私の被害者としての闘い方


私の被害者としての闘い方

 私は電波被害者。通常被害者といえば、自己のつらい体験を悲しく訴えるだけだが、私はそんな従来の被害者のイメージとまったく異なる。なにしろ、被害体験を題材にして、小説などまで書いているからだ。こんな楽しい被害者が今までいただろうか。被害者といえば、社会的弱者、権利をふみにじられた者、悲しい体験をした者、そんな限定された枠に閉じ込められて、いつも悲しく嘆いている人が多い。しかし、それは、被害者に対する偏見である。被害者をそうみようとするのは、そういう生き方を束縛してしまうことにつながり、過去のつらい体験を背負う生き方に縛られてしまうので、よくない。私は闘う被害者で、いつまでも被害や犯罪と関わりたくないから、被害体験を明るく肯定的にとらえ、そんな体験から自由になろうとする。新しい被害者のイメージとして、私のようなあり方も大事だと思う。

 私事になるが、私は被害者として訴えることのみに人生のすべてを専念させるつもりはない。私が巻き込まれた犯罪を告発して、訴える。日本を電波犯罪が取り締まれる国に変える。犯人を捕まえる。それはそれで大切なことだ。が、私には、そこに夢は感じられないし、そんな活動に従事し続けることに、大きな喜びはない。電波を浴びせられた。だから仕方なく、わたしが訴えている。私以外にいなかったからだ。だから、電波犯罪を社会が認知して、社会に安心して、その犯罪防止運動を任せられるようになって一区切りついたら、やめようと思う。いつまでも犯罪の撲滅に関わっているつもりはない。

 私の夢

 私には夢がある。世界をもっと美しいものにしたいし、よくしていきたい。もっと賢い人々のいる世界にしたい。正直、電波犯罪を訴えた人物として名を残すつもりはない。単なる告発者は、人類に偉大な貢献をした人物よりも、低い扱いだ。私は負の面をなくすことよりも、正の面を加えてゆくことが、好きだし、向いている。当面は、この電波犯罪者との闘いがあるだろうが、私はそれだけに一生を費やしたくはない。ふつうの人に早く、戻りたい。そして普通の夢を実現したい。ここには詳しく書かないが、新しい理論や、技術を人類にもたらすことを夢見ている。

 2-11-14 校正 2015/4/19

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