教育論 道徳教育

 

 道徳教育論

 

道徳教育の方法12  正義とは

 

 

  2015-2-6 校正 3/18


 

正義の話

 正義とは何だろう? ルールがある。ルールとは社会規則や慣習だ。そうすることがよいと思われている規則だ。

 

 法律とは慣習が国家で認めたものだ。それを踏み外すと悪となる。それを守ろうとすることが正義だ。
 初期の有名なルールに、モーゼの十戒がある。このうち、人は殺すな、姦淫するな、盗むな、嘘をつくな、というのが悪いことをさしている。

 つまり、当時、1,人を殺さない、2,姦淫しない 3,盗まない 4,嘘をつかない、というルールが共有されていた。社会を維持するために、守らなくてはいけないものと思われていた。当時は、このルールを守ることが正義で、破ることが悪だった。この当時の正義は、簡単だった。

 ハンムラビ法典の頃になると、法律はさらに複雑になった。してはいけないことはたくさん増えた。社会が発達すると、ルール=その社会を維持するために必要な規則、は増えた。そして、同時にしてはいけないこと、悪なることも増えた。

 正義の特徴
 正義とは、1,社会を維持するための良きルールを守ることだ。盗まれないように見張ることは正義の一つだ。2,誰かにルール違反させないことだ。盗みをやめさせることは正義だ。
 ルールとは、その社会を守るためにある。治安維持の手段だ。
 人を殺すと、社会が乱れる。人殺しが放置されると、その社会の全員が殺されてしまうかもしれない。それを食い止めるために、社会は自身を守ろうとするために、禁止する。盗みが蔓延すると、社会が混乱する。よって、盗みも取り締まる。

 

正義感とは、よって、その社会を守る意思である。

 

実際の正義は、どんどん詳細になり、増える

ルールは社会が発達すると、どんどん増える。毒物はどんどん明らかになる。古い時代に、麻薬は禁止されてなかったが、今は社会に退廃をもたらすと、禁止されている。新しい正義が増える。昔のほうがおおらかである。

 新しい正義
 時流の正義、というのはある。円高不況の時代には、円安にすることは正義だった。その問題で社会全体が苦しんでいる時は、それを解決することが、強い正義となる。社会全体から支持される正義となる。

 正義のいきすぎ
 その学校でつまらない校則を決めた、としよう。全員、制服を着る。男子は短髪にする、と。これも学校の雰囲気を守るため、と考えられた規則だ。しかし、表現の自由を大きく侵害する。しかし、校内では、風紀委員が、口やかましく、制服の乱れを正そうとする。実に、煩わしい。このように、行き過ぎた正義とは、本当は正しいルールではない時に、生じる。小さな正義という。特殊な正義でもある。


 試験的にある些細な規則が試みられた時によくこんなことが起きる。例えば、政治資金規正法(過度な資金の取締り)、人権のいきすぎなどある。社会をよくする規則だが、あまりに細かすぎるものは、およそ本当の正義ではない。原則からかなり派生した規則などはそうだ。


 こんなのは小さな正義という。こんな小さな正義は、いずれ原則に立ち返り、過剰だと、否定される。社会に停滞をもたらす悪法・悪慣習とみなされる。いちいち守るのも面倒な細かい正義も消え、小さなことで正義ぶる規律委員の面々もおとなしくなる。

 正義は、社会を守る意思、と覚えたい。正義感が強い人は、ふつうの人々よりも、社会を人々を悪から守りたい。

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