発達心理 developmental psychology

 

 発達心理論

 

 

 発達心理10 理性期(15-17才) 高校生前半  2015-2-26  校正 3/15

 

 理性期(高校生1-2年)
 中学生の発達心理はおしまい。今日からは、高校生の発達心理を考察する。思想史と発達心理は一致する。その仮説から、明らかになる世界をすべて究明する。

 

  発達心理表

 

タイプ    年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24   空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20  社会 20-21  社会、経営学、社会論
↑単純理性後期 16-17 外的理性 18-19  理性、カント、ヘーゲル
↑単純理性前期 15-16 内的理性 17-19  理性、デカルト、経験主義
↑知性者後期 13-14  外的力 13-16  ルネサンス以後、足利文化的
↑知性者前期 12-13  内的な力 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族 
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 

 理性期のはじまりと終わりは?

 

 発達心理

 私は、15才でやっと理性的になり、自分らしくなった。霧が晴れた。年齢はよく覚えている。15才だ。孔子は、15にして立つ。自立する。精神が物質依存から独立する。フランスでは15才から思想を教える。

 18才からは社会に関心が移った。大学生は、社会活動を活発にする。よって、17才まで理性を探求する、とする。私自身、よく覚えているが、17才も10ヶ月になった頃には、ヘーゲルは読み終え、理性の探求を終えつつあった。15-17才を理性の段階とする。

 

  思想史で理性のはじまりと終わりは?

 哲学で理性を確信するのは近世だ。デカルトの「我思うゆえに我あり。」とひらめいた1617年頃。人類の1世紀が人間の1年としたが、若干ずれがあるようだ。もともと14世紀の思想を14才の精神とする根拠はない。
 日本は1600年から江戸幕府の時代となり、足利からは決別した。人類において17世紀初頭は区切りである。理性のはじまりは1600年としてよい。

 この段階の終わりは、ヘーゲルが批判され、みなが社会思想に興味をもつようになった1800年頃だ。つまり、200年。中間は1700年。前期は、その頃までとする。

 

 理性期の精神をもつ人は?

 精神は発達課題をこなさないと、そこで止まる。その後は、発達課題は意識するが、根源的に次の段階へ精神は向上しない。本人の哲学はそこで止まり、もう変わらない。知的タイプは、感覚的な人を見下す。が、本人は理性的ではない。なぜなら、主観や客観にこだわる。知性期の人は本人の感じ取れる世界、そのリアリティを脱してない。

 理性期の精神では、すべてが理性=法則なので、本人の理性と外部の理性は区別されない。法則は万物に適用できるからだ。よって主観と客観はない。科学法則は、すべての物質にあてはまる。そういう哲学をもつ人のみが、この段階の精神である。15才でこの精神に達するのは、10万-100万に1人で、ごくわずか。達観者といえる。貴重で社会の宝としたい。

 あまりに少数。だから、この精神をもつ者達の説明は減らす。デカルトのような自己をもつ人だ。

 

 だが、この段階の心理は誰もが体験する。それを明らかにすることが大事だ。

 

 理性期の思想とは?

 今回も前半と後半に分ける。後半の発達課題は、私は高校生の半ば以降に思想に関心を強くもったため、よく覚えている。前半は、心は感情や経験や知識から自由だったが、あまり記憶になく、よく覚えていない。哲学史から明らかにしよう。

 

期間

期間は、1600-1800年とする。理性を人々が求めたのは、おもにこの期間だ。1800年を過ぎると、"自由"を人々は希求した。この期間は、近代哲学の時代だ。

 

近世の哲学

 デカルトの合理主義とイギリスの経験論がある。

 大陸合理主義
ルネ・デカルト 1596-1650年 「我思うゆえに我あり」
 彼は、感覚(内部・外部)や知識など表象(観念)が不確かなものとした。しかし、自分は考えるので、残る、と考えた。そうやって純粋な自己を導きだした。感覚によって本質はとらえられない。それで残るのは、数学・幾何学的な知である、という。それだけが世界にある。

 このようにして、およそ自己は純粋な数学・幾何学=法則と理解され、理性となった。高校生の倫理にはもっと易しく書かれているから、それを参考にしてもよい。

 

なお、このデカルトの説は正しい。人間の脳は、一種のコンピューターである。我と意識するのは、自己に関する概念である。コンピューター上の"概念"とは"ある数理モデル"である。理性では、自己は何らかの数理モデルと考える。

 
バールーフ・デ・スピノザ 1632-1677年 『エチカ』

 スピノザの汎神論は、神の人格を徹底的に排除し、理性の検証に耐える合理的な自然論

ゴットフリート・ライプニッツ 1646- 1716年 単子論
スピノザは自然が神だとして、科学法則=神のような現代の世界観を作った。
ニコラ・ド・マルブランシュ 1638−1715年 すべての物質に神をみる

イギリス経験論
フランシス・ベーコン 1561-1626年 経験論 帰納法
 ベーコンによって、いかに人は理性を獲得するか。法則を知るために帰納。法則は、経験して、帰納して得られる。

ジョン・ロック 1632-1704年)
「人は観念を生まれつき持つという生得説を批判。観念は経験を通して得られるという。人間は生まれた時は白紙。経験して知識を得ると主張。」

 

 近代哲学のまとめ

 デカルトが、人間は理性(数理法則)とした。ジョン・ロックがその理性を発展させる方法を説いた。ニュートンが微分積分を開発したのも重要だ。経験は微分(個別の要素を取り除いて、平均値にする)によって法則になるからだ。

 

 理性の発展

 自分が理性であると自覚 → 感覚の理性化 内的な感覚、皮膚、暑い、寒い、視野、におい、→ 知性・運動の理性化、手足の運動の合理主義的な理解、体の動きの理性 → 知性の理性の後期で、外部の運動の理性化、つまり、これが機械論的な世界観だ。 → 社会の理性化 → 空間から無限に。 →ブレイクスルー→ 外部理性の認識

 

 説明

 理性期は前期と後期がある。前期は、自己内の理性の確立。後期は外界のそれだ。今回は、前期を解説する。
 まずはデカルトのように自分が理性存在と自覚する。脳の電気信号による認識が"自己"。それは科学的に正しい。それをデカルトはぼんやり悟った。その後は、感覚を合理的に解釈する期間がある。その次は、運動や知識を理論や法則として理解する。その前半では内的なもの。後半では外的なもの。運動理解の後半に、機械論的な世界観をもつ。社会を理論的にとらえる。


 フランス人権宣言(1789年)は、理性的に社会を考えた思想の一つと位置づけられる。このように、しだいに何もかも世界のあらゆるものが合理的に理解されるようになった。

 まとめ

 理性前期の人の精神は以下である。自分はすべては理性である。合理的な説明しか納得しない。なおあまり行動的ではない。ただ暗くはなく、明るい。この段階の精神にいたった人は、知性のまやかしをすべて見抜かなくてはいけないから、とても賢い。しかも、なんでも合理的にとらえている。話す言葉に一般性がある。

 

発達心理 高校生前半

 近代哲学が、高校生の前半(15-16才前半)の精神と一致する。彼らは、理性的なものを志向する。中学まで世界の運動や行動・規則を知ることが課題だった。これからは、世界の法則・理性を知ることが課題だ。彼らが嫌がるのは、そこでしか通用しない狭くて特殊な考え方だ。だが、法則や理論的なもの、合理的なものは好む。数学やコンピューターは好まれる。

 高校生に入ったばかりの15才の生徒は、理性に目覚めたばかりだ。彼らにはも理性のすばらしさを説くと心に響く。

 「君たちの脳は、コンピューターと同じ電気信号だ。そのパターンだ。君の考えも、感覚も、運動も、神経という電子回路で動いている。」

 「世界中の法則がある。君たちは、それを学び、身に着けていかなくてはいけない。」

 彼らは、特に理論的な物事を好むから、それを明るく示すのがよい。ただ、内的な感覚や内的な運動神経を合理化することが、課題なので、活発ではないだろう。

ここは三段階ある。単純に5ヶ月ほどに分けよう
 感覚の合理化 15-15才4ヵ月 自己の理性、理性による感覚の統御
 力の合理化 15才5-9ヵ月  運動を理性的にコントロールする
 社会の合理化 15才10ヵ月-16才3ヵ月 社会・宇宙を理性的にみつめる

 こんな課題をもつ。この頃の年代は、理論的な人、理性的な人を好む。なお、この期間を私はあまり覚えてないから、詳しくは書けない。合理的な行動を好むことは確かである。

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