論考 2016年 1月

 

2016-01-30

 日銀の黒田総裁がマイナス金利を設定。さすが改革者だ。前代の何もできなかった速水とは大違い。

 

 

 世界は中国対アメリカの対決構図(ブラック化とホワイト化する世界の首脳陣) 2016-01-30

 

 中国の抗日戦勝70周年記念行事の軍事パレードに集まった主席面々。この中には、ブラックな世界首脳達が含まれる。北朝鮮、ベトナム、ラオス、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ヴずべき、ロシア、ボスニアヘルツエゴビナ、チェコ、ベラルーシ、ポーランド、セルビア、アルジェリア、スーダン、エチオピア、今後、南アフリカ、、ベネズエラ、アルゼンチン、キューバ。そして、国連事務総長の潘基文。 このうち悪名が高いのは、ベルズエラのマドゥロ大統領(チャベスの後継)。スーダンのバシル大統領である。

  そして、アメリカのグループに所属するのが、ホワイトな面々で、日本、ヨーロッパ諸国などがいる。
 大きな図式としては、アメリカと中国の対立構図が年々強まる。ロシアは窮乏国家としてプーチンが気を吐く。が、脅威は中国を勝るものの、衰退しつつある侘びしさが否めない。中国は年々その世界への影響力を増すから、危険視する。

 

 

 バチカンの左傾化 2016-01-30

 バチカンは、ブラックに接近する。今度の教皇自体はおそらくよき人物だが、どうやら共産主義者が側近に紛れ込み、赤い外交を促すようだ。彼の会談相手は、イランのハッサン・ロウハニ大統領(1/26)、プーチン大統領(15/6/10)、パレスチナのアッバス議長(15/5/16)、キューバのラウル・カストロ議長(15/5/10)、東ティモール。バチカン放送局の会談リストにそうそうたる世界の暗部が並ぶ。また彼はエキュメニカル運動にも加担する(バチカン放送局より)。それは、ソ連などの赤い牧師が入り込み、カトリックの純粋性を貶める意図がある。彼の周りに赤い枢機卿がいて、教皇を操るようだ。

 フランシスコはなりたてで、いまだバチカン内の赤い策略にひっかかる。教会に入り込んだマルクスの亡霊を追い出すことが急務だ。日本でのその排除を望む。幸いにも、彼は高山右近を聖人に列福したが、中国で中国人に殺されただけのオランダ人牧師達のそれ(日本軍のしわざと主張する悪質なデマに基づく)は斥けた。日本のカトリックが中核や北朝鮮の強い影響を受けていることは、バチカンはわかっているようである(「カトリック教会の左傾化(第1回) 月曜評論平成12年5月号掲載より」)。彼は、神から遠ざかったバチカンからそれら悪因をすべからく取り除くべきである。

 

 

 天皇がフィリピンで謝罪の訪問をしたという報道に違和感  2016-01-30

 

  天皇が日本との戦いで亡くなったフイリピン人をずっと忘れない、と繰り返し報道することには、納得ゆかない。日本だけが戦争で悪事を働いたように思わせる自虐の細工のようだ。フィリピンは第二次大戦中の敵国である。多くはアメリカの支配を受け、アメリカ頼みで、アメリカのスパイのとして残党の日本軍兵士を見つけては、アメリカに告発したのである。またアメリカの武器を受け、日本軍の掃討戦に加担していた。フィリピンの村人の銃器によって、日本兵の多くが失われた。それは、歴史の事実である。

 

  ゲリラ戦でさまよう日本軍はそのため、そんな村民の襲撃者から自らの命を守るために戦闘をした。そして、フィリピンでは51万8千人もの日本兵が犠牲になった。 天皇は日本兵士のことを思い、彼の地で散った者達を慰霊するのは、国家の王としての行為だ。が、戦闘で亡くなったフィリピン人への謝罪をするかのような報道は、よくない。戦闘でのそれは、善悪は五分五分である。日本人兵士より彼らフィリピン人が貴いことはない。

 

  マニラでのアメリカ軍の無差別爆撃で多数が亡くなったが、日本兵のしわざでもない。 天皇がフィリピンに、へりくだるかのように謝罪したと錯覚させるニュースを何度も見た。が、日本の長たる者が、そんな敗戦国にのみ課せられる屈辱的な言動はしなかっただろうと思われる。 左翼メディアが、天皇の言葉を編集して、天皇がフィリピンで謝罪したかのように印象づけていた。それは偽善的報道である。

 フィリピンは当時、敵国であり、村民あげて日本兵を50万人、銃殺・撲殺した。戦後にも、山狩りと称して、不法に日本軍人狩りをしていたような国だ。捕虜にすべき居残り日本軍人をその場で射殺していた。フィリピンからその謝罪は日本は受けたのだろうか。そんな国に、謝罪する必要はない。そういうどっちもどっちの過去があるから、そういうことは水に流して、対等につきあうとよい。

 

 

 甘利大臣の辞任 2016-01-29

 

 甘利経済再生担当相が辞任した。潔いが、残念だ。(ヤフーニュースより、産経新聞) 閣僚が金銭不祥事。辞任は当然だ。TPPの合意には尽力して、締結まで一週間と迫った時に、辞めた。さぞ無念だろう。これまでの安倍政権内の不祥事の通例としては、閣僚辞任の後、数ヶ月話題になり、議員辞職せずに沈静化する。それで落ち着くのではないか。メディアは著名人の小さな失態を大げさに扱う風潮がある。例えば、芸能人の追突事故とか。惑わされてはいけない。政治家の倫理基準はもっと、普段からもっと明確にしておかなくてはいけないと思う。今回もメディアで混乱した物言いを散見する。

 1,「金銭の受け取りがあったから、黒」だという

「金銭授受」は政治家にとって寄付の受け取りである。それを政治資金の報告書に書くと表の金。合法だ。それを怠ったら裏金となる。件の金も政治資金の報告書に書いた分には、何の問題もない。

 2,「大臣室で寄付を受け取ったら、問題だ。」という
 大臣室で寄付を受け取ったら、即、裏金という印象づけも、メディアのあざとい演出だ。適切に寄付として処理するとよい。菓子箱とともに封筒に入れた金を渡すというのは、賄賂っぽくみえても、受け取る側が表の金として受け取るなら、これをもって賄賂=裏金とみなすことはできない。

 3,「口利き斡旋」の疑惑を過度に表現
 「口利き」は、斡旋とかなんとかあるようだが、甘利大臣はURに指示できる権限をもってないから、罪に問われないという。口利きした事実すら、はっきりしてないのに、強い疑惑があるかのような報道は、どうか。寄付にはいろんな思惑がある。で、寄付に対して、政治家が法を破ってまで何かをしたか、というのは明らかになってない段階で、不法という印象付けはいけない。

 野党の追求は続くようだが、この追求は「権力闘争」であり、事の真相を明らかにするだけなら、国会で長時間かけて行わなくてよい。専門の委員会で設けて、そこでやると事足りる。メディアもこういう政治の主流ではないものに、いつまでも関わってほしくないものだ。

 政治の失態があると、すぐに国会がそれで空転する。そんな無駄な時間を作らないためにも、国会は国内の政策に集中できるよう、こういう政治家の規律専門の委員会を作るべきだと思う。憲法に特記して、この手の政治倫理を調査する制度をつくってほしいものだ。

 

 

 「追求ごっこ」に走る大人たち 2016-01-29

 

 追求、追求と、大人がはしゃいでいる。左派メディアや野党が。本当にくだらない。「追求」のパフォーマンスばかり、演じたがる野党、メディア。追求者になって、正義面したがるのは、小者だ。事件を正しく把握して、原因をつきとめ、再発防止する。社会の努めだ。が、問題を明らかにするのは、刑事がやっても、規律委員会がやっても、議員が国会でやっても、誰がやってもあまりかわらない。「追求者」になって、事の真相を明らかにするために、当事者を問い詰める。一番の手柄をとろうとするのは、子供じみている。

 本人が、自ら隠さずに、明らかにしたら、追求する手間も省ける。それが一番よい。 左派メディアは「追求」に浮かれている。が、「追求」が大事なのではない。事の真相があきらかになって、適切に処理することである。「追求」が脚光を浴びるのは、当人が大切な事実を隠す時だ。社会のために、それを明らかにすることは必要だ。そんな時は、追求者には期待が集まる。

 が、事の真相を当事者がなんら隠し立てすることなく、明らかにするなら、「追求」など必要すらない。書類やデータが揃って、はいそれでおしまい。そんなちっちゃなことで、正義ぶって得意顔をするようなのが、今あふれている。「正義なんかない」と善悪基準を見失った全共闘左派が、政治家の追求という「小さな正義」に走る。彼らはそんな正義しか語れなくなった。赤い正義=犯罪者の正義面だが、それよりはましか。

 

 

 国会で「誰に向かって×××だー。おらー」とヤジを飛ばす共産党議員 2016-01-28

 

  しつこいといえば、国会のアカ、日本共産党もいつまでもやじを飛ばす。大阪維新の党 馬場伸幸氏は国会の演壇で、共産党のブレブレのスタイルを皮肉った。『「自民党を一番熱心に支持した共産党と、国会で自民党に対立している共産党は、いったいどちらが本当の共産党なのか」と批判し「無責任」と糾弾した。』(産経新聞1/27 Biglobe ニュース)

すると「誰に向かって×××だー。おらー」、「誰に向かって××××だー って聞いているコラー。」と怖い共産党のやじが怒号となって国会を響き渡った。「誰に向かって×××だー。こら」は、やーさんや不良少年が弱い者を脅す文句だ。(映像 日本防衛保守チャンネルより)

  共産党には、維新の会の馬場伸幸議員が国会議員という権力者であるにもかかわらず、弱く見えたのだろう。共産党はどこにそんな国会議員を凌ぐ力を持っているのか。暴力団と似た口調から、その手の力だと推測できる。どこに隠しているのだろうか。 普段から、このヤジを飛ばした者は、威嚇的なのだろう。力づくで何か言うことを聞かせてきたのだろう。それがヤジという形で思わず口から出た。本当は、怖い共産党。ヘイトスピーチ並み。
 
 共産党は国会にいない者や企業を国会、赤旗新聞でさんざん中傷非難批判しておきながら、よくその場の発言権がないから批判するな、といえたものだ。言論の自由のいろはも知らないのか? そんなに発言権のない者を批判するな、というなら赤旗内で批判する立場の弁明を偏見に基づかずに表記すべきだろう。だが、そんなことはしないではないか。

  議会で北朝鮮批判をした時に、北朝鮮の議員に日本の国会での発言権などないのだ。国会議員は、日本中の悪を正すのがその勤めだ。悪しき党を非難することは、許容される。国会で軽くおちょくられたくらいで、大騒ぎして、会見まで開いて党代表の志位がわざわざ発言するとはちっちゃい。その三下は乱暴だということはよくわかった。

 

 

 詐欺師、共産主義者、手品師は人に話す時に細心の注意を払う  2016-01-28

 

 共産主義者の冷静さというのは、詐欺師が人を騙す時のそれによく似る。相手の顔色を伺い、よく練った手順通りに、裏がばれないかヒヤヒヤした顔を隠して、何やら怪しげな論法を話す。手品のように、悪を善と言いくるめるその手口は、やたら凝る。
 この手の人間が人を騙す時は、演技して、理路整然と、非のうちどころのように振る舞う。それは騙しのテクニックがばれたら、信用失墜して、終わるからだ。彼らは常に、それを恐れる。が、騙しの作業を終えて、普段の生活に戻ると、途端に彼らはどうしようもない人間となる。手品師は例外で、なんでも凝るのが好きで、生活・生き方全体がデザインされていて、楽しい。悪い人間ではない。

 詐欺師や共産主義者は正味欲望のままに生きている。人を騙して得た利を欲望に使うからだ。目的はそちらにあるのだ。彼らにとって手段などどうでもよいのである。共産は裏が、見えてしまうと、あまりにもその乱雑さ、性格の醜態さがひどい。表だけ取り繕っているタイプである。内ゲバが盛んな党は、世間にのみ言い顔をするDV夫のようである。彼らは裏表が激しい。

 

 

 昨今叩かれている人たちは首相候補から外れる 2016-01-27

 

 甘利大臣が罠にはめられ、「金銭を受け取ったこと」で週刊誌のスキャンダルに。それが合法か違法かは、はっきりしない。疑わしきは、罰せず。有罪の議員のように扱うべきではない。思い出すと、半年前は「石破大臣」が週刊誌で叩かれた。彼は金銭絡みでなく、資質の問題として。自民の出戻り。外国人参政権に賛成して、国益がわかってないという理由で。

 その前は、麻生氏が首相再選の狙いがありやなしや、という頃に、彼の帽子や格好が、ゴッドファーザーのようとか、失言が雑誌のネタになっていた。小渕優子も、政治資金収支報告の記載で、やられた。自民議員のスキャンダルは、このように週刊誌で一時期、話題沸騰する。

 頭角を表し、首相候補と目される政治家は、負の印象がつけられる。その一環である。甘利大臣の件は、自民のトップ争いで、脱落するという話である。とはいえ、これまで大物が誰も議員辞職には至ってないことから、甘利大臣も事が収まるだろう。内閣を揺るがす大問題に発展する、と反安倍は期待しても無駄である。自民内の序列の調整が、この目的だろう。もしくは国会空転が。

 

 

 「立憲主義がないのは共産国」 2016-01-27

 

  共産主義が第一の憲法である共産国で、憲法が順守されることはない。共産の価値しか、いや、独裁者の共産党の代表の考えこそが法で、既存の法はその下にある。中国は、また法律を信用せず、個人の力量で生きていかなくてはならない。その手先の左翼も、やはり憲法など眼中にない。朝日新聞や野党の左翼議員に、その傾向は強い。常に法律を利用して、時には無視して、法律を歪めることも平気である。

 が、自由主義の保守派は、民主主義と憲法と自由をきっちり守るから、戦後からずっと日本は立憲主義だった。憲法はただ人間が作った規則で不完全なものであるから、よりよいものに改良する努力はしなくてはならない。古い法律に縛られてしまうと、国家も発展できなくなる。憲法にがんじがらめになるあり方は、推奨してはいけない。すると、国家として生き残りができなくなる。それで、改憲する。保守派の日本人は、法律を重く用いる。左派は低く用いるとしても。

 

 

 安倍首相の保守からの支持が落ちるわけ 2016-01-26

 

 安倍政権の支持率の奇妙さ。 安倍首相の支持率は落ちてない。が、保守、右派からの支持が下がりつつある。そこが奇妙だ。目先の株価の下落で、アベノミクス失敗と叫ぶのがいて、どうやらそれに大勢が惑わされているだけではないらしい。安倍政権の政治自体は、悪くはない。GDPが上がり、収入の2-3割が税金なので、税収が大幅に増した。企業の収益が過去最大。そこから、春闘での賃上げも予想できることが大きい。給料は年々上がる。

 アベノミクスによる企業収益の拡大(これで好景気のはずだが、なぜか日本は消費が上がらないで、停滞気味と思われている。この矛盾をうまく説明している人が、いないのは残念である。)が株価だけでなく、労働者の賃金を引き上げる。春闘は始まったばかりだが、今年も去年ほどの大幅アップではないにしても、実現する見込みである。

構造改革は、大胆で長年自民党が手をつけられなかった農業にまで及んだ。その手腕は大きく評価すべきだ。TPPも、かなり日本の農業の聖域は守った。これも渦中の甘利大臣の功績である。悪化していた日中・日韓関係を改善したことも評価ポイントだ。こんなにうまく改革を行ったのは、民主党以前でもそうはいない。 が、保守からの人気は下がる一方である。慰安婦問題で韓国に不本意に妥協して、国益を傷つけた。が、10億円は韓国の合意履行を担保にしており、これまでの韓国に騙された政権とは一味違うとしても、納得していない右が多い。

 日韓関係の修復の必要に迫られたかもしれない。中国への90億円の植林事業は、不要な援助であるとも右から非難される。経済大国に援助するのはどうか。植林で黄砂を減少させることは、日本の国益に直接適う事業ではあるとはいえ。中国へのODAは中止など、時代にあった政策が望まれる。

 拉致問題で北朝鮮からの報告はうやむやになり、どこかに消えしまったが、これは失態である。北朝鮮は約束を守らない国。そう悲観することもない。が、制裁に踏み込めないのは弱い政権のようだ。保守からの評価は下がる一方だ。これは適切に、安倍政権の政治を解説するものがないために起きている。安倍首相がわりと寡黙なのである。が、国内外の政策は総合的に優秀である。

 逆にリベラル層は、日韓合意や戦後70年の談話、賃上げの首相からの催促などで、評価が上がる。集団安保の反対に共感する左派は思ったほど多くいない。北朝鮮が水爆実験をしており、国際的な脅威は日々高まることを国民は感じている。この上昇分で、安倍政権の支持率は回復している。

 安倍政権は、4年で日本を取り戻した。そろそろ交代の準備に入ったと思える。新しいバイタリティがある首相が参議院後かひっぱってゆくだろう。自民党が政権党に君臨するから、安倍政権の支持率自体は落ちない。が、安倍首相への個人的な応援が弱くなりつつあるのはそのためだろう。

 

 

 日本から世界的な思想家が出ないわけ 2016-01-26

 

  日本の論壇をよく眺めよう。慰安婦の嘘を見抜けなかったら、後世には共産が消え、真実が明らかになるから相手にもされない。日本の国益というが農業などJAの宣伝がまかり通っている。こういう国内のごたごたに関わっていたら、頭角は表せない。
左翼の世界市民などは、反戦平和など、国防の意義もわからない代物で、人権の偏りも強い。それを掲げるようでは、世界の知識人からは相手にされない。

 

  反グローバル主義も、新自由主義という大きな世界の潮流に対する小さな反抗みたいなもので、そんな非主流派の世界観にはまっていては、世界の動きをとらえられない。 憲法改正などは世界ではごくふつうに行われる。が、左派はアメリカに押し付けられた憲法を「護憲」するなど日本が独立国として恥ずかしい状態にあることすら自覚していない。そんな憲法すら正しく語れないようでは、世界のインテリセレブ相手に会話もできない。 日本の論点は、このように多くは、国内だけにしか通じないものだ。そして、多くはこれらの歪みを正すため、左派による扇動対策に費やされる。

 

  世界の主流はコンサバティブだが、格の落ちるリベラルを見上げ、その和に入ろうとするメディア人達。左翼は、さらにマイナーなフランス国家社会主義をかつぎあげる。ユダヤ人の陰謀を語り、喜々とする視野が狭い人たち。世界の流れは、新自由主義だが、それを肯定的に受け止める人もほとんどいない。その面での研究が日本では薄い。どうして 、こんなので世界と対等に語れよう。三流(左翼・左派)、二流(地域保守)ばかりだ。今、日本の言論界で、世界の上位に入れる知識人はいない。

 

 

 沖縄は左翼県政与党に完全に毒されてはいなかった 2016-01-25

 

  宜野湾市長選挙
 自民党系の佐喜真淳氏が勝ったことから、沖縄にはいまだ左翼に毒されていない地域もあるという希望を感じた。左翼の扇動に弱い県民という烙印はまだ押せない。オール沖縄(沖縄は共産党一色)というのが、真っ赤なデタラメということが露れた。沖縄の民意は、共産を嫌っている。

 

 

 テレビは中小企業紹介に偏り、夢がもてない 2016-01-25 

 

  テレビがつまらない。特に科学もの、自然ドキュメントも昨今、テレビ画面から姿を消した。予算が少ないからか、スケールが小さいものばかりだ。最近特に、増えたのが地域特産品や中小の発明や技術の紹介だ。小さな産業を起こすには、そのくらいものがたくさん知られるのはよい。若者も、地方や中小の工場で働くことの社会価値を見出せるだろう。

 

 こういう地場産業や中小企業の製品を広く国内に知らせることは、日本全体でそういう伝統技術、町工場や発明や創意工夫を盛んにして、中小の技術力を高めることにつながる。大企業しか参入できないような多大な資本が必要な工業を除く、重工業や軽工業の魅力を伝え、そういう分野に参入する若者を増やすだろう。 だから、そういう分野で日本はこれから伸びることにつながる。が、残念ながら、世界最先端の科学や学問研究は、最近紹介してない。だから、子どもたちは小さな夢は持てても、大きな夢をもつことができない。

 

  世界的な数学者になる。世界的な発明をする。ノーベル賞をとれるような画期的な理論を発見する。そういうものを目指す学生は、減ると思える。ノーベル賞の日本人受賞者は増えているとしても、それは過去の業績の話。彼らは、人類の課題、先端的問題をよく知っていて、アフリカに薬が必要だとか、素粒子の謎を解くとか、宇宙の未知を解明するとか、そんな学問的な探究心や偉大な発見発明をするという夢があった。

 

  一昔のテレビには、そんなテーマがごろごろしていたように思う。が、今はちっともない。雄大な自然に感嘆するという自然の神秘に触れるものすらなくなってきた。世界を旅して、世界の民族文化や世界の文明の美しさ、世界の人々の精神の違いを感じるものもない。自然の神秘を知り、それらに好奇心をもつ。そこから科学の心は芽生える。その科学の基礎が軽視されるようになった。日本人は、日本人のことしか興味がないかのようだ。また世界のトップにあがる意欲すら出ないだろう。 これでは日本人に未来はない。未来の技術を日本人が作る側ではなくなる。アメリカにすべて先端的なものはとられてしまう。

 

 

 世界的な株安なら、日本だけ(アベノミクス)の失敗ではない 2016-01-23

 

 株安となると、安直にアベノミクスの失敗と煽りたてるのがいる。が、日本だけでなく、世界で一斉に株安。それは日本の経済政策の失敗ではない。 企業が最高益を出したことからも、日本が繁栄を取り戻しつつあり、安倍首相はうまくやっている。日本の下げ率が他国と較べて低いなら、日本はまだしも健闘しているといえるだろう。

 

  日本の円高は、日本の円の信頼性の証。が、政権に関係なく、民主党時は超円高になったから、今回も円高株安だからそれをもってアベノミクスの失敗といえない。1ドル85円くらいまで急上昇しなければ、民主党よりいまだにかなりよい。とはいえ為替介入は必要だろう。日本政府や海外は1ドル120円で保つという方針だったようだから。今は米国の利上げで、世界の中のマネーが変動を始めた。その渦中にある。落ち着いてから手を打つか。それともこの激動の最中に、何か処置を下すか。難しい判断である。円高=株安の是正が政権の喫緊の課題である。

 

 

 究極の平和=戦争リスクの時間ゼロ 2016-01-23

 

  危険な国が隣にあり、我が国に侵攻しようとしている。テロなどを隠れてやっている。我が国を転覆させるよう扇動家に資金援助して煽る。日本を無力化しようとする。どうすると、そんな不穏な世界で、平和が実現するか。 最も理想的なのは、これら脅威を瞬時に消すことである。すると、危機は、翌日には解消している。その後、一日も戦争をしかけてくるという不安になることはない。平和が戻る。どうするとよいか。簡単だ。隣国をすぐに叩き潰す。軍事的に叩き潰す。一切の反撃を許さないほどに。

 危険な期間はより短いほうがよい。そんな戦争のリスクがゼロ時間にすることは究極の理想だ。その分、平和の時間が長く続く。戦争リスクの時間ゼロが、究極の平和である。その理想を実現するには、隣国の独裁軍事国家をできるだけ短時間でなくすことが大切である。それら国際的な危険を最も短時間で、犠牲ゼロでなくす。これこそ世界平和の理想である。日本も敵を間髪いれずになくしたい。

  しかし、このように瞬時の安全と平和をもたらす理想を実現するのは、技術的に困難である。核兵器で敵国中枢を仕留めるのは放射能の拡散があり、自国にまで影響が及ぶ。爆弾を落として敵国の政権の破壊は簡単ではない。侵攻して占領しなくてはいけないが、これは多大な抵抗があり、時間もかかる。 軍事的に敵国を叩くことは困難だ。それで、経済封鎖で政権を叩き、それも難しいなら、工作員を送り込み内乱で転覆する、と手っ取り早い方法を選ばずに、時間と手間がかかることをする。
 
 すると危険をいつまでも隣国においたままとなり、ずっと日本は危機に直面しつづける。敵国(中北)が民主化するまで長く日本は脅威にさらされ、忍耐を強いられる。それが、極東の現状である。日本の周辺には北朝鮮に、中国、少し離れた所にはベトナムもある。全部があの非民主的な軍事侵略国家である。いかに早くこれら国々を地球上から抹消するか。世界平和はそれにかかっている。

 どちらにしろ、敵国をつぶささないと、平和はこない。敵国に侵略されたら、平和はない。無抵抗で侵略されたらなおさらだ。なぜなら、脅威や危険が敵国の自国占領後にずっと残るからだ。こんな理想から最も遠い、エセ平和論にはだまされないようにしたい。軍事的な脅威は、短時間で取り除くほどよいに決っている。それが半永続的に残るような対処(軍事独裁政権下に無抵抗で入ること)は、まずいに決っている。

 

 

 バス業者と規制緩和--バス旅行の安全は金で買え 2016-01-22

 

 1月19日に長野県軽井沢市でスキーバスが転落。15名が死亡した。規制緩和で、誰もが参入できるようになり、価格競争が激化。料金が安くなり、安全性が損なわれた。旅行バスをどう規制すべきか、という議論がなされる。 私は、バス会社だけに責任追求するのはいかがなものかと思う。そんな格安ツアーを選ぶ側にも問題がある。世の中、適正料金がある。それ以下のものを買うと、品質が落ちる。それは覚悟しなくてはいけない。

  私は、1年前、東京-大阪往復に高速バスを使った。新幹線は片道1万2千円。その1/2-1/3の値段だったからだ。しかし、最安値は選ばなかった。座席の幅が狭く、窮屈で疲れてしまうからだ。何にもまして、会社名がマイナーで安全性が気になったからだ。それで、下から3番めくらいのお値段で、最安値より1000-2000円くらいは高い、中規模のバス会社のチケットを選んだ。それが大阪-東京間で、庶民が乗るバスとして、妥当な値段と思えたからだ。

  バス会社やツアーを選ぶ客側にも一定の責任がある。事故がたまにあるから、激安バスツアーなど安易に利用しない。乗るとしたらその覚悟しろ、と言いたい。事故は、せいぜい2-3年1回くらいだが、それを死亡率とする。万が一、それに巻き込まれたら不幸だったと諦めるしかない。

  長野のスキーツアー。東京の大手私立の金持ちのボンボンであるような学生が、格安スキーツアーで悲劇にあった。彼らが参加するようなツアーでないはずだ。私には違和感が残った。 安全は金で買う。バスも飛行機もそうである。格安飛行機、格安バス。どちらも同じように危険である。格安飛行機は年1-3回、格安バスは数年に1度と、平均的な料金と較べて、2-4倍事故を起こす。大丈夫と見極められないら、やめたほうがよい。

 

 

 哲学の話-- 統計の分析は哲学から遠い 2016-01-22

 

  地震予知が可能と考える人は、人口のN%とかいうあれだ。政党の支持率は、自民が4割超とか。こういう統計を用いた論評は、経済学や新聞にあふれる。 人をそうやって、分類する。何%そんな人がいるか。それは、議論の最もはじまりである。そういう現象から、世界の深奥を考えるのが、哲学だ。が、往々にして、統計を用いた分析ほど、表面的なものはない。無神論者が何割か示して、通り一辺倒の傾向を述べるのみ。実に中身がないのが多い。

 

  こういう統計をもとにした論評ほど、時事的で、普遍性がないものはない。統計を示せば、何か重大な事実を明らかにしたと思ってるかのようだ。統計の話は、実に、くだらないし、興味もわかなくて、読む気すら起こらない。統計に頼るレポートほど、哲学的な価値が低い。哲学は多く真理のメカニズムを解説するもので、数ではないからだ。

 

 

 貧困者の面倒見がよい安倍政権 低所得高齢者に臨時給付金3万円 2016-01-21

 

  昨日、補正予算で、低所得の老人に臨時給付金3万円を支給することが決まった。私はもらえないが、こういうのは実にありがたい。私は、消費税の低所得者向けの給付を毎年1万円受けている。毎日、ものを買う金もなく苦労している。すると、この1万円は非常にありがたい。汲々の年金者、生活保護のお年寄りは3万円も自由になる金がない。そんな時に、政府の配慮で少なくない額が届く。こんなにうれしいことはないだろう。彼らは、政府が極貧者のことも気にかけてくれると感謝する。

 貧乏人は素直に喜ぶ給付である。しかし、野党がなんだかんだとバラマキ、合法的買収と反対する。最近は、消費税の軽減税率はやめろとか、給付金はやめろとか、貧乏人を楽にする政策をことごとくメディア・野党は反対する。安倍に反対するのが左翼の正義といわんばかりだ。野党やメディアは貧困者を敵に回している。今や、貧乏人の味方は、安倍政権である。

 

 

 新しいことを受け入れるのに一日かかる 2016-01-21

 

  新しい考えやアイデアは納得して、身に付けるまで一日かかる。学習。子供だけでなく、大人も新しい習慣を身につけるには、一日かかる。まずは、強い要求をする。その日は本人は理解できなくてよい。が、翌日にはできるようになっている。眠っている間に、修得するようだ。跳び箱を飛んだ後に、ポーズを決めよう。」 子供は跳び箱を飛ぶまでは最初からできる。が、ポーズまではできなかった。私はすぐに覚えなくても、あきらめずに教えた。すると、翌日、跳び箱を飛んだ後に、自然とポーズができるようになった。

 

 大人や老人の場合も同じだ。新しいことを大人に言っても、その大人はすぐにぴんとしない。理解しない。反発すらする。が、翌日になると、しぶしぶながらもこちらの提案は、合理的なことは納得している。大人でもそうだ。新しい習慣や新しい考えを理解させるには、一日かかる。新しい習慣を覚えさせる時は、翌日まで待とう。

 

 

 センター入試の日本史Bに偏向3問 2016-01-20

 

 センター入試に情報の信頼性がない朝日新聞の記事は使うな。昨日、センター入試の日本史Bをやった。知識の有無の判定なので、時間内にできたと思う。採点すると58点。去年よりよくできた。そこに、またもやイデオロギー偏向の問題をみつけた。

ますあの慰安婦虚偽報道を10-20年続け、記事の信頼性が損なわれた朝日新聞の記事を、国家の大事な試験に使っていた。どうかと思う。試験は、できるだけ正誤のはっきりした情報を用いるべきである。虚偽報道で、情報の信頼性が失われ、未だ信用が回復してない朝日新聞の記事を試験問題に使ってはいけない。

日本史B 題6問 問6の設問Cより
 「わたしは、いなかから状況して紡績会社で働いています。~~給料が安くて入場券が買えず~~ 川の水はどろどろで~~(『朝日新聞』1964年10月22日)」

 朝日新聞の子供雑誌には、朝日新聞の記事が試験によく出るという宣伝がある。が、実際に用いられたのは、こんなありきたりの文章。わざわざこんなどこでも読める文を子供に、受験に備える必要はない。そんな金を使うなら、もっと歴史書を用意するなどしてあげるべきである。そもそもこの引用もやらせ文(虚偽報道)なのか、どうか検証した上で試験作成者は、使っているのだろうか。

 大正時代の中心は、プロレタリアートでないのに、また登場。これこそ試験問題の偏向である。

 第6問 問2
 「下線部bに関連して、関東大震災後の都市文化に関する次の図甲・乙に関して述べた下の分X・Yについて、その正誤の組合せとて正しいものを、下の1-4のうちから選べ。

 甲--- 浅草紅団の雑誌の表紙の絵
 乙--- バアナアドショー作 悪魔の弟子 築地小劇場 のポスター

 X  甲の著者は、プロレタリア文学運動の代表的な作家の一人である。
 Y 乙は、進撃の劇団による公園ポスターである。」

 プロレタリアート関連の出題頻度をあげることで、そんな本を受験生に読ませる意図がみえみえ。明らかに洗脳教育だ。

 現代の左翼知事 美濃部亮吉はあの東京都の財政を破綻させ、都を財政再建団体に転落させた人物である。そんなマルクス経済学者だった彼の功績を印象づける問題もある。政治に疎い学生に、左翼はいいことをしていると思わせたい意図がありありとみえる。

 第6問 問8
 下線部hに関連して述べた次の分XYと、それに該当する下の地図上の位置a〜dの組合せとして正しいものを、下の1~4のうちから一つ選べ

X 石油化学コンビナートによる大気汚染を原因とする公害病が発生した。
Y 革新勢力の支持を受けて当選した美濃部亮吉知事が、公害規制や福祉政策に取り組んだ。

 こういう浪費がひどく、赤字を残した政治家をあえて取り上げると、困る。財源がなくても、福祉政策を推し進めるのがよいと勘違いする学生が増える。日本はただでさえ財政破たんしそうなのに、それを推し進める原動力となってしまう。国家破産を避けるためには、福祉過重をよいものと印象づけることは慎まなくてはならない。

 今回、朝日新聞の過去を暴いた点で、興味深いのは、第6問 問3Bである。

 オリンピックの説明がたくさんあり、そこに
「今や支那自弁の推移は、長期戦の備えを一層家宅するがために物心両面に渡り、ますます国家の総力をあげて、事変の目的達成に一路邁進するを要する情勢にある」(東京朝日新聞1938年7月16日)」と引用される。朝日新聞が戦前、率先して戦意発揚した過去を、受験生に強く記憶させるものとなっている。

 受験生は未来への責任を担う。健全で健康な社会観をもたせるべきである。もはや衰退して絶滅間近で、犯罪性向や反社会性の強い共産やプロレタリアートや、革新勢力の試験問題は減らすべきである。そんな役に立たない左翼運動の知識を学ぶ量は減らしたい。そういう問題の比重が多すぎる。下げなくてはいけない。そんなマイナスのイデオロギーばかり、問題に出すことは、近現代史のバランスを欠く。

 教育の集大成である国家的な試験では、そんな偏りがあってはならない。日本の学生にそんな社会の裏側の知識を問うても、それは教育とはいえない。日本を支える基盤、日本の大道、日本の表側をよく知る人物にはなれない。日本の暗部だけ知ることになってしまう。そういうアングラ趣味は、歴史のほんの影の一部だ。それを、全面的に問うのは、歴史問題としては、不健全である。

 将来性のある学生には、将来性のある学問をより多く学ばせるように、そんな問題を多く出すべきである。廃れ、今や役に立たない知識を過度に学習させるようなことはやめてほしいものだ。日教組の偏向性が、問題作成者にまで浸透している。教育を革新勢力から取り戻さなくてはいけない。

 

 

 共産党は沖縄の選挙で党名隠し 2016-01-19

 

 宜野湾市長選挙で、テレビは、現職の佐喜真淳氏=自民など推薦と、志村恵一郎=沖縄県政与党推薦と、紹介していた。 「沖縄県政与党推薦」とは何? 共産党のことか? 大阪のテレビ局で、名前はよく覚えてないが、共産党の名を隠すと視聴者にわかりにくい。共産党推薦となぜ言えないのだろうか? それは沖縄県民に共産党嫌いが多いからだ。しかし、そんな共産党の選挙戦術に乗っかるような愚は、かの政党に脅されてもいない本土のメディアがしてはいけない。しかも大阪で。共産党が強くなっては困る民主党の方からは労働団体経由で、特にこの件で強い圧力をかけてほしいものだ。。

 

 

 自分の好きなことを集団と一緒にすると、伸びる 2016-01-19

 

 私は保守的な意見を小学校から持っていたが、それが大きく開花しなかった。最近、ランキングに参加して、保守の中で鍛えているうちに、成長してきた。同じことが好きな仲間と切磋琢磨すると、人は成長する。これは結構、大事である。特に、引っ越して地域となじめない人は。彼らが成長するには、同じことに興味をもてる友人を幾人かもち、その中で楽しむしかないからだ。

 

 地域でなじめない人は、その同じ趣味というか志向の人がいない。が、趣味や宗教という扱いではいけない。そんな特別なものではなく、社会的にふつうの遊びや志向である。また青年には青年の課題、社会人には社会に人に求められる能力がある。それが地域ごとにかなり異なるのである。すると、その年代で地域となじめなくなる。そういう自分本来の志向・趣味を大勢と楽しむことが、本人を開花させる。ただしそれは特殊な趣味ではいけない。社会性を上げるには、社会的なものでなければならない。

 

 

『僕らの民主主義だぜ』は菅直人元首相のセリフ 2016-01-18

 

 全共闘あがりで、こんな自由なことが言えたのは菅直人だ。菅直人のセリフに聞こえる。彼は市民あがりで首相になり、政界に新たな扉を開いた。が、肝心の政治は震災以後は散々。それが、この語句を信じる者の末路だ。勢いだけ、掛け声だけ。そんなむなしい響きがつきまとう。

 

 

 大阪ヘイトスピーチ条例で、大自由な話もできなくなる2 2016-01-18

 

 この条例が、民族や人種差別のスピーチのみに適用されると思ってはいけない。


1 「ヘイトスピーチ」とは、次に掲げる要件のいずれにも該当する表現活動をいう。

⑴ 次のいずれかを目的として行われるものであること(ウについては、当該目的が明らかに認められるものであること)
 ア 人種又は民族に係る特定の属性を有する個人又は当該個人の属する集団を社会から排除すること
 イ 特定人等の権利又は自由を制限すること
 ウ 特定人等に対する憎悪若しくは差別の意識又は暴力をあおること

⑵ 表現の内容又は表現活動の態様が次のいずれかに該当すること
 ア 特定人等を相当程度侮蔑し又は誹謗中傷するものであること
 イ 特定人等に脅威を感じさせるものであること

⑶ 不特定多数の者が表現の内容を知り得る状態に置くような場所又は方法で行われるものであること 』

 ⑴ のアイウから一つの要件と、⑵のアイから一つの要件と、⑶を満たすと、ヘイトスピーチと認定される。例えば、特定人等に対する差別の意識をあおり(⑴ ウ)、相当程度誹謗中傷する(⑵ア)ものを、ネット上に表現する(⑶ )と、ヘイトスピーチとされる。

 たとえば、私が大阪市民なら、「タスクは詐欺師で乞食」とブログに書くと条件を満たし、ヘイトスピーチと申し出ると審査対象になる。ヘイトスピーチは、市内と市外におけるそんな表現をさす。つまり、大阪市の外でなされたものもヘイトスピーチとなる。これは、私には条例が可能な規制の範囲を超えていると思える。海外で大阪市民を差別的に侮辱したものを掲示板やネットに書いたら、それがアウトである。

 

 例えば、シャルルなんとかというフランスのあの低劣な風刺マンガ新聞。あーいうシモネタ好きが大阪市民をネタにすると、即座に審査対象となる。要するに、これは何にでも中傷的なものには、差別的と因縁をつけると、ヘイトスピーチになる恐れがある欠陥の多い代物だ。右翼デモを妨害する左翼集団が、大阪市内の公道で暴言を吐いたらそれも、「特定個人等に対する憎悪をあおる発言」とみなされ、「相当程度誹謗中傷した」ことになり、ヘイトスピーチとなる。左翼の過激デモを封じることもできる条例ではある。

 やたらうるさく言葉に品がないデモは、デモ当事者の民主主義の低さを表し、日本国の民度すら貶めるものとなりかねない。そこを取り締まる内容だ。左翼が目指す移民排外右翼退治の条例がブーメランとなって過激左翼デモをうちのめす。このため、これが成立すると、私のいた頃には毎日のように聞かされた大阪市大の中核アジ演説が減ることも予想される。

 とはいえ、全体的に、こんな言論制限を成立させると、大阪人の自由な気風が削がれる。私は、どこかの偏向した人権団体のメディア監視が大阪市全体に暗い影を落とすことを、懸念する。ただでさえタブーがメディアを支配する。犯罪者の写真すらぼかされて、個人のプライバシーという名目で、明らかにしなくてはいけないことが隠されてしまう今日、こんなヘイトスピーチ条例がまかり通ると、言論狩りが激しくなる。こんな規制は、成立させずに、撤廃してもらいたい。

 

 

 全共闘の孤独死 2016-01-18

 

 左翼は、民族や家族、親戚を大事にしない。死後も信じない。彼らは老人になると、死後の不安が増大して、人間関係をもてなくて孤独死へと進む。孤独死は、全共闘の信念のなれである。

 

 

 大阪市のヘイトスピーチ法は内容がひどいんじゃない? 2016-01-16

 

 大阪市のヘイトスピーチ法が成立に近づいた。これが通ると大阪市で、大阪内で撹乱をもくろむ外国人勢力を排除しにくくなる。欧米はまだ共産中国や外国のスパイ活動や国内を混乱させる行為に対して敏感だから、よい。が、日本はそういうものを規制するものがない。彼らを野放しにしないように、国内干渉者を排除する法律があわせて必要である。

 大阪市がヘイトスピーチ法を審議中
 私は過度な人種や民族差別はよいとは思わない立場だ。が、国外追放処分にあたるようなことをした者に『日本から出てゆけ』というのは日本人の平均的な意志であり、合法と考える。そういうものまで取り締まる恐れがあるこの規制は、出来がひどく、反対である。これは言論活動を制限するもので質が低いものはよろしくない。ヘイトスピーチの定義が、あいまいだ。他にも適用範囲が広すぎて、あまりに杜撰な代物。概要を見るとそう感じた。

 ヘイトスピーチの概要 (大阪市の条例要項案の概要より)
ヘイトスピーチの定義
『(1)対象
ヘイトスピーチの対象は、人種又は民族に係る特定の属性を有する個人又は当該個人の属する集団に向けられたものとします。
(2)要件
ヘイトスピーチというための要件として、「社会からの排除等といった目的性」、「侮蔑・誹謗中傷といった態様面」及び「不特定多数の者が表現内容を知り得るといった対象者の不特定性」の3つの要件を設けます。
(3)拡散活動
表現活動そのものだけでなく、表現活動を記録した印刷物やDVD等の頒布・販売や上映、インターネット動画サイトへの投稿など元となる表現活動の拡散活動も対象とします。』

『社会からの排除』は、『日本から出てゆけ』といったものを規制するものだろう。『侮蔑・誹謗中傷』は『**人はきもい』と悪口のようなものを規制する。3つめは大勢に知らせることがいけない、という規制だ。

しかし、外国人犯罪者が、法律に照らして、国外追放と予想される時、『日本から出てゆけ』というのが要件にあたるのかといった問題が残る。犯罪者は社会から出て、収監されなくてはならない。これら犯罪者に対して、『このシャバ(社会)から出て、獄で反省しろ』というのは許容される。これらは、例外として認めなくてはいけないだろう。

つまり、要件は不足する。『法律に沿った言論等は規制しない』と付け足さなくてはいけない。そうでなければ、犯罪者の外国人に、『本国に帰れ』といった途端に、この条例の審査対象にならないとも限らない。それでは訴訟の乱発が懸念される。
 これは一つの案にすぎないが、要件をもっと増やすべきである。

 『ヘイトスピーチ該当性等についての審査会による審査の前置
 〜〜ヘイトスピーチ該当性等について学識経験者等で構成される大阪市ヘイトスピーチ審査会(以下「審査会」という。)の意見を聴くこととします。』

 審査会は左翼系の学者が固まって入るものだ。そういう会の偏向が生じないように配慮しなくてはならない。

『方策の対象となるヘイトスピーチ
(2)市域外で行われたものであって、
ア 市民等に関するもの(他市町村で市民等に対するヘイトスピーチが行われた場合など)
イ 市域内で行われたヘイトスピーチを市域内に拡散するもの(市域内で 行われたヘイトスピーチをインターネットで公開する場合など)』

 これは、完全に市外で行われたものを規制する行為であり、市内しか範囲でないという条例を逸脱する。例えば、この条例では海外で大阪市のヘイトスピーチが日本語で拡散するようなサイトがあると、それも大阪市は取り締まらなくてはならない。しかし、それは外国への国内干渉であり、越権行為(法律用語でなんというか知らないが)である。

 この部分は、法律を知らない者が書いたとしか思えない条文である。悪法である。条例で制限できるのは、市内のサイトだけだろう。市域外のを規制するのは無理がある。いわんやインターネット上の海外サイトを法律で取り締まるのは無理なのである。まさか、それを目指しているのではだろうか。そんなサイトの閲覧も市内は禁止するつもりなのだろうか。

 市外で行われた国内のヘイトスピーチはたとえ、大阪の外国人や特定民族(日本以外はアイヌしかいない、沖縄は地域で民族とは言わない)がヘイトされようとも、大阪市が規制することはできない。つまり、これら条文は、法律の素人の私にすら、明確な問題点が多々みられる。専門家が作ったとはとうてい思えないような代物である。法律の原案も読んで見たが、人種や民族以外への過度な『ヘイトスピーチ』を規制するものがあり、そこは大丈夫かな、と思う。

 大阪市で実験させて、その可否を判断しようということで、大阪で行われたのだろう。これは、おそらく修正前の概要なので、こんなにいい加減なのだろう。しかし、成立しそうなのもあまり変わっていないようだ。こんな低品位な法律では、大阪の法学者が全国から3流と言われてしまう。即刻、修正すべきである。

 

 

 許容力 2016-01-16

 

 許容力は、本人の能力の現れ。高い能力をもつ人ほど、多くの物事を物事を許し、認め、受け入れることができる。高い能力をもつ人ほど、細部にわたり悪を把握して、それが生じないようにする。

 

 

 労働力不足は女性・老人とロボットを動員して一億総活躍で 2016-01-15

 

 日本の雑誌『エコノミスト』はやや左がかる。「人口が減少したから、生産性向上で経済成長を目指す。」という主旨の文があった。移民を受け入れないというだけでは、代替案を示したことにならない。いかに生産性を上げるか。それを反移民派はよく考えてほしいものだ。すると、移民なしでも、日本の経済が好調になり続けるという絵を描ける。私自身は、急激な労働力不足に対しては、女性、老人など一億総活躍で対応しないと間に合わないと思っている。研究者に急いでロボットを作らせて、必要な場所に配置する。それでも足りないなら、移民である。

 移民がいやなら、右派は移民を除いても成長可能だといる経済モデルを作らなくてはならない。そうでなければ、根拠のない掛け声に終わる。経済学者を用いて、早く作ろう。なお、安倍政権は一億総活躍と移民とロボットなど全部、総動員する構想のようだ。

 

 

 理論と主張 2016-01-15

 

 主張と理論どんなに極端な主張でも、理論くらいはある。最も完全な主張には、もっともよくできた理論がある。

 

 

 日本の根幹に「民主主義や人権」があるのではない 2016-01-14

 

  日本は江戸時代には世界に冠たる治安がよい国となり、明治以後はアジアにおける最強国となりえた。昭和も敗戦から立ち直り、世界の一等国にのぼる。 この日本人の優秀さは、いったいどこからくるのだろうか? 日本の根幹には何があるのだろうか。 左派は、すぐに民主主義と人権がこの繁栄と平和をもたらしたという。が、それは違う。ヨーロッパにも、アメリカにも、韓国にも、タイ、ブラジルにも民主主義はある。それらの国々は人権が守られるが、繁栄しない国もある。

 

 日本人がそれら国々と比べ優れたのは、どの国ももつ国家制度(民主主義や人権)を同じように保持するからではない。別のところにある。それは日本人の勤勉な性格、科挙の中国にならい知者を重用したことと、規律や道徳が高いこと、それらによる犯罪率の低下、伝統文化が豊かにあり、工業能力が高いことだ。

 

 現代社会の根幹に民主主義と人権があるというのは間違いである。そういうありふれたものが最も大事ではない。それは独裁国家や人権弾圧国家にとって、必要なものである。それがすべからくゆきわたった国では、そういう基礎的なものの一つを今更、必要だと叫ぶ理由もない。 というわけで、民主主義や人権をいまだに崇高な理想と掲げるのは、よほど遅れた人間で古いテーマをいまだに追い求めており、現代日本の新しい課題がみえていない、といえる。

 

 

 カッコウの托卵 2016-01-14

 

  カッコウは、卵を他の鳥の巣に産み落とす。すると、他鳥が自分のひなを育てる。オオヨシキリ、ホオジロ、モズの巣に托卵する。 現在の人間社会でも似たような出来事がある。男が不倫して、他家の婦人に自分の子を生ませる。他家庭がその子を育てる。知らないのは夫だけ。子供が大きくなってから真実を知る。人間の場合は、同種内での托卵である。 こういう男を「カッコウ(托卵)」と呼ぶ。例、「彼はカッコウなのよ。」、「彼はカッコつけだわ。」というのも同じ意味。 なぜこの性の乱れが、哲学なのか? ここも現代風俗に乗っ取られたらしい???

 

 

 北朝鮮が暴れると、憲法改正につながる 2016-01-13

 

  日本人の多くには東アジアの危機感が不足する。いくら中国が危険だと言っても、今までは中国の扇動で、脅威を脅威と理解させないように世論を撹乱され、それに迷う平和ぼけ左派が後をたたなかった。
が、尖閣で船を中国公安船が海上保安庁の船にぶつけ、そのビデオも流れて以来、大勢の日本人が中国の危険に気づいた。
その後も、中国は日本商店、工場の焼き討ちデモをして、日本中の反感を買った。小笠原諸島の珊瑚を盗み、えげつない反日教育をして、日本人の警戒心を強めた。南沙諸島では海軍基地を作り、飛行機を飛ばす。付近ではベトナムの船を撃沈させるなどして、ますます軍事的野望をみせつける。

 それでも、愚かな日本人は、中国や北朝鮮の国家としての危険性を認識できないでいる。が、中国は、こちらが意図しないでも、自らその危険性を世界中にわかりやすくアピールする。中国脅威論を否定する愚かな国民はほとんどいなくなった。 北朝鮮はミサイルを飛ばし、核実験を繰り返す。今回は小型水爆である。時々、韓国の島を砲撃する。そうやって、北朝鮮の脅威を忘れないように、軍事的なパワーを日本人に次々とみせつける。

 これに対する日本政府の対応が実にいい。大人の対応というか、控えめ。通常、制裁する。が、それでも北朝鮮はミサイルを飛ばすだろう。しかし、あえて当然の外交策をしないで、一歩ひく。制裁はしないし、拉致交渉も中止しない。総連の建物も取り上げない。 この ふがいないくらいがちょうどいい。あまりにタカ派で、政府が対抗して強硬に北朝鮮包囲に走ると、人々は、政府に任せたらいいやと思い、自分たちが防衛をもつという気にならなくなる。

  が、日本政府は何もしない。だから、北朝鮮は自国の防衛のためならどんな武器も挑発も許容されると思い込み、勢いはどんどん加速する。韓国・アメリカは、軍事的な対抗策を強める。するとまた北朝鮮は、米韓に対抗して、より強硬な態度を示す。
北朝鮮という国はこのように止まらなくなる。危ない国という印象を国際的に強める。すると、日本人は誰もがこう思う。このままでは日本が危ない。政府はあてにならない。自分たち国民自らしっかりして、政府に、日本の防衛をきっちりして、軍事力をもつ国になるよう要求しなくては、と。憲法改正は急務だと。

 このように安倍政権の北朝鮮への「顔面は強硬、実は何もしない」という「表向き無策風」作戦は、国民の危機意識を高め、国民自らの防衛意識を高めることにつながっているのである。憲法改正への深謀遠慮である。

 

 

 昨夜のニュース23の防犯に対する報道に違和感 2016-01-13

 

  道を尋かれ、そのまま車に娘が誘拐された父親が後悔するのは、「困った人がいたら親切にしてあげなさい」と娘に諭していたことだという。しかし、人に親切にするのは道徳的でよいことで、それに何か悪いイメージを与えようと無理やりするのは、どうかと思う。

 

 「知らない人についていかない」、「知らない人と遊ばない、話さない」という防犯も、私は治安に必要と思わない。子どもたちは知らない人を過度に警戒する。そんな冷たい町になる。困った人を助けるのも実によいことだ。私はそういうあたたかみのある町のほうがよい。 初対面ではすべてが知らない人だ。仲良くなったら、その人についてゆくこともある。

 

 知らない人が危険なのではない。もっとよい言い方をしなくてはならない。子供にとって有害なのは、「危険な人」である。「危険な人には近づかない」。そう教えたらすむことだ。 子供が犯罪に巻き込まれないように指導する。そのために大事なのは、危険な状況に陥らせないことだ。そして、その防犯のために、他を犠牲にしすぎないことだ。道徳を侵害するような知識はよくない。

 

 他人に親切にすることは、よい教えである。が、危険な人には近づかないこと。2つ教えたらすむ。もともと防犯は専用の知識が必要である。子供は危険を鋭く見分けられるようにしておかなくてはならない。
子供だけではない。少女、大人の女、大人の男、老人でも、この見極めができるようにならなくてはならない。騙されるのは、子供よりも大人の事件が多い。一括して、「危ない人に近づかない」と教えよう。

 

 

 日本共産党 護憲の裏に - 実は改憲志向派 2016-01-12

 

 憲法の天皇条項の改定、すなわち「天皇制廃止」を悲願とする日本共産党。憲法の1-7条を変えたくてたまらない。改憲したくたまらない。彼らはずっと69年も憲法に従わずに、国会で天皇が出席する日に頭を垂れるこをいやがり欠席。そのことだけでも、彼らは護憲派ではない。

「資本主義を乗り越え、社会主義、共産主義の社会への前進」という指針もある。これは基本的人権の侵害である。社会主義・共産主義は、個人の自由や結社の自由を制限することで、成立する。自由に企業を個人が作り、もてる国は資本主義。その権利を剥奪して、社会主義国家にする。共産主義では、個人の所有を禁じて、国有化=共産化する。共産党は、憲法にうたわれる人権すら否定することをめざす。改憲して、共産社会にして、日本を荒廃させたいのだろう。

 さすがに共産を理想とすると言ったのでは、憲法などまったく眼中にないことがばれてしまう。そこで、世間体を考慮して、彼らは「当面の民主主義革命では、現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす。」と言う。しかし、天皇や自衛隊についてもあちこちで反対訴訟などしており、「条項を守る」ことは表立ってはしない。このとってつけたような偽りの表明を信じることはできない。

 民主的であろうと努めるなら、国会の多数決に必ず出席すべきだ。が、共産党はよく国会で欠席する。多数決という民主主義の採決も「強硬採決」と否定する。そして、国会の外で過激派と共にデモなどして暴れる。これもまた民主的な態度といえるのかどうか。日米安保も、憲法がうたう世界平和の実現に不可欠にもかかわらず、その撤廃を狙う。つまり、日本の国際関係を悪化させることを企む。日本共産党は、憲法の前文の平和と正義の精神を知らない。

 天皇制の終結と共産体制による人権弾圧体制を目指し、日本の国際平和をおびやかすことを狙う日本共産党が、現在の憲法を維持しようと言っても、いかんせんそれは嘘である。それを信じるほうがどうかしている。日本共産党は護憲派でなく、改憲志向派に分類される。(「」内はwiki日本共産党より引用)

 

 

 社長の言葉は制度となる 2016-01-12

 

  組織の長の言葉と社員の言葉の違い。社員は、社内の状況を話す。社長の言葉は、社内の制度に直結する。「制度」の響きがある。すぐ制度を語りたがる人は、システム論が得意な人は、社長の器、社会の上位の器である。

 

 

 共産党はこれまで69年間日本国憲法を認めてこなかった 2016-01-09

 

  日本国憲法の第七条に「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」とあり、「ニ、国会を召集すること。」とある。日共は、国会の開会式に69年ぶりに出席した。つまり、日共はこれまでずっと憲法とその条項を認めてこなかった。天皇に関する1-7条は否定しているくせに、9条だけ最近になってやっと都合よく受け入れた。日共が「護憲派」とは片腹痛い。未だに、憲法否定がその本質ではないか。

 

 

 最近、左派メディアで「さん」の付け方が間違っている 2016-01-09

 

 左派メディア、毎日新聞などでは 左翼のボスっぽいキャラ、雰囲気が悪そうなのには、「さん」をつけたがる風潮がある。例えば、「志位さん」、「佐高さん」、「本田勝一さん」。シールズの「??さん」。どうも一線を踏み越えた人につける左翼流の敬称らしい。何の一線かって? それを書いたらおしめえよ。「さん」がついた左翼活動家がいたら、こいつやっちゃった類だな、と思うとだいたい当たる。 民主党の岡田氏は「岡田」だし、「れんぽう」にもさんはつかない。こういうきまじめな人たちはまだまし。「さん」がつくと、やばくなったと思ったほうがよい。

 

 

 哲学の話---自由にならないもの 2016-01-09

 

 「賢者は自分の自由にならないものにこだわってはいけない」エピクテトス
「自分の自由になるものだけを意志しなくてはならない。本質的には自分の自由になるのは自分の意志だけである。」 (哲学・思想小辞典108頁)  この要約はわかりにくい。賢い人は、地球の裏側の天気を晴れにさせようとか、地球から遠く離れた惑星のことなど気にはかけない。自分がいくら頑張っても、何ら変わることがない物事にかまけているのは、時間の無駄だ。自分の影響が及ばないことは、考えないのがよい、というのが賢者のスタイルである。太陽がある日、消滅してしまう。それを恐れて備蓄しようとするのは、太陽の寿命がつきるまでは無意味なのである。

 

  けっして不可能なことをあれこれ考えても、無駄ということだ。が、アメリカの大統領選挙は、自分の自由にならないとしても、それを知ることはよい。 何ら自分に関係ない物事でも、それと関わることで勉強になるなら、それにこだわることはよい。国政や世界経済を小さな人が自由に操作できるものではない。が、それを考えることは、視野を広げ、本人のためになるから、すべきである。 全く不可能なことでも、わずかに可能性があるかないかを考察することは、悪いことではない。世界一の美人との結婚は、本人の運命上ないとしても、それを考えることは、何かと新たな発見の元となる。 そういうわけで、不可能なことを考えることは多くは無駄だ。賢者はあまりしない。が、何かそれで得られるなら、それも本人のためになる。

 

 

ブレブレの日共 - 日共が反集団安保闘争で戦術変更 2016-01-08

 

 日共の反集団安保闘争に大きな「ブレ」が。日本共産党は「集団安保」が合憲だと気づいた。反集団安保の裁判闘争の戦略を変えたらしい。これは、私が気になったことで、いまだはっきりしたことではない。昨日のニュースでは、日本共産党が「集団安保法案」と「閣議決定」の2つに反対していた。これまで、集団安保法案のみを重点的に追求した日共が、新たに「閣議決定」を攻撃対象に加えた。それはどういうことだろうか?

  「閣議決定」への反対は日共が今までしてきた。それは「戦争反対のため」の位置づけだった。戦争法案が成立してから、それは優先順が低かった。が、今は新たに、「裁判闘争のため」というニュアンスを帯び、重点項目に復活した。この変更は大きな意味あいがある。どうやら彼らは、集団安保法案が合憲となる未来がみたからではないだろうか。「閣議决定」が合憲となる最大の根拠と気づいた。だから急遽、「閣議決定」そのものを反対しなくてはならなくなったのではないだろうか。

 深読みしよう。集団安保法案の行使を裁判にかけて、成否を問い、廃案に追い込むという日本の世界の安全保障における協調を妨害することを日本共産党は画策する。彼らはその作戦を練った。共産党は違憲かどうかを厳密に判断した。すると、手持ちの弁護士は、それは裁判で合憲とされ、集団安保は違憲にできないし、廃案にできない、と言った。どうやら裁判で勝てないと彼らの弁護士は判定したようだ。

 その理由として、「閣議決定」は、日本が参加できる戦争は、集団的安全保障においても日本存立危機事態という「自衛」に限定すること。すると9条の禁じる侵略戦争にあたらない。日共の弁護士は、おそらく、集団安保法案は合憲とされる可能性が高いと考えたのだろう。これは彼ら反対派の敗北である。「閣議決定」が、大きな壁としてたちはだかった。

 集団安保は違憲とアジなどで声高に、口先で言ったところで、裁判に勝てない。公正に考えると、合憲の要素のほうが強い。これでは勝てない。そこで、作戦を変えて、最も大きな障壁となる「閣議決定」を反対しようという作戦に出た。それで、「閣議決定」の反対が再び高い位置を占めることになった。と私は考えたが、共産党のトップの秘密を私は千里眼で除いたわけではないから、実際はどうだろうか。

 元来、法律では政府のほうが一枚も二枚も上手である。抜け穴を探し、税金逃れが得意な連中よりも、それら法の不備を調べて、より完全な法律を作成するほうが、法を知っている。アウトサイダーがいくら違法とわめいても、裁判官は法を熟知するから、そうは扇動には乗せられない。法律的に厳密に解釈する。

 「閣議決定」と「集団安保法案」のセットで、9条を満たし、合憲となる。裁判はそう進むのだろう。共産党の反集団安保闘争の「ブレ」から、そう確信をもつことができた。日本の世界における安全保障の役割分担は、憲法が認める社会正義となるのである。

 

 

 過去は変えられない。 2016-01-08

 

 未来は、近い未来はほとんど確定するが、細部は不確定である。遠い未来は、大きな枠で決まるが、ほとんど確定していない。心理学で、過去を変えるとは、昔の悲しい思い出やトラウマに対する、考え方を変えることである。過去の体験そのものはかわらない。過去の記憶に起因する心理や肉体の反応を変えることで、何らかの精神治療を行う。記憶そのものをなくすことはできないこともないだろうが、損失が大きいらかやめておこう。「過去を変える」、「記憶を変える」という紛らわしい表現があるが、実際には過去を変えるのではなく、「記憶や過去のつらい体験に対する考え方・感情・肉体の反応を変える」と、過去そのものを変えるわけではないから、間違えないように。

 

 

 北朝鮮の核爆発について 2016-01-07

 

  北朝鮮は、自国が侵略されないために、核が必要だという強迫観念に覆われている。前任の金正日が、自らの安全のために推進していたものだ。それを金正恩がひきついだ。国是である。核実験が国際的な孤立をさらに深めることは、それを躊躇する理由にならないようだ。北は生き残ることに必死である。しかし、それが逆に彼らの首を締めつける。拉致問題も北朝鮮の報告が滞っているから、それを前提にした制裁解除は、凍結しなくてはいけない。

地震の波形で核爆発か自然の地震かを見分ける。それはどうするか?  最初に激しい振幅が発生して、次第に弱まるのは、爆弾や爆発による地震だ。爆弾で突発的に強い衝撃が走るからだ。三角波のような形状である。 自然の地震は、しだいに振幅がつよくなり、最大に達してからしだいに弱くなる。まさに波のような波形である。1/6 M5.1 北朝鮮の地震の波形は、典型的な爆弾型だったのだろう。

 

 

 保守ブログで「仄めかし被害」を受ける 2016-01-07

 

 昨日は、保守ブログにアカ仲間のような男がいて、「仄めかし」された。「仄めかし」とは、被害者の私生活で本人しか知り得ないようなことを、悪口にして路上やテレビ、ブログ等で、会話・文章に混ぜて、本人にしかわからないように伝えることだ。倫理観のない人物がする。 早く謝罪しろよ。共産批判だけでは不足だ。許さない。彼はこのように私から言葉の呪いを受けた。

 

 が、そいつは性懲りもなく、さえない学者を批判するような比喩を今日も書き込んでいた。仄めかし常習犯じゃ。まさにアカと結託しており(この自覚がないのが情けないのだが)、保守の面汚しである。アカに仄めかし返しをする分には、悪いとは思わないのだが、被害者(アカファイル読者はプライバシーが表示されないから、かなりの割合)にはしてはいけない。 裏のルールとは別に、それを表に持ち込んだ時は、表のルールで処理しなくてはいけない。弁明を聞きたいものだ。この人物のランキングが上がったのは、私の影響だろう。

 

 

 21世紀初頭の哲学は社会論か 2016-01-07

 

  21世紀初頭の哲学ブームでは、社会がテーマとなる。そのため、どうも人間の精神的なものではなく、社会論上の概念がメインになる。それで、このところ、流行の哲学を探しても、何一つぴんとくるものがない。その理由は、社会理論としての普遍性を論じるのが、今の課題だからではないか、と気づいた。

 

 

 アカファイル読みの保守ブロガーの卑劣な中傷か? 2016-01-06

 

 最近、保守ブログには、アカファイルを読み、そこから下劣なネタを少し表現を変えて書くやつがいる。それが私への批判なら、その人物を明らかにして、徹底的に貶める。が、現在はっきりした証拠がないから、どのブログかは明らかにできない。引用は控えよう。それはほぼ確実だ。そこを読むと、多田・池田アカがアカファイルで私にどんな噂を流しているか、その一端がみえる。それを教えてくれるならまだしもだったが。私への批判と受け取れる内容だけに残念だ。

 保守でありながら、離間工作にひっかかったようである。そこは許さない。特に、私への悪口を書き連ねた部分である。私は思った。この人物は、何か人生に疲れたのかと。これは日本の正義の問題である。電波犯罪を知って、告発もしない。そして、アカファイルから被害者の悪い噂を集め、それで電波犯罪の被害者をブログ上で揶揄する。当人にのみわかるようにこっそりた含ませる。これは、犯罪被害者をデマで傷めつける。まるで、ネット上のアカ工作員のようだ。

 こんな卑劣で陰険なことをする人間を許してよいだろうか。保守でこれをするのをいままで何人か見てきた。保守のくせに、アカファイルのデマを引用して、人を貶めることが卑劣と理解できないらしい。まずはそこから説明しよう。卑劣なのは、ブログの読者をこっそり調べたことではない。ブログの反響をアカファイルの情報から把握していることは、卑劣ではなく、やましいことである。堂々とそれを人に言えるだろうか? 彼はやましいことをした。

 アカファイルに、ブログへの批判をみつける。それは当然だろう。アカは保守ブログの著者が気に触ることを列挙する。アカの扇動を読み、気分を害するのは、そんなものをあえて読む当人が悪い。そうやってブログ批判者を知る。そこまで裏のスパイ力を利用したのは、卑劣というよりは、悪徳である。犯罪者を利用するのは、悪徳政治家や企業家に多い。

 その後が卑劣である。その批判者を調べた方法が卑劣である。犯罪組織のネットワークは盗聴など卑劣な方法で情報を収集する。これは、映画によくあるが、犯罪者に大金を渡して、盗聴をさせて、ある人物を調べさせるという卑劣な情報収集法である。それら卑劣な方法を使って得たネタをもとに、悪口を時間をかけて書いたこと。これは、陰険という。執拗かつ、偏執狂の性格だからなせることだ。読者がどんな感想を心の中に思うか。そういうことは読者様々だ。それを盗聴サイトを読み知り、逆上する。そこまででもう倫理性なしだ。

 で、人の心を勝手に覗いて、逆にそれがために心にダメージを負った。これは犯罪的な手法で他人のプライバシーを侵害した人物が悪いのである。ブログの一読者に仕返ししようなどとは、もう自分の立場がわかってないようだ。人の心を不法に読み、怒り出し、単なる一読者を卑劣にもアカネットで調べあげ、相手の弱点を探り出し、悪口を返す。しかも何時間もかけて練った文章で。実に陰険である。読者だけにわかる書き方をするのは別に構わないとしても。

 こんな倫理観がないのが、保守ブログを書いているのかと思うと、がっかりだ。残念だ。アカと同レベルではないか。まっとうな世で、そんな人物に大きな発言権を与えてよいのだろうか。弁明くらいはゆるそう。15年、電波犯罪を訴えてきた私からすると、アカ犯罪を訴えることもしないで、そのアカのもたらすネタに頼っているようなこんな臆病な輩はアカと同列である。たとえ、表向き共産主義を批判しても、共産の地下組織を恐れ、彼らの悪行を隠す卑怯者である。あまつさえ、被害者をいたぶる。実に、人間性がない。

 私はこんなのを4人知る。いずれネット界隈でその行為は知らぬ者はいなくなるだろう。アングラの支配者の性格を知らないのだろうか。すべてアカは記録している。愚かなことをした人は、特に保守系は彼らに見張られ、あることないことやがて拡散隊が広めることをなぜわからないのだろうか。それをなぜ恐れないのだろうか? アカファイルは告発間近だ。表の噂になるのは時間の問題だ。愚かなやつだ。

 二度とそんなクズな話をしないように。アカファイルを読んで世間の真実を知ったつもりになっても、アカに踊らされていることすら自覚できてない。アカの計略にすぐにひっかかるとは情けない。読者数が多いくせに、いとも簡単に離間工作にはまる。こんなのが保守にいるとは気が滅入る。

 安倍総理の幸運の源、民主党の壊滅的な行方の原因、維新の安定感、新しい保守の根底を支えるもの。尖閣諸島で中国船が海上保安庁にぶつかった時から、日本は新しい保守の潮流が始まった。どこからそれはきているのだろうか? アカファイルに書いてないのかな? 日本のテレビメディアはどこでも知っている。知ったからといって、何もかわらないだろう。が、的は私ではなく、常にアカだ。それを忘れないこと。被害者は弱くはない。

 今回、左翼はもちろんだが、保守面をしても、私をアカ用語で不当に揶揄することは、許さないという前例を作る。彼は、私をこっそり八尾まで見に来た人物ではないのかな。

 

 

 志位が乗る車はやたらと厳重にガードされている 2016-01-06
 自民党や関西維新の会の演説を見に行ったら、どこにでもある選挙カーに乗って現れた。警備も少ない。車も軽そうだった。が、志位が大阪梅田に来た時は、警備員が多く、選挙用の車も重々しい作りだった。警備がとても厳重。なぜこうも襲撃を警戒しているのだろうか? 暴力団ならわからないでもない。拳銃が怖いからだ。

 

 テレビで見ても、路上を歩く志位の回りはがっちりと党員で固められている。何かを恐れて過度な警戒していのは明白である。たかが共産党の代表がどうして暴力団ばりのガードをしなくてはならないのだろうか。何か人から恨まれる犯罪をしているのだろうか。数年前、それで違和感をもった。もちろん私は近くまで見に行って、選挙カーの様子やものものしい共産党の警備員をじっくり観察した。素人の私から見ても、隙だらけだったが・・・  彼らは何を恐れているのだろうか。

 

 

 毒舌とは 2016-01-06

 

 毒舌とは、正論にたかる寄生虫である。毒舌がはやる時、社会には正論が広がっている。

 

 

ブレブレ共産党が今日も筋を曲げる 2016-01-05

 

 背筋がまっすぐ伸びず、ふにゃふにゃ曲がる日本共産党。先日は、これまで拒絶してきた国会の初日に出席。天皇の開会の挨拶に彼らは黙って頭を垂れ聞いた。日本共産党の志位はテンカンと言っているが、発作の病名ではないだろうか。昨年も、孤立政党の方針をテンカンして、野合を唱えた。日本共産党がよくかかる病。テンカンである。組織方針が日々、ぶれが激しくなる日本共産党であった。どうも共産党は脳に限界がきたようである。(これはテンカンを差別するものではありません。テンカンといえば、どんな局部的な思想転向でも正当化できる日本共産党のいい加減さを厳しく糾弾するものです。)

 

 

 アベノミクスで貧乏になるというのは真っ赤なウソ--ベーシック・インカムへの道のり2016-01-05

 

  日本人が経済が不調なのは、アベノミクスのせいだというは間違いである。 まず消費増税は、老人が増えて社会保障費が2005年から15兆円以上増えた。その費用のためである。何もアベノミクスによって原因となる老人が増えたわけではない。ベビーブーマーで70-80年前に親が戦後に産んだのである。彼らを養うために、若者が自分にお金を使えなくて、不況になった。

  経済成長率が低いのも人口減少が大きく絡む。考えなくても、個人当たりの消費が同じならば、人口が減ると、国民総生産も減るとわかる。人口減少はアべのミクスの失敗ではなく、自然の成り行きである。日本人は国土に1億2千万人も住むのは多すぎるからだ。経済の統計をいじくり回して、人口が減少しても経済は成長するというのは、詭弁なのだ。減って当然である。だからむりやり人口を増加させるのは、もう国土に人口が満杯なのに増やすことで、愚かでしかない。人口減少と国民総生産の低下は受け入れるべきなのである。

  しかし、機械化による生産が、人口減少分を上回ると、国民総生産も上がる。今はそれでなんとか成長が低下していない。機械は企業などがもつから社会資本である。人間の消費量は増えない。が、機械化が進むと、社会資本は増加する。今後は、そんな社会資本の増加による成長が見込まれる。社会資本の生産が増えて、個人が消費する分は現状維持である。すると経済規模はかわらないから、相対的に個人の消費は減ってゆく。単純に、それが中間層の貧困化のような現象にみえる。金の流れでみると、機械化によって、労働による給料が減る。機械が増える。労働者は減る。すると、企業の取り分が増える。労働者の取り分は減る。しかし、これは機械化という産業構造の変化の問題である。アベノミクスとは関係がない。

  これを解決するには、社会資本を生産する企業の利益を、国民に回す処置が必要である。そして、社会資本の利用料を新たにとる。しかし、これは面倒なので、こうはならない。もっと簡単に、労働する場がないが、個人の消費のためにはお金が必要。だから、お金を個人に与える制度ベーシックインカムが必要となる。

 

 昨今の不況は、機械化という産業構造の変化、人口減少、高齢者負担の増加からくる。アベノミクスはこれらによく対処しているほうだ。なにしろ極貧層の路上生活者をなくした。今は、路上生活者はいなくなった。そして、最低生活者に焦点が移った。いわゆる増えた貧困層だ。彼らの生活を豊かにすること、生活保護の引き上げやその改良が課題である。そして、ベーシックインカムへとつなげてゆく。

 

 

 私の今年の予想 2016-01-04


年初に東京-仙台大震災がある。その後は、復興に時間がかかる。
大震災のため、消費増税は延期。
年内に東京オリンピックは中止。
3-4月 電波犯罪の告発・認知
4月から日本共産党の裏が暴露され、年内に解散に近い状況に陥る。
6月の選挙で共産党は壊滅的打撃。自民党圧勝。民主党・維新も増加。

 正しいものがはっきりする一年だ。隠れていた巨悪が表面化する。震災で東日本が一度、壊れる。来年には関東在震災が控え、東京で再建も進まなくて、景気はよくならない。日本にとっては、受難の一年となる。日本のアカ、組織犯罪カルトがなくなる喜ぶべき歴史的な一年となる。今年は隠れた正義が表舞台にあがる。それを楽しみにしよう。

 

 

 哲学の話--共産主義がいない平和な世界を想像してみよう 2016-01-04

 

  まず中国に自由で活発な経済活動と民主的な政府がある。中国で軍人は町の中を歩かない。尖閣を侵攻してはこない。南沙諸島で軍基地を作りもしない。 チベットは自由な国がそこにある。ウィグルにも国がある。台湾も中国の脅威に対抗する必要もない。ブータン北部に人民軍の戦車が走ることもない。中国は日本と協力して、楽しく商売をする。中国は反日でなく、親日。元が絶たれると、アサヒも反日を煽らない。

 ロシアも日本と交流があり、四島も返還する。ロシアはシリアを混乱させず、イランの革命政権を維持させず、中東の混乱もなく、シリア難民もいない。 北朝鮮の下部団体のような慰安婦の揉め事はない。アジアに反日国家はなく、韓国と日本はライバルで、 キューバはカストロが死に、民主主義が戻る。南米の左翼政権も次々と倒れ、自由な政権がそこにある。 アサヒ新聞は、アカヒからアオヒになる。アオとは自由の色である。労働団体は、革命闘争をやめ、リベラルを捨て、保守となる。

 

  共産犯罪が地下闘争を続けて、電波を人々に浴びせることもない。ネットの中傷暴言もなくなった。 どの国も民主的で発展する。アジアが世界の繁栄の拠点となる。実に、平和だ。実に愉快だ。実に、幸福だ。目に見える世界の混乱。その2/3以上は共産主義が元凶なのだから、共産主義がないだけで、こんなに世界の戦争が消え、平和になる。

 では

 

 

 

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