発達心理 developmental psychology

 

 社会思想統合理論

 

社会思想の終焉5 発達心理とは? 2015-2-6、3/11、2017/7/24

 

 私は思想を書くことが性に合う。私は社会論と精神論を学んできた。霊能者でもある。地震予知もする。どこかの宗教家? と勘ぐるだろう。しかし、ここは私独自の理論だ。私は思想家だ。
 
 現在、思想=理論だ。一昔前は、なんでも言葉で説明した。まるで、数学を言葉で説明するように。構造主義は特にそう。理論モデルは、言葉で的確に説明できない。読むのもわずらわしい。それが現代思想。私以後は、思想はきっちりと理論モデルで表現されるだろう。それもできないのは小者だ。

 

 昨日のおさらい。私は青年期の発達心理テーマの変遷から、人類の思想区分を理性→社会→空間と明らかにした。人類はもうすぐ、社会イデオロギーの時代を終えて、空間改革へと向かう。

 

人類の次段階のテーマを発達心理で決めてもよいのか?

 

それはよい。なぜなら、他にみつける方法がないからだ。しかし、私の提案する発達心理は、何か知らないだろう。今日はそれを説明する。

 現状、発達心理学は幼児期を明らかにする。が、青年期以後は、大人・社会人になるとか、モラトリアム論とか、まとまりがないパーツの寄せ集めのようだ。青年期も、中高年の心理もほとんど解明されてない。生涯の発達心理などある。が、あれは各論の寄せ集めで、理論とはとうていいえない代物だ。

 私は青年期の課題を自分の体験から明らかにした。15-18才に理性や知性に目覚める 。18歳から社会を探求する。21歳頃からは空間を探求する。これは一般性があるようなので、提案している。この実証は今後記す。

 

 発達心理学の父は、エリク・ホーンブルガー・エリクソン

 彼のライフサイクル論がよい。人は段階(期間)ごとに特定の関心(テーマ)をもつ。その期間にそれを深める。私の発達心理論は、エリクソンをベースにした。私は青年期以降の段階と課題を、自身の体験から明らかにした。それは多くの学生や大人が共通する。

 

 孔子の論語にも、発達心理がある。それは日本人に馴染みがある。

子曰
吾十有五而志于学
三十而立
四十而不惑
五十而知天命
六十而耳順
七十而従心所欲、不踰矩

 

15歳で学問に目覚め、30歳で立つ、40歳で惑わず、50歳で天命を知る、60歳で耳従う。70歳で心の欲するままにして、矩を超えず。

 

これは人生の心の変化を記す。孔子は15歳で知性に目覚める。15歳から知性や理性を研究した点は私と同じである。彼は十年ごとに心が変わったようだ。

 

 私の発達心理(青年期)

15歳は、理性や知性に目覚める。実際は、自分とは何かというアイデンテティを探す。人類の思想史を勉強し、哲学や理性を知る。さらには宗教思想もかじる。フランスも15才から思想に目覚めることはよく研究していて、15歳から哲学や思想を教え始める。孔子も自身にその傾向を自覚した。15-18才まで、思想や理性、哲学に関心をもつ、と考えるのは、妥当だと思える。

 

 18歳から、社会に関心をもつ。大学生(18歳)から社会的自己を自覚する。実際は、社会論や経営学を学ぶ 。大学時代に、なぜか皆、自宅にこもって哲学・思想ばかり考えるのをやめて、外に出て社会運動に1-2年のめりこむことからも、証明される。大人になるための準備のため、という安易な理由では説明できない。それは社会適応論であって、心の内からの欲求を分析する考え方ではない。
 21-22歳から、空間に関心をもつ。大学の後半(20-21歳)では、なぜか建築物、都市を見ることに関心が移 る。ここは感性が高い、自己の欲求を敏感に感じ取れる学生のみが志向する。

 私の発達心理学は、おおまかに述べた。15-17才の発達課題は思想・哲学・理性。18-20才頃は社会。21才以降は空間である。

 

私の発達心理論そのものはまだ国際的に認められたものではないにしても。だが、間違いはないだろう。統計をとれば、明らかだろう。大学3-4年生(21才から23才)までの関心を調べれば。

 

よって、人類は社会建設に飽きたら、次は、空間を改良する、といえる。

 

 私の欲求段階説では社会的欲求の次は空間的な欲求

 私は欲求の段階説も、発達心理テーマと同じように発展すると考える。すなわち、生理的・感覚的な欲求が満たされると、知的なものを求める。知的欲求が満たされたら、社会的な欲求が生じる。そして社会的な欲求が満たされたら、空間的な欲求が起こる、と。

 

 私の欲求段階説

5, 空間的な欲求 芸術、いい家、絵画、快適な都市空間

4, 社会的な欲求 地位、名誉、評価、

3, 知的な欲求 学問、知識、方法論、哲学、理性

2, 感覚的な欲求 快適さ、心地よさ、

1, 生理的欲求 食べ物、衣服、住居

 

 具体的に考えよう。成金が何を求めるか? 彼らは貧乏な時は、まず食べ物を求めた。食べ物に不足しなくなると、住む所を得て、いい衣服を着た。
 やっと中間層に入った彼らは、学がなかった。学問がないと、上の地位にもあがれない。まずは、学問を会得しようと、大学に入り、勉強した。そうやって、知性を身につけた。
 彼らはますます事業に精を入れて励み、大金を得た。そうして、社長などと呼ばれ、町のおえらいさんの 仲間入りを果たし、社会的な地位を得る。やっと上層に入った。
 彼に教養はあるし、社会的な地位も手に入れた。が、急いで、駆け上がったから、自宅が中流の家のままで貧弱だ。余裕が出来た彼は、さらに広くて大きな家を買う。美術品に凝る。彼は美術館に通い、 よい音楽を聴き、文学をたしなみ、芸術を鑑賞する。彼は快適な空間を好み、感性を高め、その芸術的な才能を求める。

 この経緯はごくごくありふれている。自然な欲求の変化だ。彼の欲求はしだいにあがった。それは、身体的欲求 → 知的欲求 → 社会的欲求 → 空間的な快適性(欲求)だ。やはり、欲求の発展でも、社会的欲求の次は、空間を求めるものだ。大きな方向では間違っていないだろう。

 私は金持ちが、大きな家を買い、芸術的な世界をたしなむことを、自然な欲求とみなす。金持ちの贅沢として片付けるべきものではない。 どんな贅沢をするか。その欲求の中身が重要なのだ。 マズローの言う最も高等な欲求、「自己実現」の実際だ。自己実現には、様々な欲求が混ざる。快適な空間を求める、絵画の鑑賞、音楽を聴くはその一つだ。

 

 自己実現に「建設」、「創造」もある。それは空間における「創造」である。建設も、空間的なものだ。やはり、欲求段階説で考えても、社会的欲求の次は、「空間」にかかわるものだ。


 どうも、社会欲求の次が空間にかかわる欲求であることは、否定しようがない。

 私の話についてこれただろうか。これは先端の理論なのだ。

 だが、人類はいまだ社会改革に忙しい。格差をなくせとか、経済成長率が低すぎるとか、借金大国をいかに解決するかなど。インターネットが個人の活躍する場を増やす。民族主義も台頭しつつある。現在のこの社会の流れを説明できる理論はあるだろうか? これは、明らかに空間の改革ではない。社会制度の問題である。それは次の話。

 

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