論考 2018年 9-10月

 

 

トランプ大統領はナヴァロ・ドクトリンで、中国の貿易などの規制を撤廃できるか? 2018-09-30

 

中国の貿易不正を、ピーター・ナヴァロ教授がまとめた。


● 知的財産権の侵害
● 国内市場へのアクセスを交換条件とした外国企業に対する技術移転強要
● 高い関税障壁(例えば自動車関税はアメリカの十倍)
● 外国企業に厄介な事業免許要件や出資比率規制を課す
● 国有企業や政府が資金支援する企業に土地や資本を助成
● 国内企業に対する無数の輸出補助金や寛大な税制優遇措置
● 為替介入による為替レート調整
● 政府系ファンドの活用
『ナヴァロ・ドクトリン』(新世紀のビッグブラザー)より」

 自国を有利にするために、これだけの施策をずるく行う中国が、自由貿易とは片腹痛い。まず、高い関税障壁だけで、自由貿易の推進者とはみなせないのだ。私が、大学で学んだ頃には、元を外貨に交換することを制限して、利益を中国外に持ち出せない、ときいた。そこはどうなったのだろう。いまだに、中国は自国民が外貨に変える額を制限している。最近、観光客に持ち出しを制限したように。

 このように、かなり国が貿易を管理する。中国は自由貿易をしているとはいえない。トランプ大統領の圧力で、これら中国の規制を撤廃させることに成功したら、解放され、人権以外で少し経済が自由になるのではないか?


『文大統領「終戦宣言は政治的宣言、いつでも取り消し可能」』(朝鮮日報)
 フォックスニュースとのインタビューで出た言葉。終戦宣言は外国との協定。取り消しなどはそう簡単にできない。一旦取り消すときは、宣戦布告という重大なことをしなくてはいけないからだ。だから、米国は慎重になる。日本との協定を破ることが常態化した韓国。国際条約の重さを理解していない。こんな人の欺瞞は、韓国内部でも通用しない。 台湾の孔子ドラマで『小人』を知った(策略でもって事をなす、)が、文はそのものである。

『トランプ大統領、愛国を強調 再び共産主義批判=国連演説』(大紀元)
彼は、反共をとなえた。男だ。

 

 

新潮45 休館 2018-09-26

 

 新潮45が休刊となった。「ゲイとレズのカップルには生産性がない」から喫緊の課題の少子化よりも多く語られるのはおかしい、という杉田氏の問題提起から始まった狂想曲。とうとうこんな結末に。社員がツイッターでその雑誌に文句をつけ、反乱するなど、おかしな動きがあった。ニュース23も調子に乗って、新号のLGBTを痴漢と比べた論文を非難していた。社長が不必要な謝罪をするなども、変だった。

 編集部は発行部数が落ちてから、本をよく買ってくれる右派が関心をもつテーマに変えた。そこまではよかった。左傾化していたかつての新潮45などはひどく、読むに耐えなかった。が、編集でミスがあり、差別的表現と左翼の集中砲火を浴びるようなものを2度掲載した。結果、休刊に追い込まれた。ここが悪かった。

 明らかにおかしい。8月号の大炎上に懲りて、今回は慎重に批判の元をつまなくてはならない。それをしっかり行ったはずの10月号で、またもや左翼に差別とか安易に批判されるような箇所を掲載するに至った。それは、単純な過失のようにはみえないのだ。

 10月号の杉田氏を擁護する論文、「LGBTと「生産性」の意味/藤岡信勝」を私は立ち読みして読んだが、子作りすることを生産性というのは上野千鶴子も使った言い回しで、マルクス主義に由来する考え方と説明されていた。左翼への反論に対しては、よく出来ていた。

 その次がふたたびの問題表現と指摘された 「政治は「生きづらさ」という主観を救えない」小川榮太郎氏の論文だ。私は読んでない。が、LGBTと痴漢を同列にしたと読めるなど、粗雑で批判を招くものだった。編集上の失敗というか、担当が何をやっていたのか、という話である。

 炎上商法でわざと過激な表現にする。それは構わない。が、藤岡氏の反論がよくできていたために、質が低いものが隣にあったことにいっそう疑問が残る。社員は出版社にわざとダメージを与えるなどふつうしない。が、ツイッターで編集に反旗を翻した社員がいただけに、ありえない想像だが、編集員が右派寄りの企画を失敗させるべく、問題表現を残したのではないか、とまで勘ぐってしまった。それらすべてをチェックするのが編集長だが、なぜ目が行き届かなかったのだろうか。

この編集部は混乱している。立て直さないと、再刊する気になれないだろう。いったん休刊にしたのは、仕方がない。

 売れる週刊誌の作り方

 

  労働組合の不祥事か、それ絡みの(政治家)のスキャンダルを告発する。その号はすぐに店頭からなくなる。探すのに苦労する。大阪でいえば、労組の支持が特に強いといえば… 京都では…? こんなの常識だよな。最近、なぜしない? 部数をあげるにはこちらをきっちり入れないと。右派の読者に売りたくなければ、労組に売ればよいのだ。AKBのように大量買いの客筋を一定数はもたないと。

 

 

 雑誌「世界10月号」を批判 - 中国の問題点を書かないと…2018-09-21

 

 左翼の大御所、雑誌「世界」。大手の本屋でもみかけなくなったが、川西図書館においてあった。以前、この本の左翼の戦略を練習がてら批判していた。久しぶりに読んだ。冒頭の写真。密林の中のコロンビアの左翼ゲリラか軍のテント。下着姿の女性兵士などエロい。機関銃をもった女性兵士が密林に立つ。チェ・ゲバラに憧れる全共闘らしい妄想の開陳。

「トランプの貿易戦争」(内田聖子)
 中国と民主党の主張のまる写し。アメリカの保護主義を非難する。この論文は中国の不正を説明しない。結果、トランプ大統領が中国に厳しく対処する理由がみえてこない。通信で情報を盗む。為替操作、中国の過度な保護主義に対する警告なのだということが、隠される。チベットやウィグルの弾圧(収容所、臓器販売)などの人権侵害で、それだけでも十分に経済制裁に値する。それらを改善しないと、自由貿易をする仲間に入れないのだ。このあたりのトランプ氏の主張を紹介すべきであった。アメリカが中国に何をしようとしているか。その狙いを知らないとこれから起きることが予想できない。

「歪められた地震予測」
政府の委員会の中の話。津波の想定が低めになった経緯の説明など。多数が知っても、どうかな。地震の被害想定は、正確に。

「右派論壇の流通構造とメディアの責任」
 右派の書物が売れている。大衆に支持される。左派は朝日新聞も従軍慰安婦のフェイクニュースなどで売上は低下。雑誌「世界」も売れてないはずだ。書店でみかけないから。そこに苛ついてるようだ。

 彼は右派に思想性や言論がないという。彼は、右派のやっていることは「逆張り」と「反動」で思想はない、とみなす。左派はなんでも反対。彼は、右派も同じように「逆張り」をしていると思ったのだろう。何もわかってないようだ。

 右派の主張を執筆者を読んでないのだろう。もしくは、読んでも理解できなかったのか。いや、左派の思想が間違っていたことを、認めたくないのか、いずれかだろう。歴史事実の検証では、左翼の歴史認識が、朝日の慰安婦のように一つずつ虚偽だと明らかにされている。左翼は事実性で否定され、人々が受け入れなくなったのだ。

 経済政策では、アベノミクスは成功して、日本経済を取り戻した。超円高で大手電器企業を倒産間近に追い込み、失業率をあげ、日本空洞化を促進させた民主党の完敗である。左派の経済論などクズ同然。右派のそれはアベノミクスのように見事だ。円安にして、電器産業を立て直し、経済を活性化した。その過程で、国債も日銀に買わせ、帳消しにして借金大国の危機をだいぶ乗り切った。右派は有能な経済政策を主張するため、左翼の経済論が陳腐にみえてしょうがないのだ。それで支持されない。逆張りみたいな安易な発想では、経済は動かせない。

 共産主義は、自由主義に思想で負けている。共産主義は1990年に破綻。自由主義の制度が優れていたのは明々白々。自由主義がより正しく、残ったのだ。これらが右派の思想である。右派は、左翼のように反対を唱えることは、ほとんどしない。逆張りなどしない。例外は、左翼がそういうから、それは間違っているという言い方だ。しかし、それは右派の理論ではない。どの意見が誤りかを見分ける簡単な判定法として、よく知られているものだ。

 左派は、社会論、つまり社会思想で誤りだったことを早く認めるべきである。右派は思想の優越によって、左派を引き離した。それが現在の右派の書物の大売れをもたらす。左派の書物がどんどん陳腐にみえるようになり、買われなくなったのは、一重に、思想差が歴然としたからだ。理由があるのだ。

 

 「ヘイト」と「差別」、「民族主義」というレッテル貼りで、右派を非難する。右派の本質を見てなく、ありきたりなものが占める。それ以上のものがなく、たいへん残念な代物。彼は右派の本が売れることに嫉妬する。その右派が大衆に支持されることを妨害するために、『不買運動』を提起する。スポンサーにちくることも。それらは元来、右派がとなえた手法である。結局、彼は、右派のやり方がよいから、左派をぱくるつもりのようだ。右派は思想がより大勢に受け入れられるだけでなく、より効果的な運動もしていた。

 いや、右派の書物の不買運動をしたら、左派に売上が戻る、とこの方は考えたのだろうか? また左派が大衆を洗脳できる、と。それはないのだ。左派の書物は売り物として、現代日本人の大多数が要求する質を満たさないからだ。左派書物は売れないのである。

  つまり、人々は右派の本を買うなと言われると、読む書物がなくなる。結果、日本人は知性の低下を招く。そして、左派並になる。共産主義の悪さも簡単に見抜けないほどの迷妄の中に落ちる。それは、50年前の社会的な混乱に戻すようなことだ。人々は退化をいやがるだろう。真実を訴える書物(右派のそれ)について不買運動は、大衆に広まらない。人々に受け入れられない。もし強要するなら、それは焚書に似た状況を招く。共産国が言論の自由を禁止して、資本主義の書物の販売も購入も禁止する。国民はそのようにして、自由が奪われる。

 

 

 「私たち日本人」はトキが自由に飛び回る夢を見るか 早川タダノリ 2018-09-21

 

 絶滅したトキが再び日本の空を飛び回る。その繁殖活動のレポートと思いきや、道徳教材へのいちゃもんだった。
 男女の友情を考えさせる教材は、男子中学生目線。女子生徒にはふさわしくないようだ。

 「日本すごい」と日本美化をする教材では、偉人をとりあげる。執筆者は、愛国美談という。が、列挙された事例は台湾ダム建設、シベリア捕虜が建設したロシアの美術館、和歌山のトルコ船沈没、ユダヤ人にビザを発行した杉原の話。愛国心の模範ではない。目前の困った人を救った話だ。愛国は的外れだった。左翼の旧来の道徳批判をしたつもりの彼は、誤りを犯した。

 「心の中の邪なものを浄化する」という教材に、彼は震撼する。自己啓発セミナーのようだと。だが、仏教では自分の心の中の欲望を抑えるなど、ごくごくありきたりなもの。実験的な心理プログラムでない。問題はない。これに強く反応したことから、心の浄化をしろと言われることが、世界の読者や左翼には特にこたえるものだと判明した。それを自覚しているのではないのか?

 「私たち日本人はたくさんのトキが空を飛ぶ夢をみるのはどうして」(こんな内容) この一文に彼はかみつく。「私たち日本人」となぜ全員がそれを心配しなくてはいけないのか、と。彼は「そんなこと知らんがな」という。
 言いたいことはわかる。左翼の過激な沖縄の基地反対闘争。なぜ「オール沖縄」で、沖縄県民が全員その運動に賛同して、強要されなくてはならないのか、という疑問と同じだ。夢は強制してはいけない。日教組の反日教育の洗脳のように。確かに、日本の道徳教育では、個人主義的な面が弱く、個人が自由な意見をもつことを、推奨しないきらいはある。

 この論文は肝心なものも欠けていた。まずは、道徳が今強調される理由をおさらいすべきだった。いじめが蔓延したこと。彼らは友情も知らず、正義感もなく、卑怯なことをして、思いやりもない。切れる若者もいる。それは忍耐や持続力がないのだ。子供達の倫理が低下したからだ。学級崩壊が止まらない。道徳は、日本人の子どもたちの低下した人間性を引き上げる。また道徳は学校の混乱を直接に防ぐ手立てなのだ。そういう社会の要請のもとに、道徳は始まったのだ。

 

 左翼が言うように、誰か一人(安倍首相)の思い入れで、教育行政が大きく変わることはないのだ。道徳が必要なのは、日本社会は道徳こそが子供や大人の倫理観の喪失という社会問題を解決する答えだと認識しているのだ。全共闘のこういう初歩的な勘違いは正しておくべきだったろう。

 彼の論文には、軍国主義の復活という現在の道徳教育の実態にそぐわない批判がなかったのが、一つ進歩である。さすがに現在の道徳には、軍神や軍人の心得などはどこにも出てこない。そういう的外れなものへのものがなかったのは、妥当。

 今月の「世界」は新しい観点がなく、旧来の更新でしかなかった。繰り返し聞いたレコードが擦り切れたようにさらに劣化していた。海外の論文を掲載した頃は、左翼の理論に一定の発展がみられたが、行き詰まり突き当たったようだ。末期的である。あいかわらず、扇動しかない。

 

 

 知事選で負けたら、オール沖縄はオチール沖縄に。そして、オワール沖縄へ。 2018-09-19

 

うザッツ オール沖縄 (That's All Okinawa.)

 オール沖縄は、左翼の集まり。扇動ばかりのアオール沖縄がオールグ沖縄している。最近は、老けた全共闘の白髪ばかりで、オールド沖縄。どんどんオイール沖縄。活動家の頭に巻いた汗臭いタオール沖縄。最近は選挙に勝てない。今は、オチール沖縄。知事選も負けたら、心オレール沖縄はついにオワール沖縄に。まもなく。

(注、私は思いつきで書きましたが、似たような言い回しはたくさんあります。まとめて、つなげたようなものに仕上がりました。)

『新疆、大量拘束で「空っぽ」になる村 300万人以上に「再教育」か=人権団体』(大紀元)
 近年、中共のウィグルでの弾圧は大規模に行われるようになった。

『聖書を燃やす、教会取り壊し、信仰放棄強要…中国当局による宗教弾圧厳しさ増す』(大紀元)
バチカンはどうして、中共と手を結ぼうとするのか? 社会主義者のフランシスコは早く考えを改めるべきだ。彼が改心するまで、中国の本当の信者が悲しい目にあう。彼のせいで。彼は教会を共産国から守らなくてはいけないのに、カトリック教会の共産による統治を認めた。それは、実質、信者を弾圧するに等しい。

 ラマ教に、中国の擁立したパンチェンという例がある。その後、弾圧は何も止まらなかった。中共のカトリック弾圧はこれで止まることはなく、わずかな保護--共産シンパのカトリック信者が守られ、大きな顔をする--しか得られないだろう。

『女性限定でAV観賞、みんなで語る「性」 佐賀の映画館』(朝日新聞 9/8 杉浦奈実)
 アダルトビデオの出演強要を議論するために、40人の女性がそれを鑑賞。見たのはピンク映画のダイジエスト版とメイキングなどらしい。「爽快だね。これだけ大勢の女性が一緒にAVを見るって、日本初ですよ。新たな扉を開いてくれた」と感想がある。朝日新聞は、AVをみんなで鑑賞して、考察することを新しい時代の動きとして評価する。
 あの業界の非道徳な労働慣行を是正しようとする点は感心する。が、女性たちがそんな低劣なものを長々と鑑賞する必要はない。要点の報告を聞くだけでよい。研究会にかこつけたAV鑑賞のようだ。
 佐賀はAV制作が盛んではない。隣県、福岡の風俗業界での性病の蔓延。それを心配をしなくてはいけないエリアだ。喫緊の課題としてずれている。

『【コラム】韓国、日米の経済政策もちょっと盗んでこい』(中央日報)
 日本のものを盗む時も、そんな軽い気持ちだったわけ?

 左翼政権には、アベノミクスは高度すぎて、とてもまるできない。無理な注文だ。文在寅のやってるいことは、労組という利権団体を優遇して、その他のライバルの若手やパート・アルバイトをいじめること。あとは、北朝鮮様を何かしら厚遇すること。アメリカの圧力では北への支援は表立ってできてないが。労組富んで、国滅ぶ。そこへまっしぐら。
 労組と対立する経営者や企業、産業の利益=国の経済のことなどこれっぽっちも考えない文在寅。経営者を優遇すると、彼の支持層である労組が貧しくなる。彼はそんな韓国左翼に反旗を翻すことはできない。

 こんな、少数利権にとらわれた政権に、国の経済を立て直してくれ、というのは無理だ。国富を食いつぶして、労組に分配するのが彼の仕事だからだ。それは順調にうまくやっている彼は労組にとっては有能な大統領だ。が、国家経済(国民一般)にとっては、最悪の大統領だろう。

 

 

 国連本部のサイトになぜ日本語がない? 分担金は第3位だが、軽んじられている。 2018-09-05

 

国連のあの偏見に満ちた人種差別撤廃委員会について、8/30に公表した対日審査報告書を調べたが、国連本部のに、みつからない。英語、イスラム語、中国語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語はある。が、日本語のサイトがない。おかしい。

 国連は、第三の出資国の日本の日本語のサイトを作るべきである。国際連合広報センターみたいなしょぼいのは論外だ。それを作らないなら、拠出金を出さなくてよい。これまで日本人の国連職員は、日本が軽んじてられても平気か? なぜ、日本語のサイトを今まで作らせなかった。あーいうところは力、つまり、世界での影響力とカネ、出資者のカネの配分で決まるのだ。人口ではない。

外務省はさぼりまくっていたのが、ここにも現れた。本当に、不便だ。こんなのでは、日本人が地球的な視野をもてない。日本人の国際意識を高めることはとうていかなわない。

資料 外務省の国連対応 

 

 

国連人種差別撤廃委員会が事実誤認。在日コリアンが何世代にもわたり「地方参政権もなく、国家公務員の管理職などに就けない」と報告書に記載 2018-09-03

 

 

国連人種差別撤廃委員会が事実誤認。在日コリアンが何世代にもわたり「地方参政権もなく、国家公務員の管理職などに就けない」と報告書に記載

「国連人種差別撤廃委員会が30日公表した対日審査報告書は、在日コリアンが何世代にもわたり「地方参政権もなく、国家公務員の管理職などに就けない」差別的な状態にあることに懸念を表明」(共同通信)

 国連人種差別の委員は在日コリアンの何世かが一様に、差別的な待遇を受けていると主張する。いくら情報操作にひっかかりやすく、ぼーっと生きている国連の委員でも、どの国家においても外国人に参政権を与えることはデリケートな問題なので、そうしろとは言わない。

( あるサイトでは、国籍をもたない在日韓国人も含めてという話となっている。まさか、国連がそこまでおちぶれたとは。いや、この委員会の委員がそこまで内政というものに音痴なのか。もし、そうなら、下記の論考は、的はずれである。だが、国会議員になった在日もいることを、国連の人種差別撤廃委員に強く訴える案は、必要不可欠である。在日が差別されていない証左となる。 9/4 追加)

 彼らが問題としてるのは、在日の2-4世は当然、日本国籍なのに、先祖がコリアンだからという理由で、参政権も上級公務員にもなれないということだ。彼らは、子や孫の世代の朝鮮人が日本人国籍を取得しても、在日という理由で日本政府が諸々の差別を行う。そう勘違いしたのではないか?

 もしこの記事の内容が正しいならば、国連の委員会の人間は、かなりの調査不足だ。事実誤認をしている。まず、真実はこうだ。何世代もわたる在日コリアンは、日本国籍となっており、地方参政権もあり、国家公務員の管理職に就ける。白 眞勳、福山哲郎などは在日コリアンだが、国会議員になった。

 だが、方や日本籍になることを嫌い、韓国籍、北朝鮮籍(こちらははっきりと知らない)を選択する者もいる。彼らには投票権も政治家に立候補する権利もない。日本国籍ではないので、日本の公務員で管理職にはつけない。彼らは、日本ではなく、韓国の参政権を得る。韓国の役人にはなれるはずだ。この前の韓国の大統領選挙で投票したことだろう。

 国連のこの委員会は、後者の韓国籍や北朝鮮籍のことを、すべて在日の境遇と誤解して、勧告したに違いない。そうでなければ、こんな単純な間違いも改めていない提言をよこすはずがない。国連委員会はいい加減な調査の報告を信じて、日本に誤った勧告をしたといえる。

 日本では外人に参政権はない。在日コリアンというが、年齢に達すると、日本籍と韓国籍は選べる。韓国、北朝鮮籍をとった者は、その国の参政権がもてる。日本籍をとった者には、日本人と同じように扱い差別していない。投票権はあり、国会議員になった在日もいる。これほど寛容で公平な日本では、当然、公務員の上級管理職をえらぶ時に、在日何世かを判定しないはずだ。そういう話は聞いたことがない。

 だから、国連委員の認識は、決定的に間違いだ。「地方参政権もなく、国家公務員の管理職などに就けない」は事実誤認も甚だしい。日本政府は、国連委員の基本的な事実の認識ミスを丁寧に説明してあげるべきだ。彼らは顔を赤らめて、勧告を一部、取り下げるだろう。

 反論としては、「白 眞勳、福山哲郎などは在日コリアンだが、国会議員になった。在日は国籍、日本か韓国(北朝鮮は不明)かを自由に選べる。日本国籍をもつなら、在日コリアンは日本人と区別されない。投票もできる。地方の職員にもなれる。

 が、外国籍をもつコリアンは議員になれないし、投票権もない。韓国籍をとる者は韓国の参政権がえられる。日本は国民を差別しない国だ。」で足りる。国会議員になった在日もいるという記憶は強く残る。それを聞いたそこの委員は、そんなことも知らずに勧告して、大恥をかいたことに気づくだろう。二度と勘違いなことは言わなくなるだろう。

 

 

 韓国は北朝鮮と鉄道をつなげ、北に観光に簡単にいけるようにしよう 2018-10-19

 

『北朝鮮と韓国、鉄道連結の共同調査で合意』(共同通信)
 北の国境の壁が高すぎる。韓国の鉄道が北朝鮮に乗り入れることは、私は大賛成。自由主義国の文化に北の民衆が直接、接することができる。 文在寅が、制裁を無視して勝手に始めたことだ。が、これは北の政権倒壊の足がかりになる。将来のためになるので、悪くはない。

 

  早く、ソウルから直接、北に通じる鉄道を敷いてもらいたい。北に観光でゆけるようにしよう。韓国の先進文化が大量に流入すると、北の民衆の不満はこの上なく、高まる。体制の変革につながる。

  また38度の軍事境界線の地帯の地雷除去を南北で合意した。これも、統一の時に役立つ。南北交流のためには不可欠。工作員を除き、大衆が北から南へ、南から北に自由に行き来できるようになればよい。悪いことではない。北が韓国を侵攻しないと、見切ったのだろう。北への制裁は維持しろ。

『文大統領、マクロン大統領に「北朝鮮制裁の緩和に力を貸してほしい」』(中央日報)
 先日、文は北が制裁でもたないと発言したと記事にあった。つまり、制裁の効果が出ているとその成功を喜んだはずなのだ。それが事実なら、北はこちらの要求を受け入れざるをえないだろう。このまま制裁を推し進めよう、と継続に自信を深めた、という話かと思っていたら、違った。やはりこの男は狂っている。
 せっかく効果が出てきたと自ら発言しながら、制裁を弱めると言い出した。制裁の意味もわからないのか、文は。制裁で北がもたないなら、助けると? 違う違う。こちらの要求を受け入れさせる状況になったのだ。あと一歩なのではないのか? 制裁で、北の体制がつぶれることが、狙いだろ? 北はそれを避けるために自ら変革して、非核化させる。韓国は、それを目標にして制裁してきたのではなかったのか?


『「職業訓練だ」中国、新疆ウイグルの収容施設を合法化』(大紀元)
 日本の刑務所でも職業訓練する。弾圧して、牢獄で家具職人の技能でも教えるのかな? そんなわけないだろう。牢獄では強制労働もさせられる、ということだ。

 

 

ローマ法王の訪朝は唯物論者と迎合するだけ 2018-10-19

 

『ローマ法王の訪朝は「実現可能な夢」=韓国司教』(大紀元)

「韓国の兪興植(ユ・フンシク)カトリック司教は11日、ローマ法王フランシスコの北朝鮮訪問は「実現可能な夢」であり、朝鮮半島和平に向けた大きな一歩になるとの考えを示した。」
「ただ、人道関連活動で訪朝の経験を持つ同司教は、北朝鮮にはカトリック司祭がおらず、宗教の自由が必要と指摘」

 布教のためにしか国に寄らない教皇を政治利用するつもりの韓国司教。教皇は信者の要請で、国をまわる。北の収容所にいるカトリック信者を慰めにゆくのだろうか? 宗教を否定する共産国のトップに招かれて、布教にでかけるのは現教皇の悪い癖で、ほんと、神から離れている。共産主義者に神の教えを諭すのは、無駄な試みである。まもなく大きなしっぺ返しを喰らい、彼は辞めるか、改めるだろう。

『【萬物相】ローマ法王が平壌に行くとすれば』(朝鮮日報)
 韓国式のレトリックが随所にみられる。望ましくないことをどのように、よいことのように印象づけるか。文中では一生懸命に教皇が北にゆくことが北の崩壊の兆しになる、と書いてはいる。が、ふつうの人がこれを読むと、ゆくだけ無駄と理解する。行く道理がみえてこない。

 

 

 安倍新内閣に望むこと - 改憲、病気予防、消費税の廃止など 2018-10-12

 

安倍政権は、私が大人になってから1990年以後の政権の中では、もっともすぐれた経済政策を行った。量的緩和と円安。大阪の電器大手が、民主党政権で九死するところ、息を吹き返した。実績もたくさん残した。機密保護法を作り、国家のもつ情報をスパイから盗まれないようにしたこと。組織犯罪処罰法を成立させ、犯罪組織を一網打尽にできるようにしたこと。安保改定も無事に行った。

 

 ふつうの首相の3倍の仕事はしている。日本は回復した。民主党で降格著しかったが、世界のリーダーの座も取り戻した。ただ、消費増税をして、社会医療費の増大にあまりメスを入れないことなど、改善すべきことは多々ある。いまだ手をつけてないものがある。それを弱点と呼ぶことにした。そういう弱点を5つ記す。

 1つめは9条の改憲案が弱いこと。
 連立を優先して、『自衛隊を憲法に入れ込む』のが精一杯という安倍総理の改憲案は、日本をまともに軍隊で自国を守れる国にするには、弱い。第9条の2項の破棄がよい。内閣は、国を自分で守るという国防を国民が理解するまでは、妥協の産物でゆくしかないという判断なのだろう。戦争が起きないなら、当面それで我慢できるとしても。選挙を神通力のように見通し、大勝する安倍政権。改憲優先のためにそうするなら、それは仕方がないかもしれない。多少の妥協は仕方ない。私としては改憲をしっかりやってくれればよしとする。

 

 2つめは、病気の予防に積極的でないことだ。

  医療費が毎年1兆円増える。その負担に対して、根本的な対策を打たない。 安倍政権は何に遠慮しているのか。医師会の反対か? 彼らは病院に毎日くるご老人の相手をしすぎて、過労なのだ。仕事を減らしてもかまわない。予防で、医療費が下がるなら、それもよい。

 3つめは、保険の共済組合の崩壊に抜本的な対策を打っていないことだ。健康保険料を引き上げることが肝要だ。国保(民間の保険)への加入を義務化して、93万円という上限はなくし、高級取りでも、給料の2-3%とるべきである。

 4つめは、消費税を廃止することだ。
 選挙のたびに延期と主張して、支持率を稼ぐ。安倍政権が選挙に強いのは、そういうからくりがある。だから、本来、10%はすぱっとやめるものなのに、やめられない。消費増税は、社会保障費の増大と国の借金を返すため。だが、借金1000兆円はうそだ。日銀が国債を引き受け、400兆円へった。また消費増税しても、税収は増えないことはよく知られている。これらを明らかにすることで、消費増税そのものをなくすのがよい。累進課税に戻して、財源を確保するしかない。選挙で消費増税の延期という公約を毎度して主婦たちを喜ばせなくても、安倍首相は勝てるだろう。

 5つめは、電波犯罪を暴露して、取り締まること
 26年放置されて、日本最大の組織犯罪になった。あの党員は、人殺しで、毎日犯罪をして、あの逃走犯の非ではないくらいの極悪の限りを尽くす。電波による傷害行為、内視鏡を使った傷害行為、盗聴、ハッキング。警察と国は知りつつも、暴露しないから、質が悪い。臆病なメディアも報道しない。それで、日本の治安が乱れた。これではアカの内視鏡が怖くて、夜はおちおち眠れない。この乱れた世を立て直してくれることを、犯罪組織を壊滅することを、願う。

 これら国の弱点を改革すると日本はきっと住みやすくなる。金持ちはやや税が多くなるが、それは格差是正のためだ。我慢してもらおう。犯罪組織がいなくなると、日本はやっと平和になれる。予防が行き届くと、日本人は健康になれる。安倍政権は、ここに書いた有用な案をすぐにでも実施してもらいたい。

 

 

普遍的な徳目が教育勅語の中にあるだけで、教育勅語が普遍的なわけではない。2018-10-08

 

道徳教育のことなら、私にお任せ。普遍的な徳目が教育勅語の中にあるだけで、教育勅語が普遍的なわけではない。
NHK記者の質問に答えた柴山昌彦文科相の発言が、朝日などで問題視された。

「(教育勅語を)現代風に解釈されたり、アレンジしたりした形で使える分野は十分あり、普遍性を持っている部分が見て取れるのではないか。同胞を大切にするとか、国際的な協調を重んじるとかいった基本的な内容を現代的にアレンジして教えていこうという動きもあると聞くが、検討に値するのかなと考えている」

 だが、帝国憲法下における臣民の心がけは普遍的な倫理ではなく、当然、柴山昌彦文科相はそれを念頭に言ってない。彼は、教育勅語に示されたいくつかの徳目は普遍的で、新たに教育に加えられるのではないか、と提起したのだ。(あとで義務教育ではなく、民間のものとしてと付け加えた) 天皇への忠義が普遍的で、道徳で教えるべきとは一言もしてないのだ。よって、問題発言にならない。

 教育勅語とは、明治頃の徳をまとめ、天皇の名において発布したものだ。よって普遍的な倫理集ではない。普遍的とは、戦後、人権に使われたように、社会制度や慣習で長く使えることを意味する。科学の公理や法則のように真に永遠でどこでも適用できるものにはあまり言わない。普遍的という言葉を使っている時点で、法則に劣るというニュアンスがある。

 日教組や左翼はその中の一部を時代錯誤とする。天皇の危機のために馳せ参じろというのは、天皇に忠誠を誓うもので、皇軍の思想だと。確かに、原文のまま道徳で教えるのは、国民主権の憲法にあわない。

 本当に、教育勅語に普遍的な徳目があるか? 

 教育勅語は12の徳目が示される。

(1)父母への孝行(2)兄弟姉妹の友愛(3)夫婦の和(4)友達の信(5)謙遜(6)博愛(7)修学習業(勉学に励み職業を身につける)(8)智能啓発(知識を養い才能を伸ばす)(9)徳器成就(人格の向上)(10)公益世務(世の中のためになる仕事に励む)(11)遵法(じゅんぽう)(12)義勇(国難に際しては国のために尽くす)
(WIKI 教育勅語より)

 儒教の思想が数多く混じる。孝行、友愛、夫婦の和、友達の信。博愛は仁からきている。勉学などなど。教育勅語は、当時の徳目で大切なものを集めた。江戸時代が終わった頃のもので、儒教の影響が残る。儒教の徳目は2500年も支持されてきたもので、普遍的である。

 江戸幕府が終わり、明治国家となった。国というものに慣れない当時の人のために、国民としての生き方を示してもいる。公益や遵法精神、愛国義勇である。ただ国家のために、という考えは大勢が理解したわけではない。大名や将軍などへの忠孝の精神は強く当時残っていた。それでは幕藩体制が残り、国がバラバラになる。明治政府は代わりに天皇に忠を尽くすようにした。天皇への忠誠は日本独特で、近代国家の制度ではないものである。そういう天皇に関する箇所は、普遍的ではなく、そのまま国民主権の現代に通じるものでもない。

 もちろん、民主主義国家において、大統領、首相に尽くすのは、国民が自分たちの国を守るということで、普遍的なものだ。が、民主国家になってから、形ばかりで、現憲法では象徴として名を残す天皇や、統治しないイギリスやタイの国王は、真の代表とはいえなく、国民が忠誠を尽くすべきかは、議論がある。左翼は無政府主義者でないから、選挙で選ばれた国家の長に従うのは同意するが、国王や天皇など前近代的な地位にある者への忠誠は拒む。この点について、疑問を呈している。

 その天皇崇拝を文科相は念頭においてはいない。それ以外の儒教的な徳目については、何千年も支持されてきた。現代の日本では、人を人と思わないようないじめが蔓延して、友情も知らない。父母に孝行する人はなく、切れやすい若者が跋扈する。それら倫理性の低下した日本人を立て直す道徳教育に必要な資質(徳目)が教育勅語の中に含まれている、と大臣は考えたのではないだろうか。

 教育勅語の徳目を一部、新たに道徳教育に加えるべき必要はないともいえない 柴山大臣の提案は、教育勅語の普遍的な徳目を追加するは、道徳教育に新たな風を吹き込むのだろうか? 平成の道徳の徳目を見てみよう。

道徳の内容項目(小学校の学習指導要領(平成29念告示)解説 特別の教科 道徳編)

小学校低学年
A 自分自身
善悪の判断-自律-自由と責任、正直-誠実、節度-節制、個性の伸長、希望と勇気、努力と強い意志、真理の探求
B 人との関わり
親切-思いやり、感謝、礼儀、友情-信頼、相互理解-寛容
C 集団や社会生活との関わり
規則の尊重、公正-公平-社会正義、勤労-公共の精神、家族愛、家庭生活の充実、よりよい学校生活-集団生活の充実、伝統と文化の尊重-国や郷土を愛する態度
D 生命や自然、崇高なものとの関わり
生命の尊さ、自然愛護、感動-畏敬の念、よりよく生きる喜び

高学年と中学生
A 自分自身
自主-自律-自由と責任、節度-節制、向上-心個性の伸長、希望と勇気-克己と強い意志、真理の探求-創造
B 人との関わり
思いやり-感謝、礼儀、友情-信頼、相互理解-寛容
C 集団や社会との関わり
遵法精神-公徳心、公正-公正-社会正義、社会参画-公共の精神、勤労、家族愛-家庭生活の充実、よりよい学校生活-集団生活の充実、郷土の伝統と文化の尊重-郷土を愛する態度、我が国の伝統と文化の尊重-国を愛する態度、国際理解-国際貢献
D 生命や自然、崇高なものとの関わり
生命の尊さ、自然愛護、感動-畏敬の念、よりよく生きる喜び

 教育勅語の徳目は、道徳ですでに教えられているものがいくつかある。

(1)父母への孝行と(2)兄弟姉妹の友愛(3)夫婦の和は「家族愛」で教えられる。(4)友達の信は「友情-信頼」で。(5)謙遜はみつからないが、かわるものがないこともない。(6)博愛は「公正、公平」の中で「誰に対しても分け隔てせず、公正、公平な態度で接すること」として教えられる。(7)修学習業(勉学に励み職業を身につける)は、ない。が、学業の大切さは学生の心得なので、道徳以外でしっかりと教えられる。(8)智能啓発(知識を養い才能を伸ばす)は技能や実技を学ぶことと同じ。が、知識を増やすことは試験勉強でいい成績を残すために、盛んだ。が、各種才能を伸ばすことは、小中学校では強調されない。そこは個性を伸ばすことで少し教えるだが、現在は弱い。(9)徳器成就(人格の向上)は「よりよく生きる喜び」で(10)公益世務(世の中のためになる仕事に励む)は公共の精神もしくは、国を愛する態度で教えられる。(11)遵法(じゅんぽう)は「遵法精神」で(12)義勇(国難に際しては国のために尽くす)は「国を愛する態度」で教えられる。

 つまり、現行の道徳で教えないのは、謙遜と修学習業のみである。が、勉学の重要性は、学校で最初に習うことであり、道徳の徳目にないとしても、教えていないわけではない。教えていないのは、「謙遜」のみだろう。その他はすでに教えられている。

 あえて今更、明治半ばの倫理を、もってくる必要はないと思える。すでに道徳教育で、儒教の徳目はそのままではなく、研究されて、新しい理論にされて、教えられているからだ。父母への尊敬、孝行はすでに教えている

 保守や右派で、教育勅語を学校で教えよう、とよく言う人がいる。彼らは、教育勅語の父母への尊敬をまず道徳で教えようと考えている。が、それは道徳教育の現状を知らない議論である。孝行、父母への敬愛は道徳ですでに教えている。ややぴんぼけである。

 教育勅語の徳目を道徳で新たに教えようと言う人達は、すでに教えられることを知らないのである。またそれに徳目を道徳でこれから教えることに反対する人も、道徳教育を何も知らないのである。なお、後者は道徳を否定する者たちで、教えてもいない天皇崇拝を教えるという見当違いな反対を行う。彼らは道徳を教えないほどに、人間性は低下する。その結果、いじめや地下犯罪が蔓延した。そういう問題意識に欠けている。

 柴山大臣は、多くの保守主義者たちが考えるように、現代の若者は儒教的な面が弱体化していることに危機感をいだいたと推測する。父母や友を大切にしないから、そういう家族の関係をもっと強めるような人間性を養いたい、と。現状、親孝行の見本のような美談はなかなか聞かれない。人間関係は希薄になった。それを回復させる手立てを講じるのはよいだろう。私も、今の道徳教育には不満がある。父母への尊敬や孝行だけではなく、高齢化社会においては、祖父母や親族にいたるまでの関係をより親しくなるものとしたほうがよい。

 柴山昌彦文科相は、おそらく道徳教育をよくごぞんじないのだろう。教育勅語よりもさらに高度なものが、戦後の道徳で教えられている。 忠孝は、すでにずっと前から道徳で家族愛、父母への尊敬として教えられている。教育勅語の普遍的なものは、まだ教えられていないという認識と、そう思わせるような言い方はよくなかった。

 また左翼が問題視する「天皇への忠誠」は教えないと明言しなかったことが、左翼のつけ入る隙を与えてしまった。

 まとめ
 教育勅語は、天皇のために、という箇所が問題視されるが、それは民主国家の日本で再び教えられることはない。それを心配する者は国民主権の民主主義国家たる一員ではない。現状は、天皇を外して、国民国家のために、と教えられる。

 教育勅語を復活させるかどうかなどは、道徳教育の現状をまったく知らない者の議論である。天皇に関する箇所は当然、民主国家では教えない。教える場合は、象徴への敬意の範囲である。天皇へ不遜な態度をするのを放置するはよくないので。残りの12徳目はすでにほとんど道徳教育で教えられる。親孝行もだ。現代人の倫理として必要な徳目は、とっくに復活している。

 残すは「夫婦の和」と「謙遜」、「修学習業と智能啓発」である。明治の道徳集をひっぱり出して、それをもとに教える必要はない。徳目は純粋に研究されており、その最新の成果を現代的に教えるべきである。これら徳目が必要かは、日本人に欠けている資質かどうかで判断すべきだ。教育勅語(明治にもてはやされた徳目)の中に含まれているかどうかに関係なく。日本人の人間性、倫理観、特性を義務教育でさらに高める必要があるかどうかは、過去にとらわれずに議論すべきである。

 

 

 思想の劣化とは--確かに左翼は急速に劣化する 2018-10-05

 

保守(左翼のエセ保守ではない)の劣化というけれども、それは左翼のほうじゃね? 劣化しているというが…  全共闘が、共産主義の誤りもわからずに信者になって、今や老人に。ソ連が崩壊して、冷戦も終わっても、まだ彼らは共産主義が欠陥論だとわからない。彼らはいまだに社会主義を礼賛する。彼らほど社会というものを理解できてない人間はいないだろう。

彼らは社会主義がなぜ独裁化するのは必然か。それすらわからないほどに知性(哲学と社会思想)の底辺にいる。 社会主義=個人・民間からの自由の剥奪だ。そういう定義なのだ。財産や個人の自由を奪うことで、国家だけが独占する。それが社会主義だ。

彼らは最も騙されやすい人間だ。彼らは、社会主義がみんなで決めたことをするので、よいことだと考える。例えば、皆が一つのことをする時は、全員が各自の好きなことを自由にさせないで、一箇所に集めなくて、同じことをやらせる。そういう裏がみえない。社会主義国家は全員が一つの目標に向かって生産して、素晴らしいと、彼らは錯覚する。全員が他のことができないことを想像できないのだ。

全員が同じ目的をもち、行動する。これを恐怖という。頭の弱い人は、学校で先生が生徒全員に、絵を描かせる、体育をさせる、という学校の教室のような貧困なイメージしかできない。やや視野が広い人は、会社もある目標に向かって、人は組織され、働くとイメージする。悪くないのではと、短絡的に思う人も出る始末。もうアカに騙されているようだ。困った人たちだ。 

 家で、全員が料理をするのを想像してみろ? 子供は面倒くさいし、遊ぶ時間もなくなる。夫は会社を早く帰り、料理を手伝わなくてはならない。実に、面倒だ。家で、子供が大きくなっても、家族全員で日曜に遊園地にお出かけする。ありえないだろう? 兄貴は彼女とデートはできない。弟は友達と遊べない。夫は他の予定がこなせない。

 人は長い歴史の中で、多様な営みを生じさせた。幅ひろい仕事に職業がある。それは各自が自発的に行う。それによって社会は成り立つ。特定の計画に人を集めて、それだけをやらせると、必ず歪みが出る。町民の全員が日曜に学校に集まって、共産主義の勉強会をやらされる。共産主義国ではそんな不自由な日々に陥る。参加しなかったら村八分だ。全員が同じことをするというのは、個人の自由な活動が犠牲になるということが、みえただろうか?

 少し考えたらわかることだ。社会の計画に従うと、それだけしか出来ない。自分が好きなことができなくなる。誰かが稲刈りをやろうと決めたら、全員それをやらないと、いけないのだ。断ることができないのが社会主義だ。参加しないと殺されるのが共産主義だ。全員参加は、個人の日々の自由な仕事や日常が犠牲になるのだ。実に強制的で自由がないだろう?

 なぜ全員参加となるか? 社会主義では、個人の自由な活動が禁じられる。だから、何をするにも全員参加だ。分業で、仕事自体は多様になっていても、労働者は全員そのどれかを選ばなくてはならない。他のことは民間の活動として、禁じられるのだ。

このように具体的に考えられる人は、共産主義に賛同しないし、社会主義もごめんだと思う。一匹狼で、個人の活動の意義をよく考え抜いた人ほどそうなる。全員一緒? 何もいいことはないね、と。

全共闘は、このように社会主義について、家庭や町を例にして、何が起きるかということは幅広く考えられない。本の粗末な説明(宣伝文句)を鵜呑みにする。それで、頭の中だけで、社会主義は素晴らしい、と思い込む。実に単純だ。まるで頭の弱いガキだ。社会主義者は、明らかに知性が劣る。

いくら、賢こぶって理論武装してみても、それをしたらどうなるか? 具体的なことを何も考えられないのが共産主義者に社会主義者。空想の話ばかりだ。彼らには現実がみえない。彼らの理論は必ず破綻する。実際に、ソ連は崩壊。今、社会主義を省みる人はいない。

戦前から、アカは社会のことも何もわかっていないと、経営者も政治家も賢い日本人は知っていた。 革命のゆきつく先は、アカが政治を独裁的に行う最悪の体制なのだ。民間人と国民から財産をとりあげて、自由を奪う。そんなソ連のような恐怖の軍事独裁国家なのだ。そういう国が弾圧・粛清を繰り返して、国民を弾圧したことは、当時から聞こえてきた。

賢明な者たちがアカを秩序を乱す者として、取り締まった。 太宰治の『人間失格』に登場するのはアカだ。太宰治はアカが議論好きだが、社会のことを何も知らなくて、とんちんかんな理論を操る。そんな無様さを描いた。太宰はタイトルのようにアカが人として健全な営みができないことを感じていたのだろう。

アカになると、闘争をはじめる。地下に潜り、犯罪をやり放題。果ては、自己批判と仲間の悪口を言い始め、けんかをして、同志との殴り合い・仲間割れ、殺しあいをはじめる。無秩序、無政府。倫理観が消え失せる。アカは深みにはまるほどに人間として劣化する。人が人間性を失ってゆく様を真に、人の『劣化』という。アカはその典型なのだ。

現代で保守も右派も、アカほどは劣化してない。また社会主義を目指す左翼の活動家ほどに劣化した知性の中に生きてはいない。それだけは確実だ。 なにしろ、彼らは社会主義という劣った世界観を否定した上で、自由をどう謳歌するか。その自由な社会での責任と社会の発展を、今まさに考えているのだから。

 

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