教育論 道徳教育

 

 道徳教育論

 

道徳教育の方法15 博愛  

 

2015-2-12 校正 3/19

博愛

 博愛とは、広く愛すること。もっと簡単には、公正に、差別なく、誰でも人を愛すること。これは人権を守る側の人が、人を差別しないときの精神とよく似る。人権を教えても、身につかない時には博愛を教える。人権のとおりに、他人に差別なく、公平に接することを子供に理解させ、行動させるのは、無理がある。が、博愛を実行する気になると、自ら進んで、人に対して、公平に振舞う。人権の態度を補強するには、どうしても、博愛を強く教えなくてはいけない。

 役所の窓口で、差別しないようにするのは、博愛の精神が強くなくてはいけない。また奉仕ボランティアで、貧者に身を捧げるのも、博愛からくる。博愛をよく身につけさせると、何かと社会のために奉仕する人材になる。これは、捨てがたい。
 また博愛がないと、他人を平気で差別する。貧者に対して、意地悪をする。なぜなら、彼ら博愛の欠落者にとっては、愛する対象でもないし、特別大事な人でもないからだ。

 太陽のような誰でも照らす愛を行なう、とそれを受ける人は心地よい。それが博愛だ。しかも、その愛を行なう人は立派だ、と教える。博愛は人を慈しむ精神が強い人のみがやれる理想の境地とも。

 誰にでも公平に接するのは難しい。平等に接するのではない。人ごとに法を説くのが愛だから。公平・公正にだ。汚れた人、顔が醜い人、さっきまで犯罪をしていた者、さらには病人もいる。そんな人にいやな顔を一つせず、やさしくいたわる。心からそう相手のことを思う。そんな全員への揺らぐことのない愛はなかなかできない。訓練の賜物だ。

 しかし、少しでもそうなろと子供が決心してくれたら、よいことだ。立派な人になろうとしているのだから。人権社会では、特に、博愛の精神を人々がもってないと、人権侵害は必ず起きるから、よく教えること。

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