教育論 道徳教育

 

 道徳教育論

 

道徳教育1 2015-1-07 校正 3/17

 

道徳教育は学校で。家庭では躾しかできない


 朝日や毎日新聞の投書に、道徳教育は家庭や近所で十分だ、本人がそんな育ちだったから、とある。人の子は犬猫じゃあるまいし。それは躾である。箸の持ち方、服の着かた、車は怖い、見知らぬおじさんにはついていかない。家庭の躾は、そんな簡単なものだ。

 

 道徳は、そんな躾程度では不十分だ。

 

 道徳をしっかり学校で教えよう。そうでないと、アメリカにおける犯罪の多さ、中国の金満主義などの台頭、精神の荒廃を招く。日本人のよき精神は失われてしまう。

 道徳は、高度だ。人を信じる、尊敬、畏敬、愛する、忠勤、正直さ、裏切らないこと、短気・直情にならないこと、軽薄、安易、犯罪を犯さないこと。他人への親切、博愛。もっと発展すると、倫理、宗教にゆきつく。学問になると哲学、倫理学、心理学、脳科学、思想で専門的に研究される。


 こういうことは、親から教わらないし、テレビを見て身につくものではない。物好きな近所のおじさんが、語り聞かせてくれるものではない。家庭では教えられない。

 なぜなら、現在、中高年の全共闘世代は道徳を侮蔑して、その知識がほとんどないから。近所のそういう倫理的とはとてもいえない老人達は、道徳・倫理を子、孫に教えることすらできない。

 論語読みの論語知らず、とは論語を読んでも、それを実践しない人を戒める諺だ。まずは論語を知らなくては、はじまらない。その上で、普段、人の道を行なうよう努める人がよいとされる。つまり、論語すら教わってない、読んでいないようでは、道徳について何も実践できはしないのである。それが現代日本の大人たちだ。

 

 彼らが家庭で、道徳を教える。それを期待するのは無理な相談だ。彼らは道徳すら何か、知らないではないか。躾程度のことを道徳と思っている。そんな投書を平気で新聞に掲載する。それほど、昨今の知識人は精神性について、無知だ。そんな大人が、社会、家庭で道徳教育などできない。

 

 まさか、何も精神のことを教えないで、子供たちを野獣のように、放縦で、欲望の虜となり、他人の痛みすら思いやることもできない人間に育てあげることが、彼らの意図ではないだろう。しっかりとした人間性がある大人に育てたい気持ちは、日本人共通だ。


 学校でまずは、道徳をきっちりと教えること。それが日本人を日本人たらしめ、よき心を養う。道徳も知らない者が、精神的に人々を感化するよき振る舞いなどできない。

 道徳や倫理は学校で教科にして、習わせるのがよい。それは、戦後、ずっと続けられてたことだ。それは正しいことだった。道徳教育は、戦後に始まったものではない。もっと古来から行なわれてきた。

 道徳は人の道。江戸時代には、寺子屋や藩の学校で、論語や古典、武士道を学ばせた。それ以前は、僧侶が寺で文字、お経、仏道を教えていた。明治維新後は、小学校に通わせたから、そこで明治神道にかえたようなものを教えた。忠孝や仁は武士の精神だから、神道に変え、忠勤が天皇に尽くすものにした。戦後は、天皇への崇拝は削り落とされ、道徳、世界の偉人などが奨励された。

 昔から日本では、家庭の躾で道徳が十分身につくと考えなかった。僧侶、師範、先生、教師から教わるものだった。道徳は、私がそれを学んだ1979年にはあったから、かなり続いた。学校で道徳を教えるものと、社会は共通の認識をもっていたからだ。

 道徳は一つの学問である。そのために宗教では、仏教は仏の道を求めたし、キリスト教はイエスと同じものや神の求める生き方を目指した。が、現代の親はそんな本も読まないし、体験もない。ドラマを見て料理を作る母親や、会社の仕事に忙しい父親が、日曜に寝転がって休んでいるのに、時間をかけて子に人の本分を教えてくれるのだろうか? それは義務づけられたものなのだろうか? そんなことを何もしないで、子供は賢明に育ち、精神的に申し分ない人格になるのだろうか? それはありえない。

 家庭の躾で、十分なのは、トイレの使い方や箸の持ち方くらいではないか? 家庭で算数も国語も社会も教えない。道徳も同じように奥が深く、高度なものだ。二桁の足し算や九九くらいは親が子に教えられるだろう。だが、家庭で分数や一次関数、二次関数、英語も教えられない。

 道徳も、恋愛の初歩的なこと、嘘をつかないこと、犯罪をしないこと、友人とけんかしないことくらいは、家庭でできる。しかし、それ以上に深い精神的なこと、哲学的な話題、論語の内容、宗教の意義、倫理基準、博愛を徹底すること、人に尽くすこと、欲望に走らないことなどは、親の力量を超える。義務教育でやってもらうほうがよい。

 物質的なものが充足する昨今、これからは精神の時代でもある。精神をより豊かに開花させるために、そういう人格を育てる教育環境が必要である。道徳教育を科目にすることは、安倍首相の強い思い入れもあるが、本当は時代の要請である。


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