日記 2018年2月23日〜 3月20日

2018年3月20日

 

やっと囲碁ソフトLeelaの上から2番目の強さに1勝だ。万年コウみたいなのを粘った。このソフトは、手入れを考えないらしい。これはプログラムミスだ。

 

今日は、私の才覚を。私のような役割の人は、私を目指す。47歳までに何をなしとげないといけないのか? 参考となるものを示す。

 

1, 発達心理

 青年期のテーマをみつけ、社会思想の段階で、4-5段階目まではつきとめたのが、大学の4年だ。つまり、その時点ですでに思想家として大物の域に入った。あとは、それが知られるまでのこと。

 

2, 電波犯罪論

 10年間ぱっとしなかった。が、ニュース23に告発する中で、電波犯罪の論を作る。それを一般に発表したのが2002年頃。この頃に、俄然、活動の理論家として、注目された。

 

3,霊能力とテレビ予知

 私をストーキングする霊能者とバトルを繰り広げる。2002年頃から、女チャネラーだ。どこにいるか、察知してつきとめた。それはやや人気があった。もっと衝撃的だったのは、テレビ予知だ。透視が不十分で、私は場所と人はあまりつきとめられなかった。が、多くの殺人などを予見した。「黒い波動」を開発して、事故、破壊されるものを予知する技術を開発した。みな「空(私のこと)ばかりみている。」と歌詞で、嫉妬されたほどだ。

 

 この頃は、スポーツで試合を有利になるように霊能力を使うことが流行った。あまり成功しなかった。唯一のものは、Bクラスだった阪神がAクラスにあがったことだ。優勝させるほどの力はなかった。

 

4,幽霊界と天国

 交信で現れる霊や神らしき者たちが嘘つきと気づく。それで、話し相手を幽霊に切り替えたのが2008-10年頃。それから地上霊に、食い物や宿を与えることができるようになって、幽霊組織を作った。それがしだいに巨大化して、世界に広げた。これは、天国のお情けでもある。

 

これによって、私は霊能者の中ではトップにあがる。また天国も明らかにしたことで、多くの人が天国はあり、神はいると信じるようになった。

 

5,天国から借りた機器で、情報ネットワークシステム

 何かと便利な情報システムを私は開発した。人類にとっては100-200年ほど進んだものだ。幽霊界は、電話して、テレビを見ることができるようになった。それは、人間が盗み見しているかもしれない。

 

6,宇宙人との交流

 私は宇宙の中心に興味をもっていた。2010年すぎから、そこの銀河系の面々と交流するにいたる。また近隣惑星とも長く、つきあう。

 

7,地震予知

 2010年頃に、所持金がなくなった時にはじめた。いずれ予知で華々しく成功するというビジョンをテレビのシンボルから得たから。いずれ当てるだろう。ではなく、3/23頃にM8 宮城県沖地震を当てるだろう。

 

 以上、大きく7つの業績がある。10年ごとに1つ、このくらい仕事をしたら、私並みになれる。これのどれか一つでも匹敵するものがないのに、私のことを軽く扱わないでほしいものだ。

 

 会社員などは、その中にいては、ずっと私並みにはなれないのだ。小会社の社長クラスでもだ。私は、日中、いずみやでのんびりして、他にはカメラの撮影ばかりしているが、そんなに働いていないわけではない。私みたいなクリエイター、研究者は、1日、2-4時間くらいで十分なのかもしれない。

 

2018年3月20日

 

170万年後の我々

 

2018年3月19日

 

今日は皆様まだのんびりであるからして、まだ3日前ではないのだろう。

作曲は毎日、8曲を口笛で作る。メモしないので、みんな忘れている。いずれ思い出すだろう。

 

あれっ。明確な書き方が許されているぞ。なぜだろう。

 

2018年3月19日

 

 私は新しいカメラがほしいのだが、それはニコンのD5600かD7500か。どちらかなのだ。私は直感で選ぶ。お金ができて、買う時にひょこっと私に必要なものが思いついて、その時に決まるのだ。10月頃と言われているが、どうだろう。

 

 現在のニコンのA900。当初は満足していた。が、望遠などあまりきれいでなく、限界を感じつつあるしだい。あと、半年我慢するのかな。

 

天使会というのがあって、精神的にタフな連中が集まるはず。透視で、その報告を受ける。このネットワークは、気楽な者たちとなる。目的は、同じような心の持ち主と語る喜びであるからして、それ以外にはあまりないのだ。

 

2018年3月19日

 

 震災間近。6-7年の苦労が実る時であるが、私は至って冷静なのだ。外しまくって、何の緊張感も予知になくなったのが、いまだに続く。最近、メキシコなど当てたことも、私の記憶にないようなあるようなもので、印象は薄いのである。

 

何々?

次元をあげる

 精神次元をあげるのは、発達心理上の課題をこなすことでのみ、達成できる。現段階の人類の技術では、若い時、適齢期にそれをこなさないと停止する。二度と生きてあがらない。これは、自分の認識を高めることで可能。

 人類の次元をあげるのは、個人と同様だ。が、それは目にみえる形ではない。物理的に、他惑星が近づいて光子でそうなるとか、銀河中心のビームが誘引というのは嘘の情報だ。個人の発達心理はただ時間だけが、それを進ませる。人類も同じ。

 

どんな惑星、国家でも通用する生き方?

 科学的に一定の合理性をもっていると、まぁ大丈夫だろう。基本、人は能力をあげることで成長するので。それさえ覚えていたら。

 

 人類社会が次元をあげる(この言い方はよくないので避けるべきだ。ニューエイジのインチきな理論と混同される)、つまり段階を進めるのは、破滅しなければ起きる。段階を進ませるのは、これ自体は、停滞させずに、存続させるのみで可能。それを目標にすると、人類が長生きする、持続可能にすることになる。人類が次元をあげることは、目標にはならない。

 

 合体霊と人が一体化するのは、人があえて意識するのは不要。守護霊は合体霊装置で、常に、人の意識を読み取り、計画通りに動かす時は、その装置で指示を送り、体を動かす。人間は、合体霊装置からは、逃げられない。逃げられないのだから、すでに一体化しているも同然なので、その必要ない。

 

 現時点はそうであるが、やがて科学が進むと、この装置の効力をなくす方法が開発される。それを使用すると、その作用は低下するだろう。守護霊達の指導を受けたい人が大半なので、ほとんどの人はしない。

 

 合体霊と人の心が一つになると、大きな力が発揮されると思うのは、日本人的な錯覚である。天国の霊が降りてきて、憑依すると異言を語りだし、運動も上手になり、その霊の才能を発揮できる、というのは嘘だ。

 

 霊の波動に触れて、学ぶことはできる。近くにプロがいると、その才能が身に着けやすい。そのような効果はある。が、一体化ではない。これは、誰かになるなりきると思うことでもできる。これは、似ているが、誰かスポーツ選手のマネをすると、その人の動作が似てくるなどと同じ。別のトレーニングだ。

 

 自力救済について

 これは、特に試練が用意されている人でなければ、必要のないことだ。自分で自分を助けるものをたすくという。現在の私だけに必要なものだ。他に多くの人は、この考え方が必要な状況にならない。

 

 今日はここまで。

 

2018年3月19日

 

160万年後の我々。

 

2018年3月17日

 

愛に関する論

 愛は欠如を埋めるもの。空腹に、飢え、知識欲、社会的欲求。性欲も。それらを埋めるのが愛だ。欲求も、不足した時に、求める気持ちなので、似たようなものだ。が、やや違うのだ。欲求のほうが広い範囲を扱える。

 

 空腹を感じるセンサーが体内にある。飢え、性欲も同等に、センサーがある。知覚のセンサーによって、欲求が生じる。そんなセンサーが、欲求の元なのだ。

 

 ただし、食欲は、広い意味では、食べ物を食べる欲とされる。食べ過ぎること、食べたりないことがある。食欲は、ゼロもありうる。食欲はマイナスもあり、食ベすぎると、食べたくないということもできる。つまり、食欲は、食べる量を満足する水準よりも、多くも少なくもいいあらわせる。

 

 愛は欠如を埋めることなので、食べ物を与えることだ。必ず食い物が足りない時、食べたりない時しか仕えない。満腹している人には、不足感がないから、何も食べ物を与えない。彼に食べ物を与えるという愛は必要ない。

 

 簡単に述べる。食欲は、食べものの不足分だけでなく、超過分(食べ過ぎ)もとり扱える。が、愛は必ず、不足している時(空腹の時)しか、仕えない。というわけで、何が言いたいのかというと、欲求のほうが、扱える範囲が広い。愛は、不足した時のみしか、仕えない。

 

 というわけで、一般論としていうと、欲求論のほうが一般性が高い。愛論は、より限定的で局所的なのだ。

 

 次に、愛は与えること。欲求は、自己に関すること。

 

 理性の働きは愛ではない

 感覚して、対象を認識するという知覚。これは理性の一部だが、これは愛ではない。感覚したデータを意味付ける。これも理性の一部だが、愛ではない。

 理性が、欠如を認識した。それを埋めるのがよい、という価値判断があって、それを実行する。これらの一連のプロセスのみが愛なのだ。

 これをPCのプログラムで書くと、かなりたいへんな手順となる。理性と愛は一致しないのだ。理性は、愛の範疇でないことも、数多くこなせるからだ。その証拠に、コンピューターはいろんなことができる。足し算、引き算、計算。一例はしょぼいが、それらは愛ではない。

 

 理性は、愛を超える存在なのだ。理性は、愛に特化しているわけでもない。

 愛だけを考えていると、理性者に負けてしまうのは、よって必定だ。愛は限定されすぎているからだ。理性は、愛の圏外に、位置する。愛がすべてではない。

 

2018年3月17日

 

囲碁ソフトLeelaにまた負ける。ランク落とそうかな。

 

私は愛の理論を間違えていたことに気づく。欠如を埋めるのは愛とする。が、理性は、そのためにあるわけではない。認識することだ。欠如を埋めることで、発展するという考えをもっていた。これは間違いである。

 

 欲求は、いくつかの意味がある。その一つに、足りない部分を求める、というのがある。食欲などはこれ。欲求の目的は何か? 不足を補うことか? それもある。直接的にはそうだ。

 

 がね、人体のエネルギーを補う時などには、食欲が生じる。だが、成長する意欲、欲求はどこからくるか? 成長したいからだ。これは不足分を補うということではない。成長の究極は何か? 万能になることだ。

 

 万能になることが当たり前の状態で、現在の自分など肉体がそれより不足している。それを感じ取って、欲求している。万能のみが充足感が得られる状態。それ以外は、欠如として不足が生じる。万能の自己を目指して、成長している。これが原則か?

 

 上のように考えるのは、おかしいのだ。植物は成長する。大きくなる。何のためか。種の繁栄でもよいし、個体が立派になることでもよい。そうなろうとするのは、それを目指す欲求があるからだ。この欲求は、不足を補うというものではない。

 

 すべての生物は自ら、大きくなりたいのだ。これは何かが不足しているために、それを求めてやっているわけではない。完全になりたくてやっているのは、確かだろう。しかし、自らが不完全だから、成長して、完全体になるという欲求はないように思えるのだ。

 

部分的には、欠如を埋めるようなことをする。発達心理でも、段階ごとに欲求が生じて、それをうめるようにしてゆく。そうやって認識を一つずつ獲得する。ここは、愛の形式だ。が、その成長自体こそが、目的だ。が、愛ではないだろう。

 

 古い説では、昔はすべてをもっていた。地上に落とされて、欠如感をもつようになった。それが人間で、ずつとその欠如を埋めて、完全な存在になろうと、もがき続ける。成長する、という考えはあるにはあった。

 

 だが、きっと、最初からもっていないのだ。昔はもっていないのだ。なぜなら、赤ん坊以前は、精子だからだ。精子があらゆる学をもってないことは明白だ。

 

 まだ、確信には至ってない。が、成長は、欠如を埋めるものではない。何か完全になろうと大きくなる様なのだ。というわけで、成長論は、愛とは別のもの。愛を分離した。これは一時的な考えで、今後修正するかもしれない。が、ともかく、成長は生物の願いだ。これは、愛ではないのだ。

 

 愛は成長する人や動物、植物など個体、種族を助けるものである。成長する個体などがないと、愛もないのだ。

 

 これを成長第一主義と名付けてみよう。なお、この論の不完全さに気づきしだいに、修正は加える。

 

2018年3月17日

 

囲碁ソフトで1勝2負け。最強設定にする前は勝てたが、そうすると勝てなくなった。負けて気づいた。私は、生ぬるい生活にはまっていたことを。

 

 戦いは厳しいのだ。そちらではない。ニューエイジというか、精神世界のことだ。音楽だ。音楽はまだ実践(大会)なしで、幼少期の能力を養っている。

 

 私はいちおう、精神世界では無敵だ。精神論でもまぁいい線いっているだろう。私より上は、地球上で何人いるかどうか。それはそれだ。地球のトップの一人であることにはかわりない。

 

 そこじゃない。だが、宇宙を見渡して、私の実力がなんぼのものか。私のようなのが何万もいて、その中で私が1等輝くかだ。それを目指さなくてはならない。忘れていた。たるんでいた。引き締めよう。気合入れて、トップを目指そう。

 

 私は競合者が宇宙にわんさかいると思い出せば、意欲が湧いてくるのだ。が、私と似たようなのがいて、彼は現状満足で向上心があまりなさそうなので、気合入れたろう。軽く。

 

 イエスの子君と呼ぶとする。奈良で平和に暮らしている。彼についての考察だ。彼が私よりいかに劣るかを説明する。

 

 まず1-3代までは同格で、大預言者で、やがて空海や最澄とともに大日如来(管理者)なのだ。この中で、2代は組織の内法(会社の規則のようなもの)を著し、精神を専門とする。専門家なのだ。3代は、運動なのだ。で、2代が他の1.3-1.5倍くらいの精神を獲得する。

 

 これは平均的な惑星上の計画。その差を埋めるのが彼らの頑張りとなる。私が優れているのは、予定なのだ。私より劣ってもしょうがないのだ。

 

 宇宙の中心のノウハウは、私が中心となってこの地球にもたらす。他の者たちは、私がその文化を輸入するのが、その恩恵にあずかる。宇宙の中心の文化を専門とするのは、私。宇宙中心の研究者と他とは差がいくらになるか? ヤハエの星でそれで有名なのは2人いる。一人はディズニーの神様で、黄色い犬(7億年の文明の霊ほどの実力をもつ)。もう一人は、オリンピックの歌を歌うバンドの系列の親玉で、緑と青の神様だ。これはもう少し才能がある。彼らの実力は、ヤハエの2-3倍とする。その程度の差となる。

 

 私の研究のおこぼれをもらう者たちが、どれほど得られるか。そんなにはない。というわけで、私以外は同格でも、かなり差がつくのである。予想では私の3/5-1/3ほどだ。これは年をとるほどに差が広がる。

 

 最近は、システムの教育を受けているから、すごい思われがちだ。確かに、システムで最善のものを教わると、オリンピックでもいい成績を残せるようになる。だが、所詮、私の手の内なのだ。私が作ったものは、いずれ私がもっとも習得する。時間をかけて。

 いやいや、違う違う。確かに、宇宙の人や霊など出会う者たちから鍛えられるようにしてある。とはいえ、ちゃんとやっているか? これからは要望を自ら出せるようにしておく。

 

 さらに大阪と奈良の差がある。奈良県民は東京ではまったく存在感がない。大阪まだしもある。奈良県民はさほど合理的でもない。私のところには、天使の子で奈良県民の爺さんたちがみえない姿でよくきていた。が、いまいち鈍いのだ。それで、どこまで、大阪人の私、しかも大阪市大という市役所の長--大阪市長を輩出してきたところ、合理性の極致をゆくようなところと対抗しえる?

 

 また私の時代はアニメが豊かだった。仮面ライダーなどもにぎやかにやっていた。その後は、子供番組はさびれて、ガンダムかなんだっけ、虚弱な若者がロボットに闘うやつ。そんなのでは若者の精神性が伸びなかったのだ。ガンダムくらいか。子供文化がかなり貧弱だったので、そんなので育ったとすると、限界が見えている感じがある。

 

 囲碁と剣道の差も大きい。私は剣道と思っている。武士道は会得できたかもしれないが、肝心の知性は、どうしようもないほどの差がつくのだ。

 

 さらにアメリカ留学かホームステイもしただろうが、私はボストン。学識の町。まさか同じところではないだろう? そんなところでは、知性は伸びにくいのだ。

 

 合計7点で、私のほうが有利。彼は不利である。社会性はのびたかもしれない。国家官僚ほどに鍛えていたら、まだしも制度や運営能力はあるかもしれないが、そうでもなさそうだ。それではな、会話力は高くても、肝心の思想力がつかない。それで、私は抜けそうにない。

 

 そんなところだ。低いところで、満足はするな。地球はやがて、近隣惑星の数十から数百、千を従えるはずだ。その時、人類原初の我々が、彼らより下にいては、かっこうがつかないだろう? そこは意識しておいたほうがいいな。

 

 

2018年3月17日

 

解脱を目指すとは

 解脱。悟ることであるが、特に私は悟る必要はない。各種能力を鍛えあげることが課題だ。発達心理で、青年期しか精神次元の向上はなく、解脱、如来や菩薩への悟りもその期間しかできない。それ以後は、使命に必要な才能を身につけ、社会業績をあげることがテーマとなる。さらに精神的に高くなりたい人は、理力を鍛えるなどする。現時点、できないのに解脱を目指すのは、時間と労力の無駄である。

 

 他人の気持ちがわかる

 倫理観があり、個人の思想哲学がしっかりする。そして、社会のテーマを理解して、自らの役割を把握して、それをこなすなしとげる才能があると、十分だ。他人の気持ちがわかることについて。私は読心術ができて、いちおうよくわかるのだ。メガネがないと見た目で他人の気持ちをよくとらえられた。が、視力が低下して、メガネをかけてから、他人の気持ちを適切に感じ取れなくなった。これが、私の弱点だ。

 

 ただし、他人の気持ちがわかることは、人間として生きてゆく上で、さほど重要なポイントではない。もっていて当然の技能だ。正しく高度な人間関係を保つのは、メガネかけないと難しいだろう。

 

 しかし、これがラストの台詞になるのは、ややおかしい。それは正しい人間関係を作ることが、他人の気持ちを理解する目的のようになってしまう。人間関係を正しくするとことが、目標。他人の気持ちを考えることがその手段になる。

 

 敬語はいらない。--誰かの言葉という時は、その名に「御」とかつけない。

 

判断基準?

 好き嫌いで判断する? 詳しく考えると、好きなものは、食い物と人によくある。お菓子が好きでまずいものが嫌い。嫌いな人は、醜いか悪いか、自分に悪さする人。好きな人は自分にとっていい人。そんな感じかな。あまり深く考えない人だ。

 損得で判断する? こらちの人のほうが少し深い。たとえおじいさんは顔が嫌いでも、お金をたくさんもっているから好きとか。まだしも、本当の価値観に近づいている。

 結局、社会にとって正しいかどうか。自分にとってよいのか悪いのか。そこが判断基準となる。共産主義などは、社会に破滅と荒廃をもたらすから政党も不要。やつは自分にとってプラスになると思ったから、多少のことは気にしない。社会正義に照らして、善悪が判定される。

 また自分にとって、よいかどうかで、判断される。これは人間一般に通用する基準というのがある。毒は悪い、体によいものは良い。正しい考え方をすると、効率がよいなど。学問はよいとか。

 以上が判断の基本だ。社会を真に発展させるものかどうか。自分をよりよくするものかどうか。その2つだ。あとは、付帯的側面だ。側面的な性質となる。

 

 自分と他人をうまく活用できるかどうか?

 これは、よくわからない物言いなので、社会的に正しいかどうか、というふうに理解する。自己中は、一人だけが満足するもの。自分と他人というのは、集団が満足するものか、というふうな区別なのだ。

 集団にとってよいことかどうかは、その集団が正しいということが前提だ。これは、言い方が変だが、まぁいい。

 

 精神性をたかめるものか?

 今まで、さんざん精神性を個人で高めようとする瞑想などの行為を非難してきた。が、社会的な活動において、同時にそれを行うのはよいという。

 簡単にいうと、人と一緒に活動することで、社会活動を通して、高められる精神性もある。だが、それのみを認めるのはいかがなものかと思う。精神の鍛錬は、一人で半分以上は行うのだ。

 

それは奉仕、愛、博愛、社会観の形成などあるのだが、正しく伝達するは、人と話すことでうまくなる。他人・社会を管理する能力など様々ある。が、言語や会話の学習は、基本は個人で行うものだ。

 というわけで、精神性を高めるのは、基礎的なものは、個人だけでやるものだ。が、社会活動をしながらも、ある程度はできる。そういうのは、悪くないと理解しておこう。社会人として活動するほうが、人間的に大きくなりやすいからだ。

 

 自分一人では、精神のモデルがあまりみつからない。他人の比較すると、自分の欠点もみつけやすい、自分の状態も理解しやすい。そういうことなのだ。他人からアドバイスももらうと楽に成長できる。精神成長に、他人を利用しよう。

 

 今日は疲れているかもしれない。あまり冴えない。

 

 

2018年3月16日

 

150万年後の我々

 

2018年3月15日

 

権威とは何か?

 正確に言えなかったので、もう一度調べなくては。2種類あった。一つは、専門の才能として高いものと認められること。もう一つは、才能で人を従わせる力、という。なるほど。

 

 『神に権威や地位がない』というのはありえないので、聞き取りミスというのが正解のようだ。

 

 悪霊をやっつけた等は、ゴミのような話。思い込まされているだけで、現実には何も起きてない。

 

奇跡とは

 確率の低いことをなしとげること。では、なぜ成功率が低いことをやらなくてはならないのか? それは、実力が足りないからだ。奇跡みたいな偶然のようなものに頼るのは、避けなくてはならない。

 

高校サッカーがプロに勝つのは奇跡だ。が、プロがプロに勝つのは当たり前。自分の才能を高めておくと、奇跡的になしとげたようなことは減ってゆく。

 奇跡的に助かったとかはあまりよくなく、はじめから防犯、防災をきっちりしていたら、極当然のように助かる。津波に遭遇した時に、奇跡的に助かる確率は低くなる。が、前もって避難していたら悠々とほぼ100%で助かる。

 神の使途が奇跡的によいことが起きた、助かった。この使途は、まずその対策をきっちり練ってなかったことが伺える。予知して、その状況になることがわかっていたら、準備できたはずだ。すると、奇跡に頼らずとも、ふつうに当たり前のように助かったはずだ。そうあるべきだ。

 

 奇跡は、そもそも人生計画、人類の計画上で神や霊がわざわざ用意するものだ。なぜ奇跡を用意するか。それはその試練の時には、十分それをこなす能力が足りなかったからだ。それでも、助けなくてはならない。そこで問題を起こすことは、人生上よくない。それで、奇跡の力で助ける。たいていは、能力不足を補うための奇跡だ。

 変さつが低かったけれども、試験に奇跡的に合格した。相手のほうが強かったけども、試合で奇跡的に勝った。健康に気を使わなかったけども、病気に30年奇跡的にならなかった。だいたいは、この手だ。試験に合格させて、大学に入れる必要があった。試合で勝たせて、次の試合に望ませるなど必要があった。病気をさせるわけにはいかなかった。

 このように、十分な能力がないにもかかわらず、その問題を克服する。そういう奇跡が大半である。

 

 神の奇跡を、印象的に記憶させて、神の恩恵、神の素晴らしさを感じさせる。それは少ない。宗教団体が好むやつだ。これは、善人だけが受けられる。しかし、それもまた人生計画の中で、信仰を深める動機の一つにするために用意される。

 

 しかし、奇跡は神の恩恵と考えるよりも、まずは自分の実力不足を神はきっちりみていて、奇跡でなんとか助けてくれた、と考えるべきだ。実力をつけていれば、そんな偶然みたいなもので、難関を克服することもなかった、と。実力不足を補うことを考えよう。

 

 もし実力があるのに、そのときだけなんらかの理由で、実力が低下していた。そのタイミングで奇跡が起きて、失敗しなかったとする。奇跡で助けてくれたことは、よかっただろう。が、神は私を見捨てなかったとは、そんなインチキまがいの奇跡で喜ぶべきではない。まずは、その時に実力を低下させて、奇跡を感じさせようとした守護の計画が安っぽいと理解すべきである。

 

2018年3月15日

 

 昨日は、川西の駅前に。交信は140万年後?

 

 

2018年3月14日

 

秀才の特集を読んでいて、感心した。私と気が合うかもと。

が、その中にHやK氏がいた。テレビの印象では、そんなに気が合わないかもしれないと思った。話せば知性のさえたる者同士で、気が合うのだろうけど。専門家はね、専門的なことばかりだからな。T氏も入っていた。彼なら、経済学だし、話が続くかも。

 

 私は最近は、経済学がおるすだ。それで、向こうのほうが一枚ウワテかな。

 

 私は天才かつ、もはや偉人並みだけど。学業はいまいちだったな。囲碁も勉強量に比して、いまいちアマで活躍する人たちの下に位置したし。私が才能があるのは、発達心理学と宗教のみだ。電波犯罪の告発でも、名を轟かせた。

 

 しかし、私が気が合うのは故GOtoさんだ。私は、その手の人間なのだ。官僚を束ねる側の。基本は。

 

 というわけで、とびきりの秀才は、知性が高いから気が合うかもしれない。が、ちょっと下がると、新しいものを提案できないので、私のような新しいもの好きと、長いおつきあいがあるかは、わからなくなってくる。

 

 何度も書くけど、日本のミュージシャン。言葉は立派なんだよ。東京の専門家たちは。コードうんぬんで、私はわからない。多分、コード理論はかなり間違っているのではないかな。なにしろ、曲作ると、下手なんだよ。なんで、そんなイージーな曲しか書けないのかって。コード理論で曲かいて、安易な曲しかできない。何が悪いか? 自明だろ。

 

何かが足りないのだ。

 

2018年3月14日

 

今日はチャーハンだ。うまく作れないぞ。ネギ油を作らないといけないようだ。

 

神の国

 それをつくろうと人々は使命感をもつのだと。

問題は、この神の国だ。何だ? 宗教団体ごとに違う国を描く。カルトが描く神の国は、共産国よりもひどく、それを実現する方策は、共産党員並みで、犯罪も容認する。

 

正しい神の国とは何か?

 端的には、進んだ宇宙人社会の統治形態。神がプランを示し、統治者が、それを一つずつ実現する。これは神の国と名付けるのも奇妙に思えるほどに、科学的な社会である。社会科学がゆきつく先の理想国家だ。こちらをうまく説明することが求められる。

 まず、その神の国の条件とは、現在の社会論よりも優れた理論であること。現在の社会は、直感、人類や個人の行動の原因がわかっていない。神から来ているなら、神が大元にあってもよいのだ。それが制度として。神から来てないなら、神が人類を導くという指導的な立場になることはない。

 科学で認めることだ。科学理論でもって、それが確認されなくてはならない。人間は直感に基づいて行動する。また体が勝手に動くこともある。それらを導いているのが神であることを科学的に証明しなくてはならない。それができないうちは、神は非公認の隠れた導き手である。その証明されてない段階では、神が表の指導者にはなれない。

 

 神が人類を導いていることがはっきりすると、よりその効率(神の導きをより高く人類に反映させる)を高めるような制度を開発できる。それを制定して、はじめて神の国となれる。

 

 つまり人類は神が導いていることが完全に証明されていないうちは、事実上は神の国であっても、神が公的に指導的な立場になるという制度はもっていない。それは神の国ではないのだ。

 

 この神を導き手として位置づける新しい社会制度は、早急には作れないのだ。社会に制定できるまでには、何年、何十年、もしくは何百年という研究が必要だろう。個人を導いているのが守護霊であること。守護霊の計画は、神の計画の一部をなすこと。人類の行動は神が決めて、導いていること。それらが科学的に証明されなくてはならない。また三次元(地球上のすべての動き)の運動を神が管理していることも解明しなくてはならない。

 

 そうやって、神が人類を導いていることに、一つの疑念もなく、人々に理解される。その時に、より合理的な制度、神の意図をより正しく人間社会に実現する制度が必要とされるだろう。そして、制度が成立すると、はじめて神の国となる。

 

 それまでは、非公認であるが、神の意図を、社会に実現させることになる。

 

 神の国はこのようにしてできる。

 

 が、人類の目標はこのように、神の国を作ることではないのだ。我々人類を正しく豊かに成長させることだ。神の国にするのは、短期的な目標にすぎない。数百年、遅くて600年以内に実現することだ。神国の樹立を最終目標にしたのでは、すぐに、わずか数百年で目標を見失う。

 

 国作りを最終目標にするのは、共産主義みたいな話となってしまう。共産主義では、国家を作ったあとのことは何一つ考えてなかった。考えたら、独裁国家となることがばれて、誰も共産主義に賛同しなかっただろうから、省かれた。

 

 ある目標をもった時に、それをやろうと思い立つのは、愛のためか?

 身近に困った人がいて、それを助けるために、人肌脱いでやろう、と思うことはある。が、なんか嘘くさい。直感的に嘘くさいので、間違いかもしれない。何か、ひっかかるものがあるのだ。何だろう。

 

 理念を行動にうつす時には、他のケースを考える。成功した人のケース。失敗したケース。だが、個人を助けるためにやる、というのはなんか違うがする。またこれは今度考えよう。理念そのものは社会的だ。理念とは集団の問題の答えだ。

 

これ以後はまたこんど。

 

 

2018年3月14日

 

140万年後の我々

 

 

2018年3月13日

 

あと2週間は忙しそうだ。今日は宝塚から三田の手前にゆき、猪名川の屏風岩を見る。疲れた。

 

さてと今日は疲れているので、鈍く考える。

 理想社会は、悟った人の集まりではなくて、その中で人々をお互いに悟らせる(精神を高め合う)ことにある?

 理想社会は、基本、社会制度の問題であって、人員の資質の問題ではない。だが、一定の人格・精神のあり方は必要なのだ。その一つに『悟る』=覚醒者が必要かどうか。智者は必要だろう。英米、日本のように奸計にだまされない知恵を人々がもたないと、国は保てない。

 

 よき社会における人員の資質、これについてはアメリカではよく議論になる。道徳を個人はもつべきか、と。ロールズやマイケル・サンデルはよく議題にする。ちょうど、私はその本を読んでいる。サンデルの文章はわかりにくく、具体的でないのだが。

 

 実は、これには一般論がある。知らない? 当たり前だ。私の理論--人類の発達心理という新しい理論だからだ。人類は、感覚、悟性、運動、理性を獲得してから、社会を探求した。21世紀には理想社会の制度を獲得するだろうと思われる。理想社会とは、自由を侵害しない制度で、ベーシックインカムなどの個人の生活保障するような制度のことだ。

 

 ただ21世紀で社会というテーマを完成させる段階では、社会の構成員に一定の資質・才能を要求するのだ。社会制度をつくるときは、個人の資質は考慮されないと思いがちだ。誰にでも制度を一律に適用するためだ。このため、社会イデオロギーでは、個人の才能、資質、精神、徳目などが捨象される。社会制度を作ることがテーマとなる時代にはそういうものが軽視される。ここに不満をもつ人たちは、精神が評価されることを待望する。

 

 が、実際は社会を建設する時代でも、成員の資質も一定程度、要求する。しかし、それは実に、おおまかなものだ。

 

 もちろん、理性の段階をすぎた時にも、大人がもたなくてはならない資質は、新たにできた。それは論理を認めることだ。科学的なものを正しいと認めなくてはならなくなった。

 理性の哲学が台頭する以前では、科学的なものを必ずしも正しいと認めなくてもよかった。ガリレオ・ガリレイが否定されて、教会が権威でもあった。が、今では科学的なものは認めないと、いけない。それを要求される。こうなるのに、何百年とかかった。それは理性の哲学のおかげなのだ。理性というものをとことん追求して、その有用性をあらゆる面で証明した。だからこそ、根拠なき仮説は退けられ、実証的なもので証明されたものが今では、正しいと通用する。

 

 このようにゆっくりとではあるが、社会が個人に求める資質は、ふえてゆく。高まる。今では、他人を自由にさせることを個人にしいる。他人の人権を奪ってはいけません、と。

 

 では、『他人や本人を悟らせる』ことを社会が個人に要求するのは、どういう時代だろうか? それをもってユートピアとみなすことはできるだろうか?

 

 答えは簡単だ。まずはそんな社会はどういう社会か。その社会は、ある規律を獲得するとよい。『放射能を生活する場所に、おいてはならない。』、こういう規律を宿すのは、放射能の危険性を人類が知った時だ。それ以後は、放射能は毒物扱いで、厳密に管理される。

 

 『悟ってない人』の問題や危険性を人類がよく知った時に、人を悟らせないことは悪とされる。すると、人々は、人を悟らせようとすることにやっきになる。悟らない人の問題を明らかにすると、やっとその時代に、社会は人が悟ることを求めるようになる。その社会では、人々は個人の悟りに大きな関心を払うだろう。

 

 この社会では何が行われるか? 具体的に考えよう。

 悟るとは、瞑想で深い段階に到達することではない。仏教者は、基本、菩薩や如来の心になることを悟りという。この精神の段階が高い人がいないと、こちらで問題が起きるのだ。

 

瞑想で、曼荼羅が見えたら悟った、霊能力が身についたら悟った、覚醒したら悟ったともいう。が、こちらの瞑想の悟りは、できる人があまりいなくても、大きな問題にならない。というのは、西洋はそんな人達はほとんどいなかったが、瞑想の達人が大勢いる仏教国よりもよく発展できた。特に、瞑想の達人が多い、チベットをみると、世俗の学問・文化は大きく発達しなかった。社会の発展に関していうならば、瞑想の技能が高くある必要は必ずしもない。

 

 というわけで、悟りのもう一つの面、菩薩や如来の精神に悟ってなることが大事なのだ。こういう高い段階の人たちがいないと、社会は困った自体に遭遇するはずなのだ。

 まずは哲学に萎縮が起きる。科学時代以後は、思想家は理性的であらねばならない。が、高い精神に到達したわずかな人だけが、理性を心に宿す。彼らの思想が、理性的な社会の基盤となる。

 もしそういう人物がいないと、例えば、主観と客観の区別できない人が、語ると、科学のいろはもわかっていないような議論になる。経験しか信じない人の話は、科学時代には不要なものだ。

 もう一つ、社会の導き手がいなくなる。もうすぐ進むと、偉大なる人物が神の信託を受けて、統治することになる。彼の条件は、精神が8次元以上だ。5-6次元の精神は、理性が弱く、神の考えについてこれないのだ。

 人類の代表がいなくなるのだ。だから、一定数は、高く悟った人を確保しなくてはならない。

 

 精神の高さ、悟った人の精神とそうでない人の差がしだいに明らかになる。すると、その差は歴然だと人々は気づくようになる。こうなってしまうと、悟ってない人は屈辱的だが、受け入れるしかない。悟った人は自分の特性が認められて、うれしいのだ(古い時代は認められず、孤独だった)。悟りは社会によって管理されるのだ。才能のある者達は、よりよい教育が受けられるようになる。

 

 とはいえ、こういうのは『悟り』、『精神次元の理論』が明らかになった社会だ。ユートピアとは直接には関係ないので、あしからず。

 

2018年3月13日

 

 130万年後の我々 

 

2018年3月12日

 

犯罪者達が、私を罪人扱いする。いけませんね。

 

今の日本の音楽がつまらないのかな? なんだか記憶に残りません。

私が鈍くなったのはある。が、どうも乗ってこない。なんでだろう。

もしかして、私のせい? 私のせい?

いろいろいじくっているからな。

 

2018年3月12日

 

今日もどこかの体系の評価で奮闘中。

 

献金や寄付は求めましょうね。宗教団体は、それなしにやってけません。

 

いくつかの問がある。

科学が否定した創造神とは何か?

 宇宙を作ったとされる神は、否定した。宇宙の発生を微調整はできる。が、宇宙そのものを一から作ったというのは途方もないことで、現時点は想像つかない(技術でどうやってやるか)から、否定される。

 人格をもつ想像神については、否定するともしないともいえない。そもそも人は神に似ているからして、神は人格をもつと古来から理解される。科学はそれを否定したことはない。人格とは、個人の精神ということで、脳をもち、自我をもつこと。

 

 宇宙を創造した神という議論の中では、神が人格をもつ、とことを一部、否定する論陣はあったかも。が、神の描写はそれだけではないため、神は人格をもつようなこともあったように記憶するから、そこは否定されていない。創造神という面だけで、神を規定することは、そもそも正しくはない。

 

 また霊界や天国を科学は否定してはいなくて、未発見だ。否定する根拠は乏しいので、肯定する根拠がないというだけのこと。みつからないから存在しない、というのはいわゆる悪魔の証明になってない。『存在しないことを証明』しなくては、天国や霊界は科学的にないとことを明らかにしたことにはならない。ここは、巷の唯物論者の科学者の言説、--ないから存在しない--は、単に経験論(今までの科学では霊や天国は検出できなかった)に惑わされすぎだ。それは、科学的に否定(霊界と天国がないということを証明する。これは悪魔の証明といわれるもの。)したわけではないのだ。そこを間違えてはいけない。

 

真実でないものを信じるとどういう効果があるか?

 神でないものを信じるとどうなるか? これは厳密に明らかにしたほうがよいだろう。簡単には、偽神を信じるわけであるからして、間違ったことを信じ、それにもとづいて行動することになる。その部分においては、間違いを犯す。間違ったこととは、よくないことで悪いことだ。悪い行動をする結果になる。一般的に。

 

 割合で考えよう。何も宗教を信じない人は、科学的に50-80%でよいことができる、とする。常に100%正しい行動ができるなら、100だが、本人の能力、現在の科学の限界などで、100%正しいことはできなくなり、数割低下する。

 

 こんな現代人が偽神の宗教にはまると、偽神が言及した分野では、さらに2-7割の行動になる。悪質な宗教だと、1-2割まで落ち込む。社会全体では1-2割の低下になるだろう。

 

 共産イデオロギーにはまると、社会制度が5-6割の程度のでき、倫理観はほぼゼロになり、悪人となる。こういうのは人間を廃人にして、宗教よりもひどい。

 

 悪しき宗教、共産信者はどちらも、個人の能力を低下させることがわかる。社会全体でそういうことになると、国家の活力まで低下する。

 

 進化論と創造神。

 神の才能は、万能とされる。西洋では常識。日本人は知らないだけ。神の仕事で、悪と闘うのはメインではないので、そこを真っ先に神の特質として書くのは社会観が変だ。国家の役割で、最初に警察をあげたりはしないだろう? 人類の統治に最初に必要なのは、正しく導くことだろう。

 守護することも同じ理由で、説明の最初にあってはならない。国家の解説で最初に、軍隊、警察など治安維持を語らないのと同じ。

 

 神は究極に進化した生物か?

 進化の最終的な形態として、神を位置づけることはできる。究極の進化をした存在が神だと。しかし、これは単に、生物学的に優れた特質をもつ生物という意味での神だ。この神は、細胞や遺伝子、肉体の機能が優れるのみ。これを神としてしまうと、叡智をもたなくなる。叡智とはすべてを学び、経験して、あらゆる知恵を獲得することだ。その面はこの定義に入っていない。よって、生物学的に究極という定義は、神の肉体を示す。が、これは神の一面にすぎず、正しくない。

 

 叡智をもつ神とは、生きて、経験して、学び、それら精神の成長が究極にまで進んだ時に、全ての学を修めた時になれるものだ。

 

 神を守護霊として強調するのはどうか?

 神様を警察官や軍人、治安維持の係のように、人間個人の世話係のように扱うものだ。守護霊のイメージにこだわる人は納得するだろう。1980-2010年くらいの日本人はそんな神の説明でも、まじめに信じるだろう。だが、西洋人にとって『守護霊』などは人間を守る一介の霊であり、全てを計画して、創造した神と比べると、ちっぽけなものである。そんな説明では納得しない。神は守護霊であるかのような説明は、しだいに安っぽい神と思われる原因となる。

 

 神に欠点があるか、完全か?

 神は成長中というと、現在は完全ではないことになる。神は欠点をもつことになる。これは、神の完全性を信じてきた人々には大きなショックとなる。ただし、人間は、完全な存在(叡智となすことが完全であること)を想像できないので、実際はたいした問題ではない。

 神が完全であり、固定されたものと理解している。それが、神は成長する、修行する、学習するとなると、神は動き回るものというふうに理解がかわる。神のようになろうとしている人は、神がそうであるならと、向上心がさらに増す。

 

 神は大自然の心に近いか?

 これはありえないのだ。大自然とは、自然と調和されたもので、人為的な工夫が何一つみられないものだ。つまり、無知の世界なのだ。適者生存、淘汰の果ての調和された世界こそが、大自然だ。だから、複雑なしくみを全くもたないわけではない。が、人類はそれにさらなる叡智を加えて、よりよい世界を作り上げている。人類の作る人工世界と比べると、自然は劣るのだ。

 

 何もしなければ、文明は消えて、自然に戻る。人類の知恵と技術、理論などがゼロに近い姿が大自然だ。神がそんな無為無策の産物をよしとするはずがない。日本人は自然を神とする素朴な考えをもつ。だから、うっかり『神は大自然のような心』という考えを受け入れやすい。

 

  しかし、西洋人にとっての神は、自然と対峙するもの。技術や理論の結集で、レオナルド・ダ・ビンチなどが神の化身のようにみえる。人工物の究極こそが神なのだ。

 

どちらが真の神をとらえているか? 西洋人のほうだ。神は究極の技術者であり、理論家で、それらをもとに空間を創造する。そうとらえたほうが、よいだろう。地球の神は、工夫の達人であるからして、いわゆる自然とは程遠いものがある。神に近づくとは、自然な姿、自然の精神になることではない。ダビンチのように万能になることだ。そう思って、励むほうが、神と親しくなれるだろう。

 

 

  神は宇宙の心をもつ?

 これは、宇宙観の問題だ。宇宙をぼんやり理解している人と、その宇宙のシステムを細部まで見通せる人とでは、まったく違った神のイメージとなる。

 

人は、生物の進化、宇宙の諸星や銀河系の運動をぼんやりと現代科学の示すようなもので、理解する。神の心に、その程度の原始的な宇宙モデルがあると思ってはならない。

 神となると、精緻なまでの成り行きを感じ、どんな小さな人の働きにも目配せして、把握することができるだろう。惑星の発達の真のメカニズムをとらえたりする。それを正しく、細かく、広く大きく思い描くことができる。神は宇宙の心をもつとは、そういうふうに高度な宇宙や惑星モデルを彼は認識する、と理解したい。神は原始的に、宇宙をただ感じ、眺めるわけではない。

 

2018年3月12日

 交信 120万年後の我々

 

2018年3月11日

 

 日曜の過ごし方

 頭がいまいち働かない。外出して、のんびり過ごす。どこか遠出できるのが一番よい。

 しかし、所持金がなく、自力で動けるのは近くの多田や猪名川、伊丹、箕面まで。

 梅田や京都は電車が混むから、行かない。自転車を担ぐから、空いているほうがいい。

 こんな退屈で、幸せがない日々は、もうすぐ終わるようだ。あと1ヶ月で。

 

 そろそろ出会いのサインがあるはずだが、みつからない。私がそれを見逃すはずがない。まだないのだ。

 

2018年3月11日

 

 日曜はラフな思考。修正すべきものはあるが、

 

精神の美しさか。自分の幸せを考えない? おかしな話だ。隣人の幸せ。こういうのは派生的な話で、自分がよいと思うような状態に、周辺の人々がなると自分が幸せになれる。自分がこういうのは嫌だなと思うような事に周辺がなったら、周囲は不幸になったということ。

 

 大地震がくるのは困ると思っていても、来ると周辺は不幸になる。これは、自分が周囲に何もしてない場合。

 

 自分が周囲に、震災時に食べ物を振る舞ったら、彼らが幸せな気分になる。すると、自分も満足できる。結局は、自分が周囲にしたことが、うまくいった時に、満足できるのだ。もし失敗したら、そうはならない。鍋を振る舞って、食中毒になって、人々が苦しんだら、自分もつらくなる。

 

 隣人を幸せに自分がした時は、うまくいったので、自分もうれしいのだ。つまり、自分がしたことが成功したから、うれしいのだ。

 

 もし、子供の精神を鍛えるために、かなり苦しい状況に追い込む。彼らはけっして幸せそうな顔はしない。それでも、子供がそれで成長しても、不満たらたらだ。でも、教える側は、うまくいっているから、満足できるのだ。

 

 もっと大きな視点で考えよう。共産主義みたいなひどい国をつくりあげる。それで極端な社会主義を実現させる。これもまた神にとっては、究極の社会主義を作れたから、満足できるのだ。地球の人類は、なんでもハイレベルで実現する。でも、やがてそんな国はつぶし、自由主義を世界中に広げる。

 

 こんなひどい国を作っても、神はそれでも人類の成長のためには、必要不可欠と考えている。それで結果的に、人類は多くの幅広い体験を、特に社会論のマイナス面を共産国から十分に得ることができる。自由主義国はもちろん、十分に発展させる。こちらはもっと必要なのだ。そうやって、人類の体験をより深め、神は自らつくりあげた人類に満足できるのだ。

 

 他人のためにするというよりもは、多分に自分のためだ。自分のやりたいことは、自分周囲の人々のためにもなる。それで、他人のため、と言い換えることはできる。あまり、自分のため、他人のため、と区別するのはよいことではないと思う。

 

 一定のレベルになると、自分のためにすることが、だんだんと減ってくる。より大きなことができるようになると、自分というちっぽけな存在のためではなく、広く社会のためになることをするからだ。自分のためになることが、同時に他人のためになることは山ほどできる。自然と、人のためにやることとなる。そういうものだろう。今日はラフに。

 

 というわけで、他人の幸せを自分の幸せと思うようになる方法は、上に説明した。わかったかな?

 

 次の問題。

 神様や天使は、権威と地位と名誉がないのか?

 何をいってんだ? 神はそもそも地球の霊界組織の頂点に立つ霊だ。権威と地位の塊だ。宇宙にあまたと10次元の霊はいて、神のような実力をもった者もいる。神が特別なのは、この太陽系における人類の導き手として、その最高責任者として、任命された存在だからだ。一介の太陽神くらいなのは、地球に山ほどみかけるが、巷の才能ある人間を養育したり、彼らの霊的グループのサポートしかできない。神はまったく違う。権威(地位)によって、特別であり、霊界の統治や、人類の計画に関与できる。その役目にないものは、主要な役割を担えないのだ。

 

神や聖霊はこの点では、首相や大統領が地位、権威をもち、名誉もあるのとよく似る。それらを持たない者は、マイケルの権威も名誉の意味も知らない輩だ。

 

 もちろん、これらは精神の美しさを純粋に考える上では、余計なものだ。地位、名誉、権威は、社会的な役割だ。それ自体はそれを担う才能をもつ最適な者が任命される。精神のよしあしで決まるものではない。もし、こういう地位と名誉と権威がない社会があるとしたら、それは公的な地位があまり意味をなさなくなった社会だ。社会の地位の上下、その役割の差が小さくなっている社会だ。本人の才能で、様々な活動ができて、それによって評価されるという社会だ。

 

 社会内の役職と地位は厳然とあり、それをなくすことは不可能だ。なくしてしまうと、首相(トップ)がいなくなる。それが薄まる社会である。というわけで、ここの一連の文章は、間違いを散見する。

 

これからの人類は物質主義が終わり、精神主義になるか?

 なるわけないだろ。精神論の発展などは起きるのは、脳科学、発達心理、電子工学、認知論など、倫理道徳そんなに分野が多くない。これらは時代を主導する学問にはなりえない。よって、これまで通りの科学万能主義にかわらない。

 

 注意--霊性主義とは、意味があいまいだが、霊の仕組みを理解して、とりいれることをさす。これは部分的なもので、第一のテーマにならない。発達心理で説明できる。人類は、悟性、力学、理性、社会とテーマを変えてきた。社会の次は、空間だ。霊を主要テーマにしない。

 

 神は人々を苦難と困難に直面させ、鍛える? 家庭や個人の幸福、栄誉・出世をもたらさない?

 これは西洋の神らしい。ただし平安や愛はもたらすので、家庭や夫婦の愛は高まる。既存の間違った権威や社会には対峙させ、正そうとするから、そういう社会においては苦難を体験する。いわゆるご利益は、二の次かもしれない。なにしろ、幸福をさしおいて、神の計画を個人が実行することを求めるから。これは、グラグラの者たちとの対比なのだ。彼らはそういう現世利益を求めることで、何十年もやってきた。

 

 ただ、私みたいに困難ばかりなのは、いけない。個人を成長させるなら、もっとよい環境において、育てることはできるのだ。無駄に過酷だったりするのは、神の下の者たちの悪い癖だ。

 

 こういう困難が多いのは、社会が歪んでいる時期、迫害を受ける時期の説法である。社会が健全ならば、こういう面--正しいことをすると、困難に遭うこと--は弱くなる。

 

 賢いと幸せで、自由か?

 これは正しいだろう。賢者は幸せになれるし、愚者はなれない。人間の生活は運命で決められているから、一律ではない。が、永遠の時において、賢者ほど多くの幸せを得る。愚者の何倍もの。なにしろ、賢者は何をやっても上手にできるようになる。絵画、料理、愛、セックス、音楽、運動、会話、映画制作、人生計画。うまくできた人たちのほうが満足は大きく、幸せだ。しかし、生きて、賢い人が必ずしも幸福にならない時がある。

 

それは、教育の体制が不十分で、賢くてもなにか間違いを犯しているが、矯正されない時だ。私などは、今それにあたる。視力が悪いし、姿勢もよくならない。人権弾圧からも解放できない。正しい知恵が与えられていないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年3月11日

 

120万年後の我々。

 

2018年3月10日

 

宇宙の歴史について、

 

でたらめみたいなのが多い。全史? 裏のシステム(アカの電波ネットの派生物)を情報源とするなら、確かだろう。そうでないものは、インチキ、デタラメ、嘘。過去に、瞑想で宇宙の真実にたどりついた人間は皆無なのだ。

これを明言した人物は、その点だけいいことを言った。が、彼の推奨するチャネラーは、その例にもれなかったのだ。禅僧はそれなりの知識を示すとしても。安っぽいチャネラーの産物だろう。

 

 私の調査では、何億年前に宇宙が誕生したか。ビッグ・バン理論は間違ってないと考えて、過去にさかのぼる。この宇宙は、他の宇宙よりもかなり若いことはわかっている。宇宙ごとに年齢があって、我々の宇宙の何倍、何十倍、何万倍の年数の宇宙はある。住民はどう違かも、およそつきとめている。

 

 私が研究して、得た宇宙論は、大雑把に役立つかもしれない。それはいつか、明らかにする。

 

 悟りを開いた人について

 多く二種類いる。まずは「覚醒」した人。日本では、第三の目を開いた人を悟った人という。もう一つは、そんな瞑想をしないで、感情や経験を超えた「理性」を獲得した人をさす。

 

ニューエイジや精神世界では、瞑想して覚醒した人をたいていそう呼ぶ。しかし、彼らは悟ったといっても、考え方は何一つ変わってない。何しろ、第三の目を開くとは、霊能者になることとほぼ同等だ。が、霊能者のいる社会は魑魅魍魎が住む。彼らに、精神性など期待しない。霊感占い師は、お金を稼ぐためにあくせくその能力を使う。

 

 修行して、第三の目を開いても、基本同じ。子供に霊感をもつ人がいても、他の子供となんら考え方が違わない。覚醒しても、何も変わらない。私は考え方がまったく変わらなかった。他の人もそうだ。覚醒した人というレッテルというか、そういう誇りは持てる。他の覚醒者と自称する人たちと同じ経験をしたので、それについて正確に物事をいえるのみ。

 

 修行する間に、悪事をしないと、悪いことをしないと心に誓った人だけが、善人となる。覚醒したかどうかは関係ない。覚醒したという瞑想家が、アカの犯罪に加担して、その手先になることもしばしばだ。

 

 というわけで、第三の目を開く覚醒は、霊能力を得ることと考えてよい。

 

 もう一つの理性を得る覚醒というのが大事だ。こちらは、真に精神が高くなるからだ。たいていの人は、感情や、個別事実など、認識したものを、個人の経験として考える。理性をえた人は、全てを法則として理解する。こちらは科学的に物事を考えるような精神となっている。それ以前は、経験として物事を語る。その意識の差は歴然だ。

 

 仏教的な悟りは、特定の修練を積んだ人物をさす。ありのままに見るとか、物事に感じやすくなっているとか、そういうのはどちらかというと瞑想に熟達した人、特有の精神状態だ。

 

 物事に感じやすいのは、感覚を研ぎ澄ましているからだ。瞑想の時に、心静かにする。瞑想は心の小さな動きも感覚も追いかける。それで、自分の感覚の細かい動きまで観察する才能があがる。様々なことに敏感になる。それだけのことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年3月10日

 

あーあ。最後のみえない秘書とお別れ。みんな、私から隠れて、あれこれ悩んでいる。私にはっきり何がおきているかを教えようとしない。

 

 

2018年3月6日

 

道場破りが現れたら、いかに返り討ちにしようか。そんな想定問答を歩きながらしている。

 

 まずは仏教徒。次はキリスト教徒。ニューエイジなどは、彼らが交信する霊や神と名のる者の正体を明らかにするだけで、決着するから、宗教の思想の論争にならない。

 

 いろいろ想定してみるものの、細部にいたる詳しい反論が、適切にできないのだ。だから、一つずつやっていこう。

 

 というわけで他の教義を題材にして、ここでは、論じている。練習である。

 

次元上昇は間違い

 世界はたんたんと発展する。一度に、飛躍的な発展を遂げることはない。あるとするなら、それはタイムマシンが発明されるか、宇宙のより高度な文明と交流を始めた時だ。当面は、それ以外に考えられない。

 

 ある主義により社会が統一され、平和になったら、悪がいなくなり無限に発展する。こういう安直なのは、共産主義にもあったように、たいして何もよくならないのだ。

 

自由主義で世界が統一すると、それは共産という戦争の元凶がいなくなり、平和になる。世界を混乱に引き落とすべく、嘘偽りをまきちらす者たちがいなく成り、世の乱れはおさまるだろう。しかし、世界が自由主義一色になっても、成長速度はややあがる程度で、大きな飛躍はのぞめない。

 

 何かが起きた後に、急に世の中がユートピアになり、仏国土になり、何もかもうまくゆくというのは、非現実的であり、虚偽である。そういうのには騙されてはいけない。

 

 次元上昇も同じ。人間が15歳で次元をあげても、それまでの日常生活がほとんど何もかわらなかったように、さしてかわらないのだ。人類も同じ。それまでのゆっくりとした世界の変化がつづくのみ。突然、平和の国が出現することはない。ソ連などは出現したら、ロシア貴族など命からがらヨーロッ場に逃げ延び、ロシア難民がヨーロッパにあふれかえり、実に不吉な国が誕生したと思われたものだ。(ダウントン・アビーより)

 

 どんな比較的に優位な思想が世界に広がっても、ほんの少しよくなるだけで、さほど大きくは変わらない。そこは、納得してくれただろうか。

 

 だが、2つだけ違う。一つの発明が世界を変える。一つの発見が世界を大きく変える。そういうものはある。それがタイムマシンだ。そして、宇宙人との外交だ。どちらも同じ変革をなしとげる。

 

 タイムマシンが作られると、未来にゆき、新しい技術や科学理論をすべて手に入れることができる。病気のち療法、フリーエネルギー技術、瞬間移動、原子転換などなど。エネルギーはあっという間に解決する。すると、資源の争奪の戦争はなくなる。原子力も不要となる。不治の病とされるもの、病気はなくなる。神や霊と交信することもでき、宗教間の争いも決着がつく。これらの新しい世界が、数十年で人々に普及して、日常生活だけでなく、大きく世界を変えるだろう。

 

人類は新しいものを短期間で手に入れ、大きく変革できる。

 

宇宙人との交流もほとんど同じだ。宇宙人からタイムマシンの技術を貸してもらう。それで、タイムマシンを作ると、同じことができる。タイムマシンのほうも、他の宇宙人と交信する技術を入手すると、宇宙人と交流できる。よって、どちらでも大差はない。どちらが先かは、はっきりしない。どちらでもよい。

 

 この2つだけは、人類を一時的に成長させるだろう。その他で、主義、思想、宗教が世界に広がると、人類は大きく成長するとうたうのは、多くは嘘だ。少ししか変わらない。共産主義などは広がるほどに、人類は破壊に覆われ、不幸が増す。結構、そういうものもあるので、注意が必要だ。

 

 さて、未来の技術について、誤解が蔓延しているようだから、私の考えるところを述べたい。

 私はタイムマシンのようなものを実際に、使って人類に幸福をもたらす男として一部に名が知られているからだ。透視で未来を見て、その情報を現代に活用しているだけではあるが。

 

 フリーエネルギーは無数にある。私のように時空ドアを使い、落下エネルギーで発電するローテクなものばかりではない。地球に帯電している電荷を取り出すものもあるだろう。重力制御でエネルギーを作り出すものものあるはずだ。ここで言いたいのは、いくらでもある。だから、その一つで、安価にローテクで製造できるものがあると、十分、現代の電力のそれは解決する。

 

 治療法は、薬を使う。それは薬剤に通じればよい。基本はそれだ。時空メスなどは、すぐには導入できない。が、薬はすぐにでも使える。あやしいエネルギーを使って、波動治療? 生体磁場を調整して、治療するのはあるかもしれないが、主流にはならないだろう。やはり怪我は、磁場調整して、薬品を使うべきなのだ。未来では、変わりの臓器を合成して、それを移植することは簡単にできるだろう。新しい身体の部位は使いづらいというのもあるが、そういうことも克服するだろう。だが、目下必要なのは、未来の薬学である。

 

 貨幣がなくなるのは、先のことである。当面はなくならないので、そこは慌てない。

 

 労働についていうと、未来では、各自が適性や才能を発揮することになる。それは自己実現が主である。人類のために何かする、というのは第一の目標になりうる。が、他人のためにやる、というのは第一にはならない。アイイススケートや百メートル走、水泳をする選手は、だいたい他人のためや、人類のためにスポーツしているのではない。ほぼ自分のためだ。自分の挑戦だ。

 

 たいていのものは、そういう自己実現に近いものになる。自分は大きなことをする。人類の中で自分が輝くぞ。そんな意欲が、社会を発展させる原動力となる。ただし、はじめのうち、子供の頃は、人類が解決できない問題を、俺が解いてやるんだ。という使命感に燃える。それが、しだいに忘れ去られ、自分の探求というようになる。

 

 無償の愛が原動力になっているわけではない。無償はいらないのだ。対価はいらないとしても、自分の欲求を満たすため、というのが強くなる。それを言うなら、現在でも、金を稼ぐために働いている人以外は、ボランティアではないにしても、対価のために仕事をしていないことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年3月6日

 

95万年後の我々

 

 

2018年3月5日

 

まず正しいもの言いとは、たくさんの「高尚そうなこと」を並べて、何やら難しいことを言うのではない。正しい物事を一つずつ丁寧に、間違いなく説明することだ。その理力、哲学の基礎力で差をつける。

 

宗教上の誤解を解く

 

 預言者が悪ま退治?

 まず預言者の使命に、悪霊退治はない。旧約、新約、コーランにそんな話をきいたことがない。悪霊を打ち負かすのは神の仕事である。人間はできない。そういうことを誇るのは、勘違いもよいところだ。聖典に詳しくないからだろう。

 悪魔と戦うのは、人間のすることだ。が、悪魔退治は、エクソシストであるまいし。預言者がそういうことをしたという記憶があまりない。せいぜい人間にとりついた悪霊を取り除いたくらいだ。それはある。が、大物は退治できないものとしている。

 

 諸悪をサタンと呼び、それと戦うことを強調するのは?

 私は馬鹿げていると思う。サタンと戦っても、諸悪(社会問題)を解決できない。そもそもサタンはいるかどうかもわからない。本当はいない。いない者と戦っても、無意味。なおかつ、諸悪を解決してないので、いつまでも状況はよくならない。サタンを含めずに、直接、諸悪と闘うべきだ。

 

 悪は、誰かが計画して生じるものではない。悪とは、副作用や、悪い方法をさす。新しいことをすると、一部、悪い方法がみつかる。お金を稼ぐ時、詐欺や強奪するのが悪。社会を混乱させないように秩序にのっとって稼ぐのが、善だ。

 サタンと呼び、それと戦うというのはおかしい。悪いことをした時は、いつも背後から誰かに操られている。その悪への誘導を何者かと戦え、という意味となる。

 いやいや、人が悪いことをするのは、確信犯でない限り、過失か無知が原因だろう。悪の根源は、無知である。正しい方法を学ぶと、もう悪いことはしなくなる。試験の問題を間違って解く。悪い答えを書く。そんな時に、

 

 サタンと戦っても、いつまでたっても正しい答えは知ることはできない。正しい答えを学び、理解して、覚えることが解決なのだ。目下、いくらサタンを倒したところでも、自分が悪いことをしてしまうことはよくならない。そして、自分が悪さする理由として、サタンが原因であることは極めて稀なのだ。いや、皆無に近いのだ。無知をどうにかすることが、何よりも大事だ。

 

 悪さする連中がいる時は、それを具体的に名をあげて、世界の共産党とか、テロリスト、過激派などと呼び、それをつぶすことが大切と説くべきだ。それらをサタンの手先だとか、呼ぶのは回りくどいし、根拠も明確でない。

 

 地球の進化は、誰かの功績のおかげか?

 アインシュタインは物理学を発展させた。量子力学はさらに原子に迫った。学問の発見、技術の開発によって、人類はより発展した。

 では、どこかの悪党を壊滅したから、人類が発展できた、という言い分はどうか?

 共産帝国のソ連を米国が打ち破ったから、世界は平和のまま新世紀を迎えることができた。自由の砦、米国には感謝してよいだろう。特に、同盟国の日本は。

米ソの核戦争を回避したケネディに、世界核戦争にならずに人類が今、表向き平和に発展できるのは、君のおかげと言ってもよい。が、ケネディ信者でないと、彼を崇奉らない。

 個々の貢献、業績を人があげて、人類は全体的に発展する。一人一人のその役目は、評価できる。だが、一人の大きな功績で全体の成長がもたらされた、という言い分は、過大だ。

  いない者を滅したから、そのおかげで人類が新しいステージにあがる、恩を感じろというのは、おかしな話だ。

 人類の成長は、有能な大勢によってなしとげられる。一人の功績に帰することができない。それが現代の社会だ。どこかの信者であっても、すべては金正恩、日成、正日のおかげというのは、現実ではないのだ。

 すべて人物の評価は適切になされる。過剰でも過小でも正しくない。そうあるべきだ。

 

 

2018年3月5日

 

家に帰り、夕方に部屋に入るとしょんぺんくさいのなんの。ベランダにアカが入って、したらしい。裏口から入ったようだ。裏口の外はその臭いがついていた。水で、流してもにおいが取れない。音声送信では、二度もやったという。夜になって、洗うのは一度あきらめた。明日にしようと思った。

 

本当に、ひどいな。私の所で行われたことは、他の被害者宅などでもなされるから気をつけたい。

 

2018年3月5日

 

90万年後の我々と交信

 

2018年3月4日

 

奇跡のネコヤナギ。フリッカー。今までの最高が全日空の黄色く塗られたスターウォーズ747機の100だった。が、数日でネコヤナギは228に到達。そんなにいい絵だったのか。人気があるなら、インスタにもあげよう。

 

さてと、日曜は仕事しない。それにしても、インドネシアの地震が遅い。いつなのかな。それがないと、修正メールを送れない。

 

 

2018年3月4日

 

80万年後の我々。

 

2018年3月3日

 

伊丹のダイアモンドシティに行ったのでくたくた。しかも、軽いきんほうげ中毒で、ふらふら。一人だけ覚えているくらいだ。こりゃまずい。

 

 地震予知に間違いがみつかり、大ショック。肝心な宮城県沖の日を間違えるなよ。インドネシア地震が発生してから、結果を伝えるメールを書くか。3/23だ。

 

ドラえもんの宝島のサインは、勘違いしたし。伊丹のダイアモンドシティ。4階の映画館前だった。そっくりだね。

 

台湾地震は、高雄のこのあたりだろう。きっと。建物の光沢は黄色いし、漢民路。この周辺地区で、やや被害がある。大きなものではないだろう。

https://www.google.co.jp/maps/@22.5655581,120.3514655,18.76z?hl=ja

 

男のニュースキャスターが、外れた予知を読んでがっくりきてた。心配で、半泣き顔だったよ。私があの局にいかないと、失望と悲しみでまいる女性が大勢いるからな。いや、大阪唯一のスターである私が活躍しなくては、大阪は凋落の一途だ。それが大きいのでは?

 

えっ、宇宙人が地球の資源を採掘した? 嘘もほどほどにしろよ。

 

 あのお、進んだ文明では、元素の転換が自由自在、とどこかに書いている。しかも、エネルギーはフリーエネルギーを得たも同然で、無限。元素の転換に、電気のエネルギーは必要だ。それは簡単に手に入る。

 

 事例。(時空ドアで、天井と床に穴を開けてつなげる。大きな重いものを落とし、その落下エネルギーで発電する。天井から落ちた石は、床穴から時空に入り、天井の時空穴からまた落ちる。この方式だと、電力エネルギーはほぼ無尽蔵。原子力もいらない。時空間ドアを開けるのは比較的に少ないエネルギーですむ。また異時空では、わずかな距離を動くだけで、この世界で長距離を移動できる。天井から床までのせいぜい20mを進むのに、異時空ではわずか1m以内の移動ですむ。よって、異時空でのの移動エネルギーも極わずですむ。発電力だけが大きくなる。)

 

 つまり、進んだ文明ではどんな珍しい元素も、思いのままに作ることができる。どこかの他の惑星の自然を破壊してまで、単純元素(希少金属・レアメタル)を採掘などしなくてよい。複雑な分子も、形さえわかると、すぐに製造できる。人間でもそういう技術を手にしつつある。ので、変わった薬品も、近未来では、他惑星にでかけて、採取は不要。

 

 巷に出回っている未来科学の知識だけで、進んだ宇宙人が資源が枯渇することもなく、エネルギーが不足することもないとわかる。他惑星、例えば、地球で何か金属を採掘する、という話は大嘘だとわかる。

 

 なお地球に大量の稀少金属が地上で採掘できるのは、潮汐力で大陸が移動する。その移動でプレートがぶつかる圧力で、断層が出来、土地が隆起して、山や池などがたくさんできるからだ。池に溶け込んだ金属元素が、湖底にたまる。それが年月を経て、鉱石となる。そうやって、凝縮する仕組みがあったからだ。地学の本のどこにでも書いてある。

 

 地球の1/3の直径をもつ大きな月のおかげで、マントルが対流して、大陸が移動する。それで、火山が生じる。月のおかげで、豊富な金属を人間は持てた。原子転換技術なしに。このあたりは、地学の知識を多少もつ者にとっては、常識なのだ。

 

 少しはそういう科学を勉強したらどうかな? 宇宙人の話は全部、嘘だといつになったら、理解するのだろうか。それを信じた者たちの言葉、本はすべて間違いと考えることが大事だ。

 

 しかし、こういうことは、最初知らなくても、一度知ると忘れないから。学習すると二度とはずかしいことは言わなくなるだろう。はじめての人や子供は、この程度のことを間違えてもかまわない。

 

 また天国について、地球人並みのおバカがたくさんいると思っているのも難だ。あちらでは共産主義など数日の教育で、捨てさせるほど社会論は充実する。共産主義程度の邪論に騙されるなど、皆無だろう。天国で戦争などないことなど、いつになったら理解するのか。嘆かわしい。あちらは、最低でも地球人より50万年は進んだ文明なのだ。平和で、正しいものをすべての人がほぼ知っている。

 

 私は、天国や宇宙人の知識を数年も得ていながら、こんな初歩的なこともいまだに理解しないのは、信じられない。私は、ここが一番、関心がある。正しい情報を得ているのに、いつまでも間違った旧来の知識を信じている。そんな輩が実に多い。

 

 しかし、巷の霊能者は違うのだ。交信した内容は、すべて悪宇宙人からきていて、交信する神々など悪だと、たいていの霊能者は知っている。本人も納得している。しかし、商売柄、それを明らかにすると、収入が無くなる。それで、人を騙していると自覚しつつ、いまだにコンタクトなどやっている。そんなのが大半だ。このあたりをしらべてみたらよい。神々とのコンタクトのやめ時を考えているのが、大半の霊能者なのだ。

 

 そんな女性霊能者と音声送信で会話したことがある。東京は特に、どこも同じようだ。交信している霊や神、宇宙人などの言葉を真に受けているのは、よほど裏世界のことを知らない者くらいだ。そんな者にも、アカは容赦なく、『君の交信している者の周波数は、交信文章か、交信時の君の頭を調べたらわかるよ。ほら、これだね。この宇宙人のものと同じ。あの霊能者と君は同列だね。正体は、あそこの宇宙人だよ。宇宙人のくせに、霊や神と名乗っている。詐欺野郎だね、嘘つきだね。悪だね。そんなインチキを信じてたら、世間は君のことを思うかな? キチガイと思うよ。きっと。』と、親切に教えているふりをしながら、徹底的に批判するのである。

 

 巷の霊能者は、心から自分とつながったのが、神や天国の霊、善の宇宙人と心から信じているのはいない。アカにとって、もしそんなのが現れて、宗教など始められたら、責任問題になる。自分たち支部の手持ちのコマが、宗教を起こしたと、支部の失態になるからね。だから、宗教の芽は徹底的に摘む。

 

 とはいえ、既存の教義を解体・批判できないから、そこは専門家に任せるのである。というわけで、交信内容を表に出さなかった。交信先がインチキだとは、ほぼ理解したのかもしれない。そこは進歩と思った。

 

 

 

2018年3月3日

 

85万年後の我々 おっと5万年先に進みすぎた。

 

2018年3月2日

 

写真の構図はわかってきた。まだ景色をうまくとれない。ふつうの景色を、構図よく。今撮れる写真は、かつての最高の出来よりも、平均的にいい。写真は、こんなにも実力差がはっきりとつく。日々、上達しているのが感じられる。

 

 予知メールは送ったばかりなのに、間違いが発覚。情けなくて、涙が出るよ。出ないけど。

 

 

宗教・思想の体系について

 7つの観点で、それを説明する。1, 人類のテーマ 2, 一神教 3, 理論が時代の水準に達していること 4, 発達心理上のテーマを解決するもの 5, 個人の発達心理論 6, 道徳、倫理・思想 7, 社会問題を解決する

 

人類のテーマ

 この時代に必要な思想は、人類のテーマを解決するものだ。

 

一神教

 太陽系の神は一つで、彼らが人類の発展計画を作る。その方針を人は、受け入れるしかない。神が人類を導いているのだから。その統御がないと、より不完全な形で成長することになるだろう。みなし子のように。

 

 人類は神の管理下にある。天国もまた神の統治下にある。宇宙人は、この太陽系内での活動は、すべて神(天国の政府)の許可を受ける。

 

 人の世は、多くの神々がいるようにみえる。が、神以外のものは、民族の祖や英雄、先祖。もしくは偽神である。その目的は、悪しきモノは人類の健全な発展を阻害することだ。民族の祖は敬意の対象である。それらは、神ではない。それらは人類を導く指針を出しつづけるという神の位置につけない。

 

人類の発達心理上の課題

 人類のテーマは、近代に理性、現代は社会だった。各段階は、前半と後半がある。2018年現在は、社会期の後半、第6段階だ。個人主義的な制度の完成を目指す。具体的には、個人が自由に社会活動できるような制度を作ることが課題だ。個人が社会活動におけるすべての能力を有するようになる。資本を個人が簡単に集められるようになる。個人が自由に社会に意見を発信できるようになる(SNS、Facebook)。個人の仕事を社会内で簡単にできるようなシステム()ができる。個人の持ち物をすぐに販売できるような体制(個人の売買、メルカリ)ができるなどある。最終的には、個人の資産が与えられる(ベーシック・インカム)、個人が生存のために、多大な労苦が強いられる時代は終わる。

 

 社会の段階ごとの細かいテーマに対して、正しい指針を与えられることが、新しい思想・宗教の役割である。社会期の次は、空間期だ。社会イデオロギーの時代が終わる2030年からは、空間的なものが新しい思想として、示されるだろう。

 

 社会問題を正しく解決する指針

 これは人類の発達心理の一つのテーマとなる。が、状況に応じて、発達心理の一般論では語れないように社会問題もある。稀少金属をいかに採掘する、公害をなくすか、共産主義による社会混乱をいかに、鎮圧するか、世論の歪みを正すか。など社会の特殊性から出てくる様々な問題への解決法を示すことは大事だ。

 

個人の発達心理

 宗教は、個人の成長を支援するものとなる。精神の成長理論は、発達心理の他にない。よって、それに基づく。教育、精神成長、精神次元などは、全てこの理論をベースに語られる。

 

 発達心理に基づく教育では、青年の欲求を満たす最適な教育科目により、反抗期の青年達すら満足するだろう。自分のテーマを見失った大人達にも、年齢ごとの最適なテーマを示すことができる。大人は、自分の関心に正しく気づくだろう。

 

 天国の次元は、物理的なものだ。それぞれの次元世界に入るには、一定の精神の段階が必要だ。それは発達心理の達成度によって、決まる。天国で5次元の住民は、3-9歳までの発達心理をこなすことが求められる。6次元は、12歳までの発達心理をこなすこと。7次元は15歳までの。8次元は18歳、9次元は21歳、10次元は24歳までのだ。

 

道徳・倫理

 人類は次第に倫理的になる。それは必然だ。まずは犯罪率が年々低下している。それは倫理をわきまえるようになったからだ。科学によって、人は正しい行動や振る舞いを理解することができる。人間関係も、個人の行動の仕方、会話、社会関係は、学問の発達によって、より間違いが減る。

 科学によって、あらゆる分野の悪い方法がしだいに明らかになる。それによつて、「悪しき行い」が減る。人はしだいに良くなる。

 現代の文明が個人に求める倫理・道徳はある。社会的な振る舞いとしては、遵法精神、国民としての生き方(義務)、公共心、人権の理解(国が個人に課すもの)、対人関係のあり方(愛)、家族の築き方、子育ての仕方、物事・人への信頼など。

 

 またこの時代を生きる上で、標準的に一定の規律をもたなくてはいけない。大人のルールや、一定の能力をもたなくてはいけない。詐欺や共産主義、メディアの嘘(フェイクニュース)などに騙されてはいけない。合理的に物事を考える科学的な態度は必要だ。物事の善悪の判定は、この時代はより厳しいものが要求される。

 

 対人関係を円滑にする知恵として、嘘をつかないなども大切だ。

 自己を正しく認識することは、自分の問題解決に役立つ。自分に嘘をつかないこと。感情に振り回されないこと。錯覚などはしないように、五感を正しく受け取る知恵も必要だ。

 

 自分が生きる上では、空腹や渇きのいやし方、排便、病気の自己診断や対処法、歯磨き、手洗い、体操、運動など、様々に体長を管理する方法を身につける必要がある。

 

 個人がよりよく生きるには、様々な個人・社会の問題を解決できる高い精神になることも大切だ。

 

 まとめ

 新しい思想は、人類の現代の問題を解決する体系でなくてはならない。それは、歴史の積み重ねの先端のものとなる。それは、人類が明らかにした科学の諸理論体系。その最新の分化、分岐となるものである。もしくは、新理論による再体系化するものとなるだろう。

 

 

2018年3月2日

 

地震予知メールを出した直後に、重大ミス発覚。

震災前の台湾地震を調査したら、それが3/14-17とわかった。それで、なんと、宮城県沖震災の日が違うことも、芋づる式にわかった。3/14-17としたのは台湾の地震。宮城県沖は、その後で、3/21-24とすべきだった。スタジアム崩壊は、2/15のサインで、3/18だ。その後となる。透視では、3/23が濃厚。

 

メールを出したすぐ後に、修正するハメに。恥ずかしいミスだ。

 

2018年3月2日

 

75万年後の我々

 

 

2018年3月1日

 

地震予知のメールをメディアに出す。

 

 

 

2018年3月1日

 

75万年後の我々。今日の空海の子との対話は、彼が4月に幽霊界の王となるので、それについて。これは名誉職だ。優秀な官僚たちが、細かいことはやってくれる。本人に意欲があると、その面で制度がよくなる。

 

 幽霊界は、本人の意欲によって、動いている。やる気がなくても、天国の指示で何かやらされる人もいる。それが彼なのだ。今は、米国民主党系の誰かさんが王をやっているはず。その前は、米国共和党系の元大統領だった。その前は? だんだん忘れてきたぞ。

 

 

2018年2月26日

 

オリンピックの余韻に浸りながら。メダル最多。誰かがいないと、こういうことは二度と起こらない。

 

 

2018年2月26日

 

結局、誰も私に連絡しない。それまでに生き残っているとも限らないのに。早く何か、私に謝罪しろよ。

 

隠れて悪さするのがひどすぎる。大人がやっているのは、信じられない。

アカ並みではないか。しかも、中学の先生が。こいつらは、社会にいてはならない。

 

2018年2月26日

いずみやで不覚にもすねを打ち、腫れる。猪名川イオンの帰りで、今はくたくた。

 

2018年2月26日

 

 65万年後の我々 

 

2018年2月24日

 

 元気を出せ。年がいった女性がたくさんいることは、結構、私はうれしいのだ。私のようなのがいるのは。

 私の発見。私が好きな女性は、たいてい向こうも私を好きであることがわかった。やっぱりそうだったか。お互い、わからないのはやはりわからないのだけど。それは、人間ができる性格分析の限界かもしれない。

 

 あれっ。おかしなことになっているよ。女性が2つもメダルをとった。

 

下記は、いろいろ観点を考えており、私の考えを固めるためには、実にいい勉強となる。

 

まずヤハエについて、根本的な理解の違いがある。

 彼は、基本的に、他惑星の文明の開発に興味があった人物だ。それが高じて、死後、霊となって初期文明の開発を本業としててがけるようになった。それが神(初期文明の形成を行う仕事)なのだ。人格は、10次元で一定の才覚があること。精神が高いということは、正直いって、神という役職につくにあたっては、二の次なのだ。

 ヤハエクラスの精神性をもつ者は、彼の母星には何万といる。が、地球という惑星にきて、わざわざ文明開発に携わるのは、その仕事に適した人物でなくてはならない。そこが、最重要で、選ばれる。生きている時から、文明を自分で作りたいなと強く思っていた人物に限られるのだ。神もまた適材適所である。

 

 宗教の合理化に関する所見

 科学の時代には、科学的な宗教理論が登場しなくてはならない。それは、霊や神までも、科学でとらえるものであることが条件だ。科学の取り扱う分野が、霊や神といったものに及んだ。そこから新しい宗教が形成される。これは、人類の科学の発展の必然的な成り行きだ。

 

 こういう現代に適応した合理主義的な宗教が、登場したのは、科学の浸透、拡張のおかげだ。それを「水瓶座」だの、サタンが強力になっただの、おかしな理由で説明するのは、間違いだ。銀河系の中心からのビームなんてものもまったく関係がない。そもそも、地球の生物の進化は、年数によって決まる。人類が文明をもって、何万年かすると、科学時代になり、その科学は、文明のあらゆる面に及ぶ。宗教も例外ではない。ただそれだけのことだ。それ以外の説明は、不用なのだ。占星術ではあるまいし。

 

 なお、古い宗教がこの時代に取り残されるといって、それだけで地球が滅亡することもない。しずかに、ゆっくりと、人々が理性をもつほどに、そういう時代錯誤で非論理的な宗教は、支持されなくなる。現代でカトリックの信者が年々減っているように。宗教が後退しつつあるが、それによって、文明が滅びるみたいなとんでも話は、いらない。キリスト教信者が減り続けるヨーロッパとアメリカは滅びてはいない。

 

 精神の修行について若干の間違いがある。日本人は、仏教を信じてきたから、108の欲望をなくすと、心が浄化され、仏の心になれると思う。が、現実は、そうではない。一つずつ知恵をもち、信念を高めてゆき、そして、間違いを見抜き、それを克服できるようになることで、精神的に高められる。要は、精神を高めるのは、唯一、学習なのだ。自分の過ちを正すという減算法みたいなことではない。このイメージの違いは大切だから、忘れないようにしたい。

 

 108の欲求を歪めずに、全て正しく発達させて、高めることで、仏の心になるのだ。歪むと欲望になる。あなたが醜いのは、欲望が多いからではない。単に、無知による勘違い--独善--が多いからだ。知恵を得ることで、一つずつ心がきれいになる。

 

 ユートピアは、必ず社会論でもって説明しなくてはならない。そうでないものは、切り落とされる。却下される。

 

さて、一番大切なものは何だろうか?

 愛ではない。それは人間関係を、よくしようとするものだ。愛よりも、人類のためになることをすることのほうが尊いのだ。愛の価値は、そもそもそれが人・人類のためになったかどうかで、測られる。人が愛よりも価値をおくのは、社会のためになることだ。

 

 よって、ユートピアを作ることが、最大の目標になるというのは大方正しい。人は人類のためになることをすることが最高とする。よき社会をつくることの一助になることが、すばらしい。社会の成長をもたらす行為こそが、もっとも価値あるものなのだ。

 

 では、ユートピアとは? 正しい価値基準で物事が判断され、ある水準の社会制度がゆきわたった社会だ。これを具体的に述べられないようでは、人々は受け入れない。

 

 さて、核戦争の危機を脱して、なおかつ森林を回復させ、自然な国土をもつことが喜びとなり、持続可能な社会を先進国が志向するようになった21世紀初頭では、人類絶滅などの危機を訴え、そのために何かしよう、と呼びかけても、ふりむく人はいないだろう。森林破壊などで、地球が人が住めない星になる危機は乗り越えたからだ。核戦争が人類を滅ぼすリスクは、小さいからだ。こんな前世紀の宗教か社会学者のような啓蒙は、時代錯誤の感じが半端ない。

 

2018年2月24日

 

 母なる地球、母なる宇宙

 生物を育んだのは地球であることから、母なる地球という概念がある。これを応用して、全ての物質、生物は、宇宙によって、生じたのだから、母なる宇宙というものも。

 創造神は宇宙を作ったのが神。それと、宇宙はすべてを生み出したから、宇宙は神というのは、かなり違うのである。それは「母なる宇宙」という考え方である。創造神は、外から宇宙をも作り出す神(知的生命体)という意味なのだ。

 「母なる宇宙」は、すべてを作り出せる実験室という意味あいで、単なる環境。能動的な神ではないのだ。神と同じでもないのだ。なぜなら、母なる宇宙はすべての宇宙内の物質、その時間の起源を含めるが、宇宙の外にいるとされる創造神は除外されるからだ。

  創造神は、現代の宇宙論では、その外側からこの母なる宇宙をあれこれいじくって、人類や生物、星などを作る。創造神の話と、母なる宇宙というものは、同一のものではまったくない。

 

 なお、創造神は、母なる宇宙としてとらえよ、ということであれば、それは創造神の否定で、代替物として、母なる宇宙という概念を提供している。

 

 同時に、知的な神は、優れた精神だというのは、まったく別な話となる。

 

 この宇宙内で生まれた「神」という話は、創造神ではなく、進化の法則にのっとって成長した1生物にすぎない。

 ここで大切なのは、宇宙の法則を熟知しているから、宇宙の心をもつ。ということと、広大な宇宙そのものとはまったく別だということだ。

 

 一生物の神は、心が広く発達して、科学的な知識に秀でている。とはいえ、人間(霊)だ。宇宙においては、極小的な存在だ。神が宇宙と似ているとか、宇宙と同一とか、よくわからない基準によって、そういうのは馬鹿げている。人間のサイズはせいぜい1.3-2.4m。宇宙は、無限大の大きさがある。神が知的な生命とする時、宇宙とくらべて、極めて小さいサイズ(生物のサイズ)なのだ。宇宙の広大さと、神の心の広さを比べても、さほど意味のないことである。心の広さとは、頭の中で思い描ける世界の大きさだ。頭とは、10-30cm以内の立方体だ。頭の中では、一つの宇宙よりも大きな世界も思い浮かべることはできるのだから。

 

 あと、サタンの脅威とかは、もうおしまいにしよう。幼稚で、非科学的だ。

 新しい運動がはじまると、その影響で権力や地位、影響力を失う守旧勢力が抵抗する。それ以外に、新しい運動を妨害する者はいない。そういう旧来の利権をもっている者達は、人間であり、サタンとか何かいまわしいもののように呼ぶのは適切ではない。

 悪の宇宙人は、一つは地球上の神の活動を妨害する。もしくは健全な発展を妨害する。彼らが作る宗教は、内容がなく、人々規律の低下をもたらすものが多い。共産主義などは悪の宇宙人の作品の一つで、自由を人々がもつようになる自由主義の運動、人類が社会を改革する時期の正しい発展を阻害する。

 

悪の宇宙人に操られた教団が、正しい神の運動を妨害するのは、しょっちゅうあることはある。悪の宇宙人の正体が判明すると、それらを人類は嫌うようになり、彼らの邪悪な活動がやりにくくなる。それで彼らは正体を隠すことに必死であり、その正体を暴露することを、妨害しようとする。

 

 だが、直接的に霊言でその真実を隠蔽せよ、と指示するのは、あまりみかけない。それが実情だ。あっても気づかない方法でなされる。なにしろ、「あそこは正しい神とつながっている正義の団体だから、やっつけろ。」、「自分たちは本当は神や神霊ではなく、宇宙人が化けていたものだ。それをばらさないようにしろ。」なんて本当のことを言うと、霊媒は騙されていたことに気づいてしまう。悪の宇宙人は、目的を隠して、直接的ではない形で、妨害をしかけることはある。

 

 しかし、悪の宇宙人と直接、闘う人はいない。悪宇宙人ははるか彼方の惑星にいて、そこから地球に司令、霊媒にメッセージを送る。あまりに遠くて、人間の攻撃が届かない。また悪宇宙人が地球上にいても、高度な科学技術の円盤に乗っているか、どこかの秘密基地内にいる。防御も優れて、人間が彼らに物理的なダメージなど一つも与えられない。あまりに遠くいるか、たまに円盤に乗って近くに来ても、やはり円盤の中にいるため、人は彼らを殴ることすらできない。科学技術の圧倒的な差があり、人間は悪の宇宙人に対して無力なのだ。彼らと戦うなど、よし子さん(よしなさい)だ。というわけで、霊能者は、サタンの正体-悪の宇宙人などと闘うことはできない。

 

 ただ闘う方法はあることはある。母星の政府に苦情を言って、そこのならず者達の対処してもらうことだ。多少は、ましになるだろう。

 

 霊能者が悪魔と闘うのは、バカらしいことだ。相手は、霊能者の頭に、交信装置をとりつけて、第三の目に悪魔の映像を映して、怖がらせている。そんなどこか別の宇宙で作られた合成映像の中のキャラクターと闘っても、何の意味もない。映像の中の悪魔が、「やられたー。」と言えば、勝利したことになるのだろうか? 悪宇宙人は何一つダメージを負ってなくても? 悪宇宙人の影響が霊能者の中で小さくなるのであれば、それはそれでよいことかもしれない。が、そもそも、はじめから無視すればすむのだ。

 

 霊能者にとっての勝利とは、それら悪魔の影響を払拭することでしかない。悪におびえていたのが、怖くなくなった。神と名乗って出てきた偽霊の正体を知り、信じなくなった。その程度で、勝利だ。悪の影響を受けなくなったことは、とても大事だ。悪魔払いもそれが中心だ。悪を滅したとか、サタンを消滅したとかいうのは、本当はどうでもいい話なのだ。つまらない「架空の物語」のことなど、どうでもいいのだ。

 

 君がきまじめに、「ダースベーダーを俺が、2月に霊力でやっつけた。」と言えば、失笑されるだけだろう? 架空のSF、そんな神々と戦っても、世間はどうでもよいのだ。「俺が幻魔大戦を制した」とか言っても、そんなSFの妄想を真に受ける人はいない。

 

 私は当然、悪魔とか悪霊とか幻想の存在とは一切戦わない。時間の無駄だ。そんなのはそもそも合成映像なので、透視すると、毎日出てくる。SFのようなテキトウに作られた映像世界なので、消えた者は復活するし、関わるだけ時間の無駄。

 

 悪の宇宙人にとって、最も都合が悪いことは、正体を見破られ、無視されることだ。影響力を失ってしまう。不安がらせたり、何か信念を混乱させるようなひらめきを与えることもできなくなる。悪魔のそんな囁きが聞こえても、無視するのが最善だ。悪魔と戦ったなど、誇ることではない。それは、悪の宇宙人に騙されていたということで、恥をさらすことなのだ。

 

 悪の宇宙人のへんてこなシアター(第三の目で視えるなんらかの光景)をずっと日頃から見せられている。見ている、というのは、近隣の宇宙人からすると、かなり情けないことなのだ。エロビデオや18禁の映画や、バイオレンス映画を好んで見るために、暗い映画館に入り浸っているようなことだからだ。もしくはゴーグルをかけて、バーチャルリアリティーの漫画エロビデオにどっぷりつかっているようなことだ。その世界を本物と信じる人は、いかれている。

 

 私はそれに気づいてからは、霊や神霊や神などニセモノとは一切、信用してない。それ以後は、幽霊、元人の霊しか相手をしていない。もしくは本物の宇宙人か。

 

 人は現実的には、抵抗者、守旧の利権者が、闘う相手となる。具体的には、共産党、主張が似た分野の宗教で差別化しなくてはならない相手などとだ。そういうものたちを斥けて、地上からいなくすることが大切となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年2月23日

 

一つずつ、おかしな点を指摘。

 神は悪霊から人々を守る? そんなのメインの仕事でないよ。いや、ここは感謝してはいけない点だ。いちいち、書くほどではない。そこを納得するのは頭が弱い。

 

そもそも、人を彼らは人生全般を決めている。あらゆる災い事も、彼ら天の霊が決める。自分が決めた災いから、彼らは守るふりをするのは、真に受けてはいけない。悪霊が襲うように計画して、それから人を守り、人が神に感謝するような計画を入れる。これは、頼んで暴徒に女性を襲わせ、女性が助け声をあげたら、助けに入る偽りのヒーロー男そのものではないのか? 

 神が悪霊から人を守る、という話をまじめに信じてはいけない。インチキな守護霊がやるようなことで、うさんくさい話なのだ。神はすべてを考えて、人生を決めている。『守護霊』という概念にとらわれすぎだ。

 まず、危険な目にあったら、神にこう言おう。君の計略の一つで危機に陥ったよ。なんとかなる予定のか? と。

 

 だが、危険な状況はある。それはすべて神によって作られたものだ。が、そこで奇跡的な確率で、助かるなら、それは神が守っていたということにはなるだろう。しかし、そもそも危険な状況をわざわざ作り、そこに無理やり陥れたのも神。差し引きは、危険な体験で成長したならよい。が、たいてい危険な体験は、教育上あえて必要なものではないから、気分が悪い。それで、マイナスなのだ。が、助かった人は神のおかげと、たいていの人はすっかり騙されて神に感謝してしまう。

 

 悪霊というのは悪宇宙人のことだ。真に悪霊などは、口に何か霊的な物質を入れ、呼吸をわずかにしにくくするくらいのことししかできない。たいしたことはない。

 

 悪宇宙人から、人を守るのは、実は天国の霊の仕事ではないだろう。はっきりとは知らない。が、ふつうは、悪の宇宙人は、母星のならず者集団だ。アメリカ人の悪党どもが、海外で暴れている。その後始末をするのは、アメリカ政府だ。というわけで、理論上は、悪宇宙人の悪さから、人を守るのは、母星の治安部隊のはずだ。

 

 この理屈は正しいはずなのだ。だから、悪の宇宙人から、地球人を守るのは、神の仕事ではなく、母星の連中だ。彼らがこっそり、天国の許可を得て、悪宇宙人が地球で起こした混乱を修正しているはずだ。つまり、悪の宇宙人(悪霊)から人を守っているのは、神ではない。母星の良き政府(宇宙人)なのだ。

 

 もっとうまい反論は、いつか書こう。

 

 悪が人類を奴隷にして、支配するか?

 この計画は、アメリカが良き宇宙人と宇宙外交してからは、まったく存在しない。明らかに、地球をよく発展させるため、自由の拡大を目指す。だから、この点を強調するのは、世界情勢を知らなすぎる。世界中の人を奴隷(労働者のこと)にする走狗が共産党だ。それは1989年のソ連崩壊で、完全に潰えた。それ以後は、そういう計画すらない。金融界、ユダヤはアメリカの上部であり、そのくらいのことはわかっている。今、人類奴隷化阻止と言うのは、時代錯誤も甚だしい。自由を広げるのが、20世紀の課題でもあったし。

 

 人類が自然と調和して生きるのは、神の意志なのか? それとも自然な人類の意志(エコロジーの持続的発展)か?

 ここは神の意志だから、人類は自然破壊をやめて、自然との共存を目指した、という考えるべきか? それよりも、自然破壊が進むと地球に人が住めなくなる。公害や有害な物質があふれた町は不快で、住めないのだ。だから、自然を取り戻そうとした。後者の考えのほうが妥当だろう。人類の方針転換をなんでも神の意志だからそうなった、というのは、合理的な理由がない。

 

 

2018年2月23日

 

女子フィギアがんばった。でも、ロシアはきれい。カナダは、健康体なので、功績あり。それらが評価されたのだろう。

 

交信は55万年後

 

 

 

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