発達心理 developmental psychology

 

 社会思想統合理論

 

社会思想の終焉8 社会成長論から読み解く 2015-2-10、3/11, 3/13、2017/7/24



 『イデオロギーの終焉』はダニエル・ベルの書物。大学のゼミで読まされた。一時的な社会思想ブームが去ったからと、1960-70年頃にもう社会イデオロギーは影響力をもたない、と唱えた人物。何もわかってな い思想家と思っていた。社会イデオロギーは今も活力をもつ。イデオロギーという思想は、経営学の方面で開花した。それが世界の構造変化をひっぱった。が、ダニエル・ベルと同じ言葉を今、私が使っていた。だが、大きく違うことがある。私は、正確に、その社会思想が終焉する時期を予想したことだ。根拠しっかりと、理論的に。

 私の理論は、ケン・ウィルバーはすぐに理解しても、他は価値がわからない、と思う。そもそも社会組織成長論が、いかにすごいか、わかる人がいない。それを現代史に適用することが、いかにすばらしい発想か。気づける人はわずかだ。


 昨日、20世紀の思想を私の社会組織成長論で、分類した。
 
期間(年)  段階 (理念)組織形態  思想・ブーム

1910-30   1 原初    共産ソ連誕生
1930-50   2 集権的   権力主義、日本軍部の台頭、ヒトラー
1950-70   3 分権的   自治、分権、民族主義、「自治」ブーム
1970-90   4 官僚     専門家、市民運動、官僚組織の神話、G7管理体制
1990-2010 5 集団(分社) グループ化。EU誕生、地域主義、文明の衝突,
2010-2030 6 個人主義  個人主義、インターネットで個人が認められ

ざっとこうだ。これを使っていくつかの社会事象を読み解ける

 

ベルリンの壁が1989年に崩壊した理由

 1970-90年が官僚の段階だ。次は、集団的な組織になる。集団的な組織形態は、分社化(資本主義化=民主化)で実現できる。分社とは、大きな組織を分解して、小さな組織を単位とすることだ。全体主義国家が分社化するとは、民主化する、もしくは資本主義の制度を取り入れることだ。すると、国営企業が払い下げられ、民間企業が多数誕生する。

 

その間、国家は官僚制度が弱まり、企業が力をもつ。イメージとしては、コロボックルという藻のよう。丸い藻の中に多数の丸い藻がある。それが資本主義社会のモデルである。

 当時、ソ連は官僚組織の弊害をそのまま抱えていた。末端まで管理できなかった。それで、機能不全に陥った。東欧からの西欧への集団逃亡を誰も食い止めることはできなかった。1990年頃には官僚制の危機が最大になる。それを乗り越えられなかった。

 

 1990年にそういう機運が世界中で高まる。そのロシアはその直撃を受けたのだろう。ロシアは国営企業の労働者が多く、民間の労働者が少なかった。だから、資本主義を部分的に採用することはできなくて、共産体制ごと変革して、民主化しなくてはいけなかった。

 

 中国は、国営企業の労働者の比率がそんなに多くはなく、民間がもとから多かったから、それを増やすことで対処できた。

 

全共闘が1965-1972年で終わった理由

 全共闘が『大学の自治』を要求したのは、1950年からはじまる自治ブーム、民族主義の真似事である。当時は、権力を国家からおろすこと、権限委譲が流行していた。自治を実現すると、大学もばら色になる。そう単純に考えたのだろう。大学にもそういう自治を、と。当初そう要求をしていた。

 60年代はまだ戦前の教育を受けた左翼の闘争だから、まだ道徳をわきまえていた。自治ブームは思想上は1970年に終わる。それ以後は、彼らは共感されなくなった。

 70年からは市民運動の時代だ。専門家が台頭する。自治ブームは去り、その魅力はなくなり、普通の学生はしだいに参加しなくなった。革命闘争の専門家、過激派が残された。専門化して、さらに過激派となり、浅間山荘事件を起こして、一気に消えた。

 

全共闘が無責任で、才能がなく、逃げ足が早いのは?

 1970年に無能な学生が登場するのは世界共通である。アメリカではヒッピーが現れ、退廃的な生活をはじめた。日本では全共闘が無責任に暴れた。アメリカは自由主義的な面を反映して、のどかだった。が、日本は共産の暴力的な面が入りこんだために、激しく粗暴だった。

 全共闘の無責任さは、民主党が政治家になってから、はっきりとした。誰も責任をとらないで、逃げ足だけは早い。ヒッピーは、ただ世界に平和を、と叫び、コカインと自堕落な生活にはまった。共に長く続かなく、消えた。

 なぜ1970年にそんな無能学生が日本と世界で現れたのか? 1970-90年に起きたことで説明できる。この期間、 専門家が何もかも解決できる、と思われる。そしてこの段階の末期、1990年に人間は何かの専門家となって働くべき、専門家こそが社会でもっとも有能である、という空気だった。

 この段階は、専門的な才能を醸成する期間だった、といえる。いきなり高度な専門家が現れるわけがなく、その最初の1970年ころは、無能から始まるわけだ。はじめから才能があるのはおかしい。末期には、専門家が大威張りしたが。
 全共闘が無能なのは、そういう専門家の活躍する時代、その初期に期待された人格スタイルの反映だからである。

 

 文明の衝突が発生しなかったのは?

 2000年を過ぎると、アジアと西洋の対決、さらにはイスラムと西洋の対決が真剣に語られた。が、2010年 を過ぎると、アラブの春や、ギリシアの崩壊、さらに民族主義が台頭した。文明の衝突は発生もしないで、消えた。なぜだろう?

 しかし、それは当然である。地域主義における地域間の統合は、激しい争いを生むことなく、実現されるからだ。EUを思い返す。EUが必要だという理念は、長くあった。それは、大きな争いもなく、EUは92年に実現した。実に簡単にEUは成立した。つまり、地域主義では、地域どうしの統合は、具体的に大きな衝突が発生することはない。それが、理由である。

 

 またもう文明の衝突は起きない。なぜなら、理論上は、世界は統一文化圏を2009年に達成したからだ。

 1990-2010年まで地域主義では、まず小さなものから始まる。当時、日本周辺でもいろんな地域の経済圏を確立することが夢だった。日本海経済圏など。

 それが時間と共に、より広域の経済圏を作ることがブームとなる。EUやアジア経済圏、東南アジアのそれなど。そして、文化ごとの大きな経済圏が現れた頃に、経済圏同士が対峙する、と思われた。

 しかし、実際には911くらいしかなかった。それで、戦争というほどの対決は発生しないで、次の課題に 進んだために、文明の衝突は起こらずに消えたように思われた。それは杞憂だった。

 地域圏の規模
 1990年    1993年EU誕生   2001年911,    2010年
 村→町→県→複数県→国家→地域エリア→地域文化圏→6大文明圏→南北→世界

 


 

 なぜ民族主義が、現在起きるのか?

 1950年の民族主義は、民族自決という自治の達成だった。それは、この理論からもいえる。現在の民族主義は、何だろうか? アイデンテティの確立という面はあたっている。自己の確立は個人主義という段階における課題だからだ。しかし、正確に、現在の民族主義は、社会的な所属の確定である。日本社会における自己、中華文化圏の一員としての自己だ。

 現在のナショナリズムは、日本民族というよりも日本社会の一員としてのアイデンテティを、外国の国家・文化面を取り除いて確立したい、という欲求の表れである。が、この民族主義は数年で終わる。年ととも上の表のように、規模(構造化の範囲)は広がるからだ。

 2014年までは民族国家意識を再形成していた。その次は、地域文化圏(地域国家群)のアイデンテティを模索する。

 

その時、 日本人として自己を自覚することが課題ではない。日本は隣国、韓国、台湾、中国と、中華圏としての自己を認識しなくてはいけない。そうなると、西欧の要素は排除するとしても、中華的なものは歓迎される。韓国や台湾、中国は、2015年からは排除されなくなる。この中華圏の国々(日中韓台)は、今年からは、協調的になるだろう。

 

 現在、超国家主義的なイデオロギーは、生じている。それは具体的には左翼である。沖縄で左翼が票をとり、ギリシアでも左翼政権が勝利した。社会主義は『インターナショナル』であり、国際主義的だ。いまや、ナショナリズムの時代は、もう終わっている。国際主義が力をもつようになっている。それが2015年3月である。しかし、社会主義は、国家の壁をあまり意識しないボーダーレスであるが、基本、共産理論なので、中身はなく(現在の世界で通用しない)、定着することはない。一時的なブームのあとすぐに消えてしまう。

 地域文化主義を超えると、もっと大きな地域でのアイデンテティを模索する。大アジア主義か、先進国としてのそれを求めるだろう。 そして、最終的には地球人としての自覚が生じる。このように、意識は日々グローバル化して、広がる。そう予測できる。

 意識は拡大する。いつまでも民族主義にとどまりはしない。民族主義の問題を永遠につづく問題とみなすのはナンセンスである。

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