発達心理論 9-11月  2015年

 

下記はブログ『電波犯罪と超科学』で書きためたもの。11/18から校正して、一部修正する。 

 

 

 

発達心理 38、最新 発達心理表  2015-11-9

 

発達心理表 
課題 年齢(才) 西暦 思想・時代  所属 発達課題、特徴
↑点  35-39 3530-4030  点  社会人 原子論、ブロックのような宇宙論
↑直線 30-34 3030-3530  直線 社会人 文、音楽
↑平面 25-29 2530-3030 平面 社会人 絵、写真、
↑空間 21-24 2030-2530  空間 大学後半 建築物、都市空間、  
↑社会 18-20 1830-2030  社会 大学前半 社会論 経営学 社会組織論
↑理性 15-17 1630-1830 理性 高校 理性、デカルト、カント、ヘーゲル
↑運動2 12-14 1430-1630 武士 中学 ルネサンス、経験論、足利文化的
↑運動1 9-11 ? 1230-1430 武士 小学校高学年、鎌倉武士
↑感覚2 6-8 ? 1030-1230 貴族 小学校低学年 貴族 平安時代
↑感覚1 3-5 ? 830-1030 王朝  幼児期  王 奈良時代
↑?? 0-2 ? 630-830 王朝   気質の形成 
↑?? 才  430-630        
↑?? 才  230-430     気質の形成
↑?? 才  30-230     気質の形成
  

 

37、感覚期、内的知性型の期間の変更  2015-11-7

精神は、感覚型(5次元)、内的知性型(6次元)、外的知性型(6次元)、理性型(7次元)、社会理性型(8次元)、電子ネット理性型(9次元)、空間型理性(10次元)にわけられる。

私は前回の論文で、知性型は12-14歳(1200-1600年)、感覚型は9-12歳(800-1200年)とした。が、それを変える。

 

 知性型は前半と後半がある。前半が9-12歳未満(900-1200年)。後半が12-15歳未満(1200-1500年)とする。感覚型を6-9歳未満(600-900年)とする。
 

36、引っ越し後、2年で前の土地の面を失う 2015-11-6

 新しい土地に引っ越した場合は、発達心理と同じように、その土地に適応してゆく。何年後の心理、というのが厳密に決まる。2年が1つの区切りとなる。引っ越す前の土地の感覚は、2年で失う。最初の2年間は、前の土地の気持ちがしだいに失せて、弱まる。

 前の土地の生活スタイル・精神を守る人は、新しい土地に住んで2年後に、その旧来の自分らしさを見失う。2年間は前の土地の生活感を失う。が、2年目にそれは突然止まる。

 2年め以降は、新しい土地の生き方を身につける。精神も新しい基盤に支えられる。新しい土地の生き方が、前の土地よりも劣る場合は、新しい土地の習慣や精神を拒絶するか、学ばない。こういう人たちは、自分の居場所をしだいになくす。すると、宗教に入るのが主婦には多い。

 

 地域の精神について 11/18

 

 地域ごとに精神の強さが違う。それは合理的な生き方、精神の高さである。居心地の良さともいえる。都市の中心は郊外より高い。地方よりも都市部が高い。

 

 これは日本で一番高いのは、大阪である。大阪市内で、天王寺あたりが10とする。すると、梅田が8-9。守口、門真、豊中が7、池田が3-5、枚方が4-5である。東京は、中心でも6-7である。神戸は6-7くらいだ。京都市内は6-8くらいだ。

 

大阪の芸人が、東京で精神的に強くみえるのは、この精神力の差である。北京が8-10である。

 

この地域の精神値は大事だ。高いところから低い所に引っ越すと、不適応が生じる。子供は、人間的に弱い場所に引っ越したと感じる。主婦や大人は、低い地域に引っ越すと、弱い人間の中にきたと感じて、そこの文化や精神は学ぶ気は失せる。その土地に適応したがらない。

 

 これは老人の不適応ではない。老人は知らない土地はどこでも慣れない。

 

 これによって、引っ越しによる不適応は分析できる。およそ精神度が低い土地に引っ越すとだいたい不適応になる。高い土地に行くときは、不適応にならない。

 

 東京から大阪に引っ越しても、心は弱体化しない。が、大阪から東京にゆくと、よく不適応を起こす。東京の冷たさに耐えられない人が多い。



 

35 新しい家に何日で慣れるか? 2015-11-5

 

 

 引っ越してから、新しい家に住むことが不安にならないまで何日かかるか。 私はその期間を正確にはかった。東大阪から池田に戻った時だ。新しい家に引っ越した初日は、そこに住むのが不安だ。慣れないと感じる。翌日も、まだ不安が残る。2週間くらいで慣れたらよいが、まだどことなく自分の家という感じがしない。やっと安心したのは何日後だったか? ちょうど30日後に、その不安はなくなった。その家に慣れた。この期間は、大事なので覚えなくてはならない。

 なぜなら、30日未満までは新居ではどうしても不安で、元の家に帰りたいと思うからだ。子供が引っ越して、新しい家がいやだとぐずる。30日はぎこちなく、慣れない。自分の家という感じはしない。寮に引っ越して、30日は不安がなんとなくある。これは、決まった期間で、それ以上は早く不安は消えない。

 

 30日が経過して、はじめてここは自分が住む場所という感覚が生じる。これは期間が決っている。

 これを知っていると、その不安はどうしても消すことができないとわかる。その時は、子供に「もう慣れるまでもう少しの辛坊だよ。」と言ってあげられる。無理に不安を消そうとする愚を避けられる。

 

 

34 子供が母親を決める年齢  2015-11-4

 子供は母親を何歳で決めるか?

これは重要だ。何歳まで養子にして、育てたら、その新しい親が本当の母親と父親になれるか。何歳までに引き取ったら、新しい母が、真に子供の母になるか、という問題だ。子供は何歳で、母親を決めるか。

 まず母親は遺伝で決まらない。病院で赤子を他人のと取り違え、他人の赤子を育てる時がたまにある。子供はその事実を知るまで、母親を本当の母親と考える。もし遺伝上の母親が現れても、自分の母とはみなさない。

 これはかなり早い時期と思える。なぜなら、子供は乳幼児の時から、おかあちゃんを求めるからだ。母親が違う人物になったら、本人は慣れない、その母を二番目の母と考えるという時期があるはずだ。

 母親が変わっても気にしないのは、母親を決める年齢は3-4歳未満だと思う。

 

33  故郷は何歳で決まるか? 2015-11-3


 人ごとに心の故郷がある。何歳に過ごした社会・場所が故郷となるか? 
私は8歳でアメリカボストンに1年暮らした。が、その時に、自分は日本人と強く思っていた。8歳で過ごした場所は故郷にならなかった。
私は10歳から30年間も池田に住む。が、いまだにこの土地に慣れない。池田は故郷ではない。8-10歳以降に住んだ土地は、心の故郷にはならない。
私の故郷は枚方である。これは、7歳以前に決まったようだ。予想だが、6-7歳だろう。5歳では場所の自覚がない。いや、幼稚園は、自分の故郷とは強く感じない。小学校に入ってからだ。6-7歳ではないか、と思う。

 

 これは4-7歳の間で、正確に調査してつきとめなくてはならない。

 

32 知性期後期の課題 2015-11-2

 12-15歳未満の発達心理テーマ。彼は外の力を学ぶ。12-14歳の年齢は、独立的である。反抗期と思われている。が、実は、自分で運動や行動など体験したい。
 この期間は、外界の力を学ぶ。前半は内的で、後半は外的だ。彼らは一様に力を求める。後半はルネサンス型の精神である。よって、ダークな制服を着せるなど、暗い服装はいけない。自然な明るい服装を着せる。それは脳の求めだ。

 この期間は、マニュアル(行動手順)、スポーツ、運動をさせるのがよい。または遊園地でジェットコースターなど、本人と周囲が一緒の動くものを体験させる。すると、この段階の認識が進む。本人が喜ぶ。

 

31 知性期前期の課題 2015-10-31

 

9-12歳未満の精神について。彼は、力を内向的に使う。自分の体の動かし方を知ることが課題だ。よって、この期間、どんどん運動させるのがよい。運動神経が極度に発達する。それが本人の喜びとなる。運動神経は、手足の動かし方、バランスの取り方、発声もある。

この時期と似るのは、平安末期の平清盛のような精神文化だ。精神は独立しているが、積極的に外部に働きかけない。

 

30 乳・幼児期を体系化する 2015-10-30

 乳幼児期の関心は、研究されて、週単位か生まれてから何日後という精度で明らかにされている。しかし、子供が本質的に何を求めているかの研究はまだない。私の発達心理の枠組みを用いると、それもできるだろう。それを解明するのが、当面の課題でもある。
 

 

29 45歳の心理 2015-10-29

 私は年齢ごとに自分の課題を調べている。45歳の私の関心は、10月は、三次元の空間意識だ。止まったものよりも動くものに関心がある。今日は、アニメの仕組みを勉強した。45歳となって数ヶ月は、明るい3D画像を作成することが、楽しかった。今は、動き出すものに関心がある。45歳からは動物への関心が強くなるようだ。

 46歳になると、多人数を連れる人が多い。橋下氏は45-46歳で維新の会を拡大させた。どうやら、45歳からは、運動を学ぶ。それは、人間を大勢動かす才能のようだ。
 40-45歳には、植物に興味があった。私はあまり動かない物体に関心を寄せていた。46-50歳は、動く物体のようだ。それを明確に認識するのが課題らしい。

 

28,  6歳から9歳未満 2015-10-28

 6-9歳未満の精神は何か? 感覚期の後期だ。外側世界をどんどん感じることが課題となる。様々なものに好奇心を持たせて、感じさせてあげよう。外に連れてゆき、自然の景色、自然の音、音楽、人間の声などを聞かせることが大切だ。
 この期間は、平安時代の初期のような自然観を与えることが大切となる。感受性を高めるために、絵画を見せ、音楽を聞かせ、様々な芸術を感じさせる。人工的なものを体感させることも大事である。自然だけではない。

 

27,  3歳から6歳未満の課題 2015-10-27

知性期は9-11歳の前期と12-14歳の後期にわけた。9-11歳を知性期と名付けることには異論があるかもしれない。今は、暫定にそうする。


 感覚期も、前期と後期があると考える。6-8歳は感覚期の後半=外界の感覚とする。すると、前半は3-5歳となる。この期間は、内的感覚を形成する。

 

 知的障害児の精神は、この段階である。内的な感覚を感じ、識別することが彼らの課題だ。

 

 内的感覚とは、体内の感覚を識別することだ。皮膚の痛み、体の奥の痛み、聴覚、視覚、味覚、触覚など、体の感覚を自覚する。平衡感覚も発達させる。
 この期間に、運動神経は発達しないが、感覚神経はとぎすまされる。

 受動的である。そして、多くを豊かに感じさせることが、この時期には大切である。乳幼児の発達心理で、何をどういう順序で課題をもち、それを獲得してゆくのか。それを明らかにしたい。3年と何ヶ月で何に関心をもつか。それは厳密に決っている。

 

 この段階の精神は、知的障害児で知能が発達しないタイプ、と私は考える。

 

 

26,  0歳とはいつ? 2015-10-26

 

人間の誕生は2つある。一つは母親の胎内から出た日だ。生誕日をはじまりとする。もう一つは受精の日を誕生とする。ここでは、本人の細胞を作る精子細胞や受精卵細胞が発生した日を、始まりとはしていない。が、おそらく受精した日が、発達心理上は、もっとも厳密に起点日になるのだろう。これは研究によって解明されるべきである。

 

 

25,  人間は現代思想を真に理解しない 2015-10-24

 

感覚型の人は、知性型の精神がわからない。それまでに脱落したからである。感覚こそがすべてと思っているからだ。知性型の人は、理性型はわからない。経験論でしか物事をみない人は、理性法則に支えられる人の発想にはついていけない。基礎が違うからだ。
 初期の課題を解決する段階で、それができないと、精神の成長が止まる。よって、現代思想、21世紀の思想は、感覚型、知性型、理性型、社会型の人にとっては、もう本人の哲学としては、理解できない高みである。

 現代思想を精神的に宿すことはほぼ無理である。例外的な精神の高みにある人のみは可能だ。
 現代思想と精神構造まで一致させることはできないとしても、知識や理論として理解することはできる。人間は今後の人類の思想は、それで理解するしかない。

 

24, 精神型は各段階初期の思想と同じ 2015-10-23

 

 人類の思想史と発達心理は同じ段階をふむ。そして、大勢はある段階の初期で止まる。本人の哲学はよって、段階初期の思想と似る。

 

 例えば、知性期後期(鎌倉初期)型の人は12歳で精神の発達を止める。彼は、同段階の思想、1230年ころの鎌倉仏教やマイモニデスのような視点をもつ。物事は合理的に解釈されなくてはならない、と。1230年頃の思想と、知性後期タイプの信条(哲学)は一致する。

 本人の哲学を自覚できない人には、本人の精神と対応する段階の思想を与えると、共感して納得する。そのようにして、本人の本来の哲学を強く認識させられる。

 

 同じ段階の人は、哲学が一致するから、話がよく合う。また違う段階の人は、本人の哲学を語る時は、信条が合わない。

 感覚型、知性型(2種)が、人類の99%以上を占める。彼らは自らの信念をひけらかしても、同意してくれる相手に困らない。が、理性型、社会型、空間型はレアだから、共通の価値観をもつ人にめぐりあうことも稀。

 各段階の精神を解明してみよう。

 前期知性型(9歳型精神、6次元下)と最も近い哲学は何か?
 1030-1050(?)年頃の最も典型的な思想だ。何があるだろう。大きな段階の小さな1段階は20年だ。発達心理上は、人はその段階の初期で止まる。それで、前期知性期(1030-1230年)の最初の段階(1030-1050年)とした。いずれ細かく明らかにしたい。

 後期知性型(12歳型精神、6次元上)に最も近い思想は何か?
 同じく1230-1250年の最も典型的な思想だ。鎌倉仏教と似る。またマイモニデスが膨大なユダヤ教を簡略化した。精神規則を意識した。西洋には純粋な哲学がある。典型的な思想が他にもみつかるだろう。

 理性型(15歳型精神、7次元)の思想は?
 その典型は1630-1650年の思想にある。私はデカルトだと思う。この段階の人は、数理的、純粋に自己をとらえる。感覚や運動法則からも切り離す。もしくはデカルトの時代のものだ。

 社会型(18歳型精神、8次元)の思想は?
 1830-1850年の思想だ。悪の思想ではなく、純粋に社会をとらえうるものだ。典型的なものは何だろうか。

 インターネット型(20歳型 9次元)の思想は?
 発達心理上は一つの段階ではない。ここは特別に設ける。インターネットが勃興してからの発想だと思う。

 空間型(21歳型、10次元下位)の思想は?
 2030-2050年の思想だ。これは未来だ。空間に対して、どんな思想が生じるのだろうか。それは楽しみである。

以上、精神段階と対応する思想である。


 

 

23,  各段階の初期で内的成長は止まる 2015-10-22

 

  私の経験では、ほとんどの人は各段階の初期で内的成長が止まる。ある段階に達成すると、すぐに止まる。私は、理性に満ちるタイプだが、その段階では初期タイプである。

 他人も調べた。知性後期タイプ(12歳型精神)は、マイモニデスなどのような法則を単純化することを好む人が多い。知性前期タイプ(9歳型精神)も、9歳の精神と似る。どこか社会的に表でない。

 

 どの段階でも、初期に内的成長が止まることが、共通する。これは、9/30に明確に気づいた。

 この法則で、人間の精神型を段類する。すると、6歳型(感覚型)、9歳型(暗黒中世型)、12歳型(ルネサンス型)、15歳型(理性型)、18歳型(社会型)、21歳直前型(電子ネット型)、21歳型(空間型)に分類できる。もちろん例外はあると信じる。

 私は6歳頃に、一部同級生が何か鈍くなったと感じた。その鈍くなった人は、6歳の精神型から進歩しなかったと思う。彼らは感覚期の精神となり、内的成長が止まった。

 9歳にも同じ経験がある。一部の者達が成長を止めた。私は彼らをおいてさらに上がった。9歳をすぎてしばらくすると、幾人かあまり賢くない人々が、私達についてこれなくなったと感じた。前知性期(9歳型の精神)の人は9歳で成長が止まるからだ。

 12歳頃にもその感覚はあった。同級生が誰も私についてこれないと感じた。私は1人になったと感じていた。99%の人はそれより上がらないからだ。この時から、精神が孤独になる人は、さらに上の世界に進む。

 高い段階まで成長するほど、精神的に孤独になる。同じ精神基盤をもつ人がいなくなる。そんな彼らは一般的に賢い。理性タイプは、その国の最高学府に入っても、ぜんぜん気後れしない理性をもつ。そんな人々の哲学力は、段違いに上だ。

 

22, 精神型とその後の成長 2015-10-21

 20歳までに本人の精神型は決まる。精神次元も決まる。その後の精神成長はあるのか? 何を本人は成長させるか?

人間は生きている間、精神は成長させる。発達心理の成長が止まっても、それは精神型に関するもののみの停止である。その他の面で成長する。

ある精神型をベースにして、それぞれの才能を習得する。その精神型は、あまりかわらない。それは、CPUが、i3,i5,i7のような差である。だが、記憶力はあまりかわらない。本当は、情報処理速度もかわらない。基礎のソフトの差ではある。コンピューターの質の差があっても、インターネットでたくさんのことを学べる。そのように、人間も精神次元、精神の基礎型が決まってからも、学習することは可能だ。

囲碁やアイススケートの能力、空間認識能力、文学的な才能、音楽の才能、会話能力など能力はそれぞれある。それを成長させる。

発達心理上の才能とは、精神力である。特に、哲学的な才能である。それは止まると基礎部分は一生変わらない。が、その他の面で向上する。

社会で要求される資質は学力(語学、数学、物理、工学、化学、社会、運動、音楽)の他にもある。倫理力、理性の能力、精神の強さ、社会的な技能だ。男女の関係力(恋、愛など恋愛力)もある。

大人がもつ能力に、社会(組織)力がある。人を動かす才能である。ヒラ社員、係長、課長、部長、社長レベルなどある。40歳で才能があると課長クラスに到達する。大手企業社長、大臣クラス、首相、世界代表クラスなどある。私は孤独だが体験を積んで、現在、課長から部長の間。これは組織の統治力である。

社会を判断する能力がある。市会議員、県会議員、国会議員、大臣、首相、アメリカ大統領クラスなどある。成長がよい場合で、30歳で市全体を見渡せる。40歳で県から東北地方の規模の視野を得る。42歳くらいで国家規模の視点をもつ。地球規模の視野をもつのは、45-50歳くらいだ。私の場合では。

 

 この視野をもたないと、上の政治家にはなれない。

会話力・文学才能も大事だ。ラジオDJや話家が高くなる。演説をする人も高くなる。文筆家は平均的に高い。これが高いと話負けはしなくなる。人前で活躍したい人は、これを磨く。言い負けるのが悔しい人は、これが劣っているためである。

理性力は、内的精神とは関係なく伸びる。数学者、科学者は物理世界について、より科学的な視野をもてる。アインシュタインは、精神次元の高い人よりも、理性的に世界をみている。

かわった才能としては、恋愛能力というのもある。

およそ、専門家はそれぞれの分野での才能が高くなる。大人の素養としてもたなくてはいけないのは、精神力、理性力、社会判断力、組織力、会話(言語)力である。
精神段階が止まったからといって、成長しなくなるわけではない。


 

21, 精神は止まった後、一生同じ段階 2015-10-20

 なぜ、人生上で本人の哲学は変わらないか?
 私は哲学が変わった人は見たことがない。それで、そう判断した。例外はいるかもしれない。では、なぜ、変わらないと判断したのか。本人の信条が変化した人はいないからだ。

 本人の信条の基礎となるものが、段階ごとに異なる。

 

知性期の人
 知性期の人は、「経験主義」、「動作論的正当性」が判断基準である。その考えを何度続けても、それがうまくゆく。すると、それを正しいとみなす。それでうまく物事を説明できる。すると、その考えは正しいとされる。これが知性期の人の判断法だ。

 信じるのは厳密に「科学法則」でなくてよい。自分自身の考えはすべて、科学法則に基づくものではない、と知っているからだ。経験的な確かさだけで、それを信じる。なぜなら、彼は根本的に、科学法則は自分の信念としてもっていないからだ。

 また、その考えは自分が感覚的に満たされるもの(満足するもの)であるかは大事ではない。感覚に頼ると錯覚などある。が、何度でも自分で確かめたものは信じる。それは確実だからだ。いわば、経験論の発想をもつ。経験論こそが、彼の価値観となる。経験論の真理が、彼の根底にある。

 

理性期の人
 理性的の人は、「理性主義」、あらゆる自分の信念は「法則」でなければならない。法則とは数学的な純粋性をもつものだ。法則とは、様々な共通の自然現象を帰納した考えである。彼は経験的な真実は、不確かなものとみなす。


 彼は、自分の考えが普遍的に通じるものかどうかまでは、検証する。そして、そういう法則的なものを、自分の信条とする。彼は知性期の人間と違い、法則しか信じない。それでもって自分の信条を構築する。それで、内面は理性(法則)に満ちる。

 もちろん純粋な法則を信条にもつことは少ない。世界は特殊な法則が多い。文学上の法則など。そういうものは、特殊な法則として理解する。とはいえ、経験的な法則ではない。

 違いはわかっただろうか。信条のベースとなるもの。その一つ一つの質が、知性タイプと理性タイプは違う。知性タイプはあいまいな経験法則を心の中に積み上げる。理性タイプは信頼できる純粋な法則で心を発展させる。ヘーゲルの人生哲学のように。

 理性人は、多数の意見など聞く必要がない。自分の検証だけで、自然の真理を理解するからだ。真理は誰にとっても同じだ。だから、他人の真理を聞く必要がない。実際は、すべての真理を自分だけで解明できないから、他人が発見した真理を知ることも大事だ。が、理性タイプは、他人の考えに意見が左右されない。

 知性タイプが理性タイプに変化するとき、信条は根底から作り変えなくてはならない。その変化は、中世的な神学を語る者が、いきなり、神は物理的に存在する、と言い出すような根本信条の飛躍的な発達が必要である。そして、言うのだ。「私の話すことはすべて法則にもとづく。私がかつて話していたような経験に基づくようなものなど、あいまいすぎて使えない。」と。

 

 私はそれほど考え方を変えた人は、みたことがない。それで人は、人生内で精神の段階はあがらないと考える。

 仏教僧は、悟ったといっても、それまでの信条に何か新しい考えを付け加えたような変化しかない。それは、精神の基礎的な向上ではない。「根幹から私は変わった。」、という人もいるが、経験論を抜け出しはしない。いきなり、デカルトのように、「自分は純粋な存在で、理性、数理法則でできている。万物の法則を私は求める。」とは言わない。「光を見た。私は心から変わった。」といっても、口先である。彼は思考の質を根本的に変えてはいない。

 このように人々は、判断の基礎を一生変えない。この精神の段階を生きている間に、変える人はいない。 もちろん精神の発達が停止した20歳以後に。

 

20, 薬による脳神経刺激による次元上げ 2015-10-17

 

 ホルモンの分泌異常で、身体と心の成長が止まっていた人が、そのホルモン摂取で精神の成長を再開するケースがある。その時は、発達心理の年齢そのものが、後ろにずれると考える。それは例外ケースだ。
 高度な科学をもつと、脳神経を局部的に発達させて、一時止まった内的成長が再びできる。もちろん、適切な内的な導きがなければ、本人の信条は変化しない。未来にそれは可能だと確信する。

 

19, 内的発達が止まる理由 2015-10-16

 

 本人の哲学がある年齢で止まる理由

 大人になってから、哲学が変わる人は見たことがない。学校で中学までの数学を習得した。すると、その人物は後に、数学を勉強しない限り、数学は一生、中学レベルである。発達心理では、本人の哲学はほとんどの人は、一生変わらない。ある段階で止まる。すると、そのままかわらない。

 

 なぜなら、新しく若い頃と同じ精神課題を意識することがなく、再び学習することはないからだ。また脳自体もその人生一度切りの成長期を逃すと、二度と成長する好機がないためと考える。

 これは精神の質的な成長が止まると考えてほしい。理由は、再び成長したケースを人間で私は見たことがないからだ。それに尽きる。仏教や瞑想の修行ではとりあえず、無理である。信仰に目覚めた人でも、神を信じる上での本人の判断の基礎。本人の信条の根本、彼の哲学自体はほとんど変わっていない。

 また脳は、ある年令でその神経部位が発達する。脳が発達するには時期がある。その年齢を逃すと、二度とその機会がないため、生きている間は、向上しない、と思える。脳神経の特定部位を成長させる薬が開発されると、この制限はなくなる。




 

18,  精神次元 2015-10-15 11/20に修正

 

精神次元では、5型に分ける。発達心理上は6型ある。6型とするのは、感覚期の前半があるとするためだ。知的障害者の強い人がその型だと思う。

 この精神6型は、巷の精神世界で言われる精神次元と対応させられる。精神次元とは、仏教の階層で、菩薩や如来と呼ばれる精神である。それは発達心理で、どの段階まで発達すると、ある次元に到達すると、その精神になる。というのが私の論である。

 

 精神次元は21歳までに5-10次元に決まる。21歳まで順調に内的課題を解決すると、10次元に到達できる。が、だいたいにおいて、自分の課題など自覚できない人が多いから、高くて6次元の12歳で精神は止まる。

 下記が、次元と精神段階(発達心理)の対応表である。これで、次元の精神の特徴が理論的に導きだせる。

10次元--21歳の精神、空間期以上の精神。空間を作ることなどに関心がある。型は多数ある。
9次元--20歳頃の精神、社会期末期の精神。理性に満ちる。インターネットのようにあらゆる情報を合理的に受け容れる。
8次元--18歳の精神、社会期の精神。社会的知性を探る。社会を理性的に解明する。集合知性を課題にもつ。
7次元--15歳の精神、理性期の精神。自己は純粋で数理的と知る。理性の発展に、自分の成長がある。科学的かつ学問的。
6次元--9歳か12歳の精神、知性期の精神。前期型(内向タイプ=9歳の精神型)と後期型(開放タイプ=12歳の精神型)がある。ここは研究課題だ。
5次元--6歳の精神、感覚期の精神。感覚を志向する。難しいことはわからない。

5次元--3歳の精神、感覚期の前期の精神、内的感覚を区別するのが課題だ。

この分類で確実なのは、7-9次元だ。6次元=前期型は、おそらく間違いないと思う。が、万が一の可能性で、感覚期の精神かもしれない。

  

 

17,  精神型の特徴  2015-10-21

 、精神型は一生変わらない
 生きている間に、本人の哲学が大きく変わる人はいない。よって、この精神型は修行では変わらない。なお、専門的な訓練で向上する可能性はある。しかし、現在はどんな修行でも無理である。
 仏教僧が悟るために、大人になってから何十年の修行する。それで、この精神型の変化は起きない。精神次元も上がらない。だが、基礎型は変化しないが、精神はその探求した分野で発達する。例えば、徳を養ったら、徳ある人になる。精神を極めると、精神論に詳しくなれる。

、瞑想の悟りは?
 瞑想の悟りとは1-3つくらいの気づき(答え)だ。一つの段階をクリアするには、50-100気づきがいる。瞑想の悟りでは少なすぎて、精神の段階はあがらない。

 一般に悟りは3つ、使命の自覚、霊能の覚醒、ある見地の習得にわけられる。使命の自覚は、自分がこの人生でするべき仕事を知ることだ。それは人類の課題(社会的使命の場合)の一つに気づくことで、発達心理上の課題とは関係がない。霊能の覚醒は、内的な気づきではない。精神発達に関係ない。ある見地の習得は、一つの見地なので、それだけで精神の段階はあがらない。よって、仏教の修行では、瞑想が上手になれても、霊能力が身についても、精神の段階はあがない。それで腕を上げるのは、瞑想の段階である。たいていの僧侶は本人の哲学は12歳頃までに固定化して、それ以後、大きくかわらない。

 瞑想は精神の段階をあげる訓練としてはふさわしくない。なぜなら、外的な刺激、感覚を感じることが大切な時期もあるからだ。目をつぶっていていは、それを認識できない。発達心理上の課題は、ふつうの人がふつうの生活で解決する。本人はふつうに生きていて、答えを見出す。特に目をつぶると、はかどるという根拠がない。目をつぶって物事を考えるのは、暗算や目隠し囲碁のようなもので、思考の質が落ちる。瞑想での精神向上は否定する。特に、子供は外を感じることが大切な段階がある。その時に目をつぶっては感覚することができなくなる。
 

 

16,  人間の精神型 (ベース・型) 2015-10-13


 人間の精神は、本人の哲学によって、大きく5型にわけられる。感覚型、運動型、理性型、社会型、空間型とする。これは発達心理上の区分とする。

感覚型とは
 感覚で物事を判断する。難しいことはわからない。見える世界のすべての物事に広く関心をもつ。世界を感じることは好む。ブランドを好む。9歳未満で、内的成長を止めた人の精神だ。3歳型と6歳型がある。

運動型(知性型)とは
 知識を好む。難しいことを言うのが好きだ。学者はたいていこのタイプである。内向型と外向型がある。内向型と外向型は見た目で明らかだ。9歳型と12歳型がある。

 外向型(12歳型)はいろんなことに興味をもち、芸術感覚が明るい。

 内向型(9歳型)は中世の哲学のように、経験的である。経験から法則を導き出す才能がない。そのため、主観しかもてない。客観をもてない。社会が判断することが正しいと言う。暗い芸術を好む。どの考えが正しいか競いやすい。これは、9歳で、内的成長を止めた人だ。

 外向型(12歳型)は、自分の価値観にこだわらない。外側の力学を探し求める。マイモニデスや鎌倉仏教のように、膨大な知識を簡素化した法則を好む。このタイプは、ルネサンスの人格のように、自然主義であり、開放的だ。明るく均整のとれた芸術を好む。世界にある法則を求めつづける。このタイプはどの思想が優れているか、などはあまり考えない。その思想の関連性をつきとめられる。12歳で、内的成長を止めた人だ。

 前半、後半もどちらも『力学』、『運動』、『動作マニュアル』のようなものを好む。

理性型とは
 自分が物体に依存しない理性存在と自覚する。明るく聡い。理性的なものを信条にもつ。経験的法則は信条に取り入れない。すべては合理的なもので成り立っていると理解する。真に科学的(自然法則を受け入れる)な精神だ。ただ、おとなしい。あまり自分の哲学を開示しない。
 15歳で内的成長を止めた人だ。このタイプは極端に人数が少ない。1万人に1人以下である。

社会型とは
 まず自身が理性と自覚した上でさらに発展したタイプだ。複雑な理性を理解するタイプだ。このタイプは、自分の外側にある理性、多数の理性(人間や動物の脳)の関係をとらえる。集合的な知性のベストなあり方を模索する。複雑な物言いが好きである。『連関』や『関係論』を好む。18歳で内的成長を止めた人。100万人に1人以下である。

社会型2とは
 すべては理性と考える。強い好奇心で、世界の理性を集め、体系化する。物事は簡略化して伝える特性がある。インターネットの成長とこの人物の精神成長は似る。10億人に1人以下である。20歳近くまで内的成長を続け、そこで止まった人だ。

空間型とは
 人間では確認されていない。内的成長を20歳以後も続けた人。理論上は21歳で内的成長を止めた人だ。理性を個人に宿す。すべての物質に完全なる理性が宿ると考える。その単位の集まりで、空間が作られていると考える。これ以上は、いまはみかけない。

 以上が精神5型である。これら精神型は、21歳までに決まる。それ以後、人間は、この基礎を変えない。それ以後はこの精神型をベースにして、精神を成長させる。


 

 

 

15,  発達心理と年齢 まとめ 2015-10-12

 

社会期までは1段階は3年だ。

空間期 21-25歳頃
社会期 18-20歳
理性期 15-17歳
知性期後期 12-14歳
知性期前期 9-11歳 
感覚期後期 6-8歳
感覚期前期 3-5歳
それ以前すべて 0-2歳

これは意外と正しいと思う。現時点の私の検証法では。人間には7つの精神パターンがある。



14,  0-2歳の課題 2015-10-10


脳が成長する。この期間に、一度に、多くの段階を短時間で進むと思える。3つ子の魂百まで。この期間の体験が本人の精神のベースになると思われる。だが、自然な発達である。外から働きかけて、うまくコントロールできるのだろうか。できるだけ皮膚接触を強めておき、親はのどかにして、そばにいることが、大事ではないか。

 

 

13,3-5歳の課題 2015-10-9 11/20修正

 

これは感覚期の内的な段階である。知能が発達しない知的障害児の段階はここだろう。

 3-5歳は外の感覚を形成することが課題だ。感覚器官が発達する時期だ。五感がある。視覚、聴覚、触覚。この年令では、刺激をたくさん感覚に与えることがよい。すると、感覚の認識能力が高まる。

 この年令で、外でよく遊ばせておくことが望ましい。美しいものを見せて、楽しい所にゆく。友達とも遊ぶ。感受性が高いから、そういう自然によくふれさせると、内面が豊かな人物に育つ。

 この期間は、意志は強く発達しない。親には従っていた。好きなことをする。意志が十分にないことは確か。感覚受容で内向的なタイプではある。

 

12,  6-8歳の発達心理テーマは、外的感覚 2015-10-8

 

9-11歳の課題が知性期前半だ。力の内的なものを探求する。体の中の力とは、運動神経だ。運動神経が発達する時期だ。

 

 6-8歳は、感覚神経が発達して、外界の認識を獲得する時期である。この期間は、外でたくさん体験させることが重要となる。毎日、家の外で遊ばせておいて、遠くにいったりする。たくさんのものを見せて、聞かせることが大事だ。すると、豊かに健全に成長する。

 6-8歳は、感覚期の後半とする。6-8歳の子供は、自分の意志で動くのは弱く、感覚を受容することが強い。これは適切である。


 

11,  9-11歳の精神 2015-8-7

 

では、9-11歳の発達心理課題は何か?
 これは前知性期だ。この年令の精神は、西暦900-1200年の思想と一致する。日本では、貴族時代から、武士の政治に入る前だ。平清盛や貴族がいた。武士が貴族とともに政治に関わる。

 

 力をもつ武士が鎌倉時代のように外側で活躍する時代ではない。小学校高学年は暴力や腕力を好まない。が、友達と家の外で行動することが多い。 この年令は、小学校高学年の心理である。感覚的に物事は決めない。自分の意志で物事を決める。知性が生じている。

 適切か?
 小学4-6年の精神について。確かに、私は感覚的なものを求めないで、知的に振る舞っていた。学習することを好んでいた。感覚期とするよりは、知性期としたほうが、その年令の特徴にあう。

 よって、9-11歳は、知性期前半とする。これは仮説とする。
 

 

10,  期間は3年 2015-10-6

 

発達心理の年齢と期間

 私のケースからつきとめる。私は4月生まれだ。
 こうなる。

20-21歳で、空間に興味をもつ。年齢がはっきりしない。22歳ではない。
18歳で大学一年生。この時、理性(哲学)に興味を完全に失い、社会に関心をもつ。
15歳で高校一年生。この時、心の自由を手にする。心が明るくなる。理性的になる。
12歳で中学一年生。この頃は、やや暗い印象がある。
10-11歳は小5と小6。この頃は、自立的で明るく物事をみていた。
9歳は、明るく物事をみていた。
8歳は小3で、まだ依存的である。
6歳は小学一年生である。
5歳は幼稚園である。

以上からいえることは、

空間期 21-25歳 頃 の?
社会期 18-20歳 の3年
理性期 15-17歳 の3年
知性期 12-14歳 の3年

知性期、理性期、社会期の各期間は、およそ3年である。

 発達心理で各段階の期間がわかった。それをもとに、体系化してみよう。それは次。

 

 

9,  感覚期以前 2015-10-5

 

 これは研究中の考えであり、最終的には違う結論に達する。

 

 感覚期の全体は、830-1230年。前期は830-1030年。後期は1030-1230年。日本では平安期になる。貴族文化である。前期は、内的な感覚。後期は外的な感覚を認識する。

 感覚期 前半
前期 830-930年
後期 930-1030年

 感覚期 後半
前期 1030-1130年
後期 1130-1230年

8,感覚期以前  前感覚期

 期間は400年とする。前半と後半がそれぞれ200年。大和朝廷から、奈良時代になる。日本で文明が生じた期間になる。ローマ時代の後半

 前感覚期 前半
前期 430-530年
後期 530-630年

 前感覚期 後半
前期 630-730年
後期 730-830年

9,感覚期以前  前々感覚期

 期間は400年とする前半と後半がそれぞれ200年。キリスト、カエサル以後である。ローマ時代だ。

 前前感覚期 前半
前期 30-130年
後期 130-230年

 前々感覚期 後半
前期 230-330年
後期 330-430年

10、感覚期以前  紀元前期

 期間は400年とする前半と後半がそれぞれ200年。ローマ時代の前半。

 紀元前期1 前半
前期 BC 370-270年
後期 BC 270-170年

 紀元前期2 後半
前期 BC 170-70年
後期 BC 70-AD30年

11, 感覚期以前  紀元前期

 期間は400年とする前半と後半がそれぞれ200年。ギリシアやペルシアの時代。律法の時代。

 紀元前期1 前半
前期 BC 870-770年
後期 BC 670-570年

 紀元前期2 後半
前期 BC 570-470年
後期 BC 470-370年

12、感覚期以前  紀元前期

 期間は400年とする前半と後半がそれぞれ200年。モーゼの律法の時代。

 紀元前期1 前半
前期 BC 1270-1170年
後期 BC 1170-1070年

 紀元前期2 後半
前期 BC 1070-970年
後期 BC 970-870年

 

 これは仮説とする。

 

 この発達心理と対応する思想期間は間違いである。11/20
 

 

8,  後期知性期の最初 2015-10-3

 

後期知性期のはじめ、は力をテーマにする
 期間は200年で、ルネサンス期の前。そこから、1230-1430年とする。これは鎌倉時代だ。地味なものを好む。マイモニデス。日本では鎌倉宗教が、その思想を代弁する。

「内的な力」を探求する
 一つの力 → 持続力(長距離走) → 複雑な力(踊り、コンビネーションジャブ) → 完全、精密、完璧をめざす(力の比較、効率、正義) → 自己が力で満ちる (最終段階)→ 自分より強く大きな力 → 外部の力 (突破)

 後期知性期のはじめ
前期  1230-1330年
後期  1330-1430年

思想家

14世紀前半
パドヴァのマルシリウス(1275- 1342年) ストア哲学 政治思想 人民の法()
ジャン・ビュリダン(1295年頃 - 1358年) 中世の哲学 科学の走り 慣性
オッカムのウィリアム(1285年 - 1347年 ) 中世の哲学 神の光がなくても、人間には科学的な思考が可能。

14世紀後半
ニコル・オレーム(1323-1382年) 中世の哲学 科学の走り、自然主義
フランチェスコ・ペトラルカ(1304-1374年) 人文主義、古文の再興
ジョヴァンニ・ボッカッチョ(1313-1375年) 人間主義

 

7,  後期知性期のあと 2015-10-2

 

 ルネサンス期 合理的で人間的なものを好む。自然に『力』あるものを見出す者が多い。期間は200年で、理性期の前。そこから、1430-1630年とする。これは、足利時代だ。ルネサンス期の精神とする。華美なものを好む。精神年齢は、12歳から15歳未満までだ。

「外部の力」を探求
 発達心理ではこの段階で外部に『力』を発見する。外に自分と同等の力の発見(人、象、猫、ねずみ)→ 複数の力、自分より大きな・小さな力 → 多数の力、絡み合う力 → グループの力、大きな力の中に小さな力 → 全体的な力 自然の力 → 地球の力、宇宙の力、無限 → 力の統一(ブレイクスルー)

 後期知性期のあと
前期  1430-1530年
後期  1530-1630年

15世紀
マルシリオ・フィチーノ(1433-1499年) 理性と知性 魔術
ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(1463-1494年) カバラ 自由意志、人間は小さな宇宙で、何から何まである。

16世紀
ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527年) 軍事・政治
フランチェスコ・グイチャルディーニ (1483-1540年) 歴史家
トマス・モア(Thomas More、1478-1535年) ユートピア
ヒエロニムス 1466- 1536年
ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ 1533- 1592年 哲学者。エセー。正義への懐疑。
ジョルダーノ・ブルーノ(1548- 1600年 宇宙は有限でなく無限。地動説。
マルティン・ルター(1483- 1546年) 神でなく人のイエスに従う?
 

 

6,  社会性 2015-10-1

 

社会期の課題
 これも前期(18歳)と後期(19歳)にわかれる。

 前期
 18歳のはじめのころは、社会的な活動に興味をもつ。それは体感的なもので、外に感じる。自分から説極的に、社会運動に関わりたいとは思わない。社会論は、ほしくなる。

 後期
 19歳?からは、自分が具体的に行動したくなる。何かの社会運動に加わり、自ら運動したくなる。そういうことに純粋な喜びを覚える時期だ。
 この時期は、経済学や経営学を学ぶのがよい。しだいに、経営学を学ぶ。

 この時期の学習として間違いなのは、マルクス主義を学ぶことだ。社会論としてあまりに稚拙なので、また悪い思想なので、健全な人は触れないほうがよいだろう。社会学は学ぶべきだ。法学は少しは必要である。おもに、社会学で、最もよいのは『社会組織論』。権限、裁量、組織形態。組織管理などが大事である。その組織理論の基礎をふまえたうえで、国家論や産業論と意識を拡大させる。そして、生産技術などに関心がうつると、しだいに空間的なものを志向する。すると、社会への関心はしだいに弱まる。すると空間的なものに興味がゆく。すると、この段階は卒業である。
 

 

5,  青年期の課題 2015-9-30

 

 理性期と社会期の課題

4,理性的の課題
 前期(15-16歳)と後期(16-17歳)に分かれる

 前期は、法則的なものに関心がゆく。数学法則、物理法則。心は、感覚的なものとは別に、独立して存在する感覚をもつ。内向的である。運動の中で、法則的なものには心ひかれる。

 後期は、哲学に興味がゆく。原始の思想に興味をもち、しだいに、ギリシア哲学以前の原始的なものに。やがて、ギリシア哲学に入る。ソクラテス、プラトン、アリストテレスと。なお、この期間は法則的なものを好むため、ストア哲学のようなもの、自省録などは理解しづらい。
 デカルトの『我、思うゆえに我あり』は前期の課題だ。数学的な下地があることが大切だ。カントの理性論を読み、自分の原理を知る。ヘーゲルの人生哲学、理性の体系的発展が、自分の理性の発展と同じと理解する。
 その後の社会論や不安の概念などは興味はもてない。そして、現代思想をかじり、宗教や空間論などにも興味をもつ。そのようにして、心は興味をうつす。

5,社会期の課題
 これも前期(18歳)と後期(19歳)にわかれる。

 前期
 18歳のはじめのころは、社会的な活動に興味をもつ。それは体感的なもので、外に感じる。自分から説極的に、社会運動に関わりたいとは思わない。社会論は、ほしくなる。

 後期
 19歳?からは、自分が具体的に行動したくなる。何かの社会運動に加わり、自ら運動したくなる。そういうことに純粋な喜びを覚える時期だ。
 この時期は、経済学や経営学を学ぶのがよい。しだいに、経営学を学ぶ。

 

 

4,  エリクソンのライフサイクルモデル 2015-9-29

 

私が用いるのは、発達心理モデルは、エリク・ホーンブルガー・エリクソンのライフサイクルモデルである。それを基礎にする。

 人は年齢ごとの発達課題がある。それは、発達課題を理解しようがしまいが、その年齢になると、それに関心をもつ。エリクソンの発達心理モデルが、わかりやすい。

 私がつきとめたのは、青年期の課題の3つである。15-17歳が理性、18-19歳が社会、20歳から24歳が空間である。

 各段階は、一つのテーマを探求する。前期と後期がある。前期の課題は、その内的な確立。精神にその面を確立させる。後期は、その外的な確立だ。外にそのテーマの作用を見出す。


 

 

3,  現代思想区分 2015-9-28

 

 

思想の発達心理上に区分について

 発達心理で思想を区切る。もっともわかりやすい区分としては、段階は理性と社会がある。それぞれに前期と後期がある。思想ではその段階の期間は何年だろうか。

人間の1年は人類の100年である。
  私が15歳から20歳まで青年期の5年間に関心がもったことは、思想史では400-600年のテーマである。よって、およそ人間の発達心理1年は、人類の思想の100年である。

 正確には、120年かもしれない。それは、社会思想の後期が6段階だったからだ。1段階が20年だった。社会思想の後期が6段階で、1910年から2030年までの120年だ。が、およそ100年とする。

 前期は内的なもの。心の中での確立。後期は、外向的なもの、実践、実際にそれを形成することが行われる。

社会思想(後期)は20世紀の課題とする
 20世紀、人々はどんな社会を作るかで争った。社会イデオロギーの時代だったからだ。厳密には、1910-2030年である。これは社会建設という実践なので、後期の課題である。

1830-1910(1930)年を社会の時代(前期)とする
 理性の時代と社会イデオロギーの間、その空白の期間である。ヘーゲル以後、西洋で人々は理性、神のような叡智を求めなくなった。代わりに、人々は自由や理想社会を語り合った。

 

理性の時代(後期)は18世紀までとする
 理性の哲学はカント(1700年代後半)からヘーゲル(1830年)までの200年とする。彼らはドイツ観念論を発表した。当時、人々は理性を求めた。理性を身につけることが、文明人の教養だった。それを大学で人々は求めた。

1630-1730年を理性の時代(前期)とする
 ルネ・デカルト(1596-1650年)がはじめた大陸合理主義は、自己を経験や感覚から切り離した数学的・幾何学的な純粋なものとみなす。イギリス経験論のベーコン(1561-1626年)は、帰納法を発見した。それで、純粋法則へと到達する道筋を明らかにした。ここにおいて、法則的なもの、理性的なものの萌芽がみられる。

 以上から、理性→社会までのおおまかな流れが見える

 理性期
前期  1630-1730年 デカルトが始まり。大陸合理主義
後期  1730-1830年 カントが始まりで、ヘーゲルで終わる。市民は理性を求めた。
 社会期
前期  1830-1930年 自由を人々は求めた。最大多数の幸福と社会論の萌芽、理想社会が語られた
後期  1910-2030年 社会思想を競う。理想社会を実現する運動が盛ん。経営学、社会学が豊かだ。

 期間は誤差10-30年。

 理性と社会の各段階は200年である。前期と後期はそれぞれ100年である。理性以前の哲学は、あとで考察する。

 

 

2,  発達心理と思想史は一致する 2015-9-26

 

私は、青年期の発達課題は、近代から現代思想のテーマと一致することに気づいた。

 カントは理性を探求して、ヘーゲルが理性を極めた。その頃、西洋では理性こそがテーマだった。いかに理性を獲得して、神に近づくかが大衆のテーマだった。

 その後、社会論が台頭する。人々は自由を求めた。個人の人格が完成されることなど、人々の関心を持ち得なかった。人々は、自由な社会を求めた。理想社会が語られた。

 20世紀に入ると、社会イデオロギーが社会運動となり、具体的な国家を作った。社会主義と共産主義に染まる者はあの20世紀最大の悪しき国、ソ連を建てた。権力を一つに集めることが強い国になると気づいた者達は、国家全体に独裁体制を敷いた。1950年からは、民族自決という理念のもと、権力をおろして、自治させることがブームとなった。1970年からは、巨大な官僚機構に理想があると信じられた。今、社会的な理想を達成したかのように国々は、独裁を放棄して、自由な体制に落ち着く。

今後は地球全体のことを考えるエコロジーなど空間的なものを求めつつある。

 このように人類は、近代思想の"理性"から、現代思想の"社会"へとテーマを変えた。今後は、"空間的"なものになるだろう。

 この思想テーマの変化は、発達心理テーマ(理性→社会→空間)と一致することを私は見出した。これを仮説とする。

 


 

1,  私の青年期の関心から始まった 2015-9-25

 

私の理論は、自分の体験が元になる。15歳で理性的になった。16-17歳で哲学に興味をもつ。18歳で社会的なものに関心がゆく。20歳頃には空間に関心が移った。25歳から絵画・写真に興味をもつ。30歳からは音楽や文学に関心がゆく。35歳からは、それはよく覚えていない。

 私の関心は、15-17歳が理性、18-19歳が社会、20-24歳が空間、25-29歳が二次元的なもの(絵画・写真)、30-34歳が一次元的なもの(音楽・文学・プログラム)だった。その後は、40-44歳で植物に、45歳からは、空間的な認識である。

 私は22歳の時に、大学の卒論で発達心理論のアイデアを記した。理性→社会→空間と関心が移る、と。それは青年期の発達心理だ、と。メインは社会思想の統合だったが。

 このようにして、私は自分の年齢ごとの課題から、発達心理を見つけた。

 

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