社会 

 

 

水野和夫という左派経済学者は何者か? 2014-12-19


 『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)を水野は著した。資本主義が終わると印象づけて、全共闘世代の注目を浴びた。そして、私の警戒心を招いた。

 資本主義経済は、経済学を知らなくても、あと10年,20年ではつぶれないことは、誰でもわかる。世界経済が当面、一斉に破綻することはない。また新しい制度がとってかわることもない。自由経済体制よりも優れた経済システムは、まだ一つも芽も出てないからだ。

 共産中国だけでなく、インドネシア、タイ、フィリピン、ミャンマーなど新興国はこの資本主義経済の真っ只中で、どんどん成長している。日本だけが成長の鈍化になったからといって、突然、その世界を主導する基盤=自由経済が終わることはない。

 なぜ、その自由主義経済が終わったと、世界の状況がまったくみえていないようなことをこの経済学者は平気で主張できるのだろうか?

 おそらく、それは資本主義が終わることを待ち望む全共闘世代受けを狙った確信犯的な宣伝だろう。次に共産社会はけっしてこないが、資本主義が終わって共産社会になる、というマルクスの偽理論を信じる左翼は多い。彼らに本を売りたいために考えたのだろう。ただ、これは彼の本心でもあるようだ。本気で、彼は、資本主義が近いうちに終わる、と考えているらしい。

 彼は反アベノミクスである。アベノミクスとは、欧米の主流な経済政策(量的緩和と欧米の税制)を20年遅れてやっと実行したものだ。欧米の財政担当者からみれば、「日本もようやく我々と同じことをはじめ、我々の仲間入りを果たした。、かわいいやつだ。」 というところだ。

 

 彼はその部分の施策の可否をいうならともかく、それに全体的に反対するとは、水野はよほど世界の経済常識を知らないのだろう。

 だが、どういう根拠で反対するのか? 私はよく知らない。で、彼のものを読んでいる最中だ。今わかったことを述べる。

 彼は新潮45(2015/1)で『アベノミクスの終焉・資本主義の終焉』を書いた。そこで、『日本で資本主義はすでに終わっている』、というようなことをいう。どうやら彼は経済の細かい数字をみすぎて、全体がみえてない。

 彼の考えでは資本主義の経済は、『利率』でどういう状態かわかるらしい。成長率=利率なのだろう。ふつう経済学者はそう考える。利率が低いから、経済成長が止まった。それで彼は、資本主義が終わった、と短絡的な結論を導いた。

 しかし、統計上の成長がみられないからといって、資本主義が終わったと考えるのは間違いだ。経済学者の陥りやすい典型的な罠だ。

 携帯電話やコンピューターは進化しているし、自動車も日々改良されている。住宅もよくなっている。食べ物や衣服まで、毎日よりよいものが着れる。それら社会の発展は資本主義のおかげだ。もし、社会主義だったら、そんな良品は国から配給されなかっただろう。資本主義の体制は、いまだに多くの人々の創造性やアイデアをうまく採り込み、社会を発展させる。

 経済学者は、統計の数字を見るあまり、経済の実体(理論上の実質経済ではなく)に疎くなる時がある。新しい製品が次々と世に出ている。テレビは日々、新しいより魅力的で快適なライフスタイルを提案している。町に出て、新鮮な進歩を感じると、日本はどんどんよくなっていることがみえてくる。特に、都会は。資本主義経済は、今なお力強く、発展している。不況感と活況感が混ざり合う日本においてすら。

 だが、どこかの建物の研究室に閉じこもり、テレビやインターネットを見ないで、統計をいじくっている。そうすると、特異な世界観に陥ることがある。例えば、統計の数字が小さくなった、GNPグラフの右肩あがりが止まった、人口が減少した、利率が小さくなっただけで、なんだか日本が大きく傾いて、衰退に向かっていると錯覚する。実際、それほど大きく経済は悪化していないのに、一時的なものかもしれないのに、指標が少し傾いただけで、大げさにもう日本経済は破滅の危機だと、考える。

 彼はそう思い込こんだようだ。そして、扇動的に、資本主義やアベノミクスは終わった、とあちこちで訴える。彼はその手のアジテーター学者であることは確かである。野党のお抱え学者ようなふるまいをする。彼は結論が間違っているから、今は検証はしないが、個々の論理も間違いなのだろう。今そこは批判しない。

 日本経済は円高不況を終わらせ、やっと曙光を迎え、始まったばかり。その改革の成果が現れにくい時期だしても、日本資本主義の危機でも、アベノミクスの危機でもない。水野の資本主義批判がすでに終っているのではないだろうか?


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