教育論 道徳教育
2015-2-16 校正3/19
思いやり、というのは愛の一種である。相手にとってよいことをしようと考えること。相手は何か困っていたら、助けよう。相手が困っているから、優しく接しよう、とすること。
愛は 1,相手に必要なことは何か。と考え、2,どうすればよいか? と考えてから、3,それを行動に移す。その相手の1,問題と2,解決法を考えることが、思いやることだ。
「思いやりが足りない。」は、相手の痛みに気づかないか、相手に軽率な行為をして、責められる言葉。相手をよく考えると、そんな過ちはしなくなる。
「あなたは思いやりがある人だ。」は、優しさが届いた時の感謝の言葉。だが、思いやりは、愛ほど立派でない時だ。
思いやりをするにも、知恵が必要だ。他人の痛み、状態を見抜く賢さがいる。賢く、周囲の人々をよくしようと熱心な人ほど、思いやりが上手になる。賢くても、自分のことしか関心がない、と思いやりは欠ける。
一般的には、賢い人ほど思いやりがうまい。末端社員よりも、上司や社長など人の上に立つ人も、思いやりが巧みだ。そうでないと、リーダーシップは発揮できない。他人に関心が強い人もそうだ。
思いやりを発揮しないといけない状況はある。グループの一人が、体調不良や精神的な悩みで、そのグループ活動ができなくなった。その時は、その一人を思いやり、カバーしなくてはいけない。家族で、そういうのがいたら、すばやくみつけて、助けてあげる。こういうのが思いやりをするタイミングである。
困っている人は、典型的なパターンがあるから、それを練習をつむと、思いやりもうまくなる。老人の重い手荷物を持つとか、病人に手を差し伸べるとか、悩んでいる人に話をきいてあげるとか、問題を起こしても追い出さないように見守ってあげる(母親はこちらで、父親はすぐに追い出したがる)とか。
そんな様々な「思いやり」の行動は、学校で教えることができる。まずは、1,相手の問題をいかに考えるべきか? 2,思いやらなければいけない状況を説明する。そんな時こそ、思いやろう、と教えよう。3,それから思いやりの典型的なパターンを教えよう。それを4,教室で練習させる。やってみよう。