社会 

 

 

社会イデオロギーの終焉(地球は資本主義一色に)


2015-2-02  校正4/7

 

 
社会イデオロギーの終焉
 現在、多くの人々が気づいている。イデオロギーは影響力をもたなくなったことを。

 「人権が弾圧されない社会はすばらしい。」、と1970年代には思われていた。人々から差別がなくなる。そんな世の中にしたい。人権社会では、人々はその価値を偏見と差別なく認められ、もっと自由に活動でき、活況あふれる。そう夢見ることができた。しかし、40年かけて、人権は日本の隅々にまで浸透した。それがいきすぎて、人権の過剰保護が問題にされるくらいだ。そして、2015年、人権は人類を主導する理念から、陥落しつつある。

 「民主主義と自由こそが人民を幸福にする。」 これはアメリカのイデオロギーである。多くの日本人も民主化こそが世界を救う、と信じる。彼らは世界の独裁国家を倒し、民主主義と自由を広めてきた。1991年にソ連は倒壊、東欧諸国も民主化した。それによって、世界は平和になった。進歩が止まり、破滅へと向かっていた共産圏は再び、発展する方向に歩みだした。


 民主化しなくてはいけない国は中国、北朝鮮、ベトナム、キューバといくつかある。が、民主化はいまだに一部悪辣な国家の問題を解決するものの、それが世界を大きく改革させるものとはなっていない。自由の効力は低下しつつある。

 「資本主義社会の成長神話が・・・」
 自由社会において、経済は永遠に発展する。現にそうだ。が、経済学上はそれが数字に表れなくなっている。これも、社会の制度改革が、社会の発展を促さないようにみえる理由の一つである。経済という指標を発展の目安にする限り、これはなかなか改善されないだろう。

 つまるところ、社会の制度改革によって、社会が活性化する時代が終わりつつある。社会制度を改良する効果はだんだんと小さくなっているからだ。

 これは資本主義経済の終わりではない。資本主義は今後も続く。マルクス経済しか知らない単純な人は、経済は資本主義と社会主義しかなく、資本主義が限界になると、終わり、社会主義になる、と思っている。それは間違いだ。資本主義が永遠に今後何億年は続く。

 ここで言うのは、そういうことではない。マルクスも所詮、社会改革しか書いていない。自由主義も社会思想の一つだ。私は、その社会改革全体が、もうゆきづりつつあることを主張している。

 どちらも同じ社会制度の思想である。社会イデオロギーそのものが、限界にさしかかっている、とここでは主張する。マルクス(共産主義は)は1992年に完全に死んだ。その後も続く、自由主義国家の制度を改革させて、社会を進歩させるやり方が、そろそろ勢いをもたなくなっている。

 社会制度を改革していたら、社会はよくなる、というこれまでのやり方が通じなくなっている。

 社会改革を目標とするあらゆる社会思想が、魅力ないものになりはじめている。特定の社会思想が時代を主導する原理になりえていない。

 これは社会制度がなんらか完成しつつあるから、生じる現象である。なぜなら成熟期(完成期)を経ない、と後退局面に突入しないからだ。

 人権は社会に広くゆきわたった。自由競争、個人・企業の自由は、およそできるものはした。民主主義はまだ問題はあるものの、世界で広く行なわれる。つまり、社会制度は、大方整ってきている。その改革では、人類そのものの大きな進歩にならないところまできた。

 

 まだ一部貧困の解消、経済的な問題を克服する制度は整ってはいない。そんなベーシックインカム、さらには国家の経済的な問題も解決しなくてはならないだろう。

 しかし、ようやく人類は、社会イデオロギー闘争の時代を完成させつつある。自由主義は共産主義に勝ったという栄誉を残して。もうすぐ地球は全国家が資本主義一色にそまるだろう。

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