電波公害

 

電波公害

 人類は20世紀に無線技術というものを発明した。それ以来、電波の放出量はどんどん増えて、ラジオ、テレビ、無線などに使われ、携帯電話など身近に用いられるようになり、今や生活には欠かせない道具になり、電波は氾濫した。これほど大量に電波が飛び交う。そして、わずかずつだが人体への危険性も知られるようになった。27MHzの電波は人体に発熱させる効果があり、規制が設けられたし、マイクロ波の発熱効果も知られた。が、実際には、住宅街の側やビルの屋上に堂々と形態電話の電波塔が建てられたり、強い電波を平気で人間のいる近くで放出することがまかりとおっている。町に電線があふれかえり、電磁波にさらされた路上を人々は毎日のように通勤している。彼らは、一様にぼんやりしているが、それが電磁波によるものだと自覚していない。先進国の子供は、一様に明るさがない。後進国で電気もまだない貧しい田舎の子供のほうが元気である。なぜだろうか。電柱と電線に囲まれた日本の子供達がなぜ明るさを失ったのだろうか。それに誰も気をとめない。悲しいことに人間には電波を直接知覚する能力がない。それだけに被害が大きな形で現れるまではわからない。大気汚染や洗剤など化学の公害には人々は1970年代にようやくそれが社会問題化して、注意を払うようになった。規制も多い。しかし、電波・電磁波による環境汚染には、人々はまだ実質的な規制は何もなく対策をしていない。このままでよいだろうか。

社会はまだ電波の危険性を知らない。本当に安全なのだろうか。今や深刻な問題が進展しているのではなかろうか?

 

 都会、街の電波・電磁波障害

 日本では電線が乱雑にかけられていて、何本も電線が無造作にかけられていて、その下を子供が遊んだり、人が行き来する。私は都会に出た時に、電磁波防御グッズをもち歩いたことがある。すると、意外な状況が見えてきた。私は防御グッズをもっているから、電磁波の被害は頭にはゆかない。頭はさえわたり、感覚もとぎすまされていて、軽快な気分だった。私は健全だった。電波が氾濫する以前の人々と同じだった。その時、私の見たものは、鈍くうつろな人々だった。電車で都市にゆくと、町ゆく人々は一様に、頭が重そうにしていて、感受性がなく、鈍重だった。そして、電磁波が強いビルの側にゆくと、人々の体の動きの鈍さはさらにあがり、顔はつらそうになっているのがありありとわかった。彼らはそれを全く自覚していないことが、私には不思議だった。

 都会の人々は、子供から大人まで、重たそうにしている。頭がいつも電磁ノイズにさらされている状態にあった。

 私は電波被害が大きいとき、自分があまりに周囲のことに無感覚だということに気付いている。耳の中で音がなり、静かではいられず、さらに頭もよく働かない。感覚も鈍る。が、その時は電磁波防御グッズを持ち歩いたからそれはなかったが、逆に周囲の人たちが、まっすぐに前を向いて歩くこともできないように、鈍感になり、頭が重そうで、そんな電磁波障害にさらされた典型的な姿をしていた。

 残念なことに彼らに自覚症状はないが、弱い電磁波障害にかかっていることは明らかだった。その都会には、ビルの屋上には電波アンテナがあり、それが下を通る人々に対して電磁波のシャワーを浴びせる。電線もところどころ乱雑にかけられており、そこから漏れ電磁波がたくさん路上の人々にふりかかる。それが平均的な都会の様子だった。

 都会の人に元気がないというが、それは自然など緑のない場所だからではなく、電磁波による環境汚染がひどい地域に住むからである。電波による公害がそこにある。それさえ、取り除くことができると、都会も快適になるだろう。

 

 室内の電波・電磁波障害

 家の中では、テレビを見るのが現代の生活である。多くの人はテレビを1日に時間以上見ている。その間、テレビから放出される電磁波にさらされている。コンピューターを使う人もテレビモニターからの電磁波にさらされる。それらOA症候群などへの関心が高まっている。が、今や電気製品が家庭にあふれ、室内のすぐ近くまで電線がきていても、無関心な人は多いが、安全ではない。大人は電磁波にさらされても平気そうにしているが、子供は大事な成長期に、電磁波を浴び、鈍感になって、電磁ノイズにさらされて、はたして正しい感受性をはぐくみ、物事を静かに考えることができるだろうか。まだまだ室内の電磁波対策は十分とは言いがたい。

 

 電波犯罪

 さらに深刻なことに、電波を人に浴びせる犯罪が始まった。それは電波の悪用である。電波を飛ばして人に浴びせて、頭痛や苦痛を与えたり、頭を働かせなくする。さらには電波で心臓発作を起こして、殺すこともできる。殺人電波である。もう電波による環境汚染はゆっくりと対策を立てて行けばよいと悠長なことを言っている場合ではなくなり、すぐさまこれらの電波技術の犯罪を取り締まりらなくてはならなくなった。電波は人体への影響がほとんどないという発信者側の論理は、電波による人体干渉が行われるようになり、もはや通用しない時代が来たのである。電波が人体への空く影響が明らかになった今、電波の規制が一刻も早く必要である。

 例えば、テレビからもぼんやりとさせる効果のある電波を感じるが観測されることがある。電磁波としてならば大きな値ではないだろう。しかし、犯罪電波と同じく人体に強く作用する危険なものである。そのために、ある公共放送の子供番組は、いつも見るとぼんやりするからだ。子供のための番組なのに、それを見る子供には、強い電磁ノイズが直接頭部に浴びせられ、何も考えられなくなるのである。子供を犯罪電波にさらさせる公共放送は今も堂々と流れているが、そんなことが許されてよいのだろうか。私は絶対にその番組を子供には見せない。

 

 電波の規制

 電波が人体への影響は大きい。電波で殺人もできるからだ。そこから、わずかな電磁波でも人体に共振する周波数は、人体にとって極めて危険であることが認識される。よって、それら電波全体を規制することが必要である。今まで野放しにしてきた電波の放出により損なわれた生活環境を回復することが何よりも重要である。

 電波の放出の規制
 人体干渉の周波数帯の規制の強化
 人体に向けて電波の放出の禁止、厳罰化
 電磁波基準そのものの規制。

 

 まとめ

 電波による公害で、都市部は電波や電磁波で汚染され、田舎も路上は電線から電磁波がそそがれ、室内は電気製品から発せられる漏れ電磁波にさらされ、さらには犯罪電波が日本全国どこでも飛んでいる。人は生活圏にいる限り、電波・電磁波の汚染から逃れることはできない。しかし、そんな電波公害は終わりにしなくてはならない。そして、電波・電磁波のない安全な社会を実現しなくてはならない。

 都会では電線がなくなり、ビルからの電波も浴びることもなく、電線からの放出される電波もなく、室内も電気製品からの漏れ電磁波のなく、犯罪電波も飛ぶことがなく、電磁ノイズにまったくさらされることのない生活を取り戻さなくてはならない。電線のない街、電波犯罪のない社会、人々は感受性を取り戻して、明るく元気に暮らす町を作ってゆかなくてはならない。そのためには、電磁波・電波を規制し、犯罪電波を取り締まり、それら公害電波を根絶しなくてはならない。そのために、人類はこの新しい電波公害に対して、強い危機感をもち、立ち向かわねばならない。

3-9-18  校正2015/4/11

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