発達心理 developmental psychology

 

 社会思想統合理論

 

社会思想の終焉3 その末期に起きること 2015-2-4,3/11,2017/7/24


 今、大学の卒論に書いたことを整理して、わかりやすく説明している。卒論はたいしたことがない、と思うなかれ。発達心理学、青年期のテーマと近現代の思想とを一致させた世界初の試みだ。読んでいく うちに、日本人離れしているとびっくりするはずだ。

 
 前回、人類の思想テーマは16-19世紀に"理性"、19-20世紀は"社会"と示した。今日は、21世紀以降のそれを明らかにするつもりだ。その思想(人類の探求課題)の条件を詳しく説明する。

 

新しい"思想"の条件


次の「思想」とは

1,先端を走る・流行
2,大衆に支持されるもの
3,社会を発展させる理念
4,それは何かの解明である
5,それは人類全体の探求対象である
6,過去・現在の思想テーマではない
7,前段階の思想の完成後に現れる

8, 前段階の「思想」を数理公式にしたものが登場してから、新しい思想が現れる

 

  17-21世紀に、人類は2つの思想に熱狂した。近代は「理性」だった。現代は「社会」である。これら「思想」にはどういう特徴があったか? それを明らかにししよう。すると、人類の新しい思想(課題)の特徴が浮かび上がるはずだ。

 

  社会イデオロギーやヘーゲル哲学への当時の熱狂を思い起こす。人々は1,それが当時の先端を走る、と考えた。そして、実際に、知識エリートは「これからは理性の時代だ。」、「これからは"自由"を求める時代だ。社会改革しよう。」と期待した。彼らはそのテーマを追究することが、新しい人類の進むべき道だと思った。そして、それらが当時の思想の先端であり、流行だった。

 "時代の思想"とは、2,大衆に支持され、3,社会を発展させる理念である。それは、4,何かの解明である。 それは一部地域のテーマではなく、5,人類に共通するテーマである。それぞれの時代は、ヨーロッパだけでなく、世界中で、理性とは何か、社会とは何かがテーマとなった。

 また新しい思想は、当然ながら、6,過去の思想テーマではない。新しい思想が過去と同じなら何も新しくない。それは前時代のテーマが今なお続いているということだ。

 

 よって、新しい思想は、けっして旧来の思想、理性論ではない。もちろん、カントの理性や、ヘーゲル理性の哲学ではない。社会イデオロギーではない。資本主義でも 、社会主義でもない。とっくに破綻した共産主義でもない。理想社会を論じたり、社会の体制を説明するものではない。それは20世紀から21世紀初頭までの社会テーマである。新しく人類がテーマにすべきものとは、社会思想や理性の哲学以外だ。次に、大事なことを述べる。

 

 新しい思想テーマは、7,前の段階の思想が完成した後に現れる。理性の時代で、その哲学を完成させたのはヘーゲルだ。彼は「人生哲学(岩波文庫)」で、理性の発展の最終形を記した。理性は永遠に発展する。それは学問体系の分化という形だった、と思う。理性の内容=学問である。理性の形式は、論理学というもので彼は示した。学問の発展をモデルにして示せば、それが理性の本質の一つだ。

 

8, また前段階の「思想」を数理公式にしたものが登場してから、新しい思想が現れる。

彼は、"小論理学"を生み出した。理性の本質とは論理学だ、と明らかにした。理性=論理学というのは正しい。なぜなら、最も理性的な思考をするのは、コンピューターである。ここにいう理性とは論理的な思考をさす。理性=良識的な思考、という意味ではない。一般的は理性は「法則的」である。ここでは、感情的でない思考という意味である。合理主義の極致、合理性とは何か。それは論理的な思考である。へーゲルはそれをあらわす数式=論理学を考えだしたと思う(論理学は別の発明者がいるかもしれないが、ヘーゲルも提案した)。その後、人々は理性に関心を示さなくなり、社会的な自由を求めた。

 コンピューターは論理でもって、演算する。ただそれだけの機械だ。が、コンピューターは理性的だと思われる。つまり、理性の本質は論理学(論理回路・演算)なのだ。このようにして、ヘーゲルは理性は、究極的には、理性の本質として、「論理学」を提示した。そして、論理学を彼は作った。

 理性とは、内容は理論体系(学問体系)で、その形式は論理学である。学問とコンピューターが理性の産物だから。

 ヘーゲルが「論理学」を提示して、理性を明らかにした。人々は理性が何かを知った。すると、理性を探求する情熱がとたんに冷えていった。冒険はそれが発見されるまで人々のロマンをかきたてる。発見されてしまえば、もうそこに魅力は感じない。

 

 ある段階の末期には、それまで探求してきたものを、数式で表現するものが発明される。

 

社会思想の時代の末期に起きること

 

 理性の時代の末期には以下のようなことが起きた。1,ヘーゲルが理性の極地を表現して、理性の哲学を完成させた。そして、2, "理性"をあらわす数式が登場した。それから、3, 理性探求に行き詰まり感が出た。同じようなことが、社会思想の末期にも起きると考えられる。それは、

 

1,社会イデオロギーの完成が起きる
2,社会理論を数式で表現するものが開発される
3,社会改革にゆきづまり感が出てくる

一、新しい思想が出現する前に、社会思想の完成形が世に出る。それがないと、人類は次の課題に進めない。が、過去の社会思想のどれよりも優れたものは見かけない。

 

まず共産主義の発展段階論は間違っていた。現実は、社会主義は破綻して、自由主義が生き残った。それが、さらに進むと逆光して社会主義に戻るわけがない。

 

いまだ現れてないようだ。

 

ニ、また新しい時代に入る前に、社会を数式モデルにする理論も登場するはずだ。それはまだ誰も知らない。私は組織成長理論を作ったが、それにあたると思う。それは、企業の成長モデルから、純粋に社会がいかに発展するかを理論づけたものだ。6段階ある。それで、もって人類の20-21世紀の発展は説明できる。これはあとで示す。

 

三、社会改革にゆきづまり感も出てくる。確かに、人権はもう限界に近そうだ。民主主義と自由の改革も陰りがみられる。国家による個人保障も完成にあと一歩というところまできている。社会理論で、争うような問題も残り少ない。2015年現在、社会思想の時代が終わりに近づいていることは、確かだ。

 

社会思想を完成させる理論とはどんなものだろうか?

 

 社会思想を完成させるような、社会イデオロギーをすべて網羅するような究極の社会論とは何だろうか?

 

 それは一口には、社会思想統合理論だ。統合とあるから、インテグラル理論のケン・ウィルバー がやってくれるのだろうか? が、彼の成長理論で、社会の発展を明らかにしたものはなかった。

 

 その理論はどこに隠れているか?

 社会を最も明らかにしたのは、経営学だ。経営学は企業を明らかにした。それは企業だけでなく、宗教組織、国家組織など、社会組織全般を分析できる。おそらく、社会思想を整理する枠組みは、経営学のどこかにある。

 共産主義と自由主義の社会の優劣、共産主義の悪質性すら簡単に見抜けない頭の弱い人には、とうていわからないだろうが、必ずそこにある。それはまた今度。

 

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