地球の誕生とはまったく違う話だ。民族の祖の物語のはずなのに、何の記録かもわからない。ゾロアスターの善悪との戦いもひどく、それでサタンを恐れる人が増えた。虚構は、いろいろとある。これら大勢を信じさせたものと比べたら、大学の論文の虚偽はみみっちいものだ。

 

しかし、共産主義と仏教のあの世、創世などの神話、ゾロアスターの善悪の戦いを除くと、人類をだましたといっても、たいしたものはないかも知れない。虚構は知識の中ではわずかな比率しかない。人類は、多くの分野で、科学にもとづき、真実を見て、認識している。

 

 そういうわけで、嘘、虚構はごくごく一部というお話なのだ。それは、感覚、認知、科学、推測力が低いところで起きるのである。人間の認識のごくごく一部、誤差の世界に嘘がある。

 

 こうやって、真実をみてくると、人間が周囲の環境をみてゆく上で、それは不可欠なものであることがわかった。人間のもつ信条、価値観は、9割5分以上を真実でできている。残りで、多少のミスがあり、間違った認識をもつ。それは、文明の科学、知識で普段は、正される。が、文明が真実を確立していない分野では、間違いがそのまま残す。

 

 真実とは、周囲の状況を正しく認識して、自分の考えを正すため、よりよく行動するためには、不可欠なものだ。真実度とは、情報の信頼性をさす。

 

 人の頭の中では、常に、正しい情報が流れているのである。本人にとっては。またほとんどの情報もそうなのだ。一部、信条に間違いが入り込んでいる。そういうものなのだ。

 

 真実であることは、本人の能力に関わることなのだ。嘘、間違いを信じていると、正しい行動ができない。

 

 

 

間違いとは、認識のミスなのだ。嘘は、認識ミスを起こさせるもので、何か目的があるのだ。

 

 

 

2018年5月7日

 

 1400万年後の我々は前日

 

2018年5月6日

 

5月になってもまだ間違う。ペルー南部地震がなかった。5/4 ハワイだった。バスの追いかけはやめるか。透視妨害される。あんなに誤らないように、徹底したのに。それでも違うのがなされた。今度は人でもあったが、ゴーストによるもあった。システムのほころびのせいだ。それを取り繕ったら、ただではすまさないぞ。

 

 

2018年5月5日

 

私の知らない世界では、人間関係に新たな親友たちが加わって、一部の人たちにとっては大きく変わったはずだ。新しい伴侶と目する人は、赤い糸でつながり、愛も永遠で、ゆらぎない。気が合う友達。孤独だった過去が、忘れ去られてゆく。

 

 それと比べて、1-2ヶ月前の私は、誰もこない。真実と正義はなく、閉じ込められ、いつも同じのあきあきした生活。このものを続けていたら、地球の管理者になることもできない。こんな体験だけで、大物になれるとは思うなよ。

 

 みんなでやれ、ということはまずは断ることを考えろ。昔、マグネシウムを飲めと言われた。私は自分の健康に気を使っていたから、それは直感的に飲むことはそれまでなかったから、飲まなかった。私は電波被害が増すからマグネシウムは飲まないことにしていた。すると、そいつはみんなも飲んだと押し付けてきたが、私は断った。変な誘惑だったのだ。危なかったのだ。

 

 今確認すると、その錠剤は住居侵入したアカによって汚染されていた。麻薬か何か噴霧されていたのは間違いはない。汚い錠剤を、飲む必要はなかった。

 

 みんなもしたから何かしろ、というのは基本的に断れ。何か悪いことをさせられるかもしれない。日本人は特に、そうやって何かに巻き込まれる。

 

 それをしてもよいと思った時だけ、それをすること。みながするからそれをしろ、というのは理由になってない。何か悪いことをする時、新しいことをする時、何か怪しい時は、慎重に見極めなくてはならない。私は基本的に個人主義なので、他人がやつていることはしない。

 

特に説得文句に、日本人の大勢がしている、とあるものは、ある種の日本人になるようなことのため、気に入らないから基本的にしない。私は何国人がする、という説得文句があるのは、しないのだ。どこかの国民がすること、というのはステレオタイプのものだ。平均的なものでもない。日本の田舎では良心と暮らすのが多く、夫婦でもエッチする時はホテルによくゆく、とかそんなことなのだ。田舎の夫婦がよくゆくホテルに、私もゆく気はしないのだ。

 

 大勢がする、というのは個性がない平均的な人間、賢い人はしないというニュアンスがあるため、それをまねる気はしないのだ。大勢がしないという説得があるものも、当然しない。何人それをしようがあまり関係ないのだ。

 

2018年5月5日

 

成長とは何か? 

 単純にその人物がある能力をあげることだ。能力とは? 何か物事をうまくやる才能だ。

 一般的には、より上手になる。より成果があがる。より速く、より短く、より省エネで行うことだ。より満足を高められることでもある。

 能力は無数にある。が、人間にとって必要な能力はある範囲に決まる。

 能力はどこまであがるか? 

 囲碁のケースでは、最善手を打ち続けることだ。負けない手を打てたらよい。囲碁は打つ手の数がそんなに多くはない。正解手はPCにかけたら、数年から数十年でみつかるだろう。それをマスターする。それはあまり高度な才能ではないはずだ。完璧な美術と比べたら。

 美術は単純に考えて、絵画は微細な点、0.1-0.001mmくらいまで正しく色を整える。キャンバスのサイズでそれを行うとなると、19*19とは比べ物にならないほど、無限のパターンがある。それを極めるのは至難の業だ。

 というわけで、能力は、最高点(限界)がある分野もある。そういうのは早く習得できる。が、どこまでも高みがある世界もある。それはマスターするのにかなりかかるだろう。

 最も複雑なのは、生化学と言われている。生物の機構。これはどこまでも奥が深く、研究できるようだ。人体をどこまで改良できるか。文明に使われる材料をどこまで見つけ、その製品を作れるか。これが最も極めるのに時間がかかる領域とする。

 数学や物理学、工学は大雑把なものは、そんなに習得に時間がかからないと考える。美術や生化学に伴う複雑なものが、やや時間がかかるはずだ。

 

 能力は、よく生きるために必要な技能、技術などだ。能力をあげて、より快適な生をおくれる。極端にはより死ななくなる。よりよく生きる才能をさす。

 

 能力というのは、より生きるために、はじめに覚えなくてはならないことがある。能力は、欲求を満たす才能だ。それで、欲求の優先順位に従い、能力にも先に覚えるものがある。

 

 まずは食欲を満たすこと。飢え、渇きを満たす方法を身につける。赤ん坊はまずは食べてよいものを学ぶ。また食べてはいけないものを学ぶ。だんだんとよりおいしいか、より健康になるものを学ぶ。さらに毒を細かく見分けられなくてはならない。よくかむことも、ものを飲み込むことも学ぶ。

 

 排出も大事だ。このように生理的な欲求を満たし、体調を管理する能力を子供は身につける。しだいに高度な欲求に対する能力を身に着けてゆく。

 

 こういう基礎的なことから、だんだん応用的なことを身につける。こまかいことまで覚える。能力とはある欲求をかなえる方法の全般をさす。能力という基準を使うと初歩から高度なレベルにいたるまでを、ランクで表すことができる。

 

 能力を身につけるとは、生きるために何かする。その正しい方法を覚えることでもある。能力をあげるには、正しいことをたくさん身につける。間違ったこと、誤りなことをしないことも身につける。

 

 今回のテーマは、何か? 成長とは何か? それは、欲求を満たす方法。それに熟練になることだ。それは能力をあげることだ。成長の分野は、無数にあるが、生きるためにすることなので、範囲は限定される。

 

 なぜ成長するか? よりよい方法を身につけるのか? より熟練するのか? より能力をあげるのか。

 それはより快適に生きるためだ。よりよく生きるためだ。苦痛をへらすのだ。より感動を味わうため? 感動を体験するために、生きているわけではないだろう。感動は、かなり複雑な感情なのだ。より原始的な感情や欲求が満たされるほうが、優先される。美しさを感じるため、というのも、ある人間の認知のパターンを満足させるためなのだ。きっと。

 

 ある分野のよりよいものが、美しい形になると気づいた者が、よりよいものを求めて、そのみかけの姿である美しさを求めるのだ。

 

成長には、生きることのためのもの。欲求がまずある。次に、欲求を満たすこと。その方法がある。それはたくさんって、その中によいものと悪いものがある。成長すると、その中でよりよいものを知り、それを身につける。悪いものはしなくなる。そして、能力をあげると、より高い満足を得られるようになる。

 

一般的には速く、省エネで、無駄がないものがより効率的でよいとされる。

 

いっておくが、これらは厳密にやがて明らかになる。定義なども含めて。

 

 

次は、真実と嘘と誤差について。

 

 

2018年5月5日

 

1300万年後の我々

 

2018年5月4日

 

最近の変化。

 女性のドラマを見ても、楽しいのだ。これは、孤独がやっと終わる気配だ。

 

写真や曲、小説は作品で、失敗したら、直しがきく。囲碁と違って、そういうところは楽だ。私みたいに、即興や運動が下手ではないが、完璧でない者もうまくできる。そこがよい。

 

成長?

 それは各種能力が高くなること。この中で、社会性(社交的な振る舞い方)の能力が向上すると、大人になったねと言われやすい。が、哲学(信条体系)の成長がもっとも大事だ。人間性の成長は、徳の才能が全般的にあがることだ。が、哲学がその基礎となるから、哲学が高い人が人間的にはもっとも優れている。徳目は、みかけのふるまいの面が強い。徳ある振る舞いができる人と、哲学が優れた人では、後者のほうが圧倒的に賢く、素晴らしい。なぜなら、徳は簡単に身につけられる。10年も学ぶとそれなりになれる。が、哲学はあげることがかなり難しい。

 

 精神の成長を目指す

 日本の教育で、日教組の方針は、道徳を教えないから、子供をだめにする。精神性は、数学、体育などと同じで、徳目なので、鍛えただけあがる。正しく教えたら、身につく。何も教えないと、放たれた野獣のごときとなる。家庭でしつけ程度で教えても、徳のある立派な人格にはなれない。が、専門の学校で教えると、それなりに立派な徳を修められる。学校で初歩的なことは教えるべきだ。

 

 学校で教えるようなレベルでは満足できない人は、各自が専門の道に入り、学ぶ。僧侶で比叡山は徳を大事にする。高野山は私は知らないので、いえない。

 

 精神を成長させるには、何をすべきか?

 私は、鍛えたほうなので、教えられるほどのノウハウはある。が、まとめたことはない。やってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年5月4日

 

最近、楽しさを思い出す。順調に、健全な時代を思い出し、システムを取り戻しつつある。アカによって暗い生活が長く続いたが、それを終わらせる。

 

アカは消えるのだ。どうやって? 犯罪に走ったアカは除党させられる。アカでなくなる。それ以後、アカはその規律違反者を支援することはなく、1人ずつ、孤独に陥り、そして果てる。

 

私は、この年代のふつうの生活を行うようになる。知性だけを高めてきた。専門家といっても、この分野はそれほど高い才能はないのだ。書物も少なく、あまり向上しないのだ。それを1人でやってきた。貧乏だと、極められるものも少ない。書籍代がかかるからだ。

 

 私の才能が発揮されるには、あと少しの話力がなくてはならない。自分の言いたいことをきっちりといえる才能がなくてはならない。

 

 そもそも私の才能はどのくらいか? 人間的にはどのくらいか?

 

私は社交能力と会話力(言語力)が落とされて、十分に機能--社会人としてわたりあえるほどに--していない。他にも、ビジネスマンが身につけるべき才能のいくつかが足りない。それで、社会で単独でやっていけないようになっている。

 

 これは、計画により、私が社会人--社会で通用する水準をもつこと--の才能を持たないように、されているからだ。意図的に、才能が低く保たれている。この面は捨象して考える。神の計画に抗らうことは、あまり意味がないことだ。しかし、落とされている才能を確認することは必要だ。

 

 私が活躍する時に、十分ものが一つくらいできるようになっている。それは、文章力が一つだ。もう一つは、専門的な能力、私の場合は、地震予知か透視能力だ。

 

 なお、電波犯罪の機器が手に入ると、さらに様々なことができるようになり、飛躍する。その周波数分析の技術だけでは、透視が完璧というくらいしか、私の能力はないのだが。まぁいい。それだけでもよいだろう。

 

 霊能力では、地上霊界をまとめたこと、天国をみつけたことなどからは、一流だ。偽コンタクティとは一時代違うほどの才能だ。神に選ばれてなくても、私の才能は1000年に1人なのだ。これは書物にまとめることで、明らかになる。他宗教の偽霊の産物は、それ以後、信用されなくなるだろう。

 

 宇宙交信も、特筆する。なんといっても、近郊の宇宙人をかなり特定したことは大きな功績だ。文明の年代ごとに惑星社会をわけたことも。この宇宙の中心、宇宙の外側とも、交信したことも、偉業なのだ。もっとも肝心なことは、悪宇宙人の嘘を突破したことだ。私の情報が広まることで、悪宇宙人に騙される人は減るだろう。

 

 ただし、これは民間個人の研究としての偉業である。米政府は、私より進んだ水準にあるから、それと比較すると、さほどぱっとしないだろう。

 

 私が大きな進歩させたのは、中心宇宙との交流が開花したことだろう。近郊の交流はこの時代に特筆すべきことではないはずだ。このあたり、正しい宇宙人研究者が大勢現れた時に、私の真価、その先進性、目のつけどころのすごさがようやく人々にわかるだろう。

 

 宇宙人に出会うだけで驚かれる時代では、まだ私の交流の広さ・高さに気づかれないだろう。こちらも宇宙時代初期に、高い到達点にいたったことが、やがて評価されるだろう。

 

 霊能力と宇宙人研究者としての才覚。それは前代未聞の領域なのだ。

 

 次に、発達心理のほうだ。これは、青年期の心理の開拓者、人の発達心理の父と呼ばれる。これは、まぁいいだろう。認められるのはケン・ウィルバーくらいだ。他はわかっても、評価しにくいだろう。まずは私の理論を仕上げなくては。それにより、中高大の精神教育が適切になされるようになる。反抗期などという言い方も、わきに追いやられる。生涯の心理学がやがて作られる。

 

 エリクソンは発達段階説を書いたが、中身がなかった。それを記したのが私となる。特に、青年期の。

 

 私が他によくやったのは、電波犯罪の被害者の論だ。あれは頑張って書いた。が、犯罪被害についての一般論なので、さほどという感じだ。これは評価されるだろうが、どうだろうか。歴史的にあまり価値はない。

 

囲碁の実力。これはプロほどではないが、他の業種--料理人などは何万人もいるから、それで仕事ができるほどの実力だ。囲碁という狭き門を選んで趣味としたのが、私の社会人になる時間を遅らせた。

 

作曲の才能。こちらはプロ級なのだ。何千人もいる業界なので。一つのヒットでは食っていけないが。八重桜の歌が歴史的な童謡。これから、増やす。

 

 漫才は、下手ではないが、プロには届かない作家くらいかな。落語も8巻以上は読んだし、笑いのセンスはある。

 

文章力はプロの下のほうのクラスと判定している。

 

 肝心の透視が、いまいちなのだ。これは見えないわけではないが、大きく過つので、プロとしては不安定なのだ。どうやって鍛えていいのかが、わかりにくい。

 

 地震予知を透視で、やり抜く。それがよいのだ。当面は、それで社会人になることを目指す。このように、社会人になる、一人前になるとは、単に、仕事でお金をもらう水準になる、生活できるようになるということで、あまり重要なことではない。女性の場合は、結婚するのも、そういうことなのだから。

 

 人間的にはどのくらいか?

 電波犯罪の技術で、私の才能をカバーするようになると、すんごくどえらい人間となる。それまでは、隠された巨大な才能、一部は露出(地震予知で)となる。

 

2018年5月4日

 

今日もお仕事。

 現代人に求められる人格としては、合理的-理性的な精神だけでなく、徳がある人格。

 私が選ぶととすると、正義感があること、正しく正義を見抜けるのは当然のことだが、で、理性をもつこと。徳はあったほうがよい。それを身に着けた大人でないと。

 

 愚かさとはその箇所で、間違っていること、程度の低いことをしている。無知とは違う。社会にとって、その面ではマイナスということを意味する。愚かさは一つをもってはいけないのだ。無知は仕方ないとしても、間違った知識(愚かさのも)は一つも信じてはいけない。愚かさを実行してはなおさらいけない。

 

 愚かさは、その分野の賢さによりその非が明らかにされ、否定され、消し去られる。

 

 ざっとそんなところ。

 

2018年4月30日

 

最近、記憶が低下していた。もちろん、アカの薬剤と電波のせい。で、カルシウムとビタミンDを補給すると、幾分ましになった。

 

会話力を鍛えなくては。いろいろ鍛えなくてはならないものがあるわ。

 

 

嫉妬の消え方

最近、不幸の過去をどうやって克服するか、わかったのだ。簡単なこと。幸せになればよい。才能は一度、身につけてしまうと、なかった時のことを忘れる。不幸は能力不足が原因と考える。それで、不幸の分野における高い能力を身に着けて、解決だ。

 

 過去の記憶。その解消には、当分、代償は必要となるが、案外小さいかもしれない。それもまた能力が低い間のみの感情。

 

 能力さえ身に着けてしまうと、幸福な者たちを羨まなくなる。なぜなら、幸福な者たちといっても、多少、女性と仲良くできる、せいぜい家庭をもてる、視力がよい、人間関係を正しくみれる、社交性があるという凡人の中ではややできる程度。そんなありきたりで些細な才能は、私がいずれ身につける高度な能力の前では、貧弱だ。その時、それらは低能による欠点ばかりが目にうつり、羨むようなものではないからだ。

 

 嫉妬というものは、能力がない者の悲しみなのだ。それを身に着けてしまえば、消えてなくなる代物。彼らより何もかも上手に行い、満足も高い。何も不満にならない。いや、必ずしも、彼らより上にならなくてもよい。ある程度、身につけてしまえば、できないことの不満はなくなる。

 

嫉妬とは、それができないゆえの不満からくるのだ。あいつだけそれができて、うらやましい。そんな単純な羨望からくるのだ。その時、健全に、その能力を身に着け、できるようになろうとするのが健全な方向。嫉妬が不健全な方向にはいくのは、彼ら憧れの者たちができるのに、自分はいつまでもできない。それが悔しい。別な方法で、自分もそれができるようになろうとすること。特に卑劣な方法で。それが嫉妬の不健全なあり方なのだ。

 

 共産主義者が金を稼ぎ方、社会で高い地位に才能であがることをうまくできない。それで、革命という暴力的なことをやって、権力を我が物にしようとする。これが不健全な嫉妬という代物だ。

 

 

 

 

 

2018年4月30日

 

判断が微細? 細かいことまでわかることか。悟れば、何もわからなくてもよい、という考え方を否定した。

勇気はなくてよいのか? 最悪。これは私の基準では「勇気なき者は、犯罪者のごとし。」だ。電波犯罪者で仲間になった者は、私にはけっして言わなかった。言うなと脅されていた。つまり、言わない者はあっち側の人間である。私の前で、勇気なき者はすべてやがて死ぬか、のけもの--害なき人材で、主要な仕事を何一つ与えられない者にされる。勇気を身につけるしかない。

 人のために活動する? 私はこういうのは好まない。自分がない者は、無価値。他人に依存するかしかない自立できてない人格とする。

平和のために尽くすとは、軍事力を行為しても、悪人--秩序を悪化させる非倫理的な人と組織をなくすことが一つ。もう一つは新しい秩序を作り、混乱を調和へと導くことが2つ。

 人間の生き様が、死後の霊の生活を決める、というのは大方当たっているが、実際は違う。性格はあまり変わらないだろう。それは死後の生活で、守護霊のグループが同じだからだ。が、死後は、たくさん学ぶ。人間のように、中途半端な学問をあの世で再び学ぶことはないだろう。

 天国はあらゆることが判明している世界なので、迷うことはない。その基本を押さえてない文言は、くだらない。

 

 21世紀の合理主義は、霊の分野に及ぶ。その影響で、霊について嘘、誤りに基づく知識を出す宗教団体は、少しずつ信者をへらす。それら僧侶や神父の非科学的な見解は、真実から人々を遠ざける。それがしだいに消える。これは、科学の発展にともなうことである。それは一宗教が霊を科学して、論文を書き、学会で認められる。ならば、その宗教団体の功績となる。が、そうでないならば、一宗教の貢献に帰することはできない。

 とある宗教の活動によって、そうなると信じるのは要は、勘違いもいいところだ。科学の発展によって、自然にそうなる。ある宗教団体がそれを実現するのではなく、霊の科学化するという活動を支援するくらいだ。宗教が霊の科学化をやりとげる、と思い込むのは正しくはない。

 

 この科学時代がここまで進んだことで、新しい教えがやってきた、というのはありうる。が、…。これには理屈がある。合理主義の時代に、神が現れるのは、必然的な理由があるのだ。

 

 神による選別?

 教養、徳と知性ある人格、しかも善人。偽りの神と真実のそれを見分けられる人をか。

 

 私が人を選ぶとしたら、こうなる。まずは科学理論を多少は知っている人。次に、物事を科学的に明らかにすることが、人々の迷いを終わらせる。それが救いとして重要だとわかっている人。社会論で正義が何かを高いレベルで知っている人。知らないのはいちいち教えるのが面倒だ。社会の正義、良識をもつていること。それは、日本では保守、アメリカでは共和党支持が原則となる。共産理論の間違いもわからないおバカを一から教えるのは、勘弁してくれよ。それは私の前にくるまでに、習得してくれ。

 

 勇気があること。私の側にいて、私と同じ仕事をするには、正義感がないとつとまらない。

 

とうとう、いろいろ考えている。

 

2018年4月30日

 

1000万年後の我々と交信--この未来は6割真実に近い? 本来の実力の6割ということ。

 

2018年4月25日

 

私の気晴らしは、いろいろ海外の情報を聞くこと。私に関係する話題しか、話さないので、なんかつまらなくなっている。が、そういうものなのだろう。が、もう少し、あちらの正直な思いも語ってくれるほうがうれしい。

 

最近、左翼のレベルが低くなりすぎて、保守のほうも発信しなくなって、知性の低下が起きていて、やりづらいこと。これが鬱屈な気分にさせる。憲法改正まで待てといわれているのだが。もう少しまとな世論管理の方法があってしかるべきだろう。

 

 愚かに保てというのは、いつまでも通用するものではない。この方式は、あとで天国で叱られるのだ。確実に。あちらでは、日本の世論管理の役は下から行うはめに。

 

しかし、現メディアを貶めて、新メディアの活躍の場をつくっていると思うと、悪くないなとも思うのだが。というわけで、それまでの辛抱である。それは2-3年とみている。来年の初頭に新メディアが台頭する可能性も高い。

 

2018年4月25日

 

昔の鳥の話は面白いのだけど。読んでみると、科学の参考になりはしない。もちはもちや。宗教家に物理学は、期待できないのだ。それをヒントにするのも、どうかと思う。重大な科学理論は、特に決められた者が発展させる。その法則を先に学んだのに、忘れてしまったのだろうか。

 

 例外は、私のようなタイムマシンを使う--未来を覗き見る人間。未来から情報を仕入れるから、ある程度のことは正確にいえるのだ。私は、霊が言ったから、そうだとか、そんな根拠が不確かなことはいわない。人間=地上の霊とする。彼らは調べた上で言う。天国の霊は、あてにしない。また霊能者にとって霊というのは、たいてい悪の宇宙人のなりすまし。エセなので、信用しない。

 

 

 

 ニューエイジの間違い探しはあとにしよう。

 

 何々、性格の両端、反対側の性格をあわせもつことが良き人格?

 うーんなんのことやら。簡単にいうと、極端というのがどうも正確ではない。

天衣無縫--これは自分より囲碁の強いソフトと打っているとよくわかる。彼らは最善のことを次から次に行うが、凡人にはわからない。あちこちに関心が向かうのだ。何をすべきかがよくわかっている人は、こうなる。基礎レベルから逸脱してないと、定石的となる。型にはまつている。

礼儀正しい--これは、対人コミュニケーションで、えらそうにしている人に対しては、慎重に言葉を選び、隙なく振る舞うのが、よいとされる。これは老人や権威者相手に提案する時のありきたりな態度だ。

正義を理性的に説く? 鉄の意志?--正義を説明する時は、理路整然と話さないと理解されない。また意志が強いようにみせるのは、優柔不断な顔をしていると、確信がないように思われるから、そこはびしっと決める。

人間愛を説く、思いやりを示す--思いやりのことを慈悲の尊さというのかもしれないが、それは研究課題だ。これは社会理論の正義に縛られずに、社会をよくする、人を守るために最善は何かという説明の時に、思いやりある風情をみせる。これも、説得の極意だ。

 正義の理論性と、人を救うという現実とを混ぜるのは説得ではよくあること。理論的に正しいことだと説明して、それが人を思うがゆえにすることだとも印象づける。そんなところかな。主義主張がうまくできる人は、両方使えるものだ。

 大胆な発言は、計算されたもの。これはよくあること。通常の方法でうまくゆかないときは、突飛な案でゆく。これも当たり前。

 厳しい理論とユーモアなどなど。権威に萎縮しない。形式にとらわれない

 話術が巧みなのだろう。それを性格の問題にするのは、どうかな。一ついえるのは、極端ということではなく、単に賢明であること。説得、処世術(権威者への説得法)が、特定の型にはまった方法ではなく、応用的に解決できるほどに。

 

 このタイプの性格が、相反する性格があると考えるのではなく、賢さの現れとして考えるほうがよい。基準は、一つで考えるのだ。そうでないと、善悪の混乱のように、人間の理解で低級なレベルで迷うことになる。性格の良し悪しの尺度は小さくみると、たくさんある。が、大きくみると、一つでよいのだ。型通りがよいのか、柔軟にあるべきか。それはね、最善は何かと考えるとおのずと決まるのだ。

 

 さて、ここからが面白いのだ。性格が優れているものが、健康とする。すると、多くの現代人の精神は、不健全となる。大人達が不健全、不健康なのだ。そこは痛快である。

 

 そういえば、私は最近、賢明な人を見たことがない。テレビでもみかけない。

 

 こちらの話をしよう。

 

 賢い人とは、私の疑問をすぐに説いてくれるような人ではないのだ。私の問題は、生活の中で生じたもので、特殊でつまらないこと、この時代の私だけの関心というものが多い。そんなものの答えをしるのは、私の人生を設計した守護霊とその仲間くらいだ。

 

他人が、もしそういうことに最適な答えを知ろうとすると、私の課題、人生を研究しなくてはならない。つまり、私の疑問になんでも答えてくれるのは、唯一、私の生活の研究者なのだ。私は、他人に、それほど私の生活を知って、答えを出せ、と期待してはいないのだ。

 

 一般的な問題として、答えてくれるだけで十分なのだ。ただね、未来のコンピュターなどは、人生の課題など一瞬でみつけてくれるだろう。が、そういうものをいちいち使って、私の生活を調べた上で、話すをする人は、当然かも知れない。が、今の私が求める人、つまり賢く、徳ある人の条件ではない。

 

 賢い人とは、理論を一般的に知っていて、実用なども長けているだけでよい。医者、弁護士、社会評論家。それぞれに得意分野がある。それで、それぞれの分野で高度であることは大切だが。

 

 精神的に優れた人を私は探している。それは、道徳、徳目でほぼ正しいことが言えるのが、最低ラインだ。本人の口が回らなくても、それを理解していることが大切だ。

 

 次に正義感があり、実際に正しいことを行ってきた人。中高生並みの正義としては、人助けをきっちりしていることが大切だ。大人の正義としては、正しく社会運動ができることだ。歪んだ社会論には異を唱えていることが大切だ。当然、中高生並みの正しさとしては、犯罪をしないことがあげられる。

 

 せいぜい人助け、正しい社会運動、犯罪をしないという3点。誰でもできそうなことなのだ。まずはこれらが私の選別の基準だ。これができている人がいない。というか、私は表立って助けられたがない。この24年間。私の苦しみを解決する方法はただ一つ、電波犯罪。その証拠を手に入れること。周囲からみて、誰でもわかることだ。それを教えてくれた人はいない。

 

 電波犯罪の証拠品、犯罪の装置をもち、赤ファイルを知っていながら、素知らぬふりをする人間ばかり。ここで落伍する人が多い。

 

 次に犯罪をしないこと。私の周囲の人間は、アカ基地に隠れてくるが、私にそれを隠す。なんとも卑怯で臆病な人間ばかりだ。というわけで、アカ基地に来たなら、もはや共犯者。この犯罪歴がないのがほとんどいない。

 

 というわけで、私は日本人は期待しなくなった。いくら精神的に優れていても、この2点ができないのはどうしようもない。

 

 正しい社会運動をする。これはたくさんできる人がいる。保守の運動をしていること。共産の運動を嫌うこと。それだけでよい。

 

 わずか3点なのに日本人にはいないので、海外に探す。高潔な人は海外にいるのか?

 電波犯罪を知っているなら、告発を試みるが失敗した人に限られる。知っていて沈黙したような輩に、正義の冠は与えない。知らないなら、その条件はつけない。宇宙人は地球に干渉することが禁じられているから、問わない。

 

 次に賢明な人は、まずは精神的にあらゆることで、ほどほどの良識をもっていること。これは本当に、厳しい条件のようだ。案外いないのだ。宇宙にはザラ。どこにもいる。が、地球では案外みつからない。

 

 最初の3点で、みつからないから、そこは妥協しなくてはならない。次の精神的にあらゆるもので網羅していること。これも、ほぼ皆無なので、そこも他人に求めないほうがよいかもしれない。なにしろ、いないから。

 

 そこで、もっと落としたものを要求することになる。

 

 これはいずれ書こう。

 

2018年4月25日

 

900万年後の我々

 

 

2018年4月23日

 

ちょっとね。科学の法則辞典を買って読もう。人類が現在の文明を維持するためには、これほどの処法則を発見して、応用などできなくてはならないことが理解できる。

 

 古代のイカサマ本に、それと同等のことがまったくない。というわけで、その古典の世界には、人類と同等の文明はない。この程度のことは、思いつかないと相手にされなくなるぞ。

 

 人類の犯罪者比率は、しだいに減っている。宇宙はよって、進んだ文明ほど犯罪者の比率が小さくなる。宇宙は、文明が数億とかいうのが平均なので、善の割合が9割5-8分以上と推定できる。が、ある人物は宇宙は悪ばかりと言い放った。私がわかりやすく説明したのに、その程度のことも、わからなかった者は左遷。私はその時に決めた。

 

 科学や常識的な判断を軽んじて、教条を信じる者は、私の前に必要がない。

 

 地球の環境は、激しいほうか。平穏なほうか

 

 ちょっと答えを言うと、地球はわりと環境が静かなほうだ。銀河系の端側なので、星間物質の数も少なく、流星などの衝突が少ないといえる。銀河系の中心部のほうが倍以上、多いはずだ。星間物質の密度が高いので。

 

 もし地球に降り注ぐ隕石の数が、他惑星より多くなるとするならば、それは他の惑星よりも地球が大きく、重力が強いということに尽きる。大きな惑星は、重力圏が広くなり、それにとらえられ、降り注ぐ隕石の数が増える。すごく単純な理由だ。

 

 私の調査では他の平均的な文明をもつ惑星よりも、地球は1.05-1.1倍のサイズなのだ。やや大きいといえる。それで、隕石の衝突は、単純に考えて、少し増える。計算すると、何%かの割合も出る。

 

 やっと理解したのは、衛星が大きいと、マントルが還流も強くなり、大陸移動が増える。それによる山の出現、火山が広範囲にできること。それによる鉱物資源が豊富になることか。どこの地理の本に詳しくあるから。

 

 じゃあ次は、惑星を隕石から守る、という本を読みな。惑星ガードというジャンルで。隕石がどんな頻度で地球に落下するか。一般的なことが書いてあるぞ。その科学的知見を覚えたら、しだいに、地球が特別な惑星ではないと、わかるだろう。

 

 私の理性的な話方より、学問の本にあるほうを信じるわけか。そこはまぁいいだろう。それなら、学問の書にない新しいアイデアは理解しない、ということになる。つまり、先駆的な会話はできないことになる。私は2-3割は、新しい問題を論じるから、その時にはいらないわけだ。

 

 次、私は愛を過度に論じないので、間違えないように。その一言は、9割いらないのだ。

 

 次、文明は科学を理解する水準になると、人類でいう21世紀初頭になると、霊を発見する。あらゆる道徳、精神論なども、科学的なものに置き換わる。すべてを「合理的」にとらえるようになる。

 

 どの文明もこの発達は同じだ。というわけで、どこかの進んだ銀河系の地域のやり方というものではない。すべてそうなるのだ。例外はない。

 

 なお、科学文明が成立するには、人類と同じ期間と人類ほどの人口(数億以上)も必要だ。それより短い期間でなしとげることはできない。古代の数万人の人口で科学文明が生じたのはまったくのデタラメである。これは科学史を学ぶことで、科学というのは一朝一夕には形成できないことに気づくだろう。積年の数多くの発見。その積み重ねによって、到達できるものだ。短期間でできるものではない。

 

 なお、これらは暇なので、説明している。が、急ぐ時期は、そんなに説得に時間を使わない。私がレポート(ここに書いたくらいのもの)を出して、すぐに理解しないなら、重用する人物ではなくなる。

 

 はずす理由は、私の話についてこれないからだ。もっと根本的な理由としては、私の言葉を軽んじるからだ。それは偏見に基づく。説得に十分なものを用意して、読ませたがそれを理解しないものは、学力がないゆえに不要となる。

 

 次に、それら説得資料を読みもせず、誰か昔の権威、本人はいい加減に、テキトウに言ったものだが---レオナルド・ダ・ビンチもはじめは初心者なのだ。どんな偉人でも専門外のことはどうしてもそうなる。----そのテキトーな発言をいつまでも真に受けているのは、その者に仕えよ。理性的な人は、最初はテキトウだけど、しだいに学問を身に着け、まっとうなことがいえるようになり、しだいに専門家に近づく。

 

だが、宗教家は、物理は駄目なのだ。高度科学はいい加減なものになるのだ。これは預言者の法則の一つで、預言者本人が語るものは大衆が理解する理論レベルを超えてはならない、という決まりがある。だから、高等数学以上のことは、正確に語ることはできなくなる。首相が、理論的に複雑なことを語って、国民をけむにまいてはいけないように。

 

 よって、そういうのは、仮説程度にしか、真に受けてはいけないのだ。私の地震予知のように。超科学も、せいぜいそんなレベルだ。私のほうが3-4倍は科学法則に迫っているけど。

 

 新たな権威を認めないで、古い権威にしがみついている。それはつまり、新たな権威を軽視する態度だ。新たな権威の言葉を聞かない者なのだ。つまり、そんな人物は新しい学びをしないと頑なな態度をとるので、教える側としては教えるものがないわけだ。

 

 が、しかし、誰かさんの迷いは、一般的な問題だ。古代の超科学という妄想は、日本と西洋でも一時、流行った。そのデマ信仰に対する反論を書くのは、世の乱れを正すことになるので、私としては楽しいのだ。

 

 今度は、隕石から地球を守ろう。それを勉強しよう。本を買って読もう。やっと一つ進歩したぞ。3-4ヶ月で一つ、常識を身に着けた。このペースでゆくと、数年後には、古代人信仰も消えているぞ。

 

 

 

2018年4月23日

 

裏切り者、薄情者、犯罪者。無関心者。どうしてこう犯罪一味の仲間が多いのだろう。臆病者大国日本。彼らを徹底的に鍛え上げ、犯罪ができない人間に変える。正義を一時も忘れない人間にする。

 

 日本人と自称リベラルはレベルが低くてたまらない。

 

 宇宙で最も進んだ星(現時点--実は古い文化なので、現代の宇宙人にはあまり評価されない。)にいずれゆく話をした。それから、いろいろと活気を取り戻した。私にとって、希望ある話をすると、私は元気になるらしい。

 

 田中角栄さんは、日本のメディアをどこまでも落とす。憲法改正で一段落とみているのだけど。安倍さんは、次の総裁選で勇退だろ。彼は仕事を十分すぎるほどにした。ふつうの総理の2-3倍ほど。

 

 さすがに、10月の首都直下地震までこなしたら、疲れるわ。これは

 

 

次が誰なのか。その争いが勃発したのでは?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年4月23日

 

800万年後の我々

 

2018年4月21日

 

まずは仕事。

 

自由?

 自由とは一般的には、行動を制約されないことだ。自由は社会的な意味でのみ用いられる。20世紀の戦いは、社会の中で自由を勝ち取ることだった。社会制度は、基本的に行動を制約することだ。が、その中で、個人の自由度を高めることをやった。もっとも自由度を高め、成長できる制度にすることが、20-21世紀までの課題だった。

 

 さて、その自由は拡張され、思考の自由と、頭で考えることまで、制限する方法があるらしく、それらから自由になることがよくいわれる。

 信仰の自由は、単に特定の宗教を強要しないことだ。そういう制限しない、という社会の約束事だ。思想信条の自由も、同じく、特定の思想を押し付けられないことだ。そのようにして、自由に選べる環境を残すのが、自由を守る制度。

 私は、社会制度の時代では、思考まで強制できないと思っている。制約するのは行動までだと思うのだが。よく考えるとそうでもないかもしれない。

 

 心の自由?

 人々が自由でないのは何か? それは知識がないからだ。地動説も知らない時代では、太陽を地球が回ることも考えられなかった。そこから様々なことを、明確に説明できることを。

 死後、幽霊になることも知らないし、その後成仏することも知らない。それでは、何も考えることはできない。知っている範囲のことしか、人間は想像できない。

一般的には、想像できる範囲は、彼が知る「世界の度合い」で決まる。それが本人の自由--思考の範囲を決める。たくさんの世界の多くの物事を知る人ほど、人は自由になれる。

 

 その上で、自由な人かどうか? 日本人はだいたい現在の、科学的な世界観を持ち合わせている。が、自由に物事を考えられる人がいる一方に、特定の物事しか考えない人もいる。その善悪については、幅広いことを考えられる人と、狭い見方しかもっていない人との差となる。

 

 精神の高さで、自由を考えるならば、精神が高い人ほど、心のことを自由に語れる。心を熟知しているからだ。精神が低い人ほど、特定の考えに固執して、すぐに不機嫌になるか、怒り出し、心の自由度が狭い。

 

 欲望の有無では? 欲望と欲求は大差ないとする。心が自由な人は、大きなことをなしとげるという欲をもつ人だ。そんな人ほど、心は自由。小さなことしかする気がない人は、目先の日常の小さなことをこなすことしか関心がなく、本人は心に自由な翼をもってなくて、つまらない。単に、夢の大きさで、自由になれるかどうかが決まる。

 その欲望に凝り固まるとどうなるか? 一つの事にしか興味がない人間となる。これは自由度が低い。様々なもののに関心を寄せなど、見聞を広める気がないかのようだ。外の文化にいつまでも関心を寄せない。

 

 虚栄心? 虚栄心が強い人と弱い人で比べると、自由度が高いのは、虚栄心が弱い人。見栄を張るのは、たいてい近くの人間に対するものだ。いい服を着て、いいものをもつ。虚栄心は、神を相手に張るのは、幾分ましだ。高度な宇宙人の見ている前で、私はあまり格好悪いことはできないと思っている。こういうのはわりとよいと思う。だが、たいていの虚栄心は、大阪の若者か大人がかっこいいと思うスタイルをすること。要は、特定の狭い世代での趣味。この範囲が狭くて、見えを張っても、あまりたいした技能も身につかないし、何か成長することもないのだ。

 

 ファッションセンスが身につくなら、それはそれでよいことだ。が、それをどこまでも極めるなら、それもよいことだ。それなら、ファッションデザイナーになるほど極め、プロモデルになるなら、評価される。が、たいていの人は、素人っぽく、中途半端なのだ。金満趣味という呼び名もある。だから、見栄を張る人達は、あまりよくないとされる。が、私は一概にはいわないのだ。

 

 虚栄心はある程度ないと、社会人として恥じない服装や言葉つかいなどは身につける動機がないからだ。

 

 が、私が、高度な技能をそれで習得できるなら、それはそれでよいのだ。こういうのは、見栄ではなく、大人のステイタスを身につける、という。虚栄心は狭い範囲の人しか通じないようなもので、格好つけることなので、あまり一般性がないのだ。世代が変わった途端に、変と言われることもある。

 

 執着? それが心の自由度を下げる? これは直接、下げる。なにしろ自由でないとは、たくさんの物事に興味をもたないし、考えもしないことだ。つまり、特定の物事しか考えないことで、それこそが執着だ。

 

 私なら、心の自由を奪うのは、無知、世界の広さを知らないこと、執着としておく。他にも、嘘を信じることなどある。

 

 これらを排除するにはどうするか? 心を自由にするには?

 女性の場合は、結婚の束縛から自由になること。結婚した女性の男への擦り寄りほど、不自由にみえるものはない。つまらない家族の慣習、それを絶対かのように考えている。それを最優先かのように考える。つまらなくて、不自由な女だ。

 次に自由でないのは、神についての思い込みだ。盲信信者は、本当につまらない。教条にないことの真偽については、考えるだろう。が、教条に関わることは、自分で正しいのは何かと考えもしない。科学的ではない。思い込みばかりだ。

 見栄っ張り者? いやいや、見栄を張る人は、その時点で精神が5次元の下で、自由とはいえない。彼らは難しい話を聞きたがらない。私は、あまり自由でない人と分類している。そういう人たちも、わかる人はいる。が、それは世間が認めたことしか、受け入れようとしない。私は今は説得相手としていない。

 欲望をもつ人? 彼らはあることにこだわり、やりたがっているのだ。本人はそれを手に入れることか、それをすることが極めてよいことと思い込む。はっきりとした誤りでない限り、私は彼らの好きにさせるのだ。自由とはあまり関係ない。

 執着する人? 特定の宗教に執着するのはいやだけど、執着の範囲がある。上がるために必要なものを拒んで執着するものだけは、手放すように指導する。アメリカに住むのに、日本語ばかり話すことにこだわるのは、問題なのだ。他は、コイン好きや岩石好きなどは成長の妨害にならないから、放っておいてよい。

 

 心を自由にするのは、何からすべきか?

 見聞を広めさせて、いろんな考えに慣れさせておく。普段から。それに限る。いろんな世界を見せる。それが一番よい。海外旅行などは、絶好である。隣町にでかけるのもよい。もっともよくないのは、部屋に閉じこもること。次に、町内から出ないこと。一ヶ月に一度は都会に出るなどする。テレビを見るのもよい。外の世界を教えることが大切だ。というわけで、北朝鮮のように情報鎖国が一番悪い。そうでないのがよい。

 

2018年4月21日

 

750万年後の我々

 

2018年4月20日

 

女性のドラマで、楽しくなることはなかったのに、すごいな。誰だ? 私に女性友達がいるということだ。男の親友は知っている。それ以外に誰がいるのだ?

 

本気で何かすることは、池田では必要がなかった。さてと、星猫に守られて、強い意志を隠して、暮らしているのだ。

 

もうすぐ、メスネズミとダンスを踊らなくてはならない。そろそろネコかぶりをやめて、ネズミに戻らなくては。透視が低下するから、透視しなくてもよい道具をみつけたら、なれる。今は、最期の仕上げだから、慌てなくてよい。

 

あのお、世界の貿易だが、日本とアメリカ、英国の取り分は約束されている。だから、日本の自動車が売れるようにされる。ドイツがあの政治体制で、経済力が高めなのは、過剰かも知れないので、そこは落とされるかも。

 中国が民主化もせずに、世界の経済リーダーなることは許されてないから、中国の工業力が落とされる。それらを世界各国のメーカーが分け合うというのが、真実だろう。

 

左翼メディアが、おかしなことをどんどん言っている。それだのに、彼らが自己修正できないのは、これは仕掛けがあるのだ。メディア内に流行、『流れ』というがあって、それが厳密に管理されているのだが、それに逆らえないのだ。

 

 これが高度な技術なのだ。子供を楽しく長く遊ばせるように、サヨメディアを一斉に操る。ふつうなら、こんなに知性の低下がメディア側に起きたら、もっとしっかりしようとメディア自体が言い出す。それを誰もしないような雰囲気に保つ。そこが、技なのだ。

 

 昔は、こんなに反安倍が続いたら、政権はもたなかったという人もいる。が、そこはどうかな。アンチ安倍にするように、自民党側がしかけている。首相が、『森友や加計で、(汚いことをして)、関係していたら、責任とりますよ。』と煽った。

 

 ネットで反論を出すから、テレビ新聞が左傾化しても、政権がもつ、というらしい。それは正しいだろう。が、ネットがなくても、このところの森友、日報、財務省の問題など、政争ばかり。これでは、そんな政治をしない野党とメディアにそっぽをむく。それが、ふつうの有権者だ。

 

ネットが防波堤となっている面もあるにはある。が、ネットがそんなに書かなくても、さすがに、反安倍の一辺倒しかなく、政治、法、正義、政治の正常化などすべてをやろうともしない、怠慢野党やフェイクニュースのようなものに成り果てたサヨメディアにうんざり、というのが本心だろう。

 

 どうやら、今起きているのは、本格な有権者のテレビ離れと野党離れだ。たいしたことは言えてない。

 

げっ。衛星磁場がぶっ飛び。太陽風がきた。やばいぞ。日本はエアロゾロは、九州の南か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年4月20日

 

柔軟

 これは囲碁界でよく使われる。一つの考えにこだわらず、他の見方もでき、何が良いかを判断できること。反対語は、固い、で融通が利かないことをいう。

 一つの考えにこだわらない、とらわれないというのは、自分のやり方、その時にそれでやろう、いこうと思ったやり方に執着しないことだ。

 その理由を探り、その効用をよく知る。すると、同じような効用があるものを見つけると、他のものに、やり方を変えることができる。これが柔軟になれる考え方。

 柔軟でなくなるのは、なぜ今のやり方、そのやり方にしたがるのか。他では駄目なのか。その理由を忘れて、他と比較できない時だ。伝統や慣習などをそのまま受け継ぐ人は、伝統を守ることにこだわり、態度が固い。伝統の方法はなぜ、そうなったのか。その理由を知ると、同じような効果があるものに、変えることはできる。よりよいものにも。

 この時できないのは、より悪いやり方なのだ。いくら柔軟でも、伝統のやり方よりも、悪い方法には変えられない。

 

 これは柔軟の性格、そのものの定義やそうあれる人の心理である。日本人が考える『柔軟な人』という一般的性格を述べたものではない。囲碁界では、思考が柔軟以外には、使わないのだから。柔軟な人ほど、諸々の利、諸々の効果に詳しく、どれかをすばやく、最適に選択できるのだ。総じて、視野が広く、理に聡い人に使う。

 

 逆に考えが狭い人は、一つのやり方からなかなか変えられなく、思考がガチガチの人などと呼ばれる。

 

 というわけで、柔軟になるのは、物事の理に聡くならなくてならず、その才能がない人は、けっしてできないことなのだ。何? 宗教を実践したら、途端に柔軟になれる? それは無理だ。普段から、あらゆる方法の善悪について、よく学んでいないと。いろいろな方法を知ってないと。柔軟でない人は、愚直に学ぶしかないのだ。考えが固いと言われても、一つの道に10年専心したら、それなりに見方は広がり、多少は柔軟になれる。ただし、物事全般に対して柔軟になるのはなかなか簡単ではない。

 

 無理しないなら、楽なのだ。こっちと考え違いしてはいけないぞ。

 

 無理について

 子供の流行語で、大人ができないことをやらせようとすると、『無理』と断る。子供の能力値を超える仕事について、子供が言う時に使う。

 無理とは、現在とは、能力的にけっしてできないことと思うものについて、子どもが言う言葉。

 

 無理してやる--無理はできないことだ。無理にやるとは、できないことと知りつつ、やるのだ。これは体力的にきついけれどもやる、という意味が近い。納得してないけど、やれといわれたからやるのも、無理してやっている、という時がある。最近、あまり使わない言葉だ。

 

 基本、無理とは本人ができないことなので、一時的にできても、長く続けられないのだ。無理はしないこと。できないことは挑戦しないこと。これは、自分ができることと、できないことをきっちり見極める才能がなくてはならない。すると、無理しなくなる。

 

 

2018年4月20日

 

囲碁ソフトはそろそろやめ時かも。頭うちになってきた。勘はもどった。これ以上、成長しないように計画的に決められている分野なので、時間を費やすのは浪費なのだ。目標レベルに達して、成長がとまっても、いつまでも拘るのは、無駄なのだ。さっさと伸びる分野--計画的に伸ばされることが決まっているほうに費やさねば。

 

作曲ははじめたいけれども、私は外で曲を思いつくタイプなので、家ではテキトウにピアノの練習曲をひくのみ。

 

2018年4月20日

 

どうせなるようになる。700万年後の我々。

 

2018年4月18日

 

今週は頭が働かないようなので、のんびりしよう。

 

2018年4月18日

 

偽我とは

 真我の反対だ。真我が素直で、純粋な自分の思いを正しく実現しようとする意志だろう。偽我は、偽りの自分なのだ。例えば、お金を稼ぐために、意志に反して、盗みをする者。社会を健康で明るくよくしたいのだが、本人の思いに反して、革命のためには犯罪に手を染めなくてはならないと思い込み、活動家になる。こういうのは偽我の典型である。

 やっていることが、本人の当初の思いから違って、何か悪さなどをするが、時゛分はそれをしなくてはならないと思いこんでいる状態だろう。そういう偽我に支配されているとき、感情がすっきりしないで、偽りの感情をもっていると本人は心の底では自覚できる。

偽我に落ちるのは、正しい方法論が歪んでいる時に、そこで偽我にはまりこむ。真我と偽我とをわけるのは、正しいことをできているかだ。何かを正しいことをなしとげようとする時、何かへんな犯罪的な理屈を教えられ、または本人が短絡的な方法に固執して、間違ったこと、犯罪に走る時には、偽我が顔を出す。

 

 太陽系の引力や地球の自然の生態をモデルにするのは、なぜか?

 自然の調和を崩してまで、人類は生きられないという考え方か。もしくは、どこまで人類は自然との調和を考えなくても、生きていけるか。その限界値を考えるためなのか。人類は独立して生きていけるか。それらを考えさせるためだろう。

 

広義の善とは?

 人類が保全すべき環境をさすらしい。地球上で何の自然を保たないと、人類は生きていけないか。それを考える。緑がなくなると、酸素がなくなり、人類は生きていけなくなる。それら酸素の確保は、人類にとって、善いこと。必須なことだ。

 こういう人類存続のための基礎条件。それを守ろうとすることが、広義の善と呼ばれているようだ。自然を守ろうということが、善となる。地球を守ろうでもよい。

 宇宙環境を守るのでは、他にも、太陽に核弾頭をぶちこまない、というのもある。太陽系内でむやみに核爆発を起こさないのもあるようだ。人類はいずれそういう惑星などにもゆく。その時に掃除しなくてはならないので。もしくはマイナスの影響が人類に出るかもしれないので。

 人類の生存の基礎要件。それを守ることが、善なのである。

 

 2018年4月18日

 

650万年後の我々

 

2018年4月17日

 

このところ、完璧な物言い、適切に間違いなくすべて語るものに興味がゆく。私の文章に安定感が出てきたからだ。一つミスがあるのも、気になるほどなのだ。

 

 

2018年4月17日

 

今日は、けやき台のほうに散歩にゆくと、谷道ががけ崩れで通れなくて、きたみちを戻ると、白藤が咲いてた。

 

 理性とは?

 合理的に認識すること。正しく理解するのも同じ。法則に基いて、自然現象を理解すること。それは正しい認識。

 

 苦しい時は? 原因をつきとめ、解決する。これは、仏教との差が大きい。仏教は、苦しみは、欲望にあるとする。欲望を断つ。苦しい理由をつきとめ、解決する。これは、欲望が原因ではないとする考え方だ。何か世界にあるものが、人間に苦しみをもたらしている。それをつきとめ、解決すること。

 

 悪い性格を直す?

 これは精神を美しくしたい人にとっては大事だ。弱点を克服することを、強調する考え方だ。

 

 正しく生きるとよく生きるの違いは?

  よく生きるは、妥協がある。正しく生きるは、本人が思いつく中で、最高の生き方だ。ただし、正しいの基準が、誤りの人が多いので、正しく生きようとしすぎる人は、おかしな生き方になるのが多い。戒律仏教の人はそうだったし、潔癖症などいる。夫婦のあり方でも一つ正しいことを間違って理解すると、おかしな夫婦になってしまう。例えば、セックスは週2度が理想だが、それを守るのはよほど忙しいか、仲が悪くなければ、無理だろう。

 

 さて、愛も、正しく語るのも成長を促すことなのだ。愛の目的は、成長なのだ。誰かかが成長を第一とする思想をもたなくてはいけないだろう。

 

 正しいというのは、数学の正解。囲碁でいう最善の一手。料理においては、間違いなく作ることで、あまり正しさは要求されないもの。

 

 最初に、何々について正しいものを、明らかにしなさい、とある。ある基準が示されて、その中で正しいこと。それを考えるのがよいらしい。

 

 具体的に、被害者の居場所はどこか? という設問では、被害者のいる場所をいう。範囲は、質問によってわかれる。国、市、番地、家の中などだ。どこかま細かくいうかは、問題で決まる。

 

 犯人の逮捕について正しく考えるとは?

 罪人を逃亡させるのは論外。逮捕は国の法律で定められている。もっとも単純には、逃さないことだ。捕まえたら正しい。他の条件があって、犠牲なく、損害を最小にして、費用を安くして、などなどあると、その中で、もっともよいものが正しいものとなる。警官が怪我しないで、取り押さえる時に、器物や警官の持ち物が壊れないようにして、犯人が暴れて、町のものを壊さないように、と。

 しかし、それら細かい条件をすべて守ると、よほどのタイミングしかないので、なかなか捕まえることはできない。早く捕まえるのがベストなら、できるだけ早くが正しくなる。

 

 正しいことは何かを考える時に、基準が必要となる。人命の犠牲は最小にとか。その中で、優先順位は何か?

 

 最も大きいのが社会の成長、発展。社会が発展することが、第一義となる。

 

 

 

 優先するのは、社会の存続に関すること。

大量死する抑圧かどうか。北朝鮮や共産中国に占領されたら、かつてのソ連に占領されたら、日本国内には収容所がたくさん作られ、何百万人と殺されただろう。こういうものを回避するためには、数十万人を犠牲にしても、戦わなくてはならない。負けてしまうと、その後の犠牲者があまりにも膨大になるからだ。

 

人命は最近は、最優先--一時的にブームかもしれない。

地震があると、建物をぶっ壊して、人を助ける。建物は地震でほぼ無価値に落ちたから、それは問題ない。が、人命が物、家、金より大切と、こういう映像で繰り返し印象づけられる。レースがあっても、サッカーの試合でも、人命が優先され、試合中に選手の命の危機になると、一時中断する。

 

 

人により価値が違う。

子供で才能ない者ほど小さいのが普通だ。天才バイオリストの命と引き換えに、小学生5人を殺すと言う犯人がいても、社会は天才バイオリストを手放さない。現在の保険の算定法は、子供の命ほど高いのはおかしい。生まれたての子供が億で、技術者の老人が数千万。生命保険の支払い額は人間の価値ではないのだ。

 

当然、首相や大統領の命は、何十人の主婦や子供よりも重く大切だ。大統領を失うことの損失は数百人の命よりは通常は大きい。テロリストが銃乱射で数百人殺すと予告して、大統領の命でそれをやめる、と言っても、大統領の命を差し出さない。

 

 神のような霊と一介の老婆の霊が、同じというのは暴言だ。能力ある霊の価値は大きいのだ。人間も同じく、人によりその価値に差がある。これは、日本人の過度な平等主義者向けの反論である。一般の人は当然、わかっているだろうが、ここではっきりかいておいた。

 

 安全は優先される。事故、事件、病気、怪我などあったら、作業、仕事は止まるからだ。安全とは、人人命、人体の安全に関することだ。

 

毒、車の事故の細工、建物の崩壊の兆し、台風、地震の前兆などは、命に関わるものとされ、優先事項となる。

 

 安全を確保した上で、次に何が優先されるか?

 

ここからは、また今度。欲求段階説は、あてはまる。生理的欲求か満たされたら、次は知的欲求である。発達心理では、生物学的な欲求を満たす能力を得たら、次は、身体を外部から守れるようになること。その次に、力と知識を手に入れる。このように、テーマ(基準)は高度になる。が、優先順位は低くなる。やがて、発達心理学で、細かく、細かく正義の優先する物事が定まるだろう。

 

2018年4月17日

 

650万年後の我々

 

2018年4月16日

 

さてと、引っ越しまであと半年か。9-10月とみた。聞いた話では。透視して調べよう。今日は、夢の中で怖いと感じた男を見た。特に、悪人面ではないが、私をとらえる顔をしている。茨木近くのコーナンでは、私のことがわかるような男ばかりだった。予知係を摂津の人にしたので、その雰囲気が身につきつつあるのかも。

 

透視すると、8月に引っ越し。裏の世界を知ってから、2ヶ月。妥当だ。やっと友達が戻ってくる。

 

 守口と摂津の霊が予知係なのだ。彼らに言わせると、私はおとなしいそうだ。活力を低下させて、私と対応しているという。私の活発度は、枚方の公務員団地くらいで、それが平均的な値だ。

 

 守口よりもおとなしい。そこで気づいた。彼らは、日々、気を張り詰めていると。私は、かなり気楽なのだ。この日々の活発度の差が、成長の差にならないように、調整したい。

 

 サヨメディアは、安倍政権を倒そうとして、逆に自らがメディアの責任を放棄したために、読者・視聴者に見限られ、つぶれかけている。そういうシナリオだ。

 

 世の中、嘘ばかりのものが2つある。電波犯罪の被害者のブログと、精神世界のブログ。精神世界は霊能者の話は、9割近く嘘。本人も信じてないことが書いてある。電波犯罪の被害者のは、体験はかなり事実だろう。が、犯人の話となると、とたんに言葉を濁して、わざと違うのを書いているのが大勢いる。知っているくせに、嘘つくなといつも思う。

 

 電波犯罪は、2018年12月に告発されるという話を聞いたぞ。

 

電波犯罪で、アカネットを知らない被害者は、そろそろ俺くらいになりつつある。私のみのけものだ。

 

 私が不思議でならないのは、霊感占い師などが多数犯人と一緒に行動すること。あいつらは金でしか動かない。私が話題にしていると噂流して、釣られてくるどアホ(自殺志願者に等しい、あとであかに暴露されて、職も信用も失う)は数割いる。が、多くは金目当て。その金は当然、党の金なのだろうけど、どうしてそんなにたくさん出てるのか。謎だ。

 

2018年4月16日

 

キーボードはミニをやめた。新しいのは標準サイズ。誕生日に自前で買った。カメラが必要なのだけど、作曲もしなくてはならないので、しょうがない。それよりも演奏技術がないとやってけないのだ。キーボード必要。軽くて持ち運び便利。

 

 私の最近の感慨、お金は無限にある。今はもってなくても。4月はもう地震予知は駄目かもしれない。

 

仕事。

 

善悪とは何か?

 良いことと悪いことは、何かという話だ。良いのは目的を達成するために役立つことだ。飢えた時に何をたべるか。善悪があるとすると、食べてよいものが善で、食べていけないのが悪だ。

別の意味の善悪は?

 善は、善行といってよいことをさす。悪行は悪いことをさす。この悪は、犯罪などだ。法を逸脱する行為を悪という。人殺し、盗み、強盗など、国家がやってはいけないことと定めたことをすることをさす。善は、社会問題に解決になる方法だ。この善悪は、法(社会秩序)に対するものだ。違法行為が悪。新現在の社会テーマを解決して、秩序を新たに作るものが善。社会秩序を乱すのが悪で、さらに秩序を高めるものは、善なのだ。

 

 他者を生かすのが善? 

 これは、一見、わけがわからない物言い、観点だ。これは特殊な見地なので、すぐに理解しなくてよい。「他者を生かすこと」は私は今使わない言葉なので、どういう意味があるのかわかりづらい。昔は、よく用いられた言葉だ。それとなんでもいいから、倫理的なこととを結びつけて、こじつけているだけだろう。

 一般的な解説は、「他者を生かす」とは、他人にも役立つ、他人にも良き影響がある、全体を幸せにする、社会的によいこと、という意味だろう。つまり、社会的によいことをするのが善ということだ。私のこれまでの言い方と合致する。社会の規律を高めるものが善。それを乱すのが悪と。「他者を生かす」というのは、特殊な観点なので、精神論としてはあまり使わないほうがよいだろう。他人の役に立つのほうがずっとましだ。他者を生かすでは、他人の生命の与奪権を握っているように思われてしまう。生きるも殺すもこちらしだいと。あまりよい言葉ではない。

 

 ただ、人間が価値観を決めなくてはいけないので、それを否定するのは支離滅裂である。

 

 中道は、バランスがとれた、両極端でない方法である。もちろん良い方法のどれかをさす。両極端がわかっている時に、中道を使う。それ自体は、最善の方法という意味あいだ。

 

2018年4月16日

 

560万年後の我々

 

2018年4月15日

 

さてと、やらなくてはならないことがある。

能力主義というのは自分を活性化させる視点だ。世界で大きなことをやってやろう、とここ最近思わなかったが、やっとそんな活躍に思いを馳せつつある。

 

なぜ、そういう気にならなかったか? そんな日本人、最近みたことがない。世界で活躍するのは。モデルがいなかったので、忘れていた。

 

めちゃくちゃに競争する社会。それは私にとっては理想だ。もちろん教育がしっかりしていることも大切だ。そうでないと、低いレベルの争いとなる。みなが競争して、才能があると高みにゆけるというのがよい。

 

 私は宇宙人相手に、スポーツの試合をして勝つよ、と息巻いているのだけど、音楽と絵画、塑像、小説などすべてで、私が抜いてやるに決まっているのだ。絶対に。

 私が追い抜けなさそうなのだけ、リストアップしている。若くして(1-2億年で)、高い階層にあがるのがいて、その中で数人が、追いつけないかもしれない。

 原始人--文明初期の人類がけつして勝てっこない、というのもいるが、あとで正確な値を予測してみる。でもな。私の同期で私はトップじゃないのだ。8位かもっと下なのだ。私の系列はさほど優秀ではないのに、こんなに低いのは、将来が思いやられるのでは?

 

 なすべてを超えてガンバって見せるのだ。なんなら、優秀な宇宙(別の古い宇宙)に留学してまで、やりとげる。才能を身に着けて何をする? それはもっとも幸福で充実した人生を歩み続けるのだ。それと屈辱がない人生を得る。

 

 

2018年4月15日

 

透視が不調。つきとめるのに、10-20分かかる。この妨害は、あの霊能者だったが、忘れたな。誰だっけ。

 

霊の材質などの説明?

 私のが現段階が、一番まし。人間と化学組成がうり2つ。ただし原子、陽子、電子などの次元が違うので、人間にとっては希薄で空気のような存在となる。これ以上に明解なものは、精神世界の書籍にはお目にかかったことはない。

 

次元が違うから、分子の結合が違い、壊れにくく、長生きできる。また人間では自家発電みたいにエネルギーは生み出せる量は少ないが、霊はそれが多いらしく、細胞が単体などでも生きられるようだ。それで、人間なら、屍にしかならないほどの損傷でも、霊は生きられる。このあたりは正確にはまだ解明していない。

 

 人体のあらゆる細胞から、霊の成分のみが分離して、霊体となる。正確には、人の全細胞と、衣服など着ていたものまで一緒に、分離して、霊体となる。死後に、幽霊は裸ではない。それは服を一緒に分離するからである。

 人間は、物体から霊の成分のみを分離する技術はいまだもってない。が、いずれ技術的に開発できるだろう。それは危険だから、生物には使用されない。が、霊が、地上で生きてゆくには、服、食器、家具などが必要だ。それを製造するためには、霊の成分を分離する技術は必要なのだ。

 

 天国からそれらを人間のいる地上に、供給してもらう。それはなされている。が、地球上にいる霊は、人間が面倒を見てあげるべきだ。というのが私の見解である。成仏するまで霊の食事などは、天国からもらうよりも、人間が用意すべきなのだ。ここは、天国の判定が必要ではある。

 

 一個の霊として認められるのは、受精卵と精子が受精してから、何日か経過したらだ。それ以後は、かなり初期の胚で流れても、拾われ、天国でその後育てられ、霊の赤ん坊となる。それ以前は、捨てられる。

 

カトリックなどが、妊娠したすべての子は、育てるべきだという。胚?は、霊として、一個の人間で、中絶はそれを殺すことになるから、という理屈だ。しかし、流産などは山ほどする。妊娠一ヶ月で流すのも山ほどする。自然に流れることも多い。それらも、また一個の霊として天国では育てられる。

 

 三ヶ月未満でも一個の人間となる(霊になっている)が、それら全ての人間となる霊を助けるべきというのは、無理がある。カトリックの主張では、全て助けろということだ。それだと、受精した卵(何日か経過後)をほとんど全部、赤ん坊になるまで育て、それまでに流れてしまったら、アウトで重罪となる。それは、現実無視だ。不可能だ。

 

 というわけで、胎内で何日以上過ごした胚?を助けるか、という線引の問題となる。これは科学技術の水準と、あとは社会の傾向で決まる。さらには、天国が霊の胚をいくらほしがるか、ということも大切だろう。霊の人口--人間が産むもののうち、霊として育てる数、人として育てる数、霊が産む子の数、など全部でいくら増やすべきか。という霊界の方針も考慮しなくてはならないだろう。

 

 なお、これらは霊界などの実態を調査して、正確なことを言うべきである。メッセージで語るのは方針であり、そういうものは根拠がはっきりさせて、より具体的に語るべきだ。なお、実態に即していないものはすべて誤りと斥けるべきだ。

 

2018年4月15日

 

630万年後の我々

 

2018年4月14日

 

少し感動した。私もかっこいいことをやってみたいと思った。世界に感動を与えられるようなことをするのだ。最近、私はどんなに素晴らしいことをしても、当たり前にやっているような気がして、つまらなかったのだ。

 

そういえば、かつては宇宙中心との交流とか、ゾクゾクするようなことをしていた。世界をソウルメイト達でつなげる。夢があった。今は、何もしてないな。

 

何をしたか思い出そう。

 

新薬開発を最適な会社に任せるようなシステムを作った。治験が高いから一社独占にしては、遅れる。世界中の良き医薬品会社に、利益を考慮しつつ、薬の開発を割り当てる。これは、安全対策のため、早急にした。私の病気を治すことと、私の安全のためだ。一つの薬で3千億から数兆だからね。会社が得られるのは。しかし、そのシステムは最初から私の手元から離れている。

 

最近始めたのは週間守護の霊系と話すことだ。私の守護が、毎週ごとに他星のある人物を守護する。その相手と月曜に交信する。これは制度としてはよいことなのだ。進んだ星では、やっているのだろうか。こにちは。進んだ星では、週間の守護からいろいろきくそうだ。地球は7日でかわる。他星もだいたいそんな期間なのだろう。だが、少々ずれるはず。そこはどう調整しているのだろうか。

 

 世界から喜ばれるようなシステムは何かないかな?

 囲碁ソフトでPCが勝つようなのは? あれはアイデアは思いつかなかったが、どうやって最強を作ればよいかは、少し教えたかも。世界的なヒットだったな。一時的なものだけど。

車に搭載するのは、まずはF1レースで勝つものを仕上げて、景気づけと思っている。

老人ケア用の会話システムはアイデアを出したと思うが、まだ実用化は遅いようだ。

瞑想システムは、気に入られたようだが、超能力者が誕生したという話をきかないから、まだ改良が必要だろう。

 最近の私の好みは、実用化するものだ。基本、電波犯罪の装置を併用するのは、まぁ許容範囲。昔は、電波をあてて、病気を診断するマシンに松下さんが興味を示していた。そのくらいならよい。が、異次元の技術を併用しないと成り立たない代物は、あまり好みではない。

 

人工知能でPCの思考を披瀝するシステムはあるのだよ。アイデアがあるはずだ。自動アフィリエイトのソフトはよいのだが。日々、広告や広告の掲載条件はかわるから難物だ。AIの地震予測プログラムは、私が開発する予定だから、他人には教えない。囲碁ソフトのように、競争となってもかまわない。

 

カウンセリングのソフトはあってもよいが、理論がね。精神を美しくするソフトなどはあってもよいが、それは一考に値する。

 

世論を正常化するソフトは、作ったと思う。が、どこで稼働しているかとんとわからない。ブログに見つけられない。定期的に更新しないと駄目

 

 

2018年4月14日

 

 うっ。4/14 M5.4 北海道 震度5をはずし、M4 名古屋 震度4も。痛いな。地震が増えてきた。9-10月には311の小さめクラスの地震が来る。311の半年前と同じように、地震が増加するはず。それを仮説として、調べてみよう。 透視妨害に負けてはいられない。 

 

今は、5-6月の地震をよく調べている。時間ができたようだ。5月は1つ目が、チリかペルーか。ペルっぽいぞ。今日は。チャオ。

 

 

2018年4月14日

 

 条件反射?

 人間が? 感覚を入力すると、頭の中で考えて、行動にうつす。インプットとアウトプット。それだけをみると、条件反射。環境に反応して、人が動くようにみえる。

 条件反射はふだん、あまり考えないのだ。条件反射は、環境に適応する部分。人間は人間で、様々な周辺の環境にかかわらず、したいことは決まっている。家を作り、住む。進化する。食べ物を食べる。そういう自ら決まった行動をする部分がある。

 条件反射で人間を考えると、環境に依存しすぎるきらいがある。人間は自ら、自分自身の居住、生活空間を自発的に作る存在としよう。こちらが、主流ではないかな。

 欲求論では、後者の面が大きい。欲求を満たす行動しか人はしない。人間には、目標があって、それをひたすらやりとげる。環境、刺激、感覚などがあっても、それに反応するのは、生活に関わる時のみだ。私からすると、条件反射としてする行為は、わずらしい物事かもしれない。自分がしたいことをやりとげる時の行動ではほとんどないだろう。

 

 行動マニュアルを定める時は、環境にいかに対応するかが大事だ。だが、環境に合わせる面よりも、人間が自らしたいことをするほうが比重として大きいだろう。現代社会では。古代の野生に近い時期は、条件反射に近い行動が多かったとしても。

 

 霊体の話

 霊体は、人体はこの法則の物理法則で観測される原子を基礎とする生き物。霊体は、違う次元の原子を基礎とする生物。だが、次元が違うだけで、構成する原子、分子は、人間とうり2つだ。人間の人体からから分離して、できたもので、人体とほぼ構成が同じだからだ。

 

 違いもある。異次元といっても、肉体がゆける1-10次元の世界ではない。円盤がよく行き来する世界だ。そういう次元世界でも、霊は霊という次元世界の物質の肉体をもつ。

 

 霊体は分子や原子(次元が違う世界で、炭素、水素などの割合や構成)などは、人間とほぼ同じだ。なぜなら、人間が霊になると、思考が同じだからだ。同じ脳をもっている。脳内の化学反応はうり2つでないと、脳は機能しない。耳も聞こえるから、耳の分子なども同じだろう。もし分子などが違うなら、霊となった途端に聞こえなくなるだろう。ヘモグロビンが酸素を取り込まなかったら、霊は赤血球が作用しなくなってもおかしくない。すぐに酸欠で動けなくなる。

 

 違いはある。霊体は不思議なことに、人体ほど細胞が壊れやすくない。永遠に生きられるのだ。また食べなくても飲まなくても、少量のエネルギーを自ら作り出せ、生きていける。私は霊体はミトコンドリアのエネルギーが大きくなると思っているがはっきりしない。これらは、霊体の物質の次元、その特色だと思われる。人間と、霊体の構成物質は違うのだ。この違いが、霊の特徴となる。

 

 だから、細胞が食べなくても生きていけるので、死んだ人が霊となっても、本来なら意識なく動けないところ、霊体はわずかなエネルギーでも動けるかするため、意識はもて、動けるのだ。

 

 霊体には、若干の違いはあるが、人間がもたないものは基本的にもっていない。ただし、天国にゆき、改造されて、若返り、眠らなくなるように脳の一部を変え、様々に人体を改良する。その時に、人間よりも健康的になり、丈夫な肉体をもつ。強化人間のように変わるだろう。

 

 このあたりは、霊体をみつけて、調べるとずいぶん解明されるだろう。霊界は、霊にとって、この地球とほとんど同じなのだ。霊体と同じ物質がありふれているのだ。石があり、砂があり、雑草が生えて、森や木々がある。霊界は。川も流れる。大地がある。惑星があるのだ。霊界は。霊はその世界の生物なのだ。

 

 霊を幽体離脱のような『架空』に近い存在と同一視しないこと。想念帯とは何? 記憶だから、それは頭の中に記憶する部位があって。他にはない。当たり前すぎて、書かなかったが。

 

2018年4月14日

 560万年後の我々 

 

 

home
inserted by FC2 system