発達心理 developmental psychology
「終焉」ブームだから、そう書いたが、実際は「社会思想の完成」が、適切。昨日は、20-21世紀初頭の社会思想を体系化する理論を示した。「社会組織成長論」だった。ここで書いているのは思想だから、仮説を入れている。が、学会で認められる時には、実証して、詳細に根拠づけなくてはいけない。それは当面先だろう。
私の提案する社会成長論は、6段階ある。各段階は、それぞれの組織を発展させる。改革を主導する理念はある。それを実行する者は、リーダーとして期待される。それを一覧表にしてみた。それぞれ末期に起きる「危機」は次段階の理念でもある。
段階 理念 リーダー 組織形態 危機
1 創造性 創造性 原初 リーダーシップ
2 指揮系統 命令・一人 集権的な組織 自主性の
3 権限委譲 自主独立、自治 分権的(事業部制) コントロールの
4 調整 専門家 官僚組織 形式主義の
5 協働 多能化、ジェネラリスト 集団(分社) 適性の
6 適性 独立した個人 個人単位(コラボ型、プロジェクト型)
(大野の改良理論)
新しいポイントをみておく。
官僚組織では財政、経理など専門組織が発生する。この段階で必要とされるのは専門家である。誰もが専門家になろうと努める。次の段階に進むと、分社化して、集団単位の組織になる。そこでは一分野の専門でなく、ジェネラリスト(多能工)の役割が期待される。個人単位の組織では、例えば、コラボレーションをする時のように、一人一人が個人事業主みたいなものだ。一人がなんでも行なう。経理から法律、交渉、営業まで。それで一人一人が資本家(経営者)であらねばならない。このように、個人に要求される能力は、段階ごとに大きくなる。最終的には、資本家的な能力を各自がもつにいたる。
個人単位制組織の段階で、共同で仕事をする時は、プロジェクトを発足させ、コラボレーションする。そのプロジェクト組織は、そのつど集まり、終わるとばらばらになる。個人は組織に縛られない。
20世紀初頭の話。社会学ライブラリ 「社会組織学」という本では、20世紀初頭に、様々なグループが発生したという。軍人会、遺族会、テニス愛好会
、サークルなどなど。今では当たり前だ。が、19世紀にそんなものはなかったという。20世紀の後半の今では、こんな団体は無数にある。20世紀になって
、人々は社会グループを作りはじめた。社会組織の始まりである。
「社会イデオロギーの時代」は、社会思想に人々が関心をもつだけでなく、実際に、各段階の社会組織が登場して、世界がそういう組織形態(世界の構造)になる。これからはそれを説明しよう。
社会思想の時代のはじまり
社会思想の時代に入り、実際に人々が社会組織を作りはじめたのは、1880-1920年の間と推定できる。この期間はあとで別の方法で特定する。
ヒトラーが独裁政権を握り、イタリアのムッソリーニ、日本でも軍部が拡大した。この時期、なぜこうも権力者に人々は熱中したのか? 従ったのか? 上の理論ではうまく説明できる。
というのは、その権力者、独裁者が力を急速に持ち始めたのは、2段階目の集権制の時代だからだ。その段階では、リーダーの命令に従いやすい。それまで人々はバラバラだった。が、これら人々を一つの目的のために集め、監督することで、大きな力を発揮できることがよく知られる。命令系統を統一することが社会を発展させる。そのため、この時期、そんな権力志向の風潮がある。
今では信じられないが、当時多くの民衆が、権力者に未来を託そうと願った。当時は、植民地の宗主国が絶対権力を握っていた。集権的だった。それが当たり前だった。
権力者はすべてを統治しなくてはならない。そんな風潮の中、ヒトラーや日本軍部、ロシアの独裁者がより大きな権力を掌握することができたのだろう。
この権力者に権力が一つに集まってゆく傾向が強かった時期を、集権制の段階とする。
大戦が終わり、サンフランシスコ講和条約の後、1950年から植民地はあいついで独立した。世界各地で民族が自治を獲得して、国家を作った。みなが権力者に飽き飽きしていた。権力者の横暴をそこに見たからだ。権力者に権力を一つに集めると、いいことがないと多くの人々は悟った。自治が流行った。民族国家に自治させることが、世界を発展させると思われた。これは、1950年の民族主義に結びついた。
西欧の巨大な植民地帝国は、各民族が独立して、つぶれた。それは権限が宗主国から各民族に委譲されたともいえる。独立後も、宗主国との関係は続く。
この当時は民族主義の影響を受けて、「自立」・「自治」という言葉が世界で流行した。それが世界に新たな息吹を吹き込むと思われた。国家がもつ権力を我々によこせ。自治をさせろ、と。日本の全共闘は1960-70年にそう叫んだ。権力は委譲され、財閥も解体された。第3段階の分権制組織と同じ流れである。
全共闘は、大学の自治を国家に要求した。それは、権限委譲という要求である。かつての植民地の民族は、宗主国に自治を要求した。これは権限委譲である。この「権限委譲」によって、この時代は発展して、世界の構造は変化した。第二段階である。
市民運動が始まったのは1970年からだ。市民が何か専門的な見地から要求するようになった。例えば、人権や汚染など。彼らが要求するのは、「自治・自立」ではない。それが重要だ。
自治権を要求する時代ではなくなった。1972年に浅間山荘事件で、権限委譲の流れは終わった。全共闘運動は1972年以後は途絶えた。1974年の北ベトナムの独立は、民族主義とはほど遠かった。自由世界の民族の自立は、共産主義によって妨げられた。それは民族主義の失敗だった。ベトコンは共産ソ連の傀儡であり、共産主義の拡大であった。民族文化は北ベトナムが支配したあと、破壊されつくした。この時、世界は民族主義が終焉した、と知った。国家独立が世界の発展につながる時代ではなくなった。権限委譲(自治要求、民族主義)は、もはやブームではなかった。
この頃から、市民運動が始まった。消費者運動、何か専門的な見地で国を要求しなくてはならなくなった。ただ、学生だから自治をくれ、というのは無能で青臭く思われた。
この頃に、ソ連の官僚組織はさらに強くなる。この頃、官僚組織ほど合理的なものはないと思われていた。この頃、日本の強さの秘密は、日本の官僚にあると思われていた。
またAPECという石油専門の国家グループも誕生した。世界はG7という寡頭体制を敷いた。G7は西側諸国や世界の動きを管理しようとしていた。東は、ソ連を中心として衛星国家により恐怖の体制が成立していた。西側諸国も、東側諸国も、世界全体が官僚的に統治された。
1990年すぎに巨大なソ連は崩壊した。鉄の官僚体制があっけなくつぶれた。それは驚きだったが、新しい世界の潮流だった。また中国も、資本主義経済を導入して、世界をあっといわせた。ソ連・中国という巨大社会主義国家はあいついで、資本主義に転じた。
1992年からはEUが誕生したように、地域主義がブームとなる。G7やG8など先進国が世界を主導する体制は、影響力が弱まる。地域主義とは、地域が集団となり、経済交流して、活力を高める流れだ。ヨーロッパだけでなく、アジア経済圏、アメリカの経済圏(南北二つ)が構想された。そして、地域ごとに経済圏が強められた。
地域主義は、しだいに大きな枠組みになり、「文明の衝突」が懸念された。世界はアジア主義と西欧とイスラムの三つの争いになり、東西が闘うと思われた時期もあった。が、その心配はいつのまにか消えた。911など、イスラムと西側諸国の対立は残った。
東側諸国は、ソ連は民主化して、資本主義国家になった。中国も、資本主義経済を導入した。世界の大勢は資本主義となった。資本主義とは、国の中にさまざまな企業組織が乱立する体制だ。それは、大きな組織の中に、小さな組織が多数ある体制=集団制組織形態と一致する。世界は、90年以後は、共産国ですらその組織形態へとチェンジした。
世界は1990年から集団制の組織形態を取り入れた。あの強固な体制だったソ連。さらには共産中国まで。この段階は、集団主義の段階といえる。
が、2010年頃からは、地域主義にかげりがみえた。
2012年頃からか、EUでギリシアやスペインが財政破綻しかけ、EU経済圏が崩壊の危機にさらされている。地域ごとに経済圏を作ると、その地域が大きく発展するという時代ではなくなった。現在は、別の力学が働いているようだ。
インターネットの発展はそれでも好調で、個人同士がつながるコラボレーションは、一時的にブームになっている。またフェイスブックなど個人が活動する場が整った。会社組織は、プロジェクトごとにメンバーを集める制度が普及しつつある。こういう形式の巨大な組織としては、個人を世界中から募集するISがあげられる。彼らも、この段階特有の個人をベースにした組織形態である。
2010年からは、個人の活動がメインとなっている。これを個人単位制の段階といえなくともない。
ざっとおおまかに以上の流れをまとめる。
世界は、1900-1930年は、ほのぼのしたクラブがたくさん生じた。リーダーによる小さな活動が多かった。これが第一段階である。
が、1930年頃からは、しだいに組織は大きくなり、権力をもつ者が大きな顔をするようになった。が、独裁者も現れた。独裁者が国家の理想を実現してくれる、という夢があった。が、独裁国家は戦争をしかけ、1945年に第二次世界大戦で敗れる。これが世界に権力主義が勃興した第2段階である。
そして、1950年からは、自ら自分で統治していかなくてはならない、と民族は自治に芽生える。民族主義が勃興して、多くの国が独立する。これが世界の民族自治が進んだ第3段階である。
が、1970年からは潮目が変わる。ヒッピーが生まれ、全共闘は消え、民族主義もついえる。市民運動がたくさん活動をはじめる。各国がばらばらだったが、OPECのように協力しだす。そして各国では官僚制度がますます強くなる。世界はアメリカとソ連によるどちらかの体制の戦いとなる。1990年にようやくソ連が崩壊してその危機は脱する。これが世界が西側も東側も官僚的に統治された第4段階である。
すると、今度は1992年からは、EUという地域経済圏が出没する。日本にも、南北アメリカにも、アフリカも地域経済圏を作った。この地域構想は拡大する。アジア対西洋、西洋対イスラムという対立図式を生み出す。が、そのまま立ち消える。これが地域主義が覆った第5段階だ。
20004年くらいからは、違った動きが始まる。個人の活動がクローズアップされる。コラボレーション。プロジェクト型組織。最近では、ISのような傭兵をインターネットで集める大きな組織まで登場した。これが個人が社会の表に立つ第6段階である。
世界は、社会組織成長論の示すように、段階ごとに特徴的に発展してきた。
段階 期間 世界の構造 流行 流行した組織形態
6, 2010-2030 個人尊重 Facebook コラボレーション、プロジェクト型
5, 1990-2010 集団体制 地域主義 分社、民主化、資本主義
4, 1970-90 官僚体制 官僚・専門家 官僚、専門、
3, 1950-70 分権体制 自治 事業部制度組織、自治
2, 1930-50 集権体制 権力者 独裁、集権、
1, 1990-30 原初の組織 ユートピア 原初の組織
このように社会組織成長論は、各段階の組織形態(世界構造)。その段階を導く原理(理念)。またなぜ、その段階は終焉するか(危機)。20世紀の時代の変化の理由をあますことなく、解き明かすことができる。
現在は、すべてをうまく説明しているとは言いがたい。が、歴史の必然は一部、示している。
これが私の社会思想統合論である。20世紀から21世紀初頭までの思想と世界構造の変化をとらえることができる。
一つの段階はおよそ約20年である。明確な起点がいくつかある。それを基準にした。1950年に民族主義が始まる。1970年は転機で市民運動が始まった。また1990年頃も冷戦の終結で歴史の区切りである。20年ごとに世界の潮流が変わっている。各段階は約20年である。これは仮説だ。しかし、間違いではないだろう。
期間はおよそ20年とわかった。そして、官僚主義が始まるのを1970年とする。終わったのが巨大な官僚組織ソ連が破綻した約1990-92年だ。1990-92年から地域主義が始まったから、集団制組織の段階はその頃に始まった。
これらをすべての段階にあてはめると、こうなる。
段階 組織形態 期間(年) 思想・ブーム
1 原初 1910-30 共産ソ連誕生
2 集権的 1930-50 権力主義、日本軍部の台頭、ヒトラー
3 分権的 1950-70 民族主義、「自治」ブーム
4 官僚 1970-90 市民運動、官僚組織の神話、G7管理体制
5 集団(分社) 1990-2010 EU誕生、地域主義、文明の衝突,
6 個人 2010-2030 インターネットで個人が認められ、
どうだろうか。よく20世紀の潮流を分類できている。しかも、それぞれの世界の構造化(組織化)の流れをよくとらえている。これは、20世紀の社会思想を網羅して、それを適切に分類して、さらに相互の関係すら説明する。これこそが、20世紀を段階的に区分する社会理論である。
この表からは、社会思想の時代がいつ終わるのかを予想できる。2030年である。2年ほどの誤差があるから、2032年かもしれない。が、その頃に、社会改革をする機運は衰える。そして、空間を改良する新時代が始まる。
私は、これこそが、20世紀の社会思想を統合する理論と確信する。