教育論 道徳教育

 

 道徳教育論

 

道徳教育の方法7 素直さ

 

 2015-1-30  校正 3/18

 

 

素直さ

 素直な人間になるか、ひねくれた人間となるかは、教育にもかかっている。学校教育だけで、本人の性格を形成することはできない。が、学校で習ったことが精神的な指針になる人もいる。子供を素直になるように教育すると、うっすらと社会全体に浸透する。素直になるこつを子供達に学校で教えておくと、少しは身につく。すると、日本人は全体的にそうなり、日本人の心は美しくなる。良い心になる。精神的に美しい心のもちようを教えることは、効果がはっきりしなくても、無駄ではない。

 最近の子供は何かとよく知っていて、教師の言うことを素直に信じない。また違った受け取り方をする。物知りになったから、素直でなくなった。それは一理ある。正しいことは素直に信じる。正しくないことは信じにくくなった。それがはっきりした。子供をだましにくくなった。子供はあいかわらず素直である。

 例えば、左派社会科教師の危険性を知る賢い子供は、社会科教師の嘘を見抜いて、信じない。特定の左翼思想を子供に教えることは、子供の思想信条の自由の侵害であるが、日教組は歴史教育の中にこっそり混ぜておけば、許容される、と思い込む。しかし、それも最近は発覚して、許されない。子供もわかるようになった。

 

 私はそういう左翼のごまかしはほとんど見抜いた。社会科のうそは、何も信じなかった。小学校も中学も、高校も。


 「地域を大切にしよう。自分の育った町を大事にしよう。」、というスローガンは納得して、素直に実行してくれる。子供は素直でなくなったのではなく、賢くなったのである。

 子供がそれを正しいと思ったら、素直にそれを信じる。子供は間違っているものは、素直に信じない。泥棒の脅しに子供は従わない。親の納得できる言いつけならば、子供は従う。素直とはなんでも信じるという態度ではない。

 

 素直さを強要できない
 素直とは、正しいものを信じる、そういう態度である。なぜなら、間違ったことを素直に信じるのはよくないからだ。子供はよくないことはしない。また、悪い人のたくらみを素直に行なうのはいけない。言いつけを子供に素直にきかせるには、その言いつけ(命令)が妥当でなくてはいけない。

 大人は子供に素直になりなさい、と言うことはできる。ただ、子供が素直になるかは、その命令、言葉が妥当か、もしくは正しいかにかかっている。よって無茶なことを要求して、それを子供が素直に受け入れるよう強制はできない。そういうのは会社でも家庭でも学校でもできない。なぜなら、子供は、無理な事はできない、と思う。それをやらせることは、容易ではない。

 

 強要すると、素直に従ったふりを子供は演じる
 子供が小さいうちは無理やりにやらせることはできても、大きくなるとまったくそのやり方では従わなくなる。しかし、子供が素直に従ったわけではない。子供なりの打算で「素直に従ったように」ふるまったのである。

 子供が大人の無理な要求に、素直に従った、と思うのは間違いである。子供は心の中では不平不満だらけだ。ただ強制されたときは、みかけ上、抵抗せずに従っただけである。素直には従ってはいない。反発しなかったからといって、素直に従ったわけではない。

 では、どんなときに素直になるか?
 それは正しいことを聞き入れるときだ。子供が納得することは素直に信じる。怪しいと思ったことは素直に信じない。子供が疑問に思うような言いつけは、子供が素直に行なわない。子供が納得しないことは、子供は素直に従わない。

 なお「素直に聞く。」と「黙って聞く。」とは違う。教師は新しい提案をすると、生徒がすぐに文句を言うのを嫌う。その反発を抑えるために、「素直に聞け。」大きな声で命令するのは適切ではない。「黙って聞け。」というのが正しい。子供は、聞いている間に、その新しい提案の善悪を考えているからだ。素直に受け入れてよいものかどうかを。

 子供に素直さが要求される前に、まずは大人が正しくなくてはいけない。犯罪者達に囲まれて、いつもずるをして、姑息なことをして人を騙すことしか考えてない大人の中に子供がいたら、当然、子供は素直にはならなくなる。素直さや正直さが、ルールの社会でなくては、子供は素直になろうとはしない。これは適応の問題である。


 先入観はある。あの教師はダメだよ、と地域で知られていると、その教師の言葉を、子供は従わない。子供は、地域の噂のほうを素直に信じてしまい、教師の言葉に疑いをもつからだ。

 

 親は(政治、世間)を語る才能がなく、めちゃくちゃなことを言う、と子供がわかってしまったら、その親のその面の話は、子供は信じない。話半分以下に聞く。これは、子供が素直ではない、わけではない。大人の見識が歪みすぎている。そのため、子供は大人の話を素直にきいてはいけない状況となっている。


 子供を素直にするには、大人はできるだけ正しい見識をもち、それを話さなくてはいけない。子供が素直に聞いてはいけないような話をしてはならない。子供が素直にきいてもよい話をしなくてはいけない。

 では、大人が正しいことを言っているのに、子供が素直に信じないときはどうするか? それを教育しなくてはいけない。子供には素直にならないいくつかの理由がある。

 まずは先入観があって、それを信じない。知識(ある仮説や理論)を教えるとき、子供はそれを素直に信じるだろうか。子供がその話に対して、先入観をもっていたら、素直にきかないだろう。そのときは、子供の先入観を解いてやらなくてはいけない。

 またそのしゃべる大人が、悪人のケースもある。大人が嘘をついている、大人の言うことがおかしい。それを子供が察知すると、素直にきかなくなる。大人は身の潔白を説明して、疑念を晴らす。それから、自分自身は信用のできる人と明らかにしなくてはならない。そうすると、子供は閉じていた心を開くだろう。
 
 では、素直にそれを信じる子供にするにはどうすればよいか?
 先入観でその真偽を判断しないことを教える。はじめから、他人の話を首を傾けて聞いていては、子供らしくない。あまりに先入観がある子供は、素直さから遠い。次に、相手の身なりや身分、評判、噂などで判断しないように教えること。彼の言葉そのものを純粋に考えて、それを信じるかどうかを決める、と教える。
 
 素直になるには、その言葉、命令そのものの善悪・真偽を先入観なく、見抜く知恵が必要だ。それを鍛えるよう指導する。

 知恵の少ない子供は、人や物事を信じやすく、疑うことを知らないから素直になる。またとても賢い子供は、すぐに善悪を見抜く。学校で大方は有益な知識を教えてもらうから、そんな子供は素直にきいている。彼は、善人の中では素直に振る舞い、悪人の中ではまったく素直さのかけらもみられなくなる。そして、小ざかしい子供や、小知恵をつけた子供は、一般的には、斜に構えてなんでも価値判断するから、素直さに欠ける傾向となる。

 子供を素直にしよう。そのためにはまず、大人が純粋でなくてはいけない。

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