タイトル一覧 5月

 

急激なインフレにならない理由  2015-5-1

 商品には世界的な相場がある。これはデフレ・インフレ論では、あまり使わない視点である。石油は世界でほぼ同じ値段で売られている。木材は日本では輸入物が安くなるから、日本産のもあまり高くはならない。小麦は、食料専門の市場があって、先物などあって、そこで取引され、価格が決まる。
 およそ、日本に入ってくる製品は、世界貿易の最安値である。ガスはいまだ高く買っているようだが、しだいに下がる。海外も同じように安いものを輸入する。というわけで、多くの商品の価格は世界で共通する。鉄鋼、石油、小麦、水などなど。

 日本は貿易が開放されているから、多くのものは世界と同じ値段で買ってくる。鮭はノルウェーかチリだし、小麦はブラジルかな。大豆はまたブラジルかな。PCの生産は中国がある。卸売りの価格は、ほぼそういう世界的に決まっている値段で、国内に入ってくる。そこまでは同じ値段で、日本国内で多少高く売られる。しかし、それも限度がある。牛肉もそんなに高くできない。

 

 よって、物産の値段は世界の相場で決まる。日本だけが値上がりすることはない。特に、日本国内だけで、ある品物が異常な高値になることはない。つまり、日本では急激なインフレにならない。これらの輸入品の値段は、日本が経済封鎖されて、希少品にならない限り、日本国内だけで高騰することはない。

 

急激なインフレになるには?
 イランでは経済封鎖されて、あらゆる物の値段があがる。こういうのは悪性インフレになりうる。日本も経済封鎖されると、輸入が途絶え、物資不足となり、それら製品の値段は急激にあがる。これが急激なインフレになる最も妥当な可能性だ。

 

戦後に物不足で強いインフレになった。アフリカでは物不足から物価の高騰がある。南米ベネズエラは経済封鎖で物価が高騰。ほとんど物価が上がるのは、最近は経済封鎖や物不足が原因だ。

 

急激なインフレにならない理由

 

が、そんな経済封鎖は起きない。日米同盟もある。韓国、米国、オーストラリア、台湾、フィリピン、ヨーロッパと経済条約を結ぶ。日本は鎖国しない自由貿易国だからだ。


 日本は、自由貿易国なので、その手の不足・欠乏による物価高騰は起きない。OPECの買いだめ騒動も、やはり石油不足からくる。石油はシェールオイルもあり、潤沢なので、それも起きない。

 物不足によるインフレ、商品の高騰、買いだめを恐れるのは、無駄だ。日本が自由陣営の側につく限り、そんなみじめな最貧国、共産独裁国家国や、反自由陣営の謀反国家のような国内状況にはならない。

 ハイパーインフレになるもう1つの可能性として、円の暴落がある。現在、デフレから小さなインフレに転じたのは、円安のおかげだ。輸入品が高くなった。日本はエネルギーは輸入に頼っているから、それでほとんどの品目で少し値上がりする。こういう通貨安で値上がりするのは、輸入インフレ、という。

 円安による暴落がおきるか? 彼らは、量的緩和で通貨が暴落するという。この連中は、その最悪の予測を立て、煽る。しかし、それはすぐにわかる嘘だ。政府のインフレ政策でひどいことになるなら、政府は円が急に下がり始めたら、量的緩和を止めればよい。それですぐに、通貨の暴落は止まる。

 

円の暴落は管理可能である
 政府は相場を管理しているのだ。それを忘れてはいけない。量的緩和をやめれば、すぐにでも円は高くなる。量的緩和で円が暴落はしないが、してもすぐに対処できるから心配はいらない。円の暴落など不安がるのもムダである。

 というわけで、生活必需品のたいていのものは、価格は世界的に固定されているに等しいから、それよりも上がらない。悪性のインフレなどは、日本を経済封鎖しない限り、けっして起こらないのである。

 量的緩和による円安。その最悪のケース(通貨暴落)によるインフレも、いつでも政府は量的緩和を止められ、円相場はコントロールできるから、それもならない。どちらも杞憂であり、インフレ懸念はもはや、経済の実態を知らない人が煽る悪質なデマゴーグである。

 今また、TPPで日本の貿易はさらに開放される。グローバル化によって、日本国内のあらゆる価格は、ますます世界の平均物価に近づく。日本は物価が高い国なので、値段は下がる。

 つまり、日本はことさら悪性インフレににりにくい国だ。自由貿易の度合いが高い日本では、デフレにはなりこそすれ、インフレにはなりにくい。ただ、円が安くなっている分だけは、物のの値段は高くなる。

 日本が、これまでデフレだったのは、グローバル化によって、貿易が拡大され、世界の物価の平均に近づいて、そのため下がったという側面もあっただろう。

 ともかく、急激なインフレは起き難い。それが日本である。

 

安倍首相の議会演説の解説、アメリカが警戒する日本の反米保守とは  2015-5-2

安倍首相の議会演説の解説
 TPPはやる気がない議論だ。それは日米同意ずみ。政治家はパフォーマンスはするが、お互いちんたらちんたら時間稼ぎのように交渉する。そうしないと、自由な商売に反するようなSD条項を飲まされる。それがある時期に訂正された後でないと、TPPは問題ある代物となる。日本政府が締結に向けて努力する、といっても、国益重視でいつまでも妥協しない。単に、自由貿易を推進していることを表向き強調した。脅されて不利な条件を飲まされたら、小村寿太郎と変わりない。

 

しかし、世界の貿易圏の統一のためには、太平洋地域の経済圏の統一は、不可避である。TPPはそういう世界の経済体制の確立というスケジュールの中、適時に締結されるだろう。これはそんなに遅くはない。世界の流れを遅らせるわけにはいかない。

 安倍首相の戦後の反省は、負け戦に突入して、大勢の軍人を死なせ、頃合いに戦争を終結できなかった。そして、国土が焼かれた、という痛切な悔恨である。

 最近、日本でみかけるどこかおかしな反米保守でないことを明確にする狙いもあった。

 植民地支配の反省など日本は米議会ではしない。これは欧米の植民地の宗主国がまったく国として謝罪も反省もしないからだ。欧米は、他国、敗戦国のドイツにもそれは求めない。欧米が求めないものを、アメリカの議会でするのは変である。アメリカ向けの演説で、日米の話に、中韓が植民地支配を反省しろなど要求するのは、内政干渉も甚だしい。

 かつて植民地だった国に宗主国がわびる、という慣習は世界にない。彼らが第二次大戦の戦勝国であるという理由で、植民地への謝罪を日本に求めはしない。

 中国は、イギリス・フランス、ドイツにもそれを強く言わない。日本だけに要求するのはおかしい。宗主国(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア)の間では、そういう謝罪は必要がない、という認識である。アメリカ議会で植民地支配の謝罪などしたら、どこまでカモにされるのか、と議員に笑われる。

 日本の植民地支配と騒いでいるのは、被植民地の国々で、台湾やタイ、インドネシア、グアムなどのアメリカの領を除く、ごく一部である。かつての宗主国への反発である。

 従軍慰安婦については、アメリカは関係ないので、議会でそれをコメントする必要がない。焦点にすらならない。NHKなどはどうしてそれを繰り返すのだろうか。

 安倍首相が、歴史修正主義者という認識は、おそらく欧米の上位にはないだろう。日本で力強い首相が登場したと思っているはずだ。中国包囲網を行う反共の鏡として期待できる人物が、中曽根以来にようやく現れた、と思われたはず。
 私には、アメリカの左派リベラルの論調は聞こえない。そんな者達の相手を米議会でする必要はない。アメリカ自由主義者の真髄たちの発想しか、感じ取れない。そういう観点で述べている。

 夏までに軍事法制を成立させることを国際公約とした。それを実現させるために、アメリカの了承をとったという意味がある。それに反対しにくい世論を作り出す狙いがある。

 私が気づいたのはこの辺り。アメリカはもうすぐ共和党に代わる。民主党よりの演説にしなかったのもポイントだ。共和党になっても、守れる日米関係の指針みたいなものだ。

 総じて、よく工夫された演説だった。ただ、人権について強く言わなかったことは大きな失態である。共和党とうまくやってゆくには、世界の人権を守ると発言するしかないからだ。また反共も入れなかったのは、信念が弱いとみなされ、エコノミックアニマルのような面を少し残した。リンカーンの前にゆきながら、人権を語らないとは・・・

 アメリカが日本の何を異様だと感じるのか?
 欧米では、宗教国家で独裁制を嫌う。イランなどのホメイニ体制、アフガニスタンのタリバン、ISというイスラム過激派の支配地などなど。国家神道が吹き荒れた戦中の日本も、そういう国の1つとしてみられたのではないだろうか。
 宗教が国家規模に広がり、自由と民主主義を逸脱した時に、アメリカはその国を脅威とみなし、その政権を破壊対象にする。
 つまり、日本における親皇攘夷派、それに連なる面々こそが、彼ら西洋の警戒対象なのだ。彼ら神道礼賛の保守が力をつけてくると、西洋は何かにつけ、いちゃもんをつけてくる。
 ただし、つぶす対象になるかは、それら神道系保守が人権を侵害する人間かどうかである。人権や自由、民主主義を掲げる人物ならば、信仰はともかく、共通の価値観を理解できる人物として、西洋では許容される。

 

 

共和党復権の時、世界1のアメリカが帰ってくる  2015-5-4

 民主党オバマが大統領になって、世界でのアメリカの政治的な影響力は失われた。彼らは世界の人権問題には関心が薄く、一言も日本にその主張は届かなかった。チベットやウイグルの弾圧はますます激しくなった。また世界の平和を維持する意欲も低く、イスラム・ウクライナ、シリアなど混乱が止まらない。その間、中国の南沙諸島での暴れっぷりも歯止めがかからない。彼ら民主党は正義感が弱く、世界のリーダーとしてアメリカを導けない。元来、民主党は労働者の権益保護にしか関心がなく、経済論理に縛られ、正義の実現は二の次になるからである。彼らを支えるいわゆるアメリカの左派リベラルは、どうやらアメリカの二流言論陣である。

 左派リベラルは東部で力を増したが、アメリカを冴えなくする面々であり、アメリカを世界1に保つ知性ではない。中国を押さえつけられない。それは中国と同等以下ということである。それはオバマの民主党が世界一位の政党ではないことを意味する。

 かつての強国アメリカを導いたのは共和党のブッシュ、レーガンである。共産主義に容赦なく立ち向かう精神を忘れてはなく、悪を世界の果てまで追及した。私のような40代になると、そういう強いアメリカの世界の記憶が強い。

 最近の弱気なオバマ、小金をあこぎに稼ぐニューヨークの証券マン、対中軟弱外交をし、イスラエルに対して消極的な民主党などは、本来、アメリカの大木の影に隠れ、画策するもの達だ。それが表に出てきて主流派面をする。それを見ると、アメリカの凋落が政治やメディアにまで及んでいるのか、と悲嘆する。

 実際、彼ら二流アメリカ人リベラルは中国に国債を押さえられているという理由だけで、チベットの弾圧を口にすることもできない。彼らは国際交渉力も二流である。

 アメリカの凋落は、民主党に政治を任せたからだ。民主党は国内経済の手腕で選ばれた。が、アメリカの世界政策で一番の政党ではない。それを支える言論陣も、誰がいるかは知らないが、意気地がないが、宣伝上手な二流の集まりである。それをアメリカとは思っていてはいけない。本当に頼れるのは表に出ているアメリカの民主党政府ではなく、アメリカを世界1たらしめてきたのは共和党であり、それ支える共和党のシンクタンクである。

 これは日本の言論界と似る。保守言論は海外によく知られてない。海外では、日本で左派的な意見のほうが強いと思われている。確かに、朝日・毎日新聞が左派で部数が多い。保守の読売とサンケイは世界では知られてない。これでは外国人は、日本のメディアを見たら、左派のほうが強いと勘違いする。

 アメリカも同じ。アメリカは明確に左派リベラルは、あの名を書くのも不吉な二つの雑誌と、民主党系の放送局がある。共和党は、はっきり聞こえてくるのはFOXニュースくらいだ。圧倒的に左派リベラルが多いように、外からは見える。

 しかも、日本のアメリカ報道局は、ニューヨークにあり、そこからはアメリカの左派リベラルの主張のみが選別されて伝わってくる。共和党の主張は何かにつけて、『コンサバ』とか、魚のような名をつけて、怪しげに紹介される。これでは、アメリカのメディアは全て左派リベラルで、国民は彼らに賛同しているかのように映る。

 だが、実際は違う。アメリカ議会が共和党に飲まれてしまったこと。右派を、共和党のほうを国民は支持している。いまやアメリカ世論を共和党の論理が占める。報道と実際は違う。

 識者たる者、こういうカラクリに騙されてはいけない。日本の左派メディアは、シンパシーを感じるアメリカの左派リベラルを紹介する。今や、アメリカでは野党側に転落しつつあるほうを。それは、アメリカの大勢ではない。

 ヒラリーばかりが話題となる。有力な候補者ははっきりしないが、アメリカの次の大統領は共和党になる趨勢だ。彼ら共和党のことを今のうちからよく知らなくてはいけないだろう。そうでないと、共和党の大統領が誕生した時に、ノーコメントでは情けない。

 共和党の主張とはどういうものか?
 共和党系のシンクタンクの発表を読みこんでおけばよい。そこに対日政策もある。が、彼らの精神構造はつかみにくい。この本を紹介する。『核戦争を待望する人々』(グレース・ハルセル、朝日選書)。聖書原理主義の南部の考え方に、レーガンがどう影響を受けていたか、皮肉まじりにレポートする。この本が素晴らしいのは、娘を二人犠牲にしても反共に徹することを演説で宣言した政治家の話だ。アメリカでは反共の精神を男達が競う風土がある。反共の闘志でもない者は立派な人間として認められない、ことがよくわかるエピソードである。彼らは、神の意思にも従って、正義を妥協なく行う勇気をもつ。使命感の強さを感じ取れることもよい。リベラルのようにエコノミックアニマルになりつつあるアメリカとは、違う世界がそこにある。

 共和党政治家の神学面を説明する点ではひどい代物であるが、真実を見抜ける人なら、その偏りを取り除ける。そして、神の信徒を自負する彼らの精神に触れることができるだろう。共産主義者・国家を叩く精神を鍛えられるだろう。
 本当のアメリカ。それを認識しなおそう。

 

 

集団安全保障における日本の生命線とは 2015-5-7

 第二次大戦前、英米から経済包囲網を受けて、日本は疲弊しつつあった。最後に、石油の供給停止などを食らい、それで日本の生命線を立たれた。そのため、戦争を始めるしか生き延びる道はなかった、という話をよく聞く。その教訓から、戦後は石油の確保に、日本は並々ならぬ努力をしてきた。

 今盛んに、日本の集団安保の議論で語られる日本の危機、日本の安全やシステムを根本的に脅かすもの、その最大の危機とは石油の確保を妨げる状況をさすわけである。

 首都直下で、首都機能が麻痺しても、それは生命線が断たれたことにはならない。ペルシャ湾から日本までの石油の海洋航路こそが、日本の生命線なのである。こういうことは、戦後育ちはすぐにピンとくる。

 どんな危機があるか考えてみよう。(それほど大きくない危機も含める)


 1つ目は、イランがペルシャ湾を封鎖する事態だ。核協議で国際社会は、オバマ主導でイランと西欧は交渉を行い、雪解けムードを演出している。が、ホメイニ氏のイスラム独裁体制をアメリカはけっして容認しないから、状況が改善する見込みはない。一度、そういう期待をイランに抱かせて、一気に落とす心理作戦かもしれない。
 核協議が失敗に終わったら、事態が元通りになる。それから、どうなるかである。イランはペルシャ湾の艦船を拿捕し始めており、危険度は高まっている。
 2つ目は、ソマリア沖だ。私はそこに日本のタンカーが往来する理由はよく知らない。が、たまに日本の船が通るようで、危険にさらされている。ここの航路を確保することは、日本の生命線にはつながらないが、航路として重要なので、ここの治安回復のために、日本は協力することも考えられる。ここで貢献しておくと、ペルシャ湾にも自衛艦が入りやすいだろう。
 3つ目はインドネシアの海賊だ。マラッカ海峡やインドネシア中部を通る時に、襲撃される危険性がある。

 日本の石油輸入ルートを確保することを、政府は日本の生命線と位置づけている。それは、日本が武力行使をしてでも、確保に努める対象である。集団安全保障の最優先事項である。

 

日本の軍事制度のスケジュール  2015-5-8

 日本の軍事制度が戦後70年も整わなかった事情について
 私は言葉の言い換えは好きではないから、直接的に表現する。安保法制とは、軍事の法整備のことだ。

 

 日本がアメリカから軍事力を取り上げられ、今日にいたる。それを取り戻すのに、何年かかるだろうか?

 

 もう戦後70年。日本が他国に依存する性質でなければ、とっくに独立国家として軍事力を回復しただろう。が、日本がかつては、天皇に従い、江戸では将軍様に、今ではアメリカに従う。そんな儒教の君子に従う風土が強いため、日本人自らが国家の主体とならなくても、長期にわたり辛抱できた。アメリカがこれまで十分に日本を保護してくれたからだ。手足を縛られて自由に動かせない状況はまだまだ続く。

 では、軍事制度はいつ獲得できるだろうか?
 スケジュールがある。十年、いやニ十年は先だ。ともかく憲法を改正しないことには、本格的な軍はもてない。よって、憲法改正以前は、周辺事態に対応できる程度の代物で、急場をしのぐ。その間に、軍事についての国民意識を高める。

 憲法改正で戦争放棄の9条を捨て、軍事についての国民意識を一変させてから、本格的に変革する。それまでは、遅々として、進ませる。それが、日本の方針である。

 軍事制度をゆっくりと整えるのは、反戦派が強いからでも、平和を愛する気持ちが強いからでもない。すべては予定だ。そのために、反対派をのさばらせ、推進派を時に弱体化して、調整してきた。

 2015年に周辺事態法の議論が繰り返され、ようやく集団安保の入り口にたどりついた。10年かけて、わずか一歩進んだ。それが現実である。計画である。

 共産中国をつぶすと、その残党の影響力が小さくなる。中華覇権を求め、アジア諸国への軍事的な威嚇も終わる。ロシアのさらなる民主化の進展と共に、ロシアの野望が薄らぐ。そうなると、東アジアの軍事力は全体的に消えゆく。日本の独立国家としての行動力を取り戻すのは、それとうまくリンクする。実に、のんびりした展開だ。これは、中国の脅威は大きくなっても、攻めてこないという前提の上に立つ計画だ。それが外れてなければよいのだが。

 


 

大阪都構想は制度不十分 2015-5-11

 私は大阪市立大学卒だ。大阪市職員を最も多く輩出する大学だろう。府立大学と統合する話もある。が、大阪市は残してほしい。
 海外でニューヨーク市、ロンドン市、パリ市と、文化を開花させるのはどこも市なのだ。"都"は格好悪いのだ。英語表記は変わらないとしても。
 都に分割すると、大阪都が各都をまとめる重要な役割となる。が、その肝心な大阪都自体が、あいまいすぎて、どうなっているかわからない。そんな都もないのに、市だけ先行して分割するのは、変だ。市職員の移動はどうなるかも、はっきりしない。都構想は新制度がよく認知されていない。


 大阪市を弱体化させることは、私が許さん、と本来言うべきところなのだろう。『都』という名称が東京と同じで、そもそも格好悪いのだ。大阪都の制度もまだまだ30%もできてないではないか。早すぎる。
 橋本氏は悪くないと思っている。与党連立の切り札かもしれないから。彼を残しつつ、大阪市も当面は存続させる。それがベストかな。

 

『沖縄の不都合な真実』の感想 キャンプシュラブが辺野古にかわった理由 2015-5-12

 『沖縄の不都合な真実』新潮新書、大久保潤 篠原 の感想
 立ち読み。ざっと印象を記す。辺野古に決まったのは、普天間の移設のためだ。世界1危険な基地という訴えが大きくなり、日本政府が移転に向けて本格的に動きだした。それは当初、キャンプ・シュラブ内に決まりそうだった、という。米軍基地の中で、内陸で費用がかからない。ベストな案だった。

 が、沖縄のゼネコンがそこでは儲からないと横槍を入れた。彼らが、埋め立てのある辺野古に変えた。埋め立ては土砂を売り、特に利益があがる。彼らはさらに儲けるため、基地計画も拡大させ、滑走路を増やし、埋め立ての面積を増やした。そういう事情で、辺野古に決まった。政府や米軍が辺野古を選んだわけではない。地元の要望である。それを政府や米国が了承した。

 

 すべて辺野古に決まったのは、アメリカの要望でもなく、日本政府のお願いでもなく、ゼネコンの都合だ、この本は主張する。


 つまり、それら沖縄の利害を考慮すると、1,移設のための補助金を大幅にカットして、2, 辺野古基地の建設費も縮小するという話をもちかければ、あの土建絡みの反対運動も、小さくなるのだろう。この本からは、そういう結論が引き出せそうではあった。私は、この本の情報を全面的には信用しない。沖縄のからくりの1つが見えたような見えなかったような気がした。

 沖縄から本音が聞こえてこない。最近の建前は、筑紫哲也が作ったという。だが、その総意(辺野古基地に反対)も、沖縄の本心ではない。操られているという感覚がぬぐえない。

 また基地がなくなってうれしいはずの名護市は、普天間基地の返還に反対する。沖縄はどうも利害関係が絡むと活発になるようだ。あのあたりは中国に近く、自治体まであこぎに稼ぐ策略を弄する。

 沖縄の総意は信用できない。彼らのどこに真意があるのだろう。全共闘盛んな時代に、安保闘争があった。あーいう左翼闘争が民意とは思うべからず。沖縄においても。沖縄の民意は、どこかに隠れている。私はこの本を読んで、そう感じた。

 

貧困女子(シングルマザー)が脚光を浴びる理由 2015-5-14

 シングルマザーの貧困家庭が、今はクローズアップされる。体を売って食いつなぐ女性達、子どを学校にやり、朝から晩まで働く母親の貧しさが、雑誌・テレビによく採り上げられる。社会保障から取り残された者がいまだ日本の底辺にいる。なぜ、彼女達が今話題になるのか?

 彼女たちは路上生活者のように、家もなく、外で冷たい地面の上に寝起きするほど貧しい生活をしているわけではない。屋根の下で暮らす。社会の貧困がひどくなった、わけではない。かつてなら、川で野垂れ死にする人たちを救うことが課題だった。社会はそんな人々にはもう手を差し伸べ、生活保護を受給させ、救った。底辺の路上生活者の多くはそのようにして、社会保障を享受して、アパート暮らしにおさまった。

 

 路上生活者は減ったら、次の問題が浮かび上がった。それが、シングルマザーの貧困である。貧困女子は、そういう次の社会保障のステージとして注目を浴びたのである。つまり、それは"家持ちの貧困"である。

 貧困は、家なしから家持ちへ
 貧困には歴史がある。数年前は、街にたむろする浮浪者たちだった。民主党時代には、大阪のあいりん地区はおおいに賑わった。が、彼らに生活保護を積極的に与えると、しだいに路上生活者は姿を消した。

 あいりん地区はきれいになっていないが、さっぱりしつつある。年末に上野公園に現れた「派遣村」も、そう話題をさらわなくなった。


 彼ら浮浪者、路上生活者、自宅をもたない失業者への支援が拡大した成果だろう。彼らは路上にあふれていたが、今は生活保護をもらい、アパートに暮らす。日本からほとんど路上生活者が姿を消したからだ。まだ若干はいるが、それを減らす取り組みは行われている。

 また失業者数が減ったことで、路上生活者が減った。それで、彼らが社会問題化しなくなった。給料が少ないといっても、路上生活が増えて、街の規律が乱れるほどではない。これは社会保障制度の向上を意味する。安倍ノミクスの経済改革の成果でもある。

 路上生活者が減った。これは日本の社会保障のレベルが1つあがったことを意味する。スラムを形成してきた"浮浪者者達"は、都市の片隅で仕方なく、公園などにテントを張っていた。が、生活保護の拡大により、今や安ボロのアパートに暮らす。家なし者たちの貧困は、改善された。

 社会はこの問題をクリアしつつある。彼らを全て生活保護下において、社会保障に預かれるようにした。彼らの多くは、今では宿をもつ。まだ完全にゼロではないが、取り組みは大きな成果をあげている。

 

 社会保障の次のステージ 家持ちの貧困
 収入がまったくない路上生活者は、救った。すると、今度は、路上生活者ではない貧困が焦点となる。家に暮らすが、収入がごくごく少ない者達が注目を浴びた。家持ちの極貧者達だ。生活保護に入れないか、入らない者達のことだ。

 それが、シングルマザーや、貧困女子と言われる人たちのようである。家持ちの貧困の大多数がシングルマザーではない。が、彼女たちは子供を養ってるため、緊急性が高いのである。またかわいそうで哀れな女性ということで世間の注目を受けやすかった。それで、他(年金者の貧困、若者の貧困)より先行的に話題になった。当然、解決策は、生活保護下に入れること。それに尽きる。

 彼女達が注目されるようになったのは、社会保障の進歩のおかげである。路上生活者は大方、制度は作り、解決はした。後は、その制度を拡充するのみ。次に残る底辺は? 社会保障を受けられない貧困は何か? それで彼女達がみつかった。解決法は、彼女達を社会保障下におくこと、愛の手を差し伸べることである。それはこれからの課題である。

 これはアベノミクスが生んだひずみではない。アベノミクスによって、失業者が減り、社会保障が充実した今だからこそ、見えてきた新しい問題だ。それまで社会に隠れていた部分だ。路上生活者という大きな問題を解決しえた今だからこそ、見えてきた新段階の貧困である。生活保護の次の対象と言い換えることもできる。

 彼女達が生活保護を受けない理由として、生活保護受給資格が絡んでくる。贅沢してはいけない、という理由で、様々生活に必要なものであっても、所持してはいけないことが決められている。彼女達は生活に必要なものがあるため、資格から外れる。そのため生活保護を受けられない、というケースがみられる。

 

 これから行政は、シングルマザーや家持ちの貧困に対して、手を差し伸べることを積極的に行おう。家持ちの貧困対策を本格的に動き出すべきである。

 生活保護を受ける人は、贅沢させないために、様々な制限がある。車をもっていけないだの、他にも諸々。それらは一昔前ならば、贅沢品かもしれないが、21世紀となった今は、生活の必需品ともいえる物が多々ある。それらは、所持することは認めなくてはいけないだろう。彼らには収入もなく、売り払う財産もないのだから。

 

 もはや生活保護はあまりに低い生活レベルを維持させる制度ではあってはならない。生活保護を受ける受給資格に、所持品制限をするのはよくないだろう。アメリカはしていない。財産・収入さえなければ、受給資格を認めるような方向はどうだろうか。ともかく、財産制限の緩和は必要だ。

 

シングルマザーの貧困の解決はこれからである。


 

大阪市分割ならず  2015-5-18


 橋下氏がしかけた大阪都構想。その第一歩となる大阪市分割。その賛否は昨日の住民投票にかけられた。が、微差で敗北した。私は、分割する根拠は見いだせなかったから、これでよかったと思う。票はほぼ同数。結果が出てからの記者発表で、維新側があまり悔しそうにしてなかったのが印象的だ。こういう拮抗しつつも、片方が勝利するのは、西洋では神の采配という。神の意志が働いている、とみなす。が、橋下氏の顔が十分に立つ結果だ。

 規模の経済がある。大阪市は財政規模が突出している。それが分割の根拠となる。
 しかし、大きいと大事業も行える。大阪市立大学や付属の医学部などは立派である。都市開発は最近、失敗続きで、行政の無駄とされた。が、財政力がないと、できないことは多々ある。小さな市町村では、いちいち国に伺いを立てなくてはいけない。大阪市だけが単独でできることがある。 分割しては、それもできなくなる。大阪都はそのあたりをどう解決するか、説明が不明確だった。

 私はOBで、大阪市立大学はどうなるのか? 市からの助成が減るのか、と心配したものだ。こういうOBが市役所では強いから、このあたりの配慮が足りなかったのが、難点だったかもしれない。

 大阪市の財政が厳しいのは、大阪に事業拠点を置きながら、東京に税を納める裏切り企業のせいだ。これら企業を狙い撃ちにして、大阪に本社を置くよう、制度を全国に先駆けて整えるのが大阪の復活につながる。それが、攻撃的な地方活性化の切り札だ。地方が潤う政治というものだ。それは東京一極集中の是正という大義もある。こちらを橋下氏は訴えていけばよかったと思うのだが。

 大阪の野党(維新以外の政党)が苦戦したのは、一重に演説力の差だ。特に、自民はいつもながら演説下手を通していた。橋本氏に勝つには、弁論を鍛えなくてはいけない。それを怠っては、支持団体への挨拶くらいしかできず、市民に訴えられない。いつまでも自民党は改善しないので、心配だ。今回は、かなり苦戦した大阪の非維新の政治家が貧弱だということは、全国に知れ渡った。

 都構想は大阪市にとって大損失だ。なぜなら、大阪府に決定権がうつると、大阪市以外の市町村に予算は配分される。大阪市の取り分は減る。それだけでも十分に説得力があったはずだ。私は大阪府を信用しない。大阪府は官僚の天下りと決まっていて、大阪市のことを考えずに、東京が決めたことを実行する役所だからだ。それは大阪市民の共通感覚だったはずだ。今回、そんなことも大勢の大阪市民が忘れていたことがはっきりしたのは、残念だった。それもうまく訴えられなずに、50%近くも支持を失ったのは、大阪の政治家(非維新)の貧困を見る思いだった。

 橋下氏は私は国政に出るのが一番よい、と思う。自分の政党をもち、とうに国政に進出している。ほとんど党首でもある。大阪で修練を積んだから、次は東京でその力を生かすのがよいだろう。私はずっとそう考えている。彼のやや乱暴な言葉使いは、俳句、和歌を覚え、感情表現を多彩にする技能を覚えたら、薄くなると思う。東京でも通じるだろう。彼は大阪での戦いが一段落した。今の仕事が終わったら、東京の難敵を相手に、活躍してほしいものだ。

 

 

大阪市民に都構想はなじまなかった 2015-5-19

 

 都構想はいまいち
 大阪都構想は、JRの三都めぐりのCMから来たと私は思っている。それは京都、大阪、奈良に観光にゆこうという広告である。
 私はあまり書かなかったが、終わったから態度は明確にしよう。大阪では、大阪府は政府の天下り先であまり信用されてない。だから、そういうところに一元化されるのは、大阪人の性に合わない。             大阪都は東京都の真似なので、大阪人は乗り気ではない。大阪はなんといっても、大阪市があるからこそ、活気がある。それが解体されると大阪は自主独立の基盤すら失う。大阪市は、最後の最後まで残さないといけない。

 しかし、都構想に賛成した人たちをみると、若者が多く、また繁華街が多い。大阪市民は何もわかってないようだ。大阪市の財源が一度、大阪府に集められると、それは大阪府全体に回る。大阪市だけに返ってくることはない。当然、いくら裕福な区でも、これまでの受け取り分は減る。町にまかれる諸々の補助金がなくなる。大阪市だけは、町内会の祭などには、いろいろ大阪市からお金が出る。そういうのは大阪府内の他の市町村にまったくないだろう。ともかく池田にはない。

 そんな財政に余裕がある大阪市だから行われてきたそんな補助は、ほとんどカットされる。大阪市は大阪都の一部になると、きっとこれまでの2/3、いや半分ももらえなくなるだろう。北区や中央区ですら。それらお金は、池田や豊中、羽曳野など周辺市の収入となる。大阪市のお金は、みんな周辺市に流れる。それが大阪都になったら、そう変わる。大阪市が享受してきた繁栄はますます減じる。

 大阪府が都になると、大阪市は必ず損をする。活気づくのは大阪市以外の周辺市である。大阪都構想は、大阪市の財政をぶんどるための周辺市の構想といえるだろう。だから、ここ池田などは、結構、期待していた節もある。大阪市分割の余波を受けて、財政がよくなることを。

 そんなわけで、迷った人が多かったが、却下したのは大阪市民の賢明な判断というか、大阪市民は自らの利益を守ったという意味あいが強い。

 

 都構想は私が理解しなかったものだ。どうやら、市町村再編の大きな流れの一つに位置づけられるようだ。が、今は地域は統合が進む。分割ではない。今回は巨大な都市が分割するという試みが失敗したということ。

 橋下氏は、その他でまた頑張ってほしい。彼は政治家をやめると言っているが、いつもの勢いだ。私には聞こえない。彼は引退するといっても、私よりわずか一つ年上。政治家にとっては年少だ。彼は、まだまだ若手であり、今後にこそ政治は楽しめるはずだからだ。彼は町弁だ。法律をいじくるのが仕事だった。都構想は区割りみたいなもので、彼の専門とは異なる。民法の改正ではない。彼は政治家となって、彼が得意な法律の改良に携わっていない。彼はこれからが始まりで、本当にやるべきことがある。

 法律家が政治家になって国政に進出した時、どういうタイプとなるか?

 オバマやヒラリーがその手である。演説はうまく、経済も立て直せる。橋下氏も演説は西日本では指折りだから、似ている。が、米国の者たちは剛腕ではない。対中政策で、強い態度に出られない。これは米国の弁護士の交渉スタイルに由来するのか、それとも民主党の情けなさからくるのかは、判然としないが。橋下氏には左翼には妥協しないようではある。そんなことを思いつつ、中央に彼が行ったときに、彼がどう一皮向けるか、興味がある。

 

バチカンの左傾外交は米国民主党のよう 2015-5-21

バチカンの左傾化
 バチカンの教皇フランシスコは中国のカトリック保護という名目のため、2015年にダライ・ラマとの会見を拒んだ。5/10に、キューバのラウル・カストロ評議長と会談。5/17にパレスチナ解放機構のPLOのマフムード・アッバス議長と話し、彼を平和の天使と呼んだ。アッバスはハマスのミサイル攻撃を黙認したようなテロ容認者だ。平和とはほど遠い人物に、なぜ平和という呼称をつけるのだろうか。バチカンの価値観が歪みつつある。

 まるで米国左翼のカーターを思い出すような外交だ。彼は北朝鮮に重水炉をプレゼントし、彼ではないかもしれないが、パレスチナのPLO、テロリスト上がりのアラファトをパレスチナの代表にすえた。またマンデラを南アフリカの大統領にして、治安最悪の国に貶めた。それら地域は現在も、破壊と混乱の地域となっている。南アフリカ最も危険な国の1つである。

 2015年になってからのフランシスコの外交は世界の混乱を助長するかのよう。世界のテロ達、神を認めない唯物論者たちを、カトリック信者と同等以上に認め、それら平和を乱す者の影響を世界に拡大する。これら元テロリスト・共産政党を認めることは、その地域の混乱を長引かせる。それを画策する現在のバチカン外交は重大な世界秩序の不安定要因となった。フランシスコに外交の修正を求める。

 なお、私としては手を打った。

 

 

新潮45 6月号の感想 太陽光発電の破たん 2015-5-23

新潮45 6月号の感想

 今回のメインは、『かくも怪しき「太陽光」バブル』 小林泰明。太陽光発電は、金融商品となっている。太陽光発電施設は、200平方メートル未満で区画売りされる。太陽光発電は1kwの買い取り破格の40円台に孫正義氏が引き上げた。菅氏が政治生命をかけて、固定価格にしてくれた。そのおかげで、20年間、業者はぼろ儲け。

 国民は家庭で年間1万円、彼らをもうけさせるため、太陽光に出費しなくてはいけない。電気を使う工場では何千万を太陽光に払うはめに。誰にか? 業者に、投資した資本家にだ。


 しかし、それも太陽光の電気の供給過剰で、綻びが出た。電力会社が買い取り制限をはじめた。それで、再生エネルギーの買い取り制度は破たん寸前という。およそそんなことをたんたんとレポートする。

 菅氏は、1家庭あたり年間1万円を太陽光発電に払う制度を残した。原発反対派は喜んで払うだろう。が、エネルギー代は消費税と同じく、全員が負うから、貧困世代にもそのつけは回る。電気を多く使う会社は、年間何十万、何千万と払うから、たまったものではない。しかもだ。誰にそのお金はゆくかといえば、太陽光発電でぼろ儲けする業者にだ。太陽光発電という新しいバブル市場の面々に。

 太陽光発電は制度設計を間違えたために、それは日本の負の側面に落ちた、という現実。反原発の代替として期待された太陽光発電も、資本の論理というより、人間の欲望により、過剰設備となり、発電過剰になった。電力会社はとうとう買い取らなくなった。それで余った太陽光設備は、金を生み出さなくなり、一寸先は闇という状況にさしかかった、という。

 私もなぜそんな高い買い取り価格にしたのか、と疑問に思った。金勘定は金銭感覚の鈍い東京では決めないほうがよいようだ。

 

 

民主党の選挙戦術を立て直す 2015-5-26

 
 先の衆議院選挙で大敗北した民主党。共産躍進を許したのは、民主党の失態である。それで、何を間違え、何が選挙戦術として正しかったか、を述べてみたい。選挙担当は少しは勉強してほしい。

 民主党は先の選挙で反安倍を主張した。与党を経験した政党として、責任ある反論を展開していた。舌鋒は鈍かった。なんでもかんでも反対という単なるアンチの共産に、それで遅れをとった。これは反論の要領が悪かったからだ。

 なんでもかんでも反対という連中に、正当かつ説得力のある論拠などない。反抗期の若者に、まともなことが言えないように。それを脱し、青年・書生となった民主党は、よりましなことが言えたはずである。しかし、与党経験も生かせず、国民からその主張は、支持されることはなかった。

 何が悪かったか?
 もっともひどかったのは、スキャンダル頼みだったことだ。政権の汚点を印象づけるだけで、自民に勝てるとふんだのは、選挙の素人のようだ。自民のほうがスキャンダルを使うのも、スキャンダル対策も上手である。それで差がつかない、もしくは劣勢に立たされる、と考えよう。そんな政治の脇ではなく、もっと政治家の根本的なもので、勝負しなくてはならない。自説なしに他を批判してはいけない。それはマニュフェストもない、低劣な「反対政党」がすることだ。日本では、自説がない人・政党は信頼されない。マニュフェストを作り直し、政策を堂々と提案して、国民から信頼される政党になることが大切である。

 政策の批判に説得力がなかった。与党の弱点はいくつかある。しかし、それをついに言えずじまいだった。選挙までに国民に浸透させてなかった。もちろん、柔軟な与党に、それだけで勝てることはないだろうが、まだしも共産の躍進を許すことはなかっただろう。

 

民主党が提示すべき政策とは?
 与党の弱点は書いておこう。全体的な政策の見取り図を示してないことだ。いつも政局は個別に分割される。全体的な見通しがない。安保法案に集中して、老人福祉の長期計画がない。また医療費増加の根拠をしっかりと国民に認識させていない。老人の医療・介護費のためだ、とはっきりと言っていない。

 これらを説明して、民主党が国民に納得させることが大事だ。なぜなら、大きな構想は先に提示した者勝ちだからだ。理想を掲げた者が、格好良く見える。正論を言う者が強い。しがらみをつきぬけて、正しいことを言える者は賞賛される。

 共産に集まる反自民票は、取り込むこと
 やらなければならいのは、共産と似たようなことを言う左派議員を活躍させること。すると、共産よりもましなことが言えたら、あんな不気味な政党に関わりたくない人が多いから、共産に向かった票を民主が取り戻せる。

 自民の小泉氏は、反原発票を取り込んだ。民主党は党内の左派に、反戦平和や反原発、格差・貧困問題、自虐教育肯定派(反道徳教育)で、共産とあまり違わない極論を言わせる。もちろん党の主流としての立場ではなく、民主党の隅っこで言わせる。すると、一部左翼メディアは、そういうはぐれの立ち位置でも、反安倍ということで注目してくれる。すると、旧社会党の支持者もそれに気づき、民主党に期待して、支持が戻ってくるかもしれない。共産に流れた票を取り戻せるはずだ。

 枝野氏は、共産過激派との関わりが疑惑となったし、今は、その役割のようだが、もっと積極的に行う。民主党にはそんな左派人材はいるが、最近は黙りすぎだ。

 もちろん、これは、単に、共産拡大阻止のための戦術である。自虐史観、反道徳や武力なしの平和など社会秩序を乱す危うい考えを、広めるものではない。民主党の大勢もそれはいやだろう。しかし、共産と対抗させるためには、一時的に必要だ。

 そうやって、醜い者たちのつぶしあいを仕掛ける。共産党が共産過激派と派手に内ゲバすると、国民が両者にそっぽを向く。それが大切だ。共産への期待をそうやって消失させる。若干違うが、イメージとしては、あの橋下氏と桜井氏が「お前」と言い合った罵倒会見を思い出そう。あの要領だ。あの後、橋下氏は都構想で持ち直しているし、善人なら評判は戻る。

 

 共産叩きをメディアで展開する
 共産叩きの本をようやく最近みかけた。それは民主党支持者の本だった。だが、少ない。作戦も不十分だ。共産党批判は週刊誌、日刊紙に書くこと。本は知識人しか読まない。共産を支持するのは、難しいことはわからない大人だ。目先のイメージにすぐ心が揺れる貧困層だ。それをターゲットにする。彼らが読むのは、日刊紙、タブロイドで、スポーツ紙だ。そこに反共をたくさん流すのが、正解だ。ゲンダイは民主党支持が明確なので、特に反共を頑張ってほしいものだ。左に煽った成果がすべて共産にもっていかれている。その反省をしよう。民主党は資金と支持層にものを言わせて、大掛かりに共産を直に叩くしかない。それをしても自民の支持層の厚さにはかなわないが、共産相手には勝てる。

 どのように共産批判するか
 日本共産党は戦後危険だった、という古いネタも必要だ。吉田茂のレッドパージについて、共産の危険性を明示しながら、書き立てる。しかし、ほとんどは新しいネタでいきたい。スキャンダルの少ない共産党だが、ネタは山ほどある。探せばある。離党した党員に集団ストーカーをした本はあるし、脱党した議員もいる。新しいネタで勝負したほうが効果的だ。

 

 「自己犠牲」で党員はノルマがあり、安い給料で働かさせられる。ブラック政党の実態は、世間は知らないから、それを伝えるものが必要だ。それらを日刊紙で行い、反共キャンペーンを何年も継続的に行う。彼ら共産の議員が消えるまでずっと。共産議員が一人増えることは民主党議員が一人減ることを忘れてはいけない。

 

 共産党の公約を徹底的に批判する
  共産の公約を白日の元にさらし、批判する。結局、政党は公約への期待が、支持率に現れる。どんなに表面のイメージが悪くても、公約が腐っていなければ、嵐が去ったあとに、その党は立ち直れる。共産の公約を徹底批判して、まったく期待できないマニュフェストことを明らかにする。そこに貧困者たちの希望がまったくいかないように。嘘っぱちの擬物の公約の共産、と人々が思うようになったらしめたもの。そんな公約を掲げる政党には、人は期待しなくなる。弱小政党だからといっても、やはり批判は完全にやらなくてはいけない。共産が侮れないならば。

 まとめ
 民主党は、1、自民が言わないような社会福祉面重視の長期プランを立てて、マニュフェストを作り直す。それで社会保障の方向性を示し、支持を得る。また反共キャンペーンは、2、週刊紙と日刊紙で、共産の支持に傾きやすい貧困層や大衆をターゲットにして行う。3、反共ネタは新しい話題でゆく。それで共産支持を崩す。4、共産と似たような主張をする人を登場させ、共産に流れた票を取り戻す。5、共産の公約を徹底的に批判する。このように変更したら、少しは支持も戻ってくるだろう。

 私は民主党を支持することはないが、一番好きな政治家は菅直人氏である。共産つぶしは私の悲願だ。民主党の伸長に関わることなので、彼らの関心を引くだろうと思い提案する。

 

 

維新の党の今後  2015-5-27

 維新の戦略

 橋下氏の政党である。彼は保守で、安全保障の整備に賛成のようだ。私は維新が、将来、自民の右側にしっかりと立って、行政改革を進める若い力となることを願っている。現在、どこまでその潜在性があるだろうか。

 橋下氏の個性ばかりに目がゆく。彼は乱暴な言葉で目立つ癖がある。彼がやわらかい言葉を使えば、政治家としての政策、方針などがより強調されるだろう。政党のイメージが落ち着く。個人としてよりも、政党としての影響力が大きくなりつつある昨今、しだいに彼のパフォーマンスは目立たなくなる。すると、政党としての本分が問われるだろう。早くそうなって成熟した政党に変貌してほしい。

 都構想は今回は負けたが、何度もすれば、いつかは大阪都になる可能性はある。若者が支持しており、反対は老人と貧しい区民だけだから。時間がたてば、老人は減り、支持者の若者がさらに増える。都構想は実現するだろう。今回負けたからといって、虎の首をとったかのように喜ぶ巨人のような浅ましい根性は、毎日新聞の社説にあったが、見苦しい。次は何年後かはわからないが、負けるのが確実視できたのだから。私は都構想にまだ反対だが、反対派の勝利の熱狂は、あの結果では、風前の灯火なのだ。私は維新を評価していることはお忘れなく。

 維新の綱領を読んだ。目標とするところは、「より効率的で、自律分散型の統治機構を確立すること」だ。そして、保守的なスタイルで、「旧き良き伝統を守りながら、因習と既得権益を打破」することだ。外交は「法の支配、自由と民主主義の価値を共有する諸国と連帯し、平和の増進に貢献する」。野党としては、「保守VSリベラル」を超えて改革勢力を結集する。

 維新の公約は 1、社会制度は効率的なものに変える。2、改革は共産のように急進的ではなく、伝統を踏まえるが、改革を妨害する既得権益は顧みない。3、自由主義陣営の政党である 4、野党としては政策ごとに連携する、という。私には、問題がない日本のコンサバティブの政党にみえる。

 インターネットに公約の羅列しかない。事細かに説明してほしいものだ。それがあると、深みが出る。

 過去に発表したマニュフェストがある。それを毎年発表して、党の方針を明示することが必要である。自民党は、政府の方針として、安倍首相が選挙のたびに正式発表する。そのため、自民党の方針は周知される。このように、発表する機会はもつべきだろう。

 維新の党のサイトに、党の政策が書かれていた。1、憲法改正 2、規制改革 3、原発から自然エネルギーへの移行、4、集団的自衛権 5、少子高齢化 6、教育改革 7、復興とある。一つずつはよく読むと、新しい制度が具体的に示されている。会計制度、道州制などなど。

 マニュフェストは、民主党並みに事細かにあり、民主党のような放漫型ではなく、より財政規律に厳しい。当然、共産のようにそれを実施したら、(時給上げ、福祉増大など国民全体へのバラマキだけが書かれ、) 財政破たんをもたらすようなひどい代物でもない。なかなかしっかりしている。特徴は大阪人らしく、お金の使い道には厳しく、人の管理、社会制度は、しっかりしたものが多い。

 マニュフェストの分類はよくない。税の話があちこちに分散する。税、社会保障、企業・産業政策(会計制度、農業)、行政改革(天下り、独立法人)、公共事業、地域行政などで、整理しないと。

 集団的自衛権は、日米同盟の堅持、防衛力を強化、法整備などある。これは自民のように集団安保と安全保障の発展を目指すものではなく、現状の日本の問題を是正するもの。自民よりもおとなしい。もっとつきつめた提案(現実の制度として何が必要かを特定して、そのまま制度として使えるもの)がほしいところでもある。国際問題についての維新の認識がほしいところだ。

 維新は、小さな政府をめざし、財政の支出は減らすようだ。これは自民の大きな政府とは異なる方針だ。財政健全化について、大阪なので、政府のともどもない借金行政を憂いてのことだろう。私もかってはそうだった。

 しかし、自民の主張もある。借金を減らすウルトラCがある。日銀の国債買い取りのことだ。だから、膨大な借金は消せる。また緊縮財政は、国家経済を悪化させる。我慢して暮らす国となるか、借金してでも豊かな暮らしをするか。しかも、その借金は自分の手で消せるのだ。どちらがよいか、という問題で、自民は国家の繁栄をとった。

 維新がこれら自民の経済政策を理解しないと、自民と与党を組んだ時に、軋轢が生じることが予想できる。今後の課題である。

 政策は羅列で示すだけでは不十分だ。それぞれについて、論拠を細かに示すことが必要である。ネット上では、それは可能だ。それによって、政策を周知させることができる。それらを示して、学者や知識人をなどを説得する。

 また庶民に向けたものとして、わかりやすいアピールも必要だろう。そういうページもほしいところだ。

 代表を松野氏に変えたのは、今は老兵を使う時なのだ。なぜなら、大震災が近いのだから。大事な議員はとっておく。ドタバタではない。うまいタイミングで降りたのである。

 維新は、まだまだ伸びる。だが、橋下氏の才能にあまりに頼り過ぎると、彼がいなくなった時のことが心配だ。それは先だろうが、それまでに才能は養っておかなくてはならない。

 

 維新は総じて、期待できる政党である。

 

放送法は改正しよう  2015-5-29

 放送法は改正しよう
 NHKの朝イチが左傾化した件。沖縄の左翼人脈のVTRを5/26-27と2日続けて見せられた。それらビデオは以前見たことに気づいた。再放送と思う。左翼がかっていて、ひどいなと思ったものだ。朝からそんな偏向番組を繰り返すなよ。手抜きかな。2日も流すとは、あのアナとスタッフは左遷だな。会長の剛腕を期待する。

 放送法では、政治的に公正な内容にしなくてはいけない、という。それを根拠に、左翼番組は違法と訴えることができる。しかし、それは放送規制だ。言論の自由に反する。日本放送協会を除いた民間の放送局は。インターネットで、自由に放送できる時代だ。だから、放送法は時代にあわせて、改正すべきだろう。

 放送法を改正して、放送内容に何か規制を減らすのがよい。すると、報道はさらに自由になる。


 民間のテレビ局が左傾がかっていても、右でも、それがウリなのはよい。言論の自由だ。それを公正中立そうな顔をして、放送するからもめる。放送法を改正して、公正中立でなくても可としよう。

 

 インターネットに特定の主義主張の放送はいくらでもある。正直に、左傾放送だと報道ステーションなどは言って放送する時代に変えればよい。もちろん、極端な共産イデオロギーシンパの時代錯誤な偏向番組はだんだんと全共闘世代の死、共産国の壊滅とともに、なくなるのではあるが。

 

 またNHKは国営放送にしたらよい。すると極端に左傾化した番組を放送するなどもっての他と、誰もがわかりやすく認識できる。

 

 放送法は改正しよう。

 

 

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