発達心理 developmental psychology

 

 発達心理論

 

 

 発達心理11 高校2-3年(16-17才)の心理 2015-2-17 校正 3/15

 

高校2-3年(16-17才)の心理

 高校生の発達心理を書いている。意外と、彼らは理屈にあうことを好む。彼らは感情や熱意で指導すればよい、というのは間違い。発達心理では、彼らを理性的に合理的に導くことが正解だ。やってみればよい。効果てきめんだ。

 なぜなら、彼らは理性的なもの以外は眼中にないから。

 

 発達心理表


タイプ    年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24   空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20  社会 20-21  社会、経営学、社会論
↑単純理性後期 16-17 外的理性 18-19  理性、カント、ヘーゲル
↑単純理性前期 15-16 内的理性 17-19  理性、デカルト、経験主義
↑知性者後期 13-14  外的力 13-16  ルネサンス以後、足利文化的
↑知性者前期 12-13  内的な力 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族 
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 青年期の精神課題を明らかにしている。前回は高1-2年前半の心理をみた。内向的で、合理的なものを好んだ。今日は、理性期後半の課題をみる。

 前半は、内面の充実。後半は、外界の認識を獲得する時期とする。

 

 私の体験

  私は、自分の欲求には敏感だった。この時期は、突然、思想を読み出した。古代の思想ではじまった。ソポクレスの劇、ソクラテス、ギリシア哲学、プラトン、アリストテレスを高校2年の夏から秋にかけて読みふけった。

 

  実際、人類の思想史をたどることは高校2年の課題だろう。自然と読みたくなった。知りたくなった。そして、読んでいるうちは、心が満たされていた。それは発達課題を解決することができていたからだと思われる。

 

 私は哲学好きだった。が、合理的でないものは避けた。ストア哲学はあまり入らずに、デカルト、カント、ヘーゲルと続いて、後は社会思想や現代思想は適当にして、宗教を少しかじる頃には、思想探求が終わりに近づいていた。そして、18才になり大学一年生になると、思想の探求する意欲は消えた。

 これが16-18才の関心だろう。思想史をたどることが、発達課題の正しい解決法だろう。これは、理性期後半の妥当な経緯? また近代哲学と一致するか。それを検証する。

 

 思想史では

 理性期後半の哲学はドイツ観念論のカントからヘーゲルまでとする。1750-1830年のおよそ100年間だ。理由は、明らかにカントから異なる哲学が生じている。この流れは、ヘーゲルでいったん完結している。ヘーゲル以後は、理性を論じる風潮は弱まった。"自由"が論じられた。


イマヌエル・カント(1724-1804年) 純粋・実践理性批判、判断力批判
 難解で読みづらいのだが、彼は理性を確立したといえる。また悟性、感性などで外界と理性の関係も明らかにした。彼は理性という内面だけを論じてなく、道徳や倫理、自然などの現象を考察した。
「カント哲学は超越論的自我とその働きによる世界の把握がある」WIKI ドイツ観念論より

ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(1762-1814年)
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(1775-1854年)
「フィヒテの絶対的自我の立場の盲点ともいえる「自然」という問題をも体系に取り入れ、自然を自我(精神)の超越論的前史としたフリードリヒ・シェリング」WIKI ドイツ観念論より

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832年) 作家

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831年)
 理性の哲学の最高峰だ。精神現象学は、精神の発展を記す。論理学は理性そのものをあらわす学問ではある。彼は学問や体系を作ろうとした。理性は、発展すると学問のような体系になる、ことを明らかにした。

 ヘーゲルが1830年頃になくなったとすると、理性期は1600-1830年かもしれない。1830-1910年は社会期の前期とみなせる。

 理性の認識

 理性が外世界を感じるときは、どのように課題もつ?


 外世界の感覚的なものを理性化する (五感、自然を理性的にとらえる)→ 外世界の運動を理性的にとらえる。(運動法則、等速運動、加速運動、放物線を意識しやすい、バイクに乗りたがる理由) → 外世界の理性を理性化する (法則的なものに興味をもつ。つまり学問や人の言葉に関心がゆく。)、論理学の誕生 → 社会的なものを理性化する → 空間的なものを理性化する

 

解説

 理性化するとは、そこに法則・公理をみつけだすこと。人は、感覚、力・運動、理性、社会と順番に関心をもつ。各段階は、簡単なものから複雑なものへと関心が移る。感覚期では、皮膚感覚、視覚、聴覚など五感だ。その感覚認識を合理化する。運動期では、運動そのものをニュートン力学のように合理的に解釈する。理性期は、論理的な思考が強化される、法則的なものを学ぶ。社会期では、社会を合理的に解釈する。

この理性認識の発展と、当時の哲学や世相は一致するはずである。


 理性期後半の精神をもつ者について

 この人物は100万人に1人の割合だ。私は理性期の人物は、数人知っているが、前半か後半かを区別してない。このタイプは理性的できっと、すべての面で明るい発想だろう。物事をわからない、難しい、とすぐに言う無能ではない。

理性期後半は16-17才の心理

 これは、下の発達心理で論じる。高校生が何を感じ、何を欲しているか。思想史・哲学を学ばせる。この年代はそれで満足する。なにしろ欲求を満たしているから。世界のさまざまな法則を感動的に体験させ、理解させることも、大切である。彼らが喜ぶのはそれ以外にない。

 発達心理 理性期後半 16-17才 高校後半の心理

 高校生(15-17才)は理性的なものを好む。その後半(16才の高2夏秋から17才)は、自然界、世界がいかに法則に満ちているかに関心をもつ。それを提供すると、彼らは熱中する。彼らは科学に一番興味をもってくれる時期である。なお不合理なものは、とことん嫌われるから、それを避けることが必要だ。高校生は後半になると、特に不合理なルールに従わない。

 ここは、私の体験が参考になる、と思う。フランスでは哲学は15-17才に教えはじめる。日本ではそうしない。

 

  16才半ばから、思想を1年かけて教えよう。古代の思想から。彼らは思想史にしか興味をもたない。この頃に、発達心理上の課題(思想史で代替できる)を0才から追体験する。つまり、彼らの発達課題は、古代人や、ギリシア人から、現在にいたるまで諸々の思想を、合理的(法則的)に解釈し直すことだ。人間のあらゆる思想をそうやって、合理的に理解させる。

 思想は優れた哲学のみを教える。悪い哲学とは、合理的とはいえないものだ。そういうものは時間をかけない。彼らは拒絶する。古い劇や小説も教えること。哲学をただ読ませるのはあまりよくない。それだけで、当時の思想を理解する優れた生徒はあまりいない。


 このようにして、思想史を1年かけて教えることで、本人の心の中にあるさまざまな考え方が、理性によって合理化され、書き換えられる。それこそが、彼らの課題である。


なお、ヘーゲル以後は軽く教える。どうせ社会論は理解しない。社会論は18才以後の課題で、その時に熱中するから、それまでは知識として教える程度でよい。

 高校生後半は、あらゆる物事を理性的にとらえる。自身の成長とは、学問体系の発展(ヘーゲルはそういう説を出した。人類の精神の発展=学問(科学)の発展だ。個人の精神の成長も同じようなモデル)のようだ、と教える。本人の精神成長について、明快なモデルを与えておくと、大人になってから迷わなくなるためだ。


 この時期、思想(初歩的な問題から、だんだんと難しい問題にいたる。)をとことん考えさせて、世界を合理的に考える心を養うのがよい。

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