社会 

 

 

資本主義か終焉しない理由その二 組織形態の観点から
2015-3-21



 資本主義か終焉しない理由その二 組織形態の観点から

 資本主義国家の組織形態とは

 資本主義国家とは、大きな組織の中に、個人と企業が自由に活動できる体制である。国家の中に小さな民間企業がたくさんある、という組織形態である。企業が分社した後にそんな姿になる。一つの企業グループの中に、たくさんの企業がある。ナショナルグループのような感じだ。その国家規模のものである。

 
 社会主義国家の組織形態とは

 そういう自由な活動ができる民間組織がない。全体主義的な独裁国家(集権制組織)をさす。すべて国有化されている。そこでは、国家がすべて末端まで統制する。

 この全体主義(社会主義)では、自由な活動が許されない。自由活動をすることは、定義上、社会主義ではなく、資本主義だからだ。中国は社会主義の顔をした資本主義ともいえる。組織形態では。

 資本主義が終焉するとは、組織形態においてはどういうことか? 
 話すを簡単にする。資本主義の組織形態以外には、社会主義(全体主義)しかない。資本主義が終わるときは、私はそんな未来はこないと考えるが、すると全体主義になる。この全体主義は、民間の活動を全て禁じる。なぜなら、それが統制経済=社会主義だからだ。

 

 資本主義が終わり、改良された資本主義になるときは、それは資本主義は終焉してない。ある特殊な資本主義が終わっても。

 社会主義は、社会組織や個人の自由活動(生産や販売など)を禁じる。資本主義の体制を終わらせるには、その二つの活動を禁じるしかない。具体的には、企業は国有化される。個人は、国家に所属する。そこが社会主義だ。
 

 つまり、資本主義社会の終焉時には、

 一、企業活動の自由が剥奪される。二、個人の自由な経済活動が禁止される。そして、全てが国有化される。

 

 資本主義が終焉するとは、そういうソ連によって破綻することが証明された社会主義体制に戻ることだ。集権的な組織形態に逆戻りすることである。

 社会主義化すると?
 
 もう社会主義国家がどんな恐怖政治が敷かれていたか。そんな冷戦の教訓をもう忘れたか? 中国がいまだ政治的には行っている。


 ソ連の体制を思い出そう。社会主義国家では、個人の自由がない。社会活動の自由はない。メディア・テレビは国営だ。国家がふさわしくないとしたものは、一切、新聞に掲載されない。報道もされない。生産は、すべて国が決める。農業も工業もだ。


 市場のニーズに応え、製品を供給するという市場経済はない。国家が計画して、生産量を決める。それを国民に配給する。これが暗黒社会なのだ。ソ連もそうだし、キューバも大方そうだ。

 そんなひどい国家は、すぐに停滞する。物が不足して、製品の品質が落ちて、適時に不足したものを配給することはない。それが計画経済が破綻したソ連で実現した社会だ。

 

どこも共産国は似たようなものだった。もっとも大事なことは、それら社会主義国に自由がないことだ。すべて国が決める。官僚と政治家が決めてしまう。共産の独裁体制が国を支配する。国民はそれに従うだけ。そんな共産・社会主義国家には、喜びも楽しみも、国民の幸福も未来もなかった。

 この社会主義国家のトップ政治家は王様で、彼しか自由に活動できない。国民は抑圧され、奴隷ようだ。社会主義とは、王様と奴隷しかいない制度だ。組織形態ではそれは明らかだ。全体主義国家とは、そういう集権国家だからだ。これが暗黒社会なのだ。ソ連もそうだし、キューバも大方そうだった。社会が衰退に向かい、破滅する。そんな資本主義より劣る体制である。


 まとめ
 またソ連が崩壊した1992年に、国民と企業に自由活動させることを禁じて、社会主義体制にしてはいけない(資本主義体制はやめてはならない)、と人類は決定的に学んだ。全体主義の間違いを人類は学習した。もう、個人の自由を捨てて、資本主義を放棄することはない。

 資本主義の組織形態は、これ以上よいものがないから、それが永遠に維持される。それが現実である。それが真の未来である。資本主義という組織形態は永劫に終わらない。

 

 資本主義が終わると、と軽々と言うべからず。冷戦から何も学んでいない世界の趨勢から取り残され、まだ冷戦期の思考を宿していると西欧からみなされてしまう。

 

 以上

 経済体制における資本主義はまた別項で論じる。それは今、勉強中。

配給では考えない。配給で考えると見落とすものが多々ある。配給が完全でも、自由がないと、そこは死んでいると同じだ。社会は発展しない。それはまた後で。今は、組織形態で論じている。

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