教育論 道徳教育

 

 道徳教育論

 

道徳教育の方法8 人格を高める

 

 2015-2-2  校正3/18

 

 人格を高める

 道徳教育を行なうと、人々が徳をもち、日々それを養うようになる。自らを律する人間となる。悪いことはしなくなり、いじめ、陰口、陰湿なこと、犯罪もしなくなる。なんとすばらしい国民か。

 道徳教育の課題は、その習慣の持続だ。人を信じること、友情、正義、自分より才能ある者を尊敬すること、人を愛すること、暴力を振るわないこと、公平に接することを教えても、それを知識として覚えても、実践しないと身につかない。

 さらに、これら人徳をたえず向上させる意義を知らないと、卒業したら、これらを忘れる。そして、精神が後退したり、人格がふとしたことで荒廃したり、堕落した生活を送ったり、放縦に身を任せたり、欲望に走ったり、悪事に手を染めたり、ひきこもったり、犯罪者のような心になったり、精神が退廃する。人格は低下する。

 せっかく学校で良き人間としてのあり方、振舞い方、心の律し方を教えても、社会に出たら心変わりして、野獣のようになっては無駄である。そのように、倫理観を捨てた人間にならないように、一生、精神の向上に励むことを教え込む。

 生涯学習は知識だけを向上させる。知性に走るが、賢明さや徳を求めるものではない。教養あるふりをしても、精神性の欠如がみられるのは全共闘世代だ。知性だけで徳性を養えない。学校で、老後に生涯学習をしたらよい、と教えるくらいでは、十分に人間を高められない。

 人格を高める。それを直接、常日頃、行なうよう指導するのがよい。徳ある振る舞い、心の持ちようを一生続けることを教える。生徒には、理想的な人物を思い描かせる。そして、その人物がどんなにすばらしいかを語らせる。一生かけて、そんなよき人格を目指すべき、と教える。生徒がもつ理想の人格は、強制しない。個性があるからだ。悪い事例だけは教えておく。

 良き人間になる方法として、1,人格を高める、2,精神を向上させる、3,精神を成長させる、4,大人の人間になる など4種類の目標の持ち方がある。それぞれには一長一短がある。

 1,人格を高める
 これはあらゆる徳目を身に着けようとする態度が生じる。道徳教育の目指す人格がの最終点にある。これは、よい。

 2,精神を向上させる
 これは修行僧の信念と似る。だから、これを信条とすると、仏教の高層を目指しやすい。徳目を全体的によく養った人格とは、若干違う方向に子供は進む。

 3,精神を成長させる
 これは発達心理に沿った成長を目指す。大人の人格になる。老人のような成熟した人格を子供は目指す。それが目指す目標となる。徳目は軽視しがちになるから、あまりよくない。

 4, 大人になる
 これは最低の目標である。"大人"は、社会人としていくつかの用件を満たす人格をさす。働くこと、自分で稼げること、社会人としてのマナーを身に着けていること、あまりに感情的にならないことなど、精神性とはあまり関係ない条件だ。道徳教育が示す理想の人格からは、遠い。これは目標が低すぎて、話にならない。学校教育現場では、最もよく言われる指導法だ。『お前は立派な大人になれ。』 これでは、あまり精神性の高い人物にはならない。

 私は、「人格を磨く」、「人格を高める」と人格の向上を目指すのが、よいと思う。それを指導すべきである。すると、生徒は自ら進んで、人格を高める。学校を卒業しても、それは持続する。大人になっても、自らを律して、犯罪や悪事に走らなくなる。

 

 

 


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