発達心理 developmental psychology
知性者とは、小難しいことを言って、悦に入る人たちのことだ。日本人の学者の9割はこの段階に位置する。それより優れた精神をもつ者は万に1人となる。知性者後期の精神にいたった人でも、大学者でとなり、世にはばかる。
彼らの哲学について、明らかにしたい。今回は、知性者の前期を。
タイプ 年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間主義者 21-24 空間 21-24 空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21 電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20 社会 20-21 社会、経営学、社会論
↑単純理性後期 16-17 外的理性 18-19 理性、カント、ヘーゲル
↑単純理性前期 15-16 内的理性 17-19 理性、デカルト、経験主義
↑知性者後期 13-14 外的力 13-16 ルネサンス以後、足利文化的
↑知性者前期 12-13 内的な力 13-16 ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11 感性 9-11 貴族
感覚主義者 5-8 内感 5-8 王()
この段階の人物は、12-13才だ。はじまりは12才でよい。世界の多くの国で12才は中学生と小学生とは区別される。それは、小学生とは別の精神と思われているからだ。
対応する人類の思想は、武家統治が始まった1200年から、ルネッサンスが始まる1300-1400年代までのおよそ100-200年だ。
特徴は、知的ということ。それまでは感覚的に生きていた。きれいなもの、あらゆるものへの感性が大事だった。が、感覚だけでは、気分や感情に流されやすい。それで、知的に生きようとする。彼らは、感性ではなく、知識でもって、正しく生きようとする。彼らの探求対象は、正確には、「知性」ではなく、「力・運動」である。
この段階の前期は、内的に知的になることが課題だ。前半は内的に、後半は外的なものに関心がゆくためだ。
私は、この段階は12-13才のことなのでよく覚えてない。身近にこの段階の人がいれば、彼の哲学の特徴を調べられる。が、それも十分いない。それで、この段階に対応する人類思想から、その特徴を割り出す。
この段階の前半は、1200-1400年にあたる。その期間の思想が、12-13才の精神と一致する。それは、ルネッサンス以前の中世の哲学だ。西洋ではストア哲学。日本では鎌倉の思想で、鎌倉仏教だ。西洋では、以下の哲学があった。
マイモニデス 1135-1204 ミシュネ・トーラーの編纂 法の簡略化。13の信仰箇条。
トマス・アクィナス 1225-1274 神学とギリシア哲学との統合を試みた。
ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス 1266-1308
神学は実践的な学問。主体主義のルーツ
オッカムのウィリアム 1285- 1347 概念は心にある。簡略化。存在論的倹約。普遍主義の萌芽。
法然 1133-1212 ただひたすらに南無阿弥陀仏と唱える
親鸞 1173-1262 念仏を唱えるだけで、成仏できる。
栄西 1141-1215 問題を解く。公案問答
道元 1200-1253 座禅で悟り。只管打座
日蓮 1222-1282
法華経が唯一の釈迦の教え 仏教の統一を狙う
一遍 1239-1289 念仏を唱えれば、万人は救われる
これら思想にはどんな特徴があるだろう?
まずは1200年初頭の哲学をみよう。マイモニデスはストア哲学ではないが、彼の思想は西洋に大きな影響を与えた。彼は膨大な聖典の体系を調べて、簡略的な規則「13の信仰箇条」を提案した。
その頃、日本では法然が、南無阿弥陀仏を唱えるだけで救われる、とやはり仏教を簡略化させた。親鸞も同じく、仏教を「念仏を唱えるだけで、成仏できる。」と、簡単にした。
私には、彼らは行動規則を定めた、とみなす。それまで宗教は膨大な知識を覚えなくてはいけなかった。その要点を示し、簡略化したのが、彼らの功績である。それは彼らの哲学である。
13世紀以前は、膨大な教典を丸暗記した。それがもう不要になった。それは、どう読み解けるか?
それまでは感覚主義的だった。映像や音、五感などが感じたもの。その細部までの表現が喜ばれた。それらはコンピューターでは大量のデータだ。特に、画像や音楽は。それまではそんな感覚データの大量なものを扱うことが、人々に要求されていた。
が、この段階では、「知識」を扱う時代だ。知識は、「犬」は、一言の概念で表せる。猫も、動物も。このように、知識が求められる時代と入った。それで、大量のデータをもつことは必要がなくなり、簡略化したものをもつことが求められた。仏教や宗教の変革は、その一端だった、と思える。
この頃には感覚主義がなりをひそめた。世界を感じ取る機運が失せた。それで、要点のみを意識すれば十分、という方向になった。仏教もただ一言唱えれば救われる。マイモデスも教典の要点をまとめた。彼らは、そんなに大量の知識をもつ必要はない、と主張した。
私は、彼らがルールを定めた、と思える。
トマス・アクィナスが活躍する。西洋では、どちらが正しいのか? を人々が知ろうとした。トマスは、ギリシア哲学と神学とを比較した。日本では、日蓮が法華経が唯一と言い出した。これらは、時代の機運だった。この頃に、どういう『規則』、『ルール』がもっともよいか。それを比較して、統一する機運が高まった、と思える。ある意味、正義に情熱をもやす。
この段階のテーマは「力・運動」を見極めることだ。それがこの段階の目標だ。具体的に、運動論や動作論、力学だ。行動規則などが、盛んに作られたと思える。それがそれを解明する基本アプローチである。
この発達心理は、どの学問分野と一致するかは、はっきりしない。たとえば、運動神経の発達論を調べたら、この段階が読み解けるかもしれない。
この段階は、1200年頃に、「感覚的なもの」の廃棄が起きた。それが、法然・親鸞の教典批判である。そして、「行動規則」が提案された。それを日本の仏教家たち、マイモニデスがなしとげた。
はじめは、簡単な『行動規則』が登場した。その行動規則は一人向けのものから、しだいに万人向けのものとなり、複雑になる。そして、どの行動規則が優れているか、競合を始めるのが、1200年代の後半と思える。この段階の精神人は、何が正義か? 正確にはどの活動が最も優れているか? を日蓮のようにすぐに比較したがるだろう。この段階の人は、哲学を探求する傾向が強い。
1300年になると、(ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス 1266-1308 神学は実践的な学問)のように実践重視となるようだ。それまで口先だけの知的な人物だった。が、この頃には、行動する性格になる。なんでも自分の目で確かめてみよう、と思う人は、この段階の精神をもっているのかもしれない。
今回、わかったこと 知性主義の前段階の精神を2段階みつけた。規則を発見する1200年の段階、実践重視の1300年の段階である。
年代 思想家 特徴
1200年頃 親鸞、法然、マイモニデス 簡略な規則を好む、内向的
1200年後半 日蓮 正義の比較、内向的
1300年前半 ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス 実践重視 内向的だが、行動的
全て調べられなかった。が、一通りの目安が得られた。世の中、知的な顔つきで、こんな性格の人がいたら、彼の精神は上の段階だ。彼の心にフィットする哲学は、対応する思想家のものである。今回は、ここまでとする。いずれ、詳細に調べたい。
上の思想の議論から、12-13才の発達心理を特定できる。約100年=1才とみなす。
12才のはじめ、中学1年生頃に、彼は校則や家庭のルールに興味をもつ。12才の後半(中1の後半)で、彼はあらゆる規則(法律、家庭のルール、校則)を意識する。そして、彼はどの規則がよくて悪いか、自ら考える。そして、悪い規則は批判しだす。従わなくなる。反抗期の始まりである。
13才(中2)になると、実践重視になる。中1で吟味した唯一「正しい規則」を実践するようになる。それは、校則や家庭の規則とは限らない。ほとんどは、友達やクラブにおける彼の行動規則である。彼は、自身の行動スタイルを意識して、自ら自分らしいスタイルを試みはじめる。
中学1年といっても、11才の人もいれば、4月生まれの12才になったばかりの人もいる。
3月生まれでは、11ヶ月遅れて、同じ発達課題を意識する。一般的には、4月生まれにあわせる。なぜなら、12才で中学生と小学生を区分したからだ。それは4月生まれを基準にして、作られている制度だからだ。教育もそうあらねばならない。