社会 

 

 

貨幣なしの資本主義もある 

 

2015-3-14 校正4/7



社会主義が資本主義に劣る、という話が大好評。

 資本主義の未来はばら色

 そもそも資本主義とは?
 18世紀のドイツで、民間企業を活用するのが、資本主義のはじまり、とされる。しかし今や資本主義はもっと洗練された。現在は、何が資本主義の定義か?

 資本主義の反対は社会主義だ。社会主義とは中央集権の計画主義だ。純粋な社会主義では民間企業がない。
 よって、その逆が資本主義だから、民間企業を取り入れるのが資本主義、もしくは、国家が一つの統制社会でないものが資本主義となる。

 この定義から、中国の体制が「資本主義を取り入れた社会主義」と呼ばれる。

 
 社会主義は社会組織が一つの国。資本主義は内部に複数の社会組織をもつ国と定義できる。
 この資本主義を制度でみると、個人・グループ活動の自由がある国といえる。そのため無数の自由な活動主体がその国にはある。社会主義はそれがない国と定義できる。


 資本主義というとき、『資本』という言葉にこだわってはその本当の姿を認識できない。そこが大事である。資本ばかり論じ、その制度の本義を見落としていけない。

 経済面はどうなるか?
 資本主義だけが貨幣経済をもつ、と思われている。しかし、社会主義でも貨幣経済にできる。よって、それは資本主義特有ではない。
 
 貨幣経済がない資本主義は成り立つか?
 社会主義では貨幣なしの配給制度はあった。よって、資本主義でも原則さえ守れば、貨幣なしもありえる。資本主義は貨幣がなくても成立する。その原則とは、民間の自由活動が認められていることだ。貨幣は、流通の手段である。貨幣制度は、古来からあり、資本主義がなくても成立してきた。


 また貨幣制度は、その名から資本主義を支える要件と思われがち。だが、資本主義とは、純粋には、組織形態をさす。個人や企業の自由活動さえ、その制度要件さえ認められたら、それはその経済がうまくいこうが、悪かろうが、資本主義である。

 

よって、貨幣制度がないそれもありえる。貨幣制度が破綻するかいくら議論しても、資本主義の成否に結びつかない。それは民間の活動を停止するか、国有化すべきどうか、という話でないからだ。

 経済体制に資本主義と社会主義のほかに何があるか?
 部族社会の経済はある。マルクス主義で「原始共産制」と呼ばれるもので、所有がまだあいまいな状況だ。これは大きな社会では、所有を区別するから、成り立たない。この体制は、家族みたいな小さなグループでしか持続できないから、社会や国、人類を考える時には、必要ない。

 この原始共産制で国作りをすると、どうなるか? 無謀な挑戦をした共産国はいくつかある。その1つが北朝鮮だ。

 

 北朝鮮では、国が1つの家族となった。共産党の代表、金日成が人民のすべての親となった。素晴らしい。人民は彼の子供である。すごいたくさんの同志だ。すると、北朝鮮のように親が何もかも独占する。そして、あの金一族の主体思想まで作られ、かの北特有の共産原始制国家ができた。単に、一族の独裁国家だった。原始共産制は、部族支配に陥る。それは、歴史からみても必然だった。部族社会では、それが大きくなると、部族が集まり、そこから王が出て、支配するのだから。4-6世紀頃に、日本でもみられた。邪馬台国とか、その頃に。

 

 共産というのは不可能で、だいたいは国有となる。共産とはある意味、誰ももたないで、組織(国)が所有することである。

 

 こういうのを先進国で行う発想は、家族主義や部族社会を国家にもちこむことで、幼稚である。

 というわけで、経済には大きく、資本主義と社会主義しかない。原始共産制は論外である。そして、社会主義に貨幣なしの制度があるから、同じく資本主義においても、貨幣なしの制度がありえる。ここが大切。

 現在、貨幣制度に陰りが見えている。よって、このまま推移すると、資本主義から貨幣制度が取り除かれてゆくのではないだろうか。それは社会主義ではなく、あいかわらず資本主義である。その社会は一極集中でもなく、統制されることもなく、個人や企業が自由に活動するからだ。これが、資本主義の未来である。

 経済学者諸君。貨幣経済なしの資本主義社会を描いたらどうだろうか? その未来がバラ色であることを今度、証明してみよう。




home

inserted by FC2 system