発達心理 developmental psychology

 

 発達心理論

 

 

 発達心理12 18才の心理 2015-02-28 校正 3/16

 

大学1年(18才)の心理

 青年期の発達心理上の謎を埋めている。現在の心理学では、青年期はモラトリアムという中途半端なものしかなかった。モラトリアムは学生と社会人の間という社会的な位置づけからの考察で、正しくは社会心理学だ。発達心理の範疇ではない。

 

 発達心理は遺伝子に組み込まれた誰もが体験するものだ。もっと合理的な体系でなくては。エリクソンの発達心理モデルを改良したものが、私の理論である。

 前回は理性期後半を説明した。16-17才、高校生は合理主義だと理解した。彼らはなんでも法則を求める。不合理なものだと途端に拒絶する彼らの心情を説明した。今日は、大学生1-2年(18才頃)の心理だ。

 

 発達心理表

タイプ    年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24   空間
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑社会性後期 19  社会 20  社会 経営学 社会組織論
↑社会性前期 18   社会 19  社会 社会論
↑理性後期 16-17 外的理性 18  理性、カント、ヘーゲル
↑理性前期 15-16 内的理性 17-18  理性、デカルト、経験主義
↑知性者後期 13-14  外的力 13-16  ルネサンス以後、足利文化的
↑知性者前期 12-13  内的な力 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族 
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 

社会性の段階

 高校生は理性を探求した。18才の大学生になると青年は突然、社会に関心をもつ。最初は、見ているだけだが、1年もたつと社会活動に目覚める。大学生は社会活動に熱中しやすい。そして、すぐに冷める。18-19,20才の年代は、社会を探求する時期のようだ。

 社会思想のはじまりと終わり

 思想史では何年から何年までか。私は当初、社会を探求しはじめる時期を20世紀初頭としていた。しかし、理性を完成させたヘーゲルがなくなったのが1833年だ。つまり、理性はその頃、19世紀初頭に完成した。そして、19世紀にテーマは「理性」から「自由」に移った、と考える。19世紀に人々は理性ではなく、"自由"を求めはじめた。社会論が多く台頭した。よって、社会期のはじまりは1830年頃としよう。終わりは、社会組織が終わる2030年頃だ。期間は200年だ。

 社会期は、1830-2030年頃 期間は200年間だ。

 社会期の前半は?

 段階は、前半と後半に区別される。前半は内的なものだ。後半は実践的だ。社会期の後半は、社会改革を実際に人々が行い、イデオロギー闘争にあけくれた1910年頃から2030年とする。前半はそれ以前とする。それは1830-1910年だ。この時代は、人々は社会活動に積極的ではなかった。一部にそういう者はいたが、国家全体では多くの人々はあまり社会活動をしなかった。先端の人々は、社会論を語ることにあけくれていた。どんな思想があるか?

 社会期の前半の哲学

 哲学はこの時代は不作だった。"理性"を語る者は激減した。が、社会論はたくさん生じた。功利主義は、道具が役立つを強調する。理性の時代では哲学的な人、大学の先生が最高の人物とされた。が、この頃は、社会的な活動家こそが立派、政治家が偉大と思われるようになった。この段階の人は、あまり行動的ではない。実践には関心が薄いためだ。

功利主義

ジェレミ・ベンサム(1748 - 1832年) 功利主義 快楽や幸福をもたらす行為が善、最大多数個人の最大幸福。
ジェームズ・ミル(1773-1836年) 功利主義  経済学
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873年) 功利主義 自由論 権力の強制

実用主義 プラグマティズム

実存主義

ランケ 1795-1886年 歴史学。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ 1844-1900年 逆説。超越者。みるべきものはない。
キルケゴール 1813-1855年 不安の概念

社会学者

エミール・デュルケーム 1858- 1917年
マックス・ヴェーバー(1864年-1920年) 社会学者、経済学者
アルトゥル・ショーペンハウアー(1788-1860年) 仏教の西洋への導入。
マルクス(1818-1883) 狂気の社会論 労働者 社会主義

 社会期前半の課程

 理性期の完成する頃、宇宙には理性が満ちていることを気づく。それ以降、すべての物質に、理性(生命)が備わっている、と感じる。それで、あらゆる存在が知的だ、という認識を得る。その知的な存在は個別に生きている。それを組織化しなくてはいけない、と思うようになる。前半は内的な完成が課題で、実践的ではない。

 彼ら万物に宿る意思は単独で生きている。アミニズム的な世界観だ。が、彼らは動かないし、経験しないと高度にならない。万物は、何か生き物である。それが世界に無数に存在する。自分は、そんな物質=生き物に囲まれている。彼らがよりよい生活をすること、が課題となる。


 各段階は、感覚→運動→理性→社会→空間という小段階がある

 まずは、人間関係で五感的に快適であることを目指す。もっとも自分が幸福であるにはどうあればよいか?
 次に、自分が他人との力関係・運動面で自由であることを知る。自分はどういう社会関係を作ればよいか。社会的な圧力や、自由の制限(物理的な制約)を考える。行動で制限されない、という自由の概念が高まる。
 次に、自分と他者との法則・法律など理性的な関係を知る。理性とはこの段階では法律や法則である。言論の制限、法律の制限などが考慮される。自分はどんな法律の制約を受けているか。それを解き放つには。
 次に 自分と他者との社会的な関係を知る。地位関係、上下関係、社会階層など。大人と子供、親と子など。国家と個人、集団と個人。身分制度、契約関係(雇用)が不合理で人々の自由な活動を妨げていると気づく。
 次に、自分と他者との空間的な関係を知る。このとき、社会空間はしだいに大きくなり、無限に広がる。すべては、社会的な能力をもつ、と気づく。

 そして、世界のすべての物質(人)は社会的な能力をもつ、と気づく。自分はその一人と気づく。だが、まったく社会関係がゼロである、ことも気づく。その社会的な関係を満ちさせることが、次の課題(後半)となる。これで実践に入る。

このようにして、この段階の人は、社会活動を観察しはじめて、社会はどういう仕組みで動くのか、その原理を知ってゆく。

発達心理 社会期前半 大学生(18-19才)の心理

上でみたように、18才になると、社会とは何かを探求しはじめる。契約、法律、制度に興味をもつ。自由を求めはじめる。だが、最初の頃は、人の話を聞いている。自分からは進んで行動しない。彼らはまだ自己内部に、社会的な認識法を形成する期間だからだ。

高校生と大学生の自由の意味とはまったく異なる。高校生は、不合理なことを強要しないで、合理的な行動をさせてくださいという自由だ。大学生は社会的な制限をするな、という自由だ。高校生にとっていやな大人とは、不合理を強要する人物で、不合理の醜い塊にみえる。大学生にとって悪い大人とは、社会的な制限を課す人物で、悪しき圧力の原因にみえる。

正確にこの社会期の前半は、18才から19才3ヶ月だろう。大学2年でもはじめはおとなしくて、日本では大学2年の夏にならないと、活発にならない。

 この期間は、社会論、社会のメカニズムを教え込む。小中高でも公民教育はある。が、それはざっと知識として身につけさせても、内容を実感して理解しない。が、この段階では、社会論を貪欲に吸収する。それをさせる。

 ゆがんだ社会論(共産主義)は教えてはいけない。現代ではもう理解しない。インチキだと知っているため。私の場合は、ミクロ経済学はすぐに理解できた。が、マクロ経済学はだいぶかかった。簡単な社会論からしだいに難しいものにしてゆくことが大切だ。

 最初はミクロ経済学。それから法学などだ。その後は、経営学を簡単なものから教えてゆく。小さなグループの仕組みや、企業の仕組みなどだ。しだいに産業論や国家論、やがては地球全体の経済論などを教える。

 

 社会論は、経営学にしか理論的なものはない。理論を教えないと、記憶や知識のつめこみとなる。それでは理解したとはいえない。

 この段階では、自治や個人の自由はさほど大切ではない。それは標語程度には理解する。実践は関心が弱いためだ。この段階は、社会論を学習させる。

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