論考 2016年 11月

 

 

パク・ウネ大統領が辞任の意向 2016-11-30

 

 パク・ウネ大統領が辞任の意向を発表。あとは、いかに保守党系の次の大統領候補の支持率があがり、野党のトップの支持率が落ちるか。それを見極めてのタイミングだろう。彼女はうまくやると信じる。しかし、保守党系のトップは国連事務総長の潘基文では頭が痛い。野党よりはましだとしても、他の人材がいないのか?

 

 

「これからの正義の話をしよう」格差原理はいらない 2016-11-30

 

 ロールズは、おそらく酒場や家庭で咲けを飲みながら、低賃金労働者の愚痴をきいていたのだろう。それをヒントにして、格差原理を思いついたのだろう。でないと、「才能・実力・家系・努力・職業は偶然で得たものだから、それら能力をもとに給料をもらうのはよくない。」というような『職能給』や「時給」すら否定するいい加減な話にならない。

 『リッチな家に生まれたのはたまたまであり、彼に才能があるのもたまたまだ。彼が努力する性格もたまたま親がそうだったからだ。彼のついた仕事で高い給与がもらえるのも、たまたまそんな時代だったからだ。そんな偶然によって、君が高給をもらうことは正当ではない。』

 とはならない。ロールズはどこかで間違えた。もっともらしく言っても、彼の論理は穴がある。私は思う。ロールズはもっと単純労働者の愚痴、不平不満を聞くべきだった。

 

 『あいつは幸運にも才能があって、その才能でいい給料がもらえる。俺たちはそんなのないから、いくら働いてもそんなにもらえない。』

 『あいつは社長の息子で、すぐに出世して、実力もないのに重役になって、給料もたっぷりもらう。生まれの運がいいやつだ。俺たちはサラリーマンだから、こき使われてなんぼだよ。』

 必ず労働者の不満というのは、『他人は幸運で、才能や資産家、地位などを得る。お金をたくさんもらっている。俺たちは一生懸命、朝から晩まで働いても安月給だよ。あいつらはうらやましいな。』で締めくくられる。労働者の言い分をよくみよう。自分はいくら働いても給料が安い、という不満だ。これは実力や仕事にみあった給料をもらってない、という文句だ。

 が、運がよい者達(資産家、才能ある者、家庭がよかった者)はボロ儲けしている、という。それを羨む。実力ある者は、その働き以上の報酬を得ている、とやっかむ。低賃金労働者は、自分については仕事をしても報酬が少ない、という。運がよい者達は、ほんの少しの仕事で、莫大な報酬をもらう。そこがいけない、と不満をもらす。

 つまり、労働者は実力主義(能力や仕事量、相応の給与)は否定していない。それを認めている。その上で、才能や資産がある上のほうの人々は、あまり仕事をしないでもボロ儲けできること。つまり、実力以上の給料をもらえること。すぐに一生何もしなくても暮らせそうなお金を得られる。が、自分たちはそれと較べて総じて給与が低いこと。それを不満とするのだ。

 労働者は、実力主義で、高い能力はもらいすぎて、低い能力はもらえなさすぎる、と言うのだ。で、もっと上の者は報酬を低くして、低い者は報酬を高くしろ、と願う。彼らは実力主義はよいのだが、その中身が問題だというのである。物事を深くは理解しないサンデル氏は、このあたりを正確にとらえてない。が、どういう経緯か、同じ考えにはなったようで、なぜか同じ話題が出る。

 「アメリカの教師の平均年収は約4万3000ドルだ。深夜のトーク番組の司会者××は年に3100万ドル稼ぐ。アメリカの最高裁判所長官の年収は21万4700ドルだ。テレビでリアリティ番組をもつ××判事は、1年で2500万ドル稼ぐ。この所得格差は公正だろうか。(258頁)」

 ロールズの「格差原理」で投げかけたものは、「上のほうの人々は、実力以上のお金をもらえる。下のほうの人は、実力以下のお金しか受け取っていない。その社会の歪みをなんとかしろ。」ということのように、私にみえる。私の答えとしては、「実力相応の給与を与えればすむ。上の者は、給料を低めにして、下の者は給料を引き上げる。」と、完全実力主義にするのである。実力相応というのが実は、やっかいな問題ではあるが。

 何も、「格差原理」を持ち出して、既存の大切な価値(才能、能力、実力、努力)を捨象して、話をややこしくしなくてもよい。労働者は、本当に才能や能力、仕事量、努力などは、給料をもらう時にはどうでもよいものとは考えていない。行った仕事に見合った報酬。能力に見合った正当な金額がほしいのである。労働者は、それらを偶然的なものや、運とはみておらず、給料の理由とみているのだ。

 これで「格差原理」が消えた。何も所得格差を正す説明するのに、「格差原理」というややこしいロールズの考えを使って、報酬の理由(能力、仕事、努力、実力、)を消し去る必要はなかったのである。ふつうに、金持ちからお金をとって、貧者に回す。金持ちなど才能ある者が報酬をとりすぎているから、それを貧者に回して、その所得格差を是正する。それだけでよかったのだ。

 

 

 カストロを讃える左翼メディアは反民主主義 2016-11-29

 

 毎日新聞は、全共闘のアカシンパ根性丸出しで、朝から独裁者で冷酷な「カストロ」賛美をやめもしない。テレビを見て、カストロの映像が流れるが、その周りにいる人物の人相の悪いこと悪いこと。カストロはそんなゴロツキのご機嫌取りに囲まれている。それだけでも、悪辣な支配者だとわかる。

 

 日本の新聞社やテレビは、民主主義と自由の敵カストロの残虐な正体を国民に知らしめなくてはならない。そもそも、カストロ礼賛などしても、日本人はうすうす感づく。カストロは、共産国の独裁者で、キューバーの健全な発展を止めて、鎖国状態にした悪の張本人だと。隠しきれるものではない。

 

 トランプ旋風で、メディアと国民の意識のずれが大きいと衝撃が走った。こういう共産の汚れた軍事英雄の賞賛や懐古は、平和で穏やかな日本人の受け入れられるところではない。メディアが国民意識から乖離している。カストロを讃える左翼メディアは反民主主義、反人権だ。

 

 

 マイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう』格差原理の根拠 2016-11-29

 

  ロールズが格差原理を思いついたのは、おそらく飲み屋やパーティーで貧しい人々の愚痴を聞いたからだ。私は貧乏なので、他の本は読んでない。昔は読んだかもしれない。その時も、ロールズはたいしたことはないと思ったはずだ。私の記憶に残ってないのだから。ここではサンデル氏が描くロールズから見えるものを記す。多少違うかもしれないが、肝心な理論さえはずさなければ、かまわないだろう。

 下層労働者は、金持ちの家に生まれた幸運なやつら、天賦の才能でうまく有名になり儲ける者達、そういうリッチになった者がうらやましくてしょうがない。「そんな恣意的要因(偶然)で儲けたのなら、俺たちにも分けてくれよ。」 ロールズは、この不平不満を真に受けてしまったのだ。ロールズは多少は学があったようだ。その下層労働者の不満を「格差理論」にしたのだ。 ロールズは1,生まれ(家庭環境)、2, 本人の才能や能力の他に、さらに恣意的な要因を2つ付け加える。それは3, 努力と4, 高給がとれる職業である。

 3, 努力
 「努力し、挑戦~は幸福な家庭と社会環境に依存する(252頁)」とロールズはいう。確かに、忍耐強く努力するのは、そんな親がいる家庭の子に特有の才能だ。短気ですぐに諦める親の子供は努力が続かない。「あいつはいじめられても辛坊強い。親もそうなんだよ。」、裕福な家の悪ガキがよく言うセリフだ。で、そんな「努力」や「諦めない心」は良家に生まれたもののほうが持ちやすい。そこに生まれたのはたまたまだ。

 4, 道徳的功績
 私はこれを理解しないので、パス。

 5, 高給がとれる職業
 ロールズは、「中世のトスカーナ地方ではフレスコ画家が大事にされたが、二一世紀のカリフォルニアでは、コンピュータープログラマーが大事にされる。~私のスキルが生み出す利益の多寡は、社会が何を求めているかによって決まる。」という。確かにそうだ。株の投資家は、現在は儲けが多い。が、縄文時代にはまったく儲からない。その職業で人より儲かるのは、偶然的なものだ。

 恣意的な要因は、4つ登場する。
1, 生まれ(家庭環境)
2, 本人の才能や能力
3, 努力
4, 道徳的功績
5, 高給がとれる職業

  リッチな家に生まれたのはたまたまであり、彼に才能があるのもたまたまだ。彼が努力する性格もたまたま親がそうだったからだ。彼のついた仕事で高い給与がもらえるのも、たまたまそんな時代だったからだ。それら偶然に得たものによる高い所得は、「完全に自分の手柄ではない。(257頁)」から、他人に分けないといけない、という。

 これは報酬の配分の理屈だ。5人の大工が家を建てた。それぞれの大工は、自分の手柄分の報酬を受け取るのが正しい。自分の手柄でない分を受け取ることはできない。そこに正当性はない。だから、本人の手柄分以外で得た報酬は、他人に分け与えろ、というのが格差原理の理屈の一つらしい。他にもあるのだろうが。

格差原理では、金持ちは貧乏人に貯めたお金をバラまく。そんな理論だ。格差原理に基づく制度ができたら、貧乏人はいつも金持ちから施しを受け、収入を得られる。もう貧乏に苦しむことはない。これに賛同する人はいるだろうか? 私の説明ではなく、ロールズの「格差原理」に共感する人は?

 「社長の息子で、いい教育を受け、大学にも入った。才能にも恵まれて、学力は出来過ぎ。慶応に入った。そして、親のコネか何かでNHKか大企業に入り、高給をもらう。彼はたまたま運がよかったんだ。そのカネはすべて偶然によって得たものだ。彼だけが一生で人の何倍もの財産、数億の所得がもらえるのはおかしい。みんなに分かち合えよ。俺に回せよ。」

 こう思ったあなたは、負け組である。あまりひがんではいけない。嫉妬するのもいけない。勝ち組に挑んでもむなしいだけだ。何が悪かったのだろう。たまたま君の×××が悪かった。世は実に不公平である。今日はここまでにしよう。

 

 

 『亡命キューバ人ら「歓喜」=カストロ前議長の死去に−米』(AFP=時事 11/27) 2016-11-28

 

 俺も歓喜だ。独裁者であり、民主主義と人権と自由主義の敵であるカストロ前議長。彼は軍人であり、虐殺をして、粛清してキューバを奪い、暗黒社会へと変えた。いまだにキューバには自由がない。信仰の自由も言論の自由も。日本のメディアが、こんな暗愚の大将を、『哀悼する』、『惜しむ』と書く。彼ら左翼メディアは自由を否定する側の人間のようだ。

 またカストロは一時はキューバに核兵器を持ち込もうとした人物である。が、アメリカにそれを阻止されてからは、核兵器反対を言うようになった。カストロは核をもちたくてしょうがなかった。こんな人物を高く評価するのが、原爆反対する者の中にいるが、騙されている。カストロは核兵器を使いたくてしようがなかった人物であり、核反対の同志(赤い連中のこと)とはいえない。

 キューバ難民は何十万人死んだかわからない。死ぬことも恐れず、海を出て、アメリカにたどりついたのは運がよいほうだ。そのキューバに恐怖政治を敷いた悪の元凶がこの世から、消えた。お祝いだ。こう言えないやつは、民主主義と人権と自由を守ってきたとはいえない。日本の右派が、なぜ『独裁者カストロ死去、万歳』と発信できないのか。そこは残念である。

 共産主義者を世界からなくすことが、戦争をなくし、真の世界平和につながる。次は、キューバの監獄、共産体制を葬り去ることを目指そう。『キューバからの亡命者“独裁者の死”に歓喜』(日本テレビ系(NNN) 11/27)

 

 

 マイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう』格差原理を完全解説 2016-11-28

 

 今日は、252頁あたりから考えよう。今は『格差原理』の話。能力者は、才覚で得た報酬を貧乏人にばらまかなくてはならない、というのが格差原理という。ロールズは、天賦の才能は、本人に偶然備わったものだから、その報酬は当然ではない、という。私はよくわからなかった。が、どうしてロールズがそんな考えに至ったのか。わからないでもない。アメリカ人で単純労働で働いている人は、口が悪いのがいる。彼らは、高給をもらう人にこう嫉妬する。

 「あいつは、育ちは俺たちと同じだけど、たまたま才能があったんだよ。勉強が出来て、大学にいって、ドクターをとった。それでいい仕事にありつけた。あいつは、運がよかった。神様は不公平だよ。あいつは俺たちが育てたも同然だから、彼が儲けた分は俺たちによこせよな。」

 「あいつらホワイトカラーは、親が大卒で裕福だった。だから、大学にも行けて、MBAもとった。運がよくいい生まれだったんだよ。俺の親父は、そこいらのドカちゃんだよ。不公平だよ。」

 「彼ら金持ちは、親がたまたま事業で成功して、カネをもっていたんだ。だから、よい教育を受けて、よい大学にゆけて、しっかりと育てられた。それで今、よい仕事につけるんだ。俺たちは貧乏人の生まれだ。不運だよ。」

 日本でも、酒場で他人が羨ましくてひがむのはいる。

「あいつが出世したのは、親の力だよ。俺のほうが結果、出したのに不公平な世の中だよ。あいつらの給料の一部でも、おれ達に回すのが、公正じゃないのか?」
 
「俺もあいつのように才能があったら、もっと賞をとって、作品が売れたのにな。神様は不公平だよ。あいつらが儲けた分は、俺らに回してくれないかな。」

 ロールズおそらく、こんな愚痴をバーや友達の家で何度も聞かされたのだろう。アメリカの貧乏人がついもらしてしまう不平。日本人がバーでよく語る「嫉妬」話には真理があるだろうか? 人によって千差万別。スポーツの才能がある人、ない人がいる。思想に弱い人もいれば強い人もいる。子供をあやすのがうまい人、うまくない人がいる。貧乏人がいる一方で、金持ちの子もいる。確かに、この世は不公平だ。平等ではないから、不公平は正しい。

 ロールズはここに貧乏人と富豪という格差が生じる原因があると思い込み、深く考えた。才能や天賦の才能をもつことに必然はない。だから、偶然だ。また彼はたまたま良い家に生まれたのだ。人ごとの違いは偶然みたいなものだ。それで、「天賦の才能をもつことは偶然」、「生まれがよいのは偶然」、「実力も運のうち」と考えるようになった。

 これは、不公平だ。不公平だから、誰かがそれを正さなくてはいけない、と彼はおかしな正義感にゆきついた。金持ちになった者は、『世の中の不公平』のおかげで、運良く大儲けしたのだから、それを貧乏人に還元する義務がある。才能や実力などでもらった報酬は、運がいいだけだから、貧乏人に回すすべきだ。

 彼は、ついに「格差原理」まで編み出した。これら『格差原理』にロールズは考えが及んだ経緯だ。もちろん、私の推測である。大きくハズレてはいないだろう。きっとこれが格差原理である。別に本人の思考の経緯を忠実になぞる必要はない。格差原理でロールズがいわんとしていることは、これ以外にないのだから。

 わかりにくかった原理は、このような大衆の愚痴や不満から、出たものだ。ハーバードで貧乏人の気持ちがわからない金持ちの子弟の学生相手に、格差原理など十分な解説なしに話したら、学生はちんぷんかんぷんだったはずだ。日本版だけそれが省かれていたとは思えず、それがないサンデル君はきっと説明が下手なのだ。

 さて、あなたは、この格差原理を納得できただろうか? さて、本当に『不公平』だろうか? ただいっておくが、納得した者は、頭が単純労働者並みである。やはり社会論に詳しい実力者の知識の配分を受けたほうがよいだろう。今日はここまでにしよう。

 

 

 公的年金、運用益2.3兆円=株高で3期ぶり黒字―7〜9月 について 2016-11-26

 

  年金の運用で、7-9月に2兆3746億の黒字。で、2001年からの合計は、42兆5644億の利益という。年金の積立金は運用したおかげで、増えてるわけだ。なるほど。年金の運用で、一時の損を出したのを信じて、年金がなくなると過度に心配するのは、間違い。そういえば、そんな無知な町の声をNews23で昨日、流していた。このニュース番組はどうして、正しい世論を形成することに関心がないのだろうか?

 

 

 扶養控除150万円はよい決断 2016-11-25

 

 配偶者控除 --150万円を上限。なかなかよい決断だ。パートから税金とっても微々たるもの。それなら、働きやすくしておくほうがよい。貧乏人はメリットが大きい。『<配偶者控除>パート世帯にメリット…150万円上限』(毎日新聞 11/25)

 

 

 マイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう』格差原理の実現した社会とは 2016-11-25

 

 ロールズは「格差原理」で、 天賦の才能や家庭環境は、偶然によって生じた、という。それを恣意的という。 そのように有利に生まれ、才能をもったからにはその成果を、才能がない者に分け与えるべきだ。そんな社会の仕組みを作るべきという。 そんなことが249頁に書かれてある。私は、実力者が得た報酬を無能な者に与える理由がいまいちみえてこない。

 

 それはともかく、 ロールズは、1.封建制度、2.リバタリアニズム、3.実力主義は、「恣意的要員(生まれ、社会的・経済的優位性、生来の才能や能力)」を分配の基準にしていると主張する(251頁)。「こうした偶然性を所得と富の分配基準にしていないのは格差原理だけだ。」ともいう。

  実力や能力を偶然性、恣意性と分配の基準から捨象するのはおかしいとは思う。が、これで、格差原理が見えた。格差原理が実現した社会は、まったく素晴らしくない。格差原理では、人間は2タイプいる。一つは才能があり、活躍して富を得る者。もう一人は無能で、稼ぎがなく貧困に陥る者だ。

  まずは配分を決めるために、個人は、天賦の才能や家庭環境などの有利性を取り除かれる。無能で貧乏人とみなされる。彼は、恣意的なもの、実力や能力、家庭環境の有利性で余分に受け取れない。よって、彼がもらうのは、無能な一人として受け取れる分である。それはおそらく、最低限の配分で、人間が生きて行く上での最低限の保障である。いわば、生活保護だ。

  格差原理が通用する社会では、飢えて死ぬことはない。が、格差原理の恩恵に預かる者は、実力や能力がある者達が受け取る分を、けっして受け取れない。貧者や才能がない者は、最低の保障のみを受け取る。

  格差原理の実現した社会は、有能な者がいる一方で、他方で、貧者が金持ちからの配給で最低限の生活ができるようである。貧乏人は、社会主義国家と似たようなもので、生きてゆくための食料や家などは与えられる。が、才能ある者達が手にするような豊かなものや多くのカネは何一つもらえない。

  反論1-動機、反論2-努力。これは、こんな社会では、やる気を失う。努力分の報酬がないという批判だ。これは社会主義への反論に使われるものだ。ソ連の集団農場では、人々はやる気を失った。そこでは、給料が同じだから、努力も報われない。サンデルは、ロールズを社会主義的だと、反論した。彼の反論は要領は得てないが。

  才能がある者も、実力社会なら受け取れるはずの多額の報酬をまったく受け取れなく、質素に暮らす。こちらが、格差原理の主な説明だ。金持ちはそれを稼ぎだす才能はある。その才能で蓄えたお金を、貧困層に回さなくてはいけない。 格差原理は、ベーシックインカム=最低保障と人を導く。路頭に迷うことがない分だけ、素晴らしい社会かもしれない。有能な人は、儲けの大方を貧困層にとられてゆくから、巨万の富は築かない。が、彼の才能を発揮するために必要な分は受け取れる。

 これは賃金差があまり広がってはいなくて、富者は高給をもらわず、会社の従業員に給料を高めにあげ、生活保護が増えた日本社会のようである。 これが社会主義と違うのは、才能ある者は自由に活動して、稼ぐことができる点だ。社会主義では、個人の自由な活動が禁じられ、自由の行使が許されない。それをすると資本主義になるから、国家がそれを抹殺する。だから、ロールズの描く社会は、この部分では、社会主義ではなく、自由主義である。

  ロールズの「格差原理」がゆきわたる社会が、社会主義だと少しでも思った人は、知的な貧困層である。彼は自由主義の社会をベースにして、いかに配分をよくしようかと試行錯誤している。これは資本主義の話なのに、社会主義のことと思ったあなた。あなたは社会論に貧弱だから、天賦の才能をもつ人たちの知識を配分してもらうのがよいだろう。格差原理に従って。ここを読みつづけるか、サンデルでも読んだらよい。

 

 

 スーダンにゆく自衛隊は施設部隊で平和をもたらすためにゆく 2016-11-24

 

 報道はひどい。駆けつけという初の任務があるから、「かけつけ警護の部隊」とレッテルを張る。あれは、スーダンの道路などの施設をつくるために派遣する施設部隊だ。 また、スーダンに「戦争」しにゆくのではなく、スーダンの平和を守るためにゆく。こういうのを勘違いしてはいけない。スーダンへの派遣部隊は、「内戦のスーダンの平和を守るために、道路をつくる施設部隊だ。」とおぼえたい。かけつけ警護は、臨時の仕事で、本務ではない。

 

 

 マイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう』平等の擁護--格差原理の乱暴さ 2016-11-24

 

 彼は究極の平等主義の社会で何が言いたいか? 実力主義的な社会は、才能ある者は巨万の富を築き、無能は貧乏になる。そういうアメリカンドリームに代表される能力主義の強い社会。アメリカはそれを続けて、億万長者と市民との格差が大きくなった。彼はそれを是正したい。

「彼は一律平等の社会だけが、実力主義的市場社会の代替案ではないと主張する。(248頁)」

  では、なぜ日本人の左翼は、こういう完全無欠の平等社会を思い描かなかったのか? 難しくない。彼らはマル経の信者だからだ。
 
 「共産社会では、労働者の適性に向いた、能力に見合った仕事ができ、誰もが満足する。」

 こんな嘘を平気で信じてきた。共産社会では。個性に沿った本人のしたい仕事ができると思い込む。それで、その前提を打ち破る発想--個人の才能の差はあってはならない。適性も個性も差別であるからいけない。誰もが均質の能力しか持ってはいけない。--とは考えなかったのである。

 共産関係者は家庭環境の差で、知識人と単純労働者が育つことは理解していた。共産社会にする過程で、資本家や富農をつぶすと、みなが貧乏になった。中国やカンボジアでは、学問まで焼却した。すると、高度な教育は国家から消え、均一な赤化教育が行われた。みなが貧乏で、みなが歪んだ共産主義を信じ、みながおバカになり、平等になった。文化芸術と学問が退廃した。やはり、共産主義の平等社会では、知的レベルは下層で統一される。これも悪夢である。

 さて、話を戻す。格差原理が登場する。

 「天賦の才の持ち主には、その才能を訓練して伸ばすよう促すとともに、その才能が市場で生み出した報酬は共同体全体のものであることを理解してもらうのだ。〜自由に走り、ベストを尽くせるようにする。」

 これは共産とは一見似ている。が、まったく違う。個人が自由にその才能でものを作り、売る社会だからだ。資本主義なのだ。国が生産をすべて管理する社会主義の反対である。自由主義的な生産体制といえる。 が、その報酬は社会のものである、という。ふつう資本主義国では、個人のもの(資産)となる。集団で儲けた時は、企業のものとなる。が、ロールズはどうしてか、社会(共同体)のものにしてしまう。これは、個人や企業のお金をいったん、社会(国)がとりあげる、ということを意味する。やや社会主義的である。

 ここまでは、話が複雑ではない。この後に過激な分配法が出てくる。

 

 「勝利は自分だけのものではなく、そのような才能を持たない人とも分かち合う必要がある〜。」

 ロールズのいわんとすることは、報酬を貧乏人か無能や輩にも分かち合え、ということだ。個人が報酬を独り占めするのは、確かにもうけすぎだ。かといって、それを貧乏人などに分け与える、という分配の仕方は、乱暴である。起業家がもうけたとても、一人じめするわけではない。仲間(従業員)にまずは分け与える。なぜ、無関係な貧乏人にまず分かち合わなくてはならないのか?

 ロールズはいったんお金を共同体のものとした後に、すぐに貧乏人に分配することしか思いつかない。アメリカでは、億万長者がいる一方で、貧者が増え続けている。彼らを救済したいとしても、様々な方法があるのに、彼は直接、貧困層に支給すること(バラマキ)にとらわれる。彼は発想が貧弱なのだ。

 続きは、またの機会に。

 

 

 マイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう』平等の擁護について、彼は究極の平等主義が社会主義的で大嫌い 2016-11-23

 

 彼は平等主義を擁護するようで、強く非難する。

「平等主義の悪夢(247項)」で、彼は平等主義を痛烈に皮肉る。『「時は、2081年、ついに全人類が平等になった……。他人より賢い者はいない。他人より容貌の優れた者もいない。他人より力の強い者、動きの速い者もいない。」この完全無欠な平等は~』

 あまりに均質化された不気味な社会だ。アメリカの平等主義は、日本よりもさらに進む。日本人は、所持金の平等くらいしか考えない。アメリカでは、さらに本人の天賦の才能、肉体の差、家庭環境、家庭の資産と教育の質などを考慮する。日本では仕方のないことだとされる。鈍才が天才や秀才にかないはしない。が、出来る者に嫉妬する者は、それを不平等と文句をたれる無能がアメリカにはいる。彼らの議論のほうが、日本より進む。完全な平等社会は、人間の差をなくすために、狂気の政策がとられる。

 『平均以上の知性をもつ市民は両耳に思考のハンディキャップ・ラジオを装着しなくてはならない。ラジオには政府の送信機から、約20秒ごとに強烈な雑音が送られ~』

 これは電波を頭に浴びせられるという電波犯罪被害者を描いたようである。この平等社会では、人間が自然に個性があり、才能の優劣があることが、差別とみなされる。個体差をなくすために強制処置される。実に、怖い社会である。

 

 人間は千差万別である。生まれながらに、全てにおいて同じ者はいない。つまり、DNA、体格、身長、才能、感受性、反応がまったく同じ人間はいない。それが自然だ。人間には個体差がある。一人一人が違う。人間はそれぞれ異なる。この多様性は酒の存続に欠かせない差異だ。それが差別と思われ、許されない。そして、全員がおバカになるよう強制される。

 『14歳の~~はずば抜けて賢く、ハンサムで、才能豊かな少年だったため、特に重いハンディキャップ装置を装着しなければならなかった。~巨大なイヤホンを着け、分厚い液状レンズの眼鏡をかけていた。』

 なぜ、おバカに合わせるのか? それはおバカは賢くはなれないが、賢者はおバカにはなれるからだ。完全な平等社会では、おバカな人間を基準にして、みながおバカになるという社会だと、彼は平等主義者の理想を嘲笑しながら、『ハリスン・バージロン』という陰鬱な小説で説明した。彼は究極の平等主義は、社会主義のようで大嫌いなようだ。

 彼の視点は面白い。人間には個体差がある。完全な平等社会はそれを否定することで、成立する。アメリカは多様性を認め、強く推奨する国だ。だからこそ、平等主義は嫌悪の的となる。

 平等主義をなんとか擁護しようとするリベラルなサンデルでさえ、このような未来の暗黒社会のモデルを使って、究極の平等社会を説明せざるを得なかった。平等主義には未来はない。今日は、サンデルにアメをあげたい。彼は本で、日本人のリベラル向けに、完全な平等主義はありえないことを示したからだ。彼は平等主義の極地という過激理論を、どういう社会になるかを具体的に描くことで、打ち砕いた。

 今日はここまで

 

 

 マイケル・サンデル批判1-『これからの正義の話をしよう』という本の第六章 平等の擁護 2016-11-22 

 

 マイケル・サンデルがたいしたことがない根拠。『これからの正義の話をしよう』という本の第六章 平等の擁護。ここで、彼はジョン・ロールズの論を紹介する。前半は、『契約』は本人の同意が必要か、という問題。こちらはたいして面白くない。法学では厳密に決めなくてはいけないのだろう。契約したかどうか。本人がしたか、それが完全かで、お金を払うかどうかが決まる。

 後半のテーマが『平等』だ。分配の正義が明らかにされる。彼の関心の大きな一つだ。この本では、『不平等』は『格差』で悪いものとされる。が、なぜ『平等』にしなくてはならないのか。その理由が語られてない。平等といっても、能力差、家庭の差などがあり、どこまで平等にすべきかは語られない。完全な平等にするのか、それとも大きな格差をなくす程度の平等でよいのか。そこが、読者にわからない。

 いきなり登場する「格差原理」はさらによくわからない。調べてみると、こうだった。「格差原理」とはロールズの観点だ。ある人が大きな富や資産をもつのは、貧困層など社会にその富を使うためだ、という考え方である。

 金持ちは、蓄えたお金を貧困層への奉仕に使うべきと受け取ってしまう。が、そうすると、ロールズの話したいことがわからない。金持ちが貧困層のために役立つというのは、どういうケースかみえづらい。格差原理における富を持つ者を、単なる資産家と考えると、億万長者がいかに社会に奉仕するか見えづらい。

 そこで、金持ちは企業家だと考えるとすっきりする。これは、昔、大学生かそんな頃に考えたモデルだ。トヨタ家に資産が集まるのは、車を作って社会に供するため、と考える。これなら、わかりやすい。金持ちの企業家は、その企業で製品を作り、社会貢献する。そうやって、貧者などにその富を使う。

  富はたいてい、国家や教会、企業体(昔では財閥や大商人)に集まるからだ。国はその財力を国家運営に使う。企業はその貯金を企業活動に使う。教会はその資産を布教や信徒の生活向上に使う。ロールズは歴史的に話をしたから、そういう金持ちを考慮したように思われる。

 が、サンデルは「単なるお金持ちの人物」のケースを用いる。金持ちが自分の貯金をいかに有効活用して、貧者に助けるか、という話ばかりだ。それは根本的にロールズの本意とは、違うのだ。ロールズは、富裕者はその仕事がそれだけで、貧困層や社会に十分貢献しているか。それを言っていたはずだ。

 最近は、例外的に、そんな世間への貢献がほとんどなく、簡単に金持ちになる。つまり、仕事以上のお金をもらう職業。それは、株を動かす投資家、野球選手やバスケット選手だ。さらには、経営者も社会の貢献分以上に貪欲に儲けるのもいるだろう。サンデルは、そのように金持ちの社会貢献を語る時は、『社会貢献を十分しないでせずに莫大な資産をもつに至った者』に限定すべきだった。『格差原理』が働かないで、儲けた人もいる、と。

 サンデルは、どうやら既存の思想に対する理解が至らない。これはロールズとサンデルを読んでない人は、理解しづらい話です。

 

 

 民主党の悪政まで鋭く分析した『「トランプ大統領」誕生』(山猫日記 11/9 三浦瑠麗)について 2016-11-21

 

 今日はトランプ大統領当選について、民主党の悪政まで鋭く分析した『「トランプ大統領」誕生』(山猫日記 11/9 三浦瑠麗)について述べる。彼女はトランプ大統領の誕生について、レーガン大統領の登場以来の「転換点」という。が、民主党が終わって、共和党が始まったくらいの転換。アメリカではよくある変化だ。

 彼女によると、トランプ氏の女性蔑視は、アメリカ人のふつうの男性程度で、トランプ氏に40%が投票したアメリカ人女性にも許される範囲という。それは、女性差別主義者には私はあたらないと考える。
 
 トランプ氏の経済政策は、「高齢者福祉は不可侵であり、公共事業の大盤振る舞い、一部の投資所得への増税を公約」にした。これはリベタリアン、小さな政府志向ではないという。新しい政策のようだ。とはいえ、これは国内の回復のために、公共工事をする経済ブロックの発想である。それで孤立主義と非難される。

  が、日本ではこの反応がよく、この経済対策と企業減税で内需拡大。景気がよくなる。周辺国がアメリカの繁栄の影響の恩恵を受ける。そんなバラ色の予測が語られる。孤立化というのは、経済学者の古い発想である。

 彼女は鋭く「弱者やマイノリティーの待遇改善を掲げながら何十年にもわたって結果を出せてこなかった民主党には、「貧困ビジネス」と言われてもしょうがないダークな部分が存在します。」と切込む。確かにそうだ。アメリカ民主党は、まったく移民の地位向上が不十分だ。あまりにも多い流入に対策が遅れている。

 彼女はトランプ氏が「時代遅れの産業」のラストベルト地帯の労働者に期待されたことは、どう評価するのだろうか。不要な製造業に炭鉱産業。救う方法などないのに、いかに彼らに経済的恩恵を与えるのか? トランプ氏はどんな経済政策でのぞむのか? 私は興味津々なのだ。

 古くからある産業で、単純労働者の移民に仕事をとられないのは、唯一、技能としての高度化しかない。服飾やカバン、靴などファッション業界は将来性はないのだが、日本の職人技、ドイツのマイスターで、イタリアはデザイナーなどで、なんとかおちぶれずにすむ。

 日本の製造業のようにヒット商品を飛ばして、なんとか生き残るみたいなことを、アメリカも強いられる。こちらは一朝一夕に解決するものではなく、困難を伴う。彼はどう中間層の引き上げをやりとげるだろうか。
 
 彼女はトランプ氏のビジネスマンのような交渉力を期待して、乱暴なことはしないという。が、最も懸念されるのは、当然、アメリカの政治家なら言わないことを、グローバル起業家は要求することだ。日本が本当に心配すべきは、暴言ではない。あれは国家の方針なので、きっちりとアメリカは見通しをたてた上で、計画する。トランプ氏の意向は、その中で反映されるとしても、妥当なものに落ち着く。

 が、トランプ氏は経営者の交渉スタイルをもつ。また民間の発想が抜け切れていない。それで、アメリカ企業の手先となって、過剰な要求をしかけるおそれがある。それが、日本の懸念である。幸い、安倍外交はアメリカの私企業の過剰な要求は退ける力はある。だから、今の総理では大丈夫だ。が、変わると譲歩して、不利な条件を飲まないとも限らない。

 彼女は、トランプ氏の暴言を気にかけないで、日本は自らの方向に進むしかない、という。それはそうだ。トランプ氏の暴言で、政策になるのは半分以下。そんなに心配する必要はない。トランプ氏といえども、アメリカは自由の国、世界の大きな潮流に反することはできない。それを日本が見定め、それに沿った方向に進むなら、トランプ氏とも同調できる。

 共和党政治は、世界を救う。オバマがアメリカを弱くした。アフガンで失敗(タリバンの巻き返しに十分対処しきてれない)、シリアの混乱(これは中東問題のようだが、民主党なので、悪化したともいえる)、ウクライナの敗北(民主党だから負けたのであって、共和党なら違った結果になっただろう)、ISISの暴虐(ヒラリーやオバマは何もする気がないようだった)に民主党政権では対処しきれなかった。

 トランプ氏は何か勘違いして、世界の警察をやめると言っている。が、アメリカを偉大な国にするという彼の最も重要な目標は、アメリカが率先してリーダーシップを発揮して、これらを解決することでしか達成されない。トランプ氏は、自らの発言が矛盾しているのだ。アメリカを偉大な国にするためには、オバマのように国際紛争に消極的ではいられない。だが、トランプ氏はそれらには関わらない、という。

 トランプ氏がどちらの公約(アメリカを偉大な国にする、世界の警察をやめる)をいずれ選ぶのか。そこが、やがて問われる。三浦氏は民主党の問題を鋭く非難するも、トランプ氏の暴言を鵜呑みにする。他よりは新鮮味があって、アメリカの内実を理解できるものではあるが、やや足らなかった。

 

 

 初任給は今年もアップ。若者が自民党を支持する理由 2016-11-19

 

 『<初任給>大卒女性、初の20万円台 大卒男性は03年に』(毎日新聞 11/17)
  女性の初任給がはじめて20万円台に。男性の大卒は20万5900円。初任給があがる。アベノミクスの成果である。若者が自民支持になる理由だ。

 

 

 安倍総理とトランプ氏の会談 2016-11-18

 

  安倍総理とトランプ氏の会談
 選挙前にヒラリーと面会して失敗した安倍総理。就任前に会って、トランプ氏のご機嫌を直すのが第一の狙いだろう。人との交流を大事にする。角栄バリの人心掌握術である。似たものどうしという麻生氏の見解。両者ともに国家主義的であり、素直に国を想う。共和党と自由民主党も、ともに冷戦を闘い抜いた同志で、相性抜群。これからの日米関係は親密になりそうだ。

 

 

 大阪の万博は成功疑いない 2016-11-18

 

 大阪は2025年に国際博覧会を開催する。大阪は過去、1970年の万博、1990年の花博など、世界博覧会で大成功をおさめてきた。その度に、東京のほうがひがんで、失敗するとか、必要がないなどいちゃもんをつけてきた。が、大阪には実績がある。今回は珍しく、国の協力をすでにとりつけた。何の心配もいらない。なるようになる。下記の記事は、そういう大阪の万博の歴史を知らない記者かな。

『「夢洲で万博」困った 用地売却ストップ、事業に暗雲』(朝日新聞11/15)

 

 

 議員の男女均等法案は、機会均等の侵害、女性の優遇と男性差別である不公正な制度だ 2016-11-17

 

 トランプ氏に恐れおののく米国人は、不法滞在者で、いわゆる犯罪者だ。アメリカは何年に一度か取り締まって当然である。日本人は何もしてないのに、適性国民だと収容所に送られた。不法滞在ならなおさらである。

 『自民、政治男女均等法案に異論続出 「有能なら自力で」』(朝日新聞11/16)
 平等、公正というのは、能力に応じて平等に扱うことだ。才能もない人物や適性もない者を無理やり政治家にさせることは、強制だ。

 

 男女均等の数にするのは男女平等で、人数比で男女は半々だから、政治家も半々にすべきというのが、その根拠だろう。が、政治家になりたい者は、男女半々ではない。もし、男女比が5:1なら、実際の政治家も男女がそうなるだろう。男性が100人立候補して、女性が20人とすると、男性が女性の五倍当選するのが普通だ。それが公正といえる。男女半々というのは、立候補者における公正さを逸脱する。

 次に、能力における公正さを追求しなくてはならない。男の政治家の能力と女性のそれを比べる。女性の政治家の能力が高い人は、サッチャーくらいで、ヒラリーは大統領にもなれなかった。日本人では、国連の何かの代表をした女性と、都知事でバッシングも平気な小池百合子氏くらいだ。男は、有能なのは、中曽根や安倍総理など山ほどいる。

 政治家には、公正に能力を基準に選ばなくてはいけない。そうなると、女性の人数が減る。それでも、無理やりに女性を登用するとなると、能力が低い女性が政治家となる。これは政治の劣化を招く。人権では、機会均等を侵害する。機会均等で、選ばれるなら当然、立候補者も多い、また能力が高い男性が大勢選ばれるだろうからだ。

 はじめから男と女が半分ずつという差別的な枠は、政治家の選出における機会均等の妨害である。女性を当選させる。つまり、女性に投票を促すと同じことをするので、選挙民が自由に政治家を選ぶ権利を侵害することになる。

 政治家を男女半々にするのは、不公正なしくみである。これは、1,政治家になりたい女性の数と男性の数で、割り当てるのが公正だが、そうではない。2, 政治の才能のない性別側への優遇である。政治の才能がある側を差別する制度である。3, 機会均等の原則も破る。という本質的な理由で、受け入れられない。理論的には、まだ理由があるだろう。人権を正しくよりよく理解させるには、これら人権の悪用についての議論は、大勢が知らなくてはいけない。総理を男女が交互にやるというのは、馬鹿げた社会でしかない。議員においても、半数を女性や男性と決めるのは、まさに国民が選挙で自由に議員を選ぶことを侵害する。

 そう数々の問題がある。

 

 

 南スーダンに派遣する自衛隊に「駆けつけ警護」の閣議決定 2016-11-16

 

 駆けつけ警護が焦点だ。が、昨日のニュース23では「施設部隊」である。道路など作るのが主な任務で、警護が主ではない。かけつけ警護には、厳しい条件があり、政府軍とは戦わない方針。だから、駆けつけ警護を派遣期間中に一度もしないという恐れもある。

 

 ニュース23では、駆けつけ警護の要請に応じないなら 国際社会の批判が起きる。と駆けつけ警護するように圧力をかけていた。もし、そんなパッシングが起きるなら、それはかけつけ警護へ向けられたものではなく、戦後から現在にいたるまで、日本が世界で軍事的な貢献をしてこなかったことへの非難である。

 

 中国や他国のPKO部隊は、国連の駆けつけ警護の要請を拒絶しており、日本だけが危ない任務につく理由もないのだ。自衛隊の駐屯地が襲われた時くらいしか、警護らしい任務はしないのではあるまいか。しかし、警護任務は初めての交戦なので、何度かして、あまりにうぶな日本人も戦闘に慣れたほうがよい。

 

 

 英米の自国主義は、地域主義の問題を解決する新しい世界の動きだ 2016-11-15 

 

 新しい正義 「国家個別主義」
 EUなど地域主義は末期だ。とってかわるのが「自国主義」だ。ほんの数年前までは「地域主義」こそが正義だった。EUのように巨大な経済圏に入ると、EUから援助が得られ、国家は救済される。大きな経済圏にくみこまれ、繁栄することができる。EUという単一巨大市場こそは経済合理性の極地、理想の経済圏であり、国家群だった。東ヨーロッパはみな、EUに入りたがった。それこそが国家の正しい選択だといわんばかりに。

 が、EUにも限界が見えた。まずはスペインとイタリアが不況に陥り、落伍しかけた。両国の救済には、好調のドイツも渋った。またギリシアが破綻しかけたら、ドイツが難癖をつけて、追い出すと脅迫した。EUに従わないなら、援助もしないと脅した。これでEUが理想の国家群ではないことが明らかとなった。

 EUは強国が、自分たちに都合のよい統一制度を押し付ける地域経済圏となった。どの国も共通に繁栄が約束された理想の国家群システムではなくなった。小さな経済圏の中に、強国と弱い国がいて、強い国が収奪するシステムにかわった。EU内では貧富の差がつき、やがて強国が弱小国を収奪する。簡単な理屈である。

 村で麻雀大会を開く。強い者がいつも勝つ。下手な者は負ける。下手な者はとことん根こそぎ奪われてしまう。これがEUである。小さな集団内で、同一ルールを構成員に課せると、必ず強い者が勝つ。弱い者が負ける。わかりきったことだった。全員が、麻雀の分前に等しくあずかることはない。

 が、グローバル市場なら、下手な者は村の外に出て、自分と同じくらい下手な者を集めて、麻雀をすることができる。自由に相手を選べるのである。すると、勝ったり負けたりして、下手な者も楽しめ、それなりに稼げることもできるだろう。EUの失敗は、経済圏が小さかったことだ。短期間で、強国と弱小国との実力差がつき、一方的に強い国が儲かる。弱小国は奪われる。この関係がしだいに固定する。強国のドイツはいいことずくめだが、その他は儲からないからたまったものではない。

 大きな自由経済圏なら、弱い国はそれなりに立ち位置があり、同じような国と交易したりして、利益をあげることはできるだろう。が、経済圏が小さなことができない。なぜなら、EUは地域から逃げられないからだ。だから、EUではドイツはずっと居残るかもしれない。が、他国は、EUに居続ける理由がない。英国は、その不利益を蒙り、最初に出たのだろう。グローバルな世界へと。

 EUは、さらにシリアからの大量の移民の流入に対処できなかった。EUはそれらを排除した。EUという地域主義は、もはや誰でも人々を受け入れ、所属する全ての国を幸福にする理想の経済圏ではないのである。地域主義の理想(正義)が、とうとうそのようにして、終わりつつあるのが、現状だ。EUは実は末期なのだ。

 地域主義は、もはや理想ではない。同一の制度の恩恵を受けるのは、一部の強国ドイツのみだ。その他の弱小国は、不利益をこうむる。特に、移民の流入による自国民の損失が大きい。ここから、地域国家に所属しない態度、一国主義が台頭した。これが新しい正義である。

 自国主義とは
 地域主義では、共通制度のため、自国の最適な制度を設けられない。地域主義の中では、国家の適性に応じたこともできない。国家が一つの分野に特化することも、制度の統一のため許されない。強国に収奪されても、そこから脱出することもできない。が、自国主義なら関係を立つことで可能だ。そして、国家が独立して、国家に最適な体制に変化することができる。それでより効率的になり、経済発展できる、という考え方である。

  もちろん、国際的な関係は維持しながらの国家単独主義である。特に、地域経済圏によって疲弊した、単純労働の産業 、「ラストベルト」のような産業などを回復させる。まだ地域主義の幻想にとらわれている人々は、「孤立主義」として、後退ととらえる。もしくは危険視する。この国家の単独行動を否定的にとらえがちである。が、これは地域主義の制度の欠陥を解決する新しい国家のスタイルなのだ。肯定的にとらえなくてはいけない。

 なお、この単独主義を反グローバル主義と呼ぶのは間違いである。地域主義から離脱する時、現在はそうだが、周辺国との関係を断つ。が、そのあと、国家制度を作り直して、世界との関係を再構築するからだ。鎖国して、経済が成り立たないのは常識だ。新しい国際関係を模索するだろう。それは、地域という枠(距離)にとらわれないで、同じ志をもつ国が集まるものとなるだろう。それは世界との関係を閉ざすわけではないからだ。村の会合にゆき、強者に収奪されるのが嫌だ。そこから抜け出て、都会(グローバルな世界)に打って出ようという態度だからだ。

 自国主義は先端の動きである。なにしろ、それは国家の先端であるイギリス、アメリカにおいてそれが生じたのである。彼ら最も先進の国が、後退したと考えることが適切だろうか。それとも最先端の動きとしてとらえるべきだろうか。私は、地域主義の限界を超える新しい体制の一歩として「自国主義」をとらえたい。

 この「自国主義」は孤立はしない。なぜなら、国家の目標がある。同じテーマをもつ国々とは連携するからだ。イギリスの場合は、世界の金融と分離することはできない。アメリカも同じだ。世界の金融市場としては、国家はなおも継続的にその役割を担う。だから、孤立主義というのはあたらない。新しい自国主義では、あるテーマにそって国家間で連携する。自国主義は地域主義の先をゆく体制のはじまりである。

 

 

  マイケル・サンデル批判--『新しい正義の話をしよう』に、正義の定義がない 2016-11-14

 

 マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』を読み終えた。彼の思想を分析してゆきたい。私は彼の理論は弱いと思う。だが、無味乾燥な社会システムの意味を彼はみつけようとする。法律、人権、市場、分配に正義や道徳などを。人間にとって、それらはどういう意味があるのかをつきとめようとする。何が善で、道徳的なのか。正義なのか。

 彼はいろんな切り口で解説してくれて、そこは面白い。リバタリアンや功利主義のアメリカでの論点がみえてくる。彼の社会制度への意味付けは、コミュニタリアニズム(共同体主義)の観点であり、ロールズが提唱したものを彼なりに発展させたものだ。では、なぜそれが日本人の我々にとって、彼のテーマが新鮮に映るのだろうか? では、どうして日本人は社会制度に対して、その価値を道徳的に理解できなくなったのだろうか?

 彼は日本人向けにその理由を書いてない。が、おそらくこんなところだ。日本人は社会制度は、「人権」、「民主主義」、「憲法」くらいしか知らない。が、それらは疑わずに受け入れ、絶対的なもので、教科書通りの意味しかないと日教組により洗脳された。それで、社会制度の議論ができなくなった。学校で受けた知識以上のものをもってないから、他の視点は新鮮なのだ。

 まずは「人権」における思考停止がある。人権は神から与えられた制度である。この一言で、どうして必要なのか、人間にとってどういう役割があるのか。まったく考えられなくなった。どうして人権が基本的な権利なのだろう。合理的な説明は学校ではされない。

 人権は一つの社会制度だ。が、それは人類普遍の原理とした。誰もこの理由は知らない。そして、考えることなしに受け入れた。私は普遍の制度とはちっとも思わない。が、大勢は違って、それをまるまる暗記して、疑わなくなった。「人権」を疑うことは悪いことだといつのまにか信じ込まされた。

 もう一つは、「人権」では、道徳を教えてはいけないと、道徳的なものとはかけ離れたものと思わされた。人権を道徳的な価値で考える人はそれでほぼいなくなった。「民主主義は独裁や専制よりよい」と思わされた。なぜよいのかは通り一遍唐の説明しか受けてない。民主主義を疑うことはいけないとされた。こんなに弊害が多い民主主義(多数決など)が何一つ問題がない人類の最上の統治制度でないにもかかわらずだ。

 最後に、「憲法」は最高の法だと教え込まれた。法律の最も基礎的なもの、という意味だ。が、憲法は人間が試行錯誤のすえに作った規則ということは、省かれた。憲法に疑いを抱かせないためだ。それが日教組には都合がよかったのである。憲法は、そこに最高の理念があるわけではない。憲法は一つの統治の道具である。が、「変えてはいけないもの」、「最高の法」と思い込まされて、それをいじくることも、その可否も考えられなくなった。幼稚な憲法も、出来損ないの憲法もそれが正しいと信じ込まれるのは、無知を増やすだけである。

 このように大多数は社会制度について、何が正しいものか、何が正義なのか、何が道徳的なのか、何も考えることがないように日教組教育で洗脳された。それ故、社会制度に対してあまりにうぶなのだ。だから、社会制度の議論は、何であれ新しくみえる。特に、サンデルは、社会制度と道徳、という日本におけるタブーを自在に論じ、面白い。リベラルの間では、彼の「分配」についての議論が、歓心をさらう。日本国内の表面的にな「功利主義」論や、薄っぺらな「分配」、安っぽい「リバタリアン」の論点に物足りなさを感じる人は、彼のアメリカ本場の議論に接して、知的な興奮を覚えるだろう。

 とはいえ、彼の議論は弱い。まず、彼は何が正義かすら定義できない。一般的には、正義とは過去の規律(法)だ。もう一つは、新たな社会の問題を解決する方法である。この2種類がある。過去の規律(法)というのは、古いものではモーゼの10戒など殺人はいけないこと、現代的なものでは環境基準を満たなさい有害物質をまきちらすことだ。法に反することは、社会的に悪だ。それを守ることが正義である。警察の正義はこれにあたる。

 

 新たな社会問題を解決するものとは、例えば新しい環境基準だ。CO2の排出の防止が、社会正義となっている。ネットの個人名の明らかにすることも、ネットの匿名犯罪が増えるにつれて、韓国や中国で制度になった。これは新しい社会正義である。大きく正義にはこの2つがある。旧来の正義と、新しい正義である。

  旧来の正義とは、過去の『新しい正義』が規律となったものの集まりである。一つずつ人類は正義を積み重ねてきた。それが現在の法であり、正義なのだ。正義が一つだけなのではない。だが、『時代の正義』という時は、大きな社会の問題が一つあり、それを解決するものに限られる。『社会正義』という時は、社会問題が複数あり、それごとに正義がいくつかあるものだ。

 が、マイケル・サンデルはこんな簡単なことも、明記しなかった。で、何を書いているか? 彼の正義は、多く判例を参考にする。要するに、最高裁判所が判断することが正義といいたげである。彼は、ロールズの言葉に縛られ、「合理性を判定するには最高裁判所の裁判官が判決を下したのが妥当か」を考える。多くは既存の正義の基準。それについての考察である。新しいに問題を現代社会に合わせて、それら古い正義の基準で、合理的に判定するのが、彼のやり方である。

 ハーバードロースクールの受講生が6割いて、彼らの質問を受けると、裁判官が用いる正義を考えがちになる。が、彼は正義の本質については、あまり明確ではない。彼の正義論では、新しい正義と古い正義、さらには2つの正義が重なる問題では、どうするのが正しいのか? と詳しくその中身を豊富な事例をもとに、解説していた。次は、彼の論点で気になったものをとりあげよう。

 

 

 トランプ大統領は予測可能、彼が世界を平和にする。トランプ大統領への日本の反応 2016-11-12

 

 日本のメデイアはアメリカのリベラルものばかり読んでいたから、予測を見誤った。未だに、米国リベラルがヒラリーを勝たせるために、トランプについて煽ったいくつかの不安に日本人はおびえている。そういう洗脳を解消しようと思う。

 TPP脱退
 トランプ氏がそう言う。TPPを批准する意味がないと、言い出したのが民進党の村田代表。アメリカの意向に合わせるのはアメリカのポチだ。TPPを何もわかっていないようだ。TPPで関税がなくなると、日本の大手企業は関税分が儲かる。ますます大企業は繁栄する。大企業の労組がみな、TPP賛成なのを汲んでほしいものだ。民進党は、TPP反対として、大企業の労組を敵に回していることを自覚しなくてはいけない。TPP脱退がよいというのは貿易額が小さい産業の従事者なのだ。

 米軍への日本の負担の増加
 アメリカの駐留経費を100%払え、というトランプ氏の要望。これは交渉のふっかけだ。ビジネスの習性でうっかり発言したようだ。が、国家外交では、過度な要求はできない。強く要望する時も相場があるものだ。
 日本は7200億円ほどそれを支払う。2004年の統計では日本は74.5%、スペイン57%、イタリア41%、韓国40%、ドイツ32%払う。日本だけ負担率が高い。よって、交渉でも日本は他国並みに払うと言えば十分で、日本はこれ以上支払う必要がない。交渉が再開するのは確実なので、日本は減額できる可能性がある。

 暴言で、世界の悪党と同列に
 どこかの大手テレビで、トランプ氏をドゥテルテ、プーチン、金正恩?の写真と並べて、『暴言王』の危険人物と印象づけていた。が、これはひどい。仮にもアメリカの共和党の大統領。あの世界を震撼させる共産党の党首ではなく、フィリピンのようなよくわからない恐怖政治の代表でもない。れっきとしたアメリカ民主主義の共和党の代表である。アメリカにかなり失礼である。

 レイシスト
 彼はイスラム教徒の入国を禁止する、移民を送り返すという。最初のはテロ対策で、もう一つは経済対策である。彼は治安と経済を悪化させる原因はある種の人にあるという。間違ってはいないが、特定の人を排除する政策だ。

 が、イスラム教徒のみの禁止は、アメリカ法で信仰をもって人を区別できないので、それは無効である。それは憲法上、不可能なので、おそれる必要はない。また、特定移民の国外追放について。アメリカは移民によって作られた国なので、新規移民の中止にも限度がある。オーストラリアのように、入国しづらくすることはできる。アメリカが今まで野放図に受け入れてきたので、そろそろ移民の流入を制限してもおかしくはない。差別主義というくくりでみるのは、外れている。

 トランプ大統領は、おそらく共和党の政策をどんどん始めるだろう。彼の公約は、TPP脱退、ラストベルトの旧態依然とした産業の保護、メキシコ国境の壁をメキシコの費用でやや高くすること、駐留軍の経費を各国からもぎとること、公共工事を行うことだ。

 共和党の政策としては、オバマケアの廃止、大規模減税などである。今のアメリカでは全てが実施されることはない。彼の主張を現実的に理解すべきだ。共和党は、経済政策に失敗して、アメリカ経済が落ち込むというのは過去の話だ。もうそんなことはないだろう。

 アメリカを偉大な国にするためには、オバマが失敗してアメリカの威信を落とした海外紛争の解決が不可欠なので、彼はいずれそこに挑む。シリアの混乱か、ISの鎮圧か、アフリカ内戦の収束である。そこは世界平和に直接つながるもので、彼に期待してよい。

 

 

 祝 トランプ氏が大統領、世界は自国主義の時代に、その理論 2016-11-10

 

 トランプ氏が大統領になった。おめでとう。彼はTPP反対だ。イギリスはEUから分離した。地域主義の終わりを告げる。彼は、移民など隣国からの迷惑に特に敏感だ。日本など周辺国にけちをつける。多数の国家と協調する、というこれまでの規範に反旗を翻す。国家単独主義の台頭である。

 これは時代の理に適う。集団でいつも行動するのは、その集団内のルール・規律・制度にあわせなくてはならず、各員の個性や適性が十分に発揮できなくなる。それが、停滞や不満の原因となる。これまでは地域主義が跋扈して、なんでも地域共同体での共通のルールに基いて国家は行動してきた。が、それでは、国は最大のポテンシャルを発揮できない。その時、隣国などへの不満が強まる。

 「孤立主義」になるというが、この個人の適性に基づいて行動する時は、国家は地域集団に合わせない。そして、自国の特性を最大に発揮する体制へと変身する。が、自国の適性にそった国際的なテーマには、積極的に参加する。プロジェクト組織の構成員のように。アメリカが孤立するのは一時だけで、彼らには彼らのテーマがあり、その国際活動はやめないだろう。

 トランプ氏は、アメリカの個性、適性をこれから特定する。そのはじめの作業では孤立主義に陥るように見えるだろう。が、後半、新しくその体制で活動範囲を広げる時には、外国に積極的に打ち出てゆくだろう。孤立主義は一時的なものとなる。当面は、アメリカの国内の経済政策を重視することが求められる。

 トランプ氏の経済政策

 アメリカの「分断」という記事を散見する。が、私にはよくわからない。対立は起きていない。ヒラリー派とトランプ派がお互いを襲う大きな事件はない。対立が激化すると内戦に発展する。内ゲバや抗争につながる。が、それはみられない。アメリカの大統領候補についての分断を社会問題として重視する必要はない。

 彼が当選したのは、鉄鋼業や製造業、炭鉱など「ラストベルト」という地域の旧い産業労働者の支持があったからだ。これまで民主党は、ITや成長産業を重視した。中国にもっていかれるような時代遅れの工業や産業を大切にしなかった。自動車だけはなんとか、回復させた。が、その他は見向きもしなかった。そういう取り残された産業労働者達がヒラリーを捨て、トランプ氏に期待した。トランプ大統領は、これら産業労働者を救うための経済政策を打ち出さねばならない。

 これら単純労働に近い産業者は、移民に仕事を奪われた、という。それで「反移民」がクローズアップされる。が、単純労働に近い仕事を奪うのは、移民だけではなく、安い製品を作る中国でもある。トランプ氏はそういう事情で、外国との関係を見直すだろう。トランプはこういう見捨てられた産業をいかに保護してゆくか。それが問われる。ヒラリーみたいな中国のお金を受け取る政治家にならなくてよかった。

 

 

 トランプ恐怖症の日本人は情けない-米軍駐留費の負担問題の意味 2016-11-09

 

 トランプ氏は日本に駐留経費を払わせると言った。彼に戦々恐々としている人がいる。実に情けない。これを公開する頃には結果が出ているだろう。が、一言。駐留経費を払わないなら、彼ら米軍は日本から出てゆくのだろう。その時に、基地は返還される。必要な時にそれができるようになる。悪くはない。

 

 次に、経費を払って軍隊の金を払うのは軍を雇うということだ。米軍を日本人は金で雇う。彼らは傭兵に成り下がるのだが、そうなると日本が米軍の主人となる。ポチは米軍になる。立場が逆転する。これも、考えようによっては悪くない。駐留経費を彼らが要求するなら、思いやり予算などの米軍への対策に使っている金で、1兆円くらいを確保して、やりきるしかない。さらに彼らには指定した基地のみで、働いてもらおう。今まで彼らが使いすぎている基地は、日本が没収する。

 このように日本が米軍に金を払って雇うようになり、彼らのご主人様になると、いいこともたくさんある。負担だけ増すと、恐れるのはいじめられっ子の弱虫である。独立国家の人間の考えることではない。トランプ氏は落選するだろうが、彼は極東アジアでは、米国を傭兵にするつもりで、米国を貶め、偉大な国にする気はない。

 

 

 『博多陥没「大柄な議員歩いたから…」 自民・竹下氏発言』(朝日新聞 11/8) 2016-11-09

 

 言葉狩り、最果ての地に

  自民党発言で少しで不謹慎と思われるようなものがあると、左派メディアはとりあげる。前は、強行採決だった。今度は、 JR博多駅前の道路陥没で、「(大柄な)井上が歩いたんじゃないかな」と自民の竹下亘を朝日新聞などはとりあげた。
もはやどうでもいいレベル。朝日新聞はくだらなくなってきた。いや、議員の言葉狩りが過度になりすぎた。

 

 

  給料が低いのはデフレのせいで、それをつくったのは小泉改革ではなく、日銀の速水元総裁 2016-11-08

 

  日本人の給料が低いのは、半分はデフレのせいだ。民間と公務員の給料を調べるとよい。確か、1993年くらいは民間がかなり高かったと思う。それが今は、公務員が500-700万円で、民間は400万円以下。あれからも成長が続いていたら、民間は公務員の給料を上回っていたはずだ。デフレによって民間の給与は下がった。

  給料が安いのは、小泉改革のせいだとか、安倍政権のせいではないとか、いろいろ言うのはいる。が、最も罪が重いのは、成長率を下げ、円高にした張本人。10-20年間量的緩和をしなかった日銀の元速水総裁なのだ。彼が給料の上昇を押さえつけたのである。このくらいさらっていえないようでは、アナリストとして見込みはない。

  また機械化が仕事を奪って、給料が低くなったともいえる。単純労働がロボットに奪われた。ロボットには金がかかるから、会社は溜め込まなくてはならない。ロボットを買うのは投資となり、内部留保とは少し違うようだ。 が、会社はどんどん太ってゆくのが、新しい流れだ。ほとんど機械化された工場で、従業員はわずか。それが、統計にも反映しているのだろう。内部留保の増加を責めるのは、よろしくない。それが自然なことだから、それを説明することが経済学者の役割だ。

 私のみるところ内部留保を正しく説明するアナリストはめったにおめにかかれない。 機械化された生産ラインをもつ工場で、儲けが出る。「内部留保をためこむな。わずかな従業員にそれを払え」、というのはお角違いだ。機械に投資するために、たくさんもっておく必要がある。それが自然かつ正しい会社の判断である。もちろん、人には相場の給料を払いつつ賃金は満足するものは出す。何の問題もない。今は、機械に金がかかる時代なのだ。人への投資はその何分の一ですむ。内部留保が増えるのはごくごく当然である。

  それは先行きが不安だから、とか経済不況だから、という理由ではない。投資はロボット主体で、大規模になるからだ。コンピューター代もかかる。昔は、人だけ、もしくは人と工具だけ集めたらなんとかなった。今は、専用機械が高くつくのである。だから内部留保も多めに確保しなくてはいけない。これを統計で証明するのが経済学者の仕事である。

 

 

 もう一つのおがくず芸術-奥河内音絵巻も危険では? 2016-11-07

 

 「神宮外苑の催しで展示物燃える 5歳男児死亡、2人負傷」(朝日新聞11/6)

  明治神宮外苑の野外美術展で、おがくずが内部につまった木のジャングルジムが燃えて、遊んでいた子供が亡くなった。照明の白熱電球の熱でおがくずが燃えた疑いが。燃えやすいオガクズを使うとは、安易だった。そういえば、大阪の河内長野市のコンサート、奥河内音絵巻も、オガクズを体や頭につけて、演舞していた。私は直感的に嫌な印象を受けたのだ。

 それはNHK大阪の近畿熱視線で「山を鳴らす男〜奥河内音絵巻の世界〜」と特集された。幻まつりのパンフにこうある。 『「幻まつり」の部隊は「かんなのはな」が咲き誇る森。木をうすく削ったかんなくずでつくる誰も見たことがない美しい世界。』  体や頭におがくずをまきつけて、踊る。セットにも大量のおがくずを使った。運良く火事にならずに、成功した。が、一歩間違えるとたいへんなことになるところだった。

 次はやってほしくない、と思う。当然、防火剤をオガクズに添付するとクリアできる。それでも、芸術におがくずを使うのは長持ちしないし、燃えやすいからやめたほうがよい。

 

 

 マイケル・サンデルの元ネタはジョン・ロールズ 2016-11-07

 

  昨日、梅田の大手本屋で、最新書を2000円ほど買ってきた。私が最近はまっているのが、公共経済という分野。あの正義の話をしようで注目されたマイケル・サンデル。彼の思想はコミュニタリズムで共同体主義だ。彼は、共通善を模索するそうだ。彼は功利主義、分配や正義や愛、道徳的かをよく論じ、経済学からみると特異だ。

 彼の価値は、経済活動や法律に、道徳的な意味を与えることだ。金の話は夢がなく、うんざりする。が、善悪などの観点で、経済活動や政策、制度を論じるなら、それはとてもどういう意味があるか、よく理解できて、おもしろいと思う。彼の論は、目新しく思った。が、調べてみると、それはジョン・ロールズの論点を発展させたものだった。

  とみえてきたところだ。彼の論点はわかりにくいが、ロールズを知らないとみえてこないものがいくつかある。それは「格差原理」などである。 「正義」が一般的に何かすら特定できない彼は、私からすると、混迷の中にある。彼のいう正義は、法律上の正義であり、アメリカの裁判が事例となる。その点は、ユダヤ教的である。彼は、分配の正義ばかり。彼の本を読み、安易な人物が、分配だけしか考えなくなり、社会主義に結びつくことを危惧する。が、彼はそういうものは、お嫌いなようだ。

 今わかっているのはそんなところ。いずれ整理して論じたい。サンデル批判はいずれしよう。彼の間違いはすぐにわかる。簡単にできそうだ。それは私にとっては、軽い思想の練習である。

 

 

 政治を議論と交渉の場から、幼稚な演劇の場に変えた「強行採決」騒動 2016-11-05

 

  TPP承認案が衆院特別委で可決。 民進党と共産党は審議をさぼって、採決の時は現れて、議長席前でビラを掲げて大暴れ。民主主義の体をなしてない。審議をすると言っていたくせに、さぼる。これでは民主党はダメである。農水省の失言も、たいしたことがない。どこかのパーティーで「野党が必ず強行採決するだろうと総理に質問するが、強行採決するかどうかはこの佐藤勉さんが決める」。そんな「冗談を言ったら、首になりそうになった」と。

  強行採決かどうかは、野党の思惑で決まるのだ。十分な審議時間をとって、採決したにもかかわらず、野党が反対する案。つまり、野党はその法律に反対したと過剰の国民にアピールしたいものなら、野党は「強行採決だ。数の論理だ。」と反発する。 その時に、野党は立ち上がって議長席でもめたら、強行採決でもなんでもないのに、強行採決となる。強行採決かどうかは、単に、野党が議長席で暴れるかどうかだけが、現在の基準なのだ。

 プラカードを持ち、ビラを掲げ、議長席で暴れたら、強行採決。暴れなくても、穏便に野党が退席などしても、与党が採決を行ったら、強行採決とされる。野党が納得して、臨席して、法案が通した時だけ、強行採決ではなくなる。最近は、そんなものにみえてしまう。「強行採決」かどうかは野党のしょうもないパフォーマンスで決まるのだ。まさに政治のジョークだ。

 このあたり「強行採決」がもはや政治の本質、国会の役割である法律の審議や議論の問題から離れ、政党の過剰な演出になりつつあるのを感じ取り、山本農相は「冗談」と言ったのだろう。それはあたっている。メディアは派手なパフォーマンスでにぎやかにしてくれるほうが、視聴率を稼げるからとりあげる。だが、それによって、政治は議論と交渉の場から、幼稚な演劇になった、といってよい。

 もちろん、その「強行採決ごっこ」の主役は、プラカードやビラを掲げて、暴力的に立ちはだかる民進党議員である。彼らこそが、日本民主主義の幼稚性の現れである。あの姿はどうみて、大人や老人ではない。私はてっきり、過激左翼の活動家が国会にもぐりこんだのかと思ったほどだ。

 

 

 オリンピックのボート競技場 海より川がよい 2016-11-03

 

 オリンピックのボート競技場 海より川より池がよい。東京都が都内に作りたいのは、わかる。が、海の森水上競技場はいけない。お台場の奥深くのゴミの島。そこに東京ゲートブリッジがある。その横、人口島の間、狭い隙間が建設予定地だ。そこは強風が吹き荒れ、風力発電がある。年柄年中、強い風が吹いて、海面もあれる。そんな波立つ海で、ボート競技ができはしない。そもそも防災がなっていない。

 

  東海大地震、東北の大地震、首都直下地震。この3つで津波がくる。しかも、場所が最も東京湾に近く、津波の直撃を受けるところだ。東京湾は津波が高くはなく、2-3mだ。が、くるたびに競技場は損害を被る。その地震リスクがある。台風でも大荒れ。海につくることは無謀である。建設費が多少低くても(この見積もりには疑問が多いが)、運営費が、そういう自然災害で高くつく。2度と使われない競技場となるだろう。

  内陸の池は、台風も怖くないし、地震の被災が最も小さくなる。津波の破壊を免れる。川は、大雨がたまにあり、あまり推奨はできない。自然災害に最も強いのは池である。が、もっともよいものは、水が淀まない川かもしれない。災害列島で、最もコストの低いのは池だろう。地震が迫る今、レガシー(何度も使われること)を考えると、コストパフォーマンスがよい内陸にすべきである。

 しかし、私は最善は作らないことだと思っている。東京地震が2020年までに2度あり、オリンピック自体が中止になる。よって、建設もいずれ中止になる。だから、東京オリンピックみたいないずれ白紙撤回になるようなことは、考えてもムダ。それに大切な報道の時間を使ってもらいたくない。

 

 

 正論12月号の感想 市場を豊洲に移転するのは来年、ユネスコ代表 2016-11-02

 

  正論12月号の感想
「豊洲地下の空騒ぎ」の特集。都が報告なく勝手に、地下を空洞にした。都の組織内でのごたごた。正論は、そんな問題を国民全体で騒ぐことに興味が失せたようだ。 市場の業者は、豊洲に何百万とかけて、移転の準備をした。設備を入れた。内装や外装備を施した。今更、移転しないではすまされない。補償金が莫大になる。空洞の水も環境基準だった。空洞に問題はなかった。今後は、その豊洲が安全だと印象づけて、市場の移転をするだろう。

 

  小池都知事は、最終的に責任者を「報告しなかった」、「勝手に計画を変更した」ということで軽い処分にして、終わらせる。そして、改めて豊洲を評価する。モニタリングの結果が出るのが、来年だそうだ。その後に、移転させる予定だろう。 騒いだわりにたいしたことがない。

今回一番の出ものは
『「南京大虐殺」を世界遺産にしたユネスコ事務局長のトンデモない経歴』(ジャーナリスト ミロスラフ・マリノフ)
ユネスコ代表のイリナ・ボコバァはブルガリアの社会党出身(元ブルガリア共産党)だ。父親が共産党員で本人もそうだった。虐殺か何かに関係した父親で、冷戦期に国民を弾圧して、特権をほしいがままにした共産エリートの家の娘だ。ブルガリアでは、かなり嫌われる。彼女がユネスコでも、共産国の宣伝に走るのは、かつての共産党時代の彼女らしくて、すごく感じ悪い。ブルガリアでは共産党は骨の髄まで嫌がられる。ユネスコ代表女の暗く歪んだ本性がわかって、とてもよいレポートだった。

 

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