発達心理 developmental psychology

 

 発達心理論

 

発達心理16 疑問にこたえる 2015-3-6 校正 3/16

 

発達心理の疑問にこたえる

 昨日、乳幼児期の発達心理は、各段階の課題を明らかにすべき、と提案。乳幼児期はかなり研究されている。が、大きな枠組みがない。また詳しい段階も明らかになってない。そこも究明したい。
 

さて、今日は、私の発達心理論について、説明すべき点をまとめる。

 

 発達心理表 
課題 年齢(才) 世紀 所属 思想、特徴
↑点  35-39 36-40  社会人 原子論、ブロックのような宇宙論
↑直線 30-34 31-35  社会人 文、音楽
↑平面 25-29 26-30 社会人 絵、写真、
↑空間 21-24 21-25 大学後半 建築物、都市空間、  
↑社会 18-20 19-21 大学前半 社会論 経営学 社会組織論
↑理性 16-17 17-18 高校 理性、デカルト、経験主義、カント、ヘーゲル
↑運動 12-14 13-16 中学 ストア哲学、鎌倉仏教,ルネサンス、足利文化的
↑感覚 9-11  8,9-12 小学校高学年 貴族 平安時代
↑?? 6-8 6-8 小学校低学年   王 奈良時代
↑?? 3-5   幼児期   
↑?? 0-3才  乳児期       気質の形成


 新しい発達心理論の疑問に答える


段階説を使う理由は何?

 知性、理性、社会と青年期は、期間ごとに関心が異なったからだ。

 

青年期の段階を3年とする理由は何?

 運動(知性)の期間が12-14才。理性の期間が15-17才と3年だったからだ。これで20才以下をあてはめると、うまくいったため。

 

 理性の段階はなぜ15-17才か?

 私の体験で15才で視野が変わったからだ。私は自分の内的な欲求、志向には敏感だった。他にも、高校に入ると中学とは明らかに生徒の志向がかわる感じがしたため。これは統計をとると、いずれ明らかになる。

 

 18-20才は本当に社会を探求するか?

 大学生は、社会運動にのめりこむ。哲学にはとらわれない。自由を求める。社会運動をしたがる。高校生の時は弱い。が、大学卒業すると、社会運動よりも、何か物づくりなどしたくなるようだ。

 

 12-14才のテーマは力か?

 中学になると、すぐに腕力を使いたがる。特に男子は。知性とも考える人がいる。が、力を見極める時期と考えたほうが、よい。

 

 9-11才のテーマは感覚か?

 これは思想史からわりだしたものだ。感覚的というのは当たっているだろう。この年齢は知識をひけらかせる時期ではない。感受性がよい子供はいる。

 

 21-24才のテーマは空間か?

 「建設の時代」だ。しかし、物づくりもそうだ。建築、都市づくり。空間における生物の役割など、この年齢では知りたがる。


一つの段階を前半と後半に分けた理由は?

 前半は、内化(認識の獲得)。後半は外化(実践)とするとうまくその違いを説明できた。後半としては、ルネッサンスや20世紀の社会運動がその典型だった。前半は、内面をその観点で充実させることが課題。そのため、あまり積極的に行動しないから、暗くなりがち。


人類の成長も個人の発達心理が一致する理由は?

 どちらも、武力→理性→社会、というテーマを追いかけた時期があったからだ。そこから仮説にした。人類は、紀元前など古い歴史がある。が、人は受精以前はない。正確に対応させにくい。


20世紀の成長を社会組織成長論で説明した理由は?

 まず世界の構造(組織形態)や流行(社会運動)に着目した。はっきりしていることは、1940年頃に集権・独裁的な組織が台頭。その後、1950年に植民地は分割され、植民地の民族が独立している。その後は1970年頃からは、西側は先進国がG7で世界を管理した。ソ連は巨大な官僚機構で東欧世界を支配した。それが官僚的だった。そして、その影響が弱まる1992年と集団的に活動するような地域主義が発生する。これら構造変化をまとめると、集権→分権→官僚的→集団的となった。
 この成長が、組織成長論の組織形態の変化と一致したからだ。


理性の段階をデカルトからヘーゲルとした理由。

 日本では西洋の歴史はあまり伝わってこない。哲学史といっても、思想家を説明するだけのが多い。しかし、キリスト教史を見ると、「理性」を追い求める時代、「自由」を論じる時代と当時の思想の影響が詳しくある。そういうものからも、判断した。


理性の段階で、カントを後期とした理由

 実践理性を彼は記した。純粋な理性だけでは、不足していたからだろう。実践とは、行動にうつすことで、外世界を変えるための論だ。それは後半の課題(外化)だ。


知性の時代は、なぜ発達課題が「力」か?

 正確には運動だろう。知性前は、感覚を統合する段階だった。よって、この段階では、人間の運動を追求する段階だ。感覚は、そのまま見たものを説明しなくてはいけない。が、行動する時は、右にゆく、左にゆく、など、運動を記すものだけでよい。行動=プログラムを言葉にすると、「猫は歩く」と二語ですむ。これを感覚で説明すると、猫が歩く映像を流さなくてはいけない。この時代に、人は、PCプログラムのような思考を獲得するのである。それが知性(言葉)である。この段階の人は、よって、正確には知的であるというよりも、プログラム的思考を好むというべきだろう。


知性の時代はなぜ哲学が不作か?

 この時代はストア哲学だった。哲学は貧弱だった。この段階は行動論を好む。それはPCプログラムで、ソフトウェアだ。それは、実用極まりない。哲学みたいな純粋な概念を求めない。ただどう行動すべきか。そういうことを延々と探求していたようだ。


暗黒の中世とルネサンスを同一の段階とする理由は?

 日本ではその年代は、中世末期は鎌倉時代。ルネサンスは室町幕府の時代。どちらも武家の時代で、同じだ。ただ内向きか、外向きか、という違いだ。ヨーロッパの当時の風潮を私は知らない。が、武力によって国家が秩序づけられていたのではないか。ルネサンス頃に、理性を人々は求めていなかった。人文主義だった。それは、理性の段階ではない。

 以上だ。十分な説明ではまだない、としても、このアプローチで歴史を体系化すると、人類の成長プロセスを正しく理解することができるだろう。

 home

inserted by FC2 system