教育論 道徳教育

 

 道徳教育論

 

 

道徳教育6 平成の道徳教育は皇民化(国家神道)教育ではない

 

2015-1-15 校正 3/17


 左翼の道徳教育反対論をつぶす手順
 左翼は「道徳は軍国主義だ。」 と扇動し、反対する。この誤解を解くと、道徳が国民に受け入れられやすくなる。道徳と"軍国主義"の違いを明確にするため、私は独り闘っている。

 左翼が軍国主義の教育と恐れるものは、二つある。軍人(職業)教育と神道(宗教)教育である。左翼は、それらをやみくもに怖がる。彼らは、冷静に物事を考えられない。何が軍事教育か、何が国家神道かを。左翼は、道徳にそれらが入っていて、皇国少年になってしまう、とむやみやたらに心配する。

 だが、道徳を教えると、規律ある人格が優れた人間にしかならない。兵士にも神道の熱烈な信徒にもならない。彼らの不安は、杞憂なのだ。

 彼らの誤解を払拭するためには、道徳教育はどちらを教えるものでもないことを明らかにする。さすれば、左翼の道徳反対の根拠は否定できる。前回は、道徳は兵士を育てるものではないと説明した。今回は、道徳は神道を教えるものではないことを明らかにする。


平成の道徳教育は、皇民化(国家神道)教育ではない

 

昨日、川西図書館に行った。左翼の恐れる軍国主義は何か? 戦中の教育で、神道の面を調べた。いい本はなく、左翼の書いた本はみつかった。それも資料になったため、それを今回は参考にする。

 『ぼくは皇国少年だった。』(櫻本富雄 著 インパクト出版会)
家永を支持する作者の左翼体質には興味がない。彼はかって皇国少年だった。その体験を調べた。なかなかそれを吐露する本がみつからない。彼は長野に住んだ。毎朝、神社で参拝した。彼は天皇が神々であり、日本を守ってきたと信じていた。お国に尽くすことは、天皇のために一身を捧げることと、思っていた。彼によると、学校に奉安堂(天皇の何かを祭る建物)があり、その前を通る時は礼をしなくてはいけなかった。こういう資料にあまり残ってない風習があった。これらの教育を受け、そんな雰囲気の中で育ち、彼は皇国少年になれたそうだ。
 
 これらは確かに神道教育だ。皇民化教育である。学校内だけでなく、学校外で諸々の宗教指導がなされた。教育勅語においても、『国が危ないときは、国や天皇のために命を捧げろ。』と、天皇に尽くすことを教えた。

 これら戦中の宗教教育は、現在学校で、教えてもよいだろうか?

 確かに、『天皇は神』、『過去の天皇が神として日本を守ってきた』、『毎朝の神社で天皇に祈る』、『天皇に命を捧げる』、『毎朝の天皇陛下万歳』は、現代の義務教育一般にふさわしくない。個々を検証しよう。

 『天皇は神』、『天皇が神で日本を守ってきた。』
 天皇は生きてる時、人である。神については宗教ごとに見解の相違がある。神道は日本の民族の重要な思想のため、日本の神話は歴史教育で必要だ。が、公民の教育にはふさわしくない。

 『毎朝、神社で天皇に祈る』
毎朝、神社で祈るのは宗教行事で、神頼みしたい人はしたらよいが、うちの祖父もしていたが、キリスト教徒や日本人の多くは仏教徒であり、学校で強制できない。

 『天皇に命を捧げる』
 天皇に命を捧げるのは、国に捧げるのとは違う。江戸時代でも徳川や天皇に忠誠を誓うのはわずかだった。明治になってから流行ったとしても。国に捧げるのは個人主義が進んだ現代にあっては、強制できない。
 当時は、国王と国家は同一であったから、盛り込まれた。現在は、分離して、国と国王は別に扱われる。日本と天皇が混同されて、道徳で教えられることはない。特に、戦後、それは厳密に区分される。混同されることはない。当然、道徳教育で『天皇のために命を投げ出す』ことは教えない。

 『天皇陛下万歳』
 これは天皇を讃える日本人の風習だ。が、実際に、天皇陛下に会う人は、天皇の前で万歳しない。神社でも祈る時に、万歳しない。というわけで、万歳を崇拝の対象の前でするのは本来おかしい。そういう習慣が戦中、戦後にあってもだ。

 万歳は、本人の喜びやめでたいときの表現だ。祝日に天皇の前にゆく。そこで万歳する。今日はおめでたい日、と国民の祝日を喜ぶ。

 『天皇陛下に出会えて、私は万歳。(と喜んでいる)』、『天皇陛下。今日はお祝いの日です。私はその喜びを体で表現します。万歳。』 万歳は自分自身が喜んでいる時の表現だ。悲しんでいるよりもよい。爺さんが万歳しても、古臭いと嫌がることもない。彼がそれをしたいのは自由だから。

 が、あまり現代的ではない。万歳は、日本でよく行なわれている表現法だから、挨拶のようなものだ。それを祝日にさせるのは、悪くない。が、天皇に向けてすることを教えると宗教教育とみなされる。

 天皇の謁見の時に、人々が皇居前で万歳する。あれを学校で教えると考えるのも、杞憂である。道徳教育では陛下万歳は教えない。

 まとめ
 戦前、皇民化教育が行なわれた。だが、そういうことは現在の道徳教育では教えない。平成の道徳教育は、皇民化教育ではない。

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