教育論 道徳教育

 

 道徳教育論

 

道徳教育8 「殺人衝動」を抑えられない子供が発生した理由

 

 校正 3/18


 学力ある女学生が、「人を殺したくなる」理由
 名古屋大に入った女子大生が、宗教の勧誘を受けた。その勧誘者を下宿で殺害した。「人を殺したかった。」という。名古屋大に入れるのは、かなり学力は高い。
 佐世保女子高生殺人事件も進学校の生徒で、「人を殺したかった。」という。
 このところ、成績がよい女子学生が、人を殺したい衝動をおさえきれない事件が続く。

なぜ彼女達は倫理観を喪失したのか?
 2度も起きた。「人が殺したかった。」から行なったという殺人は、特異な事件と片付けられない。これは、日本社会の重大な問題だ。これは、一言でいえば、昭和・平成の人権教育、命を大切にする教育、心の教育はニセモノだった、ということだ。彼女たちは、それを端的に示す。

 人権教育では、倫理や道徳は教えない。そんな教育では、人としてのあり方は教わらない。日教組教師は言う。「道徳など価値観を教えるのは、本人の思想・信条の自由の侵害、押し付けである。」 そうやって、倫理や道徳を教えなかったために、子供は精神的空白になった。

 道徳は押し付けではなく、国民がもつべき精神としては、義務みたいなものだ。それがなければ、遵法精神もなく、己も律することができない無法者になり、秩序破壊者になるからだ。民主主義を維持する上では、治安上、国民に規律を与えることは必要不可欠なのだ。

 これらは、道徳排除の人権教育の結果生じた哀れな事件である。二度とこういう精神が希薄な者達による残虐な事件を起こさないためには、道徳ゼロの教育を改革するしかない。道徳をしっかりと教え、身につけさせなくてはなない。

 命の大切さだけ、部分的に教えてもいけない。それは生き方についての基本が理解できてないのに、二階を増築したような建物になる。基礎がしっかりしてないから、上にとってつけたうな人権教育や心の教育は身につかない。すぐにそれらは心から消えうせる。そういう繰り返された教育上のミスはしないようにしよう。心は基礎から充実させて、築こう。

 

 道徳教育は万人に必要である。

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